Shadow Eyes


すっかり陽の落ちた通りを、シルフィスは足早に歩いていた。

通りには一定間隔で魔法の灯りが灯されているが、太陽の光に比べればそれは余りにもささやかな灯火でしかない。
クラインの中心でもある王都は夜でも比較的治安は良い方だが、それでも全く安全という訳ではない。
空き巣や追い剥ぎによる被害は、毎日のように騎士団にも報告されている。
だから彼女達のように騎士団に籍を置く者が、自主的に街の警邏を行う事にも十分な意義があるのだ。


今日中に提出の書類の整理に手間取って、すっかり宿舎に帰るのが遅くなってしまった。
王宮に書類を提出しに行くとアイシュが応対に出て来たので、彼に直接書類を手渡した。
提出が遅くなった事を詫びるとアイシュは至極真面目な顔で、『いえいえ〜お気になさらず。貴女が一番ですから〜〜』といささか笑えない事をのんびりと口にした。
これから書類を取りまとめて決裁をしなければならないアイシュは、今夜は自宅には帰れないだろう。

『とにかく、早く戻らないと。レオ二ス様が心配なさる』

自身の直接の上司であるレオ二スの事を思うと、雪が降ってもおかしくない程の寒い夜だというのに、自然に頬が熱くなるのを自覚した。
昨年末に演習中の事故で雪崩に巻き込まれ、九死に一生を得てから、若干彼が過保護になったような気がする。
だがそれも無理はないかもしれない。
未来の伴侶の心配をしない婚約者の方が、人として遥かに問題があるだろう。


そう。シルフィスと、騎士団の副団長を務めるレオ二ス・クレベール少佐は、昨年末に正式に婚約した。

事故の後、しばらく王家御用達の保養所で療養と称した休暇を頂戴していたが、先日無事に復職したばかりである。
彼女が女性だと言う事で扱いに特別差をつける人ではないのだが、それでも深夜遅く外を歩くのを好ましくは思わないだろう。
言葉にはしないが、何となく雰囲気で判る。危ない事はしてくれるなと、青い瞳が何よりも雄弁に語るのだ。

幾らシルフィスが身軽で、剣技も体術も並みの男より腕が立つとは言っても、やはりそこは女性故の力の限界と言う物がある。
相手が女性だと言うだけで狙う不埒な輩も居れば、弱い相手を集団で襲う度し難い連中も居る。
シルフィス自身も、女性に分化してから僅かに筋力が落ちた事を感じていた。
分化した事で自ずと訪れた変化を、今はシルフィスも淡々と受け容れる事が出来るようになっていた。


騎士団宿舎に急いでいたシルフィスが、大通りに差し掛かったとき、ふと人の話し声を聞きつけたような気がして足を止めた。

『今……人の声が……?』

聞き間違いでなければ、何か言い争っているような気配がしたのだが―――
立ち止まり、じっと暗闇に耳を澄ます。少し先の小路の辺りから、微かに漏れ聞こえる声があった。
立ち入った話なら止めに入るのも考え物だが、もしも何かのトラブルに巻き込まれているのならば手を講じなくてはならない。
シルフィスはそっと小路の入り口へと身を潜めた。

 


ドンドンドンと、勢い良く扉を叩く音がする。しかも店の方ではなくて、裏の勝手口の方だ。

「……何…こんな夜中に……?」

少し前にベッドに入り、浅い眠りに入ったばかりの所をけたたましく起こされて、メイの声は不機嫌そうだった。

「お前は寝てろ。俺が見てくる」

隣で寝台に身体を起こしたキールが身重の妻を気遣い、ガウンを引っ掛けながら立ち上がる。

「うん、お願い」

そう言ったものの、メイは不安そうに寝台に身を起こした。
傍に置いてあったショールを羽織り、寝室を出て行くキールの背中を見送る。
夜の夜中に叩き起こされると言う事は、えてして良くない報せの時が多い。
例えば誰かの不幸を告げる報せ―――異世界から召還されたメイにとって、このクラインに縁深い者は決して多くない。
だが今は夫となったキールが居るし、彼の双子の兄や母親も居る。掛け替えのない友人も。


