「父さん、苦しい?もうちょっと辛抱してね。今、お兄ちゃんが先生を呼びに行ってるから」

ヒヤリとした感触を額に感じ目を開けると、パティが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
どうやら眠っている間に、額を冷ます為の手布を濡らしてきてくれたらしい。
熱は―――残念ながら、あまり下がったような気はしなかった。






旅立ちの日







微熱を感じ始めたのが十日ほど前。
それが本格的な発熱になり、起きていられなくなったのは三日前の事。
以来、家の中の事はパティが、今まで俺が請け負っていた様々な仕事の内、出来そうなものを選んでファバルがやってくれている。

酒場の雇われバーテン…は、流石に子供にやらせる訳にいかないから皿洗いとか掃除の下働きとか、用心棒のような事とか。
危ない事はするなって言ってあるけど、ファバルの奴、実力だけならとっくに俺より強いんだよな。
まだイマイチ人生経験が足りないから、辛うじて父親の威厳を保ってるんだけど。
弓を引かせたら、本当はもうこの辺りであいつに敵う奴なんて居ない。
まさか十二の息子に養ってもらう羽目になるとは……全く、不甲斐ないったらありゃしないな。


「ごめんな。子供達の世話だけで大変なのに、父さんまで寝込んじゃってさ」
「父さんは働き過ぎなんだよ。
 あたしとお兄ちゃんだけじゃなく、長引く戦で親を亡くした子供たちまで引き取って……
 皆を養う為に、寝る暇まで惜しんで働きづめじゃ倒れても当たり前。
 自分で思ってるほど若くないんだから、もう無理しちゃ駄目だよ?」
「はははは……面目ゴザイマセン」


若くないって……俺、まだ二十八なんですけど?
二十八で年寄り扱いされるなら、三十路に突入した日にゃ何を言われるか判ったもんじゃない。
さらりとキツイ事を言うのは、やっぱりブリギッドに似たんだろうか。
しかもワザとじゃなく、あくまでも素で。
まあ、そんなサバサバした、竹を割ったようなオットコマエな気性に惚れたんだけどさ。


パティは、十歳になったばかりの俺の娘。ファバルはパティより二つ歳上の俺の息子。
ブリギッドは……俺の奥さん。ちょっとだけ、姉さん女房だ。
今は理由あって、ブリギッドは此処には居ないんだけど。
ウチには他にも、小さな子供が五人居る。皆、親を亡くして路頭に迷っていた子供たちだ。
出会ってしまったのも何かの縁だと、生活が苦しくなるのを承知で引き取った。

あのまま年端も行かない子供たちを、守る者も無く一人で生きさせたら、いつか昔の俺みたいになっちまう―――
そう思ったら、どうしても放っておけなかった。
最初の一人――生まれて間もない赤ん坊だった――を連れて帰った時、三つになったばかりのパティを抱いたまま、ブリギッドは目を丸くした。
驚いてはいたけど、反対はしなかったんだ。孤児を引き取る事を。

ブリギッドはうんと小さい頃、事情があって本当の親元から離れて、海賊の頭の娘として育てられた。
だから判っていたんだと思う。
子供にとって親は必要なものであって、例え血が繋がっていないのだとしても、親と呼べる存在がどれだけ大事であるか。
驚いて目を丸くしても、どんどん血の繋がらない子供たちが増えていく事に呆れても、
彼女は子供たちを引き取る事を決して反対しなかった。


「それにしても、大人ばっかり重症になる流行病なんてねぇ…客商売なんて仕事柄、伝染ちゃっても仕方がないけど」

温くなった額の手布を手桶の水に浸しながら、パティが呟いた。

そう―――今この辺で流行してるこの病は、子供が罹っても大した症状は出ず、何故か大人の方が重症になるらしい。
子供はせいぜい数日微熱を出す程度でケロッと治るのに、大人ばかりが症状が重くなってバタバタ倒れてるんだと、診てくれた医者に言われた。
……余計な心配させるからパティ達には言ってないけど、回復せずそのまま亡くなった人も大勢居るらしい。

