花咲く春に


「今年も綺麗に咲いたねぇ」

裏庭の方から、はしゃいだようなメイの声がする。
キールが研究室の窓から裏庭を覗くと、今年も綺麗に花をつけた裏庭の樹の下で、うっとりとメイが瞳を閉じて梢を見上げていた。
妊娠7ヶ月に入った彼女の腹はまろやかな丸みを帯び、顔なども以前よりふっくらした印象になっている。

 

キールとメイの新居となったこの家の庭に植わっている樹は、元々以前の家主が植えて行った物だ。
二人とも特に園芸に熱心ではなかったが、元から植わっている樹を掘り起こして均すような事は無かった為、そのまま現在に至っている。
それに今一つ。元家主の娘と、『裏庭の樹に作ってある小鳥の家を壊さない』と約束していた為、結果的に手付かずになった。

メイが今見上げている樹は『アルデイラ』という名で、春には小振りの白い花を咲かせる。
昨年、ここに引っ越して間もない頃に花をつけたアルデイラの樹を見て、メイは『白い桜みたい』と言った。
桜と言うのがどんな樹かは判らないが、薄桃色の花を咲かせる、アルデイラとよく似た樹らしい。

「こんなに綺麗に咲いてると、お花見したくなるよ」
「花見?」

キールが研究室から様子を見ているのは判っているので、特に振り向きもせず、呼び掛ける事も無く、聞いているものとしてそう口にする。

「こっちには花見の習慣はないのかな。このアルデイラって、あたしの国にいっぱいあった桜って樹によく似てるんだ。
 樹の感じはちょっと違うけど、花は色が白いか薄桃色かの違いだけだと思う。
 春になって桜が満開になると、お弁当持って家族や友達とその花を見に行くんだよ」
「国民的行事としての習慣という意味なら、残念ながらクラインにそういう習慣はないな。
 個人レベルで花を見に行く奴はいるかもしれないが……
 ああ、そう言えば騎士団は毎年新人の慰安も兼ねて宿舎の敷地内でやってたな」

 

実際、個人でやりそうな人間が二人ばかり身内に居る。
どの程度身内かと言えば、そりゃーもう力いっぱい身内も身内で、何せ一人は実の兄。
もう一人は宴会大好き(騒ぎ好きとも言う)、花も大好きという訳の判らない趣味を持ち合わせている、キールとメイの直属の上司である。

「個人でねぇ……アイシュとか誘ったら、凄く豪華なお弁当とか作ってくれそうだなぁ。シオンが一緒でも、何か面白くなりそう」
「メイ……確かに俺も同じ想像をしたが、あまり無責任に言葉にしない方がいいぞ?言葉にはそれ自体に力があってだな……」

『本日休日』の札を出しておいた筈の、表のラボの入り口に付けてある飾り鐘がカラリーーン♪と鳴った。

「うぉーいキール、嬢ちゃん、居るんだろ?折角天気も花も良い感じなんだから、ラボに篭もってないで花見に行こうぜー!!」
「お弁当も作って来たんですよ〜〜是非御一緒しましょう〜〜」

キールが頭の痛そうな顔をして額に手を当てる。

「どうして二人揃って来るんだ……」
「言葉に込もる力は、あたしの世界では『言霊』って言うんだよ。効果覿面だねぇ」

裏庭に居ても客が来た気配は判ったようで、くすくすとメイが笑った。

 



「うーーん、花も綺麗で天気も上々!こんな日に家に篭もってたら、根が生えちまう。あんまりここは知られてないが、結構な穴場だろ?」
「うわ、本当に綺麗〜〜!!こんな所にアルデイラの樹が一箇所にいっぱい植わってるの知らなかったよ」

シオンの案内でやって来たのは、魔法研究院の敷地から然程遠くない、湖寄りの森の中だった。
少し開けた場所を予め探してあったらしく、迷う事無く真っ直ぐに辿り着く。

「あたしよくこの森には来てたのに、全然気付かなかったなー」

アイシュとキールが広げた敷物の上に腰を下ろして、胸いっぱいに森の空気を吸い込む。
マイナスイオンとか森林浴とか、細かい理屈はよく判らないが、やっぱり自然には心と身体を癒す力があるんだと思える一時だ。

「メイがクラインにやって来たのは、一昨年の春でしたからね〜。
 こちらに慣れてあちこち出歩けるようになった頃には、きっと花は散ってしまった後で気付かなかったんでしょう〜〜」
「あ、そうか。去年は自分の家で見たんだもんね」

いそいそと並べられて行くお弁当に、メイもシオンも、キールでさえ感嘆の息を漏らした。
こう言う機会がある度に思うのだが、どうしてアイシュは目が回るほど忙しい日々を過ごしているのに、
然程時間をかけずにこういう料理を準備出来るのだろうか。
メイも料理は得意な方だが、手際の良さという点ではアイシュに一歩譲る。
小さな皿に取り分けた鶏肉のから揚げを頬張って、メイは幸せそうな笑みを浮かべた。

