〇〇の、正体見たり…?


「温泉?」

何やら心惹かれる響きに反応し、メイの茶水晶の瞳がきらりと光る。
彼女の向かいのソファに腰を下ろしていたシルフィスが、そんな彼女の様子に苦笑を浮かべた。

「ええ、まあ、平たく言えばそう言うことなんですけど。正確には保養所です。
 観光に行く所ではなくて、怪我や病気で身体を損なった人が、時間をかけてゆっくりと治療する場所で」

 

魔法研究院に程近い場所に、セリアン・ラボはあった。
先日開業したばかりであるが、店の主が城下に名高い『緋色の魔道士』キール・セリアンと、『台風娘』の異名を持つメイである。
二人は研究院独立と共に結婚し、ここにラボを構えた。
噂が噂を呼んだのと、男主人の腕の確かさと女主人の愛想の良さで、ラボの経営状態はまずまずである。

そんなある日の昼下がり、この春にめでたく女性として初めて正騎士の叙勲を受けた親友のシルフィスがラボを訪ねて来てくれた。
警邏の途中で寄ってくれたのだが、ついでに彼女は仕事を持ち込んでくれた。
それが、今メイが目を輝かせている温泉、もとい、保養所絡みの依頼である。

 

「その保養所は先代から経営なさっているそうなんですけど、ご主人は手堅い商売をされてる方で。
 思い込みや嘘を言っているような感じではないんですよ」

その主人の三人の息子のうちの一人が、今年騎士団の見習として入団した。
面倒見の良いシルフィスは、上司と見習い達の間に入る相談役になる事がままある。
今回の場合は別に、その息子が真剣に依頼として話した訳ではないのだが、話を聞いたシルフィスが個人的に興味を持った。
上司のレオ二スに一応断りを入れ、個人的に休暇を利用して動くのならば構わないという了承を得た。
それで、メイの所にも協力を仰ぎに来た訳であるが―――

「んで?その保養所にあるお風呂を、誰かが覗いていると」
「ええ…お客様から初めて話を聞いた時は、ご主人もまさかと思ったそうです。
 観光地ならまだしも、様々な理由で身体を悪くした方が集まる場所ですから……その、ある程度お歳も取られている方が多いですし」
「おばあちゃんの裸を見ても、きっと楽しくないわよねぇ」

好みは人ぞれぞれだが、まあそれが普通だろう。

「ところが『誰かが風呂場を覗いてた』と証言するお客様が、他にも数人名乗りを上げられたらしくて。
 挙句に保養所の職員が夜中に湯を抜いて浴槽の掃除をしようと思ったら、
 誰も居ない筈の風呂に誰かが入っていて、誰かが入って来た気配がすると、逃げてしまったのだとか」


複数の目撃証言があるのなら、確かに勘違いだけでは済まされそうもない。
覗きに加えて不法侵入した風呂に浸かるとは、なかなか大胆不敵ではないか。
無論、覗き犯には鉄槌をくれてやりたいが、コソコソしていないのはいっそ豪快だとも思う。
余程神経が太いのか、逃げ足に自信があるのかどちらかなのだろう。


「このままではお客様にもゆっくり滞在していただけない。
 見張りに立つにも四六時中では身が持たないと、ご主人が息子さんへの手紙に書いてきてたんです。
 その彼が世間話のついでに、何処の誰の仕業か知らないが迷惑な話だと話してくれたのが、妙に気になってしまって」
「不埒者には厳しく、善良な一般市民に優しいシルフィスの考えそうな事ね」

メイの目が笑う。だがそれは好意的な笑みだ。

老若男女、善良な市民にはシルフィスは等しく親切で優しい。だが力や権力を傘にきて横暴な振る舞いをする者には、きっちり筋を通す。
だから子供たちを始め、シルフィスは城下では人気者だった。
メイの言葉に『そんな事ありません』と一瞬頬に朱が差したシルフィスだったが、表情を改めるとすぐに騎士の顔つきに戻る。

「私は明日から数日、隊長に休暇を頂きました。もしも都合がつくなら、メイにも協力して頂きたいのですけど」


自分だけでは事態に対処しきれないかもしれないし、柔軟な考え方をするメイが一緒だと心強い。
出来れば同行してもらいたかった。

「勿論行くわよ!温泉と聞いて話に乗らなきゃ、女が廃るでしょ。
 今週は急ぎの仕事も入っていないし、大丈夫よね。キール、明日から出張に行って来るねぇ♪」
「『行って来るねぇ♪』じゃないだろう、全く」

