掘り出し物に御用心
クライン王国は他国との交流も盛んで、たまに大きな市が立つと、珍しい物でそこら中が溢れ返る。
日常役に立つ雑貨に始まり、衣料品、甘い香りの果物、内地のクラインでは珍しい魚類など、数え上げれば枚挙に暇がない。
ごくまれにだが、骨董品が出る事もある。
それを目当てにわざわざ出向く、某騎士隊長もいるとかいないとか。
それはさておいて、ごく純粋な好奇心のみで市を冷やかしていたメイがふと足を止めたのも、そんな骨董品関係をこじんまりと並べた出店の一つだった。
目に止まったのは彫り物細工の飾りの付いたチョーカー。
黒いリボンに飾りが付いており、そのリボンを前で交差させて飾り細工で止めるようになっている。
デザイン自体はシンプルなのだが、品の良い造りだ。よく見れば細工の要に、小さいながらも貴石が嵌め込まれている。
メイは一目見てそのチョーカーが気に入ってしまった。
キールは自分の部屋で、分厚い魔道書に目を通していた。
今日はメイが、広場に大きな市が立つとかで出掛けている。
こっそり抜け出さずに堂々と宣言していく辺りが大分慣れてきた証拠だが、
元から課題さえ片付けていれば、キールも彼女の外出について然程煩く言う必用はないのだ。
案の定今回は、『出掛けてくる』宣言と同時に課題を提出して来た。
ざっと目を通した所幾つかの間違いが見付かったが、概ね良く出来ていると言って良い出来だった。
よって、その間違い部分のやり直しは明日までという事になり、メイは大手を振って遊びに出掛けている。
どのくらいの間そうしていたのか。
魔道書に没頭していたキールは、ふと喉の渇きを覚えて立ち上がった。
日の傾き具合から、一刻はじっと読み続けていたようだ。
流石に少し肩が凝ったような気がして、ぐるりと首を回してみる。
コキン、と軽く首の骨が鳴るのを感じて、茶でも用意して少し休憩しようという気になった、丁度その時だった。
カリカリカリカリカリ
異音に眉を顰め、窓辺を振り返る。
「……何だ?お前」
小さな手で必死に窓辺を掻いていたのは、茶色い毛並みの猫だった。
子猫ではないようだが、あまり大きい猫でもない。どちらかと言えば小振りな方だろう。
カタン、と窓を開けてみると、猫はするりとキールの手をすり抜け、部屋の中へと飛び込んできた。
「あっ、おい、こら待て!」
この部屋には、迂闊に扱うと爆発する危険な物もある。
猫がそれらの物を倒すのではないか…とキールは一瞬蒼ざめたのだが、意外に猫は大人しかった。
彼の机の脇に置いてある小さな椅子に飛び上がると、そこに置かれていたクッションの上にちょこんと鎮座したのである。
「お前、そこが気に入ったのか?」
にゃーん、と猫が小さく返事をした…ような気がした。
それは普段、この部屋で課題をする時などにメイが使っている椅子だった。
運び込んだ当初は勿論クッションなんぞ無かったのだが、腰が痛いから、と言ってメイが自分で調達してきた。
町で買ってきたのだとは思うが、案外自分で勝手に召還したのかもしれない。
「悪いな、その椅子には先客があるんだ。今は出掛けてるが、メイが戻ったら退いてくれよ」
にゃあん…と、またしても応えるように猫が小さく鳴く。流石にキールは、そのタイミングの良さに不審を抱いた。
無駄に鳴きはしないのに、彼が何か言うと、返事をしているような気配がするのだ。
あくまでも、気がするだけなのだが……
ひょいとキールは、その猫を抱き上げてみた。そうしてまじまじと眺め回す。
その視線が嫌だったのか、猫の後ろ足が飛んで来てキールの肩口を蹴った。
「―――見れば見るほど、この毛色にこの毛並み……今ここに居ない、この椅子の主によく似てるんだがな」
キールの声色が低くなる。
首には黒いリボンの首輪…というよりはチョーカーを付けている。
茶色の毛並みは滑らかで、手で触れるととても触り心地が良かった。
