あたしの上に降る歓声は、場末の酒場でも戦場でも大して変わらない。
少し違うのは、歓声を送る顔ぶれの中に貴族サマが混ざってるって事くらいかな?
何処かの国の王子様とか、公爵家の嫡男だとか、今までだったら話しかけただけで首が飛んでも可笑しくないような人達の前で、あたしは踊ってる。
歓声がただ歓声であって、下卑た野次が飛んでこないのは、そんなおエライ貴族様が同席しているからだろう。
その点だけは、ずっとありがたい。
あたしの踊りは、酔っ払いや男の目を楽しませるだけのモノじゃない。
だけど誰かに見て貰う事で、踊りが輝くのは事実。
だから、請われたら踊る。踊る事は好きだしね。
神様の前で踊る機会だって無い訳じゃないけど、そんな高尚なお努めが、あたしに回ってくる事なんか無い。
そんなお役目は、例えば王様の目に留まるようなとびっきりの美人とか、大金持ちの援助を受けた踊り子が推薦されるから。
あたしが見劣りするって事じゃないのよ?
肩書きだけで偉そうにしてる奴や、お金で顔を叩くような奴の為には幾ら頼まれたって踊らないから、いつまで経っても名前が売れないだけなんだから。
うんと小さな頃に拾ってもらった親方には感謝もしたけど、大酒が入った勢いで、そのまま寝所に引っ張り込まれそうになって。
多分、素面に戻ったら親方は何にも憶えてないんだろうけど、それを機会にあたしは小さな旅の一座から逃げ出した。
それからは、町の片隅で踊っては日銭を稼ぐ毎日。
でも売り物にしたのはあくまでも踊りだけで、絶対に身体を売ったりはしなかった。それだけは女としての誇りが許さなかったから。
ラクな生活じゃなかったけど、時々酒場を手伝ったりしながら、旅から旅の生活だって悪くはなかった。
あの日、アグストリアの小さな村の酒場でレヴィンに逢わなけりゃ、今でも旅を続けてたと思う。
まさかあのお気楽陽気の代名詞みたいなレヴィンがシレジアの王子様だなんて、思ってもみなかったけどね。
人生なんて、どこでどう変わるか判ったもんじゃない。
そう―――たった一言で、人生が変わる事だってあるんだから。
「綺麗な星だなぁ……」
見上げた夜空には、銀砂を撒いたような星空が広がっている。
頬を撫でる風は冷たいが、ついさっきまで城の広間で踊っていたシルヴィアには心地いい。
アグストリアの小さな村で偶然出会ったレヴィンの後を追いかけて、成り行きでシグルド軍に加わってから早一年以上。
此処では親方の罵声もなく、下品な野次もなく、純粋に自分の踊りを楽しんで見て貰える。
今日に至るまでの経緯を考えたら、正に踊り子冥利に尽きる生活と言えるだろう。
広間からは、絶えず陽気な音楽が流れてくる。
耳慣れた笛の音が聞こえるという事は、レヴィンが楽士の中に混ざったのだろうか。
トントン…と爪先でリズムを取っていると、背後から誰かの足音が近付いて来た。
「おや、貴女は……」
「クロード様?」
露台の先客であったシルヴィアに気付き微笑を見せたのは、アグストリア脱出の直前に合流したクロード神父だった。
「先程の踊りは素晴らしかったです。思わず見惚れてしまいました」
「えへへ、ありがとうございまーす」
褒められて悪い気はしない。例えそれが社交辞令であろうとも、だ。
だからシルヴィアは、いつも通り明るく答えた。
クロードが微かに眉を寄せる。
「お世辞ではありませんよ。心にも無い事を言えるほど、私は器用な人間ではありません」
真面目な顔で自分を見下ろすクロードの表情に―――本当にただの聖職者かと思うほど、彼は背が高かった―――シルヴィアは目を瞬かせた。
ややあって、小さく笑いを漏らす。
「ああ、笑ったりしてごめんなさい。
クロード様が、あんまり真面目な顔で褒めてくれるものだから」
「素晴らしい物を素晴らしいと、真面目に褒めるのがそんなに可笑しな事ですか?」
まだ笑いの治まらないシルヴィアの前で、クロードの方が面に困惑を浮かべた。
「クロード様って、あたしのような踊り子を見るのは初めて?」
少し落ち着いてから尋ねると、真面目が神官服を着たような神父は、やはり真剣な面持ちで考え込んだ。
「以前、神事としての舞は拝見した事がありますが。あなたの踊りとは、随分違う物だったように思います」
「まあ、舞と踊りは本来違う物だしね。
それに神殿での奉納の舞は、神事だから、家柄の確かな貴族出身のお嬢様が務める事が多いのよ。
奉納の舞い手は、衣装もこんな風にあちこち肌を見せてなかったでしょう?」
腕を差し上げ、飾り布を翻しながらくるりと爪先立ちで一回転してみせる。
ブレスレッドとアンクレットに付けられた小さな鈴が、動きに合わせてしゃらりと鳴った。
舞とは、予め決められた動きを正確に表現する事。踊りとは、楽の音に合わせて思うがままに感性を表現するものだ。
この二つは似ている様で、全く別の物である。
「片や酔っ払いを相手にする芸、片や神様への捧げ物。
……あたしのような踊り子と、奉納の舞い手とは、そもそも生まれが違うのよ。
旅の踊り子は神殿の庇護も何も無く、ただ自分の踊りと誇りだけで生きている。
でも自分の踊りに対する誇りだけは―――他人にどんなに見下されたとしても、決して喪わないわ」
「貴女が踊り子である事を、誰かが蔑んだのですか?」
クロードの表情が、俄かに厳しさを増した。
「貴女の踊りも、神殿に於ける舞も、元を正せば神へと捧げられた祈りの形です。
踊り子は長い時を経る内に、戦場での慰労や地方の村でその祈りを表現するようになっただけの事。
勘違いしている者も多いようですが、踊り子だからと言って他人に見下される謂れは何一つありません」
「クロード様……」
思いもよらない言葉に、シルヴィアは驚きを隠し切れなかった。
まさかお堅いと信じて疑わなかった神父様が、踊り子である自分を庇護するような事を口にするなんて。
―――今の今まで、自分の存在など視界の端にも留まっていないと思っていた。
「心の篭もっていない踊りを目にしたところで、一体誰が心を動かされますか?