―――あまり酷い報せじゃなきゃいいんだけど。


階下でキールの声が聞こえる。微かに聞こえる相手の声は、あれはガゼルだろうか?
ややあって寝室に戻ってきたキールの表情は、厳しいものだった。

「騎士団に行って来る」

やはり相手はガゼルだったのだ。騎士団内部で何かがあったに違いない。

「シルフィスが何者かに襲われて怪我をした。怪我は大した事ないらしいが、意識が戻ってないらしい」

ピクン、とメイの肩が揺れる。キールを一瞬見上げ、だが、すぐに視線を落とした。

「……急いで仕度しろ。また雪が降ってきたから、暖かくしてな」
「キール……」

驚いたようにメイがキールを見る。お前の考える事はお見通しだと、彼の目は言っていた。

「止めたって聞かないだろ?」
「ありがと、キール!!」

ぎゅっとキールの首に抱きつくと、彼の頬に口付けた。

 



「怪我は後頭部に受けた傷のみ。他に目立った外傷は見当たらないな」

ベッドの上で昏睡するシルフィスの身体に手を翳しながら、キールが治癒魔法の呪文を紡ぐ。
巻かれた包帯に微かに血が滲む程の怪我だったが、治癒魔法により外傷は綺麗に消えた。
怪我の度合いから見て命に別状はなさそうだが、何せ頭を殴られているだけに、目を覚ましてくれない事には何とも言えない。
キールは魔法の力で傷を癒す事は出来るが、医者ではない。
このまま万が一彼女が目を覚まさないような事態になれば、その時は素直に医者に頼るしかなかった。

「この傷は、何か硬い物で殴られたんだな…何か思い当たりますか?」
「恐らく、剣の柄尻か鞘で殴られたのだと思う」

傍らで様子を見ていたレオ二スが、主観的な意見を口にした。



レオ二スはシルフィスが王宮に書類を提出に行ったまま宿舎に戻っていない事に気付いて、彼女を捜しに出た。
すると大通りから少し奥まった小路の一角で、シルフィスが倒れているのを見付けたのだと言う。
その時には、既に辺りに怪しい人影はなかった。
だが彼女に付いていたレオ二スに代わり、巡回を続けていたガゼルの上司であるリデール・マイアスが、
少し離れた袋小路で一人の男の死体を見付けた。
ただし判別が出来ない程顔を潰されていたので、今のところ身元はまだ割れていない。

 

メイは椅子を借りて、キールの隣に腰掛けている。
身重の彼女――今月、妊娠五ヶ月目になる――が一緒に来た事にレオ二スは驚いたが、シルフィスを心配して見舞ってくれた事には素直に礼を口にした。
メイも自分なりに彼女の怪我の程度を診ていたようであったが、キールと違う見解は浮かんでこなかったらしい。
だが、シルフィスの左手が固く握り締められている事に、彼女が気付いた。

「あれ……ねえ、シルフィスの左手。何でこんなに握り締められたままなの?」
「そう言えば…」

レオ二スがシルフィスの左手を取る。
指先が白くなるほど握り締められていた拳が、レオ二スの手が触れた瞬間―――不意に緩んだ。

「何か落ちたぞ」

キールが屈んで、シルフィスの手から滑り落ちた物を拾い上げる。
それは気を付けていなければ見過ごしてしまう程の、小さな手掛かり―――

「金髪……?」

余り長くはない、シルフィス自身の髪の色とも違う、少しくすんだ色の数本の金髪だった。

 

「普通に考えれば、この金髪はシルフィスを襲った本人の髪と見るべきだろうな」

翌朝、レオ二スの部屋に部屋の主とキールとガゼル、そしてリデールが集まっていた。
シルフィスの意識はまだ戻っていない。メイは彼女のベッドについている。

「リデール、お前の見付けた死体の髪は?」
「茶褐色。敢えて言うならメイ嬢ちゃんの髪よりもまだ赤味がかった色だな」

リデールは昨年末の演習の際にメイとも面識がある。

「では、その死体の髪とも違うわけだ。他に何か手掛かりは?」
「今のところ犯人を特定出来る目立った情報は無し。昨日は急に冷えた事もあって、いつも以上に人通りも無かったらしいんだ」

キールの問いに答えたのは、昨晩からリデールの命で周囲を調べていたガゼルである。

「ただ着衣の特徴から、殺された男がダリス方面から流れて来たらしい事は判った」


ダリス―――その名がガゼルの口から出た事で、レオ二ス達の顔が険しくなった。
彼の国を覆う闇は、完全に払拭されていない。
アルムレディン王とディアーナ王妃が国政を執るようになり急速に復興は進んでいるが、
権力を追われた前王の重臣達は、未だアルムレディンへの不満を募らせている筈である。
何か事を起こせば先手も打てるが、行動を伴なわない叛意だけでは相手を処罰する事は出来ないのだ。


