「一度聞いてみたいと思っていた。
レックス、お前は一体私の何処が気に入ったんだ?」
「…………は?」
愛しい妻から唐突に投げかけられた質問に対しての、それがレックスの第一声だった。
What of me do you love?
「……で、アイラに殴られた訳だ」
「だっていきなりだぞ?
何の前触れも無く突然『私の何処が気に入ったの?』なんて聞かれたら、咄嗟に返答に困らないか?」
セイレーン城の、とある昼下がり。
頬に手形をつけたレックスの前には、苦笑いを噛み殺すアゼルと、呆れた表情のティルテュ。
朝から降っていた雪も止んで、談話室には明るい陽の光が射し込んでいた。
「……あんた、馬鹿でしょう」
「馬鹿言うな!……失礼な奴だな、全く」
はっきりティルテュに言い切られ、流石にレックスのこめかみにも青筋が浮かぶ。
「馬鹿に馬鹿って言って、何が悪いのよ。それが子供まで作った夫婦の間で交わす会話?
まったくもう……昔から気の利かない男だとは思ってたけど、此処まで底なしだとは思わなかったわ」
立て板に水を通すような勢いでティルテュが一気にまくし立てる。
ヒクッと口元が引きつった幼馴染に気付き、どっちを止めるべきかアゼルは逡巡するような表情を見せた。
「あのな、知らないようだから教えてやるが、これでも俺はバーハラの士官学校ではいつも成績はトップだったんだ。
お望みならここでグランベルの歴史演説か法講義でもやってやろうか?」
「へえぇ、そりゃ知らなかったわ。じゃあ、言い直してあげる。士官学校のエリート様は、勉強は出来ても頭は悪いのね」
『ああ言っちゃった』という顔で、アゼルが額に手を当てる。
案の定、レックスの顔色は怒りの赤を通り越して青くなっていた。
「……ほほう、この俺相手によくもそんな暴言を……上等だ、ちょっと表に出るか?」
「こらこら、一体何の勝負をする気なのさ!」
結局幼馴染と恋人の間に入って、アゼルは二人いっぺんに宥める事になった。
「ティルテュはちょっと言い過ぎ。レックスも少し頭冷やせよ。端で見てると、ただの子供の喧嘩だぞ」
「だって本当に子供なんだもの、このスットコドッコイ」
ビシ!と遠慮無くレックスを指差し『あっかんべ』と舌を見せたティルテュに、レックスのこめかみに浮かんだ青筋が数を増す。
「あー……なんかもう、馬鹿馬鹿しくって怒る気にもならないわ。こんな男が旦那様だなんて、本っっ当ーーーにアイラが可哀想。
此処に居るとあたしまで気分悪くなるから、アイラの所に行って来る。
アゼル、レックスにアイラが怒った理由をちゃんと説明してあげて。お馬鹿さんでも理解出来るように、優ーーーしくね」
「この…まだ言うか!」
「まあまあ、落ち着いて」
カッとなって席を立ちかけたレックスの肩を押さえ、ティルテュが談話室から出て行くのを見届けると、アゼルはやっと手を放した。
「ティルテュの言い方も極端だけど、でもこの件に関しては確かにレックスが悪いよ。
『何処を好きになったの』って聞かれたのに『判らない、何処だろう?』じゃあ、アイラが怒るのも無理ないよ」
「む……そりゃ、まぁ……」
馬鹿と言われた事に腹は立つが、自分が悪いと言われて否定出来ないのも事実なのだろう。
「でもな、改めて聞かれると、本当に何なんだろうって思ったんだよ。
そりゃあ、アイラは器量はいいさ。イザークの王女というだけあって、黙ってりゃ品も有る。
だが実際にはお淑やかとは言い難いし、口より手の方が先に出るし、お世辞にも気が長いとは言えない。
なのに俺は、一体あいつの何処に惚れたんだろうってなぁ」
「……レックス、間違っても今の台詞、ティルテュやアイラ本人の前で口にしないようにね。
ティルテュのトローンは止めてあげられても、僕は君の代わりにアイラの流星剣の盾になる気はないよ」
『一発くらいティルテュにトローンを撃ち込んで貰った方が良かったかもしれないなー』…などと、
