たった一つの贈り物


九月に入って、クラインは急速に秋めいてきた気がする。
もっとも自分はこの春からしか此処に居ないから、もしかしたら例年こんな感じなのかもしれないが。

クラインの夏もやっぱり暑くて、保護者のキールに泣きついたり脅したりしながら夏服を用立てて貰ったが、
それも先日洗濯して、丁寧にアイロンをかけて片付けてしまった。
今は召喚された時に身につけていた、合い服のブラウスで丁度いい。

「でもねぇ、いつまでもこの制服を着ている訳にもいかないし」

うーん、と頬に手を当て、メイは考え込んだ。

 

 

メイこと藤原芽衣は、クライン王国の客員魔道士である―――と言うのが、この国での彼女の一般的なプロフィールだ。
しかしてその実体は、クライン稀代の魔道士に強制召喚された異世界の住人である。

召喚魔法の成功そのものは素晴らしい出来事だったのかもしれないが、
その実験に巻き込まれた挙句、片道切符で着の身着のままクラインに召喚されたメイはたまったものではない。
当然の事ながら、彼女はこの事態を引き起こした張本人に食って掛かり、絶対に自分を元の世界に戻せと詰め寄った。
帰還魔法が完成するまでの間、客員魔道士として魔法研究院に保護された訳だが……平たく言えば、居候である。

この国では魔法の研究が盛んで、望めば誰でも研究院で魔法を学ぶ事が出来る。
何度かの試験をパスした者がいずれ一人前の魔道士として肩掛けを得て独立していくのだが――
今まで魔法などとは全く縁の無い生活を送っていたにも関わらず、どうした訳かメイは、この魔法に類稀な素質を見せた。

時には魔力を暴走させ、研究院の壁や天井をぶち抜いてしまう事もあったが……何とか研究院もメイ自身も、致命傷を免れている。
何故か話し言葉だけは通じたのをもっけの幸いとして、意地と根性でクラインの言語も習得した。
『天性の素質』と保護者であるキール・セリアンが太鼓判を押したお陰か否か定かではないのだが―――
何と、ダリスへと秘密裏に潜入するメンバーにまで選抜されてしまった。目下、その荷造りの真っ最中である。

『遠い異世界のお父さんお母さん、あたしはこのクラインで伝説になるわ!』

……とは、親友であるディアーナやシルフィスに任務の通達を受けた後に冗談でメイが漏らした言葉だが―――半ば本音も含まれていた。

自分も努力はしている。キールだって寝食を忘れるほどに研究を続けてくれている。
だが『元の世界に還る』というただそれだけの事が―――決して容易くない事を、メイはもう判っていた。

 

 

「大きな荷物は持って行けないけど、どれだけの期間行ってる事になるか判らないんだから、最低限の着替えは必要よねぇ」

キールに都合して貰った旅行鞄に、ポンと数組の下着と着替えを放り込む。
洗い代えが出来るといいのだが、戦場になるかもしれない場所で贅沢は言っていられない。
下着等は最悪使い捨てて、足りなくなったら召喚するという非常手段を用いるしかないだろう。

元々、私物は多くない。何せクラインに持って来られたのは身につけていた制服と、通学鞄とその中身だけだったのだ。
当然ごく普通の女子高生が大量の下着や着替えなどを持って通学している筈も無いから、
必要に迫られた着替え類はこちらで用立てた物ばかりである。
キールは無駄な贅沢は嫌ったが、必要なのだという事を納得しさえすれば、出し惜しみはしないタイプだった。
自分が簡単な物ならば召喚出来るようになったのも相まって、お陰で今は通常生活には困っていない。

「後はオーブと……」

予備のオーブと、隣に置いてあった使い慣れた小さな化粧ポーチに伸ばした手が……不意に止まる。
そこには小分けされた化粧水や、リップクリームなどが入っていたのだが―――大きさの割には、随分と軽かった。
ポーチの中身の大半を占めていた葉書大の鏡が、今は無い。

鏡のフレームに使われていたのは、クラインでは遺跡からしか出土しないプラスチック製だった。
骨董の価値が判る者なら――意外にも、騎士団のレオニスが目利きなのだが――大事に扱ってくれたのだろうが、
残念ながら魔法研究院の老魔道士達にその価値は判らなかった。

