ガン、ガン、ガガン!

剣と剣が打ち合わされる硬い音が稽古場から響いてくる。
剣戟の音に時々重い物が倒れるような音が混ざるのは、相手をしている者が身体を投げ出して彼女の剣を避けているのだろうか。

稽古に使うのは勿論刃を潰した剣だが、例え刃が無くとも斬撃が打撃になるだけであって、流星剣の五連撃をまともに喰らうと相当のダメージを受ける。
彼女の剣筋に慣れている自分やセリスでも見切って受けるのが精一杯で、そこから反撃に転じるのは容易ではない。
下手に受け損なうと、直接骨や内臓を傷めるのだ。
まして近衛に志願したばかりの新兵には、見切る以前に全力で攻撃範囲から逃げるしか手立てはないだろう。
もっともそれでは撃ち込んでいる方の稽古にはならないのだが。

「参りました!」

ややあって降参を告げる声が稽古場に響く。
必死で彼女の剣から逃げていたのか、ゼイゼイと荒い息の隙間からようやく搾り出したような声である。

「なぁに、もうお終いなの?これじゃちっとも稽古にならないじゃない」

そう口にして不機嫌そうに剣を下ろしたのは、ほとんど呼吸さえ乱していないラクチェだった。






COMMUNICATION






「そのくらいで勘弁してやれ、ラクチェ」
「シャナン様!?」

慌てたように稽古場の入り口で苦笑いを浮かべるシャナンを振り返り、バツが悪そうな表情でラクチェが駆け寄る。
新兵達は反射的に跪いたが、気にせず稽古を続けろと手で合図されると、ホッとしたように各々素振りや模擬戦を再開した。

「報せてくださったら、ちゃんとお出迎えしたのに……いつお帰りになったんですか?」
「ついさっきだ。多分此処じゃないかと思ったからな。稽古の邪魔をしては悪いだろう?」
「そんな事ありません」

機嫌を損ねてしまったのか、ツンと顎を上げ、ラクチェはそっぽを向いてしまった。







話は少し遡る。


「定期会議、ですか?」
「グランベルは都合よくユグドラル諸国の中央に位置しているのだから、各地の国王や領主が一同に会して話し合う機会を定期的にを持とう、と言うことだ。
 名目はともかく、要するに懇親会だな」


それはグランベル王国国王となったセリスからの呼び掛けだった。

約二十年の長きに渡った聖戦が終結して間も無く一年になる。
グランベル国内の領主は三ヶ月に一度バーハラに集まって会議の席を持つ事が通例となっていたが、
この際だから年に一度はユグドラルの諸侯全てが集まれる場を作ろうと提案したのだ。

今や幼馴染や血縁などで、どの王国も非常に近しい関係である。
血を辿っていけば、最終的には全ての王家、公爵家が何らかの形で繋がる可能性さえあるのだ。
懐かしい友に会える機会と言う事もあり、特に反対意見も出ないままあっと言う間に日取りが決まった。
それが一ヶ月前の事である。


ところが定期会議に出席するにしても、イザークからだとかなり遠い。
従ってイザークの国王となったシャナンは、余裕を見て早く国を空ける事になった。
出来ればラクチェも同行して幼馴染のラナやセリス、レスター、双子の兄スカサハと会いたかったが、王と王妃が二人揃って長期間国を空ける訳にも行かない。
他国からの侵攻という危機が無いだけマシだが、不測の事態に備える為に止む無くラクチェは留守を任されたのだった。





「お前も皆に会いたかっただろうに、留守番をさせて済まなかった。
 機嫌を直してくれないか?たくさん土産話もあることだし」


素直に下手に出られると、ラクチェも強く出られない。
そもそもシャナンが国を空けた事も自分が留守番に残った事も、彼の身勝手ではないのだから。
夫であり、剣の師匠でもあるシャナンの不在中の寂しさやら鬱憤は日々の稽古で発散させていたが、その分近衛見習いの新兵には悪い事をしたと思う。