不穏な事を考えながらアゼルは一つ溜息をついた。
「……と、言う訳なんだ」
「まあ……それで、レックスを引っ叩いて部屋を飛び出してしまったのね」
一方ラケシスに振り分けられた私室では、アイラが部屋の主を相手に事の顛末を語っていた。
「アイラがそんな悲壮な顔をする事ないわよ。今回の件は、絶対レックスの方が悪いんだから」
そのアイラの傍らには、レックスから先に話を聞き、呆れて談話室を出たティルテュの姿もある。
勿論、アイラの方に肩入れする気満々だ。
「私はラケシスやエーディン程付き合いが長くないから、アイラの事は正直まだよく知らないわ。
でもレックスの事は、よーーーく知ってる。歳が近いせいで、一時期アゼルも含めてよく三人でつるんでたのよ。
あの男は今も昔も口が悪くて、皮肉屋で理屈っぽくて、人の神経を逆撫でする事にかけては超一流。
それだけでも大概頭にくるのに、人並み以上に成績が良いってのが余計に腹が立つのよね」
「そうなのか?」
レックスが学業優秀だったと聞いて、アイラは少し驚いたような顔をした。
表情から察するに、ラケシスも初耳だったらしい。
「あれ、二人とも何も聞いてなかった?レックスは昔から、歴史講釈とか数式関係には滅法強いのよ。
ドズル家の血を引くだけに腕もそれなりに立つから、士官学校での成績は良かったらしいわ。本人の話ではトップだったらしいけど」
『どうでもいいけどね、そんな事』と、ティルテュはあっさり自己完結してしまう。
何せ歳が近いお陰で、士官学校でのレックスの成績は噂となってフリージ家にも届いていたのだ。
男女の差もあるからまるきり手本にしろとまでは言われなかったが、父から『少しは見習え』と嫌味を言われた事は何度も有る。
何かに付けて優秀だったレックスとは違い、魔法の修行以外の数式やら歴史などを学ぶ事に、ティルテュはあまり前向きではなかったから。
「でもねぇ、いくら数式や歴史に強くて利口なんだとしても、人として本当に大事な事に疎いままじゃどうしようもないでしょ。
勉強が出来ても頭が悪い人ってのは居るのよ、レックスみたいに」
「酷い言われようね。その調子で言い負かしてきたんじゃ、さぞかしレックスも気を悪くしたんじゃない?」
クッと喉の奥で笑いを噛み殺しながら、ラケシスが苦笑いを浮かべる。
ティルテュはパタパタと手を振ると、『気にしない気にしない』と呟いた。
「私は事実を指摘しただけよ。それにあいつがアイラに吐いた暴言を考えたら、相応の報いだわ。
一生連れ添う相手と選んだ女性の、何処が好きだか判らないなんて。まったく、ふざけるんじゃないわ!」
「まるで私じゃなく、ティルテュが直接喧嘩したみたいな勢いだな」
自分の代わりのようにレックスをこき下ろして怒るティルテュを見ている内に、沈んでいたアイラの表情が少し明るくなる。
子を産んでからというもの、体調や環境の変化で情緒不安定気味だったのが、少し発散されたのだろうか。
ちなみに今、生まれて間もない双子はエーディンが自分の上の子と一緒に見てくれている。
『一人でも大変なのに、二人いっぺんにじゃ気が休まらないでしょ』と、城の侍女達と一日子守を引き受けてくれたのだ。
夫婦喧嘩にかこつけて、育児放棄をしている訳ではない。
だが愚痴を零す相手にエーディンの所ではなく、ラケシスの部屋の扉を叩いたのは、無意識下でそうしたい理由があったのだと思う。
「なんだか二人に話したらすっきりした。聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして。こんな事で気が晴れるのなら、いつでも付き合うわ」
そう言って笑顔を見せたラケシスの傍らには、在るべき人の姿が無い。
多分、それが彼女を選んだ理由だった。
「……ラケシス、貴女は何故フィンを選んだのだ?」
