「アーサー様は、お母上に似なさったんですなぁ」

それは古くからヴェルトマーの領内に暮らす年寄りに、幾度と無く言われた事だった。
しかも一人ではなく、誰に聞いても同じ答が返ってくる。

アーサーはヴェルトマーとフリージの二大公爵家の血を引くが、幼い頃に母の手で修道院へと預けられ、市井で育った。
故に彼は公爵の称号を継いだ今でも大変庶民的で、口調は気さくだし、
しょっちゅう視察と称して城を出て来ては、街の若い衆やお年寄りと一緒になって酒を飲んだり、彼等の生活の愚痴を聞いたりしていた。
お陰様でアーサーは、井戸端会議の常連主婦が裸足で逃げ出す程の情報収集力を誇っている。

「やっぱり、この髪も瞳もヴェルトマーとしては珍しい?」
「そうですねぇ。
 先代のアルヴィス様もその前のご当主も、そして公爵様のお父上であるアゼル様も、みんな見事な炎のような赤い髪をしていらっしゃいましたから」

尋ねるアーサーに、話し相手になっていた雑貨屋の老主人は気遣う素振りを見せながらも、頷いてみせる。


そう―――ヴェルトマーの一族に
最も顕著に見られるそれは、炎で染め上げたかのような紅蓮の紅い髪。
そして同じく炎を映したかのような、特徴的な紅い瞳。
姿かたちは両親から遺伝するものであるから、『ヴェルトマーの一族であれば必ずしも誰もが備えている』という訳でもない。
だが少なくとも今までに家督を継いだ者は、例外なく紅い髪か紅い瞳、もしくはその両方を備えていたという。

一族の通例から言えば、自分と妹の方が特殊なのだ。

『そう言えば』と、老主人はポンと手を叩いた。


「ついこの間、アルヴィス様に驚くほどよく似た方を見かけましたんですよ」
「伯父に?」
「ええ、まるでお若い頃のアルヴィス様を見たようでした」

『他人の空似という言うんですかねぇ』という老主人の言葉に、微かにアーサーが首を傾げる。

伯父アルヴィスの血統は、今はもうバーハラに残ったユリアしか受け継いでいない。
だが彼女は母親似で、バーハラ王家直系の証であるナーガの継承者だった事もあり、ヴェルトマー独特の容姿は受け継いでいなかった。
顔立ちはともかく、印象だけなら亡くなったユリウスの方が余程伯父に似ていたように思う。
彼の髪と瞳は、間違いなくヴェルトマーの紅だったから。

「ふぅん……その伯父上に似てる人、随分若いんだ?」
「歳は二十歳を幾つか過ぎたくらいでしょうか。すらりと背の高い、見事な紅い髪と瞳をした神父様で」
「神父……神父ねぇ……」


再びアーサーが首を捻る。
伯父は自身の両親を不義による諍いを元に喪っている為か、一切妾を傍に置こうとしなかったという。
妻は後にも先にもディアドラ皇女ただ一人で、子はユリウスとユリアの双子の兄妹だけ……の筈だ。

だが、所詮は記録として残されているだけの情報である。
本当に伯父は生涯妾を傍に置かなかったのか、本当に子は二人だけなのか―――可能性は幾らもあれど、確認する術は無い。
確認する術が無い以上、記録に残されていない子が存在した可能性も捨て切れなかった。
例えば母親となった女性が、身篭った事を告げずに伯父の前から姿を消したなら……伯父は、その子の存在を知らないという事になる。

万が一伯父が庶子を残していたとして、その子がヴェルトマーの血を自分以上に継いでいるのなら……
或いは、爵位の譲渡を考えなくてはいけないかもしれない。
自分は確かに一族に連なる者だが、聖遺物を受け継ぐべき真の意味での直系ではない。
本来の意味での直系ではない以上、伯父の遺したファラフレイムは然るべき時が巡ってくるまで自ら眠りについている。

もしも伯父が他にも子を成していて、尚且つその子が直系の証である聖痕を持つ者であれば―――
その時は潔く爵位を譲渡し、改めて母の生家であるフリージ家を妹に代わって継ぐ事も選択肢の一つだ。
そうすればティニーを、心置きなくシレジアのセティの元に嫁にやる事が出来る。

ただの他人の空似かもしれない。
だが妙に気に掛かる。
聖戦士は互いの存在を、理屈ではなく心で知ると言っていたのはレヴィンであったか。

何の確証などなくとも、直接会えばきっと真偽は判る―――

とにかく少し調べてみようと、アーサーは心に決めた。



「まあ、そうお気になさらずとも炎の色が一族の証と言う訳でもないでしょう。
 現にユリア様もお母上に似られたので、紅い色とは全く無縁でしたし」
「うん、そうだね。ありがとう」

