この子何処の子?
「キール、ちょっと買い物に行ってくるね」
「ああ」
メイが研究室の扉から少し顔を覗かせ、声を掛ける。
中からは巻紙に呪文を書き付けているキールの生返事が返って来た。
もしかしたら右から左に抜けている可能性があるが、抜けたものを拾って来るくらいの芸当はやってのける人なので、大丈夫だろう。
買い物と言っても近所の市に少し食材を買いに行くくらいだ。そう大した時間もかからない。
空を見上げると、冬独特の灰色の雲が空を覆っていた。
「うわ……今日は寒いから、もしかしたら雪になるかな」
だとしたら明日は買い物に出れないかもしれないから、明日必要な物も買っておいた方がいいかもしれない。
こんな日は夕方になると生鮮物――主に野菜など――が安く出る事が多い。
まだ昼過ぎだから大した変わりはないだろうが、もう一度夕方に出て来た方がお買い得かもしれなかった。
こういう所は、クラインも元の世界も大して変わらない。
今メイは妊娠五ヶ月目なので、あまり重い物を持ってはいけない。
どうせ量を買うなら何度かに分けなくてはいけないので、手間は同じだった。
「メイちゃん、買い物かい?」
「おばさん、こんにちは」
いつも野菜を買う馴染みの店の女主人が、メイの姿を見て声を掛けてくれる。すっかりお得意さんなので気軽なものだ。
「今日は寒いわねー。今夜中にも雪が降りそう」
「そうなんだよ。野菜は特に寒さには弱いから、実は夕方には安く売ろうかって言ってるのさ」
声を落としたおかみさんの顔に笑みが浮かぶ。メイも同じように笑みを浮かべた。
「そうなんだ?……おっと、お財布を持って来るのを忘れちゃった。また夕方に出直してくるわ」
「ああ、そうすると良いよ」
夕方以降の安売りの情報をおかみさんの好意で得て、メイはそのまま店の周りを素通りした。
この寒さの中をもう一度出直してくるのも大変なのだが、折角お買い得情報を教えて貰ったものを無下にも出来ない。
先に果物や肉等を買っておいてから、改めて出直して来る事にした。
ちらりと空を見上げたら、遠くの山にかかった灰色の雲の裾がかすんで見えた。もう山の近くでは雪が降りだしているのだろう。
「本当に寒くなってきたなー。急いで温熱オーブを作ってラボの外で売り出したら飛ぶように売れるかしら」
温熱オーブを作る事自体は然程難しくは無い。
実際冬の寒さが原因で腰痛を起こす老人から、所謂カイロの代わりに注文される事がある。
他にも怪我や病気で患部を温める必要がある場合にも、注文を受ける事があった。
今まで何となく定番商品にしていなかったのだが、案外需要はあるかもしれない。
オーブに込められた魔法は一定の時間が経過したら効力が消えてしまうが、
使い捨てカイロとは違い、再度魔法を込め直す事で、オーブ自体が破損するまで何度でも再利用が利く。
今日はもう無理だが、いずれ純粋に暖を取る為だけの温熱オーブを作ってみないかと、キールに進言してみるのも悪くないだろう。
キールとメイが新居を構えた辺りは、魔法研究院に近いせいもあって、独立した魔道士達も数多く住んでいる。
そんな魔道士たちのラボに必要な薬草や道具を扱う雑貨店も数多く集まっている。
だから買い物に出ると、様々な色の肩掛けをした魔道士ともよく行き会った。肩掛けの色は多彩だが、緋色は流石に数少ない。
キールは例外だとしても、緋色の肩掛けを持つ魔道士の中には、メイが独立前に講師として世話になった御大も居たりする。
夕方、再度買い物に出たメイは、そんな御大の後姿を偶然見掛けた。
「ドレイル先生!」
元気な呼び声に、白髪でやや猫背の老人が振り返る。
「おや、メイ。買い物かい?」
「はい。先生もお買い物ですか?」
ドレイルは附加魔法を得意とする魔道士で、数少ない緋色の魔道士の一人である。
彼の場合は、かなり老齢になってから名誉ある称号を得た。しかし緋色の肩掛けとは、本来そう言うものなのだ。
だからと言って、歳を取って経験さえ積めば必ず手に入ると言う物でもない。
そして、えてして変わり者が多いと言われる魔道士の中でも、ドレイルは比較的『まとも』な方だった。
『偏見だ!』と言いたい所だが、メイ自身からして異世界から召還された変り種なので、あまり大きな事は言えない。
基本的におっとりしていて時々冗談も言い、笑うと子供みたいな表情を浮かべるドレイルの事を、
メイは研究院で教わった講師の中では一番気に入っていた。
何だか、おじいちゃんのようなので。