ラケシスの恋人は、レンスターの騎士フィンだった。
だが彼はシレジアに本格的な雪の季節が来る前に主君であるキュアン、エスリンと共に帰国し、彼女の傍に居ない。
愛しい人と離れなければならなかった彼女であれば、他の誰とも違う意見が聞けると思ったのだ。
不意に向けられた問い掛けにラケシスは少し驚いたように目を瞬かせたが、まるで自分自身に確かめるように、ゆっくりと答えてくれた。
「―――そうね。理由は幾つもあって、一つではないけれど……
あの人は兄を喪い抜け殻のようになっていた私に、命懸けで生きろと言ってくれた。
自分の為に生きていてくれと……そう、言ってくれたの」
フィンは文字通りその身を盾にして、自分の命を救ってくれた。
亡くなった兄以外に自分の存在を欲してくれる人が居る事を知り、生きる理由を見付ける事が出来た。
フィンはレンスターへ帰国する事を受け容れ、自分はシレジアへと残る事を選んだ。
寂しくないと言えば嘘になる。
だが例え遠く離れていても、大切な人の存在は、今も自分を変わらず支えてくれている。
今はそれで十分だった。
「じゃあアイラ、貴女はレックスの何処を好きになったの?」
「私?」
ラケシスが尋ね返し、ティルテュが目で答を促す。
レックスの幼馴染――本人同士は腐れ縁と言うが――としては、一体彼のどの辺りに惹かれたのか興味津々なのだろう。
「私は……」
噛み締めるように呟き、一度言葉を切る。
自分が彼に惹かれたその理由、心を寄せるきっかけとなったその訳を確かめるように目を伏せて。
「レックスだけは―――私を特別扱いしなかったから」
しばしの沈黙の後、アイラはそう答えた。
「でもさ、レックスってアイラに対して遠慮しないよね」
他に人の居なくなった談話室で、アゼルはレックスに常日頃感じていた事を率直に話してみた。
突然別の話を振られて、レックスが少々困惑したような表情を浮かべる。
「まぁ……あいつ相手だからって、特に気は遣わないな。
でも普通そんなもんだろ?恋人とか、嫁さんってさ。お前だってティルテュ相手に気を遣ったりするか?」
「僕たちは―――君も含めてだけど、幼馴染だし。
そりゃあずっと一緒に居た訳じゃないけど、それでも僕等は互いの子供の頃を知ってる。だから、その延長線上に今の僕たちが在る。
その証拠に、君にだってティルテュは遠慮しないだろう?」
確かにそうだ。
彼女は一見奔放だが、あれでも公爵家の令嬢なので、一応相手を見て接し方を変える。
つまり彼女が奔放に振舞うのは、その奔放さが許される相手に対してのみなのである。
ごく幼い頃を見知っているという縁のお陰で、正面切って『馬鹿』と連呼される程には、レックスも気を許してもらっているようだ。
またしても不快な事を思い出してレックスは不機嫌そうに眉を寄せたが、アゼルはそれで話を終えなかった。
「―――でも、アイラは違うよ。
ジェノアで人質になっていたシャナンを助けて貰った恩に報いる為に、彼女はシグルド公子に味方した。
彼女達の素性を知った後も、シグルド公子を始め他の誰もが彼女が敵にならなかった事を喜び、彼女を仲間と受け容れた。
けど、アイラは―――」
「何故かいつも……居心地悪そうにしていたな」
軽く顎を引き、アゼルが頷く。
「君達は僕やティルテュのように幼馴染でもなければ、元にラケシスとフィン、レヴィンとフュリーのような主従関係が在った訳でもない。
敢えて言うならジャムカとエーディンに近いのかもしれないけど……アイラとジャムカは違う人間だし、君とエーディンも全く違うから」
国を滅亡から救う為にグランベルに協力する事を選んだ王子と、グランベルに国と家族を奪われた王女。
ジャムカと戦う事を避ける為に自ら交渉役を買って出たエーディンと、アイラから故郷を奪う一因となったランゴバルドの息子であるレックス。
憎みあってもおかしくはなかったのに、何が一体アイラの心を解きほぐしたのか。
