Awakening 5


          シリウスとレディエラが家に戻ると、この所睡眠不足だった母を、リリー達が魔法薬を煎じて眠らせてくれていた。
          薬の効き目で夢も見ずに眠っている母の寝顔は、数日ぶりに安らかなものだった。
          この分だと、もう今夜は目を覚まさないだろう。

 

          今日はジェームズ達もエルシーズ家に泊まる事になっていたので、レディエラ達は喪服を着替え、居間に集まり直した。
          温かいお茶を入れ、暖炉に入れた火で身体が温もると、肩に入っていた力が少し抜けたような気がする。

          「少し顔色が良くなったね。さっきまでは、君もお母さんも今にも倒れそうだったけど」

          リーマスがレディエラの顔色を確かめて、ほっとしたような表情になる。
          リリーも顔を覗き込んで来たが、『貴女は大丈夫ね』と呟いた。

          「一応貴女の分の薬も作ってあったんだけど。この分なら必要なさそうだわ」
          「ありがとう、皆が来てくれたお陰よ。私と母だけじゃ、きっと保たなかった」

 

          動転していたレディエラと母は、父の訃報を何処に報せればいいのか、それすら咄嗟に思いつかなかった。
          両親ともに親は既に亡く、兄弟も居なかった為に結局は身内だけの葬儀となったのだが、
          このままではレディエラ達が精神的に参ってしまうのが目に見えていたので、
          シリウスがフクロウを飛ばしてジェームズ達を呼んだのである。
          葬儀の手伝いもさる事ながら、やはり気心の知れた者が傍に居るだけでも心強かったらしい。                 

 

          「ところでレディエラ……お父さんが亡くなったと知らされる前に、何かあったと気付いたんだって?」
          「え、気付いたって、まさか……レディエラ、占い学得意だった?」

          シリウスから少し話を聞いていたジェームズの言葉に、リリーが不思議そうな顔をした。
          レディエラが静かに首を振る。

          「今まで目立った成績なんてあげてないわ。占い学は、私の一番苦手な分野だもの」
          「安心しろ。多分、あれが得意な奴は稀だ」

          正確には『あの授業が』と言うのが本当の所かもしれない。
          苦虫を潰したような顔でそう口にしたシリウスに、レディエラはクスッと小さな笑みを零した。
          担当のトレローニーは癖のある教師で、授業そのものもカップの底の茶葉の模様を読んだり、
          いつ見てもただの硝子球にしか見えない水晶玉を覗き込んだりと、かなり胡散臭い―――と、レディエラも思っていた。
          つい、先日までは。

          「寮の自分の部屋でうたた寝をしてしまった時―――夢を見たの。
           直前までお母さんから届いた手紙を読んでいたけれど、その手紙には『お父さんも変わりない』と書かれていた」

 

          その手紙が、実は危篤だった父の病状を知らせない為の嘘だったと、今のレディエラは知っている。
          だがその時には、本当に大事無いのかと訝しみながらも、母の手紙を否定する根拠も無かった。
          恐らく普通ならば、ただの夢だと思っていた筈だ。だが―――

 

          「真っ暗な空間の中に、一筋だけ光が射していて……その中にお父さんの姿が視えたの。
           お父さんは笑って、私の頬に手を触れた―――そこで、起こされたのよ」
          「それで……お父さんに何かあったんだと思ったのかい?」

          リーマスの言葉に、レディエラが少し考え込んだ。

          「……判らない。ずっと父の容態は心配だったから、その時はただの夢であって欲しいって思ってた。
           だけど―――今まで感じたことのないような不安で、胸が苦しくなったの」

 

          例えるならば、それは直感。
          今視たものはただの夢ではないのだと、身体中の感覚が告げていた。
          不吉だからと言って、決して目を背けてはいけないと。

 

          「そのまま眠ってしまってはいけないような気がして、ダンブルドア先生に相談に行ったの」

          自分の見た夢に何か大事な意味があるような気がして、夜中にも関わらずダンブルドアを訪ねた。
          そこでシリウスのもたらした、父の訃報を知ったのである。