「いや、探し物なんじゃよ」
「探し物?」
『この子のな』と言いながら、ドレイルが自分のローブの裾にしっかりしがみついていた小さな男の子の頭にポムポムと手を置いた。
「先生のお孫さんですか」
「うむ、娘の子じゃ」
ドレイルの目が細くなる。孫が可愛くて仕方ないらしい。いつもにも増して目が垂れ下がり状態である。
「僕、お名前は?」
男の子の前にしゃがみ込んでメイが名を尋ねると、小さく『ウェス』という返事が返ってきた。どうも元来大人しい子らしい。
「実は昼過ぎからウェスの友達が見当たらなくなってしまってのぅ。白い子犬なんじゃが」
「はあ、子犬」
クラインの城下街は大きいので、人も動物も多い。勿論犬や猫も多い。愛玩用に限らず、野生で逞しく生きているものも結構居る。
白い子犬も然程珍しくはないので、何処かで見ていたとしても咄嗟に思い出せなかった。
「お姉ちゃん、ジェスを見なかった?こんなに寒いのに、お家に帰って来ないんだよ」
どうやら子犬の名前はジェスと言うらしい。
大きな瞳に涙を滲ませて訴える姿は可哀想だと思ったが、見覚えの無いものを見たとは言えなかった。
「ごめんね、お姉ちゃんも知らないの。でも早く見付かるといいわね」
今にも泣きそうなウェスを胸に抱いて、ポンポンと背中を軽く叩いてやる。
しゃくりあげていたウェスは、赤ん坊があやされる要領で少し落ち着いたようだった。
「白い子犬ね。もしも見付けたら、必ず掴まえてウェスのお家に連れて行ってあげるから。だから、元気出して」
男の子が泣いちゃ駄目よと、ポケットに入っていたキャンデーを口の中に放り込んでやってから、ハンカチで涙を拭ってやる。
「先生、他に何か特徴はないんですか?毛色の他に。片足の先だけブチだとか、『お座り』って言ったら逆に立つとか
メイが上目遣いで尋ねると、ドレイルがうーんと唸った。
「かしこい子犬じゃが、特徴と言ってものぅ」
するとウェスが、『あ』と小さく呟いた。
「何か思い出した?」
「えっとね、今朝ジェスに首輪をつけたの」
ジェスを飼いだしたのは数週間前からなのだが、首輪はつけていなかったのだという。
だが母親から、ちゃんと飼い主が居る目印をつけなさいと言われて、首輪をする事にしたのだと言う。
「お母さんからお小遣いを貰って、それで買ったの」
「ああ、市で買ったんだ」
市にはいろんな物が出回っている。犬の首輪くらい、出ていても不思議ではない。
『うん』とウェスが頷いた。
「茶色い首輪で、ちゃんと『ジェス』って名前書いてもらったんだ。これで迷子にならないと思ったのに……」
再びウェスがベソをかきだしそうな雰囲気になったので、ドレイルに挨拶をしてその場は別れた。
話していたのは10分足らずだったのが、寒さが深々と足下から浸透して、本来ならかなり身体が冷えている所である。
「良かった。自分の分だけは作った甲斐があったわ」
腹帯を巻いて少し大きくなった腹を撫でる。そこには不自然な膨らみがひとつ。
昼間の買い物で寒さが身に沁みたメイが、急遽自分で作った温熱オーブのカイロだった。
昼過ぎに寄った店で宣言通り安く売り出されていた野菜を買い込むと、ホクホクとした足取りで家路を辿る。
ちらほら白い物が灰色の空から落ち始めており、本格的な雪が降り出すのも間もなくだと思われた。
この寒空の下、ドレイルとウェスはまだ子犬を探しているのだろうか。
一応辺りを見回しながら歩き、それらしい子犬が居ないか探しながら歩く。
『とは言え、白い子犬と言うだけじゃねぇ……茶色い首輪も、そんなに珍しい物じゃないし』
何度か白い犬は目にしたが、子犬ではなかったり、ちゃんと飼い主が居たりと、どれも外れだった。
微かに雪が積もり始めた道を、滑らないように注意しながら歩いていると、後ろで小さな足音がした。
「ん?」
振り返って見ると、白いコートを着たウェスと同じ年頃の女の子が、メイのすぐ後ろに立っている。
こんな子、近所に居たかしらと思いながら一応『こんにちは』と言うと、女の子が真っ白い歯を見せてにこっと笑った。
随分、人懐こい子だ。もしかしたら最近引っ越してきたのかもしれない。
「もうお家に帰らないと、風邪ひくよ?これからどんどん雪も降ってくるし」
女の子はにこにこと笑顔を浮かべて、メイを見上げていた。
「ただいまー」
玄関を閉める音に、キールはペンを置いた。
買い物に行くと言って、出て行ってから随分経つ。身重の身体で、あまりこんなに寒い日に長く外に居るのは好ましくない筈だ。
