SUMMER LIFE
                                         


みーんみーんみーんみーん
しょわしょわしょわしょわ
じーーーーーーーーーっ

「暑〜〜〜い〜〜〜」

盛大な蝉の鳴き声に、メイの呻き声が混ざる。

「太陽が遠いから『夏は少し涼しいのかも〜』なんて、思った自分が甘かったわ…」

窓辺に置かれた机に、べったり突っ伏したままボヤく。


太陽がちょっとくらい遠くに見えようが、夏は夏。
暑いもんは、やっぱり暑かった。

「服だけでも、早めにキールにゴネた甲斐があったってもんだわ」

メイは春先に、着の身着のままの状態で、このクラインに突然召還された。
勿論、着替えなんて持ち合わせていなかったし、春に夏物を着ているような変わり者でもなかったから、
当然、じりじりと温度が上がってくると、不快指数はいや増した。


『キール、夏服買ってっ!』
『今月分の小遣いはもう渡してあるだろう?必要な分はそれで買え』
『あんた、洋服の相場を知ってて言ってる?3時のおやつを買うのとは訳が違うのよ!?』

キールは、メイが日常生活に困らない程度のものは自分で買えるよう、小遣いを月イチでくれている。
少なすぎると思った事もない代わりに、(お菓子や小物を衝動買いしなければ、十分足りる金額を貰っている)
高額品―――この場合は洋服など―――には手が出なかった。

小遣い全部をつぎ込めば買えない事もなかっただろうが、それでは後がからっけつである。
財布をひっくり返しても、埃しか出ない状態だ。

『暑いよ〜集中出来ないよ〜私、この制服だけで、着替えも無いんだよ〜!?』
『…判った。買ってやる。うるさくて俺の方が集中できん』

溜息と共に承諾したキールを、そのまま街まで引っ張って行き、
程よい夏物を、着替えの分も込みで三着買って貰った。


着たきりスズメ状態になっているのは誰のせい?的発言をするのは、実はとっても気が引けた。
キールは誤って異世界から自分を召還してしまった事実に、とても責任を感じている。
だから必要以上に、そんな彼を追い込むような事は言いたくないのだが―――

「あの時は、本当に脳が沸くかと思ったのよね」

メイの通っていたのは、地元では有名なお嬢様学校だった。
制服一つにしても上質の生地を使っており、冬はとても暖かい。
それはつまり、夏場に着れる代物ではないという事だ。夏には夏に着る制服が、ちゃんとあるのだから。
クラインで迎えた最初の真夏日の翌日、こうしてメイは夏服を手に入れた。

だが。


「夏服でもやっぱり暑ーーーーーい」

薄い水色の襟なしノースリーブのシャツに、膝上丈のブルーのスカート。
どちらも夏向き素材で、確かに制服よりはずっと涼しい。が、

「寒けりゃ着込んでコタツで丸くなってりゃいいけど、暑い時は裸になっても暑いもんねぇ」

本当はキャミソールが欲しかった。
自分で召還しても良かったのだが、やっぱりクラインでキャミソールを着ていると目立つ。
クラインの女性は、あまり肌を露出しないのだ。だからキールに買って貰った。

スカートも、実は膝下丈だったのを、自分で丈を詰めた。
キールはノースリーブのシャツを選んだ時にも、少し何か言いたそうだったのだが、
買った時には標準的なデザインだったスカートが、一夜明けたらすっかり『メイ風』になっているのを見て、もはや何も言わなくなった。


「…でも、やっぱりこういう生活って、いけないわ」

暑いもんは暑い。
夏だから暑いのは当たり前。
はっきり言って夏バテを通り越してバテバテ状態だが、だからと言ってこのままダラダラしてても身体を壊すだけだ。

「よっし…ちょっと頑張ってみますか」

額に浮かんだ汗を拭うと、メイは椅子から元気よく立ち上がった。



『…静かになったな』

先程まで隣のメイの部屋から表の蝉の声に混じって呻き声が聞こえていたのだが、
少し手元の本に集中している間に静かになっていた。

「…まさか、暑さで倒れたんじゃあるまいな…?」

先日、請われて夏服を買い与えたから、まさかとは思うが…キールは本に栞を挟みこむと、目を閉じて深呼吸した。
精神を集中し、隣室のメイの気配を探る。


隣の部屋には、人の気配がひとつ。
もう慣れた気配―――間違いなく、メイのものだ。
ゆっくりと部屋の中を行ったり来たりしているようなので、倒れている訳ではないらしい。
ほっと小さく息をつき、それが安堵の吐息だった事に自分で気付いて、キールは不思議そうな顔をした。


