Your my better half
「ふんふふ〜〜ん♪」
庭先で鼻歌交じりに洗濯物を干している幸せ者がいる。
栗色の髪に茶水晶の瞳をした新米魔道士、メイである。
昨日まで数日降っていた雨もすっかり晴れ上がり、今日は抜けるような青空だ。
朝からシーツも全て引っぺがし、屋内に干してあった昨日までの洗濯物も全て晴天の下に干し直した。
部屋の窓を開け空気を入換えたら、箒を片手に家中を掃除する。
「こんな天気の日は、掃除するのも楽しいわね〜〜。あー、いい天気っ♪」
さかさかと廊下を掃きながら窓の外を見やる。
朝早くから起きたおかげで、家事が一段落するのはいつもよりずっと早い時間になりそうだ。
「今日はあんまり風も強くないし、かといって暑いわけでもないし。…そうだな〜、お昼はお弁当持って湖にピクニックに行こうかな♪」
結構な大声で呟きつつ、一階奥の研究室を見る。
「一人で行ってもつまんないもんね〜」
今度は小さく口の中だけで呟き直して、メイは早く掃除を終わらせるべく、箒を持ち直した。
「今日はあんまり風も強くないし、かといって暑いわけでもないし。…そうだな〜、お昼はお弁当持って湖にピクニックに行こうかな♪」
居間の方から、メイの声が聞こえる。
表向きただの独り言だが、その割には声が大きい。
判っている。あれは自分に聞かせる為なのだ。
キールはこの数日かかりきりになっていた依頼品であるオーブを机の上にそっと置くと、軽く目の間を揉み解した。
メイと運命的な出逢いをしたのが、丁度一年前の春先のこと。
それから様々な紆余曲折を経て、彼女と結婚したのがつい一ヶ月程前のことである。
周りの者―――特に自分とメイの直属の上司に当たる王国の筆頭魔道士などは、
自分達の結婚に驚き、そして同じくらいの賞賛を投げかけた。
『そーかそーか!お前もやっぱり、ただの男だったって事だよな!!いや〜、心配してたんだぜ?
アイシュは要領悪そうだけど家事の達人だから嫁さんの来手はあるかもしれないが、お前の性格じゃなぁ』
…この言い草に殴ってやろうかと思ったが、キールは言い返す事が出来なかった。
確かに自分の性格は、穏やかとは言いがたい。
恐らく自分に回る筈だった『穏やかさ』や『協調性』とかいったものを、
母親の腹の中で双子の兄が持って行ったんだろうと、今では完全に責任転嫁していた。
人と関わるのが億劫になり、つい自分の研究に打ち込む日々が続いていたそんな時―――彼女は現れた。
自分の中の何かが変わって行く瞬間を、一体どれほどの人間が体験するのか。
誰かの存在が自分という人間を変えていく。
彼女の事を思うと鼓動が早くなる。思わず理性を手放しそうになる。理性より感情が勝ってしまう。
それが恋、もしくは愛情なんだと認めるのには、そう時間はかからなかった。
そしてメイの為になら、変わってもいいと…思ったのだ。
だがその想いを彼女に伝える事は、彼女が自分の世界に戻る道を閉ざしてしまう。
キールは一生、彼女への想いを口にするまいと誓った。
一日でも早く、彼女を元の世界に還す事…それが、メイへの想いの証だと信じて。
しかしメイはキールの側に居る事を望み、キールも彼女が側に居る事を望んだ。
そして今も、二人は共に居る。
きっと、これからも変わらずに―――
小一時間後、魔法を込め終わったオーブを片付け、緋色のローブを外す。
凝った肩をぐるりと回した所で、ドアがノックされた。
「キール〜…ありゃ?」
ドアの隙間から顔をのぞかせたメイが、びっくりしたような表情を浮かべる。
てっきり執務机に座り込んで難しい顔をしていると思ったのに、いつものローブを着替えてこざっぱりとした格好になったキールが居たからだ。
「どうした、出掛けるんだろ?」
「う、うん。何で判ったの?誘おうと思って来たのに」
「あれだけ大きな声で自己主張しといて何言ってる」
キールが苦笑を浮かべる。
