姉と二人、初めて王宮に上がったのはまだ十歳の時だった。
シレジアの城下で親子四人で暮らしていたが、平穏な日常は一瞬で喪われてしまった。
落石事故に巻き込まれて呆気なく両親が亡くなったのだ。
姉のマーニャと二人きりになってしまい、姉妹で身を寄せ合って何とか生きていかねばならぬと覚悟を決めたそんな折、
亡き両親の知人の紹介で、運良く王宮に奉公出来る事になったのである。
身寄りを亡くした子供が将来魔道士、天馬騎士候補として城で起居して訓練と勉強を積めるようにと、
数年前からラーナ王妃が勧めていた政策の賜物でもあった。
僅かな手荷物だけで王宮に上がった姉と自分は、王妃に謁見する為に控えの間で呼ばれるのを待っていた。
王妃に対する国民の評判は大変良く、夫であった国王亡き後も立派に国内を治めている。
いずれ一人息子である王子のレヴィンに正式に王位を委譲する事になるが、
事実上、王妃の双肩に現在のシレジアの命運が掛かっていると言っても過言ではなかった。
「姉さん……王妃様って、どんな方なのかしら?」
姉の落ち着いた横顔を不安気に見上げる。
よく似た姉妹だと近所ではよく言われたものだが、自分は姉ほど落ち着いているとはとても思えなかった。
こうして控えの間で待っている今でさえ、心臓が口から飛び出しそうである。
「さあ……私も、ずっと小さな頃に遠目にお見かけしただけだから。でも黒髪のとても綺麗な、優しそうな方だったわ」
『大丈夫よ』と言って、姉が肩を抱いてくれる。それだけでずっと気持ちが楽になった。
三つしか歳は変わらないのに、本当に頼りがいのある姉だ。
自分一人で天涯孤独の身になっていたら、一体どうなっていただろう。
そんな遣り取りをしていた矢先、隣室から『二人とも、お入りなさい』と言う声がかかり、思わず反射的にしゃっくりを飲み込んだような顔になった。
姉が苦笑いをしながら、『さあ、行くわよ』と繋いだ自分の手を強く握り返してくれる。
軽く樫の扉をノックをすると、姉の手が白い扉をゆっくりと押し開けた。
恐る恐る姉の背中から顔を出した自分の目に映ったのは、想像よりもずっと質素な執務室だった。
広い部屋にキラキラとした燭台や大きな肖像画や分厚い絨毯が引いてあるのかと思いきや、
せいぜい自分達一家の暮らしていた家の居間より少し広い部屋に、
簡素だが趣味の良い壁紙が張られ、暖炉の上に亡き国王を描いた小さな絵姿が飾られているだけ。
明かりは窓から射し込む陽光と、壁に等間隔に据えられた使い込まれた燭台に灯された炎のみ。
床は平らに磨いた石の上に暖を取る為の毛皮が一枚敷かれただけで、控えの間と大して造りは変わっていなかった。
何代の間城主が愛用した物なのか、飴色をした執務机から静かに黒髪の美しい女性が立ち上がると、姉妹の前に立つ。
姉の言った通り黒髪と―――そして同じく黒い瞳をした、とても優しそうな女性だった。歳の頃合は三十前後だろうか。
「王宮へようこそ。ご両親の事故はお気の毒だったけれど、これからの事は何も心配要らないわ。
私はラーナよ、よろしくね」
王妃は姉と自分の手を取ると、にこやかな微笑を浮かべた。
王妃というからにはどんなに堅苦しくて気難しい方なのだろうかと、緊張しっ放しだった表情がようやく解れるのが判る。
丁度その時、控えの間とは逆にあった執務室の奥の扉が開いた。王妃の私室に通じる扉だろうか。
ひょっこり扉から顔を覗かせた、翠髪の少年と目が合う。
思わず目を丸くした自分の様子に、ラーナが気付いて振り返った。
「レヴィン、丁度良い所へ」
レヴィン―――その名を耳にして、ドクン、と鼓動が跳ね上がった。
それはラーナと亡王の間に生まれた王子の名である。確か自分より二つ歳上の筈だ。
ラーナ王妃も良い意味で王妃らしくなくてホッとしたが、レヴィンの第一印象も、色んな意味であまり『王子』らしくなかった。
王妃の口振りから察するに何処かへ出掛けていたのだろうか。王子の服装は自分達とそう大差ない。
質素な上衣の襟元から草木染めのスカーフを覗かせ、対の帯で腰回りを締めているのがせめても粋だったが、
城下でバッタリ出逢っても、とても王子とは気付かなかっただろう。
「おや、今度来たのは女の子ですか」
生気に溢れた翠の瞳が姉妹を映し、人懐こい笑みを浮かべる。
「今日から城で一緒に勉強する事になった姉妹です。
丁度二人とも歳が近いから、天馬騎士としての勉強と共に、貴方のお目付け役を一緒に兼ねて貰うつもりよ。
これからお世話になるのだから、ちゃんとご挨拶なさい」
「判っていますよ、母上」
レヴィン王子は苦笑を浮かべながら、自分達の前に立った。
癖のある前髪の隙間から、母親に似た面差しと優しい翠の瞳が覗き、屈託なく手が差し出される。
