星に願いを
「あれ、今日は天気持ち直してる」
カーテンを開け、空を見上げたメイの表情が明るくなった。
連日雨季(流石に梅雨とは言わないらしい)の為に続いていた雨が綺麗にあがり、久し振りの青い空が覗いている。
「やたっ、お布団が干せるぞ♪」
「朝から元気だな、お前」
やや呆れたような声はキールである。新聞を広げながら、ウキウキした足取りで行ったり来たりしているメイを見上げる。
「なーに?雨でしおれてげんなりしたメイちゃんの方が良い?」
「…そうは言ってない」
何よりも元気の似合う新妻は、確かに雨が続いていた間、どこか精彩を欠いていた。
ただ単に表に出られなくて暇だとかそういう問題でもなくて、内からの輝きが衰えたような気がしたものである。
メイにはやはり笑顔が似合う。その為にも好天は欠かせない要素の一つであった。
「でしょう。さて、今日は頑張ってお掃除するわよ〜!」
「やりすぎて倒れない程度に頑張ってくれ」
キールは苦笑を浮かべながら、彼女が掃除するのに邪魔にならないように、自分の研究室兼書斎に引っ込んだ。
メイは宣言どおり布団を干し、室内に干していた乾ききっていない洗濯物も庭に干し直し、
家中の窓を開けてすっかり掃除を済ませた。
新しく今朝の分の洗濯物を干しながら、ふと指を折って数えてみる。
「あれっ…今日って……」
部屋に戻ってカレンダーを見直し、やっぱりと思う。今日は七月七日。日本で言う所の七夕だった。
「七夕かぁ……」
笹に願い事を書いた短冊を吊り、星空を見上げたのが随分昔の事に思える。
昨年の今頃はもうクラインに召還されており、七夕を思い出す余裕も無かった時期だった。
思い出すこともなかったというのは、恐らく似たような習慣がクラインには存在しなかったからだろう。
「ふむ」
雨季の晴れ間に翻る洗濯物を見上げながら、メイは小さく首を傾けた。
午後も少し遅くなった頃、キールが研究室から出てくると奇妙な違和感がした。
何の事はない。静かなのである。
いつもは何かしら、メイの鼻歌であったりとか、呪文を詠唱する声だったりとかが聞こえるのだが、それも聞こえない。
怪訝に思って居間の方を覗いてみると、メイはちゃんとそこに居た。
よくよく聞くと、カサコソという紙をどうにかしている音がする。
「メイ?」
「ん?なーに、キール」
「何だと聞きたいのはこっちだ。何をやっているんだ」
居間のテーブルの上は、折り紙やら切り抜いた色紙やらで埋め尽くされていた。
その隙間に糊やはさみが置いてあったりする。
「今日はねぇ、あたしの居た世界では七夕っていう日なんだよ」
「七夕?」
「そう。天の神様に離れ離れにされた恋人の彦星と織姫が、一年に一回だけ、会うのを許して貰える日なんだよ。
でも雨が降ると天の川…ってこっちではあるのかな?とにかく二人を隔てるその川が氾濫して、会えなくなるの」
「ふうん」
「熱の入ってない返事ねぇ」
苦笑いしながら、でもメイはキールの生返事を咎めはしなかった。彼の性格なら、確かに興味を引くような話ではない。
そもそも星の配置もメイの居た世界とは違うのだ。説得力に欠けるのはしょうがない。
「その七夕と、このテーブルを埋め尽くす紙細工の山は一体どういう関係があるんだ?」
「七夕の日にはね、笹にこんな風に飾りを付けたり、短冊っていうものに願い事を書いたりして吊るすの。
そうしたら願い事が叶うって言われてるんだ」
ほらね、と言いながらメイはこっそり召還した笹の一振りに、折り紙で作った鎖のような飾りや短冊を吊るして見せた。
「キールも書きなよ、願い事」
色紙を適当な大きさに切って作ったらしい短冊とペンを渡され、キールが思わず固まってしまう。
「…俺も書くのか?」
「別に書きたくないなら書かなくってもいいけどさ。後でもいいよ。あたし着替えてくるから、その間にでも」
それは強制こそしていないが、暗に付き合えと言われているのと同義語だった。
まさか自分まで何かに着替えろなどと言い出しはしまいか。予感がしながらも、キールが笹飾りとやらを見る。
「お前はその短冊になんて書いたんだ?」
メイは悪戯っぽい笑みを浮かべて見せると、
「秘密だよ♪」
と言い残して、席を立った。
