光射す家
「……?」
「どしたの、シルフィス?」
メイとシルフィスの二人が大通りを並んで歩いていると、シルフィスがふと首を傾げて立ち止まった。
「いえ……あの子なんですけど」
あまり露骨にならないように、死角からこっそり斜め前を指差す。
メイがそちらを見ると、雑貨店と民家の隙間に居場所を探すように、小さな女の子が座り込んでいた。
年の頃は5歳くらいだろうか。
しばらく邪魔にならないように道の隅に寄って様子を見ていたが、大人が迎えにくるような様子はない。
「迷子なんでしょうか」
「うーーーん…座り込んでるだけで、遊んでるようにも見えないしねぇ」
約束をしている友達を待っているのかもしれない。
迷子ならば保護しなくてはならないが、ただ時間を潰しているだけなら、声をかけてもお節介になる。
「もしも迷子だと困るので、一応聞いてみましょう」
「そうだね」
結局、シルフィスがどうしても気になるというので、声をかけてみる事になった。
「こんにちわ」
突然声をかけられて女の子はびっくりしたような顔をしたが、シルフィスとメイが笑いかけるとニコッと笑い返した。
心細くて今にも泣きそう…という風情ではない。
「ここで誰かと待ち合わせ?」
メイが問い掛けると、女の子は少し考えてから『ううん』と首を振った。
「じゃあ、もしかして……迷子ですか?」
彼女はまた『ううん』と首を振る。シルフィスとメイは顔を見合わせた。
名を尋ねると、少女は『エア』と名乗った。
「一人で遊んでるの?」
迷子ではないと言っているのだから、放っておいても良かったのかもしれない。
だが一度関わってしまった以上、年端もいかない子供を置いて立ち去るのもなんだか気が引けた。
「ここに居たいの。だからここに居るの」
子供の言葉は、時に直接的すぎてよく判らない。
エアは事実をそのまま口にしたのだろうが、メイとシルフィスには前後の状況がさっぱりだった。
「ええと…貴女は迷子じゃないんですよね?ここに何かあるんですか?」
「ここ、あたしのお家」
「「え?」」
綺麗に二人の声がハモる。
エアが小さな手で指差したのは、すぐ隣の家だったのだ。
「なんだ。自分の家の横じゃ確かに迷子じゃないわね。シルフィス、大丈夫だよ。もう行こう?」
「…!メイ、あれを見て下さい」
問題無しと立ち去りかけたメイ達の足を引きとめたのは、エアが指した家の門扉に掛けられた『売家』の札。
「なに…売りに出てるわけ?ここ」
「最近のようですけどね。売りに出したのがこの子のご両親や親戚としても、ここはもう彼女の家じゃないんですよ」
きっとエアはこの家が大好きだったのだろう。
だから自分の家ではなくなったのだと幾ら諭されても、それを受け容れられずに通い続けているのだ。
この辺りは研究院に近いという事もあって、院生が使う魔法関係の雑貨屋を初め商店が多かった。
この家も良く見れば店舗兼住居を兼ねていたらしく、表に面した方は大きな扉が作られている。
メイとシルフィスが見ていたのは、家の裏手の方だったのだ。
「エア、このお家が大好きなんだ?」
しゃがみ込んでメイが話し掛けると、満面の笑みで『うん!!』とエアは頷いた…
それから何度も、同じ場所でメイはエアの姿を見かけた。
数度は彼女のいじらしさにわざわざ菓子を包んで持って行った事もある。
エアは流石に夜は現在の自宅に戻るようだが、天気の良い昼間は大概来ているようであった。
その日もメイはキールから出された課題を片付けると、菓子の入った小さな包みを持って部屋を出た。
いや、正確には出て行こうとした。
部屋を一歩出たところに、キールが立っていなければ。
「……最近よく出かけるな。決まって昼のこの時間、なおかつ天気の良い日にだ」
「よく覚えてるわね。その通りだけど」
少なくとも課題をサボって抜け出している訳ではない。メイは堂々とキールに向かいあった。
「お前、今がどういう時期か忘れた訳じゃないだろうな」
「忘れてないよ…ちゃんと課題はやってる。今がどういう時期かもね」
実は見習い魔道士が一人前と認められる為の認定試験が、二週間後に迫っているのである。
キールは異例の若さで緋色の肩掛けを取ったが、メイは無難に蒼の肩掛け狙いだった。
肩掛けを取って独立するというのは、それだけで結構な名誉なのだが、今のメイにはそれ以上の意味がある。
「……なら、いい。お前が肩掛けを取らない事には、春からの予定が全て変わって来るんだ―――しっかりしろよ」
「うん、頑張るよ…一緒にラボを開くんだもんね」