俺はまだ若いし、簡単に死ぬとは思ってないけど、なにせ世の中こんなご時勢だ。
普通に暮らしてたって流れ矢に当たって死ぬかもしれないし、いつこの村だって性質の悪い山賊どもに荒らされるか判ったもんじゃない。
だからいつでも死は覚悟してるし、子供たちにもそう教えて来た。
いつ何時、どんな事情で子供たちだけで生きていく事になるかもしれないから、自分の身は自分で守れるようになれと。

―――それはあくまでも万が一の備えとしてのつもりだったんだけど。

俺を診てくれた先生は、同じ流行病で死者が出ている事を、子供たちが傍に居ない時にこっそり教えてくれた。


『手は尽くすが、確実に治るという保証はない。
 小さな子供たちの親である、まだ若い貴方にこんな事を言うのは残酷だとは思うけど。
 少しでも心残りを減らせるよう、大切に時間を過ごしてください』


……それが、熱が上がって動けなくなった三日前。
以降、悪くはなっても良くなっている気はしない。

俺は元々、くよくよする性質じゃない。
死ぬのが怖くない訳じゃないし、可愛い子供たちと(行方不明だけど)奥さんを遺していくのも、心残り有りまくりだけど。
少なくとも『死』というものを冷静に受け容れられるだけの覚悟とか経験は、十年前にとうについてる。

地獄になったあのバーハラからブリギッドを探し出して逃げ切った時、俺は生きてるのが奇蹟だと思った。
だからそれからの十数年も、あの時運良く拾った命のオマケみたいなもんだと思ってる。
毎日毎日を楽しく、笑って生きていこうって決めた。
今日も一日良い日だったって言える毎日ばかりなら、いつ死ぬ事になってもきっと後悔しないから。

だからって『今直ぐ死んでもいい』なんて思えるほど、俺はまだ歳食ってない。
ファバルが可愛い嫁さん貰って、パティが俺よりイイ男の嫁さんになって、
ブリギッドと二人で孫たちに『おじいちゃん、おばあちゃん!』って呼ばれるのが夢だし。
もっとも俺は十六で父親になったから、もし同じペースでファバルに子供が生まれたら、あと数年でじーさんなんだけど。

あー……なんか、また熱上がってきたかな。
間接痛くて、寝返りうつだけで全身ギシギシ言ってるよ。




「ねぇ、父さん?」
「んー…?」

熱のせいで、俺がぼへーっと天井を見上げたまま微動だにしないのが気になったのか、パティが話しかけてきた。
長話はキツイけど、話が出来ない程じゃない。
俺が返事をした事で、パティがホッとしたような表情を浮かべた。

「前から聞きたいと思ってたんだけど。父さんって母さんの、どんな所を好きになったの?」

パティの顔には、『わくわく』と書いてある。多分、後でファバルにも教えるんだろう。
この様子では、ずっと話を聞く機会を窺っていたみたいだ。
娘よ、親の馴れ初め話がそんなに楽しいか?

「どんな所って……そりゃ、全部だよ。
 母さんの全部を好きになったから、一生懸命お願いしてお嫁さんになって貰ったんだから」

サラリと言った台詞が余程意外だったのか、パティは一瞬、返す言葉を喪った。

「……あのさ、いい歳して、言ってて自分で恥ずかしくない?」
「だって本当の事だもーん」

伸ばした手で、ポムポムとパティの頭を撫でる。

「母さんは美人だし、頭は切れるし、何よりあのオットコマエな性格がもう最高。
 初めて母さんと会ったその時に……一生、この人について行こうって決めたんだ」



ブリギッドはバーハラ王家を除くグランベル六公爵家の一つ、ユングヴィ公爵家の長女であり、次期当主でもあったけど、
同時にオーガヒル一帯を根城にする海賊の頭目でもあった。
貧しい人々からは決して略取せず、暴利を貪り私腹を肥やす悪徳商人を襲っては、近隣の村に奪った金を還元する『義賊』だった。
彼女と、彼女の養父が守った『義賊』の名を貶めない為に、ブリギッドは自らその海賊団を解体してしまったんだけど……


「そういやパティは、小さい頃から母さんの昔の武勇伝を聞くのが好きだったなぁ」
「だって憧れなんだもの。女だてらにあーんな大きくて重い弓を引いて、大の男の人と喧嘩しても負けた事なかったでしょ?」

