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「あれ、あたしに手紙?」

冬の終わりに研究院から独立したセリアン・ラボに、メイ宛ての手紙が届いたのは春の終わりの頃。
ラボへの依頼も、送られてくる手紙も、全て世帯主であるキール宛て。
だから、宛名に自分の名が記されているのを見て驚いた。

「ま、あたしはこっちに、親戚もいないんだから当然なんだけどね〜」

メイは異世界からの異邦人である。
一年前の春、突然クライン王国に召還された。
そのきっかけとなった召還魔法の責任者が、キール・セリアン。
したがって、新天地となったクライン王国には、彼女の知人友人縁者は全く存在しなかった。

彼は、必ず元の世界に還してやるとメイに約束し、彼女が無事に帰還するまでの間の保護者となった。
口喧嘩の絶えない毎日を過ごしながら、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎた。
そして、今もメイはクラインに居る。
メイ・セリアンと名を変えて。


「でも誰だろう?わざわざ手紙を寄越すなんて」

今ではこのクラインにも、メイの知人友人は数多く居る。
身近なところでは角の雑貨屋のおばさんや向かいに住む老夫婦。
少し威張れるあたりでクライン騎士団の小隊長、王国初の女性騎士、その女性騎士と双璧を成す少年騎士に、王国でも屈指の美貌と才能で人々を魅了する吟遊詩人。
物凄く威張ってもいいあたりまで引き合いに出すと、クライン王国の皇太子に、その妹姫、そして彼女自身と夫の直属の上司にあたる、魔法研究院筆頭魔道士が含まれる。
ちなみに義理の兄は、王国きっての文官だ。

だがそのいずれも近辺に住んでおり、わざわざ便りを出す程の事でもない。
唯一の例外は、メイと同じく春を待たずに隣国のダリス王国に嫁いだディアーナである。
首を傾げて差出人を見ると、やはりそこには流麗な文字で、ディアーナの名が記されてあった。


『前略
 メイ、お元気ですかしら?実は所用で、クラインに帰国しています。
 久し振りにゆっくりお話もしたいので、何日か泊まるつもりで王宮に遊びに来ませんこと?
 シルフィスにも声をかけてあります。お待ちしていますわ。
                                                    ディアーナ』


「わぉ、ディアーナ帰って来てるんじゃん!泊まりに来いって?行く行く♪」

今週分の依頼は丁度少なかったので、もうほとんど片付いている。
残った分もキールと自分の二人でかかれば、明日一日で十分片付く。


他国に嫁いだディアーナは勿論だが、正騎士の叙勲を受けてからはシルフィスも何かと忙しくて、以前ほどゆっくり会う機会がない。
是非とも行きたかった。

 


軽いノックの音に顔を上げると、メイがドアの陰から顔を覗かせた所だった。

「キール、今いい?」
「ああ。丁度ひとつ片付いたところだ。どうした?」
「あのね…」

メイはディアーナが帰国している事と、彼女から王宮に遊びに来ないかと誘われている事を話した。

「シルフィスにも声をかけてあるし、何日か泊まるつもりでいらっしゃいって、言ってくれてるの。
 今受けてる依頼もあんまりないし、明日中には片付くと思うんだ。明後日にでも行って来ていいかな?」

キールは受けている依頼内容を思い起こした。
メイが自分に無理をさせないように依頼を徹底的に管理しているので、余裕は十分にある。
大体、拾われてきた子犬のような目をして自分を見上げてくる愛妻を目の前にして、否と言えるものか。

「ああ、行って来いよ。こっちは気にする事ない。ゆっくりして来い」
「本当?ありがと、キール!」

満面の笑顔になったメイの顔が、一瞬後にふいにかげる。

「でもキール、あたしが居なくて大丈夫?無茶しない?」

自分がクラインに召還されるまでの夫の不摂生な生活を知っている為、どうしても不安が尽きない。
高熱で昏倒するまで研究を止めなかったり、『手が空かなかったから』という理由で、三日三晩何も食べなかったなんて事もざらにあったのだ。
メイが生活に関わるようになるにつれそのような悪癖は成りを潜めていたのだが、しばらく家を空けるとなると心配だ。