「生まれた国も、育った環境も違う。出逢ったのは戦場で、しかも彼女はグランベル本国が敵と見なしている国の王女だった。
色んな事情から仲間達と打ち解けられず、孤立しかかっていた彼女を救ったのは―――レックス、君だよ」
「俺が……救った?」
恐らく、そんな風に考えた事は一度もなかったのだろう。
だがアゼルにそう指摘されて、レックスは微かに目を瞠った。
「レックスはアイラを特別扱いしなかった。最初から対等な立場で彼女に接してた。
最初は一人でぽつんと居る事が多かったアイラの事が気になったのかもしれない。
その一方で、心を開き始めた彼女と接する事で、色んな事が判ってきた。
そう―――例えば口より先に手が出る事とか、あまり気が長くない事とかね。初めの頃は、今以上にしょっちゅう喧嘩してた。
シグルド公子やエーディン達ともよく言ってたんだよ。レックスとアイラの遣り取りは、まるで子供の喧嘩みたいだって」
シグルドやキュアンは、仲間に馴染みきれないアイラを心配していた。
だがレックスを相手に埒も無い事で言い合っている姿を見て、子供のようだと笑いながらも、何処か安心していたのも確かだった。
怒りや鬱憤晴らしであるのだとしても、感情を素直に表に出せる方が自然な姿であったから。
「でもね、アイラの行動、口にする事がいちいち気に障るなら放っておけば良かったんだよ。
なのにどうして、君は敢えてアイラと衝突する事を選んだんだろうね?」
「それは……」
『私の何処が気に入ったのか』と、アイラに尋ねられた時と同じ困惑の表情をレックスは浮かべた。
彼女が変わったとアゼルが感じたのは、確かヴェルダンの事実上の放置が決まり、エバンス城に移動した後の事だった。
それまで言葉少なく、硬い表情が多かったアイラが、レックスを介して少しずつ仲間と打ち解け始め、笑顔を見せるようになった。
そしてその彼女の傍らには、レックスの姿が常にあった。時にはからかい混じりに、時には兄が妹を見守るように。
自分の内なる声を聞くように目を伏せていたレックスは、しばしの沈黙の後、口を開いた。
「……『何処が』と言えるほど、明確な理由なんて判らない。でも……無性に、あいつの事が気になった。
だから傍に居る、話す。でも些細な理由で、何かの拍子に喧嘩になる。
もうこれっきりだと思っていても―――本格的に仲違いをしてしまう前に戦場に出て……
お互いの命を預けて戦っている間に、くだらない理由で喧嘩しているのが馬鹿馬鹿しくなって、何となく元の鞘に収まる。
ずっと―――その、繰り返しだ。出逢った頃も、今も変わらずに」
アゼルがくすっと笑った。
彼は一つ歳下でずっと弟分だったのに、今はまるで弟の発見を微笑ましく見守る兄のような眼差しでレックスを見る。
「つまりレックスはアイラの『何か』じゃなく、『彼女の存在そのもの』が気になって仕方ないんだよね」
たった今目が覚めたような顔つきで、レックスが目を瞬かせた。
何故こんな簡単な事に今まで気付かなかったのだろうかと、訝しむように。
今何をするべきかと考えるよりも先に、身体が動いていた。
「……悪い、俺、ちょっとアイラ探してくる」
「うん。今度は怒らせないように、ちゃんと言ってあげなよ」
談話室を出て行くレックスの背に、アゼルはひらりと手を振って見せた。
「……私とシャナンは異端者だった。シグルド公子と行動を共にする事になった経緯も、生まれた国も。
だからこそ皆、私達に気を遣ってくれた。私やシャナンが気まずい思いをしないように、仲間として打ち解けられるように……と。だけど……」
「腫れ物に触れるように扱われるのが、堪らなかったんだ?」
ティルテュの言葉に、小さくアイラが頷いた。
「私とシャナンを気遣ってくれるのは痛いほど判ってる。でも時々―――どうしようもなく、息苦しかった。
シャナンはまだ子供だから、すぐに皆と仲良くなれたけど。私は……」