おいおい、イチイバルが『あーんなに重く』感じるのは、俺やパティがユングヴィの直系じゃないからだぞ。
ブリギッドやファバルに言わせれば、普通の弓を引くのと変わらないらしい。
そういやシグルドのティルフィングも、直系じゃないと鞘から抜けないとか言ってたっけ。

まあ、そんな話は置いておくとしても、娘が母親に憧れるのはよくある事かもしれない。
ただし憧れるポイントが容姿とか、オットコマエな性格だけでは無いのが難点で。
そう―――パティは『オーガヒルの義賊』と謳われた母親を、今でもずっと敬愛している。
それはブリギッドを嫁さんにした俺には嬉しい反面、パティの父親としては微妙な問題だった。


「パティ―――どっちかと言うとファバルは母さん似だけど、お前は父さんに良く似てる。
 あまり物怖じしないその性格や、手先の器用さも」

本当にここ一‐二年、血の繋がりって怖いなと思うようになった。
親子で顔かたちが似てくるのは当たり前だとしても、性格もこんなに似てくるのかって。
年を追う毎、日を重ねる毎に、パティは昔の自分にそっくりになっていく。
だからこそ、今釘を刺しておかないといけない。

「―――知っていたら身を守る役にも立つからと、盗賊の手口をお前に教えたけど……お前自身が盗賊になる事を選ぶんじゃないぞ?」
「……ん、判ってる。最初に教えてくれた時も、『知識として知っておけ』って、念を押されたもんね」

パティの視線が、ちょっと下がったのを俺は見逃さなかった。
やっぱり少しは盗賊になって稼ごうって考えが頭にあったらしい。
一応、考えただけで実行には移していないみたいだけど。

大事な娘を、自分と同じにしてはいけない。
それは親としての責任だった。



「パティ、お前も知ってる通り、父さんは昔盗賊だった。
 人様の懐から財布を掠め取らないと、生きていけない弱虫だったからだ」


ヴェルダンの田舎に生まれた俺は、今のパティの歳には両親とも死に別れて、毎日が飢えと貧しさとの戦いだった。
畑から野菜を盗み、市の人混みで山積された果物をくすね、時には裕福そうな奴の懐から財布を掏った事もある。
運悪く店先から林檎を失敬したのがバレて、数人がかりで袋叩きにされた事もあった。

―――そんな時だった。ボロ雑巾みたいになって路地裏に転がってた俺を、ジャムカが拾って城に運んでくれたのは。
傷の手当はきちんとされたし、食事が抜かれた事もなかった。
ジャムカは『盗みを働いたから捕まえたんだ』と言って城の牢に放り込んだけど、
それはこれ以上俺が盗みを働かないようにする為と、傷が癒えるまで人目から隠しておく為だった。
結局、ジャムカはエーディンさんを追っ手から守る事を条件にして、一緒に俺を逃してくれた。

シグルド達と一緒に行動するようになってからも、寂しい台所事情を理由に戦場で盗賊稼業は続けてた。
『まだそんな事をやってるのか、お前は!盗賊稼業から足を洗って、さっさと故郷に帰れ!』って、何度もジャムカに怒鳴られたっけ。
口煩いと思ってたそんな小言も、今なら少し判る気がする。
言葉はキツかったけど、あれは俺の事を心配してくれてたんだって事。


「『生きていく為』なんて理由をつけたって、世間は盗賊を認めてくれない。
 だから父さんは母さんと一緒になった時、きっぱり盗賊稼業から足を洗った。
 身についた手先の器用さを生かして、壊れたり失くしたりした鍵を開けた事はあるけど、お前達が生まれる前から盗みは一切やってない。
 何でだか判るか?」
「……ううん」

小さくパティが首を振る。
俺は手を伸ばして、ブリギッドそっくりの黄金の髪に手を触れた。

「だってさ、お前たちに好きな人が出来た時『お父さんは盗賊です』……なんて、格好悪くて言えないだろ?」

俺と同じ緑の瞳が、驚いたように瞬いた。

そんな事、きっとまだ想像した事もなかったんだろう。
だけどな、パティ。だからしっかり聞いて欲しいんだ。
手遅れになってしまう前に。
将来お前が、自分の選択を後悔する事がないように。

