見知らぬ友人
ある秋の日の、うららかな昼下がり。
メイは買い物がてら、いつも通る大通りの広場で日向ぼっこをしていた。
何をするでもなくただ広場に置かれたベンチに座り、噴水で遊ぶ子供たちを眺めたり、
時にはふらりとやってくる吟遊詩人の奏でる竪琴や笛の音に耳を傾ける。
毎日とは言わないが、数日に一度買い物の為に外出した際の、晴れた日のメイの日課になっていた。
現在、メイとキールの二人が営むセリアン・ラボは、事実上開店休業状態である。
先月夫であるキールが、クライン王室を通した正式な辞令でダリスに出向に出た。
メイでも請け負える依頼は受けているが、キールでなければ手におえないような依頼は基本的に断っている。
それで出た損失は王室の方で補償されるので財政面では全く困らないのだが、一応平日は、律儀にラボを開けていた。
キールがいないから生活を変えるのではなく、キールが居た時のまま毎日を過ごす。
それがメイの日々の過ごし方だった。
10月も半ばを過ぎたその日は日差しも暖かく、過ごし易い日だった。
いつものようにラボを朝から開けていたメイは、表の下げ札を『休憩中』に変え、戸締りをして家を出た。
数日に一度、買出しの為に家を出るのは以前と変わらない習慣である。
ただ、その道行きにある広場で足を止め、のんびりと時間を過ごす事が多くなった。
子供たちが遊ぶ姿を見たり、時には近所に住む他の主婦とばったり出会って話し込む事もある。
メイ自身もあまり自覚はなかったのだが、やはり広い家で一人ぽつんと過ごすのは寂しかったのだろう。
親友であるディアーナは彼女に先んじてダリスのアルムレディン王に嫁いでいたし、
シルフィスは正式な叙勲を受け、今やクライン初の女性騎士として忙しい毎日を送っていた。
メイとてラボを構えて店主の一翼を担っている身であるから、あまり自分の都合一つで勝手に店を閉められない。
そんなこんなでメイは自宅の周辺で、程よく楽しく時間を過ごす術を身に付けざるを得なかったのだが、
それはやはり彼女の前向きな気性が幸いしてか、すぐに多くの顔見知りや友人が出来た。
いつものお気に入りのベンチに腰掛け、肩から下げていた大き目のショルダーバックから水筒を取り出す。
クライン王国の騎士団などで支給されているような物ではなく、メイが自分で召還した魔法瓶である。
取り外したカップにコポコポと注がれたのは、良い香りのするお茶だった。
シルフィスが以前、故郷のアンヘル村からたくさん送って来たからと、分けてくれた物である。
カップを両の手に包み込むようにして持ち、顎にふんわりと立ち上る湯気をあてた。
まろやかな香りは染み透るように気持ちをほぐし、穏やかな気分にさせてくれる。
「こんにちは!」
不意に声をかけられ、メイは顔を上げた。
目の前には明るい髪の色に茶色の瞳の、10歳くらいの女の子が立っている。
「ここ、座ってもいい?」
女の子はにっこり笑うと、メイの隣を指差した。
「どうぞ」
「ありがとう」
メイが自分のショルダーバックを反対側に回し彼女の為に場所を空けると、女の子は礼を言って隣にちょこんと腰掛けた。
「お姉さんもここが好きなの?」
「うん、好きよ。人が大勢いて賑やかだし、知り合いや友達にも時々出会うし」
シルフィスやガゼル、レオ二ス達騎士団の者は、よく大通りを中心に警邏を行っている。
こうやって時間を潰していると、時々ばったり出くわして声をかけてくれるのだ。
アイシュやシオンに出会う事もあるし、大きな声では言えないが、お忍びのセイリオスを見かけた事もある。
行き交う人々で賑やかに時間が流れて行くこの広場が、メイは本当に好きだった。
「私も好きなの、ここ。ママも大好きだったんだって。前から好きな場所だったけど、その話を聞いてからよく来るんだ」
そう言って、女の子の目が笑みを含む。
「お姉ちゃんも最近よく見かけるなぁって思ってたの。一週間に一度は来てるよね?」
「そうね、お買い物の途中で寄る事が多いから」
メイはもう一つあったカップにお茶を注ぎ、女の子の手に渡した。
「ありがとう。わぁ、何だか懐かしい匂い!」
「懐かしい?」
カップに口をつけた少女が何気なく口にした言葉に、魔法瓶を持ったメイの手が止まる。
シルフィスに分けて貰ったお茶は、アンヘル村の者が自分達で飲む為に栽培しているのみで、市場には出回っていないと聞いている。
不思議そうにメイが小首を傾げると、女の子は少し考えた後で言いなおした。
「うーんと、何だかホッとする香りだから。そう感じるんだと思うけど」
「ああ、そういう事。あたしも時々思うわ。だから気に入ってて、よくこのお茶を飲むんだけど」
目を閉じれば、自分がクラインに来たばかりの事をはっきりと思い出す。
当時はキールの口の悪さに閉口して、顔を合わせれば喧嘩をしていた。
やがてその口の悪さが、彼の不器用さの裏返しなのだと理解出来るようになると、一気に世界が広がった。
親友も出来たし、仲の良い友人も数多く出来た。そして、全てを喪っても共に生きて行こうと決めた生涯の伴侶も。
今はそれぞれの事情があり、以前ほど毎日会ったり話をしたりという事は出来なくなったが、
それでも手紙をやりとりしたり、たまには集まってお茶を飲んだりと、付き合いは続いている。