奥の研究室から意外に達者な物真似をしつつ、こめかみを押さえたキールが出てくる。
扉は半分程開いていたから、話の内容は聞こえていた筈だ。返事をしたのだから、聞いていなかったと言う事もないだろう。

「聞いてたでしょ。温泉付きの保養所に覗き魔を取り押さえに行くの。タダで泊めて貰えるんだからラッキーよね♪」


シルフィスは騎士団の先輩、同行する予定の魔道士も騎士団とは関係が深いからよろしく頼むと、
騎士見習の息子が気を利かせて実家の方に話を通してくれたので、捜査中の宿泊費は棒引きでいいと言う。


「シルフィスが行くのは構わん。だが、それにお前が同行する意味があるのか?大体タダ泊まりする同行者が多いと、先方にも迷惑だろうが」
「あらぁ、じゃあキールは罪も無い女性の玉の肌が、何処の誰かも判らない男に見られても良いって言うの?」
「男とは限らん」

メイが軽く睨むとそう言い返してきたが、内心少しはギクリとしたようだった。
キールもこれでなかなか独占欲が強い方である。
メイは結婚する少し前から、周囲の者達は実際に彼が所帯を持ってから、その傾向には何となく気付いていた。
独占されるのが鬱陶しい女性には迷惑なのだろうが、メイは結構喜んでいるから問題ないのだろう。


もしもメイが覗き魔の被害にあったとしたら……恐らくキールは、怒髪天を衝いて犯人を捜し出すに違いない。
女湯を覗く(少なくとも、男湯を覗かれたという報告はないらしい)痴漢は、男と相場が決まっている。
自分の手で犯人の男を捜し出した後は、簡単に騎士団に突き出すような事はせず、いっそ素直に引き渡してくれた方がマシだったという目に遭うのだろう。
まあ、たまには覗きを働く女も居るのかもしれないが。


「先方には、同行者を連れて行くと伝えてあります。私一人だと、心もとないと思いましたので。ご主人もそれは了承していらっしゃいますから」

さり気ないシルフィスのフォローにごほん、とあまり意味の無い咳をひとつすると、キールは仕方ないなと頷いた。

「……三日間だけだからな」
「わーい♪ありがと、キール。温泉でピッカピカにお肌を磨いて来るからね!」

大喜びでキールの首にしがみ付くメイを見ながら、シルフィスは微笑んで二人の様子を見守っていた。
温泉の効能はあくまでも神経痛や更年期障害に効くのであって、所謂美人の湯(後でメイに聞いた)ではないのだが、
今その事を指摘して、水を差す事もないだろうと思いながら。

 


「あら、別に美人の湯じゃなくてもいいのよ。
 温泉そのものにそれなりの効能があるんだから、湯あたりしない程度に入ってる分には身体に悪くはないでしょ?」
「それはそうですね。人間、気付いていないだけであちこち悪くなってるものですし」

翌日、件の保養所に到着したメイたちは、主人の歓待を受けた。
メイとシルフィスの二人で一室用意されており、少し休んだ後で早速現場に案内された。
今は清掃中ということにして、他の客は入って来れないようになっている。


脱衣場で温泉の効能を書いた札―――クラインにもちゃんとこういう物があるのだと、メイが妙に感心したが―――を読んで、
昨日シルフィスが突っ込み損ねた『美人の湯』云々の話になった。
だがメイは保養所の温泉の効能を勘違いしていた訳ではなく、別に温泉ならこだわらないと言う。

「今は暖かいからいいけどさ。やっぱり冬に重い物を持ったりすると腰が痛くなったりするし。
 ずっと座りっぱなしや立ちっぱなしで作業してると、首や肩、背筋、腰、足、あちこち凝ってくるし。
 そういうのを一度ゆっくり休めたいなぁと思ってたから。立派な保養でしょ?」
「私も、寒い日に外で訓練をしていると全身の筋肉が強張ってしまいますね。後でお風呂を使う時、よくマッサージをするようにしますけど」

