最愛の貴方へ


初めて出会った時は、何て高飛車な奴なんだろうって思った。
勝手に召還しといて『山猿』はないと思わない?
だけど、ここは私の知らない場所。
知らない時間。

・・・精一杯強がっていたけど、本当は心細かった。
放り出されたらどうしようって。
だから、たとえ『義務』でも、差し出された貴方のその手が嬉しかった。

本当に・・・嬉しかったの。

 


初めて出会った時は、何てやかましい奴なんだと思った。
『あんた友達いないでしょ』と、いきなり言ってきやがった。ほっとけ。
・・・が、あいつにとって、ここは知らない場所。
知らない時間。

・・・事故とはいえ、勝手に召還してしまったのは、変え難い事実。
義務のつもりで、溜息交じりで差し出した手を、あいつは無邪気に取った。
その手を離したくないと思い始めたのは、

一体、何時の頃からだったんだろう・・・・・

 



『・・・眠れない』

メイは、自分の部屋のベッドの上で、何度目かの寝返りをうった。

ゴロゴロ・・・

『やっぱ、眠れない』

因みにメイは、いたって寝つきがいい。
寝起きは最悪だと、保護者にはもっぱらの酷評を受けていたが。
寝つけなくて途方にくれるなど、普段の彼女ならあり得ない。

「やっぱり・・・普通じゃないのかなー」

遂に寝る努力を諦めて、メイは身体を起こした。


パジャマの上に、薄手の上着を羽織る。
ベッドを降りて窓辺に近づくと、そうっと窓にかけた鍵を外す。
カタッと小さな音をさせて窓が開かれると、ひんやりした空気が流れ込んで来た。

『気持ちいい』

傍にあった椅子を引き寄せて腰掛ける。
窓枠に頭を持たせ掛けるようにしてじっとしていると、頭の中にあるモヤモヤした物が、少しずつ薄れていくような気がした。


「半年・・・か」

メイは、元々この世界の住人ではない。
彼女の住む世界から、ある日突然召還された。それが、半年前の春の初めの頃。
自分をこの世界に呼び込んだ張本人は、メイがこの世界に召還されたのは事故のような物なので、すぐに元の世界に戻る方法は無い、と言った。

だがその一方で、彼はこのクラインにおいては異邦人となる彼女の保護者を引き受け、研究院の一角に彼女の部屋を用意し、一切の面倒を見てくれた。
絶対に、自分が元の世界に還してやると約束してくれたのも、他の誰でもない、彼自身だった。

『キール・・・あんたはあたしが帰りたくない、って言ったら、どんな顔をするかしらね』

帰りたくない訳ではないのだろう。
それ以上に、帰りたくないという気持ちが、日増しに大きくなっていくのも、また事実。


キールとは、本当に数え切れないくらいの口喧嘩を繰り返してきた。
初対面時の『山猿』発言に始まり、憎まれ口の応酬はもはや日常茶飯事。
だけども、自分が魔法の制御に失敗したと聞きつければ真っ先に飛んで来たのもキールだった。

瓦礫の真ん中で立ち尽くす自分にツカツカと歩み寄り、『興味本位で、自分の手に負えないレベルの魔法に手を出すなといつも言ってるだろう!』と怒鳴られる。
メイも初めの内は、よくここで言い返した物だ。

『だって、自分のレベルが、よく判んないんだもん!でも、早く元の世界に戻りたかったら、魔法の勉強しろって言ったじゃない!』
『いきなり実技でぶっ放せと誰が言った!お前はまず、理論の方から習得するのが先決なんだ!!』

・・・そんな進展の見られない事を、三ヶ月程は続けたと思う。


夏の初めには、少し状況が変わっていた。

メイの魔法の暴走は、無くなった訳ではなかったが、回数は減りつつあった。
たまに派手に物を壊したりすると、キールが血相を変えて飛んでくるのは、以前のままだったけれど。
怒鳴られるのも以前のままだったけれど。

・・・それが、メイの身を心配して怒鳴っているんだ、という事に気付いたのはこの頃の事。
召還されたばかりの頃には気付かなかった、僅かに動揺した瞳の色。
まず、メイの身体に何事も無いのを確認してから、怒鳴っているのだという事。
怪我をした時は、『何をやっているんだ!』と言いながらも、まず治癒魔法をかけてくれる事。


キールは言葉がキツイし、他人と関わり合いを持つのが嫌いだから無愛想だから誤解される事が多いけど、
それは全部、彼の不器用さの裏返しなんだと気付いてしまった。

『大丈夫か?怪我はしてないか!?』なんて言葉が、咄嗟に口から出てこないだけ。
口数が足りないせいで誤解を受ける事も多かったから、自然と無愛想という鎧を身にまとう事で、人付き合いを避けてきた。
それは自分の言動や態度で、人を傷つけたくない。人を傷つけた事で自分も傷つきたくない。

