貴方が残したもの


「うわ……随分簡略化されてるけど――― 一応、機械鎧の雛形じゃない」

シャツを脱ぎ、ズボンの裾を膝まで折ったエドワードの腕と脚の義肢を見て、ウィンリィは開口一番驚きの声を上げた。




機械鎧は外形を生身の手足に模して作られている分、鋼の地をそのまま露出している事も珍しくないが、
エドワードに着けられていた義肢はそこまで精巧では無かった為、人工皮膚で覆われていた。
ベアリングや義肢の本体そのものの強度などは自分や祖母の作る物と比べ物にならないが、
単純に日常生活を送るだけの義肢としてならば、十分に役割を果たしている。
ただし義肢特有の生身以上のパワーを発揮しようとすれば、内部に設置されたリードを引く事により一時的に運動効率を上げる必要があるらしい。
造りは古いが、機械鎧の理論は踏襲されて作られている。従って、エドワードの義肢もそれなりに細かい動きが出来るようになっていた。

「今になって、こんな初期型の機械鎧を拝めるとは思わなかったわ。一体、誰がこれを作ったの?」
「親父。向こうで……しばらく一緒に暮らしてたから」
「え……?」

思いもかけない人の名が出て来たので、取り外した右腕と左脚を手にしたまま、ウィンリィは言葉を喪ってしまった。


かつてエドワードは父親の名を出す事も、その存在すら認めるのを心底嫌っていた。
だが今、彼はごく自然に父との接触を認め、しかも一緒に暮らしていたという。


「……そう、ホーエンハイムのおじ様が。ばっちゃんの言ってた通り、何でも出来る人だったんだね」

それ以上は何も言わず、キャリングケースの新しい義足を用意する。
何処でとも、どうしてとも聞かない。
僅かに生まれた沈黙が、その場の空気を重苦しくさせる。

不意に、エドワードが軽く咽(むせ)て咳き込んだ。


「シェスカ、悪いんだけど何処かで飲める水探して来てくれないか。喉がガラガラでさ」
「あ…判りました。ちょっと探しに行って来ます」
「悪いな」

後ろで作業を見守っていたシェスカが、パタパタと走って瓦礫の向こうへ姿を消す。
完全に彼女の姿が見えなくなってから、呆れたようにウィンリィが呟いた。

「コップも何も無いのに、水を頼んでどうする気?」
「身内以外の人間には、あんまり聞かせたくない話もあるからな」

つまり、水が欲しいというのはシェスカをここから離す為の方便だったと言う事だ。
ウィンリィはエドワードの左膝の接合部分に顔を寄せ、再接続するのに不具合が無いか確かめながら続きを促した。


「……で、『身内』のあたしにしはちゃんと話しなさいよ。一体、今まで何処に居たの?」


静かな問いに、エドワードはしばらく答えなかった。敢えて沈黙を通しているのではなく、どう説明すればよいのか迷っているように。
だからウィンリィも、答えを急かさない。
ややあって、ようやく言葉を探りながらエドワードがポツポツと語りだした。




「何て言ったらいいのか―――よく判らない。この世界に良く似た……でも、全く別の世界だ。
 知ってる顔も居る。名前も同じってパターンが多いけど……性格までそっくり同じとは、流石に行かなかったな」


性格は姿形と異なり、生まれ育った環境によっても左右される。
それが二つの世界で同じ顔と名を持ちながら、異なる人格になる一番の要素だろう。
『向こうの世界』の知人にグレイシアやヒューズ、アルフォンスの名を聞いて、ウィンリィが微かに目を瞠る。

「へぇ……じゃアルの言ってた事、満更ただの夢や思い過ごしじゃなかったんだ」
「夢?」

訝しげにエドワードが繰り返す。
接合部分のメンテナンスをしながら、ウィンリィはかつてアルフォンスから聞いた話をしてくれた。

「夢にね、時々見るんですって。
 自分は十七歳で、あまり丈夫じゃなくて、エドと一緒に宇宙に出る機械を作ってるんだって」


この世界には、空を飛ぶ手段は気球しかない。
ただ空に浮かぶだけでも大変な労力と熱量を必要とするのに、宇宙に出る機械と聞いて、目を丸くしたものだ。


「そっか―――夢でな」

懐かしさや寂しさが見せたただの夢とは違う。

十七歳という歳、病弱だったもう一人のアルフォンス。この世界に戻る手掛かりになればと、彼と一緒に宇宙へ出る為のロケットの研究をした。
自分と同じ名を名を持つあの青年の事を、アルが知る筈は無い。
かつてエドワードが自分と同じ顔と名を持つ少年の身体に魂を宿したように、アルも眠りに就いている束の間、もう一人のアルフォンスと同調していたのだろうか。