最後の部分は小声で囁いたメイの髪を、苦笑いしてキールはくしゃりと撫でた。
それは二人で決めた約束。
―――お前が肩掛けを取って独立出来る資格を取ったら、二人で街にラボを開こう―――
ほんの一ヶ月程前にキールの口から伝えられたその言葉は、まさしく求婚の一言。
この世界で生きていく事を自ら決めたメイへの、それがキールなりのけじめだった。
メイは勿論、笑顔でキールのその言葉を受け止めた。
以前にも増して真面目に課題に取り組み、認定試験の傾向と対策に勤しんでいたのだ。
「で、一体何処に通ってるんだ?」
「うーん、小さな女の子に会いに行ってるんだよ」
「女の子?」
「ちょっと訳有りなんだけどね。まだちっちゃいのにいじらしいもんだから、何となく構いたくなっちゃって」
丁度出かける用事があるというので、キールも一緒に街まで出て来た。
特別急ぐ用事でもないのか、そのまま彼はメイの後をついて歩いている。
丁度いいので、メイは事の経緯を歩きながらキールに話した。
「そのエアって子は、今は違う所に住んでるんだろ?」
「そう。何でもお母さんが身体が弱くて、体調を崩してるらしいの。
それでお母さんの身体に良い郊外の方に引っ越す事になって、両親は準備で先に行ってるんだけど、
引越しが完全に住むまで王都の親戚の家に預けられてるんだって」
……という話を、エア自身から聞いた訳ではない。
事実の一部分は確かに彼女の口から聞いたのだが、詳しい話は売家になった家の隣人から聞いたのだった。
「すると遠からず、その家にも来れなくなるという訳だな」
「そういう事ね」
隣人から聞いた話では、エアの両親は新たな居を王都から馬車で一日ほどかかる村に定めたという。
来ようと思えば来れない距離ではないが、子供が毎日通うのは不可能だ。
認めたくはなくても、いずれ見る事も叶わなくなる日が来る事を悟っているのだろう。
だからこそ小さな身体で、思い出の詰まった懐かしい我が家に足繁く通っているのだ。
「お姉ちゃん!」
「やっほ♪エア」
いつもの場所に、エアは腰掛けていた。そこには誰が置いたのか、いつの間にか小さな椅子が据えられている。
恐らくは彼女と、彼女の両親の事を知る誰かがこっそりエアの為に置いたのだろう。
「天気良かったからね、今日も来てると思ったんだ。はい、これあげる」
「わぁい、お姉ちゃんありがとう♪」
菓子の包みをもらってエアがにっこり笑った。そしてメイの後ろに、見知らぬ姿がある事に気付く。
「このお兄ちゃん、誰?」
「ん?ああこの人はねぇ、キールって言うのよ。ちょっと恐い顔してるけど、噛み付いたりしないから安心してね♪」
「お前な……」
子供が鵜呑みにしたら、人格を疑われそうな一言にキールの拳が震える。だが…
「お姉ちゃんの未来の旦那様なの。よろしくしてね」
「うん!よろしくね、お兄ちゃん!!」
「……よろしく」
続けられた言葉に満面の笑みで小さな手を差し出されて、キールは狼狽の色さえ浮かべてその手を取った。
子供に懐かれるという経験は、20年近い彼の人生の中でも皆無に近かったから。
エアの全開の笑顔のペースに巻き込まれているキールを見て、メイは微笑を浮かべた。
「ところで、この家が…例の売家か?」
「そう」
エアがメイから貰った菓子を食べている間に、キールは改めて件の家を見た。
メイに聞いた通りの、店舗付き住居。
外観から見た限りでは、広さは問題ない。日当たりも…南に向かって住居側の窓があるので良いようだ。
「……なあ、メイ」
「なーに?」
「この家、どう思う?」
「……どう思うって……いい家なんじゃない?まだ新しい方だもんね」
そう言って、キールを見る。彼はじっと目の前の家を見詰めていた。そして…
「―――ここにしよう」
「キール?」
唐突なその言葉に、メイの方が理解が追い付かない。
そんなメイの様子に、キールが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ここにしよう―――春から、俺たちがラボを開く場所」
「……!!」
メイの瞳が見開かれる。驚きのあまり声も出ない。
「ずっと探してたんだ…独立して、ラボを開く場所を。今日もそのつもりだった。でも、ここを見付けた……やっと、見付けた―――そんな気分だな」
今までいろんな売家や貸家を見て回ったが、どこも今ひとつだった。
研究院に通うのに不便だったり、古すぎて大規模な魔法実験に耐えうるか不安が残ったり、とにかく気に入った物件が見付からなかったのだ。
だが今日、メイとエアを介して、ようやく巡り合ったと…ここが終の棲家になればいいと思えたのだ。