老人の気遣いが判ったから、アーサーはいつものように笑顔を見せた。

自分とて、ヴェルトマーの一族とかけ離れた容姿を殊更気にしている訳ではない。
だが例えば、歴代の当主が描かれた肖像画などを見ていると、ふと思うのだ。

顔立ちそのものは父によく似ていると、生前を知るオイフェやシャナン、フィンには言われた。
実際自分の身に備わる炎魔法に対する制御力の高さと正確さを考えれば、ヴェルトマーの後継である事は明らかである。
でももしも自分が、たった一つでもいい、第三者から見ても明白なヴェルトマーの一族である証を持って生まれていたならば―――
もう少し、実父の存在を身近に感じる事が出来ただろうかと。


物心付いた時には父は既に亡く、母も傍には居なかった。
随分後になって、自分と妹は母の生家であるフリージ家の容姿を継いでいるのだと知った。

劫火も灯火も、まるで呼吸をするのと同じように生み出し、操る事が出来るけど―――
確かに父の血を継いでいるのだと、目に見える証が、自分には何一つ無かったから。


「すっかり話し込んで、商売の邪魔をしてごめんよ。おじいさんも身体には気を付けて」
「はい、アーサー様も。季節の変わり目は体調を崩し易いですから」
「うん。また伯父や父の話を聞かせておくれね」


昨日までと何の変わりも無い、平穏な一日の筈だった。

その日の夜、突然の高熱に倒れ意識を喪う、その瞬間まで―――






a successor






夕食を済ませた後、執務室で書類に目を通していたアーサーは、不意にぐらりと身体が傾ぐような感覚を憶えた。


『あ、れ……眩暈、か……?』


何だか甲板の上に立っているみたいに、足元がふわふわしている様な気がする。

この所忙しかったのは事実だが、眩暈がするほど働き詰めている訳でも無い。現に今日だって、城下に出て息抜きをして来た。
ましてや、睡眠時間を極端に減らしているという事も無い。
何故なら自分の健康管理は、一緒になったフィーがしっかり面倒みてくれているからだ。
食事を抜いたり寝ずに仕事をしようものなら、問答無用で彼女の説教が待っている。

「さっきまで何ともなかったのになぁ……」

少なくとも、城下から戻って来るまでは何ともなかった。
戻ってからも仕事はしていたし、別段具合が悪いという自覚も無く、いつものようにフィーと一緒に食事もした。
万が一食べた物が悪くなっていたのならフィーも何か言って来そうなものだが、その気配もない。

しばらく椅子に座ったまま目を閉じて身体を休めていたのだが、サッパリ良くなる気配が無かったので、諦めてアーサーは執務室を出た。



寝室に向かう途中で、談話室で本を読んでいたフィーに声を掛ける。

「悪い……フィー、先に寝(やす)ませて貰うよ」
「どうしたの?具合でも悪いの?」

本を閉じ、心配そうに眉を寄せたフィーに、アーサーも首を傾げて見せた。

「判らない。何も思い当たる事は無いんだけど……ただ少し眩暈がして……酷く眠いんだ。疲れてるのかな」

アーサーの額にフィーが手を当てる。
ぼんやりした意識に、少し冷たい彼女の指先の感触が心地いい。

「働き者の領主様は結構な事だけど、それで体調を崩していたんじゃ意味ないわよ。
 後で様子を見に行ってあげるから、とりあえず温かくして眠っていらっしゃい」
「ん……」

返事とも言えないような返事を残し、アーサーは談話室を後にした。




『何なんだろう……身体がまるで鉛にでもなったみたいだ』

何とか寝室に辿り着くと、アーサーは着替えもせずにそのまま寝台に倒れこんだ。
全身を蝕む倦怠感と関節の痛みは、間違いなく発熱によってもたらされるものだろう。
だが、いつかと違い雨や冷たい風に当たった憶えはない。ましてや風邪を引くほどの水を浴びた憶えも、勿論溺れた憶えもない。

『…… 一眠りしたら、少しは楽になるのかな』

指一本動かすのも億劫だった。
全身の力を使うくらいの気力でようやく両の瞼を閉じる。


アーサーが完全に意識を手放してしまうまで、数分もかからなかった。









―――あれ……?