貴女の踊りは本当に見事だった。貴女の踊りには、美しさと誇りが宿っていました。
だからこそ貴女の踊りを見た者は、皆元気を取り戻し、明るい気持ちになるのですよ」
「あたしの踊りが……皆を、元気にしてる?
―――そうなのかな。元気になって欲しいと、思いながら踊ってはいたけれど」
戦場では心が殺伐とする。
人を傷付ければ気が滅入るし、負傷をすれば意気が沈む。
ずっと生きる為の手段として踊って来たが、シグルド達の軍に合流してからは、ただ目にした者に楽しんで貰う為に踊っていた。
此処では踊っても銀貨や銅貨が投げられる訳ではないけれど、そんな対価が無くても踊る事は楽しかった。
それが本当に自分が望んでいた事なのだと、気付いたのはつい先日の事である。
「そういえば、お聞きしたい事があったんです。貴女は神の教えを学んだ事はありますか?」
「神様の教え?クロード様やエーディンのような、司祭の勉強って事?」
『ええ』とクロードが頷く。
「そんなの、一度も無いわ。うんと小さな頃に親方に拾われて、それからアグストリアで逃げ出すまで、ずっと旅をしながら生きてきたから。
親方から教わったのはこの踊りと、賄い仕事だけよ。でも、どうして?」
「……そうですね。何と説明したらよいのか……」
適切な言葉を探しながら、クロードは自分の考えをシルヴィアに伝えた。
「貴女の踊りには、不思議な力が在るのです。
私は長く聖職者として生きてきたので気がついたのでしょうが……貴女の踊りには、癒しの力が宿っている。
目にした者の疲れを癒し、活力を与えるような―――不思議な力が」
「癒しの力?あたしの踊りに?」
自分の踊りに、そんな力があるなどとは思ってもみなかった。
せいぜい踊りを見る事で気分が明るくなり、前向きになる程度だろうと考えていたのだが……
「司祭の修行を積んだ舞い手は、その舞で人を癒す事も可能です。だから貴女ももしかして、と思ったのですが……」
「まさか。ただの踊り子を買い被り過ぎだわ」
自分の踊りに、神秘の力が秘められている筈など無い。だって自分は、親の顔すら知らない孤児なのだから。
いつから一人だったのかも憶えていない。
事情があって生き別れたのか、それとも病か何かで死に別れたのか、或いは生活に困窮して捨てられたのかさえ知らなかった。
神に愛され、奇跡を起こすのは、いつだって由緒正しい家に生まれた子供達。
そう―――例えば、伝説の十二聖戦士の血を受け継いだエーディンやティルテュのような。
だがクロードは、『在り得ない』と頭を振る自分に優しい笑顔を見せてくれた。
「貴女は治癒魔法を学んだ司祭ではない―――ならば貴女の優しさと祈りが、踊りを通して皆を元気にしているのですね」
「あたしの……祈りが?」
背の高い神父を見上げたまま、それ以上の言葉が出て来ない。
どうしてこの人は、こんなにも澄んだ目で自分を見るのだろう?