「シレジア城へようこそ。俺はレヴィンだ、よろしく」
「フ……フュリーといいます。よろしくお願いします……!」
それが、レヴィン王子との最初の出逢いだった―――
風の言霊
シグルド軍がシレジアへ落ち延びて、約一年が経った。
城の外はまだこれから深い雪が積もる季節だが、城壁の中は城仕えの者が交代で雪かきをしたり、
雪を溶かす為にいたる所で篝火を掲げているので目立った雪溜まりはない。
勿論、土が剥き出しになった中庭などは雪解けの水でぬかるんでいるが、シレジアで生まれ育ったフュリーは慣れてしまっていた。
シレジア城もセイレーン城も中庭の辺りは似た造りになっているので、
石畳が張られてぬかるんでいない場所を巧みに選びながら、洗い上がって畳んだ洗濯物を手に回廊を歩く。
不意に中庭の奥から賑やかな声が聞こえて、顔を上げる。
視線の先にシルヴィアと、彼女に手を引かれたレヴィンの姿を見付けたフュリーは、見るともなくその姿を目で追っていた。
シルヴィアはまだ面立ちに幼さを残した少女だが、その表情はくるくるとよく変わり、明るく伸びやかに笑う様はとても可愛らしい。
女の自分でさえ素直にそう思える素直な愛らしさが彼女には在った。
小柄な身体を全て使って表現する彼女の踊りは、見る者全てに元気と、新たな明日を生きる希望を与える。
そんな不思議な力強さが、彼女の踊りと笑顔には宿っていた。
「何て伸びやかに笑うのかしら。私にも……そう、出来れば」
それは無意識に声に出た、フュリーの本音だった。実際、フュリーは自分が呟いた事を自覚していなかった。
しばらく足を止め、ぼんやりとシルヴィアとレヴィンの姿を眺めていたかもしれない。
もしも誰かに肩を叩かれていなければ。
「何が出来ればですって?」
「え……ラケシス……様!?」
ハッと振り返ったフュリーは其処にラケシスの姿を見付けて、一瞬強張った身体の力を抜いた。
「どうしたの?こんな所でボウッとして」
「いえ、別に……」
フュリーの視線が、僅かに背後へ泳ぐ。
ちら、と彼女の背中の向こうを見遣ったラケシスは、中庭奥のレヴィン達に気付いた。
フュリーが思いつめたような表情で、彼等から目を逸らした事も。
「―――フュリー、手伝うから、手が空いたら少し私に付き合ってくれる?」
彼女の手から半分畳んだ洗濯物を引き受けると、ラケシスはにこりと笑みを浮かべた。
「ここならゆっくり話せるでしょう」
ラケシスが案内したのは、セイレーン城の外れにある泉の傍だった。
小さな泉だが、絶えず新しい水が湧出している為に真冬でも凍る事はない。
周囲を見回したフュリーは、目を細めて空を見上げた。
「懐かしい……此処には昔、この城に立ち寄る度に来ていたんです。
もう何ヶ月もセイレーンに居たのに―――そんな事も、すっかり忘れていました」
「やっぱり知っていたのね、この場所。そうよね、シレジアは貴女の故郷だものね。
私も最近よく来るのよ。こんなに静かで綺麗な所なのに、ここまで来る人は少ないから」
風に靡く黄金色の髪を手で押さえながら、ラケシスも空を仰ぐ。
「以前ラーナ様から、昔、貴女がこの泉の傍でペガサスを休めていたと聞いた事があったの。
良かったわ、少し元気が出たみたいで」
ノディオン王女の言葉に、フュリーは目を瞬かせた。
「ラケシス様……もしかして、その為に私を此処に……?」
「ごめんなさいね。お節介だとは思ったんだけど……何だか、放っておけなくて」
同じ女性同士なのだし、もっとフュリーと気兼ねなく色々な話をしてみたいと、以前からラケシスは思っていた。
だがノディオン王家の王女とシレジアの一騎士という立場から、今に至るまで然程親密に言葉を交わす機会が無かった。
ラケシス自身は意に介さなくても、やはりフュリーの方が臣下の礼を取って一線を引いてしまう傾向にあったからである。
実際には二つ歳下であるラケシスの鳶色の瞳に、今は妹を案ずる姉のような色が浮かんでいた。
「悩んでいるのでしょう?レヴィン様の事。さっきも庭園に居た王子を見ていたわ」
「いえ、先程は……」
口にしかけて、言い澱む。
言葉にしてしまうと、自分の卑屈さや意気地の無さを思い知るようで怖かった。
だがラケシスはじっとフュリーの言葉を待っている。促すでもなく、急かすでもなく―――ただ、彼女が自分の胸の内を言葉に出来るまで。
しばしの逡巡の後に、フュリーはようやく言葉を続けた。
「先程は、シルヴィアを見ていました。何て素直に笑うんだろう……って。
私には、もうあんな風に笑う事は出来ませんから」
自分は、もうあんな笑顔でレヴィンと接する事は出来ない。
騎士見習いであった頃は、ラーナ王妃から拝命した目付け役という立場も相まって、もう少し自然に接する事が出来た。