何よりシャナンは、自分が生まれた時からの付き合いなのだ。
自分が何を好んで、何にヘソを曲げ、何をすれば機嫌が悪くなり、どうすればその機嫌が直るか彼は熟知している。
そんな相手に対し、いつまでも意地を張っていても意味が無い。
逆立てた柳眉を元に戻すと、ラクチェは一番気掛かりだった事を尋ねた。


「皆、元気でしたか?ラナの様子は?」

ラナはセリスの妃となり、先日めでたく一児の母となった。
出産直後に貰った手紙によると難産ではなかったようだが、実際の所はどうなのだろうか。

「ああ、それなら大丈夫だ。産後の肥立ちも良く、母子共にすこぶる元気だったぞ。
 初産だから時間は掛かったそうだが、それも別段珍しい話ではないらしいからな」


誰よりも早く父親になった事で、セリスが随分仲間達に冷やかされていたという。
セリス自身は周囲の冷やかしにもめげず、生まれたばかりの息子をおっかなびっくり腕に抱き、進んで寝付かせたりあやしたりしているらしい。
『子煩悩ぶりが父親のシグルドにそっくりだ』と、オイフェと二人で笑い合ったそうだ。


「ラナとユリアもお前に会いたがっていた。
 今度はお前が、子供を見にバーハラへ行って来るといい」
「いいんですか?向こうに行ったら、多分しばらく帰って来ませんよ?」


ラナとは積もる話もある。ユリアとだって同じ女性同士話が弾むだろうし、恋人の目から見た兄の話もゆっくり聞いてみたい。
スカサハやオイフェ、フィーやティニー達とも会おうと思えばすぐにも会える。一週間や二週間ではとても足りそうに無い。
長い間自分が傍に居なくてシャナンはどう思うのか―――それを確かめる意味もあって相手の出方を窺うような返答をしたのだが、彼はニヤリと笑って見せた。


「なかなか機会も無いのだから、行った以上は気の済むまでゆっくりしてくるといいさ。
 ただセリスは政務が忙しいし、スカサハはドズル領だ。お前がバーハラに飽きる方が早いと思うがな」
「…………」

図星を指されてぐうの音も出ない。
シャナンが国を空けていた間、満足に剣の稽古も出来なくて鬱積していた身としては言い返す言葉も無かった。
『何も王妃自ら剣を振るわなくとも』と、古参の臣下には眉を顰められている。
その一方で『あのアイラ王女の息女なのだから仕方ない』という意見もあるのだが。

気まずそうに黙り込んでしまったラクチェの頭に、ポンとシャナンの大きな手が乗せられた。

「意地の悪い言い方をして悪かった。本気で手合わせ出来る相手が居なくて、腕の鈍りを感じていたのは私も同じ。
 久し振りに相手を頼めるか?」
「―――はい、勿論!」


パッとラクチェの面が明るくなる。
王妃という立場を考えればもう少し淑やかさを求めた方がいいのかもしれないが、愛しい少女が元気を取り戻すのなら少々のはねっ返りも仕方ない。

この世で自分と本気で手合わせをして、相手が務まる者は決して多くないのだ。
幼い頃から自分の剣を間近で見て育ったラクチェと彼女の双子の兄スカサハ、そして恐らくセリスくらいのものだろう。
そしてその三人とも、シャナン自身が剣の師でもある。
言い換えればラクチェと本気で打ち合えるのも、自分と兄とセリスくらいしか居ないという事だ。
本気の手合わせが出来る相手が間近に居るだけ幸運かもしれない。

「本気で行くぞ?」
「望むところです!」

稽古用の剣を手に取り、二人は正面から向かい合った。







「相変わらずお前の剣は冴えてるな」
「褒めて頂いても負けてあげませんよ!」

激しい打ち合いの最中に、シャナンとラクチェは言葉短く会話を交わす。

二人のその凄まじい剣捌きとスピードに、周りで訓練を続けていた新兵達も手を止め、思わず見惚れた。
穴が開くほど眺めた所で、決して真似の出来る代物ではないのだが。
敬愛する国王と王妃は共に剣聖オードの末裔であり、聖戦が終結した平和な時代であっても互いに切磋琢磨し合う毎日だ。
彼等の繰り出す剣技――王家秘伝の流星剣は見事の一言に尽きるが、それは剣聖の血の成せる業であって、
一兵士の身ではどうあっても真似する事など出来はしないのだから。