気が付くと、アーサーは見覚えのある高台の草原に立っていた。
ヴェルトマー城に程近い、城下を一望出来る場所だ。見晴らしが良いので、気に入って何度も足を運んだ事がある。

そういえば先程の異様な眠気と、身体の重さは何だったのだろうか。
コキコキと首や腕を動かしてみるが、特におかしな箇所があったり、痛みがある訳でもない。


―――夢でも見てるのかな。


自覚は無いが、どうもそんな気がする。今頃生身の自分は、泥のように眠っているに違いない。


夢だと割り切った上で、改めて周りを見る。
目に見える風景は良く知っている物だったが、いつもは賑わっている大通りや広場に全く人気が無かった。
露店の主人も、掛け声の豪快な女将さんも、元気に走り回る子供たちの姿も無い。

動くものなど一つも無い視界の中で、だがアーサーは、こちらに背を向けてポツンと立つ人影が在る事に気付いた。


―――あれは……


自分とそう変わらない背格好。
炎を思わせる紅い髪を風に靡かせ、青年がゆっくりと振り向く。


『やあ』


穏やかな笑みを浮かべたその人は、肖像画の中で微笑む父と同じ顔をしていた。







―――やっぱり、父さんだったんだ。

『元気そうだね。安心したよ』


何気なく話しかけて、ハッとする。夢とは言え、父と直接会話するのは初めてなのだ。
以前その姿を目にしたのは、転移魔法の際の時間と空間の狭間―――姿を見、声を聞く事は出来ても、会話する事は出来なかった。
だがその父が今、目の前に居る。
兄弟と見間違うほど歳の変わらない父と相対するのは、何だか不思議な気分だった。


『大きくなった君と、一度こうして話してみたかったんだ。
 僕が傍に居られなくなった時、君はやっと一人で歩き始めたばかりで、まだ
会話らしい会話は出来なかったから』

―――そうでしたね。そして、ティニーはまだ生まれていなかった。
     二人目は女の子だったんですよ。知ってましたか?


父は、小さく頷いてみせた。


『多分女の子だと思うとティルテュが言っていたから……こうして身体を喪ってしまってからは、傍でずっと見ていたけど。
 勿論、君の事も見ていたよ』

―――傍でずっと?俺もティニーもユリアみたいな力は無いから、全然気付かなかったなぁ。

『知っているよ。ティルテュが亡くなった時の事も、君がティニーの事を知って旅に出ると決めた時の事も、君とティニーが再会出来た事も。
 
シレジアの外れで、レヴィンの娘と偶然出会った事もね』


フィーと出会った時の事を話題にされて、照れ臭そうに鼻を掻く。


―――まさかフィーがシレジアの王女様だとは思わなかったから。知った時は、流石に驚いたよ。


偶然レヴィンを見掛けて動揺したフィーから直接話を聞かないままだったら、一生知らないままだったかもしれない。
それほどフィーは、当初自分の事を話そうとはしなかった。


『昔のレヴィンを知っている僕には、一目で判った。彼女は、若い頃の父親によく似てる』

―――らしいね。オイフェさんもシャナン王も、あのフィンさんでさえそう言うんだよな。


だからこそ出会ったばかりの頃のフィーは、父親であるレヴィンの事を恨んでいた。憎んでいたと言ってもいい。
顔立ちも気性も良く似ているが故に、鏡に映る自分の顔を見るだけで、母と自分達を捨てた父親の事を思い出したからだ。
長い旅を終える頃には、『少しは理解出来るようになった』とは言っていたが。


『君が幸せそうで良かった。良い女性(ひと)と巡り会えて良かったね』

―――レヴィンが舅になるって気付いた時には、どうしようかって思ったけど。


冗談めかした言葉に、『君のそういうところはティルテュに似ているよ』と父が笑った。


『……ここから見る眺めは、昔とちっとも変わってない。この街並みも、バーハラへと続くあの道も』

―――此処が昔のままなのは伯父上のお陰です。
     伯父上はグランベルの皇帝になった後も、遠く離れてしまったヴェルトマーをずっと気に掛けていた。
     だから領民は今でも伯父上の事を慕っているし、甥である俺の事も認めてくれる。
     若い頃の父さんの事も、みんな驚くほどよく憶えていたよ。


苦労が全く無かった訳ではない。
だが少なくとも、伯父も父も領民には好かれていた。
その伯父や父の血を引く自分ならと―――彼らは懐に迎えてくれたのである。
ヴェルトマーの血族とは名ばかりで、右も左も判らなかった自分が何とかやってこれたのは、間違いなく伯父と父の人徳のお陰だった。



『僕や兄上の分まで、君に苦労をかける―――すまない』


言葉にはしなかったアーサーの苦労を察し、父の眉が曇る。

もしも自分が生きていたなら。
もしも兄が生きていたなら。
子供達にこんなに重い責任と義務を負わせる事は無かったであろうにと。

父の生前を知る人は、皆が口を揃えて『優しい人だった』と言う。
自らが負う筈だった重責を息子一人に背負わせている事が心苦しいのだろう。
だからアーサーは、殊更明るく笑って見せた。


―――謝らないで下さい。俺は自分の意思でヴェルトマーを継ぐ事を決めた。誰に強制された訳でもない。
     確かに楽じゃないけど……俺は一人じゃないから。大変な事だって色々あるけど、結構毎日楽しくやってるし。


