初めて人を殺めたのは、辺境の戦場だった。

銃でもなく、ナイフでもなく、師から受け継いだ焔で骨まで灼き尽くした。
無残な屍を野に晒すよりも何も残さず灼き尽くした方が救いになると、埒も無い言い訳を自分の中で繰り返しながら。


ああ、私はどうしてこんな処に居るのだろう?
私が錬金術を学んだのは、その大いなる力で人々を守りたかったからではないのか。
そう信じていたからこそ師の教えに背き、錬金術師の教えを曲げてまで、敢えて軍の狗となる事を選んだというのに。


硝煙と砂埃が立ちこめる中で再び見えたその女性(ひと)の目は、何より辛辣に何より深く私に問うた。




―――人々を守ると言った貴方を信じて託したその力が、どうして人を殺しているのですか?













Guilt












「私の背中を、焼いて潰してください」

小さな墓標の前で、リザは私に背を向けたままそう口にした。

「何をっ……!?」

咄嗟に口をついたのはそれだけだった。

そんな馬鹿な事、出来る訳が無い。
師匠から受け継いだ焔がどれ程の力を秘めているか、誰よりも彼女自身が判っている筈なのに。

だが彼女は、肩を震わせながらなおも願った。
償えないのならば、せめて新たな焔の錬金術師を生みださぬよう、父の手により己の背に刻み込まれた秘伝が二度と使い物にならないようにと。


「そして父と錬金術の縛(いまし)めを下ろし、リザ・ホークアイ個人になる為に―――お願いします」




真っ直ぐに見上げる鳶色の瞳を前にして、一体どうすればよかった?

彼女が望んだ事だとしても、それは出来ないと拒絶すればよかったのか。
知った事ではないと背を向ければよかったのか。

だが私は、目を背ける事が出来なかった。

師匠の理想と、いつか彼女に語った夢を歪めてしまった罪悪感。
その夢に背中を託してくれたリザの人生まで歪めてしまった負い目。
他国からの侵略や内紛などに抗する力を持たない人々を守りたいという理想を、いつから語る事を止めてしまったのか。
国家錬金術師という道を選ばず、市井の中で凡百の研究者として生きていたなら、彼女にまで人殺しの荒んだ目をさせる事はなかっただろう。



この世界に神なんて存在するのだろうか?

存在するというなら、どうしてイシュヴァールの民は救われなかった?

それともたまたまイシュヴァラだけが伝承の中の虚像に過ぎず、彼等が別の名を戴く神を信じていたなら、或いはもっと別の未来があったのだろうか。



私には判らない。

少なくとも私が戦場に立ったのは、神の教えを守る為ではなかった。
異なる神を信じる者に、自分の信じる神を強要する為でもない。

唯一確かなのは、自分の意思でこの地に立ったという事実。
裏切り者と誹られても、自分が決断し、この道を選び取った。
『焔』の二つ名を戴き、師匠から受け継いだこの力で――― 守りたかった。

相次ぐ内乱と紛争に喘ぐこの国を。
それでもこの国に留まり、生きようとしている人々を。
そして……彼女を。

だけど彼女を守るには、私の手は血で汚れ過ぎた。
彼女を守る為に死ぬ覚悟はあるが、誰かを救う為に勝手に死ぬ事など、私が手に掛けて来た多くの人々が赦してくれないだろう。
まだ先があった筈の彼等の人生に、私は勝手に幕を引いたのだから。






「君の身体に一生消えぬ瑕を刻む私を、怨んでくれて構わない」

人目を避けた半ば崩れ落ちた廃墟の中で、焔の紋章が描かれた手袋を露にされた白い背に翳す。

「……私が望んだ事です。怨むなど」

静かな声に、私は他に掛けるべき言葉を見喪ってしまった。
脱いだ軍服で胸を押さえたリザの前に跪くと、抱き締めるようにその背に腕を回し――― 一度だけ、指を鳴らした。




ああ、神よ。
私が願うのは己の平穏ではないのです。
私が本当に願っていたのは、記憶の中の面影にまだ幼さを残す少女の安寧―――ただ、それだけ。


なのにどうして私がその彼女の背に、新たな焔の烙印を刻まなくてはならないのですか?





立ち込めるのは人の肉の焼ける匂い。
悲鳴の代わりに、一瞬我を喪った彼女が噛んだ私の肩口に紅い血が滲む。
焔の熱がもたらす声にならない苦痛に振り乱された金茶色の髪が、抱き締めた私の頬を打つ。
肩から滴る血がいつしか胸まで濡らしたが、私は彼女を放しはしなかった。


「……怨めないというなら、憎悪でもいい。軽蔑でも構わない。
 君の心と身体に、共に消えない瑕を残した私を決して赦さないでくれ。それが私に出来る……せめてもの贖いだ」


白い背に一生消えぬ瑕を残し、役目を果たした焔が消える。

私の声は届いているだろうか。
彼女に赦されぬ事が贖いだなどと、勝手を言うなと罵られるかもしれない。
だがそのくらいしか、今の私が彼女に示せる誠意は無かった。


「……赦しません。だから私も……貴方と共に、最期まで見届けます」


傷の痛みに微かに震える声が鼓膜を揺らす。


「……その手を罪に汚したのは貴方だけではない。
 二度とは戻れぬ、振り返る事さえ許されない道を選んだのは―――私も同じだから」


冷たい指先が頬に触れる。
―――己の頬を伝うものが涙であると気付いたのは、リザの指がその一滴を拭った時だった。

                                                 【FIN】


あとがき

と云う訳で、イシュヴァール編の過去話捏造でした。
リザのあの背中の焼け爛れた紋章が出た直後から、あれは絶対ロイが灼いたんだろうと憶測が飛んでましたが、実際その通りで。
もうね、ロイの腹に穴が空いた一件以降、荒川先生の公式設定に踊らされっぱなしですよ(苦笑)
事実は事実として、もう少し突っ込んだエピソードが欲しかったので(原作では当該シーンは無かったので…)このお話を書いてみました。
と言っても、短い上に具体的に書き込んでいる訳ではないのであっさり風味ですが(^_^;)

ロイの一人称視点で『どうして?』と自問自答させたかったんですよ。こんな筈ではなかったのにと、全能である筈の神に縋るように。
タイトルの意味は『罪悪感』『有罪』などです。
そして実は、リザ視点で同じシーンを書いてたり(笑)以前にお題『焔』と『ポーカーフェイス』でやったのと同じ形式です。
前回は違う時系列で(数時間違いですけども…)文脈の流れをそっくりそのまま鏡のようにしてみたんですが、
今回は時系列が完全に一緒で、文脈を所々変えてます。同じ時間でも主観が違うと、印象が違うという事で。

                                                     麻生 司


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