「まさか、ダリスからの暗殺者(アサッシン)なのか…?」

レオ二スの声に、キールとリデールがハッと顔を上げる。
だとすれば、暗殺者が接触を持つのは十中八九王宮だろう。
標的は皇太子セイリオス―――彼はダリス王妃ディアーナの実兄、アルムレディンにとっては義兄にあたる。
セイリオスの身柄を押さえた上で、アルムレディンとディアーナの退位を迫ったとすれば―――?
レオ二ス達に、それ以上の言葉はいらなかった。

 

レオ二スとキールが王宮に駆け付けると、丁度シオンが大きな花束を持って城門を出てくる所だった。
リデールとガゼルはシルフィスが意識を取り戻した時の為に、騎士団に詰めている。

「よう。丁度今騎士団に見舞いに行こうと思ってたところだ。シルフィスが怪我したんだって?」

表向き、シルフィスが襲われた事はまだ公表されていない。ただ負傷したという事実のみが王宮には伝わっているのだ。

「シオン様、ここ最近王宮にダリス筋の者が出入りしていませんか!?」
「ダリス筋?」

噛み付くようなキールの勢いに一瞬シオンが鼻白んだが、レオ二スも同行している事から事態の深刻さを察したらしい。
肩に花束を担ぎ上げ真顔になると、思い当たる人物がいると口にした。

「一週間程前から流しの画家と連れの曲芸師が出入りしてるぜ。画家は腕が良いと評判で、今セイルが肖像画を描かせてる」
「髪の色は?」
「確か画家が赤毛で、曲芸師が金髪だな」

それ以上は聞かず、レオ二スとキールが王宮内に走り出す。
シオンはチッと舌打ちすると、痛まないようにそっと門番の詰め所に花束を置いて二人の後を追った。

 



「う……」
「シルフィス?」

いつまでも目を覚まさないのではないかという不安と共にシルフィスの傍についていたメイは、
彼女の覚醒の兆候に思わず身を乗り出した。部屋の隅の椅子に陣取っていたリデールも腰を浮かせる。

「メイ……リデール隊長……?」

翠の瞳がメイとリデールの姿を映し、驚きを浮かべた。

「気分はどうだ?お前さん、昨晩誰かとやり合って半日意識不明だったんだぜ」
「半日も?」

怪我そのものはキールの治癒魔法で癒されているから、実感がないのも無理はない。

「ところでシルフィス、一体何があったの?貴女が握り締めてた金髪と、何か関係ある?」
「!そうです、早くセイリオス殿下にご報告しないと!!」

シルフィスが寝台から立ち上がる。ふらりと仕掛けた彼女を支えたのはリデールだった。

「王宮にダリスからの暗殺者が潜り込んでいるんだな?」

シルフィスの瞳が見開かれる。

「レオ二ス達がもう向かってる。王宮に最近出入りした金髪の男を捜してる所だ」
「リデール隊長、それは違います」
「何?」

思わずリデールが反駁する。メイも不思議そうな顔だ。

「私を昏倒させた暗殺者は、女性なんです」

 



「もう少しで完成ですよ」
「出来上がりが楽しみだ」

謁見室の窓辺に置いた椅子に腰掛けたセイリオスが、少年のように目を細める。
一週間程前に招き入れた流しの画家は、まだ歳は然程でもないがいい腕をしていると街でもっぱら評判だった。
その腕前はセイリオス自身がお忍びで城下街に出た際に、見て確かめている。
セイリオスは今まであまり肖像画というものを残していなかった。
だが実際に父王に代わり実質的な政務を執る事が多くなった事もあり、一度ちゃんとした肖像画を残しておく気になった。
そこで使いを出し、正式に画家を王宮に招いたのである。


画家の傍らには、幼馴染でずっと共に旅をしていると言う曲芸師が控えている。
彼は余興でパントマイムやナイフ投げなどを見せる事を生業としていた。
幾度かここでもその妙技の数々を披露したが、本人の言葉少なな謙遜とは裏腹に、どの技も目を瞠るものがあった。