百合近い打ち合いの末、二人は一旦距離を取って剣を下ろした。
軽く息を弾ませ、悔しそうにラクチェが天井を仰ぐ。


「やっぱり、シャナン様は強いわ。どうしても流星剣を出させて貰えない」
「一応、お前の師匠でもあるからな。まだ負ける訳にはいかないさ。
 しかしお前もすっかり隙が無くなった。もう私の流星剣も入らないだろう」

互いの手の内を知り尽くしているからこその打ち合いである。
相手の打ち込んでくる剣筋や足の踏み込みが、手に取るように判るのだ。
シャナンにとってラクチェは自分の鏡のようなもの。ラクチェにとってシャナンは、常に仰ぎ見る理想のようなものだから。

「お前が居てくれるから、私は安心して国を空ける事が出来る。
 もはや王妃自らが剣を取って戦う事になるような時勢ではないが、感謝しているよ」
「オードの直系が二人で守る城に賊が入るなんて、余程の命知らずか世間知らずでしょうけどね」


剣聖夫妻の雷鳴はイザークの隅々まで轟き渡っている。
その二人の懐に潜り込もうとするならば死の覚悟が必至となる。
お陰で長年イザーク国内を荒らし回った山賊、野盗の類はすっかり鳴りを潜めてしまった。
自らの命を賭けてまで村や城を襲撃し、財貨を奪うような度胸のある輩は居なかったようである。
未だに王都から遠い村などには時折野盗が現れるらしいが、国庫から費用を捻出し、腕の立つ用心棒を雇い置く事で襲撃の危険はずっと少なくなった。


「私達はこうして剣を合わせる事で、普通に向かい合って話す以上の事を判り合えるけれど―――
 他の皆はどうやって相手に対する理解を深めるのかしら。
 やっぱり、納得がいくまで互いに言葉を交わすもの?」

戦場で互いの背中を相手に委ねて戦っていたせいか、剣を打ち合わせる事でより相手の事が判るようになった。
たまには些細な事で喧嘩になったり、不機嫌になる事もある。
だが例え気まずくなってしまったとしても、剣を手に向かい合うと素直になれた。
互いに素のままの自分を曝け出す事で、自分の非を認める事も相手を許す事も出来るようになった。

自分とシャナンには剣という媒体があったが、喧嘩などをして気まずくなった時、他の者はどうやって解消しているのだろう。


「それは個人の性格にもよるだろう。
 例えばラナはあれでなかなか度胸が据わっているが、声を大きくして我を主張する事は滅多になかったろう?」
「……そうですね。あの子が自分の意見を押し通したのって、シャナン様達が不在の時にイザークの兵士がティルナノグに来た時くらいだわ」

普段の彼女は仲間の意見に静かに耳を傾け、黙って頷く事が多かった。
だが戦うべきか否かの二者択一を迫られたあの瞬間、ラナはキッパリと戦う事を否定した。
今自分達が戦えば必ず村に犠牲を出す。自分達はまだ戦ってはいけない。時間が必要なのだと―――
彼女の勇気と機転が、セリスの存在を外部に発覚させるのを免れさせた。

「私やオイフェの前では、決してセリスは弱音を吐かなかった。それは同じティルナノグで育ったお前たちに対してもそうだったろう。
 だがラナの前でだけは、正直に自分の弱さを見せていたらしい。ありのままの自分を、ラナは笑顔で支えてくれたと言っていた。
 ―――随分後になってから、セリス自身に打ち明けられて知った話だがな」

ラナはいつもセリスの傍に居た。
一歩下がって彼の背中を見続ける事で、弱さも脆さも併せ持つセリスの本当の姿を理解していたのだろう。
たった一つ心を曝け出せる場として、ラナは彼を支え続けた。
ラナに対するセリスの信頼と、ありのままのセリスを受け容れるラナの懐の深さで二人の関係は成り立っているのだ。