会えない時でも、楽しかった事を思い出す事が出来る。それだけでも、一人で居る事が寂しい時などはささやかな慰めだった。
それからしばらくの間、二人は世間話に花を咲かせた。
「じゃあ貴女の家も、研究院の近くなの?」
「そうだよ。お姉ちゃんの家も案外近いかもね」
…などと笑い合いながら、少し陽が西に傾いた頃。
ふとした会話の切れ目に、唐突に女の子が、一言ぽつりと呟くように口にした。
「お姉ちゃん、ここで誰かを待ってるの?」
「え?」
女の子は大きな瞳で、じっとメイを見上げていた。
「どうしてそう思うの?」
「だって、私と話していても、何だか寂しそうだもの」
自分を見上げる瞳はとても正直で、内心メイはドキリとした。
まるで自分を映す鏡のように、真っ直ぐに見返してくる。
「…ごめん、貴女とお話してるのがつまらなかった訳じゃない。実はね、あたしの一番大事な人が、今遠くの国に行ってるの」
「一番大事な人?」
「うん。この世で一番大好きで……大切な人」
澄んだ秋の空を見上げ、メイは耳に着けた片方だけのイヤーカーフに手を触れた。
キールに会いたい。
傍に居て、声を聞きたい。
男性にしては少し華奢な、でも大きくて温かな手でそっと髪に触れて欲しかった。
その彼は今、クラインから遠く離れたダリスの地に居る。
二人で話し合い、決めた事だったが、それでも寂しくないと言えば嘘になる。
キールの書斎で、彼の残して行った気配に幾度涙を流した事か。
「お仕事でね、どのくらいかかるか判らないんだ」
一人で家に居てもつまらないから、よくこうして散歩に出ているのだと話した。
「そんなに寂しいのなら、一緒に行けばよかったのに」
「…そうだね。出来ればそうしたいって…思ってた。
でもそこはまだ治安が良いとは言えない場所で、それだけじゃないいろんな理由で、あたしは行かない方がいいって決めたの」
キールは、本当はメイを置いてダリスに行く事を最後まで迷っていた。
自分が行かず、代わりの者を出向させる事。
自分と一緒にメイを同行させる事。
手段はいろいろあったが、どれも時間的なリスクや、命の危険を覚悟しなければならなかった。
メイを危険に晒す事は絶対に出来ない。
一番確実なのは、メイをクラインに置いたまま自分が出向し、速やかに任務を片付ける事―――
自分の事を何よりも想ってキールが選んだ道だから、メイも辛くてもその選択を受け容れた。
「寂しいけど、それはキールだって同じ。
あたしにはこっちに大勢友達もいるけど、キールは一人でダリスに行った。
だからキールが心配しないようにいつも笑って…いつ帰って来てもいいように、明るくしてようって決めたんだ」
「お姉ちゃんの大事な人って、キールって言うんだ」
女の子が目を細める。
「そうよ。ちょっとは名の知れた、売れっ子魔道士なんだから。
何か魔法に関する事で、困った事や判らない事があったらいつでもセリアン・ラボを訪ねて来て。
今はあたししか店番してないから大した事は出来ないけど…お話しにきてくれるだけでもいいから」
「うん。きっといつか、遊びに行くよ」
そう言って、女の子はトン、とベンチから立ち上がった。
くるりっとスカートの裾を翻して振り向くと、大きくメイに手を振る。
「お姉ちゃん、またねぇっ」
メイも女の子に手を振り返しながら、ふと、彼女の名を聞き忘れたままである事に気が付いた。
「メイ、お散歩ですか?」
「シルフィス」
自分も帰ろうかと思った矢先、聞きなれた声に名を呼ばれた。
腰に剣を差し、長い黄金の髪を背中に流した美しい女騎士が、微笑んでメイを見下ろしていた。
「もう帰ろうかと思ってたとこ。シルフィスは見回り?いつもご苦労様」
「好きでやっている事ですから」
応えるシルフィスの目は優しい。
騎士団が街を警邏するのは、義務ではなく、あくまでも自発的行為である。
とは言え、先輩騎士が後輩へと順次申し渡しているので、警邏に参加していない騎士は居ないと言ってもいい。
「今日は小さな女の子と一緒になってね。前にシルフィスから貰ったお茶を飲みながら、ついさっきまでお話してたんだよ」
「さっきまで?」
「そう。本当にシルフィスに声をかけられる、ちょっと前までね…どしたの?変な顔して」
シルフィスは端正な顎に手を当て、複雑な表情を浮かべていた。
「いえ…私は向こうの道から歩いてきたので、メイの事はずっと遠くから見えていたんですけど…」
そう言いながら、シルフィスは自分の来た道を指差した。
騎士団の宿舎から続く道で、確かにそちらから来たのであれば、
目のいい騎士なら相当遠くからでもメイの座っていたベンチは見る事が出来る。
そしてシルフィスの視力は、決して悪くは無い。
「メイはずっと一人でここに座っていましたよ。誰も傍には居ませんでしたけど」
「ええ!?」
シルフィスの目には、メイはずっと一人でベンチに座っており、傍には誰の姿も見えなかったと言う。
特に誰かと話しているという様子でもなく、しいて言えば何か考え事をしているようだったらしい。
「そう言えば、私が声をかける少し前に、誰かに手を振ってましたね」
「でも、誰も居なかったんでしょ?」
頷くシルフィスに、メイは首を捻った。
では、あの少女は一体何だったのか?