「行くのは湖だな?じゃ、行くぞ」
キッチンの机の上に置いてあったバスケットを持ち、さっさと玄関を出た。
「あ、待ってよ〜〜!!」
慌ててメイも、彼の背中を追った。
湖のほとりは、自分達以外誰も来ていなかった。
静かな場所を好むキールをゆっくり休息させたい為に引っ張り出してきたので、邪魔が入らないのは幸いだった。
メイはとっても機嫌が良かった。
今週は少々時間がかかる上に難度の高い依頼が入った為に、キールはあまり寝ていなかったのだ。
メイの手前徹夜をする事はなかったのだが、夜中の二時まで研究室にこもり、翌朝五時にメイが目を覚ますと、もう彼の姿が無かった日々が続いた。
今日辺りそろそろ一段落着く筈だったので、強制的にでも休息させたいと思っていた。
確かに朝方、キールに聞こえるように大きな声でピクニックに行きたいと言ったのだが、彼を実際に引っ張り出すのは、また別問題。
素直に誘っても多分、すんなりと来てはくれないだろうから、まず家から連れ出す事が大変だろうと踏んでいたのだが。
「ここに広げるぞ」
「うん」
キールはメイが声をかける前に依頼品を片付け、仕事着でもあるローブを着替えてラフな格好になっていた。
メイが元の世界から冗談のつもりで、こっそり彼用に召還していた白い綿シャツにジーンズ姿である。
初めは顔をしかめていたのだが、一度洗濯物がどうしても乾かない事があって、その時に仕方無しに着たのが、妙に気に入ったらしい。
普段はローブで過ごすのだが、今日のように二人っきりで出かける時などはたまに着てくれる。
手際よくシートを広げると、バスケットを開ける。
メイの手製のサンドイッチを一通り二人で頬張ると、キールはひとつ、大きな欠伸をした。
「キール眠い?」
「ああ…さすがに少し眠いな」
口で言うよりずっと眠そうだ。
暖かな昼下がり、お腹も程よくくちくなって、依頼への責任感で抑えていた睡魔が頭をもたげて来たのだろう。
にこっとメイが笑みを浮かべる。
「キール、眠いんなら寝ちゃいなよ。何なら膝枕、してあげよっか?」
キールの頬に朱が走る。
「やめんか、恥ずかしい」
「恥ずかしがることないじゃない。ここにはあたしとキールしかいないんだし。ほら♪」
「うわっ!」
言うが早いか、メイは強引にキールの頭を自分の膝に置いた。
キールは少しの間抵抗していたが、やがて諦めたのか大人しくなる。
ぱたりと両手が落ちた。
「キール?」
目を閉じたキールの前髪をそっとすくう。
「キール」
まだ眠っていないのは判っていたから、もう一度名前を呼んでみた。
薄くキールの目が開く。
「寝かせてくれるんじゃなかったのか?」
「えへへー、そうなんだけどね。何か嬉しくってさ。呼んでみたかったんだ♪」
「何だそりゃ」
ごめんごめんと言いながらメイは少し身体をずらして、キールが眩しくないように日陰を作った。
「…ねえ、キール」
「何だ?」
少し気だるい返事が返ってくる。本当に眠くなってきたらしい。
「今日、どうして来てくれたの?あたし絶対、引っ張って来なきゃ出てこないと思ってた」
「一緒に来たかったんだろ?…そう言ってたじゃないか」
正確には一緒に行きたいと呟いた、彼女の言葉を直接聞いた訳ではない。
だがキールは確かに、『一緒に行こう』というメイの言葉を感じたのだ。
「そうだけど…一年前じゃ絶対考えられないよ。キールがお弁当持ってピクニックなんて」
自然に笑みがこぼれる。二人に共通の友人たちや義兄が今の自分達を見たら、きっと目を剥くだろう。
「…お前が来たいって言ったからだ」
「え?」
小さな呟きに、よく聞こえなかったメイがキールの口元に耳を近づける。
その時不意にキールが顔を上げると、メイの唇に軽く口付けた。
「………!!」
「ごちそうさま」
予想外のキールの行動に、メイは固まって声も出ない。
にやっと笑ってべっと舌を出すと、再びキールは目を閉じた。