「殿下、ほぼ出来上がりました。少しご自分の目で仕上がりをご覧になりますか?」
「いいのかい?」
「ええ、どうぞ」

画家がキャンパスの傍を離れ、曲芸師も脇に下がる。
セイリオスは立ち上がると、彼らに背を向けるようにキャンパスを覗き込もうとした。その時―――


「殿下―――!!」
「セイリオス、無事か!?」

ノックも伺いもなく、勢いよく謁見室の扉が開かれる。
転がり込むように入って来たのは、シオンにレオ二ス、そしてキールだった。

「シオン…お客人が居るんだよ。何事だい?」
「殿下、その曲芸師から離れてください」

セイリオスの背後に金髪の曲芸師の姿を見て取って、レオ二スが腰の剣に手をかける。
まだ抜いてはいないが、僅かでもおかしな動きをすれば問答無用で斬りかかる構えだ。

「その男は、昨晩シルフィスに怪我を負わせた疑いがあります。騎士団の方で詳しく取り調べますので、彼の身柄を拘束させて頂きます」
「シルフィスに―――怪我を?」
「馬鹿な…何を証拠に」

曲芸師は居直ったのか、大袈裟に両手を広げて自分は何もしていないと言い張った。

「昨晩は城下街の安宿で、こいつとずっと一緒だった。そうだろう?」
「ええ…彼はずっと部屋にいました。私どもは貧しくて、一部屋を二人で使っております。彼は一歩も宿を出ておりません。
 シルフィスと言うのがどのような方かは存じませんが、部屋から出る事もなく、人を傷付ける事など誰が出来るでしょうか」

片方を長い前髪に隠された画家の淡い水色の瞳に、悲痛な色が浮かぶ。
だが、ここで曲芸師を解放する訳にはいかなかった。
疑わしきは罰せずと言うのが本来の考え方だが、限りなく黒に近い灰色である事は間違いない。
何としても身柄は押さえて、騎士団の監視下に置く必要があった。



キールはレオ二ス達の一番後ろで、事の成り行きを見守っていた。
いざ斬り合いになれば自分が前に出ていてはレオ二スの邪魔になるだけだし、後方から全体を見ている方が全体的な様子を客観的に捉える事が出来る。
金髪の男は、シオンの言う通り曲芸師の方だった。画家の髪は赤毛―――シルフィスが握り締めていたのは、曲芸師の髪だったのだろう。
画家は曲芸師が宿から出ていないと主張しているが、彼らが他人同士ではないのなら、その証言も疑わしい。

レオ二スはどうあっても曲芸師を騎士団まで引きずって行くだろう。
多少強引なやり方になるかもしれないが、自分とシオンで後のフォローをすればどうにかなると思う。
その時、微かに胸の前で組んだ両腕に、微かな温もりを感じた。

『……意思伝達オーブ……?』

それは彼とメイが緊急連絡用に一つずつ持つ、片手で軽く握れる程の大きさのオーブだった。
オーブを介して意思を第三者に伝える、魔法アイテムである。
胸に忍ばせておいたそのオーブが、微かな淡い光を放っていた。


不自然さを感じさせないようにさり気なくキールは僅かに下がり、扉の影に隠れるようにしてオーブを取り出した。

「メイ、どうした?」
『キール、シルフィスが目を覚ましたの』
「そうか、なら一安心だな」

向こうもこちらの状況を慮ってか、囁くような声での意思伝達である。だが彼女の言葉は、シルフィスの覚醒を伝えるに留まらなかった。

『よく聞いて。シルフィスを襲ったのは男じゃない。女なのよ』
「何だと?」

キールは思わず呟き、自分で自分の口元を押さえた。
金髪の曲芸師は、およそ体型を隠す事の出来ないぴったりとした衣装を身に纏っている。
彼が男性である事は間違いないだろう。だとすれば―――

「……シルフィス、髪の色以外でお前を襲った奴を特定出来るか?」

顰めた声で握り締めたオーブを再び胸元に戻す。少し声が遠くなるが、相手の声を聞くだけならこれだけでも問題は無い。
両腕を空け、魔法の発動態勢に備えた。
メイの翳したオーブごしに、囁くようなシルフィスの声が伝わってくる。