だが歳を重ね、正式に騎士としての叙勲を受け、レヴィン王子の背が自分より頭半分高くなった頃には―――
王族でも聖戦士の末裔でもない自分の立場というものを、嫌でも理解しなくてはならなかったのだ。
ラーナ王妃は平民出身の自分と姉を、まるで実の娘のように可愛がってくれた。
レヴィン王子も、ずっと幼い頃から共に育った友のように接してくれた。あるいは、自分の事は口煩い妹のように思っていたのかもしれない。
―――だからこそ、はっきりと自分から一線を引かなくてはならなかった。
王子と自分は、仕えるべき主君とその家臣であるのだと。
どんなにレヴィンが親しげに振舞おうとも、本来ならば自分は、彼と対等に口をきける立場ではないのだと。
いつからか姉離れしない弟を諌めるように距離を取り始めた姉に倣い、自分は自分のやり方でレヴィンとの距離を保った。
あくまでも臣下であろうとする自分の言葉や態度に、レヴィンが傷付いたとしても―――それが、彼の為であると信じて。
いずれレヴィンは相応しい相手を妻に迎え、このシレジアの王となる人なのだから。
「貴女は優しいのね。そして、誰よりもレヴィン様の事を案じている。
あの方の為に自分の心を押し殺して―――だから、素直に笑えない事が辛い」
「ラケシス様、私は……!」
そんなつもりはない、と言いたかった。
決して、そんなつもりではないのだと。
だが自分を見詰める静かな鳶色の瞳に、フュリーは言葉を飲み込んだ。
ラケシス王女は微笑みさえ浮かべているのに、その瞳には憂いが宿っていたから。
「恐れないで、自分の心に素直になって。私ならきっと貴女の力になれる。
貴女の瞳は……私の大切な人に、よく似ているから―――」
「あ……」
ドキン、とフュリーの胸を、強い鼓動が叩く。
彼女の脳裏を過ぎった面影は、シレジアに本格的な冬が来る前にシレジアを去った、青い瞳の騎士だった。
そう―――ラケシスの恋人であったフィンは、彼女をこのシレジアに残し、主君のキュアンと共にレンスターへと帰国したのだ。
その後、彼女がフィンの子を身篭っていた事を仲間は知らされた。
腹の子を想い、その父親を想って、どれほどラケシスが辛く切ない時間を過ごしたか……
気付いて然るべき彼女の心痛にまるで気付かなかった自分を、フュリーは恥じた。
「すみません、私……ラケシス様もお辛いのに、私などに気を遣わせてしまって」
「気にしないで。私が言い出した事よ」
泣きそうなフュリーの肩に手を乗せ、優しく促す。
「……話してみて。貴女の胸の内、押し殺している本当の想いを」
フュリーのレヴィンへの想い。
それは切ないほどに真っ直ぐで、理性に抑えられた感情はとても痛くて―――そして、泣きたいほどに胸を締め付ける。
「私……もう、どうしたらいいのか……」
ようやく搾り出した言葉と一緒に、フュリーの瞳に涙が滲んだ。
「……初めてお目にかかったその日から、ずっとお慕いしていました。
身分の違いを理解しても……レヴィン様が姉様に心を寄せていると判っても……どうしても、この想いを消す事は出来なかった」
苦しくて苦しくて―――今までずっと胸に秘めていた想いが、奔流となって溢れ出す。
零れ落ちる涙を拭おうともせず、ただ彼女は想いの全てを言葉に乗せた。
「だけど私は、もうシルヴィアのようには振舞えない。まだ子供だからと、許される時間は終わってしまった。
シレジアにとってレヴィン様は無くてはならない方だから―――私は、王子の重荷になりたくないんです。
でもそんな柵(しがらみ)などから自由なシルヴィアを妬ましく思うのも私自身で……やっぱり、心は偽れない……!」
強く胸の前で握り締められた拳に、ラケシスの手が重ねられる。
シレジアの夏の緑を映したフュリーの瞳を真っ直ぐ見詰め、『なら、偽らなければいいわ』と彼女は呟いた。
「好きなんでしょう?レヴィン様の事が。なら偽る必要なんて無い。自分の心に素直なままでいいじゃない」
目を瞠ったフュリーの頬の涙を、穏やかな微笑を浮かべたラケシスが手布でそっと拭う。
「……お互いの立場や身分の事……今の貴女と同じように、私の事では、フィンもずっと苦しんでいたんだと思う。
当時の私はエルト兄様の死もあって……正直、死んでもいいと思っていたから」
「ラケシス様……」
『済んだ話よ』と、ラケシスは目を伏せた。
「だけどいつか私も彼の想いに気付いて……苦しんだわ。
辛かった―――だって、私も彼を愛してしまっていたから」
フィンは寡黙で誠実で―――そして、不器用な優しさを持った騎士だった。
異母兄を喪い、生きる望みを失くした自分に、彼は自分の命すら賭けて生きろと言ってくれた。