「随分遅かったな。身体は大丈夫か?」
コートの肩に積もった雪を、玄関先でポンポンと払っているメイに声をかける。
「うん。さっき作った温熱オーブを持ってたから、大丈夫」
振り返ってキールの方を見たが、彼の視線は自分を見ていなかった。自分の立っている場所より、ほんの少しずれた所を凝視している。
そこには、メイのスカートの裾をしっかり握って、ニコニコと笑う白いコートの女の子が一人―――
「……メイ、一体その子何なんだ?」
「えっとぉ……」
返す言葉が無くて、メイは笑うしかなかった。
「……で?」
居間で暖かい紅茶のカップを手に、キールが半眼になっていた。
メイが必死になって自分の潔白を訴える。
「だから、この子がどうしてもコートの裾を掴んで離してくれなかったのよ。
あたしだってこの子を連れて帰ってくるのは問題だと思ったけど、
そうこうしている間にも雪は積もってくるし、通りかかった人に聞いても誰も知らないって言うし。
かと言って、もしも振り切って大泣きでもされたら、完全にあたしが悪者になりそうだったんだもの」
女の子は愛想は良いが、全然喋らなかった。ただニコニコと笑っているだけである。
年は五歳くらいだろうか。
あまり長くない髪を茶色いリボンでツインテールに結わえてあり、小さなペンダントをしている他は、特にこれと言った特徴はない。
何がどうしてメイをこんなに気に入ってしまったのか定かではないのだが、とにかく今も彼女の横にぴったりと寄り添うように座っていた。
「……まぁ、連れて来てしまった者は仕方ない。一応ラボの前に張り紙は出したし、騎士団にも連絡を入れてあるからな」
『小さな女の子を保護しています』と、簡単な服装の特徴などを書いた張り紙を、ラボの入り口に貼り付けた。
本格的に雪が積もる前の最後の警邏に出ていたガゼルが運良くラボの前を通り掛ったので、騎士団にも事情は伝えてある。
これで保護者が名乗り出てきても、こちらは迷子を保護しただけと言う事になるだろう。
「貴女、名前は?」
何度か尋ねたのだが、女の子は答えてくれなかった。ただニコニコと笑っているだけなのである。
もしかしたら、何らかの理由で話す事が出来ないのかもしれない。だとしたらあまりしつこく聞き直すのも、かえって悪いような気がする。
「キールはこの子、何処かで見た事ない?」
「いや……憶えがないな。子供は、あまり俺には懐かないし」
キールが頭を振る。確かに子供の相手は得意ではないが、だからと言って子供を毛嫌いしている訳でもない。
近所に住む子供の顔くらいは憶えているが、この女の子には見覚えがなかった。
「あたしも、見覚えが無いのよねぇ。今頃、家の人が心配してると思うんだけど」
そう言いながら、女の子の頭を撫でる。女の子は嬉しそうに目を細めた。
「そう言えば、コートのポケットとかに何か身元の判りそうな物はなかったのか?」
「うん、一応見たけど何も無し」
彼女の着ていた白いコートは、玄関の傍に掛けてある。
脱がせた後に雪を落としてポケットの中などを見たが、手掛かりになりそうな物は何も無かった。
名前の縫い取りでもないかと期待したのだが、これも空振りである。
メイにもたれるようにして腰掛けていた女の子が、暖かい部屋のせいか、眠くなったらしい。
小さく欠伸をすると、そのままこっくりと舟を漕いだ。
「眠いの…?どうする、ベッドでちゃんと寝ようか?」
このまま保護者が名乗り出なければ、今日はこの子を預かることになる。
客間を準備しようかと女の子に声を掛けると、彼女はふるふると首を振った。
そのままメイの膝枕に頭を乗せると、ソファの上で丸くなる。
「何だか赤ちゃんみたいな寝方ねぇ」
メイの目が細くなった。ソファの上とは言え、足も腕も縮めて丸くなる、胎児のような格好だったからだ。
「でも困ったな。このまま誰も名乗り出ないなんて事……ないよねぇ?」
「流石に、それは無いと思うが……」
女の子は、特に衰弱している様子も、怪我も無かった。
言葉を全く話さない事だけが、理由(わけ)ありと言えば理由ありだったが、他は全くの健康体である。
今まで普通に生活していて、食事も睡眠もちゃんと摂っていた事は間違いない。
それがどうして、メイに懐いて離れなくなってしまったのか。
「あーあ、迷子札でも持っててくれたら話は早かったんだけどな」
「迷子札?」
またしても聞きなれ無い言葉に、キールが首を傾げる。
「こっちじゃそう言うのないのかな?