一人ではいっぱいいっぱいになってしまうだろうが、今はフィーが傍に居てくれる。
苦労も彼女と二人なら、笑って乗り越えて行く事が出来た。


『今の僕が、君の為にしてあげられる事はそう多くない』


父の手が伸び、軽く胸に触れる。
その行為が何を意味するのか悟る前に、不意にゆらりと周囲の光景が歪んだ。覚醒しようとしているのだろうか。
 

『僕も兄上も、君にはとても感謝してる―――ありがとう』


噛み締めるように父は呟いて。
夢から醒める直前、アーサーが最後に見たのは、別れの挨拶のように手を振る父の
姿だった。








目を開けると、カーテン越しの淡い陽の光が目に入って来る。
差し込む光の角度からして朝陽のようだ。
やけに眩しく感じるのは気のせいだろうか。

身体を起こそうとして、腹の辺りに重さを感じる。
首だけ動かして見ると、フィーがもたれ掛かってウトウトと微睡んでいた。

「……………フィー?


自分を呼ぶ声に、寝台にうつ伏せて眠っていたフィーが弾かれたように身体を起こす。
横になったままきょとんと自分を見るアーサーと目が合い、ホッと大きく息をついた。

「良かった…やっと目が覚めたのね!」
「やっと?僕、そんなに長い間寝てた??」

よいしょ、と寝台に身体を起こすアーサーに手を貸しながら『何を呑気な』と、呆れたようにフィーが呟く

「貴方、先に寝(やす)むって言ったきり、三日間も眠り続けてたのよ。
 信じられないくらい熱は高いし…… 一時は、本当にどうなる事かと」
「ええ、三日!!?そんなに!?」

三日も太陽を見ていなかったのだから、道理で陽の光を眩しく感じる筈だ。
そう言えば一晩眠っただけにしてはやけに身体の節々が痛い。
高熱を出していたせいもあるが、ほとんど身動きせずに眠り続けていたのも原因の一つなのだろう。

「心配かけてゴメン。でも、もう大丈夫だから」


『ほら』と言いながら肩を回してみせる。少々寝過ぎて身体が痛いが、ちゃんと起きて数時間もすれば治る筈だ。
だが寝台に半身を起こしたアーサーを正面から見たフィーの顔色がサッと変わった。
あってはならない物を見たような顔だったので、ギクリとしたアーサーが自分の顔に手を触れる。


「どうかした…?何かついてる??」
「アーサー……貴方の目……」
「目?」

ドレッサーに置かれていた手鏡を渡され、自分の顔を映す。

そこには見慣れた銀の長髪と―――見覚えの無い赤い瞳をした、自分の姿が映っていた。
そして僅かに肌蹴た胸元には、薄っすらと浮かび上がった赤い痣。

「これ―――まさか、ヴェルトマーの……?」


亡き父や伯父、そしてユリウスとも良く似た赤い瞳。
正確には赤み掛かった明るい紅茶色なのだが、
髪と同じく炎魔法ファラフレイムを司るヴェルトマー家の人間に多く見られた特徴であった事から、『炎の色』と称される事もある。
そして高熱に倒れるまでは無かった筈の、左胸に浮かぶ赤い痣。
文献で見たファラの紋章は、直系の左胸に鮮やかに炎のように浮かび上がるという。

自分も妹のティニーも母方のフリージ家の体質を強く受け継いでいた為に、
今に至るまでヴェルトマー家の特質は出て居なかったのだが―――これは一体、どういう事なのか。


「この痣……お兄ちゃんやお父様は左腕に出ていたけど―――でも、何で今になって……」
「判らない―――判らないけど、これってやっぱりファラの聖痕……なんだろうな」


形や色は勿論異なる。
だが父と兄が風使いセティの直系であったフィーは、アーサーの身体に浮かび上がった痣が何を意味しているかすぐに理解した。
彼女もアーサーと共にヴェルトマー家を支える為に、残された膨大な文献に目を通している。
その中でファラの紋章についての記述を見る機会があったのだろう。彼女の至った結論は、アーサーと同じだった。


「風使いセティの聖痕は左腕に出るのか……そういや、ブラギの聖痕は右の手の平だったな」
「うん、肘より少し下にね。
 袖を捲ると見えるから、聖痕が出てからは腕を隠す服を選んで着てたわ」


今はその必要も無いのだが、かつてシグルドに味方した者とその子の多くは、聖戦士の直系である事を隠して暮らしていた。
アレスのように自分の出自を堂々と名乗っていた方が寧ろ珍しかったのである。
コープルは右手の平という判り易い場所に聖痕が現れるので、
物心つくまでは養父のハンニバル将軍が必ず手袋をさせて人前に出していたのだと後で教えて貰った。