          「ダンブルドア先生は、この力を『父からの最後の贈り物』だと言った。
           だけど、この数日ずっとその事を考えていて―――思い出したの。私……前にも、同じような夢を視た事がある」
          「「「「え!?」」」」

          異口同音に、皆がレディエラを見た。 

          「一体、何時だ?最近か?」
          「ううん、もうずっと前。私がホグワーツに入学した時よ」

          驚いたシリウスに、レディエラは首を振って見せた。

          「憶えていない?私、組み分けの時に目を瞑ったの」
          「ああ、それなら憶えてる。組み分けに時間掛からなかったかって、君に聞かれたんだ」
          「そう言えば、組み分け帽子がブツブツ言ってて、すぐには決まらなかったのよね。
           私と一緒で、無理矢理自分の主張を通したって言ってなかった?」

          リーマスが当時の事をよく憶えていた。
          リリーが連鎖的に思い出し、レディエラが頷く。

          「そう……本当は、私にはハッフルパフが向いているって言われた。
           自分と気性の合わない所で7年も過ごすのは辛い……思い込みや憧れで選べば、後で後悔する事になるって。
           それでも私は―――グリフィンドールに行きたいって願ったの」

 

          そこから先は今でも記憶が曖昧で、何処からが夢で何処からが現実なのか定かではない。

          組み分け帽子が沈黙したその刹那、スツールを囲むように四つの人影が現れた。
          ゆらりとした幻のようなその影には実体が在るようには見えなかったが、皆が皆、何処か見覚えのある顔立ちをしていた。

          その時には知る由も無かった面影。
          だが、数年を経た今だからこそ判る事実も在る。

 

          「皆が数秒だと言ったあの短い時間に見た夢で、『本当にグリフィンドールを選ぶのか』と私に尋ねた人たちが居た。
           当時の私と比べたらずっと大人で……見覚えがあるとは思ったわ。でも、その時は誰だか判らなかったの」

          レディエラの視線が、シリウス達を順に見回した。
          その視線の意味する事に気付き、シリウスが軽く息を呑む。

          「まさか……俺達、なのか?」
          「……数年も前の事を思い出しただけだから、何とも言えないけど。でも恐らく、『今』の貴方たちを……私は視たんだと思う」

          しん、と一瞬静かになってしまったが、不意にジェームズが口を開いた。

          「それで―――その、当時視た未来の僕達は、一体何て?『グリフィンドールでいいのか』と尋ねただけかい?」
          「……ええ、結論はそう。ただ、いろんな事を引き換えにしても、それでもグリフィンドールを選ぶのか、とね」
          「いろんな事?」

          訝しげなリリーの声に、レディエラが曖昧な笑みを浮かべる。

          「具体的な事は、あまりはっきり憶えていないの。
           でも確か、グリフィンドールで過ごす幸せな数年間と引き換えに、辛い事があっても耐えられるか……とか。
           そう言う事だったと思う」
          「それだけのリスクを背負ってでも、グリフィンドールを選ぶ覚悟があるのかと? 
           どうしても君を、グリフィンドール以外にやりたかったみたいだね」

          リーマスの眉間に皺が刻まれた。       

          「でも私は、グリフィンドールを選んだわ。組み分け帽子も、希望通りグリフィンドールへ選んでくれた。
           父の死は悲しかったけれど……それは、私だけに与えられる災いじゃないでしょう?
           ―――少なくとも私は、今まで何かを犠牲にした憶えは無い」

 

          グリフィンドールを選んだのは自分。
          選ぶ事を強要された訳でも、他の道を閉ざされた訳でもなく、自分の意志で選び取った―――今。 

 