子供が迷子になった時にね、誰が保護してもその子が何処の誰か判るように、親の連絡先とか書いた札を持たせておくのよ」
パスケースのような物に入れて、首から下げさせたり鞄に付けたりしておくのだ。
クラインにそのような物がある事を期待してはいなかったが、せめて名前だけでも知りたかった。
「そういえば、その子もペンダントをしているな」
女の子の首に掛かっているのは、銀の鎖の先に、同じ銀の小さな板が付いたデザインである。
確かに『札』に見えないこともないが、大きさはメイの小指の爪くらいの大きさだ。
「これに情報を入れるとしたら、彫るのかな?でも小さいから、彫ってあったとしても名前程度だよねぇ」
ほとんど気休めで小さなペンダントを裏返したメイの手が―――思わず固まった。
その様子に気付き、キールが身を乗り出す。
「どうした?」
「ペンダントの裏に……」
それ以上、言葉が出ないらしい。怪訝に思いながらも、キールは腕を伸ばしてペンダントを掌の上に乗せた。
「何か彫ってあるな……名前か……これは……ジェス?」
ジェス。
それは、夕方会ったドレイルと、孫のウェスが探していた子犬の名前である。
咄嗟に意味が繋がらなくてパニックを起こしたメイも、ようやく少し落ち着いてキールに彼らと会って話した事を聞かせた。
どんなに探しても見付からなかった子犬。メイに懐いて離れなかった女の子。二つを繋ぐキーワードは―――
「……このペンダント、微かに魔力の気配が残ってるな」
触れた指先に、僅かだが魔力を感じたのだ。
とても古くて、今ではほとんど失われた術法だが、キールにとっては運良く憶えのある感覚である。
「お前も一年くらい前に、市で買ったチョーカーを着けたら、猫になっちまった事があったろ?」
「あっ!まさか、この子も!?」
思わず、メイが口元を押さえる。
あの時はいきなり自分が猫になってしまい途方に暮れた。
よくぞ猫の正体が自分と見抜いてくれたものだと、今更ながらに後の夫となったキールの洞察力には感嘆を禁じえない。
それとも、やはり愛の一念だったのだろうか。そんな事を口にしたら、絶対キールは黙ってしまうに違いないのだが。
「恐らくは…な。お前がチョーカーを買った店と、ウェスが首輪にするつもりでこのペンダントを買った店は、多分同じ店主の筈だ」
つまりこの子の身に付けているペンダントには、メイの時とは逆の、動物を人間の姿に変えてしまう附加魔法が込められていたのだ。
いずこかの魔道士が研究用に所持していた物が、何らかの理由で売りに出されるかして、今の店主の手に渡ったに違いない。
店主は多分、骨董品を扱っているくらいの認識なのだろう。
少しでも魔法に関わる知識がある者なら、身に付けただけで人が猫になったり動物が人間になったりするような物を、売りに出さない筈だ。
「あたしの時は、キールが解呪してくれるまでチョーカーが外れなかったんだよね。一週間かかったっけ」
解呪に必要な薬品の材料を、入手して精製するのにそれだけ掛かったのだ。
出来上がってしまえば後は早かったのだが、メイはその間猫の姿のまま過ごす事になった。
キールが居なければ、一生猫の姿のままだった可能性もあるのだ。他人事ではない。
試しにペンダントを取ろうとしてみたが、案の定鎖は外れなかった。
鎖の長さは然程ないので、鎖を切るか外すかしないと首からは抜けない。
「一応確かめないと……ごめん、ちょっと起きて」
メイが肩を揺すって、膝の上で眠っていた女の子の目を覚ました。
はっきり目を覚ますのを待って、改めて尋ねる。
「もう一度だけ聞くわね。もしも合ってたら、頷いて頂戴。それだけでいいから」
女の子は、きょとんとした顔でメイとキールを交互に見た。
「貴女の名前は『ジェス』?」
ぱあっと彼女の顔が綻び、大きく頷いたのだった……