キールは彼女の姿が見えなくなってから短冊を見てみたが、そこに書き込まれていたのは見知らぬ文字。
「あいつめ…」
メイは自分の願い事は、ちゃっかり自分の元居た世界の文字で書いてあったのだった。
少し早めの夕食を済ませ、メイは着替えて来ると言って一度寝室に引っ込んだ。
しばらくして出てきた彼女は、これまた見慣れぬ衣装に身を包んでいた。
「どう、似合う?」
メイが身に付けていたのは、明るい紺色の地に鮮やかな彩りで大きな花模様が染め抜かれた浴衣だった。
紅い帯に、同じ色のリボンで髪をまとめ、下駄の鼻緒の色も揃えてある。
「また勝手に召還したな」
一応渋い顔をして見せる。メイは笑って、『ゴメンね』とペロリと小さく舌を出して見せた。
その笑顔に負け、キールも渋面を解いた。
折角まとめてある髪をいつものようにぐしゃぐしゃにする訳にも行かず、一瞬宙を泳いだ手が、彼女に肩筋に置かれる。
「…よく似合ってるな」
「ありがと」
うふふと、メイが嬉しそうな笑みを浮かべた。そしてちらり、と傍らの夫を見上げる。
「実はキールの分も召還してあるんだけどね」
やっぱり来たな、とキールは思った。予感はしていたので、潔く腹を括る。
「……俺は着方なんぞ知らんぞ」
「大丈夫♪あたしが着付けてあげるから」
キール用に召還してあったのは、白地に紺色の模様が染め抜かれた、素人目にも品の良いデザインだった。
帯も紺。勿論下駄も揃いである。
かくしてキールも、浴衣に下駄を初体験する羽目になったのだった。
「クラインには七夕伝説みたいなお話はないの?」
二人並んで庭から夜空を見上げた。
メイにとっては知らない星座ばかりであったが、降るような星空は壮観だった。
「さあ…どうかな。俺はそう言った事にはまるで無頓着だったから」
「じゃあ今度調べてみようかな。同じような伝説があったら面白いわよね」
「そうだな」
キールは着慣れない浴衣に始めは少し窮屈そうにしていたが、慣れてくると気にならなくなってきたらしい。
メイと並んで、一緒に星空を見上げる。
「キール、願い事は書いた?」
「書いた」
「見てもいい?」
「好きにしろ」
書かないかもしれないなーとも思っていたので、素直に書いたと言うキールに少しメイは驚いた。
しかも好きに見ろと言う。しかしそのあっさりとした台詞には、ちゃんと根拠があった。
「……なにこれ」
してやったりという表情をキールが浮かべる。
キールが書いた短冊には、メイの知らない文字が書き込まれていたのだ。
少なくともクラインの公用語ではなく、勿論日本語でも英語でもない。
「それは精霊魔法を文字として表した場合に使う特殊な魔法文字だ。俺なりに効き目のありそうな文字で書いてみた」
断言してもいいが、それは絶対に方便以外のなにものでもないだろう。
メイが自分に読めない文字で書いていたので、対抗して見せたのだ。
夫となった人の意外な子供っぽさを感じて、メイは何だか可笑しくなってしまった。
「…ま、願い事が書いてあるんならどんな文字でもいいわよ。きっと神様はどんな文字で書いていても判ってくれるでしょ」
「同感だ」
日本語と魔法文字と。それぞれの言語で書かれた二人の願い事。
二人は教え合う事はなかったが、何故だか互いに不思議な確信があった。
願う言葉が違っても、祈りの形が違っても、きっと願う事はお互いの幸福に違いないと―――
『キールとずっと一緒にいられますように』
『メイがずっと俺の側にいますように』
メイの短冊には、はっきりとした字で確かめるように。
キールの短冊には、照れていたのか慌てて書いたような走り書きで。
それでも互いを失いたくないのだという願いを星に託して―――
寄り添う二人の頭上に、天上の祝福の星が降る。
二人はその夜言葉を交わしながら、遅くまで眠らずに星空を見上げつづけた。
【FIN】
あとがき
季節限定ネタですが、折角七夕も近いので書いてみました。
七夕ネタは頂き物としてSSを頂戴した事があるのですが、自分で書いたのは初めてです。
手が滑って思わずキールにまで浴衣を着せてしまいました。ああっ、お約束(笑)
でもメイと二人で浴衣着てる所を書きたかったんです。これで悔いなし。
決して巷で広まっている『ときメモGS』に影響された訳じゃありませんので。(墓穴…でも本当・汗)