「どういうことなのかしら……貴方は確かにファラの末裔だけど、神器を受け継ぐ直系ではないわ。
 それとも今になって、その素質が目覚めたとでも言うの?」


神器を受け継ぐ直系の多くは、幼児期にその証である聖痕が身体の何処かに現れる。
聖痕が現れる場所はそれぞれの一族で決まっていて、ファラは左胸なのだ。
稀にコープルのように生まれた直後から聖痕が現れる者も居るが、時にはその逆も在り得るのだろうか。
幼児期どころか少年期さえ過ぎ、青年と呼ばれる歳に達してから新たに直系の血筋として覚醒するなどと言う事が。

「……多分僕は、『神の力』を次代に受け渡す為の器なんだと思う。
 以前トラキアでレヴィンが言ってただろう?聖戦士の直系は、子を残さずに死ぬ事は許されないって」
「―――ええ」

フィーが頷いてみせた。


あの時の事はよく憶えている。
トラキアを数十年に一度の周期で襲う風土病。その蔓延期に、運悪く解放軍はトラキアに滞在していた。
放置すれば解放軍の中核を成す聖戦士の末裔達も感染し、犠牲者を出していてもおかしくなかった。
辛うじてその脅威を脱する事が出来たのは、命掛けでリザーブの杖を持ち帰った兄セティと、その杖で病を鎮めたコープルのお陰である。

死の病に瀕したトラキアの民を救いたいと、コープルは父に訴えた。兄はそのコープルに賛同した。
だがその二人に対して父レヴィンが口にしたのは―――聖戦士の直系は血を残さずに死ぬ事は許されないのだと言う事実だった。
つまり次の世代の神の器を生み出す事が直系の義務であり、責任であると父は言ったのである。


「だけど父も伯父上も既に亡く、ヴェルトマーの血統で生き残っているのはユリアと僕とティニーだけ。
 でもユリアはナーガの直系としてバーハラに残る事を選び、ティニーは母の生家であるフリージ家を継ぐ事を選んだ」


だから唯一残ったアーサーがヴェルトマーの家名を継ぎ、新たな領主となった。
神器を受け継ぐべき直系でこそなかったが、ファラの末裔としてヴェルトマーの名を背負う事が、
早くに亡くなった父の代わりに唯一出来る事だと思ったからである。


自分がファラフレイムの継承者に選ばれたわけではなく、次代へ力を受け渡す器だと感じたのはあくまでも直感だが、
一つの理由としては胸に浮かんだ紋章がごく淡い物だったからだ。
セティやコープルの持つ聖痕は、比べ物にならない程鮮やかに浮かび上がっていた。

夢から醒める直前父の手が胸に触れたのは、この紋章を亡き伯父に代わって自分へと譲り渡す為の儀式のようなものだったのだろう。


「まぁ、何にせよ回復してくれて良かったわ。あと三日なのよ」
「は、三日?えーと……」

何かあったっけと、頭の中に予定を思い浮かべる。
が、寝込んでいた三日間が丸々欠如しているので、その差分を埋めるのに少々時間がかかった。
やがてカチリと、パズルが組み合わさるように予定と日にちが合致する。

「あ……そうか。僕が倒れてから三日、さらにその三日後って事は……」
「そう、三日後がアルヴィス様の命日よ。貴方が当日、お墓に参りたいって言ったんですからね。
 本調子じゃないのなら三日後にちゃんと出掛けられるように、体調を整えておきなさい」

フィーに軽く額を押され、まだ完全に本調子ではなかったアーサーは、踏ん張れず再びポフンと枕に頭を埋めた。






三日後、すっかり元気になったアーサーは当初の予定通り伯父の墓所を訪れていた。


出掛けにフィーに急用が出来たので、一足先に一人でやって来た。
片付き次第急いで来ると言っていたから、半〜一刻(一〜二時間)程で合流出来るだろう。

ヴェルトマー城に程近い墓所は、歴代当主とその一族が眠る場所だ。今は此処に、亡き父と母の墓碑も並べて作ってある。
領主一族の墓所とは言え基本的に出入りは自由なので、時折義理堅い領民が花を手向けに来る事も珍しくない。
だから伯父の墓の前に立つ人影を見ても、アーサーは然程驚かなかった。


それは若い男だった。
肩口で長めに切り揃えられた紅い髪が、ゆっくりと風に靡いている。
やがて気配に気付いたのか、男が顔を上げ、アーサーを振り返った。




「ヴェルトマー公爵、アーサー卿でいらっしゃいますか?」

こっちが誰だと問う前に逆に確かめるように尋ねられ、『ええ』とアーサーが頷く。
怪訝そうなアーサーの表情に気付き、青年がやんわりと笑みを浮かべた。

「失礼しました、私はサイアスと申します。
 先代のアルヴィス卿には亡くなった母が大変お世話になりましたので、発つ前の最後のご挨拶に、墓前に参らせて頂きました」
「旅に出られるのですか?」