何がきっかけだったのかなど、もう憶えていない。
ただ生と死の狭間で―――自分は、一生に一度の恋をした。
「生きる事を諦めていた自分に、死ぬなと言ってくれた彼を……私は喪いたくないと思った。共に生きたいと願った。
そして彼も、そんな私を―――愛してくれたのよ。
私は彼を愛した事を誇りに思う。彼に愛された自分を誇りに思う。
あの人と一緒に居られた時間は決して長くはなかったけれど―――確かに私は幸せだった。そして、今も―――」
そっと腹に手を当て、空を見上げたラケシスの横顔はどこまでも澄み渡っていた。
鳶色の瞳には寂しさが宿っている。
ふとした表情にも、フュリーを見る眼差しにも、それは感じられる。
だが、彼女は後悔してはいなかった。
フィンを愛した事、彼に愛され、その子を身に宿した事を誇りに思っている。
運命はまたも彼女から愛しい者を引き離したけれど、その運命すら受け容れて、それでもなお幸せだと言えるほどに―――
「想い続ける事こそが力になる。
だからフュリー、貴女も負けないで―――レヴィン様を、本当に愛しているのなら」
自分に向けられたその笑顔に、フュリーは頷き、握った拳で目尻に残る涙を拭った。
泉のほとりに佇んで話す二人の姿を、城砦の上から見下ろす人影が一つ。
癖のある翠髪に草木染の布を柔らかに巻きつけ、城砦に肘をつき、もたれかかるようにしてぼんやりと視線を落としているのはレヴィンその人だった。
距離があるため、話の内容までは判らない。
風の精霊に仲介を頼めば、距離を無視してこっそり会話を盗み聞く事くらいは可能だが、そんな無粋な真似をする気は無い。
涙を流したのか、フュリーが目元を拭った時には一瞬腰が浮きそうになったが―――
一緒に居たラケシスが宥めたのか、すぐに笑顔を取り戻し、内心安堵する。
「やほー、レヴィン。なにを一人で百面相しながら黄昏てるわけ?」
その背中に陽気な声がかけられ、レヴィンはついていた肘をガクッと滑らせた。
長く伸ばした髪をツインテールに結った踊り娘のシルヴィアが、いつの間にか傍らに立っている。
「いや、ちょっとボーっとしてただけで、別に黄昏ていた訳じゃ……って、何か用か?」
「どれどれ……ああ、ふーーん。なるほどね」
「何がなるほどだよ。人の話聞けよ、お前は」
レヴィンの肩越しに庭園を見下ろした彼女も、泉のほとりのフュリーたちの姿に気付いたようだ。
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて見せる。
シルヴィアは歳の割に苦労して来たせいか、妙に世間擦れしている。
が、性根はとても素直な娘だ。
素直ゆえに思った事がそのまま口に出る頻度も高く、それは確かに美点ではあるのだが、レヴィンは正直彼女の裏表の無いその素直さが苦手だった。
「……素直じゃないね、レヴィン。言ってあげればいいのに。
フュリーが待ってるのは、たった一言なんだよ?」
その言葉に、レヴィンは不意に夢から醒めたようなような顔つきになった。
目の前に直視するのを避けていた現実を突きつけられたかのように。
「……今はまだ、言えない―――言う時じゃないよ」
「じゃあ、いつならいいの?」
切り返したシルヴィアの面には、微塵もからかうような素振りはなかった。
ただ率直に、胸に浮かんだ疑問をぶつけてくる―――痛いほどの現実を。
「シグルド様とかは認めたくないのかもしれないけど、あたし達はグランベルを相手に戦争をしてるんでしょ。
迷ってたら本当に大切な事を伝えられないまま、永遠にサヨナラしなくちゃいけないかもしれないんだよ?
口で何て言ってたって、フュリーの事が気になって仕方ないくせに」
「……本当に、お前は痛い所ばっか突いてくるな。お前のそういうとこが、俺は苦手なんだよ」
苦笑いを浮かべ、風に靡く癖髪に手を入れる。
「あらぁ、どういたしまして♪」
「褒めてないし、感謝してもいないぞ」
「またまた〜もう、素直じゃないんだからぁ」
敢えて明るい口調のシルヴィアの頭を、お返しとばかりにレヴィンがグリグリと撫でた。
「―――今は逃げ回っていても、俺はいつかこの国を継がなきゃならない。
俺がもしフュリーを選べば……あのドロドロとした権力争いの中に、あいつを巻き込む事になる」
彼女の、あのまっすぐな瞳に恋をした。
告げる事で喪うのを、傷付く事を恐れているのは―――自分自身。
「この手で守れるものなんてほんの少しだ。なのに国も、母上も、仲間も……全て守りたいと思う俺は、わがままなんだろうか」
「いいんじゃない?それで。
全部諦めて何もかも投げ捨てて逃げるのも、国もお母様もあたし達も、全部守る為に必死に足掻くのも―――
悩んで苦しみながら、レヴィン自身が選んだ事でしょう?