「スカサハとユリアも似たようなものかしら。
 全く同じではないのだろうけど、スカサハの傍に居ると安心するって、いつか言っていたし」

寡黙と生真面目と不器用を足して三で割ったようなあの兄に、ユリアのように可愛らしい恋人が出来るとは青天の霹靂だった。
出逢ったばかりの頃は何処か所在無げだったユリアが、少しずつ笑顔を見せるようになったのはダーナに辿り着いた頃だったろうか。

「ユリアの場合は少し事情が特殊だが……
 記憶を喪い、名前以外全く自分の事が判らなかった彼女を支えたのがスカサハだったんだろう。
 何故そうなったのか、一体自分は何者なのか――― 一切の事情を問う事無く、ただ彼女と言う存在を支える為だけに傍に居て……」


―――そして二人は、生涯一度の恋に落ちた。
今は止むを得ず離れて暮らしているが、仲間は皆、いつか二人を添わせてやりたいと願っている。



『スカサハは私の恩人です』

かつてユリアは、そう言って微笑んだ。

『記憶を喪った事で、今までの自分が全て否定される訳ではない。  
 仲間達は皆『今』の自分をそのまま受け容れてくれたのだから、
 いずれ全てを思い出した時にそれまでの自分を誇れるように前を向いて生きろと……彼が言ってくれたから、私は笑う事が出来るようになった』



「ありのままの自分を受け容れてくれた人を生涯の相手と決めた辺り、やっぱりセリス様とユリアって兄妹なんですねぇ」
「そう言えばそうだな。血は争えないという事か」


あるいは、彼等の母ディアドラの血かもしれない。
ロプトの末裔であった彼女は、他者と交わる事を掟で固く禁じられていた。
敢えてその禁を破り彼女を妻に迎えたのが、セリスの父シグルドである。

『この想いが神の怒りに触れるというのなら、その罰は彼女に代わって私が受けよう』

まだ十歳にもならない子供だったが、毅然とした面持ちでそう口にしたシグルドを、シャナンは今もはっきりと憶えている。
シグルドは命を賭けてディアドラを愛し、ディアドラはそのシグルドの想いに自身の運命を預けた。
―――あの日、自分の侵した過ちによって彼等が引き裂かれるその瞬間まで、
ディアドラは自らの背負う運命ごと自分と言う存在を受け容れてくれたシグルドの事を、心から愛していたのだから。



「後は……そうだな。シレジア育ちの者は、言葉で相手の懐深く入って行くタイプだろう。
 セティはその典型だし、かつてのレヴィン殿もそうだった。アーサーもシレジア生まれのシレジア育ちだから、似た部分があるな」
「あの天然ぶりはもう、シレジアの方言みたいなものですからね」

シャナンの指摘にラクチェが苦笑いを浮かべる。

正確に言うとシレジア育ちの男性にのみ言える傾向だが、何と言うか、想いを寄せる女性に対する言葉の端々が気障なのだ。
しかもそれが狙った訳ではなく、さらりと素で出てくるものだから対応に困る。
『君は僕の宝物だ』など、セティが口にしたのでなければ歯が浮くどころの騒ぎではない。
言葉以上の下心が無く、あくまでもそれが彼の想いを正直に伝えた結果であると判っているからこそ、微笑ましく聞き流していられるのだ。

ちなみに仲間内では伝説と化している件の『宝物』発言は、彼の最愛の恋人であるティニーに対してのものである。
二人きりの時に出た言葉らしいが、ティニーからフィーへ、フィーからいつの間にか少しずつ仲間内に広まって現在に至る。
アーサーは『セティ程ではない』と自分では言っているが、恋人のフィーに対して『君は特別だから』などとサラッと言ってしまう辺り、シレジア節恐るべしだ。

彼等に共通して言えるのは、とにかく言葉を尽くして語り合うという事に骨身を惜しまないという点だろう。
想いを素直に言葉に乗せる。言葉を交わすほどに互いを知る。
そうする事で相手との距離を縮め、埋めていくのだ。