「昔盗賊だったっていう、過去は消せない。
 でも少なくとも、お前たちの父さんになると決めた時から、俺は盗賊を止めた。
 だからこの町の人達は、何となく父さんの過去に気付いていても黙っていてくれてるんだ。
 この町で暮らし始めて十数年、その間に勝ち取った信用が、辛うじて父さんの面目を保ってるって言ってもいい」

何の理由もなく、手先が器用な人間なんてそう居ない。
器用なだけなら生まれつきそういう人間も居るけど、鍵開けが得意なんて事になると、まず間違いなく盗賊稼業に手を染めた事があるって証だ。
もしかすると、村に居られなったかもしれない。
だけどこの村の人達は、俺の過去を察しても、詮索しようとはしなかった。
今の俺やブリギッドが、全うに働いて子供たちを育てようとしている事を判ってくれたからだ。

「勿論父さんの過去なんか気にしないで、お前自身を見てくれる人を好きになってくれるのが一番いい。
 だからこそお前は、絶対盗賊にはなるな。
 親が盗賊だったって話すのもしんどいのに……自分自身が盗賊だなんて、もっと言い難いだろ?」


『うん』と、パティは素直に頷いた。

どうか俺の言葉が楔になるように。
そしてお前が、悲しい思いをしませんように。
もしもこの先お前が望まぬ方向へと歩み始めたとしても、もう止めてやる事は出来ないから。

根拠など何もない。
だけど唐突に『もうあまり時間が無いのだ』と―――熱でぼんやりする頭で、俺はそう悟っていた。





その夜、俺の病状は更に悪化した。

ファバルが連れて来てくれた医者も、小さく首を振っただけだった。
先生はパティには気付かれないよう、こっそりファバルだけ連れ出して行ったから、恐らくもう俺が長くない事を話したんだろう。
戻って来たファバルは、可哀想なほど強張って、引きつったような表情を浮かべていた。


全く身体を起こせなくなって、更に二昼夜―――
パティは寝台の横に置かれた椅子に腰掛けたまま、こっくりと舟を漕いでいる。看病疲れだろう。
ファバルは小さな子供達を寝かしつけているのか、部屋の中に姿は見えなかった。


ああ、なんだろう。
なんだか凄く眠い。段々目も開けていられなくなって来た。
石になったみたいに、手も足も瞼も、何もかもが重い。

……もしかして、俺、本当にヤバイ?

このまま眠っちまったら、これっきり目が覚めないのかな。

まだブリギッドも見付けられてないのに。
俺が働かなきゃ、ファバルに小さな子供たちを養わせる事になる。
パティの可愛い花嫁姿を見るまでは、爺さんになっても絶対死ぬもんかって思ってたんだけど―――



『大丈夫よ。あの子達なら』

凄く近くに、懐かしい声を聞いた。
心が震えるような、躍り上がりたくなるような高揚を感じて辺りを見回す。
いや、身体は動かせなかったから、そう思っただけだったんだろう。
でも確かに俺は、振り返った先に焦がれ続けた微笑を見た。


ああ、なんだ。
ずっと其処に居たのか。
あちこち探し回ってたのに、とんだ灯台下暗しだったな。

……でも、数年前に行方知れずになったブリギッドがこうして目の前に居るって事は……

やっぱり、もうお迎えなのか。
てーか、お迎えがブリギッドって事は彼女も、もう……?
俺やファバルたちが、必死になって彼女を捜していたのは無駄だったんだろうか。

だけど、俺の考えを読み取ったブリギッドは小さく首を振った。

『正確に言うと、少し違う。あたしの身体はまだ死んではいないけど、魂は今、この世とあの世の狭間に在るから』

この世とあの世の狭間……?
それって、ブリギッドも相当ヤバイって事?

『今すぐ危ない訳ではないわ。
 それに、リーフも頑張ってくれているし』

リーフ……リーフって、あのキュアン王子とエスリンさんの下の子か。
確かレンスターで、フィンが養育してるって……

『そう。でも、今はね。まだ時が満ちて無いから』

ちょっと寂しそうに、ブリギッドは笑った。
時が来ていないから、今はまだ子供たちの所に帰る事も、俺と一緒に行く事も出来ないのだと彼女の目が言っている。

『だから最後まで一緒にはいけないけど、道案内はしてあげられる』

そっか……やっぱ、俺もうダメなのか。
もうちょっと、せめて四十過ぎくらいまでは平気かなと思ってたけど。
事故でも戦でも酒場の喧嘩のとばっちりでもなく、流行病で死ぬとは予想外だったなぁ。