ずっと歳上で身体も大きいのに、空色の瞳はまるで子供のような純粋さで自分を映す。
彼の言葉の一つ一つが、まるで乾いた砂に水が染み透るようだった。
「他の誰も気付かなくても、私は知っています。
貴女が誰より誇り高く美しい踊り子であり、そして、優しい女性である事を」
視線を落としたクロードは、顔を隠すように入れ替わりに俯いてしまったシルヴィアに気付いて、眉を寄せた。
踊っている時には意識しない、思いのほか華奢な肩が微かに震えているようにも見える。
もしかして泣いているのだろうか。
そんなつもりは無かったのだが、何か彼女の琴線に触れる事を知らずに口にしてしまったのかもしれない。
「私の言葉が、貴女を傷付けてしまったのですか?」
ややうろたえたようなその声に、シルヴィアが手を伸ばし、ギュッとクロードの神官服の裾を握り締めた。
空いたもう片方の手で、ぐい、と目元を拭う。
再び上向かれた彼女の面には、変わらない笑顔があった。
「ううん、違うの。大丈夫。
今まであたしの踊りを褒めてくれた人は大勢居たけど、あたしという人間を褒めてくれた人は居なかった。
だから……ありがとう。―――本当に嬉しい」
人生なんて、どこで何がどう変わるか判ったもんじゃない。
そう―――あのクロード様の一言で、あたしの人生は変わった。
今まで生きていて、楽しいと思う事も少しはあったけど、誰かの為に生きたいって思ったことはなかったから。
あたしの優しさと祈りが踊りを通して皆を元気にしているなんて言ってくれた人は、今まで一人も居なかったから。
だから、あたしは後悔していない。
あたし達の歩んだ運命は、決して優しくはなかったけれど。
―――あたしは貴方を選んだ事を、一度だって悔やんだ事は無いよ。
き ん
黄金の面影
赤茶けたトラキアの大地が、果ても無く目の前に横たわっている。
砂埃を巻き上げながら、馬車はガタガタと幌を揺らしながら街道を進んでいた。
「良かったわねぇ、あんた。あたし達と一緒じゃなきゃ、国の境を越えるのも難しかったわよ?」
化粧のせいで実際よりも年嵩に見える踊り子が、傍らの占い師装束を纏った女性に声をかける。
頭から目深に被ったフードから覗く髪と瞳は、レンスター地方では珍しい深緑。
全身を覆う黒い衣装の為に大人びて見えるが、踊り子を見上げた視線には、まだ少女の面影が残されていた。
「レンスターからトラキアに入るのがあんなに難しいとは思わなかった。
此処に潜りこませてもらってなかったら、途方にくれてる所だったわ。本当にありがとう」
「何言ってんの。あたしたち、楽しかった事も苦労も分け合った昔馴染みじゃないのさ。
それにしても今だから言えるけど、あの飲んだくれの親方がポックリ逝ってて良かったわ。
そうでなきゃ勝手に一座を抜けたあんたを、また仲間に入れるなんて絶対に許して貰えなかったものねぇ」
「ははは、全くだな」
馬車のあちこちから、相槌を打つような笑い声が起きる。
ブレスレットの飾り鈴をしゃらりと鳴らしてフードを下ろしたシルヴィアも、かつての旅一座仲間に笑顔を見せた。
「本当に此処までで良いの?あんただったら、ずっと一緒に来てもいいんだよ?」
「ありがとう。でも、みんなしばらくミーズに留まるんでしょ。
私はグルティアまで行かなきゃいけないし、それに占い師の格好してるのに占いが出来なきゃ、不自然だから」
「それはそうだけど……あんた、自分一人の身体じゃないんだからさ」
仲間たちが、示し合わせたようにシルヴィアを見る。
そう―――シルヴィアは、腹の大きくなった身体を占い師の装束を纏う事で隠していたのだ。
女子供は元より追剥や野盗の標的になり易いが、その上身重ともなれば『狙ってください』というようなものである。
だから全身を覆い隠す占い師の装束を身に着けていたのだ。
腹が目立ち始める旅の途中で辿り着いたレンスターで、シルヴィアはかつての旅一座仲間と偶然再会した。
アグストリアで無断で一座を抜けた自分が見付かれば親方からどんな目に遭わされるか判った物ではなかったが、
シルヴィアにとっては幸いであった事に、幼い頃に自分を拾い、踊りを仕込んだ親方は数ヶ月前に急逝していた。
かつての仲間達は妹のように可愛がっていたシルヴィアの無事を喜び、
また彼女が身篭った身でトラキアへ行こうとしている事を知り、同行を申し出てくれたのである。
シグルド軍の残党狩りは未だ厳しく、レンスター方面へと逃れた者が数名居るとの情報もあって、
通行証を持たない者がレンスターからトラキアへ入るのは難しい状況だからと。
以来、数ヶ月に渡ってシルヴィアは旅の一座に加わり、先程無事国境を越えたのだった。
「急ぐ旅じゃないなら、このまま一緒に行けばいいじゃない。
占いなんて、当たり障りのない事を適当に言っとけばいいのよ。少し先になるけど、そのうちグルティアにも寄るんだから」
「うん……でもね。やっぱり、先に行く。少しでも早く、約束を果たしたいから」
「そのお腹の子の、父親との?」
シルヴィアは答えず、ただ微笑んだ。