「ん、美味しい♪やっぱりアイシュの作る料理は美味しいよ」
「そうだろそうだろー。アイシュを連れて来てやっぱり正解だったよな
 美味い弁当なら嬢ちゃんに一任しても構わなかったんだが、妊婦に働かせるのもどうかと思ってな。
 ラボに行く前に王宮に寄ってアイシュを連れ出してきたって訳だ」
「だからどうしてウチに来るんですか……」


兄のアイシュがやって来るのは、まあ、兄弟なんだし別に構わない。
だがシオンは頭痛や面倒事と連れ立って来る事が多いので、はっきり言ってあまりありがたくないのだ。
嫌そうな表情を隠そうともしないキールの頭に、シオンが手を伸ばしグシャグシャと掻き回す。

「まあ、そう露骨に嫌がるなって。お前だって嬢ちゃんに美味い料理食わせて、気分転換させてやりたいだろ?
 でもお前さんじゃ痒い所まで手が届きそうにないから、俺が企画でアイシュを助手にしたんだよ」
「う……」


メイの事を引き合いに出されると弱い。
決して非協力的な夫ではないと思うのだが、だからと言って万事彼女をフォロー出来ているかと言えば、疑問符がつく。
例えば庭の樹に咲いた花が綺麗だねと話し掛けられて、『じゃあ今日は花見に行くか』と言う発想は確かに自分では出て来なくて、
シオンやアイシュが訪ねて来なければ『今日もいい天気』で終わっていただろう。

 

「花は見られる為に咲くんだぜ。自分の一番の時を見て欲しくて、限られた時間花開く。
 手をかけてやればその分だけ綺麗に咲くんだ―――女と一緒だよ」
「な……!?」

小さく呟くような声だったので、メイやアイシュは気付いていない。
思わず声を上げそうになったキールは、寸ででそれを呑みこんだ。

「嬢ちゃんをより綺麗に咲かせるのは、お前の役割だよな。なぁ、キール?」
「他人の家庭の事情は放っといてください」

色素の薄いキールの横顔が微かに上気している。
頭上に花咲くアルデイラの白い花を見上げ、シオンがニヤリと笑った。

 



「キール、キール!向こうの湖の傍も綺麗に咲いてるみたい。一緒に見に行こうよー♪」
「ああ」

声をかけると、てっきり腰が重いかと思われたキールがすんなり立ち上がって歩き出したので、メイは大きな目を瞬かせた。

「何か凄く素直じゃない?」
「……たまには、ただ花を見るのも悪くないからな」

そう応えたキールの横顔が、少し紅いと思ったのは気のせいなのだろうか。

「また何かシオンに言われた?」

思わずギクリとした事は―――多分、メイにはバレてない。
クラインに来たばかりの頃の破天荒さを忘れて貰えず、未だに誤解を受ける事もあるが、これでメイはなかなか侮れない勘の持ち主なのだ。
彼女が腕を組んでいるのとは反対側の右手を伸ばして、キールがふわりとメイの頭を撫でる。

「いつまでも変わらない、お前のままで居てくれって事だ」
「大丈夫よ。キールと一緒なら」

至極あっさりとそう返事をして、メイはにっこりと華のような笑みを浮かべた。

 

「あーあ。あいつら俺達が居る事、すっかり忘れてやがんな」

『二人の為に世界は在るの』状態で小さくなっていくキールとメイの後姿に、呆れたようなシオンの呟きが零れる。
距離はあったが、さり気ない惚気はバッチリ聞かせて貰った。自分で焚き付けたとは言え、独り身が侘しくなる瞬間である。

「そうですねぇ……でもまあ、『仲善き事は美しき哉』、ですよ〜」
「なんじゃそりゃ」
「出所はよく判らないんですけど〜。王宮の書庫にある古い時代の文献で見た言葉です〜〜。
 親子夫婦兄弟、友人隣人、皆で仲良く過ごしましょうって意味だと思うんですけど〜〜」

まあ、アイシュが言うんだから間違ってはいないんだろう。
彼のぐるぐる渦巻き眼鏡の底の翠色の瞳は、今や充足感と達成感でキラキラと輝いていた。

「ああ、キールのあの幸せそうな顔〜〜メイがキールのお嫁さんになってくれて、本当に良かったです〜〜。
 これでもう、僕も何も思い残す事はありません〜〜」
「おいおい、何縁起でもない事言ってやがる。お前さん自身の嫁さんは、まだこれからだろうが」

シオンの言葉に、アイシュの顔が見る間に真っ赤になった。
先ほどのキールなど比較にならない。まるで赤い染料に漬けた生糸並みである。

「えええええ〜〜僕なんて、そんな、駄目ですよ〜〜!!」
「何が駄目なんだよ。『あの』キールですら、嬢ちゃんみたいな可愛らしい嫁さんの成り手があったんだぜ?
 まあ多少どんくさい所はあるが、『家庭的』という部分を拾い上げれば、お前さんの右に出る男はまず居ない」