アーサーが問い返すと、『旅とは少し違いますね』と彼は答えた。

「辺境にある神殿に参るのです。
 これより先、一生妻帯せず、子を成さず、残された人生の全てを神に捧げて暮らす誓いを立てました。
 恐らくこれが、外の世界を見る最後の機会になるでしょう」

サイアスは跪くと、伯父の名が刻まれた白い墓碑に手を触れた。
それが別れの挨拶
だというように。

「それはまた……まだ、貴方はお若いのに。僕ともそう違わないでしょう?」

アーサーの漏らした素直な驚きの言葉に、サイアスはフッと不思議な表情を浮かべた。
何処か達観したような、ただ穏やかなだけではなく、人生の苦難を乗り越えた者の強さを感じる。

「外の世界での、私の役割は終わりました。
 この上は亡き父と母の遺志を継ぎ、長きに渡った戦で命を落とされた方々の冥福を祈る事が私の務め。
 私一人の祈りでどれ程の死者の魂を安らかに出来るかは判りませんが、神の教えに耳を傾け、残された時間を生きようと思います」


伯父の墓碑を見詰めるサイアスの横顔に、アーサーは既視感を憶えた。
炎を思わせる見事な赤い髪、そして陽の光を映す紅茶色の瞳―――それが全てではないが、明らかに彼からは自分と同じ『血』を感じる。

「サイアス殿……貴方はもしや、伯父に―――先代のアルヴィス様に縁のある方では?」


何が、と言える根拠は無い。
だが敢えて言うとするならば、表情はずっと柔和だが、面差しがアルヴィスに似ているような気がするのだ。
自分は壮年となった伯父の顔しか知らないが、自分の知る伯父を二十ほど若くしたら目の前の青年のようになるのではないだろうか。

アルヴィスの妻は、後にも先にもディアドラ皇女唯一人。
子は今は亡きユリウスと、バーハラ王家に残ったユリアだけの筈だ。
―――だがもしも本当に、伯父が皇女を娶る以前に子を成していたとしたら……?


雑貨屋の老主人が言っていたではないか。偶然見かけた青年が、若い頃の伯父に驚くほど良く似ていたと。
恐らく老主人はこのサイアスを見掛けたのだろう。
その話を聞いたのはつい数日前。
世に知られていない伯父の子が居るのではないかと考え、捜してみようと思った矢先―――原因不明の高熱で三日三晩寝込んでしまったのだった。

聖戦士は互いの存在を、理屈ではなく心で知る。血が呼び合うのだ。
この不思議な巡り合せが偶然ではないとしたら―――?

だが、サイアスは微かな笑みを浮かべただけだった。


「……私の役目は終わったのですよ、アーサー卿。
 一度は地に堕ちたヴェルトマーの家名を、貴方が敢えて負う事を自ら選んでくださった、その時に。
 ヴェルトマー家の直系の証―――炎の紋章は、既に貴方の胸にある」


ハッと、アーサーが自分の左胸を押さえる。
其処には先日の高熱の後、薄っすらと浮かび上がった痣が確かに在った。
ヴェルトマー家に残されていた文献でしか知り得なかった―――炎の紋章が。


「実はしばらく前から、こちらに滞在していたのです。その間に、貴方と奥方の噂を領内のあちこちで耳にしました。
 お二方共、よく領民に慕われているようですね」

耳に入る領主夫妻の噂は、どれも好意的なものばかりだった。

孤児を引き取って世話をしている修道院を定期的に訪れ、援助していること。
大雨による増水で橋が流された際、アーサー自ら率先して橋の修理に精を出していた事。
夫人のフィーは炊き出しの指揮を取り、復興作業に駆り出された男たちの労を労った事。
アーサーも夫人もよく城下に出ては気さくに領民と言葉を交わし、領民の口にする些細な愚痴や提案に真摯に耳を傾けている事、などである。

「……どうなのかな。慕われてるとか、そういう事は良く判らない。
 僕は確かに父の子だけど、物心付く前に修道院に預けられて育ったから―――『らしく』しようと思っても、どうあるのが理想的な領主の姿なのかが判らない。
 だから今は、自分のやりたいと思う事を素直にやってるだけです。
 橋が流されたら皆が困る。だから直すのは当たり前だし、人が何を望んでるのか知るのは、直接話を聞くのが一番でしょう。
 孤児たちが身を寄せ合って生活している修道院に援助をするのは、僕自身が同じ境遇で育ったからです。
 皆からすれば話し易い領主として親しまれているのかもしれないけど、これでいいのかどうかは……正直、自信がありません」

もう少し、威厳を持って接した方がいいのではないか。
領民と同じ目線で物事を考えるようにしているが、それで本当に領民の為になる領主として務まっているのか、今でも時々不安に思う。
歳若い公爵の素直な言葉に、サイアスは小さく頷いて見せた。