どちらが本当に自分が望む事か、その答えは自分で見付けないといけないけど」
揶揄するように、見上げる深い緑色の瞳がレヴィンを映す。
「だけどフュリーには一言フォローしてあげるべきね。あの子絶対あたし達の事、誤解したまんまだから」
「それは、お前がわざわざ余計な事を吹聴して回ったからだろうが」
頭の痛そうな表情を浮かべつつ、レヴィンが子供の悪戯を嗜めるようにシルヴィアの額を軽く指で弾く。
アグストリアでシグルド達に合流した時にも、その後フュリーと再会した時にも、『あたしはレヴィンの恋人でーす♪』とこれ見よがしに言い放ち、
否定するのも面倒になって無視しようとすると『あたしを捨てるのね…酷いッ!!』などと言って回ったもんだから、
『でまかせだ』と言い訳して歩くのが大変だったのだ。
こちらの気苦労など何処吹く風で、シルヴィアはニッコリ笑顔を浮かべた。
「あたしレヴィンはとっくに見限って、今はクロード様一筋なのにねぇ」
「爽やかな笑顔で、キッツイ事言うね。お前……」
コロコロと鈴を転がすような笑い声に、ガクッとレヴィンが肩を落とす。
この娘は苦労して育ったが故に根っから前向きなのだ。彼女の冗談や軽口に、本気で付きあっても疲労するだけである。
「他の連中が冗談だからと右から左へと受け流すような事でも、中には真に受ける奴も居るんだ。
お前が無い事無い事言って回ったお陰で、未だに拗(こじ)れてるんだぞ?」
そのうち周囲の方が慣れて来て、レヴィンとシルヴィアはノリの合う兄妹のようなものなのだといつの間にか解釈され―――
全くその通りだった―――いちいち訂正する必要は無くなったのだが。
自分とシルヴィアに遠慮しているつもりなのか、今に至って唯一わだかまりを残したままなのが肝心のフュリーなのである。
「だってねぇ、ちょっとくらい意地悪したっていいじゃない?
こーーんなに大事に思われてるのに、『身分違いだから』『私なんて』って、最初っから諦めちゃってるんだもの。
そういう自分から幸せになる権利を放棄する考え方って、あたし大嫌いなの」
世間は女が一人で生きていくにはあまりにも冷たかったから。
何かに縋り、時には屈辱を受け容れる事も知らないと、生きてはいけなかったから。
だから、決して自分から諦める事はしなかった。
生きているという、その事自体が幸せ。
幸せになりたいと願い続ける限り、諦めずに頑張れる。
そうして必死に生きてきたから、今の自分が在るのだ。
「向こうがどう思ってるかは知らないけど、あたしはフュリーの事も友達だって思ってるわ。だからあたしはフュリーにも幸せになって欲しいの。
身分違いだっていいじゃない。周りが認めてくれなくてもいいじゃない。
レヴィンと結ばれて、いつか可愛い子供も産んで。反対する連中が居るなら、自分こそが相応しいって事を身をもって判らせてやればいいのよ。
突っついたら反発して自己主張してくると思ったのに、逆に身を引いちゃうとは予想外だったけど」
「……あいつは、そういう奴なんだよ。昔から争い事は嫌いだった。
何かで揉めそうになると、いつも自分が一歩引いて―――なのに、あいつは望んで天馬騎士になった」
事故で親を喪い、王宮に引き取られた時点で、少女たちは天馬騎士となる道を選ぶ事がほとんどだった。
決して天馬騎士になる事が選択肢の全てではない。
希望すれば他の職に就く事も出来るし、そうして成人した後に王宮を出て行く者も少なくない。
だがフュリーは、敢えて他の道に進もうとはしなかった。
彼女が姉のマーニャに続いて天馬騎士を志したと耳にした時、一度だけ尋ねた事がある。
争う事が嫌いなのに、何故天馬騎士になるのかと―――
『天馬騎士になれば、ラーナ様やレヴィン様を守る為に最後まで戦えるから』
それは生きる為の覚悟ではなかった。
最後には自分が盾になって、母と自分を守るのだという悲しい決意―――
だからレヴィンは国を出た。
このまま自分が留まれば必ず叔父との跡目争いになる。
小さな火種はやがて大火となり、シレジアという国を焼き尽くしてしまうだろう。
それは即ち、自分が守りたいと願った人々を戦場に立たせる事に他ならない。
侵略からシレジアを守る為なら自ら戦う覚悟があったが、国も民も犠牲にする争いにレヴィンは意味を見出す事が出来なかったのだ……
「ねえ、ずっと聞きたいと思っていた事があったんだけど」
「俺にか?」
上の空ではなく、彼がちゃんと自分の話を聞いている事を確かめ、シルヴィアは言葉を続ける。
「アグストリアの小さな村で初めて会った時、何であたしに声をかけようと思ったの?