「もしかしたら、そのうちまた何処かで一緒になるかもしれないね。その時はよろしく。
それと、私の事は……」
「判ってるわ。あたし達はあんたの素性も、名前も知らない。何処へ行ったかも知らない。
旅芸人仲間だって縁でトラキアまで一緒だったけど、ミーズで別れてそれっきり―――それでいいんでしょ?」
はっきりとは言わなかったが、彼女が追手か何かから身を隠そうとしている事には皆気付いていた。
叩けば埃の出る素性の者は旅一座には珍しくない。
だからお互いの過去を詮索しないのが仲間内での暗黙の了解だった。
「……元気な子を産みなさい。そして、いつかまた一緒に旅をしましょ。あんたの踊り、また見てみたいからさ」
「おお、そうだな。子供も一緒に旅すりゃいいや。ユグドラル中を周れるぜ!」
陽気な踊り子とかつての仲間たちはそう言って、最後は笑顔でシルヴィアを送り出した。
ミーズからカパトギアまでの道程は、思ったよりも遠く厳しいものだった。
元より一人の身ではない。
旅の過酷さは判っていたつもりであったが、臨月を間近に控えたシルヴィアの身体には、たった数日の道程ですら果てしなく思えた。
この数ヶ月、かつての仲間達の好意に甘えて馬車で移動する事に慣れてしまい、
大きくなった腹を抱えて自分の足で歩く事を怠っていたツケが今になって巡ってきたのかもしれない。
グルティアはカパトギアを経て、更にルテキアを越えた場所にある。
出来れば約束を果たした後に、何の憂いも無く二人目の子を産みたかったが―――このままでは、グルティアに辿り着く前に産気付きそうだった。
『動ける間に城下に辿り着いて、身を寄せられる場所を見付けないと』
自分は貴族に名を連ねていなかった為に、賞金首にはならなかった。
だが生まれてくる子がエッダ家当主クロードの子だと判れば、命が危うい。
何としても、このまま腹の子の父親を隠し通さなくてはならなかった。
『ああ、でも……』
貧血だろうか。視界が狭まり、グルグルと回っている。
耳鳴りがして足に力が入らない。
鉛のように重い身体を引き摺るようにして、辛うじてカパトギアの街に入った事までは憶えている。
よろけて道の片隅で座り込んでしまった自分に、誰かが手を差し出してくれたのも。
だがその親切な誰かに礼を言う前に、シルヴィアは意識を手放していた。
「……それで、容態は?」
「直接的には過労でしょう。ただ臨月が近いので、あまり無理をすると……」
「子が危ないのだな?判った、目を覚ましたら伝えておこう」
「何かあったら、また連絡を。それでは私はこれで……」
遠くで話し声が聞こえる。
人の動く気配を感じて、シルヴィアは目を開けた。
視界には見覚えの無い天井。
そして久しく忘れていた、柔らかで温かな寝具の肌触り。
「……ここは……?」
「おお、気が付かれたか」
僅かに首を巡らせた気配に気付き、近付いて顔を覗き込んだ初老の男性が目を細めた。
「貴女はこの街を入った所で動けなくなっておったんじゃよ。憶えておいでかな?」
「ええ……動けなくなる前に、修道院か神殿に身を寄せようと思っていたのだけど。ご迷惑をお掛けしたみたいね」
うずくまって意識を喪う直前、『大丈夫か』と声をかけて誰かが手を差し伸べてくれた。
それがこの初老の男性だったのだろう。
シルヴィアが身重である事に気付いて、すぐにこの屋敷に運び込んだのだそうだ。
医者の話では過労だろうとの事だが、このまま無理をすれば母子共々危ないと釘を刺された所である。
「私の名はハンニバル。一応、このカパトギアを任されておる者だ」
「貴方が……ハンニバル将軍?」
シルヴィアが自分の名を知っていた事が意外だったのか、ハンニバルの眉が動いた。
「ほう、私の名を御存知だったか」
「知ってるわ。そう―――貴方が、トラキアの盾」
「どうやら私自身の与(あずか)り知らぬところで、偉そうな二つ名が一人歩きしているようだ」
『トラキアの盾』などと大層な二つ名で呼ばれるのが面映いのか、いささか居心地の悪そうな表情になる。
一方、その二つ名に胡坐をかいて踏ん反り返っている姿を想像していたシルヴィアは、
実直で暮らしぶりも質素な様子のハンニバルに、ごく自然な好意と敬意を抱いた。
「ご謙遜を。あのトラバント王でさえ、ハンニバル将軍の言葉には耳を傾けるとレンスターでも評判だったわ」
「単に他の者より歳を取っておるだけだ。
この国で戦場に立つ事を選んだ者は、あまり長生きをせん。皆、働き盛りの若い内に死んでいく。
だが私はたまたまこの歳まで生きた。自分の親ほどの年寄りが言う事だから、王も他の者の言う事より、私の言葉に耳を傾けると言うだけの事」
勇猛果敢で他国にまで名を轟かせるトラキア竜騎士団は、今では主に傭兵業を生業としているものが多い。
即ち戦の先陣に立つ事で、国で待つ親兄弟や妻子を養っているのである。
結果的に若くして亡くなる比率が高く、歴戦を生き抜いたハンニバルは、それだけで若い兵士たちの伝説となっているのだった。
「ところで旅の途中だったようだが、身重の身体で一体何処まで行かれるおつもりだった?
