雨の降る日に


しとしとと雨が降る。

「よく降るわね〜…」

半ば諦めたような口調で窓際で頬杖をつき、ぼんやりと表通りを眺めながらメイはぼそりと口にした。


連日の雨模様は既に三日目。
クラインには気象衛星などというものは存在はおろか概念すらもないので、当然天気予報などというものも無い。
だが重く垂れ込めた西の空を見る限り、どうやら明日も太陽は拝めそうになかった。


「雨が降らなきゃ麦も野菜も育たんだろうが。お前の世界では違ったのか?」

今日はラボも休みの為、キールも同じ居間で本を読んでいた。
聞くともなしにメイの言葉を聞いていたのか、ついぼやいた彼女に突っ込みを入れてくる。

「違わないわよーだ。梅雨に雨が降らなきゃ本格的な夏に水不足になる事くらい、あたしだって判ってるもん」

言い返すメイの声にも、何となくやる気が感じられない。キールはそんな彼女の口からでた単語に首を傾げた。

「『つゆ』?」
「ああ…クラインでは梅雨とは言わないか。
 ようするに一ヶ月くらいの間やたらに雨の日が多い時期があって、その時期をあたしの国では梅雨って呼んでたの」


キールには理解出来ない漢字で『梅雨』と書いてみせると、簡単にその説明をする。

「…んで、その『梅雨前線』っていうのがいなくなると、夏になるって訳よ」
「ふうん、ま、雨季みたいなもんか」
「そういうところね。こっちの雨季が、梅雨と同レベルかどうかは判んないけど」
「この時期は大体いつもこんなもんだぞ。一ヶ月程雨が降る日が多くなって、その潤いで作物は育つ」
「じゃ、大体同じ程度だと思っていいと思うわ。
 まー悪あがきしたって梅雨は放っといてもやってくるし、いずれどっかに行っちゃうもんなんだけど。雨は何かと大変なのよ。特に主婦には」


主婦。
まだあどけなさの残るメイの口から、その単語が出てくると微妙な違和感を感じる者もいるのだが、彼女はれっきとした主婦である。

魔法研究院にほど近いこの場所に、キールと共にラボを開いたのはもう数ヶ月前の事。
今ではすっかり主婦業も板につき、ラボの依頼も無難にこなす(キールがフォローしている面もあるが)新米魔道士だ。
キール一人では雰囲気をおっかながってラボに入ってこない客もいそうなものだが、
扉に取り付けた小さな飾り鐘が『カラリン』と鳴ると、メイの笑顔が『いらっしゃいませ♪』と迎える事が多いので、ラボの経営は何となく軌道に乗っている。


「雨の日が続くと、洗濯物が乾かないでしょー?お布団だって干せないし、窓を開けて思い切り掃除も出来ない。
 食料の買出しに行くのも大変なんだから。雨の日は主婦が家から出たがらないから、絶対どこの店も売上が悪い筈よ」

傘をさして買い物に出るのはいい。だが帰り道は買った物で手が塞がる上に、傘を差さねばならないのだ。
しかも風の強い日の雨は最悪だ。あの苦労を笑う者がいたら、『だったら自分で行ってみろ』と言いたくなる。

買出しに傘は不便だと悟り、最近では雨の日の買い物は雨合羽を着て出る事にはしたのだが。
そもそも今日ラボを閉めているのも、昨日一日閑古鳥だった為に、開き直って臨時休業にしたのである。
休日でもめげずに扉を叩く客が居たりするものだが、今日はそんな気配も無い。
あながちメイの言うところの『主婦の発想』は的外れでもないらしい。


「一番いけないのは、なんとなく気が滅入らない?雲がどんよりしてて、一体太陽は何処へ行ったのよって気分になるわ」

メイの気性ならばそうだろう。
太陽の下で、伸び伸びと跳ね回っているのが何よりも似合う彼女の姿を思い描き、キールの口元に僅かな笑みが浮かぶ。
親友であったディアーナが隣国に輿入れし、シルフィスが正騎士となって忙しくなってしまったので最近は大人しくしているが、
一年前ならば、天気のいい日の午後など部屋に居た試しがなかった。

「そんなものかな…俺は結構、雨も嫌いじゃないんだが」

さり気ない自己主張に、メイは少し驚いた顔をした。

キールはあまり物事にこだわらない。
自分の研究環境さえ静かに守られているならば、表が晴れていようと嵐がやって来ていようと関係ないと思っていた。

「…物凄く意外そうな顔をしているな」
「あら、顔に出てた?」

お返しにメイの頭をぐしゃぐしゃと撫でると、キールは膝の上に開いていた本をパタリと閉じた。

「雨音を聞きながら本を読むのが好きだったんだ。だからちょっとした雨よりは、それなりに降ってるくらいの方が好きだったな。
 雨の音に他の雑多な音が掻き消されて、よく集中出来るんだ」
「そういうもの?かえって雨音が耳についたりしない?」
「その辺は人それぞれだろう…だが、俺は悪くないと思ってる」


まだ幼かった頃、ひたひたと屋根から落ちる雨の音を聞きながら過ごした。
水の精霊は穏やかで、精霊が『視える』という事を負担に感じないで済んだのも、雨が嫌いではなかった理由の一つだろう。
雨の日は賑やかな風の精霊や、活発な火の精霊は比較的大人しい。
水の精霊が静かにゆうらりと宙を舞っていても、キールは気にせずに読書や研究に没頭出来たのだ。