表面的には笑って見せても、心から笑う事は出来なかった。
何処かに醒めた自分が居て、自分の故郷と家族を奪った国の者達に心を許すまいと歯止めをかけるように。
意識してシグルドやその仲間達の誠意を疑ったことは無い。
だからこそ、素直にその厚意と誠意を受け容れる事の出来ない自分自身が嫌になっていた。
「そんな時だったんだ。レックスと、初めて二人きりで話したのは」
そんなに昔の事では無いのに、アイラは懐かしそうに目を細めた。
アイラはヴェルダン王城の城砦から見る眺めが好きだった。
生まれ故郷のイザークとは気候も見える町並みも全く違うが、共に自然に抱かれるように佇む様が似ていたのかもしれない。
亡くなった先王バトゥの密葬を執り行ったり、エーディンの説得に応じシグルドへの協力を申し出たジャムカの今後の処遇など、
グランベル本国からの裁定を待ちつつ、ヴェルダン城には十日程前から滞在していた。
空いた時間が出来たり、他の者と一緒では気詰まりがする時などに、昼夜を問わずアイラはこの城砦に足を向けていた。
そんな、ある夜―――
「よう」
ぶっきらぼうな声に振り向くと、背の高い男―――レックスがすぐ傍に立っていた。
「何でこんな所で、一人ボケーっとしてんだよ?」
「……放っておいてくれ。私は、一人で居るのが好きなんだ」
『あっそ』と、背中でつまらなそうな声が聞こえる。
アイラは気付かれないよう、そっと嘆息した。
もう少し愛想良く出来れば、人との接し方も違ってくるのだろう。
あるいはシャナンのように、容易に人の輪の中に溶け込む事も出来ただろうか。
シグルドに助けてもらった事、素性を知ってもなお変わらずに同行を拒まぬその度量の広さには感謝しているが―――
今はもう気を遣われる事も、人付き合いも、何もかもが煩わしい……そう考える自分自身もまた、煩わしい。
だが予期せぬ闖入者は、大人しく引き下がってはくれなかった。
「でもさ、お前が陣取ってるソコ、俺のお気に入りの場所なんだよな」
足元を指差され、咄嗟に返答に詰まる。
此処は自分の居場所だから、さっさと退けという事だろうか。
「……悪かったな。私はもう行くから、好きなだけ眺めているといい」
国を出てからゴロツキや酔漢を始めとして、自分よりも体格の良い男に絡まれるのは慣れているが、揉めると面倒だ。
そうでなくともシグルドと彼の仲間には借りがある。
自分が黙って立ち去る事で丸く収まるなら、それでいい。
だが踵を返したアイラの手は、レックスに掴んで引き止められた。
「まぁ、待てって。誰も退けなんて言ってないだろ?」
アイラをその場に座り直させると、レックスも隣に並んで腰を下ろした。
「いい眺めだよな」
「そうだな」
特に感情は込めず、掛けられた言葉に思ったままの言葉を返す。
此処から見る眺めはアイラ自身も素晴らしいと思っていたから、自然な言葉となってそれは発せられた。
「知ってるか?グランベルの連中は、このヴェルダンを蛮族の国って呼ぶんだぜ。
王家が十二聖戦士の血を引かないってだけの理由で、だ。こんなに綺麗な国なのにな」
「……そうだな」
王家に十二聖戦士の血を受け継がぬヴェルダンを蛮族の国と呼ぶのは、グランベルの傲慢だ。
自分達の文化に染まらぬからと、同じように蛮族の国とイザークを見下げる事も。
それぞれの国にはそれぞれの文化と考え方があって、決してグランベルが世界の中心ではないのに。
「そういやあんたの生まれ故郷も、俺達の国では蛮族の国って呼ばれてたな」
「……」
アイラは答えなかった。
王家が十二聖戦士の血を引かない事で、蛮族の国と呼ばれたヴェルダン。
王家が聖戦士の末裔でありながら、グランベルの意に染まぬ為に蛮族の国と蔑まれたイザーク。
ヴェルダンがグランベルより劣っているとは思わない。
イザークがグランベルより優れているとも思わない。