「爵位を継いだこの一年、貴方達は懸命にこの地と、この地に生きる人達の為に尽くしたでしょう。
 大きな声でわざわざ吹聴しなくとも、領民たちは貴方たちの示した誠意をちゃんと見ています。
 領民から寄せられる信頼を誇りになさい。領主にとって、領民の信頼は何にも代え難い財産ですから」


アーサーは、サイアスの言葉に背を押されたような気がした。

今までただがむしゃらに、毎日を必死に生きてきた。
何が正しいのか、それすら判らないまま、自分が良いと思うと事を進んでやって来ただけだ。
たった一年で結果が出るとは思っていない。
せめて自分が人生の終盤に差し掛かった時、『あの人が領主で良かった』と誰かに言って貰える人間になっていたかった。

自分は間違っていなかったのか。
利口なやり方はではなかったかもしれないが、フィー共々、これで名実共にヴェルトマーの人間になれたと思ってもいいのだろうか。


「アーサー卿、どうぞお忘れなきよう。貴方は次代に力を受け継ぐ為だけの器ではない。
 器である事だけを望むのなら、バーハラに残られたユリア皇女だけでも事足りた。
 だが敢えてヴェルトマーの名を戴く事を選び、その上で貴方と夫人がヴェルトマーの民に受け容れられたのは、貴方達自身の努力の賜物なのです」
「……ありがとうございます。少し、領主である自分に自信が持てました」

誰かに評価して欲しかった訳ではない。
だがはっきりと言葉に出して『それでいいのだ』と言って貰えた事は、確かに大きな励みとなった。

「この地に生まれ育った亡き両親も安堵している事でしょう。私も、これで何の憂いも無く此処を発つ事が出来る」

サイアスは立ち上がると、深く礼をした。

「そろそろお暇させて頂きます。
 もうお会いする事もないでしょうが、どうぞいつまでも奥方と仲睦まじく、お健やかに」
「サイアス殿も、どうかお身体を大切になさってください。
 これが最後などと言わず、いつかまた此処でお会いしましょう。伯父もきっと喜びます」

差し出されたアーサーの手を、サイアスが一瞬見遣る。そして―――

「……ありがとうございます。
 確かなお約束は出来ませんが、機会がありましたら、また此処で」

しっかりと握手を交わし、紅い髪の神父はその場を立ち去った。





「アーサー!」

しばらくしてやって来たフィーに、アーサーは手を上げて応えた。

「遅くなってごめんなさい。思ったより時間が掛かってしまって……あら、このお花……アーサー、貴方が持って来たの?」
「いや、違うよ。僕じゃない」

小さな赤い花束が、墓地の外れに作られた古い墓碑に捧げられていた。
この辺りはヴェルトマー家の血族ではなく、ヴェルトマー家に特に忠孝篤かった将や騎士が特別に葬られている一角である。
決して数は多くは無いのだが、各当主がそれぞれの時代に一人か二人、生前の感謝を込めて此処に埋葬する事を許可していた。

花束が置かれていたのは、古いと言ってもその中では最も新しく作られた墓碑だった。

「アイーダ将軍……亡くなられたのは十年以上前ね」


―――我が片腕にして、ヴェルトマー家に最も忠誠篤い騎士の死を心から悼む。


墓碑には、伯父アルヴィスの名と共にそう刻まれていた。

アイーダと言う名の将軍は、伯父の遺した記録で目にした事がある。
若き日の伯父の政務を助け、戦場においては伯父に代わりロートリッターの指揮を一任された女将軍―――だった。
存命であれば四十過ぎの筈である。
バーハラの悲劇から間も無く、身体を壊した事を理由に将軍職を辞した事になっていた。
それから僅か十年足らず、三十前後で亡くなったらしい。


「今でも花を手向けてくれる人が居るなんて……一体、どんな方だったのかしらね」
「他の誰よりも、伯父上が信頼を寄せていた人だったんだろう。もしも―――」



―――もしもマンフロイが、伯父とディアドラ皇女を引き合わせていなかったなら。
あるいは彼女が伯父の妃となって、跡継ぎを産んでいたのかもしれない。

だが、彼女は選ばれなかった。
伯父がディアドラ皇女を娶る事が正式に決まった事で、自分の存在を重く感じないよう、自ら身を引いたのだ。
ヴェルトマー家を去った彼女の身には、既に伯父の子が宿っていたのだろう。
恐らくはファラの聖痕を受け継ぐ直系の子―――サイアスが。