「心配するな、無茶はしない。結婚した時に約束したろ?」

くしゃっとメイの頭を撫でる。彼女にしか見せない、優しい目になった。

「ちゃんと寝るし、ちゃんと食べる。絶対倒れるような真似はしない」

そう言って、軽く唇を合わせる。メイの面に、再び笑みが花開いた。

「ん、行って来る。ごめんね、家の事しばらく任せちゃうけど」

こつん、とキールがメイの額を小突く。

「気にするなって言ったろ」

さらりとメイの髪に指を通すと、もう一度、彼女の唇にキスを落とした。

 


「いらっしゃいませ!メイ。会いたかったですわ!!」
「やっほー、ディアーナ。お言葉に甘えて来ちゃったよ〜♪」

二日後、メイは予定通り王宮の門をくぐった。
ディアーナが満面の笑みで出迎えてくれる。その後ろには、先に来ていたシルフィスの姿も見えた。

「メイ、お久し振りですね」
「ホントよね〜。そんなに遠い所に住んでる訳でもないのに、あんまり会う時間、無くなっちゃったもんね」

自営業なので、実はメイは比較的時間の都合がつく。見習の時とは格段に自由な時間が減ったのはシルフィスの方なのだ。
日々の訓練に加えて、王都を出ての演習、街の警邏、見習の稽古の相手など、毎日が忙しい。

「そうですね。私もいろいろとお話したい事がありますよ。
 今回は隊長が『今まで取れずにいた休暇を、この際まとめて消化してこい』とおっしゃって下さったので、ゆっくり出来ます」

シルフィスが微笑む。彼女は正騎士の叙勲を受けた後、見習の時と同じくレオ二スの部下となり、副官を拝命している。

「そうですわ。メイはゆっくり出来るんですの?キールは許してくれまして?」
「大丈ー夫♪」

にっこり笑ってVサインを出す。

「気にしないで行って来いって言ってくれたよ。受けてた依頼もすっかり片付けて来たからオッケーさ♪」
「じゃあ、問題ないですわね。私、いろいろ考えましたのよ。しばらく女同士、楽しく過ごしましょうね」

 


それから一週間、ディアーナはメイとシルフィスを手厚くもてなしてくれた。
形式張らず、でも快適に過ごせるように。
セイリオスやシオン、アイシュも、公務の合間などにひょっこり姿を見せては談笑に加わって行き、楽しい時間を共有出来た。


「メイ、依頼と家の事を一人でやるのは大変じゃありませんか?」

明日には帰る、という昼下がり。お茶を飲みながら、シルフィスがそうメイに話し掛けた。

「そうですわ。私も公務などいろいろありますけれど、それだけで精一杯」
「ディアーナとは仕事の質が違うって。一緒に考えるのが無理だよ〜」

パタパタと手を振って、メイが笑う。

「でも、お家の事って大変でしょう?私なんて、やれと言われても無理ですわ」
「そうですね。私も得意ではありません。でも、メイはいつも楽しそうに家の事をしているように見えます」
「仕方ないじゃん。ディアーナはそういう事、やる必用なかったんだしさ。得手不得手だってあるし。
 あたしは外交なんて出来ないもの。シルフィスみたいに、剣を振るう事も出来ない。
 でもあたしね、家の事するの嫌いじゃないんだ。上手じゃないかもしれないけど、嫌いじゃない」

手にしたカップを置き、庭園に植えられた翠深くなった樹木を見上げる。
その鮮やかな翠は、一番大事な人の瞳を想い出させた。


「キールの為に料理して、おいしいって言ってもらえるのが嬉しい。
 あたしたちの家を掃除して、綺麗にするのが嬉しい。
 お洗濯して、庭いっぱいにそれを干したのが、風に舞っているのを見るのが嬉しい。
 買い物に出て、市場のおじさん達に『旦那は元気かい?』って聞かれるのが嬉しい。
 単純かもしれないけど、そうしたちょっとずつの事で、『ああ、あたしキールのお嫁さんになったんだ』って思えるの」

ディアーナもシルフィスも、黙ってメイの言葉に耳を傾けている。

「あたし、召還されて突然こっちに来たから、何だかんだでずっとキールと一緒に居たでしょ?
 結婚したって、そんなに変わらないんじゃないかって思ってた。でも違ったよ。
 同じ事でも、自分とキールの為にやっているって思うと、それだけで何だか楽しいんだ。
 キールの為だけじゃない、自分の為だけでもない、二人の為だって事に意味があるんだって思ってる。
 そりゃ大変な事もあるけど―――あたしは、もう一人じゃないから」