異世界からもたらされた物質―――ただそれだけの認識で、その鏡は研究院に徴収された。
いつも迷惑を掛けている院からの頼みだから、気が進まないまでもメイも了承した。
高価な物では無い。元の世界なら数百円も出せば買えるような品である。
だが長く使って愛着もあったし、数少ない元の世界から持ち込めた品の一つだった。

だから、預かっていた品が実験中に破損した為に返却出来なくなったと数日前にキールに告げられた時―――不覚にも、涙が出た。

 

「……泣くつもりは、なかったんだけどなぁ」

軽いポーチを手に取り、一応中身を確かめてから鞄の隅に詰める。

自分が壊してしまったのなら、多分それ程堪えなかっただろう。
自分と元の世界を繋ぐ物を、赤の他人に無神経に壊されてしまったから泣けたのだ。

キールとは大喧嘩をしたが――正確にはメイが一方的に怒鳴りつけたのだが――その夜彼は『すまなかった』と頭を下げに来てくれた。
鏡を壊したのはキールではない。彼に当たるのは筋違いだと、本当はメイにも判っていた。
自分が怒りを引き受ければメイの気も済むだろうと、キールは言い訳をしなかった。
その態度が、結果的に余計にメイの怒りを煽ってしまったのだが―――偶然、その遣り取りをシルフィスが見ていたらしい。
メイが溜飲を下げた後、実はシルフィスに諭されたのだとキールは話してくれた。

 

―――言葉にした事が全てではないけれど、言葉にしないと伝わらない誠意もあるでしょう?

 

彼女のその言葉を聞いた時、キールは目の醒める思いがしたという。

自分が憎まれ役になり、耐えていればいいのだと思っていた。
何を言っても言い訳になるのなら、いっそ何も口にするまいと。
だがメイが欲しかったのは、怒りをぶつける相手ではなかった。『ごめん』という、ただ一言で良かったのだ。
たったそれだけの事を伝える為に互いに傷付いたし、気まずい思いもした。

正直、近日中にダリス潜入任務があって良かったとも思っている。
研究院や自室に篭もったままだと気が滅入ってしまうが、命懸けの任務についているとそれどころではないからだ。
やっぱり自分は基本的に身体を動かすように出来ているんだな、などと、妙な所で納得してしまう。

 

「鏡は……やっぱり、無いとまずいか」

女性は起き抜けに髪を櫛で梳かせばそれでいい、という訳にはいかない。
寝癖がないかチェックしたいし、肌が荒れていないか確かめたい時もある。
特にこれから昼夜を問わない任務に就くのだとしたら、肌荒れを薄い化粧でカバーしたくもなる。
男性にとってはどうでもいい事なのかもしれないが、女性にとっては決して無視出来ない重大問題だ。

「仕方ない、明日にでも買って来よう」

まだ財布の中身には余裕がある。物にもよるが、こちらでも手鏡は然程の高級品ではない。
やはり鏡は住む世界を問わず、女性の必須アイテムなのだろう。

 

 

ほぼ必要な荷物を詰め終わり、『こんなものかな』と何気なく呟いたその時―――コンコン、と軽く部屋の扉をノックする音が響いた。

「はーい、どなた?」

どなたも彼方も、魔法研究院内でこんな時間――腕時計は十時を回っていた――に尋ねて来るのは一人しか居ない。

「俺だ」
「はいはい、今開けるわよ」

予想通りの返答に、足元の鞄を脇に寄せて立ち上がる。
扉を開けると、薄暗い廊下にキールが立っていた。

「悪いな、こんな時間に」
「別にいいわよ。起きてたしね」

 

『入って』とメイは大きく扉を開けたが、キールは部屋には入らず、黙って小さな包みを彼女に差し出した。

「何、これ?」

あまり重くはない。掌よりも少し大きな包みに、可愛らしいリボンが巻かれていた。
……ちょっとキールから渡される物のイメージではない。
可笑しく思ったのが顔に出たのか、キールは憮然とした表情で明後日を見ていた。

「本当は、もっと早く持ってくるつもりだったんだ。シオン様につかまってしまって、遅くなった」
「なら、別に明日でもよかったんじゃないの?遅くに悪いって思いながら持って来るくらいなら」