あたしを見た時、レヴィンが凄く驚いた顔をしたの、はっきり憶えてるわよ」
そう―――まるで予想もしない場所で、会う筈のない人に出会ったかのように。
一瞬息を呑み、給仕の手伝いをしながら目が合ったシルヴィア自身まで思わず立ち止まってしまうほど、じっと凝視して。
数秒の沈黙の後、彼はハッとしたように頭を振ると、自分に声をかけたのだ―――こんな所で同郷の者に会うとは思わなかったと、小さく呟いて。
それがどういう意味なのか、その時の自分には判らなかったけれど。
「あたしは自分を見てもらおうと一生懸命だったのに、レヴィンは最初から、あたしを通して別の誰かを見てた。
フュリーに会って、初めて会った時のレヴィンの言葉の意味も判ったけどね」
翠髪は、圧倒的にシレジア生まれの者に多い特徴なのだ。
シレジア生まれだからと言って必ず翠髪ではないし、シレジア生まれでなくても翠髪の者は居るが、
両親共に古くからのシレジアの血統なら、まず間違いなく翠髪の子が生まれると言っても過言ではない。
またシレジア生まれ以外で翠髪を持つ者も、調べてみると祖母がシレジア出身だとか、曽祖父がシレジア生まれだったというケースが多い。
シルヴィアは親の顔すら憶えていないが、もしかしたら親や祖父母にはシレジアの血が入っていた可能性がある。
だからこそ、レヴィンは自分を見て驚いたのだろう。
跡目争いを避け、王子である自分を知る者の居ない土地に逃れて来た筈なのに、突然故郷を思い出させる容姿の持ち主が現れたのだから。
「……俺がその時どんな顔をしてたかなんて、もう憶えてないけど……」
いつまでも変わらず傍に在ると信じていた。
喪われる筈など無いと思っていた。
だから怖くなったのだ。
いつか彼女が自分の盾となって、命を落とす日が来るのではないかと。
現実から目を背けるように国を出たのに、シルヴィアの姿を初めて目にした時、思わず浮かんだのは彼女の名前―――
『フュリーは天馬騎士として、シレジアとレヴィン様をずっとお守りします』
天馬騎士になる事を選んだフュリーの、もう一つの言葉。
彼女の笑顔とその言葉を、一日とて忘れた事は無い。
「お前の言う通りなんだとしたら―――その髪の色に惹かれたのかな」
それから数ヶ月の後、束の間の平穏は終わりを告げた。
トーヴェの城主マイオス公が遂に兵を動かしたのを皮切りに、
ザクソン城主ダッカー公も、時を同じくしてシレジア王宮のラーナ王妃に対して挙兵したのである。
ラーナ王妃は最後まで犠牲者を出さず、両公爵との和解を望んでいたが実を結ぶ事は無かった。
そして―――
「先見隊より報告!
シレジア城守備に就いていたマーニャ隊長率いる天馬騎士団が、
パメラ隊とバイゲリッターの挟撃に遭い、隊長以下……全員戦死……!!」
「戦死!?あの、マーニャ殿が……!?」
軍議の為に広間に集まっていたシグルド達は、一様に言葉を喪った。
マーニャはアグストリアでグランベル軍に包囲された際、シレジアへと逃れるように働きかけてくれた騎士である。
槍の腕は天馬騎士隊長の中でも随一で、ラーナ王妃の信頼も篤く、
またフュリーの実姉であった彼女は王妃の名代として度々セイレーン城を訪れては、シグルド達に便宜を図ってくれたのだ。
その彼女が討たれたという報せに、フュリーとレヴィンは蒼白となった。
「それで、現状は?シレジア城のラーナ王妃はご無事か!?」
「バイゲリッターはマーニャ隊の殲滅を見届けた後、軍を返しました。
マーニャ隊の反撃で一部を欠いたものの、パメラ隊はトーヴェ方面へ北上中!」
フュリーはよろめくように仲間から離れた。
背後に聞こえるシグルドと伝令の声が酷く遠い。
「そんな……嘘よ。姉さんが……」
つい先日セイレーン城を訪れた姉は、『また今度ね』と笑って言ったではないか。
しっかり者で頭が良くて、幼い頃から憧れだった姉が。
両親を喪った時にも、城に上がった時にも、いつも傍に居て支え続けてくれた姉が。
―――死んだ?
―――いいえ、殺されたのよ……!
「フュリー!?」
広間を走り出たフュリーを、後を追ったレヴィンが辛うじて引き止めた。
「馬鹿な事をするな!たった一人でトーヴェに行く気か!?
相手はお前と同じ騎士隊長で、しかも部下を率いているんだぞ!死にに行くようなものだ!!」
「死んだって構いません!放して下さい!―――放して!!」
振り返った彼女の頬には止め処もなく涙が流れていた。
姉を喪った哀しみと怒りが炎を灯し、燃えるような瞳がレヴィンを見据える。
「守るべき国を売ったマイオスとダッカーを私は赦さない!
私欲に目が眩み、姉さんを殺した人達を絶対に赦さない!!私が、この手で―――!!」
「落ち着け、フュリー!」
長く一緒に過ごしたレヴィンでさえ見た事が無い程の激しい感情に、彼女は身も心も委ねていた。
レヴィンに対して臣下の礼節を取る事さえ忘れ、怒りに震えながら掴まれた腕を振り解こうともがく。
「命なんて惜しくない!刺し違えてでも私が必ず……!!」
「フュリー!!」
パァンッ!と、頬を叩く音が響いた。
「しっかりしろ!無謀と勇気は違う!!