・・・そんな優しさの、不器用な裏返し。


補助呪文をかけて貰う為に、キールの部屋に毎朝通う事が楽しみになってきたのは、夏の終わり頃。
呪文を詠唱する、少し低い声。
自分の頭に置かれる、意外と大きな手の温もり。
呪文の最後に、ふわりと髪を梳いてくれる指。
課題の添削時などに時々見せる苦笑。

・・・その全てが、自分の宝物だと自覚したのは・・・この一ヶ月の間。
それから、メイの眠りは深くない。


特に今日は、極めつけに睡魔に愛想をつかされてしまった。
理由に心当たりはある。

今日、王宮の書庫に借りていた本を返しに行った時に、偶然シオンとキールが話しているのを聞いてしまったのだ。
自分を元の世界に還す為の帰還魔法が、ほぼ完成したと。


いつ元の世界に還らなくてはならないのだろう?
あと何日、クラインに居られるのだろう?
・・・あとどれだけ、キールの傍に居られるのだろうか・・・

「・・・・・馬っ鹿みたい、あたし・・・・・」

寝る間すら惜しんで、キールが研究を続けているのは、他ならぬ自分を元の世界に還す為だ。
それなのに、『帰りたくない』なんて言ったら。

「きっと・・・呆れられるだろうな・・・」

何故帰りたくないんだと問われた時、自分はちゃんと答える事が出来るか、自信がなかった。


貴方が好きだから。


元の世界に還る事よりも、貴方の傍に居たいと思ってしまったから。
キールがその時、どんな顔をして自分の言葉を受け止めるのか。

・・・・・考えたら、泣きたくなってきた。


「本当に・・・馬鹿だ・・・あたし」

キールは、ただ自分を召還してしまった責任から、保護者を引き受けただけだ。
研究院には、一応客員魔導士の立場で置いてもらっているが、実際はただの居候のままである。
今でも自分のしでかした騒動の始末書やら、後始末やらで迷惑をかけているというのに、還りたくないから傍においてなどと、どの面下げて言えようか。

キールに迷惑をかけないように、独り立ち出来ない悔しさと。
いつかは還らなければならないのだろうという、歯痒さと。
言葉にしたら壊れてしまうかもしれない関係に怯えて、肝心な事は何一つ言えないもどかしさと。
募るばかりのキールへのせつなさと。

いろんな想いが胸の中を充たしていて、気が付いた時には、目尻に涙が滲んでいた。
我ながら不甲斐ない、と手の甲で涙を拭った・・・その瞬間。


「・・・・・泣くなよ」
「え・・・・・・?」

慌ててメイが、隣の窓を見る。
手を伸ばせば届きそうな距離に、誰よりも傍に居る事を望んだその人が居た。

「泣くなよ、一人で」

キールは隣の窓から腕を伸ばすと、何とか届いたメイの髪に触れた。

「キール・・・どうして・・・眠ってたんでしょ?」

自分がこの窓辺に立った時には、間違いなくキールの部屋の灯りも消えていた。
勿論、窓辺に彼の姿も無かった。だからこそ、自分もつい、涙腺が緩んだのだが。

「・・・・・お前が泣いてる気がしたから」

 

夢見が悪くて夜中に目が覚めてみると、不思議とメイが泣いているような気がした。
たった今まで見ていた夢の中で、彼女が泣いていたから、そう思ったのかもしれない。
気にはなったが、夜の夜中に女性の部屋に様子を見に行くわけにもいかなくて、
ほんの少し開けたままにしておいた窓辺に近付くと、隣の窓に、ぼんやりと座るメイの姿があったのだ。
小さな独り言も聞こえてきたのだが、彼女は自分が起きて見ている事には全く気付いていなかった。
そして彼女の目尻に涙が滲んだのを見た瞬間・・・思わず声をかけてしまっていたのだ。


「夢でも見たのか?」

髪に手を触れたままキールが尋ねると、メイは『ううん』と呟いて首を振った。
キールの手に触れ、ホウッと微かに息をつく。

・・・もう、何もかもを心の中にしまっているのは、限界だった。

「キール・・・あのね」
「うん?」
「あたしが・・・何を言っても、呆れずに聞いてくれる・・・?」
「内容によるな」

そう言ったキールの目は優しい。メイの喉がコクンと鳴った。

「あたし・・・ね。ここに・・・残っちゃダメかな・・・?」

ゆっくりとメイの髪を梳いていたキールの手が止まる。

「・・・え・・・?」
「ご・・・ごめん!今の無し!聞かなかった事にして・・・!」


―――やっぱり、言うんじゃなかった・・・!!