          『これから数年の幸福と引き換えに、更に倍する長く辛い時間を歩む事になろうとも、君はその道を選べるか』

          『愛する人を、愛していると言葉に出来なくなる日が来ようとも、貴女はその道を選ぶのか』

          『無二と信じた友を永遠に失う事になろうとも、君はその道を選べるか』

          『その道を選ぶ事で、至上の幸福と、死よりも辛い運命を共に背負う事になるだろう。
           この世の全てが愛する男の敵となり、背を背けたとしても―――お前は、その男を愛し続けられるか』

  

          「―――どうした、レディエラ。具合が悪いのか?」
          「……何でも無い。ごめんなさい、大丈夫だから」

          一瞬感じた眩暈に額を押さえたレディエラに気付き、シリウスが手を伸ばして彼女の額に手を当てる。
          その手に指を触れた瞬間、レディエラは胸の奥に、ほんの僅かな痛みを感じた。

          「これは、幸せになる為の力なんだって信じてる。だから……大丈夫よ」

          そう呟いて、レディエラは微笑を浮かべた。

 

          「僕たち、この間正式に婚約したんだ」

          在り合せの物でレディエラとリリーが作った夕食を皆で囲みながら、ジェームズがそう切り出した。
          本当はずっと言いたくて仕方なかったみたいだが、父親を亡くしたばかりのレディエラの手前、遠慮していたらしい。
          だがこんな時だからこそ、おめでたい話はレディエラの心を軽くさせた。

          「本当に?おめでとう、ジェームズ、リリー!こんな時じゃなかったら、もっとちゃんとしたお祝いが出来たのに」       

          ジェームズとリリーはホグワーツ在学中から交際していたので、いずれそうなるだろうとは思っていた。
          現にジェームズは在学中にリリーにプロポーズを決行して、本人同士の口約束だけはとっくに交わされていたのだが。
          先日リリーの両親の承諾も得て正式に婚約を済ませ、二人で独立して一緒に生活を始めたのだという。

          「正式な婚約をして一緒に暮らしているのなら、いっそ結婚してしまえばいいのに」

          不思議そうにレディエラが首を傾げる。
          婚約は判るとしても、既に一緒に済んでいるのなら、結婚してしまうのもそう変わりはないのではないか。
          だがこの意見に異を唱えたのは、当のリリーだった。

          「ジェームズの花婿付添人は、シリウスにお願いしたの。
           私の付添い人は別にリーマスでもいいんだけど、出来ればやっぱり可愛らしい女の子がいいわ」
          「僕は非常用かい……?」

          本気で少し傷付いた表情がリーマスの顔に浮かび、隣に座っていたシリウスが慰めるようにポンポンと彼の肩を叩いた。
          このメンバーで、一番立場が強いのはリリーなのだ。
          彼女を溺愛しているジェームズとて、勿論例外ではない。
          寧ろその溺愛ゆえに、彼女に対しては最弱と言った方がいいだろう。

          「それでね、私の花嫁付添い人は、卒業して成人した貴女にお願いしたいのよ」
          「私を……花嫁の付添に?」

          菫色の瞳が、驚きで瞬かれる。

          「だって、私の卒業を待っていたらあと二年もかかるのに?リリーには妹さんが居たじゃない。彼女に頼めば……」
          「ああ……駄目なのよ、あの子は。妙に馴染みの早かった両親には似ず、骨の髄までマグルだから」

 

          魔法とか魔女とか言う物に対して、嫌悪を通り越して憎悪を抱いているらしいのだ。
          以前にちらりとそんな話をきいた事もあったが、まさかそれほどまでとは思っていなかった。
          それでは確かに、付添い人を頼むのは無理だろう。

          「リリーが言い出したら聞かないって事は知ってるだろう?
           だから早く卒業してきておくれよ。間違っても留年なんてしないでさ」

          レディエラの成績が、留年どころか極めて優秀である事を知った上での冗談だ。
          お手上げだよと諸手を挙げたジェームズの瞳は、だがとても優しい。
          恋人の望む事なら、何だって叶えてあげたい―――そういう瞳だった。

 