手ずからカップを渡し、一緒にお茶を飲み、ずっと話をしていた。あれは夢だったのだろうか?
「夢でも見てたのかな…でも変な感じ。凄くはっきり覚えてるんだよ?」
明るい色の髪も、自分とよく似た茶色の瞳も、はっきりと思い出せる。
「精霊だったのでしょうか…もしかしたら、メイはキールと長い時間過ごしたので、彼らの存在に敏感になっていたのでは?」
「どうなんだろう。でもキールは、そう簡単に見えるようになるものじゃないって言ってたけど…」
精霊を視る力と言うのは、ある意味持って生まれた才能である。
少しでも才能があれば修練次第で視えるようになるが、才能が全く無い者には、幾ら修練を積んでも視る事は出来ない。
キールのように無条件で視えると言うのは、生まれ付き余程特殊な才能に恵まれているのだ。
「…ま、いいか。別に怖い思いした訳じゃないし。退屈してたから相手しに姿を見せてくれたのかも」
「相変わらず貴女は前向きですね」
『まあいいか』の一言で済ませてしまったメイに、シルフィスは思わず笑いを浮かべた。
「そろそろ帰りましょうか。風が冷たくなって来ました」
「そうだね。ねぇシルフィス、夕御飯一緒にどう?」
「いいのですか?」
「一人で食べてても味気ないのよ。自分の為だけの食事だと、何となく作るのも侘しいし」
それはメイのささやかな本音だろう。それが判ったから、シルフィスは笑顔で頷いた。
「それでは喜んで伺わせて頂きます。その前に一度騎士団に戻って、外出許可を頂いてきますね」
「うん。用意して待ってるよ」
シルフィスと別れたメイは、通いなれた道を歩きながら、ふとあの少女の事を思い出した。
あの子は確かに『またね』と言った。
だとすれば、また会えるに違いない。
彼女が精霊でも構わない。自分の目には確かにその存在が目に映り、言葉を交わす事も出来るのだから。
「そう言えばあの子の髪の色……誰かに似てると思ったら、キールに似てたんだわ」
だからこそ余計に彼女の存在を否定したくないのかもしれなかった。
『待ってるから、いつでもいらっしゃいよ』
温かいお茶と、美味しいお菓子を準備して。
今度はもっとたくさんの事を話そう。家路を辿るメイの顔には、笑顔が浮かんでいた。
名前も判らないその小さな友人が一体何者であったのか。
メイがその真実を悟るのは―――約十年後の事である。
【FIN】
あとがき
このSSも、実は祖母の家にPC持ち込んで半分程打ってました(笑)
ごめんね、お祖母ちゃん。折角遊びに行ったのに作業しながら話したりして(^_^;)
お話的には、『例え遠く離れても』&『遠い空の下で』から少し経った後です。
キールはダリスに単身赴任中で(笑)留守を一人で守っているメイの方のお話。
メイはどちらかというと賑やかにしていたり、誰かと話をしている方が好きなタイプだと思うので、家で一人で居ると間が持たないんですね。
だから天気のいい日などは時々ラボを閉めて、買い物ついでに散歩しながら外で時間を潰してるんです。
ところで、メイと話していた女の子は何者なのか。
特に難しい伏線ではないので、ウチのキルメイSSを続けて読んで下さってる方は、恐らく大半の方が気付いてるんじゃないでしょうか。
もしも判らないという方も、それはそれとしてファンタジーと言うか、ミステリーと言うか(^_^;)それともベタなオチ?
深く考えちゃいけません。『不思議な事もあるのね〜』という程度に捉えておいてください(笑)
麻生 司