「確かに俺は、向こうでアルフォンスって奴と一緒に居た。
 くすんだ黄金色の髪に、眼は青だったけど……アルが成長してたら、きっとこんな顔になってただろうって」
「そんなに似てたんだ。じゃ、やっぱり背は向こうのアルの方が高かったの?」
「ああ、ちょっとだけな……って、何でそんな事まで話さなきゃいけねーんだよ」


『チビ』と言われた訳ではないので暴れだす事はなかったが、ブスッと不貞腐れたようにソッポを向いてしまう。
だが『繋ぐわよ』という一言だけでいきなり左脚を接続された衝撃で、うっかり苦痛の声を漏らしてしまった。


「お前なぁ……コレ繋ぐ瞬間すっげぇ痛いんだから、もうちょっとこう……」
「仕方ないでしょ、優しく前置きしたって痛いもんは痛いんだから」

一見無神経な物言いだが、接続される側の苦痛を知っているからこそ、手際よく一瞬で作業を終えるのだ。
恐々やっていたのでは、生身の部分と機械鎧の間に中途半端に微電流が流れて、かえって精神的負担を強いてしまう。
その事が判っているから、エドワードもそれ以上の文句は言えない。

ウィンリィは続いて新しい右腕を手にすると、気に掛かっていた事を口にした。


「それで、お
じ様は?一緒に帰って来なかったの?」

一緒に暮らしていたという事は、少しは歩み寄る事が出来たという事だろう。
ならばエドワードだけではなく、ホーエンハイムも何らかの手段でこちらに戻って来ているのだろうか。

エドワードがじっと唇を噛み締めている事に気付く。
その横顔に、ウィンリィは不吉な物を感じた。


「―――親父は、死んだ」
「え……?


思いもかけなかった言葉にウィンリィの手が止まる。
喧嘩別れしたとか、また出て行ってしまった……くらいの事は想像していたが―――まさか、死んだなんて。

「そんな……どうして」
「死んだんだ。俺をこの世界に戻す為に―――俺の、目の前で」

エドワードは沈鬱な表情で俯いた。



ウィンリィに錬金術は判らない。

だがエドワードの話してくれた事から察するに、錬金術の存在しない世界で錬成陣を発動させようとすれば、
錬金術世界で生まれ育った『命』を代償にしなければならなかったらしい。
その事実に気付いたホーエンハイムはある組織と接触し、錬成陣を発動させる段取りを整えた上で、自ら命を絶ったのだ。

「俺をこの世界に還そうとしてくれたのは親父だけじゃない。向こうのアルフォンスも―――命を賭けて、俺をあのロケットに乗せてくれた」

幾ら生命力の強いホーエンハイムでも、ドラゴンと化したエンヴィーの牙に肉体を引き裂かれてなお生きている事は不可能だった。
エッカルトに狙撃された自分を回収してロケットに乗せてくれたアルフォンスも、ヘスに撃たれた。
彼の肉体は既に死病に侵されていたが―――果たしてあの銃弾を受けて、生きていてくれるだろうか。


接続の終わった右腕の掌をエドワードが握ったり開いたりする。

「―――凄いな。一応、背も手足もそれなりに伸びたんだけど……腕も脚も、ピッタリだ」
「……当たり前でしょ、あたしを誰だと思ってんの。あんたがどの程度成長してるかぐらい―――ちゃんと判ってるんだから」


例え、傍に居なくても。
喉まで出掛かった言葉を、辛うじて飲み込む。


「ああ……そうだった。やっぱり俺の機械鎧は、お前の作った奴が一番だよ」

鈍く光る鋼の腕を撫でて、エドワードが笑う。
まるでそれが最後の挨拶のように。


「ねえ、エド―――もう、何処にも行かないよね?」

どうしてそんな事を口にしたのか。
ウィンリィ自身にも、よく判らなかった。

やっと戻って来たのに、エドワードの表情が沈んだままだからかもしれない。
まるでこれから長い旅に出るような――― 七年前、生まれ育った家を焼いてリゼンブールを旅立った時と同じ顔をしている。

不意に、そう思った。

「エド」


黙ったままのエドワードに重ねて問い掛ける。
そして―――


「ごめん……ウィンリィ。俺―――あっちの世界に、戻らなくちゃいけない」

苦しそうに、彼はそう答えた。






『なんでよ…?』と、今にも泣きそうな顔でウィンリィは呟いた。

「なんで戻らなきゃいけないのよ!?
 命懸けでおじ様が、あんたをこの世界に還してくれたんでしょう!?なのにあんたは、そのおじ様の想いも何もかも無駄にするって言うの!?」
「無駄になんてしない。現に……こうして、一度は戻って来ただろ」