普段訓練をしているのでそう簡単に痛める事はないのだろうが、それでも出来る配慮はした方が良い。
いざと言う時に筋などを痛めてしまっては、それこそ騎士の名が廃る。

「あ、駄目だよ、女の子は身体冷やしちゃ。特に騎士団は男ばっかりでそういう配慮に欠けるから、自分の身体は自分でケアしないとね」

うんうん、と頷くメイに、シルフィスは少し照れたような笑みを浮かべた。


実際に自分が『女性』として分化したのはつい数ヶ月前の事で、『女の子』と言われると少し照れ臭い。
女性への分化が始まった時点でレオ二スが騎士団上層部に話を通し、シルフィスへの様々な配慮が成された。
元々騎士団宿舎は個室だったが、比較的他の者――当然男ばかり――とは距離のある、隊長クラスの私室が集まる区画の部屋へと移る事になった。

風呂は隊長クラスの部屋には一応簡易的な浴室があるから問題なかったが―――普通、一般の騎士や見習の浴室は共同である―――
例え女湯にいきなり入れと言われても、シルフィス自身が慣れていなくて抵抗感があっただろう。
未分化の時ですら、周囲に気を遣って時間をずらして一人で入浴していたのである。
少しずつ心身共に女性としての生活に慣れてきて、やっと自覚も伴ってきた所だ。


「シルフィスって肌綺麗だなー。羨ましい」

大きなバスタオルをきっちり身体に巻きつけたシルフィスの腕に、メイがつつつと指を走らせる。

「そうですか?自分では、よく判らないんですけど」

シルフィスの首筋が、ほんのり紅くなった。

「うん。色は白いし、肌のキメは細かいし。それに美人だもんねー。
 胸は……うん、Bカップってとこかな?女の子になっちゃったら、モテるようになったでしょ?」

無邪気にポンとシルフィスの胸に手を当て、メイがうーんと唸る。
シルフィスはちょっと驚いたようだったが、何せ女性に分化して日が浅いので、どう対処したもの判らない。結局メイの成すがままだ。


元から女である自分と、つい数ヶ月前に女性に分化した彼女と、
あまりプロポーションに差がないのは釈然としないが、これは別にシルフィスのせいではない。成長とは、そう言うものだ。
種族特有の身体つきと言う物もある。元々東洋人は身体の凹凸には乏しいのだ。ぼやいても仕方がない。

「以前とそう変わりませんよ。時々食事に誘われるようになったくらいで」

ニコニコと笑顔を浮かべるシルフィスに、全く悪意は無い。
この純粋培養の天衣無縫さに、一体どれ程の男が泣かされているか。
そしてその事で、彼女自身が想いを寄せる男性が如何に救われているか。
そう考えると、メイはシルフィスに片思いしている男性たちが、ほんの少し気の毒になった。

 

「そう言えば、この浴場がある建物って、随分新しいよね。保養所は先代から続いてるって言ってたのに」
「最近建て増しした新館だそうです。
 元々所有していた土地に良い湯場があったのは判っていたんですが、少し手を入れないと使えなかったとかで、先代は放棄していたらしくて」

案内された問題の浴場は、小綺麗な別館にあった。本館とは細い廊下を通じて行き来出来るようになっている。
何をどう手入れしなければ使えないのか、話を聞いただけではよく判らなかったのだが、実際に見て、納得した。


「……こりゃまあ……所謂露天風呂と言う奴かしら……?」
「露天風呂…ですか?」

正確には、露天風呂『風』と言うべきか。

どうも源泉は鬱蒼と茂った森の中にあったらしく、その源泉を保養目的で使うとなると、莫大な費用をかけて森を拓かねばならない。
その労力と資金を、先代は無駄な投資だと踏んだのだろう。


実は当代の主人に代替わりしてから、こじんまりと経営していた保養所の規模を少しずつ拡大していた。
宿泊出来る部屋を増やし、温泉を改装したり、数を増やしたり、なんとサウナまで作っていた。
建て増しを続けるうちに少しずつ森を侵食して行き、本来は鬱蒼とした森の中にあったこの温泉にも、
少し手を入れれば保養所の施設に組み込める所まで手が届いていたのだった。

従ってこの別館の周りは道無き森が広がっており、わざわざ覗き目的だけの為にこの森に分け入ろうとは思えない。
比較的表に作ってある庭などを自由に散策出来るのは本館の方だけで、
別館の周囲は中から見て楽しむだけの風景だった。
壁の一面が下半分が嵌め殺しのガラスで、上半分が空気の入換え用の開閉出来る窓になっていて、外が見えるのだ。