キールは案外寝覚めは良い方だ。遅くに持ってくるのが気が引けるのなら、翌朝渡せばいい。
自分が口やかましく言うまでは昼夜を問わない研究生活をしていたが、基本的に彼は体内時計がしっかりしているらしい。
早朝から出掛ける予定がある時にも、寝惚けた顔をしていたり、時間に遅れるような事も無い。
毎朝『あと五分』と悪足掻きしている自分とはえらい違いだと、実はこっそり感心していたのだ。
……悔しいので、口に出しては言ってやらないが。

「今日じゃなくちゃ意味が無い。だって今日は、九月二十一日は―――お前の、誕生日だろう?」
「…………え?」

予想もしていなかったその言葉に、メイは一瞬返事をする事が出来なかった。

 

 

そう―――今日は、メイの誕生日だった。たった一人放り出された見知らぬ異世界で、十七歳になったのだ。
誰にも何も言わなかったが、部屋の隅に掛けてあるカレンダーには、ずっと前から小さく印がつけてある。
ディアーナもシルフィスも、それぞれの事情で今は他人の事に関わっていられない程忙しい。
だから親友の彼女達にも黙っていたのに……どうして、キールが知っているのだろう?

「な……どうしてあんたが、あたしの誕生日を知ってるのよ?」
「お前がクラインに来たばかりの頃に、一度聞いた」

茶水晶の大きな瞳が瞬かれた。

そう言えばまだクラインに召喚されて間もない頃、取り付く島もなかったキールを相手に、
何とか会話を引きずり出そうと色々話したような気がする。
だがキールが内心迷惑そうにしているのに気付いて……以来、世間話で交流を深める事をすっかり諦めたのだ。
誕生日の贈り物なんて、全然期待していなかったのに。

「……そんな前に一度だけ話した事を、憶えててくれたの?」
「いや、忘れてた」

即答されて、思わず前のめりに躓きそうになる。
だがキールの話は、それで終わりではなかった。

「忘れていたのに―――思い出したんだ。壊れてしまった手鏡を見ているうちに」

 

背中に回されていたキールの左手にも、小さな小箱があった。
メイの前に差し出され、ゆっくりと蓋が開けられる。
……中には粉々に砕けてしまった鏡と、原型を留めない程に歪んだプラスチックのフレームが納められていた。

「例え壊れてしまったのだとしても、お前に返すべきだと言ったんだ。
 どんなに小さな品でも、それはお前にとって大事な物の筈だからと」

 

キールは実験には参加していなかった。
研究院の他の魔道士達から、研究の為に異世界の物品を提供してくれるように頼んでくれと、依頼されただけだったのだ。
実験が行われていた時、彼に課題の添削を受けていたので間違いない。
慌てた様子でキールを呼びに来た顔見知りの魔道士の様子で、勘の良いメイは何が起こったのか察しがついてしまったのだが。

 

「だけど院の年寄り達はなかなか承諾しなくて……まさか、これ程酷く破損しているとは思ってもみなかった」
「あたしもよ」

苦笑いして、鏡の破片に手を触れる。指に触れた破片は、互いが触れ合ってキシキシと微かな硬い音を立てた。
魔道士たちのプライドと面子にかけても、隠しておきたかったに違いない。
肩掛けを取得したいい歳の一人前の魔道士が幾人も集まっておきながら、
一部が欠けるとか二つに割れるとかいうのならまだしも、原型を留めない程に対象を破砕するなど恥以外の何物でもなかったのだろう。

「幾らなんでもこれを返して『悪かった』の一言じゃ、人としての誠意を疑われるからな」
「あんたの口から、誠意なんて言葉を聞くとは思わなかったわ」

キールの面に、ムッとした表情が浮かぶ。
その様子をちらっと上目遣いで見上げたメイが、プッと吹き出して笑った。

「冗談よ、本気にしないで。大事な品物を壊されたんだから、嫌味の一つくらい言わせて頂戴よ。……開けても良い?」
「ああ」

 

