いつもと変わらない朝
人恋しくて目が覚めた
貴女の優しい笑顔に
届かないと知りながらも 一欠片の希望 握り締めた
どんなに儚い夢も
願い続ければ 叶うかもしれないから
だけど貴女の悲しむ顔を 見たくはなかったから
この胸の想い 眠らせる
忘却と言う深い泉の底で
想いを重ね始めた頃
いつしか気付いていた
貴女の心が自分に無いと知り
幼い日々の思い出に 一欠片の希望 そっと隠した
叶わない望みを抱いて
貴女を笑顔を見るのが辛かった
忘れられると思った それが貴女の為だから
だからこの胸の想い 眠らせる
忘却と言う深い泉の底で
It rains in the mind
「婚約……ですか?」
自分の声が、酷く遠くに聞こえる。
譲はまるで他人事のように、今の自分の心境を捉えていた。
「―――と言っても、結婚そのものはまだ当分先の話だけどねぇ。実際に籍を入れるのは、勿論学校出てからだし」
「それでも十分早過ぎるくらいですよ、二十歳そこそこで結婚なんて」
いつか来ると判っていた瞬間なのに、いざ直面すると、やはり頭の中が一瞬真っ白になった。
ちゃんと自分は立っているだろうか。
真っ直ぐに彼女を見て、笑えているだろうか。
「でも―――おめでとうございます。兄さんも、これでやっと落ち着くかな」
「ありがと、譲君」
溢れんばかりの幸福を滲ませて、望美は花のように微笑んだ。
生まれた時からの幼馴染で、物心付いた時には彼女が傍に居るのが当たり前だった。
そんな日がいつまでも続けばいいと思っていた。
そんな日がいつまでも続く筈はないとも思っていた。
自分の命にも等しかった、大切な幼馴染。
その望美が兄の求婚に応え、婚約するという。
空は青く晴れ渡っているのに、譲の心の中は俄かに雨が降りだしていた。
「譲、ちょっといいか」
コン、と開けたままの部屋のドアがノックされる。
譲が首だけ振り向かせると、兄の将臣が顔を覗かせていた。
「何?レポートで忙しいんだけど」
嘘ではない。
机の上には広げたままの資料と、文書ファイルを起ち上げたノートパソコンがある。
だがレポートの提出期限は一週間先で、特に今急いで仕上げなくてはいけない理由はない。
……兄の話を聞きたくないだけなのだと、譲自身判っていた。
「お前には、言っておかなきゃならないからな」
軽い拒絶に、だが兄は怯まなかった。
仕方なくファイルを一時保存して、譲も身体ごと振り返る。
「もしかしたら、もう耳に入ってるかもしれないが……昨日、俺は望美にプロポーズした」
自分は平静を保てているだろうか。
今、兄に笑って見せる必要はないけれど、もしかしたら嫉妬に狂った般若のような顔をしているのではないか。
そんな考えが一瞬頭を過ぎり、表情を手で隠すように眼鏡のブリッジを軽く押し上げる。
「―――ああ、聞いた。昼間先輩が来て話してくれたよ。
兄さんも、これでしっかり現実に足をつけて生きて行く気になったろ?
家庭を持ったら自分の夢や理想ばかり追いかけて、ふらふらしてる訳にいかないんだから」
「……ああ、そうだな。
あいつにプロポーズして、OKの返事を貰って……これで、やっと色々踏ん切りがついた気がする」
将臣の瞳が、真っ直ぐに譲を見た。
「―――お前の気持ちは知ってた。知った上で申し込んで……近い将来、俺はあいつと一緒になる。
その事をお前に詫びる気はない。何を言ったところで、気休めにもならないしな」
ああ、やはり気付かれていたのかと譲は自嘲した。
幼馴染には隠し通せても、兄にはきっと見透かされているのだろうと思っていた。
その事を、今まで敢えて口にする人では無かったけれど。
「……もう、済んだ話だ。
兄さんは先輩を選んだし、先輩も兄さんのプロポーズに応じた。今更俺が口を差し挟む余地は無いよ」
要領が良くて、頭の回転が速くて、いつだって自分の一歩前を歩いていた兄。
気が利かなくて、大雑把に過ぎる所が目に付く事もあったけれど、今ばかりは兄の大らかさが有り難い。
兄も自分も、条件は同じだった。
ただ兄は彼女に想いを告げる事を選び、自分にはそれが出来なかった。
……それだけの事だ。
悪かったと詫びられたりしたら、自分の不甲斐なさを思い知って惨めになる。
自分の中に渦巻く暗い嫉妬が、面を上げて噴出しそうになる。
だから、消してしまうのだ。
望美の幸福を願い、彼女への想いを全て眠らせる。
忘却と言う名の深遠に。
「それでも俺は、敢えてお前に約束する。
誰より望美の幸福を願い続けたお前に―――絶対に、あいつを幸せにすると」
いつか兄の背を追い越し、自分が彼女の隣に並ぶ日を夢見ていた。
それはもう、二度と叶わない。
命を賭けても守ろうと誓った少女は兄を選んだ。
「……先輩を泣かせたら、兄さんでも容赦しない。
理由なんて一切聞かずに、俺がこの手で粛清するからな」
「判ってるさ―――胆に銘じておく」
想いを寄せる少女は兄の花嫁になる。
ごく幼い日、彼女の視線が兄を追っている事に気付いた時から、いつか来る日と覚悟していた。
今はまだ笑えない。
だが、いつかは―――
「心配しなくても、結婚式の日にはちゃんと笑って祝福するよ。
兄さんはともかく、先輩には一生で一番幸福な日にして欲しいからね」
「……怖い奴だよ、お前は」
肩を竦め、将臣が苦笑いを浮かべて見せた。
貴女の悲しむ顔を見たくなかった
忘れられると思った
それが貴女の為だから
だからこの胸の想いを眠らせる
忘却と言う深い泉の底に
雨はまだ止まない。
雲間から陽が差すには、もう少し時間が必要だった。
【FIN】
あとがき
四周年企画執筆中の為、短いSSをお届けです。(『戦国無双2』にかまけ過ぎて時間が無かったとも言う…orz)
本当は別の作品をUPする予定だったんですが、大昔の原稿から使えそうな詩を見付けたので、
急遽手直ししてお話に組み込み、書き上げました。作業時間、二時間くらいですよ…(^_^;)
将望で、なおかつ将臣が現代に帰って来てるので、一応十六夜記ED後と言う事になります。
『運命の迷宮』発売前なので、←これのEDがどうなるかは判りませんが。
望美は地元の大学、将臣も実家(神社の神職)を継ぐべく、相応の学科のある大学へ進学中。共に大学二年生。…という設定です、一応。
譲も大学進学してます。教授の信頼も篤く、よく手伝いを頼まれたりします。
将望前提で譲視点になると、どうしても辛い話になってしまいますね。
他のメンバーはそもそも望美と恋に落ちなければ、後は友情や仲間意識で祝福してくれる訳ですが、
譲だけは『望美に想いを寄せている』という前提が必ずあるんですよね。
だから彼自身以外の相手と望美が結ばれるとなると、何をどうしても砂を噛むような思いをしなくてはいけないのですよ。
自分の恋が叶った時でさえ、なかなかその幸運を信じられない子ですからねぇ…(苦笑)
麻生 司