「その……レヴィン様も、セティみたいだったんですか……?」

ラクチェが何やらくすぐったそうな顔で尋ねる。正真正銘の親子なのだから似ていて当然なのだが、違和感が拭えなかった。
『若い頃のレヴィン様は陽気で気さくな方だった』と、オイフェもフィンも口を揃えて話していたので疑ってはいないが―――
いつも難しい表情を浮かべた軍師としてのレヴィンしか知らないラクチェには夢のように思える。
あのレヴィンが『君は僕の宝物だ』などと口にしている姿が、どうしても思い浮かばない。

彼女の気持ちは十分過ぎる程判るので、シャナンも困ったような笑みを見せた。
自分やオイフェとて、数年ぶりに彼と再会した時には仰天したのだから。

「お前の知るレヴィンと、私達が知っているかつてのレヴィンは全く違う人間だと思った方がいい。
 正直、私もオイフェも驚いた。フィンも同じだろう。
 確かにどちらも間違いなく彼自身には違いないが―――同じ人物だと思うには、余りにも差が激しすぎるからな。
 敢えて言っておくが、セティはどちらかと言うと母親似だぞ。寧ろフィーの方が、顔立ちも性格も若い頃のレヴィンに似ている」

『レヴィンの顔にフィーの表情を当て嵌めて、アーサーが喋ってると思えばいいか』…というシャナンの言葉に、ラクチェは更に困惑の度合いを深めたようだ。
要するに若かりし頃のレヴィンは、陽気で表情がくるくるとよく変わる青年だったという事だろうか。
考えれば考えるほど頭がグルグルしてくるので、『別人だと思っておけ』という忠告を素直に受け容れる事にした。


「じゃあ、父様と母様は……」
「レックスとアイラ?」

ボソリとラクチェが口にしたその一言を、シャナンは聞き逃さなかった。

バーハラの悲劇で共に命を落とした両親を、ラクチェも兄のスカサハも憶えていない。
両親の出逢いや、結ばれるまでの経緯はある程度聞かされて知っているが、一体どのような日々を過ごしていたのだろう?

シャナンはしばし考え込んでいたが、やがて申し訳無さそうにとある事実を口にした。


「そうだな……とにかく、毎日のように何かしら喧嘩をしていた」
「喧嘩……ですか?」

ラクチェが拍子抜けしたような表情を浮かべる。

例えばナンナの両親である騎士フィンとラケシス王女のように、あるいはラナの両親であるヴェルダン王子ジャムカとエーディン公女のように、
思い返した子が羨むほどの仲睦まじい様を、期待していなかったと言えば嘘になる。
せめて人並みに睦まじかったと言って欲しかったのに―――よりにもよって喧嘩が絶えなかったとは。

「そんな……じゃあ、父様達は……」
「おいおい、そんな顔をしてくれるな」

一瞬泣きそうな表情を浮かべたラクチェに、慌てたようにシャナンが言葉を続ける。

「私の言い方がまずかったな。確かにレックスとアイラは毎日のように喧嘩をしていたが、それは二人が相手をより理解しようとするが故だ。
 アイラはお前に似て、思った事を素直にそのまま口にする人だった。
 一方でレックスは頭のいい男だったが、口が悪くて、またお世辞にも気が利くとは言い難かった。
 だから衝突は多かったが、好き放題言い合った後はお互いケロリとしていたものさ。子供の私が呆れる程あっさりとね。
 喧嘩をしながらでも、二人は確かに仲睦まじかったよ。それは保証する」


喧嘩をしながらでも仲睦まじかったという両親。
素直な感情をぶつけ合う事で、父と母は互いの包み隠さない心の内を知ろうとしていたのだろうか。


「何せ悶着を収める為に、あのアイラの流星剣を斧で受けて相手していた男だからな。大したものだ。
 毎回きっちり数発は喰らうのに、足元がフラフラになっても絶対に自分からは『止める』と言わなかった」