『私を倒したのは女性です。少しくすんだ金髪に―――淡い水色と、黄金の金銀妖瞳』



「クレベール少佐、シオン様、今メイから連絡が入りました」
「キール?」

カッと踵を鳴らし、キールが一歩前へと踏み出した。
曲芸師と画家は動かない。

「シルフィスが目を覚ましたそうです」

微かに、レオ二スが安堵の息を漏らした。だが目の前の曲芸師から目を逸らす事はしない。

「シルフィスの話によれば、彼女を倒したのは女性だったそうです」
「女性?」

では暗殺者は、目の前の曲芸師ではないのか。

「俺達は、ごく初歩的なミスを犯していたんです。
 シルフィスが襲われた場所から程近い所で、個人の特定も難しいほど顔を潰された男の死体を発見した。
 これだけでは犯人が『男』であると断定出来る要素は何もないんです。
 だが男の死体がダリス風の着衣を身に着けていた事が判り、俺達は暗殺者の存在を疑った。
 何らかの理由で王宮に出入りしていた、その男に誰かが摩り替わっているのだと―――」


そして金髪だけを手掛かりに王宮に駆けつけた自分達は、シオンから『金髪の曲芸師』が出入りしている事を知る。
シルフィスを襲い、セイリオスを殺めようとしているのがこの『男』だと、思い込んでしまったのだ。

「髪の色なんて、鬘(かつら)か染める事でどうにでもなる。
 彼女が本当に隠さなくてはならなかったのは、もう一つの手掛かり―――」

短い呪文の詠唱の後、一陣の突風が画家を襲った。巻き上げられた赤毛の下から覗いたのは、水と黄金の金銀妖瞳―――!

「魔法の力を持ってしても隠せない金銀妖瞳が動かぬ証拠。彼女が本当の暗殺者です!」


正体を見破られた画家の手から、鋭く研がれてナイフのように刃を付けたペインティングナイフが閃いた。
レオ二スが飛び出し、セイリオスの目の前で剣の鞘で弾き飛ばす。
彼女は更に隠し持っていたナイフを投じようとしたが、シオンが動きを封じる魔法をかけた事で無力化された。
相棒だった曲芸師もナイフで加勢しようとしたが、キールの魔法で眠らされた。
こうしてセイリオス暗殺は、未遂で解決を見たのである。

 



翌日、大事をとってもう一日休暇を取る事を勧められたシルフィスの部屋に、レオ二ス、キール、メイが集まっていた。
ちなみにリデールとガゼルは、レオ二スの代わりに捕らえられた二人を鋭意尋問中である。
レオ二スに任せておくと私情が入りそうだ、と冗談交じりでリデールが半ば強引に引き受けたのだが、あながち的外れでもないだろう。
レオ二スは仕事に私情を挟むタイプではないが、許される範囲で最も厳しい尋問を行うに違いない。
彼らにとってどちらがマシだったかは知る由も無いが、王家の者に牙を向けた罪は重い。
恐らく背後関係を調べた後、二人とも極刑に処せられるだろう。


「私は丁度、例の女性と殺された男性が揉みあっているのを見たんです」

何を言っているのかはよく聞き取れなかったのだが、どうやら男はもう用済みだと、女が言ったように思う。
シルフィスが止める間もなく、男は女が隠し持っていたナイフで胸を刺された。
驚いて飛び出したシルフィスと女は、数合ナイフと剣で斬り結んだ。
だが不意に背後に殺気を感じ、振り返るともう一人男が彼女に襲い掛かる所だった。
投じられたナイフは剣で振り払ったが、その時一瞬だけ女に背を向けてしまったのである。

「振り返りざま、ほとんど無意識で剣を振るいました。その時、ほんの少しだけあの女性の髪を斬り飛ばして…
 でも、ナイフの柄尻で頭を殴られて―――後は、よく覚えていません」

恐らく意識を喪う僅かな間に、自分の斬り飛ばした女の髪を掴んだのだろう。
本来なら顔を見られた相手は始末する所だったのだが、シルフィスにとっては幸運だった事に、
誰かが近付いてくる気配が気配がしたので止めをさしている余裕がなかった。
そこで彼ら―――画家を装っていた女性と、相棒だった曲芸師の男―――は、先に殺した男の死体だけ持って逃亡したのである。


「多分、連中が気付いた気配と言うのが、シルフィスを捜しに来たクレベール少佐だな。
 だからシルフィスを見付けた時、彼女の傷はまだ血が乾いていなかったんだ」

シルフィスの頭に巻かれた包帯に血が滲んでいた事を思い出し、キールが納得する。
別の場所で顔を潰し、すぐには身元を判らなくさせてから死体を捨てた彼らは、シルフィスに顔を見られた事で変装を余儀なくされた。
実は本来女が金髪で、男が黒髪だったのだ。二人とも染め粉で髪の色を変えていたのである。