          「……しかしそれなら、俺達も一緒に式を挙げてもいいかな……」

          ぼそり、と呟かれたその言葉を、静かな部屋で聞き逃す筈も無く。
          ジェームズ、リーマスが揃ってシリウスを見て、リリーは彼の向かいの席に座っていたレディエラを見た。
          シリウスは知らぬ振りで手許の杯に口を付け、レディエラは真っ赤になって手が止まってしまっている。
          そのレディエラの左手の薬指に見慣れない指環がある事に、ようやくリリーは気が付いた。

          「シリウス?」

          リリーが笑顔でシリウスを呼ぶ。
          ジェームズなどは特に良く知る、絶対に嘘のつけない笑顔だった。
          この状態の彼女に隠し事をしても見逃してくれないし、
          隠し事が露見すると、隠していたと言う事実に対しての厳しいお仕置きが待っている。
          素直になるのが一番なのだ。

          シリウスが向かいのレディエラを見ると、彼女が小さく彼に頷いて見せる。
          レディエラが話してもいいという意思表示をしたので、シリウスは彼女に求婚した事を打ち明けた。

 

          「ほーう、お前も遂に言ったか。放っておいたらいつまでも『仲の良い幼馴染み』のままだと、少し心配してたんだ」
          「レディエラ、貴女ならもっと素敵な他の人も選べるわよ?
           幼馴染みだからって何もそのまま結婚する必要はないんだから、急がなくてもいいのに」
          「お父さんの墓前でプロポーズ?大した度胸だね。節操なしだと言われても反論出来ないよ?」
          「……何やら随分と失礼な事も聞こえてきたような気がするが、取り合えず聞かなかった事にする」

          気心が知れているから言いたい放題だ。だが皆、目は笑っている。
          何だかんだと言ってはいるが、
          皆、シリウスがもうずっと以前からレディエラを『幼馴染み』ではなく『一人の女性』と見ていた事は知っていたし、
          いつ二人の関係が幼馴染み以上恋人未満から進展するのかと気を揉んでもいた。
          一足飛びに婚約まで行ったのも少々驚いたが、これは父親と夫を失ったレディエラと彼女の母を支えたいという、
          シリウスなりの考えがあっての事だろう。

          今になって思えば、ホグワーツ入学当時から女子生徒に絶大な人気があったにも関わらず、
          誰にも興味を示さなかったのは、その頃からレディエラの存在が心にあったからではないのか。
          それならば、振られた女子生徒に『冷たい』と酷評されながらも、『NO』と言い続けた彼の気持ちも理解出来る。

          シリウスはレディエラを、大事な幼馴染みであると同時に人生の伴侶として選んだ。
          ジェームズ、リーマス、リリーは出会いこそ遅かったが、ホグワーツでの数年間を共に過ごし、
          彼女を妹のように可愛がっていた。
          レディエラがシリウスを伴侶に選ぶと言うのなら、何の否やも無い。

          「レディエラ、幸せね?」  

          リリーの翠の瞳が、姉の眼差しでレディエラを見詰める。
          レディエラは頬を薔薇色に染めて、はにかんだような微笑を浮かべた。

 

 

          夢と現実の狭間で、ほんの一瞬蘇った未来の記憶。

 

          選んだのは自分。それならば、幸福と共に与えられると告げられた災いを、受け容れると決めたのも―――自分自身。
          それはきっと、幸福を得る為の魂の試練。

          数年前に視たあの幻が、消え行くまさにその刹那―――未来のシリウスが微笑んだ事が、その証だと。
          レディエラは信じていた。

          ―――そう、信じていたかった。

 

                                                                    【FIN】


          あとがき

          予想以上に長いお話になったので、数話に分ける事になりました。『夢見の魔女』覚醒のお話です。
          年に一度発揮されるか否かというような力でしたが、どちらかと言えば災いの兆しを視る事が多かったようです。
          彼女達の運命を変えた『あの』瞬間も、いずれ視る事になります。その辺の話は、またいずれ。
          もう完成していますので、そう時間を置かずにお披露目出来る筈。お楽しみ(?)に。  

                                                              麻生 司

 

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