どうやらトラキア生まれには見えぬが、頼る縁者がトラキアに居られるのなら、そこまでお送りするが」
問い質すという口ぶりでは無かったが、静かなハンニバルの問い掛けに、シルヴィアは視線を落とした。
「……助けて貰っておいて勝手だとは思うけど、詳しく話す事は出来ないの。貴方に迷惑が掛かってしまうから。
少し休ませて貰って動けるようになれば、此処もすぐに出て行くわ。
そして私が発った後は―――全て忘れて」
沈黙が二人の間に下りる。
全てを明らかにしなかったのはシルヴィアの善意だが、
その態度が気に食わないというのなら、今直ぐ放り出されても構わない。
何より助けられた事に感謝はしているが―――まだ老将軍を完全に信用したわけではなかった。
だがハンニバルはしばし考え込むような表情を浮かべた後、シルヴィアが驚くような事を口にした。
「よろしい。人には誰しも、話したく無い事や聞かれたくない話があるものだ。
此処はカパトギアにある、私の私邸。随分前に連れ合いを亡くして子も居らん。
此処に居るのは三十年以上私の身の回りの世話をしてくれている執事夫婦だけだ。
そして私は、ただの年寄りだ。どうか気を楽にして、ゆっくりと滞在されよ」
……鳩が豆鉄砲を食らったようなと、ハンニバル以外で今の自分を見ている者が居たとしたら、そう評しただろう。
これが本当に、あのトラキアの盾とまで呼ばれたハンニバル将軍なのだろうか。
まさか同じ名の別人ではあるまいかと、思わずシルヴィアは穿った事を考えてしまった。
「……気にならないの?私が一体、何者なのか。
トラキアの盾ともあろう人が私邸に見ず知らずの人間を滞在させるなんて、随分と無用心なのね」
「長く生きて居ると、人の本質を一瞬で見極める事が出来るようになる。ましてや私は、戦場に身を置いていた時期が長いから尚更だ。
決して隙を見せてはいけない相手、危険と言うほどではないが油断が出来ぬ相手、笑顔の裏で策謀を巡らせる者……色々居る。
―――だが、貴女は悪人ではない。私にとってはそれで十分だ」
目から鱗が落ちたような気がした。
一体、自分はいつからこんなに猜疑心の強い人間になってしまったのだろう。
ほんの数年前までは、呑気で陽気がモットーだったのに。
無条件で受け容れようとしてくれる相手に、自分は自ら棘を逆立てていたのだ。
数年に及ぶ逃亡生活に間に、すっかり人の善意を信じられなくなってしまっていた事に改めて気付く。
一つ大きく深呼吸すると、『シルヴィアよ』と呟いた。
「うん?」
「私の名よ。シルヴィアと言うの。
言えない事が多いとしても……せめて名くらい教えないと、あまりに失礼だものね」
『でしょう?』と、歳相応の悪戯っぽい視線で見上げたシルヴィアに、ハンニバルは笑顔で頷いた。
「ではシルヴィア殿、今はもう少し眠りなさい。貴女にもお腹の子にも、十分な休息が必要だ。
私は具合の悪い身重の女性を放り出すほど、人情に薄くはないぞ」
「ハンニバル将軍、厚意はありがたいですけど、やっぱり私は……」
動けるようになれば出て行くと言い掛けたのだが、当のハンニバルが先んじてそれを制した。
「これも何かの縁だ。こうなったら、無事に子を産むまで此処に居なさい。
それに貴女を此処から放り出したりしたら、私が執事夫婦に追い出されてしまう」
「ご主人であるトラキアの盾を追い出してしまうの?凄いご夫婦ね、その執事さん達」
意外に茶目っ気のある老将軍の物言いに、自然と笑みが零れる。
自分の心をほぐそうと口にした冗談である事は判っているが、その気遣いが嬉しい。
こんな風に、何の頓着も無く笑えたのはいつ以来だろうか。
笑顔を見せたシルヴィアに、ハンニバルも目を細めた。
「うむ。やはり若い女性は笑顔の方が良いな。
とりあえずは身体を休め、腹の子が無事に生まれて貴女自身の体調が回復するまで、心置きなく滞在されよ。
後のことは、ゆっくりと時間をかけて考えればよい。身の回りの事は執事達がやってくれる」
「……命の恩人に、色々と険のある言い方をしてごめんなさい。
あつかましいとは思うけれど……お腹の子の為に、しばらくお世話になります」
寝台の上に半身を起こし、シルヴィアは深々と頭を垂れた。
それから一ヶ月。
シルヴィアの経過も順調で、やや痩せ気味だった顔立ちも、少しふっくらとしてきた。
医者の見立てでは、恐らく次の満月――― 一週間後には腹の子も生まれるだろうとの事だった。
一日一度は様子を見に来る老将軍は、日に日に顔色が良くなっていくシルヴィアにホッとしたような顔を見せた。
「何処へ向かうつもりだったのかだけでも、尋ねてはいけないだろうか。
これでも領主と同じ権限を王より頂いておる。
差し障りの無い場所であれば、便宜を図って途中の街も通過しやすく出来るが」