でも、最期にブリギッドが迎えに来てくれたから、まぁいいか。
ファバルとパティ、それにまだ小さな子供たちの事は心配だけど……

『言ったでしょ、あの子達は大丈夫。
 子供達だけで残されて、そりゃあ苦労する事になるし大変な目にも遭うけど……あたし達の子だもの。
 どんな逆境にもめげないで、しっかり頼もしく生き抜いていくわ。
 あたしも貴方も、そういう風に育ててきたでしょ』

腕を組んだブリギッドが軽く片眉を上げる。
『これでもまだ何か言う事有る?』とでも言いたげなその仕草に、俺はフッと肩の荷が下りたような気がした。

『じゃあ、そろそろ行きましょうか。
 ―――パティが眠ってしまっている内に』





うん、と頷き、俺は起き上がった。
身体は寝台に横たわったままだったけど、俺の魂はするりと身体を抜け出し、ふわりと空に浮かび上がる。


パティ、最後のお別れだ。
悪いけど、ファバルにはお前からよろしく言っておいてくれ。
俺は、お前たちの父さんになって良かった。
楽な生活はさせてやれなかったけど、毎日ドタバタしてたけど、それでも父さんは楽しかったよ。
本当はもうちょっと一緒に居たかったけど……もう、行かなくちゃ。


柔らかい、母親そっくりの明るい黄金の髪にそっとキスをする。
するとまるで呼び覚まされたみたいに、緑の瞳がパチッと開いた。

「父さん?」

まだ少し寝惚けたままのパティの手が、横たわったままの俺の身体を揺すった。
その胸がもう鼓動を打っていない事に気付くまで、二呼吸ほど。

「ちょっ……嘘でしょ!?父さん、父さんッ!!」

サッと青褪め、まだ温かい頬を叩いたり呼びかけたりしたけど、目覚めない。
だって俺の魂はもう身体を抜け出てしまっているんだから。
事態を悟ったパティの瞳にみるみる涙が浮かび上がり、慌ててファバルや他の兄弟たちを呼びに行った。


ごめんな。最後に、可哀想な役回りをさせてしまって。
生きてお前たちの傍には居る事は出来なくなったけど、父さんはこれからも、こうしていつも見守っているから。


『行きましょうか』
『ん』

短く返事をして、差し出されたブリギッドの手を取る。

『なあ、ブリギッド。オイラや子供たちと暮らした十年近く、楽しかった?』

久々に耳にした懐かしい一人称に、振り返ったブリギッドが大きな目を瞬かせる。
そして微かに目を細めると、『勿論』と呟いた。

『毎日毎日、賑やかで笑い声が絶えなくて。
 親を亡くした子供達を引き取ってくるまで、まるで子供が三人居るみたいだったわ。
 世界は混沌として、生き易い時代ではなかったけど……ウチから笑顔が消える事は、絶対に無いって信じてた。
 楽しかったよ。そして、感謝してる』
『そっか。なら、いいや』


ニッと笑顔を浮かべ、俺は光のカーテンをくぐる。

思い残した事がない訳ではないけど、少なくとも俺の人生は悪いもんじゃなかった。
『楽しかった』と胸を張り、笑って言える。

それで十分だった。

                                                                     【FIN】


あとがき

珍しくちょっと物悲しいラストですが、これが初のデュー×ブリギッドSS。
ウチのデューはバーハラの悲劇は生き延びましたが、子世代に入る前に流行病で亡くなっている設定なので、そこを使ってみました。
デューの一人称が親世代とは違ってたり、ブリギッドとはどんな話し方?をしてるのかとか、色々悩むポイントはあったんですけど、
通常書かない一人称視点だったので、結構楽しかったです。最後に昔のままの『オイラ』を出せて良かった(笑)

ブリギッドは、この時点トラキアで石化中…の筈。『トラキア776』をやっていないと何がなにやらな設定ですが。
人として生きているとも言い難く、かといって死者と言うわけでもない。
覚醒していた時には喪われていた記憶も、枷となる身体を抜け出したら何の障害も無くなり、
夫の最期の旅路を導く案内人となったという事で。

                                                                           麻生 司

2006/08/03


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