くすんだ金色のリボンを解き、淡いピンクの包みを開ける。
小箱の中には品の良い手鏡と、手鏡と対になる意匠を施された櫛が納められていた。

「同じ物は返せないから……どれがいいのか、選ぶのに時間が掛かった」
「キールが、自分で店を回って探してくれたの?」

ふいっと、キールがそっぽを向く。
色の白い横顔が、ほんの少し赤味を帯びているのは気のせいではないだろう。

あのキールが。人付き合いは苦手だと公言して憚らなかったキールが。
自分への誕生日の贈り物を、一生懸命探して歩いている姿を想像して―――涙が出た。
ギョッとしたのは、目の前で泣かれたキールである。

「ちょっ……何で泣くんだよ!?」

まさか、そんなに気に入らなかったのだろうか。
幾ら女性の喜ぶ物に疎いとはいえ、選べる範囲で一番良いと思った品を選んだつもりだったのだが―――
だが涙とは裏腹に、メイは笑っていた。
これ以上の笑顔は見た事がないという程の笑顔を……彼女は浮かべていたのだ。

「ばぁーか、違うわよ!……これは、嬉し涙!」

メイは手の甲でぐいっと涙を拭うと、うろたえるキールの首筋に抱きつく。
泳いでしまった手を持て余し、恐る恐るメイの背にもキールの腕が回った。

「嬉し……涙?」
「そうよ、嬉しかったの」

 

口が悪くて、愛想が無くて、気の利いた台詞も言えないけど―――だけど本当は、キールの不器用な優しさに気付いていた。
研究院の老人たちが手鏡を壊してしまった時、黙ってメイの怒りを受け容れたのも、全ては彼の不器用な優しさだったのだと。

どんなに言葉を尽くしても判り合えない事もある。
でもたった一言で、何もかも許してしまえる程に判り合える事もあるのだ。
どんな高価な贈り物も、どんなに優しい言葉も―――いつもの仏頂面で渡された、このプレゼントには適わない。

 

「ありがとう、最高の誕生日だわ」
「でも本当は、もっとちゃんと祝いたかったんじゃないのか?」

彼女が基本的にイベント好きなのは知っている。
騎士団で行われた花見や、城下町のちょっとした祭などにも、率先して参加していたクチだ。
招待すれば来てくれそうな友人達が、皆揃って今回のダリス行きでバタバタしていたので、恐らく何も言い出さなかったのだろう。

「そう言えば、兄貴に頼んでいたらケーキくらい用意出来たのにな」
「いいよ、もう。キールが思い出してくれただけで十分だから」

たった一人でも、自分の誕生日を思い出して祝ってくれた。
それだけで、こんなにも心が温かい。
そしてそれがキールであった事が、一層嬉しかった。

「大事にするね、この鏡と櫛」
「そんなに高価な物じゃないぞ。いや、勿論良いと思ったから選んだんだが……ごくありふれた雑貨屋で見付けた物だし」
「値段なんて関係無いよ。キールがくれた物だから、大事にするの!」

 

最後の言葉の意味をキールが頭で理解する前に、『じゃ、おやすみ』という言葉と共に扉が閉められる。
ややあって、キールの面が熱でも出たかのように朱に染まった。

 

 

その後帰還魔法は無事完成したが、メイはクラインに留まる事を選んだ。
十七の誕生日に後の夫となるキールに贈られた小さな手鏡と櫛を、彼女はずっと大切にしていたという。

                                                                  【FIN】


あとがき

更新日の都合でタイムリーという訳には行きませんでしたが、何とかメイの誕生日と同一週に記念SSをあげる事が出来ました(^_^;)
実質作業時間は二日間で十時間くらい……最近のペースから言うと、かなり急ピッチで仕上げた作品となりました。
このお話に出てくる手鏡は、他のSSでもちらほら顔を見せています。櫛もセットだったというのは今回初めて書きましたが。
探し出しても何も特典はありませんが(笑)『ああ、こういう経緯で手に入れたのね』とほくそ笑んでやってください。

メイの誕生日はSSの通りの九月二十一日ですが、落語家の桂ざこば師匠も二十一日が誕生日だったとさっきTVで言ってました(笑)
十一日生まれの私とは十日違いです。だからどうだと言われても困るんですが…
ちなみにキール&アイシュの誕生日である十月十五日は、旦那と見合いをした日。
そんなこんなな縁で、結婚記念日は忘れそうになるのに(笑)何故か見合いをした日だけは忘れません(^_^;)

                                                                麻生 司

 

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