自分が他人の心配をするなんて。


でも、悪い気分じゃなかった。
誰かの安否を気遣う事。誰かに安否を気遣われる事。
今まで、そのどちらも煩わしいと思っていた。

だけど。


『キール!ちゃんと御飯食べた!?』
『また徹夜したでしょ!?駄目じゃん、ちゃんと寝なきゃ!』
『何で倒れるまで何も言わないのよ!こんなに熱あるのに!!』


そして最後に、まっすぐ自分を見上げる茶水晶の瞳。
そこにはただ、純粋に彼自身の身体を按ずる想いがあった。
その瞳に呑まれて、少なくとも三度の食事くらいは滅多に抜かなくなった。
キールのそんな変化に一番喜んだのは、実は双子の兄だったのだが。


「…ま、何もないならそれでいいんだ」

メイの気配は健康だった。ならば、それでいい。
キールは再び、途中になっていた魔道書に目を落とした。



ちりりーん・・…ちりーん…

「……ん……?」

夏の少し遅い日暮れ時。
あまり聞きなれない涼やかな音に、キールは本から顔を上げた。
ちり…ん…りり・・…ん

「…?ガラスの音…か?」

それはメイの部屋から、途切れ途切れに聞こえてくる。

「一体、部屋で何をやってるんだ?あいつは」

本を閉じ立ち上がると、キールはメイの部屋へと足を向けた。


「メイ?」
「キール?開いてるよ〜」

扉をノックすると、中からすぐに返事が返ってきた。ここ数日聞いていた、だるそうな声ではない。

「今、呼びに行こうかと思ってたんだよ。丁度良かったね♪」
「一体何をやってたんだ?ちりんちりん音が聞こえていたが」
「あ、あれだよ」

メイが、すっと窓辺を指差す。そこには、小さなガラスで出来た物体が吊られていた。
ガラスの器を逆さまにしたような形で、中に紐が一本通っており、その紐の先におもりと、紙で出来た札?が下がっている。
その札に風が当たるとおもりが揺れて、ガラスと触れ合い、音が鳴る仕組みらしい。

「風鈴、っていうんだよ。クラインには無いよねぇ」
「ああ、見たのは初めてだな」
「簡単な物だけど、厨房借りてあたしが御飯作ってみたんだ。今日は食堂行かずに、ここで食べよ?」
「それは構わんが…」
「大丈ー夫。牛乳は使ってないよん」
「ならいい」

研究院には、院生が共同で使える厨房がある。
研究が押してつい食事を取り損ね、夜中に小腹が空いた時や、お茶を入れたりする時に使う。
必要最低限の材料しか置いてないので大した物は作れないが、材料さえどうにかしたら、後は作る者の気分次第でどうにかなる。
どうやらメイは、後者の方らしかった。


「あんまし時間なかったから、簡単な物しか作れなかったんだけどね〜」

メイがセッティングしたテーブルの上には、トマトサラダに冷製オニオンスープ、鳥肉のゼリー寄せ、白身魚の蒸し焼きなどが並んでいた。

「やっぱりクラインでも、夕方には安くなるんだねぇ♪結構お安く、材料揃えられたんだよ」

日の高い日中は外に出るのは諦め、窓辺に吊るされた風鈴を召還する準備などをしていたのだという。
日頃からMDウォークマンの電池などを気軽に召還している彼女の事。風鈴ごとき、召還するのはお茶の子さいさいだった。

後は少し涼しくなるのを待って、街の市場に買い物に出た。
メイの睨んだ通り、夕方以降の食材は軒並み安売りされていた。
特に夏のこの時期、肉や魚は日持ちしないので、ほとんど叩き売り状態だった。
手早く材料を買い込み、急いで戻って料理をし、キールを呼びに行こうと思った所で…風鈴の音に彼の方から出向いてきたという訳だ。


「今日は言わないんだな」
「何を?」

スープを口に運びながら、キールがメイを見る。

「昨日まで、二言目には言ってだろう?『暑い』ってさ」
「ああ〜」

からっとメイが笑う。

「あれね、精神衛生上よろしくないから、止める事にしたの」
「ほう?」

意外そうにキールが軽く目をみはる。

「暑い時に『暑い』って言ってても、なんにも解決しないじゃない?暑いのは当たり前なんだもんね。夏なんだから」

数日間、暑さにうだっていたメイは、逆転の発想に出た。

「暑いんだったら、暑いなりの過ごし方や、暑い時の楽しみ方があるってもんでしょ。だから、あたしなりにやってみようと思って」
「それで風鈴か」
「そういう事。で、どう?美味しかった?」