守りを顧みない今のお前が出れば確実に殺される!マーニャはそんな事を望んじゃいない!!」
フュリーが頬を押さえ、放心したようにレヴィンを見やる。
打たれた自分よりも、手を上げたレヴィンの方が遥かに辛そうだった。
「自分の命が惜しくないなんて、俺の前で二度と口にするな!頼むから、フュリー……!!」
「レヴィン……様……!?」
ハッと、フュリーが息を呑む。
レヴィンは泣いていた。
我が強く、意地っ張りで、どんなに辛い事や悔しい事があっても、自分の前では決して弱音を吐かなかった彼が―――
「お前だけは……喪いたくないんだ―――だから、俺一人を置いて死ぬなんて言わないでくれ……!!」
「レヴィン様っ……」
頬を伝う涙もそのままに、息も出来ぬ程強く腕の中に抱き締められる。
思いもかけないその強さに、フュリーは声を詰まらせた。
「俺は臆病者だった。
傷付く事を恐れて、何一つ選べないまま甘え続けて―――マーニャを救ってやれなかった。俺の咎だ……!」
―――どうぞ、レヴィン様のお心のままに。
国と民を巻き込む事になっても犠牲を増やさない為に戦うべきか迷う自分の背を、彼女は笑って押してくれた。
マーニャは憧れの女性だった。
いつまでも子供の部分を引き摺ったままの自分を激励し、時には諌めながら、今日まで導いてくれた姉のような存在だった。
想いを寄せていると告げた事もある。
だがそれは恋ではなく憧憬だと、彼女自身に諭されて気が付いた。
本当に自分が愛しく想うのは誰なのか。
最後のその瞬間まで、傍に在りたいと願うのは誰なのかを。
―――聖なるフォルセティの正統なる後継者であるレヴィン様にお仕えする事こそ、我等シレジアの民の誇り。
でもフュリーが騎士となる事を選んだのは、それだけではありません。
争い事を厭うあの子が、何故騎士を志したのか……どうかよくお考え下さい。
「トーヴェへは俺が行く」
ゆるりと頭に巻きつけてあった飾り布を外し、フュリーの手に握らせる。
それだけで彼は道化がかった吟遊詩人から、聖遺物の継承者の顔になった。
「フュリー」
「はい……!」
顔付きばかりか魂の輝きさえ見違えるようで、ただ見詰める事しか出来なかったフュリーが弾かれたように返事をする。
「俺は必ず此処に戻ってくる。
だからお前は此処に残って、俺の還る場所を守っていてくれ―――絶対に死ぬな!」
レヴィンを守る為に騎士として生きると決めた時から、彼の盾となって死ぬ覚悟はあった。
共に戦う事を選びたかったが、聖戦士の直系として戦う事を決めたレヴィンに付いていく事は妨げにしかならない。
ならば自分に出来る事はただ一つ―――新たに浮かぶ涙を拭い、フュリーはしっかりと頷いた。
広間の外での騒ぎに気付き、遠巻きに様子を見守っていた仲間達からも安堵の息が漏れる。
その中からエーディンが一振りの杖を手に進み出た。
彼女と視線が合うと、レヴィンも小さく頷き返す。エーディンが手にしていたのは転移魔法(ワープ)の杖だった。
静かな呪文の詠唱の声と共に、まるで風に融ける様にレヴィンの姿が滲んで行く。
「レヴィン様……どうか、ご無事で……」
「―――運命がどれ程お前を苛もうとも、決して忘れないで欲しい」
フュリーの頬に手を触れたレヴィンの面に、少年の日のままの懐かしい笑みが浮かぶ。
「いつの日も変わらずに……お前だけを愛しているよ」
重ねた掌に温もりを残し、彼の姿は掻き消えた。
「何故……!?セイレーン城に居た筈の貴方が、何故此処に居るのですか!?王子!!」
吹きすさぶ雪の中、トーヴェ城の城砦に立つレヴィンの姿を目にして、パメラは蒼白になった。
敵として目の前に現れたのが王子だと知って、パメラが率いていた部下達にも動揺が走る。
「―――お前はマーニャの仇。そしてシレジアを内から滅ぼす裏切り者。
俺は王家に生まれた者の責を負いに来た。これ以上無益な血を流させない為に―――」
真っ直ぐ差し上げられたレヴィンの右腕に風が集まる。
風に姿かたちなど存在する筈も無いのに、まるで竜が首をもたげたかのような圧倒的な威圧感にパメラは眩暈すら覚えた。
「……我が声を聞け、シレジアの地を守りし風の精霊よ。
我の名はレヴィン。古の風の王の血を受け継ぎし、フォルセティの継承者」
「風…が―――!?」
自分に向けられたその一撃が、パメラの目には恐ろしくゆっくりと見えた。
それは自らの犯した罪の深さを知れという、神竜フォルセティの意思だったのだろうか。
風の王の怒りを映し、猛々しい唸りを上げ風の刃が振り下ろされる。
「汝が守護する国と民を滅ぼさんとする者を、その刃をもって裁き給え―――エルウィンド!」
「きゃあああああッ!!」
要となる解放の呪文と共に、まるで嵐の只中に飛び込んだかのような風がパメラと部下を襲う。
彼女達は騎乗していた天馬からことごとく投げ出され、トーヴェの地に果てた―――
見習いとしてトーヴェに配属されていた一人の若い天馬騎士が、レヴィンをセイレーンまで送り届けてくれた。