「精霊ねえ…視えないから実感ないんだけど、やっぱり大勢いると鬱陶しかったりする?」
「そうだな。数が揃えば、少し…な」

精霊たちに悪気はない。
雨が降れば水の精霊が集う。嵐の前には風の精霊が宙を遊び、暑い日には熱の媒体になる火の精霊が活発化するのだ。
それはクラインでは自然の理であって、人がどうこう出来る問題ではない。

「じゃあさ、今もここに居るの?」

メイの問い掛けに、キールが少し考えてから首を振る。

「いや、ここには居ない…どうも気を遣ってるらしいな」

そう言って、キールは苦笑した。

精霊は元来とても気ままな存在である。
普通なら人間の都合などお構いなしなのだが、流石にキールとは付き合いが長く、
いつも自分達がフラフラしていては彼が落着かないのだ…という程度の認識はあるらしい。

特にこの数日は雨。
雨の日に集う水の精霊は元が穏やかな性質なのだ。
他の部屋にはひょっこり居たりするかもしれないが、二人がくつろぐ居間には存在しなかった。


「もしも精霊と話せたりしたら、退屈な時に話し相手とかになってもらえたりするかな。そういう方法ってあるの?」
「精霊との交信は、ある種の持って生まれた才能に近い物があるからな…
 やってやれない事はないと思うが、多分難しいぞ――まあ、お前なら何とかなるかもしれんが」

なんせメイの魔法の才は全くの未知数である。
基本はさっぱり上手く行かないのに、いきなり最高難度の魔法をあっさり成功させたりするのだ。
高位の魔道士が10年掛かってようやく習得するような術を、彼女なら1年くらいで身に付けてしまう可能性は、十分にある。

「え、ホント?じゃあ頑張ってみようかな」

無邪気に喜ぶメイに、キールは最近では珍しい渋ーーい表情を見せた。

「何よ、その顔」

真面目に勉強しようかという気を挫くようなキールの態度に、メイの頬が少し膨れる。
キールはそんな彼女の頭をぽんぽん、と軽く叩くと、『悪い事は言わん。止めとけ』…とだけ言った。


「ええーーー!?何でよ!あたしなら何とかなるかもって言ったの、キールじゃない。
 ラクして身に付くとは思ってないわよ。真面目に勉強するつもりなのに…何か危険でもあるの!?」
「相手を選べば危険じゃないが…」

そのへんにごろごろしている下級精霊は、地水火風どれもまあ、無害に近い。
気を抜けばこちらが怪我をしかねないような上位の精霊とは、修練を積んでも、おそらく接触する事も出来ないだろう。

「じゃあ何で駄目なのよ」

確たる根拠が無い以上、メイは絶対に引きそうもない。
キールはふーーーっと溜息をつくと、ちょいちょいとメイを側に呼んだ。
膨れっ面のまま、それでもメイは窓辺を立ち、キールの隣に腰を下ろす。その途端―――

「――――!!?キール!」

いきなりキスされて、メイは真っ赤になった。滅茶苦茶に振り回された彼女の拳を、キールがひょいと受け流す。

「つまりだな。こういう所を、断り無しに連中は見てる訳だ―――視えると、鬱陶しい事この上ないぞ?」
「うっ……」

メイの顔が引き攣った。

「精霊は気紛れで、極めて自己中心的だ。
 『どこかへ行ってろ』と言えば、『何が起こるんだ?』と嬉々として居座る連中の方が圧倒的に多い。
 しかも『視える』だけでなく『話せる』相手だと、それこそ二十四時間お構いなしに押しかけてくる。
 ―――それでもお前がどうしても精霊と話してみたいと言うんなら、手ほどきしてやらんこともないが…どうする?」

ニヤリとキールの口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。メイはたらーりと冷や汗をかいて、ぷるると首を振った。

「……こっちも見らてるんだって事実を忘れてたわ……いい、止めとく。視えないうちは、見られてるって事も判らないしね」
「よろしい」


キールは再び、手元の本を膝の上に広げた。
メイも隣に座ったまま、そのキールの肩に頭をもたせかけて目を閉じた。
そのまま緩やかにまどろんだのか、やがて規則正しい寝息がキールの傍らから聞こえ始める。

「…少しこのままにしておいてくれ…起こしたくないんだ」

囁くように、キールが呟く。
彼の言葉に姿視えぬ来訪者はふわりとその気配を消し、後には静かな雨音だけが残った。

                                                        【FIN】


あとがき

季節限定ネタですが、現実にはあまり梅雨らしい気候ではありません。
6月も終盤に入って来て、ようやく雨の多い日が続いてたような…また七夕の時季は雨が降ってるんでしょうか(笑)
相変わらず若奥様に手の早いキール君です。何か最近、よくキスシーンを書いてるよな…
わざとじゃないんですが、何となく話の流れで(笑)まあこの二人が幸せならいいんです、私は(^_^)

精霊の設定は私のオリジナルです。
ウンディーネとかサラマンダーとか名前は付けていませんが、まあ雰囲気を感じて下さい。
イメージ的には水の精霊は優しげな女性、火の精霊は元気な男の子、
地の精霊はちょっと腰が痛くなってきた頃合のおじいさん、風の精霊は活発な女の子、とかいうイメージで考えてます。
本当は同じ種類の精霊でも個性があるんですけどね(笑)そこまで書いてるとキリがないので割愛。

                                                           麻生 司




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