シルヴィアは僅かに逡巡したが、ややあって『グルティアの神殿まで』と答えた。
ハンニバルの庇護を受け、此の地で子を産む決意をした以上、こちらも話せる事は話してしまう方がフェアだと思ったのである。
「グルティア?城下の神殿に?」
「いいえ。城下ではなく、グルティアを臨む山の中腹にある神殿よ」
その神殿の存在は、ハンニバルも認識していた。
「あそこは、一般の礼拝者が訪れるような場所ではないぞ?」
「知ってるわ―――其処は、神の教えを極めようとする者が集う場所」
「それが判っていて、何故……」
重ねて問うハンニバルに、シルヴィアは表情を改めて呟いた。
―――『約束だから』と。
「約束?」
コクン、とシルヴィアが頷く。
「それが、あの人との最期の約束だから。だから私は……何があってもその約束を果たしたいの」
「腹の子の、父親との?」
シルヴィアは答えず、ただ寂しげな微笑を浮かべた。
―――その微笑が、真実だと告げているようだった。
そして、一週間後―――
まるで我が子の誕生を待つかのように、ウロウロと老将軍が居間を歩き回る。
シルヴィアが産気づいてから、既に五刻(十時間)以上が経過している。
ハンニバルの妻は、子を成す前に若くして病で亡くなった。
よって五十の声を聞くこの歳になるまで、身近な出産の経験も無い。
執事夫婦はお産の手伝いに入ったり、湯を沸かしたりと忙しく立ち働いていたが、ハンニバルは手持ち無沙汰に歩き回るしか出来る事がなかったのだ。
男とは、出産に際してこれ程までに無力で役立たずなものなのだろうか。
考えてはみても、所詮男である自分に子は産めないし、陣痛を代わってやる事も出来ない。
せめて新しく湯を沸かす手伝いくらいは出来るだろうと、廊下に出たその時―――元気な産声が、館に響き渡った。
バタバタと忙しない足音が行きかった後、産室に提供していた部屋の扉が開く。
顔を覗かせ、館の主人の姿を見付けた執事の妻が『元気な男の子です』と満面の笑みで告げた。
「よく頑張りましたね。とても元気な、男のお子さんですよ」
「男の子……」
無事に命を生み落とした事で、精も根も尽き果ててしまったような気がする。
子を取り上げてくれた医者の声が、酷く遠くに聞こえた。
出産は二度目だが、リーンを産んだ時もこれほど疲労しただろうか。
「しっかり抱いてあげてください。お母さんも大変だけど、坊やはもっと大変だったんですから」
「よしよし……いい子ね」
産湯を使い、すっかり綺麗にしてもらった赤ん坊を腕に抱き、シルヴィアは温かな頬に手を触れた。
「目の色は確かめていませんが、髪の色はお父様に似たんでしょう」
「……ええ、そうね」
医者にとっては何気ない言葉だったのだろう。
だがシルヴィアは、ハッとしたように深緑の大きな瞳をゆっくりと瞬かせた。
その眦(まなじり)に、薄っすらと涙が滲む。
「坊やにお乳をあげてください。私は少しハンニバル様にお話がありますので」
そう言い置いて、医者が一旦部屋を出る。
老将軍は産湯が用意されていた隣室に居たのか、扉を開けた時に微かに声が聞こえた。
「……黄金(きん)色……貴方の髪の色は、本当に神父様そっくりね」
噛み締めるように小さく呟くと、祈るように目を伏せる。
その時、答えるように小さな手がシルヴィアの指を握った。
まだ見えていない目が微かに開き―――父親と同じ空色の瞳が、自分を映す。
シルヴィアは、指を握る赤子の手に視線を落とした。
小さな小さな掌に浮かぶ、微かな光が目に留まる。
「―――これは、まさか……」
赤子を抱いた手が震える。
その光が何なのか、夫となったその人にシルヴィアは教えられていた。
微かな光と共に掌に浮かび上がったのはブラギの紋章―――それはこの赤子が、父親の血を確かに継いだ証だった。
「そうだったの……貴方が、クロード様の全てを受け継いでくれたのね。
まだ生まれて間も無いのに、その事を一生懸命、私に教えようとしてくれたのね……ありがとう」
聖遺物を継承する直系であっても、その証である聖痕が現れるまでには個人差があると聞いた。
早い者なら四‐五歳くらいにそれぞれ定まった場所に現れ、遅い者でも十歳前後には現れるという。
稀には、生まれた直後に聖痕が現れる事もあるのかもしれない。
それとも囚われたまま獄死したと風の便りで聞いた夫の遺志が、我が子の覚醒を早めたのだろうか。
「いつか貴方が、トラキアに残された最後の希望になる……どうか元気に育ってね。
母様は、父様と交わした最期の約束を果たしに行くわ」
腹一杯に乳を飲みスヤスヤと寝息を立て始めた息子の額に、シルヴィアはそっと口付けを落とした。
「お子には問題ありません。元気に産声も上げましたし、顔色も良い。ですが、母親の方は……」
「シルヴィア殿に、何か?」