なのに何故、国を違える者から蛮族などと呼ばれなくてはならないのか。
険しい表情を浮かべた自分に、レックスも気付いていただろう。
だが彼は手を伸ばすと、背に流したアイラの長い黒髪を指で梳いた。
「こんなに綺麗なのに……おかしな話だ。
正しく相手を見ようとせず、生まれた国が違うというだけで見下げる事には何の意味もないのにな」
「……え?」
それは戯言だったのか。
それとも、からかわれているのだろうか。
或いは本当に彼がそう言ったのか、今ではもう自信が無い。だけど……
「レックスは、私と同じ視線で接してくれた。ただそれだけの事が……この上も無く嬉しかったんだ」
やっと自分の居場所を見付けたような気がした。
彼の前でなら、自分は何も気負わなくてよかった。
ぶっきらぼうな口調も、決してお淑やかとは言えない所作も、全て理解した上で自分を受け容れてくれたから。
彼と過ごす時間が、彼の存在そのものが心地よいのだと―――今更ながらに、やっと判ったような気がした。
「じゃあ最後に、一ついい事を教えてあげる」
悪戯っぽい笑みを浮かべたティルテュが、アイラにウインクして見せた。
「昔から皮肉屋で理屈っぽくて、そんな所が鼻について、あたしなんかしょっちゅう喧嘩もしたけど。
でもレックスはあたしにもアゼルにも、絶対に嘘はつかなかったわ。
もしも理由をはっきり言葉に出来なかったのだとしても、レックスが貴女の事を好きだと言ってくれたのならそれは本当の事だし、
綺麗だと褒めてくれたのなら、それも本当の事なのよ」
「レックスが口にした事は、全て真実……だと?」
『そうよ』とティルテュは頷いた。
「喧嘩しながらでも、彼の傍が一番安心出来るのでしょう?」
ラケシスが微笑を浮かべる。
サッとアイラの頬が赤く染まった所を見ると、恐らく的を射ていたのだろう。
「人を好きになるなんて、理屈で割り切れない事ばかりだわ。
でもたった一つでも確かな真実があれば……それでいいんじゃ無い?」
理由を問い質そうとすれば、アイラもレックスも咄嗟に言葉が見付からなかった。
だが内なる声に耳を傾ければ、例え言葉に出来なくても変わらない想いが確かにある。
それこそが理由であり、互いを選んだ証ではないのだろうか。
「時には辛くて、泣きたくなる事もある。それでもあの人を愛した事を、私は後悔していない」
ラケシスの手が、そっと自分の腹に触れる。
彼女をシレジアに残したままレンスターへと帰国しなくてはならなかったフィンの子が、其処には宿っていた。
「アイラ、貴女の傍には今も大切な人が居るわ。
そしてその想いの証として、彼の子を授かった―――貴女は幸せね」
アイラの瞳がハッと瞠られ、ラケシスとティルテュが視線を合わせて頷きあう。
それでいいのだと背を押すように。
「私……レックスに謝らなきゃ」
「報告は明日でいいからね。これを機会に、今日はとことん話し合いなさい」
「無理をせず、ただ素直な気持ちを言葉にしてね」
慌てたように部屋を出るアイラの背に、ティルテュとラケシスは激励の声を掛けた。
「レックス!!」
探し人は、中庭の東屋に所在無げに座り込んでいた。
彼も自分の事を探していたのだが、見付けられずにどうしたものかと腰を下ろしていたとは、アイラが知る由も無い。
「あの……」
「……済まなかったな」
息が整うのを待って殴った事を謝ろうとしたアイラよりも早く、レックスがぽつりと詫びの言葉を口にした。
「さっきは咄嗟だったから、気の利いた言葉一つ言えなかった」
「レックス……」
照れ臭いのか、気まずいのか、レックスはアイラと直接視線を合わそうとしない。
だが微妙に視線を外しながらも、彼の言葉は続いた。
「例え男勝りでも、口より先に手が出たり、気が短いんだとしても……その全部をひっくるめてお前だ。
その中から一つだけ理由を言ってみろなんて、いきなり言われても選べるわけないだろ。