直感と言ってもいい。まだ中を見た訳でもないのに、漠然とした予感があった。
自分達は、ここに『辿り付いた』のだと―――
「エア、この家が好きか?」
キールはしゃがみ込んでエアに視線の高さをあわせると、真剣な顔でそう尋ねた。
子供相手だからといって茶化したりはしない。それがキールの、今の彼女に対する礼儀だった。
「うん」
エアも真剣な顔で頷く。キールは視線をそのままに、更に言葉を続けた。
「じゃあこの家に…メイと俺が住むようになっても、構わないか?」
「お姉ちゃんと、お兄ちゃんが…?」
正直、エアは少し悲しそうな顔をした。
彼女はもう、この家が自分の帰る場所ではない事を知っている。
認めたくないのかも知れないが、ちゃんと判っている筈なのだ。
だからキールは彼女に尋ねた。
この家を誰よりも愛した少女に、自分達がここに居を構えてもいいのかと。
「……裏のお庭の木にね」
「うん?」
小さな声を聞き漏らすまいと、メイが耳を近付ける。
「お父さんが作ってくれた、小鳥さんのお家があるの…そのお家、壊さないでくれる…?」
「エア、時々小鳥にお菓子を分けてあげてたもんね。安心して、壊したりしないから」
ゆっくりと、僅かに俯いた顔が上げられる。そして―――
「……じゃあ、いいよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんなら……いいよ」
そう言って、笑顔を見せてくれた……
それから数日のうちにキールは売家の札に記載してあった先に連絡を取り、エアの両親と家の売買の交渉に入った。
先方の提示した希望の額と、キールの考えていた予算が大差なかった為に、スムーズに交渉は進んだ。
そして二週間後、引越しを終わらせたエアの父親が娘を迎えに来るついでに、正式に契約を交わす事になった。
「……これで、この家は貴方達の物です。どうもありがとうございました」
「こちらこそ」
簡単な書類での手続きを済ませ、エアの父親とキールは握手した。
家の購入代金は、既に前もって支払われている。後は権利書を交わすだけだったのだが、それも滞りなく終わった。
「エア、また王都に来る事があったら遊びにいらっしゃいね。待ってるわ」
道中食べてね、と菓子の包みを手渡しながらメイがそう言うと、エアは『うん!』と頷いて満面の笑みを浮べた。
「……じゃあ、行こうか。新しい家でお母さんが待ってるよ」
「はぁい。お兄ちゃん、お姉ちゃん、またねぇー!」
手を振りながら小さくなって行く親子の後姿が見えなくなるまで、二人はそこに佇んでいた―――
「これでここが、あたし達の家になったのかぁ」
今後の自宅となる家を振り返り、メイが感慨深げに呟く。
契約が成立する前にエアの両親に承諾を貰って中を見たが、中の造りも全く申し分なかった。
大事に使われていたらしく痛みもほとんど無かったし、間取りも使い勝手良く、エアが話していた通り、裏には小さいながらも庭もあった。
引越しに手間取る大きな家具も幾つかそのまま残されており、勿論それは十分使用に耐える物だったのである。
「無事にお前も肩掛けが取れた事だし…後は引っ越すだけだな」
「家具はどうせこっちで直接揃えなくちゃいけないし、持って来る物は服とか本とかが多いでしょ。研究院からも近いんだから、少しずつ移して行けばいいわよ」
メイは先日の認定試験にめでたく合格して蒼の肩掛けを拝領し、名実ともに一人前の魔道士となった。
手続きの関係上研究院を出るのはまだ少し先になりそうだが、後は時間の問題である。
「キール、良い家が見付かってよかったね」
「ああ…そうだな」
メイの言葉に、キールも素直に頷く。
研究院に近い城下の一角にセリアン・ラボが開業したのは、それから約一ヶ月後の事であった―――
【FIN】
あとがき
書き始めた時はディアーナも含めて女の子三人で話を進める筈だったのに、いつの間にやらキルメイに(笑)
だから冒頭にはシルフィスがいる…ごめん、ディアーナ出番無くて(^_^;)
そもそもギャグタッチのつもりが、真面目な話に。うん、でも結果オーライです(^_^)
キールって、意外にお金貯めてると思うんですよ。
貯めてるというか、貰ったお金をあまり使わない。
贅沢してる訳じゃないし、研究院で寝泊りしているうちは大して生活費も掛からないだろうし。
遺産も貰ってると思し。
半分くらいはお母さんの所に行ったとしても、成人した息子二人にお母さんは彼ら自身の遺産の取り分は渡してあるんじゃないかな?
麻生 司