ディアーナの目が微笑んだ。

「…そう、そうですわね。私も、アルムが笑っていると嬉しいですわ。
 ダリスに嫁いだ時、自分に何が出来るんだろうって考えて、アルムが外出から戻って来たら、誰よりも先に出迎えて『お帰りなさい』って言おうって決めたんですの。
 こんな事で喜んでくれるのかしらって、思いましたわ。
 でもアルムは、とても嬉しそうに『ただいま』って、言ってくれるんですのよ」
「…何気ない事が、本当の幸せなんですね。大切な人の為に出来る事は、とても近い所に答えがある…
 お二人とも、本当にお幸せそうで良かった。ちょっと、羨ましいですね」

シルフィスが、少し肩を竦めて見せる。

「おやぁ、そんな事言って。シルフィスだって、そんなに遠い話じゃないでしょ?」

メイが横から突付く。シルフィスはほんの少し、寂しそうに笑った。

「……いいんです、私は……でも、側に居られるだけでも嬉しいというのは、判る気がします」

シルフィスの手を取り、ディアーナが囁く。

「駄目ですわ、シルフィス。諦めちゃ駄目ですわ。貴女の気持ちはきっと通じます。今は『時』が味方していないだけ。信じてください」
「そうだよ。ディアーナなんて十年も前の約束信じて、待って待って待ち続けて、今に至ってるんだから!説得力あるでしょ!?」

メイも反対側のシルフィスの手を取った。


シルフィスから想う人の事を聞いた事はない。
だが二人には、確信に近い物がある。
彼女が想い続け、自身の性を決定付けた人は、今も彼女の最も近くに居る。

シルフィスが何度か瞬きする。
やがて泣きそうな笑みを浮かべて、彼女は頷いた。

「はい…これからも、自分の信じたままに生きていきます。例えどんな結果になっても、後悔しないように」

彼女が運命の日を迎えるまでには、まだ半年以上もの時を待たねばならない。
だが今の三人には、その言葉で十分だった。

 


てくてくと王宮からの道を歩く。
夕飯の仕度には間に合うように帰ろうと思っていたのだが、あたりはすっかり茜色である。
今から作っていたのでは少し遅くなってしまうだろう。

「キール、ちゃんとご飯食べたかな」

出かける日の朝、サラダやシチューなど、いくらか日持ちする物は作り置きしてきた。
だがあまりマメに料理をする性質ではないので、数日前からは近くの店で外食したかもしれない。

痛んでしまうといけないから、あまり食材の買い置きはして来なかった。
明日晴れたら、家中掃除して、シーツも全部お洗濯して、買い出しに行って、それからそれから……

やっと見慣れてきた町並みが視界に入ってくる。
窓辺を見上げ、その窓辺に灯りが灯っているのを見て、メイは何となくホッとした。


ここが、あたしの帰る家。
大好きな人が、待ってくれている場所。
『ただいま』って言ったら、そうしたら…


「ただいま!」

玄関を開けると、ふうわりといい匂いがした。

「おかえり」

居間と台所を繋ぐ扉から、懐かしい明るい色の髪がのぞく。

「荷物置いて着替えて来い。あまり上手くはないが、食べるもの作ったから」
「うん」

通り過ぎざま台所を覗き込むと、そこにはちゃんと二人分の皿が並んでいた。

「…キール、あたし、今日帰るって言ったっけ?」
「いや」

キールが首を横に振る。そうだろう。メイだって、『しばらく泊まって来る』と言った記憶しかない。

「なのにどうして、二人分ちゃんと準備してあるの?」
「なんとなく」

何気なく言うので、メイはコケそうになった。

「なんとなく、今日帰って来る気がしたんだ」

キールにも、根拠らしいものは思い当たらないのだろう。だが、確信だけはあったのだ。
そしてそれは、違わず的中した。


偶然かもしれない。偶然じゃないかもしれない。
でもメイは、キールが『おかえり』と言ってくれたことが、何よりも嬉しかった。


貴方が、私の還る場所。

その事実は、ずっと変わらない―――

                                                  【FIN】


あとがき

キルメイ…キルメイ?(笑)なんか打ってる自分も自信がなくなってきました(^_^;)
なんで途中でレオシルっぽくなっているのだ、自分…
シルフィスの半年後のお話は『HAIRAT』に続きます。

ちょこっとだけ(1割ほど)私情の入ったSSになりましたね。
相変わらずウチのキールは知らない人だし(笑)
お互いに干渉し過ぎない、でも仲の良い2人が書きたかったんですが、いかがなもんでしょうか…

                                                  麻生 司



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