当時の事を思い出したら可笑しくなったのか、シャナンが笑いを噛み殺す。

『もう止めておけ』と呆れながら止める炎の色の髪をした親友に、『自分から折れるのは絶対に嫌だ』と言い張り、一歩も退かなかったレックス。
アイラも頭に血が上っている間は容赦なく刃を潰した訓練用の剣で流星剣を叩き込むのだが、やがて落ち着くと、
自分の打ち込んだ剣がレックスの身体に刻み付けた痣や掠り傷の手当てをしながら、ボソリと『……ごめんなさい』と呟くのが常だった。




『なんでアイラはレックスなんか選ぶんだ!』

まだ少年だった日の自分。
いつまでもアイラが姉のような、母のような、自分だけの存在で居てくれると信じて疑って居なかった。
そんな大事な叔母が、頭はいいけど口の悪い、更にお世辞にも性格が良いとは言い難いレックスの妻になるのだと聞かされた時、
呆れた後に幼い怒りが込み上げてきて……本気で泣いた。

『なんでレックスなんだよ!?アイラ、いつもレックスと喧嘩ばっかりしてるじゃないか!
 あんな奴もう知らないって、いつも怒って僕に言ってたじゃないか!!なのに、何で……!?』

驚かれこそすれ、まさか泣かれるとは思ってなかったのだろう。
アイラは跪き、困ったような表情で自分を抱き寄せると、同じ高さの目線で『驚かせてゴメン』と呟いた。


―――シャナンには喧嘩ばっかりしてるように見えたと思うけど。いつだって私があの人に腹を立てているように見えたかもしれないけど。
     でも、でもね……


本当に本当は、レックスの事がとても好きなのだと……アイラは、自分が今まで見たことの無い笑顔を見せてくれた。

喧嘩をするのも、腹を立てるのも、全てそれは彼と言う人間と自分とが対等である証。
故郷を喪い、幾つもの国を流離い続け、シグルドに保護されてからも身の置き所に困惑する毎日だった。

仲間と共にあっても何処か空虚な日々。
愛想笑いに疲れ、人との関わりに疲れ、仲間の優しさに素直に甘える事の出来ない自分自身に疲れ果て、
逃げるように一人楼閣に出て、ぼんやりと城下を眺める事が多くなった。


―――そんな時、レックスと話をしたの。二人きりで……そう、初めはとても、他愛も無い事を。


レックスは自分を特別扱いしなかった。
言葉を選び、腫れ物に触れるような気遣いをせず、真っ直ぐに言葉を投げかけてくれた。
ただそれだけの事が、どれ程に嬉しかったか。


―――これからもレックスとは喧嘩ばかりしてると思う。だけどそれは、私達が不仲だからじゃない。
     そう在りたいと私が願ったから……互いに遠慮しない、そのままの私達で在りたいと願ったから……だから、大丈夫。


目を細めて微笑む叔母は、シグルドに嫁いだディアドラより、ジャムカの花嫁となったエーディンより、ずっとずっと幸せそうだった―――




「それからしばらくして、お前達が生まれた。
 宣言通り喧嘩の絶えない二人だったが……馬鹿みたいに毎日毎日同じような遣り取りを繰り返している様は、今思えば端で見ている分には愉快だったな」
「……あんまり褒めてるようには聞こえませんけど」

要はいい歳をした大人が大人気ない喧嘩を繰り返す様を、当時少年だったシャナンが生温い目で見ていた訳だ。
敬愛する叔母の結婚に一度は怒り狂ったものの、叔母がそれで幸福ならと見守る事に決めた後は、
すっかりシャナンの目線は兄か父親の其れと化していたに違いない。日常茶飯事として、もはや喧嘩の一つや二つでは全く動じないほどに。
だが、自分にとっても義理の叔父となったレックスの事を内心馬鹿にしていたのではないかと遠回しに指摘され、シャナンは心外そうな顔をした。