「まぁ、最初から人間の言葉は喋れないんだから、いくら尋ねても返事は出来ないな」
それから数日後、セリアン・ラボにはドレイルとウェス、そして少女の姿の愛犬ジェスの姿があった。
精製出来た薬品を手に、キールがそう述懐する。
「でもこっちの言う事は何となく判るから、名前にはちゃんと反応したのよ」
そう補ったのはメイだ。
少女の正体がウェスの愛犬だと判明すると、雪の中をキールがおぶってドレイルの家まで彼女を連れて行った。
本当はせめて雪が止んでから行きたかったのだが、『絶対心配してるに違いないから』という、メイの懇願に負けたのである。
事情を説明し、解呪の手立てもあるが数日掛かる事を話して、ジェスはようやく主人の元に帰った。
何故ジェスがメイに懐いていたかについては、彼女の身体に残っていたウェスの匂いに懐いていたのではないかと、メイが気付いた。
ジェスを見付ける前に、メイは泣き出したウェスを抱き締めていた。恐らくその時に、匂いが移っていたのだろう。
薬の精製を進める一方で、メイとウェスがチョーカーとペンダントを買った店の主人を探し出し、
彼が所持していた残りの品物の中で魔力を秘めていた数点は、纏めて研究院の費用で買い取られた。
正式な鑑定を行い附加魔法が確認されれば、それは古代魔法の貴重な資料として、研究院で厳重に保管される事になるだろう。
やはり地方の遺跡から出土した物を店主が装飾品として作り直した物であり、
まさか附加魔法を秘めていたなど、店主は露ほども知らなかった。
今後遺跡絡みの装飾品は研究院の鑑定を受けるまでは扱わないという誓いを立て、処罰は無しとなった。
いきなり人が猫になったり、子犬が子供になったりと驚きはしたが、誰も実害を受けていなかったので。
「さあ、ジェスを元の姿に戻すぞ……いいか?」
キールがジェスの方を見る。ウェスとジェスは、幼馴染みの友達のように手を繋いでドレイルの後ろに居た。
見かけはまるで小さなカップルで、この可愛らしい女の子の正体がまさか子犬だとは誰も思わないだろう。
「ウェス……ジェスは、元の姿に戻るのが幸せなんじゃよ。在りのままの姿であることが、きっと一番なんじゃ。
神様から頂いた、それが在るべき姿なんじゃからな……自然の理を、歪めてはならない」
それはある意味、残酷な言葉だったかもしれない。
幼いウェスにしてみれば、子犬の姿よりも自分と同じ人の姿をしたジェスの方が、より近い友達だと感じたのしれない。
だが、人と犬では寿命が決定的に違う。このままでは、恐らく話す事も出来ない。
そして遠くない将来、ジェスはあっと言う間に成長を遂げ、大人になり、そして年老いて行く。
だからこそドレイルは、在りのままの姿に戻してやりなさいと、孫に諭したのだった。
なかなか決心のつかないウェスの手を、不意にジェスが離した。
「ジェス!?」
ウェスの目が、驚きに見開かれる。繋いだ手を、彼女の方から離されるとは思っていなかったから。
ジェスは振り向いてニコッと笑うと、キールの前まで歩いて来た。
「これを飲んだら、お前は元の姿に戻る……それでもいいんだな?」
真っ直ぐに翠の瞳を見返して、ジェスがはっきりと頷く。
キールが魔法薬の入った小瓶を手渡すのを、ウェスはドレイルのローブの陰から見守っていた。
こくん、と一口飲み、促されて一瓶全てを飲み干す。
きらきらと輝く光の粒子の乱反射に包まれたジェスの身体は、瞬きする間に、元の白い毛並みの子犬の姿に戻っていた。
「ジェス……おいで」
膝をつき、手を差し伸べたウェスの腕の中に尻尾を振ってジェスが飛び込んで行く。
頬を流れた涙をペロペロと舐めるその仕草に、ウェスは顔をくしゃくしゃにした。
「何だか、不思議……ジェスはちゃんと帰ってきたのに、何だか寂しいや……」