詭弁だと判っている。そんな言葉で、彼女が納得しない事も。

父は自分を、生まれ育ったこの世界に還す為にその命を代価にして門を開いてくれた。
だが門が開放されたままでは、いつか向こうの世界がこの世界を脅かす。あるいはこの世界が、もう一つの世界を侵食するかもしれない。

二つの世界は似て非なるもの。
背中合わせで存在しているのだとしても、その世界を支えている礎は大きく違っていた。
錬金術が科学として存在する世界と、そうではない世界―――相容れれば必ず歪を生み、いつか双方を滅ぼしてしまう。

何としても、相互干渉を防がなくてはいけない。


「あたし……『おかえり』って言ったんだよ?やっと『おかえり』って……言えたんだよ?
 アルやばっちゃんだって、ずっとずっとあんたを待っていたのに……何一つ言わないまま、行く気なの!?」

「向こうの世界に残された門を壊さないと、あの連中はこの世界に際限無くやって来て、破壊の限りを尽くす。
 こちらの門はアルが、向こうの門は親父が開けた―――俺の為に開かれたんだ。なら……俺が何とかしなきゃいけない」
「そんなの、知らないわよ!」


どうしてこう、この幼馴染は馬鹿正直なのか。
破壊するだけなら、向こうの世界の人間がやってくれるかもしれないと、楽観的に考える事は出来ないのか。

確かに門が開かれたのはエドの為かもしれない。
アルフォンスはずっと兄の手掛かりを探し求めていた。
可能性があるのなら、多少のリスクに気付いていたとしてもきっと門を開いただろう。
そしてそれは、ホーエンハイムにしても同じ事だった。
いや、もしかしたら幼い頃に家を出て以来疎遠になってしまった息子の為に、自分が出来る最後の事としてアルフォンスよりも強く願っていたのかもしれない。

エドワードが、生まれ育った世界に還る事を。

それだけの犠牲を払ってやっと戻って来れたというのに、何故彼は再び『戻る』と言うのか。
ウィンリィは悔しくて泣きたくなった。


「イズミさんも、あんたが戻ってくるのを待っててくれた。本当に戻ってくるのか、生きてるかどうかも判らないのに。でも二ヶ月前に……」
「……師匠―――亡くなったのか」

ウィンリィが言葉を詰まらせた事で、エドワードはイズミが亡くなった事を知った。

「自分はもう待てないから―――四年間の記憶を喪ってもう一度弟子入りしてたアルを、旅に出したのよ。
 あんたにとっては、お母さんと同じくらいお世話になった人でしょ?その墓前にも参らないつもりなの!?」


ギュッ……と、エドワードの右手の拳が握られる。
長く伸ばした前髪の隙間から垣間見える黄金の瞳は、此処ではない、遠くを見ていた。

あるいはイズミの事を考えていたのかもしれない。
そして―――ウィンリィは、もはやどんな言葉を尽くしても彼を引き止める事が出来ないことを悟っていた。



「……帰って来るんでしょう?」

せめて、それだけは約束して欲しかった。

「また、帰って来るんでしょう、此処に」

引き止める事が出来ないのなら、また会う日の約束が欲しかった。
たった一言の約束さえあれば、待つ事が出来るから。

エドワードが顔を上げる。その唇は、固く引き結ばれていた。

「どうして、何も言ってくれないの……?」


涙が、溢れる。

自分はこんなに弱かっただろうか。
まだ幼い頃に戦乱で両親を亡くし、それからは祖母と二人で生きて来た。
弱音を吐きたいこともあったし、親恋しさに一晩泣き明かした事もある。
だがいつだって彼らが―――彼が居たから、笑う事を忘れなかった。

口が悪くて、気が短くて。
だけど誰より家族想いで、本当は優しい―――大切な幼馴染。
今は遠く離れていても、いつか必ず帰って来てくれると信じていたのに。



「ごめん」

鋼の腕がウィンリィを抱き寄せる。顔を見る事も出来ないほど、強く。
血も体温も通わない筈のその腕に抱かれた部分に、在り得ない温もりを感じた。

「本当に―――ごめん」
「……謝ってなんか、欲しくないわよ……!」


行かないで、という言葉は届かなかった。
黙って頷く事も出来ない。

だからウィンリィは、エドワードの背中に回した腕に力を込めた。
強く、強く―――その強さを思う度、彼が嫌でもこの世界の事を思い出すように。
爪を立てて抱き締める。その痛みを思う度、幾ら抗っても彼がこの世界の存在を忘れないように。