「あの画家さん、殿下に招かれて王宮に上がった時は本人に間違いなかったんだよね?
 殺されて、女の人が化けてすり替わってたんだ」
「どうもそういう事らしいな」

レオ二スが尋問を行っているリデールから伝え聞いた所によると、
暗殺を請け負っていたのは女の方で、曲芸師の男が幼馴染というのは本当だが、彼は女のサポートに過ぎなかったらしい。
ダリスの旧貴族筋からセイリオスの身柄拘束、及び必要になった際には暗殺の命を受けて、二人はクラインに潜入した。
そこで同じくダリスから流れて来ていた殺された画家に出会い、利用したのである。

「流しの画家は、あの二人とは本来何の関係もなかったそうだ。ただ絵の才を利用されたんだな」


街である程度腕の良さを披露しておいて、いずれ王宮に自分から売り込みに行かせるつもりだった。
だが彼らにとっては幸運な誤算で、セイリオスの方から画家を王宮に招き入れるとの話が持ち上がったのである。
初めは画家本人に王宮に上がらせ、絵を仕上げさせた。目付けには曲芸師の男がつき、様子を見守った。
そしてほぼ絵が仕上がった頃を見計らって、女が画家に成り代わる為に、彼を殺して口封じをしたのである。


「今は離宮にディアーナ様も滞在しておられます。この程度の怪我で済んで良かった」

シルフィスがそっと自分の頭に手を当てる。
そこにはもう傷はないが、下手をすればセイリオスとディアーナの二人の命が危険に晒されたかもしれないのだ。
ディアーナは昨年、シルフィスが雪崩に巻き込まれた事故の際に見舞いと称して一時クラインに戻ったのだが、未だ離宮に滞在している。
それはレオ二スとシルフィスの婚約が正式に纏まったからで、あと数週間後に迫った結婚式を見届けてから帰国する心積もりらしい。
セイリオスの暗殺未遂とシルフィスの一件も今日には彼女の耳に入るであろうから、昼には離宮から飛んで来るかも知れない。

「でもシルフィスも災難よねぇ。暮れにあんな大変な事故にあって、ようやく復帰したと思ったまたこの騒ぎでしょ?
 いっそ隊長さんとの結婚式が済むまで休暇にしちゃったら?」
「そういう訳にも…」

シルフィスが苦笑する。だがレオ二スは満更でもない顔をしていた。

「そうだな…シルフィスの休暇も、完全に消化出来ている訳ではない。この際団長に許可を頂いて、正式に復職するのは式の後でも…」
「レオ二ス様!?」

……そんな遣り取りしている二人を見ながら、メイはこっそりキールに耳打ちした。

「ねぇ、意外に隊長さんって過保護なのかしらね。もうちょっとクールな人かと思ってたけど」
「シルフィス限定だろう。間違っても他の人間にあんな顔は見せん」

 


結局レオ二スが主張を押し通し、シルフィスに結婚式明けまでの長期休暇を認めさせてしまった。
団長は元よりレオ二スの発言には概ね肯定的であるし、
今回も昨年末に引き続きセイリオスからの『よろしく頼む』という書状が効いたようだ。
好意的な理由で上から休めと言われてはシルフィスも首を縦に振らざるを得ず、
自らの責任感やら同僚への申し訳なさは、取りあえず遠くの棚に放り上げて置く事になったらしい…というのは、後日談である―――

                                                                      【FIN】


あとがき

何だかシルフィスには痛い思いばかりして貰って申し訳ないんですが(^_^;)
たまにはこういう話もないとという事で、少々長目の真面目なお話となりました。
途中で出したリデールがあまり巧く使ってあげられなかった…リデール、ごめん(笑)
彼の見せ場は暗殺者の正体を暴く所に持ってくるつもりだったんですが、お話の流れでキールに役を持って行かれてしまいました(笑)
リデールについては『Heirat』参照。インディックスページにオリキャラ紹介のページへリンクを張ってあるので、そちらでも確認可。

初めは、とても人なんて殺しそうに無い人を犯人にしようと思ってたんです。
それが途中で色々と設定の変更があり、シルフィスをどの時点で覚醒させようかとか、打ちながら悩んだ挙句にこうなりました。
男性に化けてた女性の暗殺者。水と黄金の金銀妖瞳というのを、もっと効果的に使いたかったな〜。

                                                                    麻生 司




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