赤ん坊が産湯を使っているのを物珍しそに上機嫌で見ていたハンニバルは、耳打ちされた医者の不吉な物言いに表情を曇らせた。
老将軍に促され、医者が重い口を開く。
赤ん坊の無事誕生を祝うこの雰囲気の中で、出来ればこのような事を口にしたくはなかったのだろう。
「……かなりの難産でした。あのお産で、子が無事に生まれただけでも奇跡です。出産時の出血があまりにも多過ぎた。
当分の間は、赤子に乳をやるのに起き上がる事さえ辛いでしょう。
元通り回復して、以前の生活に戻れるかどうかは、私の口からは何とも―――」
回復しないという確証はないが、このままシルヴィアが病がちになる可能性は十分高い。
―――それが、あの人との最期の約束だから。だからあたしは……何があってもその約束を果たしたいの。
シルヴィアを執事夫婦の遠縁の娘と言う事にして、赤子共々この私邸で養う事も出来る。
既にハンニバルは、リスクを承知で親子の身柄を引き受ける意思を固めていた。
だが彼女は、このまま此処で旅を終える事を受け容れるだろうか。
自らの命を削りながら、約束を果たす為に必死に旅を続けて来た彼女が。
だが、伝えない訳にはいかない―――ハンニバルは沈痛な面持ちを浮かべた。
「シルヴィア殿、ちょっといいかね?」
ハンニバルがシルヴィアと話をする為に、赤子と一緒に彼女が寝(やす)んでいる部屋の扉をノックした。
しばらく扉の前で待っていたが、返事が無い。
人が動く気配も無かった。疲労して、眠っているのだろうか。
少し迷った後、『失礼するよ』と声をかけ細く扉を開ける。
だが寝台にシルヴィアの姿は無く、部屋にはスヤスヤと眠る赤子だけが残されていた。
「これは……まさか、あの身体で出て行ったのか?」
まだ動けるような体調では無いのだ。
それどころか、養生しても元の健康な身体には戻れないだろうとの、医者の見立てを告げに来たのである。
なのに彼女は赤子を残し、一人で姿を消した。
赤子を起こさぬようにそっと周囲を探すと、産着の胸元に、折り畳んで差し込まれた手紙を見付けた。
『ハンニバル将軍
突然姿を消し、恩を仇で返すような真似をした事をお詫びします。
無理を承知でお願いしたい事があります。生まれたばかりの赤ん坊の事です。
コープルと名付けたこの子を、貴方という人間を信頼して託したいのです。
行きずりで拾った女が産んだ子では体裁が悪いというなら、母親の素性は明らかにしなくても構わない。
だけどどうか、来るべき日が来るまで……コープルを守って。
この子は私の夫の血を受け継ぎ、いずれトラキアを襲う災厄の中で、唯一残された希望となる子だから。
コープルの血筋の証として、夫の遺品である杖を一緒に残して行きます』
助けた時からシルヴィアが大事に抱いていた杖が、彼女の纏っていたヴェールに包まれて、コープルの傍らに置かれていた。
杖に刻まれた紋章がかつて見た文献の一節を思い起こさせる。
そしてハンニバルは、小さな赤子の掌に、微かな光と共に紋章が浮かんでいる事に気が付いた。
杖に刻まれた紋章とコープルの掌に浮かぶ紋章は、寸分違わず同じ物だった。
「これは……まさか、バルキリー……!? では、この子はブラギの直系なのか……!」
シルヴィアが頑なに子の父親を明かそうとしなかった理由に、ようやく合点が行った。
自らの素性を話せば、自分に害が及ぶと懸念した意味も。
コープルがブラギの直系であるとするならば、父親はグランベルに囚われたまま、先日獄死したというクロード神父に違いない。
シルヴィアは彼の妻であり、それはつまり彼女自身が、あのシグルド軍の一人であった事を意味していた。
クロード神父が囚われた理由は、最後までシグルドと行動を共にし、彼と彼の父の無実をバーハラに対して訴え続けたからだ。
そのクロード神父の妻が、シグルド軍と無関係であったとは考えられない。
グランベルによるシグルド軍の残党狩は、バーハラの悲劇から約三年を経た今でも苛烈を極めている。
シルヴィアの素性を知った上で、彼女と子を匿っていると知れたら、例えハンニバルでも命が危うい。
だが彼女は、自分という人間を信頼して大事な子を託して行った。
幼い赤子に流れる血筋を明らかにしても、自分が沈黙を守り、必ず守り通してくれると信じて―――
手紙は更に続いていた。
『旅の途中で預けざるを得なかったけれど、コープルには二つ歳上の姉が居ます。私の髪と、コープルと同じ父親の瞳を持った娘。
もしも運命に導かれて、いつか姉と弟が出会う日が来たなら……伝えて欲しい。
迎えに行けなくてごめんなさい。でも私達は、いつでも貴方達を愛していた―――と』
……二週間後、ハンニバルが早馬を飛ばし、先んじて報せを入れておいたお陰で、シルヴィアはカパトギア以降も何の咎めも無くグルティア神殿に辿り着いた。
シルヴィアは神殿に一振りの杖を奉納すると、時を同じくして見事な奉納の舞を舞ったという。