涙に濡れた頬を、エドワードの指が拭う。
ウィンリィはゆっくりと目を閉じた。




「はぁはぁ……遅くなってごめんなさい!
 お水はすぐに見付かったんですけど、コップとか汲めるものがなかなか無くて……って、あれ?エドワードさんは?」

シェスカが何処からか探し出してきた水差しを持って元の場所に戻った時には、ぽつんとこちらに背を向けて座りこんだウィンリィが居るだけだった。

「行っちゃった。もう」

ぐい、と目元を拭ったウィンリィが振り向く。

「お水、頼んだのに待っていられなくてゴメン……って。エドが」
「いえ、それは遅くなったあたしも悪かったんでいいんですけど―――ウィンリィさん、泣いてたんですか?」


もしかしたら、気付かないフリをしていた方が良かったのかもしれない。だが根が正直者なので、つい言葉に出してしまった。
手で拭った彼女の目元は、泣き腫らした跡のように見える。まさか、エドワードと何か言い争いでもしたのだろうか。


「―――此処は埃っぽいから、目にゴミが入ったのよ」

それ以上の事を、ウィンリィは口にしようとしなかった。


そして―――







「ウィンリィ……鋼のは―――」

空から戻ったロイをリザと一緒に出迎えたウィンリィが、ふっ…と今にも泣きそうな微笑を浮かべる。

「アルも、一緒に行ったんですね」

噛んだ唇が、微かに震える睫毛が、彼とその弟がもうこの世界の何処にも存在しない事を知っているのだと告げていた。

「ウィンリィちゃん……」


歩み寄ろうとしたリザの肩をロイが引き止め、首を振る。
彼等に背を向け、ウィンリィが空を見上げた。

「……約束も残してくれなかった―――もう、待たせてくれないんだね」




空は晴れているのに、雨が頬を濡らす。

この空は何処までも続いているけれど、もうエドワードには届かない。
彼が残したものは、在り得る筈の無い鋼の腕の温もりと―――ただ一度のキス。


それだけだった。

                                                                            【END】


あとがき

映画版、エドワードとウィンリィの再会&別離捏造編(苦笑)さよならの一言も無いあんまりにもあんまりな別れ方だったので、つい脳内補完。
お話の展開の都合で、本当はずっと作業を見ていた筈のシェスカには席を外して頂きました。
シェスカごめんよー。でも第三者が居る所では、エドは絶対核心に触れるような話(いろんな意味で)しないと思ったんで(^_^;)
そして実は映画ネタしばらく続きます…(笑)エドウィン寄り。たまにロイリザ。何処まで引っ張れるかのー…

作業中、ほぼエンドレスでずっと鬼束ちひろを聞いてました。しかも買った当初あまり聞いてなかった3rdアルバム。今聞くと結構ハマるのは何故だろう。
『Castle・Imitation』とか『声』とか、割と影響受けたような。『砂の盾』はエドウィンよりロイリザかなー。銃を置く…っていう表現があるし。
彼女の歌は『怨念が篭もってる』と某ファンサイトで見た事がありますが(笑・怨念云々は褒め言葉です)、
エドとの別れのシーンでウィンリィの心理に結構出ましたね、鬼束色(^_^;)爪を立てて痛みで記憶を刻み付けるという辺りが。
あの苦しそうに唄う姿が結構好きだったんですが(リアル歌手さんとしては、唯一プロモDVD持ってる。しかも二種)、今年初めに体調不良を理由に引退表明。
所属事務所とのゴタゴタもあったみたいだけど、ロック転向はハッキリ言って失敗だったと思うので(苦笑)以前の鬼束調でいつかまた復帰しないかなー。

あと、浜崎あゆみの『HEAVEN』が、思ったより自分内エドウィンに見事にヒットしました…!(^_^;)
企画部屋にUPしてる遥か3のリズ望SSのイメージにと考えてた曲だったんですが、細かい部分でかなーりジャストミート。
♪君が旅立ったあの空に 優しく私を照らす星が光った♪とか、
♪二人まだ見ぬ未来が ここに残ってるから 信じて愛する人 私の中で君は生きる
    
だからこれから先もずっと サヨナラなんて言わない あの日きっと二人は 愛に触れた♪
…って辺りは、かなりツボでこのSSのエドウィンでした。(あくまでも管理人脳内基準) 

                                                                        麻生 司


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