『私の役目は終わったのですよ、アーサー卿。
 一度は地に堕ちたヴェルトマーの家名を、貴方が敢えて負う事を自ら選んでくださった、その時に』


本来責を負うべき直系であるサイアスが名乗り出る事を躊躇っている間に、傍系のアーサーが自らヴェルトマーの家名を戴く事を選んだ。
暗黒教団の跳梁を赦し、ロプトウスの化身であるユリウスを生み出したヴェルトマー家は、聖戦士の末裔といえども深い罪と業を背負った。
長引く戦乱に親兄弟を喪い、暗黒教団に子や孫を奪われた人々は、簡単にはヴェルトマーの一族を赦してはくれないだろう。
アーサーは後ろ指を差され、悪し様に罵られる事も覚悟で爵位を継いだのだ。

だからこそサイアスは一生妻帯せず、子を成さず、残された人生を神に捧げると誓いを立てたのではないだろうか。
直系としての責を果たせなかった自分の血筋から、次の世代が出ないように。
棘の道を歩む事を厭わなかったアーサーの血こそ、後継者として残すべきだと―――


サイアスがファラの直系として血を残す事を放棄する誓いを立てた事でアーサーの身に聖痕が現れ、
ヴェルトマーの血の証とも言える赤い瞳を授かったのだとしたら、一連の出来事にも納得がいく。
それでも恐らくファラフレイムを継承する事は出来ないだろう。
真に直系が受け継ぐべきそれと比較して、アーサーの身に浮かんだ痣は明らかに薄かったから。

高熱にうなされていた夢の中、父は言った。『自分に出来る事はそう多くない』と。
それでも父は新しいこの瞳を与えてくれた。
胸に宿ったファラの聖痕は、サイアスの意思を知った上での伯父からの餞だったのかもしれない。



「もしも……なに?」

口に仕掛けて黙ってしまったアーサーの顔を覗きこみ、フィーが首を傾げる。


「いや……もしも、この人が今も生きていたなら、伯父上や父さんの事が聞けたかなって」


サイアスの事は一生口外すまい。
この墓碑に名を刻まれた女性がそうしたように、このまま沈黙を守り、ヴェルトマーの家名を背負って生きる事が自分の役目だから。


「―――この花を手向けた人の代わりに、また来ます。
 貴女の愛した故郷が明日も穏やかであるよう、伯父上と共に天上から、どうか見守っていてください」


真っ直ぐに背を伸ばし、晴れ渡った空を見上げる。
長く伸ばした銀色の髪を靡かせ、アーサーはそっと風に乗せるように呟いた。

                                                                         【END】


あとがき

聖戦祭を始めるにあたってごっそり描いたカップルイラスト。
親世代は比較的イメージしたままとか、凡そ公式設定で描いているんですが、子世代は色々とアレンジも加えてまして。
その最もたるのが、親からの遺伝による瞳の色やら装飾品(ピアスなど)の違いです。
目立つ髪の色は流石にゲーム画面で見られるものと大きく変える訳にはいかないので、小技で勝負(笑)

公式とあまり変わらないキャラも多い反面(特に神器を継ぐ直系は、直系であるが故に強く遺伝の作用を受けるので、
片親が誰であってもその一族特有の容姿を受け継ぐという事になっています。例→セティ、ファバル)大きく親の影響を受けたのがこのアーサー。
アーサーは公式設定ではティルテュと同じ銀色の髪(…つか、本当は何色なんでしょうね・笑。
灰色とか紫の髪と表現するのもアレなので、ウチでは銀髪って事にしてますが)に紫色の瞳なんですが、
カプイラストを描き起こす際に、瞳を父親のアゼル譲りの赤い色=紅茶色にしました。
…が、今までに何本か書いているアサフィーSSの中で、既に『アーサーの目は紫色』とがっつり書いてしまってまして(^_^;)
アーサーの目が紫から赤に変わった理由を考えている内に今回のお話が出来上がった次第です。

ちなみにサイアスというのは、トラナナに登場するれっきとした公式キャラクター。
正真正銘、聖戦の五章で登場したヴェルトマーのアイーダ将軍の息子であり、尚且つファラの直系です。
父親が誰かは推して知るべしと言う事で。(ゲーム中では明らかにされなかった筈…)
冗談のような支援効果を背負い、フィールド上に存在する味方ユニットの回避率と命中率を夢のように引き上げてくれる高司祭様なんですが、
敵ユニットとして数回登場。いやもう本当に泣かされたよ……(T_T)
彼はある手順を踏めば味方にする事も出来るんですが、よりにもよって
あのセティと二者択一(勿論フォルセティ持ち)なんですね(笑)
…と来れば、この私がセティを選ばない筈無いじゃないですか!ちなみにトラナナは異様に難しいので、一回しか全クリアしてません。
従って実際にサイアスを仲間にした事はないのです〜(^_^;)
神風特攻魔道士と、味方にしたら凡人に毛が生えた程度の支援効果になってしまう高司祭を二択にされて、
(しかもあの難易度の高いゲームで)何の躊躇いも無く神風特攻魔道士を切れる人が居たらお目にかかりたいッス……

                                                                               麻生 司

2007.3.8


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