だがその色と感触が、どうしても不肖の被保護者の髪を思い出させる。
普通ならば絶対に結び付けたりはしなかったのだろうが、今そこに彼女が居ないという事実が、キールをあらぬ想像へと駆り立てる。
「メイ…か?」
まさか、という思いで口にしたその名に、抱き上げた猫は『みゃおう♪』と、明らかに嬉しそうに鳴いて返したのだった…
「全く…なんで市を見に行ったら、猫になって帰ってこれるんだ?お前は」
『だって、こんな事になるなんて思わなかったんだもの』
メイ猫を膝に乗せたまま、キールは額を押さえて途方に暮れていた。
メイとの会話は、今のところ即席で作った文字盤を使用している。
文字盤に書かれた文字を、メイがちょいちょいと肉球…もとい、前足で指して行くのを読み取るのだ。
多少時間がかかるが、それはこの際仕方がない。
「…それで?そのチョーカーを身に付けたら、急に意識が遠くなって?」
『気が付いたら猫になってたの』
…一目でそのチョーカーを気に入ってしまったメイは、少し考えて結局買った。
それ程法外な金額でもなかったし、最近はあまり無駄遣いをしていなかったので、
たまに本当に気に入った物を買うのもいいかと思ったのだ。
代金を支払い、人波を避けて路地でそのチョーカーを身に付けてみた。
するとくらり…と眩暈がして、次に気が付くと自分がとても小さくなっている事に気付いたのである。
『始めはどういう事だかよく判らなくて。でも大通りに出て、お店のガラス窓に映った自分の姿を見て気付いたの。猫になったんだって』
「それで?そのチョーカーを買った出店には行って見たか?」
『うん。でも市は片付けられ始めてて、そのお店ももう無かった』
「そっちから当たるのは無理か…」
仮にその店の主人を問い詰めた所で、せいぜい何処の町で仕入れたかくらいしか判らないだろう。
恐らくは古い世代の魔道士が何らかの…恐らくは変身魔法の媒体として研究の際にでも作った飾り細工を、
発掘した者がリボンを付け、チョーカーに造り直して骨董品として捌いたのだろう。
ちなみにリボンはどのような力が作用しているのか、びくとも解けず、ナイフの刃も受け付けなかった。
どのみち解呪はキールが行う他なさそうだが、変身魔法は今はほとんど失われた知識であり、解呪の方法を探るのにも多少の時間がかかる。
それまでは不便かもしれないが、メイには猫の姿でいてもらうしかなかった。
「解呪の方法は何とかして探すが、時間がかかる。研究院の授業は体調不良を理由にしばらく休め。届けは出しておいてやる」
『お休みしてもいいの?』
「猫の姿で出席したいと言うなら、俺は止めんぞ」
『罰で、そのくらいは行けって言われるかと思ってた』
ちょっと迷ったようだが、結局メイは素直にそう文字盤を指した。読み取ったキールの片眉が微かに上がる。
「…そんな姿を他人に晒せと言う程、俺は薄情じゃないぞ。それに、後で事情説明に行くのが面倒だ」
『…ごめん。よろしくね、解呪』
「ああ」
そう呟いてメイ猫の背を撫でたキールの瞳は、思いの他優しかった。
さて、解呪魔法が完成するまでの約一週間、メイ猫は自分の部屋に閉じこもる事になった。
研究院には特に動物を飼うなという規則は無いのだが、あまり飼っている院生はいない。
それに一週間だけ飼っているというのも不自然な話なので、結局キールは知らぬ存ぜぬを押し通す事にした。
表向きメイは風邪をこじらせた事になっているので、看病と称して食べ物などは運んで来れる。
それに彼女の部屋はあまり来訪者がいないので、キールの部屋よりは安全だろうとの配慮からだった。
すっかり日の落ちた部屋の中、自分のベッドの上で丸くなりウトウトとしていたメイ猫は、
小さな包みを手に入って来たキールに気付き、トン、と床に降り立った。
「遅くなってすまない。少しシオン様に引き止められてな」
研究院の所用で王宮に出向いた際、シオンにメイの具合を聞かれたのだ。臥せっていると聞いたが大丈夫なのか、と。