「外が見えるということは……外からも中が見えると言う事ですよね?」
「そう言うことになると思うけど……」

身体にしっかりバスタオルを巻き付けた二人が、そろそろと窓の近くに寄った。

「確かに空が見えたり、森が間近に見えたりして面白いとは思うけど、表からここまでわざわざ覗きに来るのはラクじゃないわねぇ」

メイが少し背伸びして呟く。背伸びしてみても、見える範囲には森と僅かな空ばかりしかない。

「本館と連絡している廊下の窓は、やっぱり嵌め殺しで開閉出来ない造りだったから、万が一外部から侵入したのだとしたら、あの窓からですね」

ちゃぷんと湯船に浸かりながら、シルフィスが高い位置にある窓を指差した。


そう。覗きだけではなく、客の居る筈のない夜中に、何者かがこの浴場に居たという話もあったのだ。
しかし現場を見てみると、夜中にこっそり入りに来た本館の宿泊客なんじゃないかと思ってしまう。
表に灯りは全く無いし、外から入り込むにしても、あの窓では少々難があるような気がした。

「でもあの場所、結構高くない?あたしじゃ飛び上がっても、指かけるのが精一杯だよ」
「そうですね……仮に飛びつけたとして、あの隙間を身体が通るかどうかは疑問が残ります」

窓は換気目的だから全開させる事は出来ず、目いっぱい開けても大して開かないようになっているのだ。
あの隙間を通れるのは、せいぜい子供が限度である。

「でも子供が、こんな所覗くとは考えにくいんだけど……」

並んで湯船に浸かっていたメイの動きが、ピクリと止まる。
シルフィスの翠の瞳が、キッとガラスの向こうの森を見据えていた。

「メイ……気付きましたか?」
「うん―――これ、視線?」
「判りません……視線と言うよりは……漠然とした気配なんですけど」


首筋がチリチリするような感じがする。
ガラスの向こう側に『何者』かの気配は感じるのだが、確かな意思を持ってこちらを見ているような気がしないのだ。
ただそこに存在するだけのような……見てはいないのかもしれないが、だが、間違いなく気配は伺われている。
しかもその気配は、一つでは無かった。


「……一度出ようか。少し頭冷やして……今度は、夜中に来てみよう」

こくりと頷き、二人が湯から出る。
背中に落ち着かない気配を感じながら、何やら釈然としない気持ちを抱えつつ、ピシャリと浴場の扉を締めた。

 



真っ暗な廊下を、シルフィスが手にぶら提げたランプの灯りひとつだけで、ヒタヒタと別館へと向かう。
時刻は深夜。とっくに本館の方も寝静まってしまって、起きているのは自分達だけだ。
勿論、別館には職員も客も居ない―――筈である。

「あたしの育った国にね」

廊下の窓から灯り一つ無い真っ暗な森を見ていると、ふと昔聞いた言葉を思い出した。

「『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』って言葉があるのよ」
「枯れ尾花、ですか」
「そう。怖い怖いと思っていたら、ただの枯れ木も幽霊に見えるって意味なんだけど。何だか今回の件も同じような気がするわ」


結局、一度部屋に引き上げてシルフィスと二人で考え直してみたが、結論は出なかった。
確かに浴場の外に、何者かの気配はある。だが意思を持ってこちらを見ているという感じではないのだ。
主人にもう一度話を聞いてみると、今まで『覗かれた』と証言した客達も、何者かの姿を見た訳では無い事が判った。
昼間の自分達と同じく、漠然とした気配を感じたのだという。
浴場の外から何者かの気配を感じれば、『覗かれている』と思い込んでも仕方ないのではないか。
相手は、ただそこに居ただけなのかもしれないのに。


「上手く、現れてくれるといいんですが」

メイに断り、シルフィスがランプの火を消した。暗い場所を監視するのには、闇に目を慣らせておいた方がいい。
代わりにメイが小さなオーブをポケットから取り出して、手の中に握りこんだ。
出かける前にキールが彼女に渡した秘密兵器―――強い衝撃を与える事で真昼の明るさ程の光を発する、照明弾のようなものだ。

「そうね。キールからは三日間だけって言われてるし、あたしとしてはさっさと片付けちゃって、後はのんびりしたいんだけどな」
「本当に。私も、三日しか休暇を頂いていませんから。ちゃんと解決して戻らないと、隊長に合わせる顔がありません」

闇の中、二人で顔を見合わせくすりと笑う。女性用の浴場に通じる扉は、もう目の前だった。


「……開けますよ」

こくりとメイが頷くのを確かめて、シルフィスが扉に手をかけた。
まだ新しい為か、ほとんど音も無く扉が開く。そっと脱衣場に入り込むと、浴場の中の気配を探った。


ちゃぷん……ちゃぷ……


ぎくり、とメイとシルフィスの肩が揺れてぶつかる。
確かに、水音がした。天井についた湿気が水滴になって落ちてきた訳ではない。
音は変則的に、だが今も続いている。
何者かが、水の中で身体を動かしているような―――そんな音だった。しかも、気配は一つではない。