最後の一口を飲み込んだキールを伺うように、上目遣いにメイが尋ねる。

「結構イケた」
「やったぁ♪キールに食べて貰おうと思って頑張った甲斐があったよ〜」

メイの作った料理は、どれもサッパリしていて、暑い時に食べてもさほど胃がもたれなかった。

「まず洋服を夏物にしたでしょ?それで次は風鈴吊って部屋をそれらしく。
 気付いてた?少しだけ風を魔法で循環させてるんだよ。だからよく風鈴が鳴るんだけどね。少しでも空気が動いてると涼しいし」

勿論、部屋の中に風の魔法の力が働いているのは気付いていた。
だが、ちゃんと加減は出来ているようだったし、害も無いので黙っていたのだ。

「それと、暑いと水物とかばっかり摂っちゃいそうになるので、あえて作ってみた。
 あんまり味のしつっこい物は作らないようにして、喉越しのいいものとかスパイスの効いた物とか」

残さず食べたのだから、本当に美味しかったのだろう。

「いつまでその心構えが持つか、『暑い』って一回言う度に罰金でも取ってみるか?」
「いいわよ。あたしには必殺技があるから」
「必殺技?」
「そーよ。『暑い』って言わない裏技。どう?教えて欲しい?」

にやっとメイが笑う。

「参考になるなら聞いておこうか」
「む、可愛くない言い方だわね。ま、いいわ。暑いって思ったらね、『夏だね♪』って言うのよ」
「なんだそりゃ」
「暑いね、って言う代わりに『夏ですねぇ』って言うの。暑い暑いってただ言うより、前向きな方法よ」


さぁ、片付けでもしよっと、と言いながら立ち上がった彼女には、本当に数日前とは打って変わった元気さがあった。
前向きに夏の暑さと向かい合う事。
それがメイが見付けた、暑さの克服の仕方だった。


気温が下がりだし蝉の声が聞こえなくなる頃まで、メイは実にいろんな物を召還した。

それはスイカだったり(友人たちを招き、スイカ割りなるゲームをやった)、
花火だったり(夜、院の裏庭で線香花火というものをやった)、
蚊遣りだったり(豚の形をした中身が空洞の置物の中に、虫除けの専用の香を炊いておく物。メイは『蚊取り豚』と呼んでいた)
蚊帳だったり(天井から吊るして使う、大きな網?網の中に虫が入って来れないので安眠出来る)したのだが、
見慣れない物や習慣が多かったので、それなりに一夏楽しめた…というのが、メイの友人たちのもっぱらの評判である。


研究院では、やはり召還したサンドレスを着て、キールの部屋で夕涼みしながら「夏だねぇ♪」と団扇を扇ぐメイの姿がよく見られたという。
ただしあくまでもキールの部屋限定で、メイのサンドレス姿を外で見た者はいない。

「少し屈んだくらいで胸が見えるような格好で外に出せるか」

とは、キールの独り言。
続きに『特にシオン様の前になんか…』という呟きが、聞こえたとか聞こえなかったとか。


そんなこんなで気付いた時には、何時の間にやら秋の虫が鳴き始めていた。
『今度は秋を楽しみますか♪』とは、メイの台詞。

「やっぱりクラインでも、秋は食べ物が美味しいのかな?ね〜キール、何が食べたい?」
「まず食べ物に結び付くんだな。太っても知らんぞ」
「いいじゃない〜何で楽しみを見付けたって!何なら紅葉狩りでもいいよ。紅葉は無いかもしれないけど、紅葉する木くらいあるんでしょ!?」

故郷に還らない事を決めた異世界の少女と、その保護者であった青年の関係は、
秋の訪れと共に転機を迎える事になる。


だがどんな時でも、彼女の前向きさが失われる事は、きっと無い。

                                               【FIN】


あとがき

比翼連理の企画投稿に出した作品です。
夏・夏休みがお題だったんですが…ううん、夏バテすら経験した事のない私にとっては、
これで結構、未知な領域のお話となりました。
学生時代だったのも、遠い昔の話ですしねぇ…(しみじみ)     
                                              麻生 司



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