後悔したって、もう遅い。
何を言っているんだと、困惑したキールの顔を見るのが恐くて、メイは彼の手を振り払って窓を閉めた。


そのまま背中で、隣の窓が閉じられた音を聞いていた。
キールの気配が窓辺から遠ざかる。

・・・馬鹿な事を言った。

きっとキールは呆れただろう。
一体誰の為の苦労をしているんだと思っているんだと言われるかもしれない。
明日からどんな顔をして彼に会えばいいのか判らずに、メイが途方に暮れたその時。


コン・・・・・


軽く、扉がノックされた。
他の者が起きないように。そして彼女にだけは聞こえるだけの、本当に微かな音で。

・・・扉を開けると、思った通り、キールが立っていた。

「・・・入っていいか?」
「・・・・・・うん・・・・・・」

後ろ手に扉を閉めると、キールはメイの傍に歩み寄った。
メイは気まずいのか、まっすぐ自分の方を見ようとしない。
キールは小さく嘆息すると、彼女をベッドの端に座らせた。自分も椅子を引き寄せて、その前に座る。

「メイ、俺の聞き間違いかもしれないから、もう一度確認する」

キールの声に、メイは小さく頷いた。

「お前・・・ここに残ってもいいって・・・そう、言ったのか?さっき」
「・・・・・言った」

メイの頭がどんどん下がる。もう、前髪に隠れて表情は見えない。

「・・・めんなさい」
「え?」
「ごめんなさい・・・」

小さな呟きは、やっとの思いで搾り出された彼女の声だった。
顔を上げれば微かに滲んだ涙を見られてしまう。だから俯いたまま、言葉を続けた。

「キールがあたしを元の世界に還す為に、どんなに頑張ってくれているか、あたしは知ってる。
 それでも、キールのやってきた事を無駄にしてしまうかもしれないけど・・・あたしはここに残りたい・・・」


・・・貴方の傍に、残りたい・・・


それが、今の自分の全てだと。
メイは、小さな身体全体で、その想いを伝えた。
これが自分の偽らない気持ちだったから。

 

キールは自分の耳を疑った。
メイは、元の世界に戻る事を望んでいたのではなかったのか?
それならば、一日でも早くその願いを叶えてやろうと、自分はこの半年間、研究を続けてきた。
初めは義務の延長で続けられていたその研究が、自分の胸に小さな痛みをもたらし始めたのは、夏の終わりの頃だったように思う。


いつかは元の世界に還っていく少女。
本来ならば、決して出会うことなど無かった筈の、その少女に恋をした。

・・・愚か者の極みだと思っていた。

自分がメイの存在を望んだならば、彼女は元の世界に還るという選択肢を失ってしまう。
ただ自分が、帰還魔法の研究を、止めればその願いは叶うから・・・

だが、キールは研究を止めなかった。
たった一人、心から望んだ少女の、偽りの笑顔など見たくはなかったから。

長く時を過ごせばメイを手放せなくなる。
一年という時間が過ぎれば、メイが帰還する日は遠くなる。
二律背反の想いを抱えながらも、それでもメイが望むならと、研究を続けた。
彼女の本当の笑顔が守れるならば・・・それでもいいと、本当に思っていたのだ。

今、この時までは。

 

一生分の勇気を使い切ったような気がする。
メイは顔を上げるに上げられなかった。
キールは、一体自分の爆弾発言をどう受け止めただろう?

肩にふわりと手が置かれた。
顎に手がかかり、俯いていた顔が上向かされる。

「いいのか・・・?お前」

微かに掠れた声に。

「・・・うん、いいよ。帰りたくない、あたし」


貴方がいるから。貴方のいる場所が、あたしの還る場所だから。


囁かれたメイの言葉に、キールは思わず彼女の身体を抱きしめていた。


愚かな恋をしたと思った。
いずれは別れなければならない人に想いを傾けても、辛いだけだと。
だけど、お互いが同じ想いを抱きつつも、その想いを捨てられなかったのだとしたら?

「俺も・・・お前を、還したくない」

メイの茶水晶の瞳が大きく見開かれる。
瞳いっぱいに涙が滲む。
でもそれは、故郷を偲ぶ悲しい涙ではない。

「傍に居て欲しいんだ」


この世の理を歪めても、離れられない存在に巡り会った。
後悔などしない。
決して、後悔などさせない。
同じ時を生き、いつか同じ土に還る時まで。
唇を重ね、呟かれたキールの言葉に抱かれた腕の中、メイは瞳に新たな涙を滲ませ、頷いた。

 

青年と少女は、もう孤独ではない。永遠に・・・・・

                                          【FIN】


あとがき

キルメイオンリーとしては、これが初の作品となりました。
以前はレオシルと絡めてましたので・・・
普段、自分の頭の中では、キールとメイは既にラブラブモードなので、
それ以前のお話ってちょっと新鮮(笑)
しかもゲーム本編と、告白場面の設定違うし(汗)
帰還魔法失敗のイベントも、王宮の中庭での告白イベントも無視・・・
私、あのイベント大好きなんですが(^_^;)
どうやってもこのお話の後に、例のふたつのイベント絡めると不自然なのでカットしました。
ちょっとメイが泣きすぎでしょうか?
でも私の書く女の子って、涙もろいのですよね・・・(苦笑)
けして弱いという意味じゃないんですけど。
最後の方の一文は、以前にちえさんに献上した『いつか 貴方と…』と同じ流れです。
好きなフレーズなので、つい…(笑)              
                                         麻生 司





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