『話したの?』
底の浅い皿にミルクを用意するキールを彼の膝の上から見上げ、机の上に置かれた文字盤を指す。
「いや。この件に関しては報告する気は無い。事故のようなものだし…別に誰も不利益を被ってないからな。
明日には出て来れるだろうからご心配なくと言っておいた」
『じゃ、あたし、明日は元に戻れるの?』
「ああ。今、解呪に使う魔法薬の最後の精製をしてる所だ…あとニ時間ってとこかな」
だから先に食事をしておけと、彼女の前にコトリとミルクの入った皿が置かれた。
しばらくミルクを飲んでいると、食べ易いように小さくちぎられたパンが別の皿に取り分けられてメイ猫の前に置かれる。
食事中だったので文字盤は指さず、メイ猫は感謝を込めて『みゃおん』と鳴いた。
メイ猫の食事が済むと、キールは彼女を抱いてそっと自分の部屋へと移った。
あと一時間と少しでメイは元の姿に戻れる…ハズだ。
「何せ変身魔法なんて、とっくの昔に寂れてしまった分野だしな。勿論術を使うのは初めてなので、成功の確率は五分ってとこだ」
『えええええ〜〜!?そんな、完全に治るんじゃないの〜〜〜ッ!?』
文字盤を指すメイ猫の前足が、わたわたとパニックを起こしている。
キールに任せておけば、時間はかかっても絶対に元の身体に戻れると信じていた。
だからこそこの一週間の猫ライフも、それなりに楽しめたと言うのに。
するとニヤリ、とキールが意地の悪い笑みを浮かべた。その笑みにメイ猫のヒゲがひくり、と動く。
「どうだ、少しは肝が冷えたか?これに懲りたら、骨董品絡みの衝動買いには気を付けるんだな」
『キール!!!!!!』
「俺がたかだか成功率五分で、『魔法が完成しました』なんて言うものかよ」
うっく、とメイは次の言葉を指し示す事が出来なかった。
「安心しろ。100%完全に元に戻してやるから…もうしばらく、大人しくしてろ」
首の毛を逆立てかけたメイ猫の背をそっと撫でながら、キールはそっと目を瞑った。
眠っている訳ではなさそうだったが、彼はそのまま動こうとはしなかったので、メイ猫も大人しく彼の腕に身体を摺り寄せた。
こんな形で甘えられるのも、今の内だけなのだから。
「しかし何だな、まだ猫になって良かったな」
見上げると、キールの翠の瞳は珍しく可笑しそうに笑っていた。
「蛙や馬なんぞに変身しててみろ。いろんな意味でお前、いい晒し者だったぞ」
その言葉を聞いて、メイ猫はざーーーっと蒼ざめた。
猫以外に変身した姿なぞ想像もしなかったが…確かに蛙は嫌かもしれない。生理的に。馬なら良いという意味ではなかったが。
『キール、蛙平気?』
「好きじゃない」
にべも無い返事に、恐る恐る文字盤を指していたメイ猫の前足ががっくり下がる。
「だがもしも何に変身したとしても…必ず、俺の所に来いよ。絶対に、元に戻してやるから」
そして、必ずお前だと見抜いてやるから。
その囁きは小さかったが、ちゃんとメイの耳に届いた。
『……キール、元に戻るの、明日の朝でもいい?』
「そりゃ構わんが…もう、薬の精製は出来上がる頃だぞ」
『もう一晩だけ、こうしてたい』
そう文字盤を指し、メイ猫はキールの腕に頬を寄せた。
「…今夜だけな」
彼女の背を撫で、キールは再び瞼を落とした。
メイが無事研究院の授業に復帰したのは、翌朝の事。
しばらく彼女は毎食のようにミルクを飲む癖が抜けず、友人達を訝しがらせたと言う―――
【FIN】
あとがき
久々に研究院時代のキルメイです。程よく親密になっておりますね(^_^)
うっかりメイが骨董品関係の装飾品に手を出して、付加魔法にかかっちゃうと言うのは一度やってみたいお話でした。
それがどういう効果になるのかまでは考えていなかったのですが、何故か猫に変身。
しかし毛並みの色と手触りでメイと見抜くとは…キール、君は一体彼女の何をどれだけ知っているんだ(笑)