「褒めているとも。今ならレックスが、どれだけアイラの事を支えていたかよく判る。
 あの時のアイラに必要だったのは、声一つかけるのにも細心の注意を払うような気遣いではなく、ありきたりの何気ない言葉だった。
 誰もが何と声をかければいいか迷っていた時に、レックスだけは当然のように、何の気兼ねも無く普通に話しかけた。
 偽る事の無い自分という存在を、在りのままレックスは受け容れてくれた。それが何よりアイラにとっての救いだったのだから」


グランベルへの進軍を前に、子供たちと共にイザークへ逃げろと、レックスがアイラに言っていた事を後で知った。
オイフェが二人の遣り取りを聞いていたのだ。
だがアイラは迷った末、幼い双子をオイフェとシャナンに託した。

―――私が子の母親だから共に逃げろと言うのなら、お前はその子供たちの父親だろう。
     子供たちへの責任はどちらも同じ……私は、あの子達の未来をお前と共に守りたいんだ。

……そして叔母は、二度と還って来なかった。
レックスと共にバーハラで、決して長くは無かった人生を終えたのだ。
だが後悔などしていないだろう。アイラは最期の瞬間まで自分を偽る事無く、愛する者の為に生きた。
例え続く道の先に死が待ち受けていたのだとしても、凛と顔を上げてその運命を受け容れたのではないだろうか。





「それにしても……父様って、口が悪かったんですね。ヨハルヴァみたいだったのかしら」

ドズル家の次男だったという父は、少なくとも話に聞く限りは容姿には恵まれた人だったという。
スカサハがその面影を残しているそうだが、性格は随分と違うようだ。
兄は本気で怒ると黙り込むタイプなので、口悪しく誰かと言い争ったり、罵っている様などは覚えが無い。

すると今度は甥にあたるヨハンとヨハルヴァが比較の対象となるのだが、
ヨハンは寒い台詞と暑苦しい愛情表現が気になるものの、口が悪いという事は無かった。
となると、残る比較対象はヨハルヴァだけである。

ふむ、とシャナンは頤(おとがい)に手を当てて考え込んだ。

「口調だけ聞いてると、確かに似た部分があるな。
 ヨハンもヨハルヴァも結局出向く機会が無かったらしいが、レックスはバーハラの士官学校では一度も主席を譲った事が無い程優秀だったらしいぞ?」
「バーハラの士官学校って、今でもユグドラルで一番の英才教育を受けられるんですよね……?
 そこで主席を譲った事が無かったって……」

たらり、とラクチェが冷や汗を流す。

長く続いた戦乱で一時は衰退したが、セリスがバーハラの王位に就いてすぐ教育機関の建て直しを図った為、今では随分元の威光を取り戻している。
バーハラの士官学校を優秀な成績で卒業する事は将来を約束される事であり、
また貴族の子弟や周辺諸国の世継ぎは、士官学校で己の武技を磨き、知識を蓄え、人の絆を深める。
其処で主席を譲った事が無いという事実は、実はとんでもない経歴なのだ。それが我が父だとは。

「そう言えば、スカサハも数字に強かったな」
「……記憶力も良かったですよ。多分、私達の中では一番」


幼い頃にはオイフェやシャナン、エーディンに勉強まで見て貰った。
剣だけ振り回していても駄目だと、みっちり数式や歴史の勉強もさせられたのだ。
数式を前に唸っていた自分とは対照的に、与えられた問題をさり気なく一番に仕上げてしまうのは、そう言えばいつも双子の兄だったような気がする。
恐らく優秀な頭脳も父親から受け継いでいたのだろう。
……兄は自分からそういった事をひけらかす人間ではないので、今の今まで忘れていたが。


「お前だって、じっくり腰を据えてやれば出来る筈だぞ?物覚えは悪くなかったんだから」
「私はもういいんです!難しい数式なんて理解出来なくても、読み書きが出来て数が数えられて、
 基本的な加減乗除が出来れば生きていくのに困らないんですから」

今になって、またぞろ数式の勉強なんぞさせられた日には堪らない。
それこそ何もかも投げ出して、バーハラのラナの所に逃げ出す事になるだろう。
別に数式を解くのも、歴史を憶えて諳んじるのも嫌いではないが、わざわざ自分がやるべき事ではない。