運良くその舞を目にする事が出来た修道士は、彼女を『神の舞姫』と称えた。
何故なら彼女はその舞の美しさもさる事ながら、舞い終えると同時に眠るように息を引き取ったからである。
居合わせた修道士達は、彼女があまりに素晴らしい舞い手であった為に神のお傍に召されたのだと囁きあい、
シルヴィアという名の踊り子はグルティア神殿の伝説となった。
シルヴィアの亡骸はグルティア神殿の共同墓地へ丁重に葬られ、
後に身元引受人となっていたハンニバルの下へ彼女の遺髪と、最期の様子を記した手紙が届けられた。
コープルは執事夫妻の遠縁の子としてハンニバルの養子となり、カパトギアで生きる事になる。
血の繋がりこそないが、仲の良い親子として名高い老将軍とコープルの人柄を好いて、王女アルテナも頻繁にカパトギアを訪れた。
そして、十余年の月日が流れた―――
解放軍の中核を成す聖戦士の末裔の中に在る、一際目を引くリーンという名の少女の事がハンニバルは妙に気に掛かっていた。
何故彼女の姿が目に留まったのか、初めは理由が判らなかった。
エルトシャン王の忘れ形見であるアレス王子の傍に寄り添う、小柄なその少女の姿を幾度か目にする内に、ようやくハンニバルは思い至った。
かつてコープルの母シルヴィアが、最後に遺した手紙の一文を。
「もし……リーン殿?」
声をかけられ、回廊の先を歩いていたリーンが振り返る。
髪は夏の盛りの樹木を映したような深緑。そして瞳は……コープルに良く似た、晴れ渡った空の色だった。
突然年嵩の男から声をかけられて訝しげな表情を浮かべたリーンだが、相手がハンニバルだと判って表情が緩む。
トラキアの重鎮でありながらセリス率いる解放軍を討つ事を良しとせず、
それどころか養子のコープルを人質から解放してもらった恩に報いて、解放軍への協力を申し出た人物だ。
お陰でカパトギア、ルテキアと大した抵抗も受けず、グルティアにも数日中に進攻出来る事になった。
「私に、何か御用ですか?」
「一つ確かめておきたい事がある。お母上の事を、話して貰えないだろうか」
「母様の事?」
リーンは困ったように首を傾げた。
「母の事は……正直、私もよく憶えていないんです。
まだ私が歩き始めたばかりの頃に、事情があって育てられなくなったからと、ダーナの神殿に預けられてそれっきりで」
恐らくその頃、二人目の子―――コープルを腹に宿している事に気付いたのだろう。
幼子(おさなご)と胎児を抱えた女性がトラキアへ旅するのは、今以上に難しい時代だった。
夫との約束を果たす為に、シルヴィアは断腸の思いで娘をダーナに残して旅を続けたに違いない。
「では、お母上の事は何一つ?」
「いえ……一つだけ。母は私と同じ髪の色をした、まだ若い踊り子だったと。
母の顔は憶えていないけど、母が見せてくれた踊りは、不思議と今でも目を閉じれば思い出す事が出来る……だから、私も踊り子になったの。
踊っていると、顔も知らない母様といつも一緒に居られるような気がして」
ハンニバルが小さく息を呑む。
彼女と同じ色の髪をした母は、神の舞姫とも称えられた踊り子だった―――リーンこそ、血を分け合ったコープルの実の姉に違いない。
「……リーン殿。私は、貴女のお母上を存じておる。そして恐らく、父上の事も」
「え……!?」
空色の瞳が、零れんばかりに大きく見開かれる。
「付いて来て貰えるだろうか。セリス様やレヴィン様にも、同席していただこう」
―――運命に引き裂かれた姉弟が再会を果たし、互いの存在と両親の事を知ったのは……その僅か後であった。
【FIN】
あとがき
おおおお、何とか間に合った…!!書き上げるまでに三週間くらいかかっているのに加えて、ギリギリまで改訂作業やってました(^_^;)
シルヴィアの一人称の表記が独身時代は『あたし』で、母となってから『私』になっているのは、
クロードと一緒になった事で様々な影響を受けたからです。
このお話は、当初シルヴィアがトラキアに入ってハンニバルに保護され、コープルを産むくらいまでを想定していたんです。
つまり、先立ってUP済の『Even if time when this life ends comes』の挿入話だったんですね。
だからトラキアに入って以降の流れと言うのは、かなり↑コレを意識した物になってます。
…が、どうせならもう少し掘り下げて書いておこうかなと馴れ初めのような事を書き足し、
更にラストでハンニバル将軍がコープルの姉であるリーンを見出すまで書いてしまいました。
このクロード×リーンSSを仕上げて、やっと『『Even if time when this life ends comes』も完全に終わらせる事が出来たような気がします。
2006/05/25
麻生 司