それも、彼の本当の気持ちなのだろう。
可愛がっていた子犬が戻ってきた事は嬉しいが、友達を一人失くしてしまったような、奇妙な喪失感。
「ジェスはちゃんと傍に居るよ……これからも、彼女と仲良くね」
「うん!!」
メイの言葉に頷いたウェスの頬に、涙はもうなかった。
ドレイルは二人に丁重に頭を下げると、気持ちだと言って礼金を置いていった。
キールとメイは断わったのだが、依頼料は素直に受け取っておきなさいとやんわり諭され、結局受け取る事になってしまったのである。
薬の精製には数日掛かったが、材料そのものは前回メイの分を調合した際に使った残りがあったので、
実はほとんど元手は掛かっていない。
今度何かあったら無償で引き受けるつもりで、今回はその礼金を納めることにした。
「ねぇ、キール」
ラボの外で小さくなるドレイルとウェスの後ろ姿を見送っていたメイが、ぽつりとキールの名を呼ぶ。
「どうした?」
「自然の理を歪めちゃいけないって……ドレイル先生は言った。それじゃあたしがここに居る事は、やっぱり自然の理を歪めているのかな」
キールの腕に絡められたメイの手に、ぎゅっと力が篭もる。
本当は存在しなかった場所。出逢う筈ではなかった人々。交わる事のなかった時間。
その全てを歪めて存在している自分は、やはりこの世界では異端子なのだろうか。
「……お前は、エーベ神の意思でクラインに来たんだろう?だったら、それは自然の理なんじゃないか?」
「キール……」
召還魔法の失敗はきっかけに過ぎない。どんな形であったにせよ、メイはこの世界に在る事を、女神に望まれた。
それはダリス戦役の際に出逢った、エーベの大樹の分身であるアリサという少女の口から明らかにされた事実。
メイはエーベ女神の意思で、クラインに召還されたのだと―――
「例え理を歪めているのだとしても、俺はもうお前を手放す気は無い。召還魔法も帰還魔法も完成しているしな。
もしもお前がこの世界に存在する事で次元が歪むのだとしたら、一度元の世界にお前を戻して、また召還し直したって良い。
それくらいの事は、やってのけてやるさ」
だから何も心配するなと。
照れ隠しで、キールはメイの髪をくしゃりと撫でた。
「それに、俺達はもう二人きりじゃないだろう?」
メイの胎内に宿った新しい命。まだ見ぬ我が子が、二つの世界を結んでいる。
その事実こそ、二人の生きてきたそれぞれの世界が交わっても存在出来ると言う……確かな証ではないのか。
稀な事象なのかもしれない。
だが決して不可能な事ではないのだと、メイがクラインに在る事が、理を歪めるものではないと言う証だと。
「子供が生まれたら、一度里帰りでもするか?」
「……ううん、止めとく。戻ったら、きっと二度とこっちに帰してもらえないよ」
微かに目尻に浮かんだ涙を拭い、メイが答えた。
いくら自由に行き来が可能だと説明しても、『異世界に帰る』と言う娘を、親はきっと手放しはしないだろう。
両親には会いたい。弟にも、友達にも。だがどちらかしか選べないのならば、自分は迷わずキールを選ぶ。
並んだメイの肩を抱き、キールがそっと彼女の髪に頬を寄せた。
【FIN】
あとがき
最近手が滑り気味……(笑)短い話は本当に短いですが、一線を越えると急に長くなる傾向に。真ん中くらいの話が書けん(^_^;)
伏線は、以前書いた『掘り出し物に御用心』です。良い感じでキールとメイがカップルしてますので(笑)
出来ればそちらも見て頂けると良いかと。
お話考えた時は、まだ雪が降るような季節だったんですよ。
しばらく話を練ってる間に、いつの間にやら桜が咲くような時期に(笑)あわわわわ(^_^;)
でも実はまだ真冬ネタがあったりして…来年までお蔵入りにはならんだろうな(苦笑)
麻生 司
INDEX