「私は、こうしてシャナン様と剣を交える事が出来ればそれでいい。
 この剣は貴方の強さも迷いも全てを伝えてくれる。その強さに憧れを抱き、迷いには助言を与える事が、王妃である私の役目。
 父様達と同じように、私は言葉で何かを伝える事は苦手だから……」

稽古場の隅に下ろしていた腰を立ち上げると、ラクチェは刃の無い剣先をシャナンに向けた。

「私は生涯、剣を手にして貴方の傍らに」



壁を切り取って作られた窓から射し込む陽光に、肩口で切り揃えられた黒髪と青い瞳がきらりと輝く。
まるで祝福を与えた者に勝利を約束する女神のようだと、シャナンは目を細めた。

―――ああ、貴方たちの生きた証はこんなにも眩しい光を放って、今も私の傍に在る。

なんでレックスを選ぶのかと一度は泣いて叔母に抗議した自分も、生まれたばかりの小さな従弟妹達を目にしてすっかり目から鱗が落ちた。
腕に抱いた小さな温もりを今でもはっきりと憶えている。
セリスが生まれたばかりの頃にも抱かせて貰ったが、叔母の産んだ双子には全く違う感慨を抱いた。
自分と同じ血に連なる者として、あるいはいつか運命を分かち合う相手として―――
この腕があの温もりを抱き上げたその時に、全ては決まっていたのかもしれない。



「シャナン様の望みは?」
「そうだな―――お前という光を、生涯仰ぎ見続ける事だ」

命そのもののような輝きを纏う少女に、永遠の幸いを。
早くに両親と叔母夫婦を亡くし、幼い頃から肉親に縁薄かったシャナンは、心からそう願った。




諸国を巻き込む戦乱の時代は既に終わりを告げ、王妃自ら剣を手にして戦場に立つ事は二度と無かったが、
ラクチェの名はイザークで剣士を志すものには伝説として永く語り継がれる事となった。

後にラクチェはシャナンとの間に二人の王子に恵まれる事になる。
懐妊が判って以降、産後しばらくまでは流石に剣を置いたものの、それ以外の時期、彼女は常に剣の鍛錬を欠かさなかった。
剣聖オードの再臨と謳われたシャナンに憧れて近衛剣士を志す者も多かったが、
戦女神のように勇ましくも美しい王妃に憧れて王城の門を叩いた者も少なくなかったという。

                                                                   【FIN】


あとがき

えーと、これでも一応シャナン×ラクチェって事で……(^_^;)←あとがきの最初っから逃げ腰ってどうなんでしょうか。
他カップルの話はラクチェの両親であるレックスとアイラだけしか予定してなかったのに、気付けば色々書いてましたね…

セリラナとかスカユリとかセティニー他諸々。でも楽しかったです(笑)シレジア男独特の(と私が勝手に考えている)シレジア節とか。
最後の方で何とかシャラクに帳尻合わせをしましたが、時既に遅し…?

アレスがシャナンの剣の稽古相手に名が挙がっていないのは、彼と本気でやり合うと勝負がつく以前に互いの命が危ういからです(笑)
アレスには『見切り』が無いので流星剣は止められない。
シャナンにも『見切り』はありませんが、自分も流星剣の使い手であるが故に剣筋は百も承知しているので、ラクチェ達の剣は封じる事が出来る(という設定)。
その意味でアレスの必殺攻撃も十分脅威なんですが、稽古でミストルティンを持ち出すほどアレスも大人気なくはないと思うので…(笑)
(一際目立つアレスの『必殺』はミストルティンに付随するスキルなので、武器を変えたら必殺率は人並みになってしまうのです)
そうなるとより危ないのはアレスという事に(^_^;)

バーハラでラクチェが再会したい人の中にデルムッドが入っていませんが、
これはアレスが不在の間、デルムッドもノディオンで留守番と言う事が判っていたからです。(ラクチェと違い、リーンは非戦闘要員なので…)
デルムッドはどうでもよかったって訳じゃないですよ(笑)

                                                                   麻生 司

2006/11/30


INDEX