予め打ち合わせしていた通り、シルフィスが音を立てないように細心の注意を払いながら扉のすぐ横に移動した。
メイが右手の中の発光オーブの感触を確かめる。
目で合図を送ると、シルフィスが一気に扉を引き開けた。同時に、メイが発光オーブを浴場の床に叩きつける。
ぱあっと、真昼の太陽のような光が辺りを照らし出した―――

 


「キッキーーーッ!!」
「ウキャッ」

賑やかな声に、一瞬で辺りを照らし出した光で眩んだ目が丸くなる。
急に明るくなり、湯船の中の小さな影がウキャキャとパニックを起こしていた。
子供のような、その影の正体は……

「サ、サル……??」

呆気に取られたメイより先に、我に返ったシルフィスが素早く奥に走り、外へ通じる窓側への退路を塞いだ。

「一頭逃げます!メイ、魔法を!!」

はっと気付くと、シルフィスの脇を巧みにすり抜けた一頭のサルが、僅かに開いた窓に飛びついた所だった。

「覗き魔の正体がおサルだなんてちょっとは予想してたけど本当にそんなベタなオチだなんて〜〜〜眠りなさいッ!!」


訳の判らない叫びと共に飛ばした睡眠魔法が命中して、窓枠に貼り付いていたおサルが、身体を二つに折ったような姿勢でぷらーんとぶら下がる。
近付いて尻尾をちょいと引っ張ると、ぽとりと浴場のタイルにひっくり返った。すっかり爆睡中である。
ついでに他のサルにも広範囲の睡眠魔法をかけたので、浴場の床には幸せそうな顔で眠る数頭のサルがゴロゴロ転がる事になった。

「……一応縄か何かで逃げないように繋いでから、ご主人に引き渡しましょうか」

無害になってしまったサル達を眺めやり、シルフィスが苦笑する。

「とんだ枯れ尾花でしたね」
「全くだわ。あっさり捕まえられたから良いようなものの……でも、この子達だけじゃないわよ。きっと」

やれやれとメイが額に手を当てた。

 



翌朝、四頭のサルは主人に引き渡された。

恐らくこのサル達は、新館が建っている場所に元々棲み付いていた野生のサルで、天然の温泉に時々入りに来ていたのではないだろうか。
そう私見を述べると、主人が目を丸くした。

「サルが温泉に入るんですか?」

そんなまさか、という顔をする主人の顔の前で、ちちちとメイが小さく指を振る。

「ご主人、甘いわ。人の身体に効能があるなら、野生の動物にだって効能があるのよ。
 自慢じゃないけどあたしの生まれて育った国では、サルはおろか熊だって温泉に入ってたわよ」

ある国では、温泉は入浴する為ではなく、様々な効能のある鉱水として飲料になっている地域もある。
サルや熊が入浴するのなら、キツネや鹿、他の小動物は飲み水として飲んでいた可能性もあった。

「熊……ですか?」

流石に主人の顔が微妙に引き攣る。ちょっと大袈裟に言い過ぎたかなと、TVの裏ネタのような自分の発言を反省した。

「熊は大袈裟だけど、でも実際にこうしてサルは、わざわざ外から入り込んでまで温泉に入りに来てた訳だから。
 きっと新館が建って温泉が屋内に組み込まれるまでは、結構頻繁に利用してたんじゃないかしら」


メイ達や他の入浴客が感じたのは、このサルを始めとした野生動物の気配だったのだ。
野生動物は確かにこちらの気配は伺うだろうが、『覗いてやろう』などとは思っていないので、イマイチ犯人像が絞れなかった。
手先の器用なサルは、外部から鍵の掛かっていない窓(人が通れるスペースは無いので、元から鍵はついていなかった)を開け、
中に入り込むと、人の居ない真夜中にこっそり温泉に入っていたのだ。
それをたまたま掃除に来た職員が見かけたのである。

「あたしは、何だかんだ言って内部の人間の仕業かなと思ってたのよ」

外からの視線は何とも説明し難かったが、夜中に浴場に誰かが居たというのは、どうしても外部の者とは思えなかったからだ。
ここの職員なら、もしかして新館の浴場のすぐ傍に出られる通路なども知っているかもしれない。そう、考えていたのだが。