目に見える外傷こそ無かったものの、一瞬で膨大な風を制御し、十数騎の天馬騎士をたった一人で退けた彼は、
精神的な疲労でしばらく身動きが出来なかったのである。
無事であるという報せだけ先に飛ばし、一刻(二時間)ほど休んでからセイレーンに戻った彼を待っていたのは、
不安そうな表情で雪の降る城砦に立ち尽くしたフュリーだった。
「レヴィン様っ……!!」
天馬から降り立ったレヴィンの元に駆け寄り、彼の無事を確かめる。
名を呼ぶ以外に、言葉が出て来ない。
鼓動を確かめるように、涙の流れる頬を胸に押し当てた。
「良かった……レヴィン様にもしもの事があったら、私は……!」
「俺は大丈夫だ―――心配を掛けて済まなかった」
泣きじゃくる子供を宥めるように、レヴィンの手がゆっくりとフュリーの髪を撫でた。
自分の身をこれほどまでに案じてくれていた彼女の想いに、元は臣下であった者を直接手に掛けた事で冷えきった胸に微かな温もりが戻る。
「フュリー……俺にはシグルド公子のような、全てを受け容れられる優しさは無い。
国の為に命を惜しまなかったエルトシャン王のような潔さも、友の窮地に駆け付けるキュアン王子のような誠実さも無い。
そんな俺が一度は逃げ出したこの国に戻ったのは、王子として生まれた俺にしか出来ない事があるからだ」
私欲により国を簒奪しようとしていた裏切り者に手を貸してはいたが、パメラも彼女の率いていた部下達も、同じシレジアの民だった。
自分の行為は、マーニャを討ったパメラと同じではないのか。
大儀と正義を振りかざし、守るべき民を手に掛けた自分に―――王族を名乗る事は赦されるのか。
「俺の手は、守りたいと願い続けたシレジアの民の血に濡れてしまった。
そんな俺にも、まだこの国を守る資格があるだろうか」
「―――ならば流されたその血を無駄にしない為に、王子にしか成せない事をその身で果たしてください。
貴方の背負うその悲しみと苦しみが、いつの日かきっとシレジアを救います」
愛おしむように、フュリーの腕がレヴィンの背を包み込むように抱きしめた。
優しい温もりに身を委ね、レヴィンが静かに目を閉じる。
その頬には、一筋流れる涙があった。
命の重さをそれぞれの手に残しながら、パメラ隊の壊滅により、シレジアの内乱は終わりを迎える事になる。
シグルド公子を初めとする主だった者たちを死に至らしめたバーハラの悲劇は、翌年の夏の事であった―――
「セリス様、貴方は……貴方達若い命は、私達が必ず守ります」
まだ幼いセリスの前に跪き、深い悔恨と強い意志を眼差しに秘めたオイフェが誓う。
彼の傍らには唇を噛み締めたシャナンが、そして二人を見守るように―――レヴィンの姿も在った。
「その為に俺達は―――あのバーハラで果てるべき運命にあった命を長らえたのだから」
運命に翻弄され、悲運の生涯を終えたシグルドの忘れ形見。
共に最後まで運命に抗った仲間達の命を受け継ぐ、若い命達。
そしていつか還りたいと願い続けた故郷。
愛する者。
大切な場所。
誰にも侵させはしない―――例え、この身を礎にしようとも。
針仕事をしていた手を止め、フュリーが顔を上げる。
傍で生まれたばかりの初孫をあやしていたラーナが、窓辺に立った彼女に声をかけた。
「どうかしたの、フュリー。外に何か?」
「いいえ、お義母様」
振り返ったフュリーの髪がふわりと風に舞う。
まるで誰かの手が、戯れに髪を梳いたかのように。
―――お前なら解ってくれるだろう?フュリー……―――
「今、風が―――呼んだ様な気がしたんです」
風の運んだ囁きに応える様に、フュリーは柔らかな微笑を浮かべた。
【FIN】
あとがき
個人誌『Crystal Green』より、漫画で描いていた同タイトルのストーリー漫画をSSに書き起こしました。
諸事情により随分長い間作業をしていた作品なのですが、ようやくSSとして完結させる事が出来ましてヤレヤレです。
実質二年くらい、作業途中のままフォルダの中で熟成されてた……(笑)
今回、聖戦祭を開催するに当たって結局冒頭から再度手を入れ直し、最終的に一ヶ月くらいで現在の形として仕上がった次第です。
レヴィン×フュリーが中心であるにも関わらず、フィン×ラケシスとか(気持ち)クロード×シルヴィアとかまで盛り込んだので、
色々纏めるのに時間が掛かったらしい(^_^;)
中盤、レヴィンとシルヴィアが話してるシーンとか、ラストシーンのレヴィンとフュリーの遣り取りは、原作に比べてかなり加筆しています。
一方漫画のラストページにはその後のシレジアやフュリーの事などを少し書いていたのですが、
今回SSに打ち直した事で蛇足な感が強くなった為に、敢えてカットしました。
説明くさいテキストが最後になるよりも、レヴィンとフュリーの目に見えない繋がりで終わって行った方が綺麗だと思ったので(^_^)
麻生 司
2006/09/21