大事な人の笑顔を見る為なら、自分の殻を壊すなど容易い事だった。
メイですら、自分の行動が以前とは違うと驚く事がある。
だが、キールを変えたのは彼女なのだ。
彼女を喜ばせ、笑顔を守り、悲しい思いをさせない為に今の自分はあるのだとキールは信じている。
自分の存在がこれほどまでに誰かの生き方を変えたのだという自覚は、きっとメイにはないだろう。
それでいいのだと思う。
既に自分とメイの運命の糸は結ばれたのだ。
たとえ気付かなくても、もうメイはキールの半身であり、キールはメイの半身なのだから。
「もー…キールってば…」
顔から火が出そうとはこの事である。
しばらくして規則正しい寝息を立て始めたキールの整った顔を見下ろしながら、メイは一人顔を紅くしていた。
キス自体は初めてではない。だが、このシチュエーションは反則だと思った。
『本当に結婚してから、性格変わったんじゃない?』
変えたのは自分だという自覚は、かけらも無い。
まさか自分の笑顔が見たいが為に、すすんでピクニックに行く事を快諾したなど、まるっきり想像の範囲外だった。
それでも自分の膝枕ですうすう眠るキールの寝顔を見ていると、惚れた弱みというかなんと言うか。
「……お礼言うのも、変な感じだけどね」
不意のキールの行動が嬉しくて仕方ないのだった。
「キール、重くない〜〜?」
「軽くはないな」
「うう、言葉を選んでくれてありがと…」
数時間後、目を覚ましたキールをメイは満面の笑顔で迎えたが、いかんせん身体は正直だった。
日が暮れてしまう前に帰ろうと、片付けの為に立ち上がりかけたメイが―――
「メイ?」
…ぽてっとこけた。
「だ、大丈夫だよ〜〜」
笑うメイの意思を他所に、再びひっくりこける。
「……メイ、足が痺れてるんだな……?」
「は、は、はははははは……はい……」
空しい笑い声の後で、小さな肯定の返事が付いてきた。
しかも一度目に転んだ時にひねったらしく、メイは足首を捻挫していた。
可哀想なほど腫れているのを見かねて、キールが彼女をおぶって帰る事になったのである。
「キール、やっぱり自分で歩くよ。ゆっくり歩けばなんとかなるし」
「そんな足で歩いてたら、家に帰るのが夜中になっちまうだろう」
すたすたと歩き続けるキールの背中におぶられて、結局メイはそのまま帰宅する事になった。
途中、警邏中だったガゼルに見られたので、明日辺りにはシオンの耳にも入るのだろう。
明日の昼過ぎには『閉店』の看板を出して居留守を使ってやろうと、メイは決めた。
そんな事をしたってお構いなしに入って来ては冷やかしていくのだから、あまり意味は無いのだが。
とにかくも夫の意外に逞しい一面を垣間見て、メイはちょっぴり惚れ直したのだった。
ちなみに治癒魔法を使っていればあっという間に捻挫が治っていたのに、
膝枕のお返しにメイをおぶって帰りたかったキールがそうしなかったのだとメイが気付くのは……翌日、案の定やって来たシオンに指摘されてからである。
【FIN】
あとがき
いや、このSSを書き始めた時って、すっごく天気が良くて洗濯日和だったんです(笑)
丁度冒頭と一緒で、風もあんまり強くなくて、日向に居たら暑くもなく寒くない、丁度いい頃合で…
自分はPCの前に座って内職してましたが(笑)、メイ達にはピクニックに行ってもらったのでした。
ちなみにキールがローブを着替えたのは個人的な趣味です…
TVで白シャツ流行ってるって言ってたなァ、などと考えつつ打っていたので(^_^;)
ピクニックに行く日和に、あのローブってどうしても暑苦しそうだったんですもの〜〜。
しかしウチのキール君、どんどん暴走しています。
それとも手が早くなったって言うんでしょうか…何にせよ相手はメイ限定なんですけどね(苦笑)
余談ですが、正座してて足が痺れてコケた上に、足を捻挫したのは実話です。ええ、私の(笑)
麻生 司