「いや、とんだ顛末で」
「いいんですよ。無事に解決したんですから。これでお客様にも、きちんと説明出来ますしね」

恐縮する主人に、シルフィスがあまり気にしないようにと声をかける。
下手に覗き魔が捕まるよりは、犯人がサルだった方が保養所の名に傷がつかなくて済む。かえって安堵したくらいだった。


「それで、これからどうなさるんですか?今回捕まえたのはこの4頭ですけど、きっとまだ他のサルも居ますよ。
 お客様達が感じた気配は、サルだけとは限っていませんし」

シルフィスに促され、『それなんですが』と主人がメイの顔を見る。

「是非、お話を伺いたくて」
「は、あたし?」

メイは思わず自分の顔を指差した。

 



「……で?」

ラボの居間で、キールがコーヒーのカップを片手に、三日ぶりで帰宅して熱弁を振るう妻の顔を見やる。

「それが、ご主人も商魂逞しいというか。
 あたしが日本――あたしの生まれた国ね――の温泉に入りに来る野生動物の話をしたら、妙に感心しちゃって」


野生動物も入りに来る温泉を、前面に出して保養所を続ける事になったのだ。
保養所の宿泊客にも、別館の温泉には野生動物が入りに来る事があると明言し、
更に森に面した壁を一部くり抜いて、野生動物がいつでも自由に入れるようにするつもりらしい。
いつかは人間とサルが一緒に入浴する日がくるかもしれない。


「なんか話が、本当に日本のうらぶれた温泉地みたいになってきたわ。まあクラインでは変わってて面白いと思うけど」

メイが小さく肩を竦める。一応覗き魔の正体は見極めた訳だし、主人もやる気満々なので大丈夫だろう。

「ま、一日目で片付いちゃったから、残りの二日はシルフィスと二人で温泉を満喫したんだけどね♪」

ほらすべすべ〜と、メイがキールの前に腕を突き出す。

「湯に浸かりすぎてふやけたんじゃないか?心なしか顔が丸くなったような気がするが」

ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべたキールの頬を、メイがむにっと引っ張った。

「そ・れ・は・言・わ・な・い・の!だって、お礼だって言って、ご主人が毎日美味しいお食事出してくれたんだもん」

少し太って帰宅した事を気にしていたので、ギクリとしたのだ。無関心なようなのに、なかなかどうして目聡くて侮れない。

「シルフィスは別に変わってなかったぞ」

何とかメイの手を引き剥がし、一緒に無事に戻りましたと挨拶に寄った彼女の様子を思い出す。

「それは体質なの!!同じくらいしか食べてないもん!」


少しは、自分の方が余計に食べていたかもしれないが。


だが、美味しい料理は美味しく頂くのが、出された料理に対する礼儀ではないか。
太る心配をしていたら、旅先でグルメは満喫出来ない。


「外に食いに行く気がしなくてな」

ぶー、と頬を膨らませたメイの肩を、キールが子供をあやすようにぽんぽんと叩く。

「この三日間、作る人間がいなかったからロクな物を食べてないんだ。今日の夕飯は消化の良いリゾットにでもしてくれ」

一人で食べる食事は味気ない。自分で何か作っても、外で食べてもだ。
久し振りに一人で食事をしたら、その事がよく判った。

「……仕方ないな〜。それじゃ、メイちゃん特製の美味しいリゾットを作りますか」

ちらりと斜交いにキールの顔を見上げ、メイが笑う。
今度何処かに仕事で出かける事があれば、キールも一緒に連れて行こうと、心に決めて。

                                                               【FIN】


あとがき

話を作ったきっかけは何だったけ?多分『幽霊の正体見たり枯れ尾花』を、何かの拍子に思いついたのが元だったと思うんですが。
しかし、こんなに長い話になるとは思わなかった……(最近こんなのばっか・笑)
年末年始のドタバタしてる時に考えた話なので、多少の無茶な設定はご容赦を。
オチがサルだもんな〜〜(^_^;)

本当は、キールも同行する筈だったんですよ。
彼は風呂場の外で見張りをしてるんだけど、逃げたサルを追いかけて、
バスタオル一枚で飛び出して来たメイとシルフィスに慌てふためくと言う(笑)
でもこの上キールまで出してきたら更にお話に収拾が着きそうもなかったので、彼には留守番していただきました(^_^)

                                                               麻生 司





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