いい所も悪い所も、俺の前では気兼ねなく見せる―――そんなお前を、好きになっちまったんだから……っと、おい!?」
レックスの首筋にアイラが抱きつく。
不意を突かれて彼は僅かによろめいたが、しっかりと腕の中にアイラを受け止めた。
「ありがとう、レックス……その言葉で十分だ」
ぎゅっと、回した腕に力を込める。
抱き締め返してくれる逞しい腕と胸、気恥ずかしさから微かに朱を帯びた首筋、出逢った時から変わらない微かな香の香り―――その全てが愛おしい。
「ティルテュが教えてくれた。
昔からお前は口が悪くて、皮肉屋で理屈っぽくて、人の神経を逆撫でする事にかけては超一流だったって」
「ほほう……」
ひくっ…とレックスの口元が微かに歪んだが、『でも』と続いたアイラの言葉で平静を取り戻す。
「でも、嘘だけは絶対につかないのだと―――そう、言っていた。
言葉で説明出来なくても、お前が私を好きだと言ってくれたのなら……それは、確かな事だからと」
「……そうか」
お互いの事をとやかく言えるほど、長く同じ時間を過ごした訳ではない。
だがアゼルと同じく、ティルテュもまた己以上に自分の事をよく見ていた。
憎まれ口ばかり叩いていても、こうしてアイラの背を押してくれた事には感謝しなくてはならないだろう。
「言葉に出来ないのは私も同じだった。どうしてなんて、考えてみてもよく判らない。
でもレックスを選んだ事を悔やんだ事は無いし、お前の子を産めた事を嬉しく思ってる。
だから……お前も同じ気持ちで居てくれると、もっと嬉しい」
黒い瞳が、ジッとレックスを見上げる。その眼差しに、レックスは観念して心の中で諸手を挙げた。
これほど真っ直ぐな想いを向けられて、なお目を逸らせば男が廃る。
レックスは回した腕でトンと優しく彼女の背を叩くと、『当たり前だろ』と囁いた。
「それじゃ二人で、エーディンに預けたスカサハ達を迎えに行くか」
ほら、とばかりにアイラの前に手が差し出される。
彼女は驚いて目を瞬かせていたが、やがてその意味を理解すると満面の笑みを浮かべた。
「ラクチェは俺が抱いてやらないと、なかなか寝つかないからな。エーディンも大変だっただろう」
「スカサハは私の子守歌が気に入ってるらしい。歌ってやると、よく寝るぞ?」
「ああ、あいつは聞き分けがいいからなぁ」
「ん、どういう意味だ!?」
……などとまたも剣呑な雰囲気の漂う会話を交わす二人の手は、会話の内容を裏切るように、睦まじく繋がれていた。
【FIN】
あとがき
レックス×アイラメインのSSとしては、初めてのお話となりました。
大筋はほぼ書き上がっていたのですが、細かい部分を補完したり前後を繋げたりの作業に結構手間取りました(^_^;)
一番書いてて楽しかったのは、冒頭でティルテュがレックスをこき下ろすシーンです。
『あんた、馬鹿でしょう?』と、その後に続くシーンが書けてすっごい楽しかった(笑)
ちょこっとフィンラケにも触れられて良かったです。
ウチのレックス、アゼル、ティルテュは歳が一個ずつ違うのですが、
一時遊び友達としてよくバーハラなどで顔を合わす機会があって、所謂幼馴染という扱いになってます。
当時から優しかったアゼルには、ティルテュもごく自然に好意を寄せて、現在の恋人同士という関係にも繋がっていくのですが、
レックスに対してはもう完全に腐れ縁です。犬猿の仲と言ってもいい。とにかく『いけ好かない』のです。
別にレックスがティルテュの事を苛めたりした訳ではないのですが、性格の不一致ってやつかな(笑)
レックスは子供の頃から頭の回転が速く、理屈っぽい子だったので、どちらかというと感情的なティルテュとは気が合わなかったという事で。
でも喧嘩しながらも、レックスが決して嘘をつかなかった事だけは、ティルテュもちゃんと評価してたのでした。
2006/09/07
麻生 司