 

おまけに王太子セイリオスの信望も篤く、仕事は真面目で的確、将来有望。加えて実家は地方の名家である。
たまたま息子二人に積極的に花嫁を選ぶ意思が欠けていただけで、本来ならば選り取りみどりになっていてもおかしくはなかったのだ。

 

「でもでも、僕なんて……女性は誰も気にも止めませんよ〜〜」
「そりゃ、今まで会った女に見る目が無かったんだな。安心しなよ、お前さんは十分イイ男だぜ。
 あーあ、俺もそろそろ本気で嫁さん探そうかな」
「えええええ〜〜シオン様が、けっ、けっ、結婚ですか〜〜〜〜〜!!?」

本気で驚いているアイシュを見遣って、少し傷付いたような顔をする。

「そんなに意外かよ……」
「いえ、あの、お歳からしたら全然意外でも何でもないんですけど〜〜」

意外ではないのだが、所謂普通の家庭に収まっている姿が想像し難いのだ。

 

『今帰ったぜ、ハニー
『お帰りなさい、ダーリンvv御飯にする?お風呂にする?それともア・タ・シ?』
『んーー、じゃあまずお前から
『いやぁん!ダーリンったらこんな所じゃイ・ヤ

 

……などと言う、極めて偏った想像しか出来ないのは何故なのか。
同じく結婚生活など想像も出来なかった実の弟が、ごく普通の家庭を築いている事実はすっかり頭から抜け落ちている。

「……何か今一瞬、お前さんの頭の中が見えたような気がしたが、俺の勘違いだと思っとく」
「えーーと……はい、そう言うことにしておいてください〜〜」

沈黙は金。
少なくとも今は余計な事を口にしない方が懸命だと、アイシュは自覚して薄い笑みを浮かべた。

 

花咲く春は始まったばかり。
来年の今頃は、小さな甥っ子か姪っ子も一緒に来られる筈だ。

「また皆で来られると良いですねぇ〜〜今度は、もっと大勢で賑やかに」
「年を追う毎に、小さなお子ちゃまが増えていきそうだけどな」

アイシュの言葉を受けて、シオンが苦笑いする。
来年は確実にキールとメイの子が一緒だろうし、もしかしたらレオ二スとシルフィスの子も混ざっているかもしれない。
色々あったが、彼等の婚礼も間近に控えていた。

「どうせなら、毎年の恒例行事にしちまうか。
 だけどあんまり俺達だけで盛り上がってたら、今度はダリスからも客が来そうだな」
「ああ〜〜在り得ますねぇ……」

洒落にならない所が怖い。ははは、と乾いた笑いが二人の間に流れる。

「まあ、いいか。そうなったらいっそセイリオスまで巻き込んで、花見の名を借りた二国間親睦会だな」
「ええええ〜〜!?」

アイシュの眼鏡がズリッと鼻の頭からズレる。
開き直って不敵な笑みを浮かべたシオンはとても楽しそうで、アイシュが見上げた横顔には『やる気満々』と書かれていた。

 

「アイシュー、シオンーー、こっちもすごーく綺麗だよーーー!!」

キールと腕を組んだままのメイが、遠くで手を振っている。
呪文の正確な詠唱の為にヴォイス・トレーニングを積んだ彼女の声は、少々の距離など関係無くシオン達の元へ届いた。

花咲く春は、まだ始まったばかり。新たな命の誕生は、新しい時代の先駆け。
あどけなさを残した少女も、いつしか母親の顔へと変わって行くのだろう。

「これから十四〜五年は退屈しないな」
「そうですねぇ〜〜楽しくなりそうです〜〜」

今度は子供に危険の無いよう水辺は避けないと。
来年はお弁当の量を倍にしないと。

そんな事を考えながら、春の日は穏やかに過ぎていった。

                                                                      【FIN】


あとがき

本当は一ヶ月前にUPするようなお話ですね。すみません。コンテンツを増やしたので、どうしても間が開くんです〜(^_^;)
しかも途中から誰が主役か判らなくなってるし(苦笑)

クラインにおいて、花見は国民的行事なんでしょうか(笑)少なくとも騎士団では花見やってましたよね。
でも皆が皆花見に行くのかと言えば、そうでもないような気がしたので、こういうお話になりました。
途中でアイシュが想像してるシオンのバカップルぶりは、書いてて妙に愉快でした。
本当は創作でああ言うのがやりたいんだろうか、私(笑)
彼の相手の女性は、アイシュの想像では『へのへのもへじ』です。想像出来ないのに、思考が暴走してる状態なんで(^_^;)
ちなみにアルデイラと言う花は、私の創作です。本編にはそんな花出て来ませんので、あしからず。

余談ですが、このSSの背景素材は自作品。あまり重くない……ハズ。
また軽い素材作るか発掘してこないとな〜。

                                                              麻生 司






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