Epilogue 2


マグル大虐殺の咎でアズカバンに囚われたシリウスの裁判開廷が絶望的になった数日後―――
ダンブルドアが、まだ完全に床を離れられないレディエラの元を訪れた。

 

 

「どうぞ、中へ。お茶くらいしか用意出来ないのですけど」
「気遣いはいらんよ。君もまだ完全に回復した訳ではないのじゃから、楽にしていなさい」

レディエラに居間へと招き入れられたダンブルドアは、そう言って微かな笑みを浮かべたかつての教え子を見遣った。

 

ジェームズとリリーが亡くなり、シリウスが無実の罪でアズカバンへと囚われて―――
そのショックで、レディエラは身篭っていたシリウスの子を流産した。
彼女が心と身体に負った傷は深く、覚醒した状態では母体となったレディエラの命の保証も出来ないと判断され、
せめて彼女の命だけでもを救う為には魔法薬で眠り続けさせるしかなかった。

ようやく命の危機が去り、彼女が覚醒したのは―――シリウスが囚われてから一ヶ月が経った後の事である。

 

「―――リーマスは、もうここに居ないのかね?」
「……私が起きられるようになると、出て行きました。彼も―――私を見ているのは辛かったんだと思います」

温かな湯気をあげるティーポットを傾ける手が、僅かに止まった。

 

ジェームズ達の死を知りシリウスがこの家を後にした後―――レディエラとリーマスは正にこの場で激しく言い争った。
彼の無実を信じるレディエラと、彼が裏切ったのだと信じるリーマスの言葉が折り合う筈も無く。
リーマスの口からシリウスがマグル虐殺の咎でアズカバンに送られるだろうと聞かされたレディエラは、直後に倒れた。

レディエラがシリウスの子を宿しており、度重なる精神的なショックから彼女がその子を流産したと知ったリーマスは、
愕然とその場に立ち尽くして言葉を失ったのだ……

 

紅茶の満たされたカップが、レディエラの手でダンブルドアと彼女自身の前にそれぞれ置かれる。
ダンブルドアは一巻きの羊皮紙を懐から取り出すと、それを彼女の前に差し出した。

「先生、これは……?」
「……以前、シリウスがジェームズの秘密の守人になる事をワシに報告しに来た時に、置いていった物じゃよ。
 自分の身に何かあった場合、証人になって欲しいと頼まれてな」

きっちりと巻かれて魔法で封印されていた羊皮紙を開くと、そこには見慣れた字が綴られていた。
そして、そこに記されていたのは―――

 

『私、シリウス・ブラックが何らかの理由でその権利を失した場合、
 私が継承したブラック家の全ての財産を、婚約者であるレディエラ・エルシーズに譲渡するものとする』

巻いた羊皮紙の間から、もう一枚別の羊皮紙がはらりと落ちる。
それは以前シリウスがダイアゴン横丁に見付けたと言っていた店の、レディエラ名義の権利書だった。

 

「私は……ただシリウスさえ帰って来てくれれば―――それでけで……良かったのに」

ヴォルデモートから隠れ住む暮らしでも、シリウスと二人なら幸せだった。
彼の存在に代えられる物など、何一つ在りはしない。
望む事はただ一つ―――何も無くてもいいから、ただ彼に傍に居て欲しかった。

「……シリウスは、いつまでも君を正式に妻に迎えられない事を、ずっと気に病んでおった。
 このままでは何時になるか判らない。もしもという事も在り得る。
 じゃからその前に―――何かを、君に残したかったんじゃろうな……」

委任状と権利書を胸に抱いたレディエラの頬に涙が滑る。
その彼女の肩を、優しくダンブルドアが抱き寄せた。

「君から預かったあのペンダントは、間違いなく彼に手渡した。君の言葉も伝えた。
 その彼から預かった言葉を、今からワシはそのまま君に伝えなければならん―――それが、彼の望みじゃからな」
「シリウスの言葉……望み?」

 

頷くダンブルドアの半月眼鏡の奥の瞳は、穏やかなばかりの老人の眼差しではなく、
優しさと共に厳しさを併せ持つ、師の強さを秘めていた。

「ありがとう……だけど、いつまでも自分の影に縛られる必要は無い―――これが、彼からの伝言じゃ」

レディエラの菫色の瞳が、大きく見開かれる。

「先生……それは、まさか……?」

ダンブルドアが静かに頷いた。

「君にはまだ、この先に長い人生が残されている。
 『シリウス・ブラック』という影に囚われる事なく、残された時間を幸せに、自由に生きて欲しいと……
 婚約を解消し、自分と言う軛から君を解放する事が―――彼の最後の願いじゃ」

 

―――残された時間を幸せに……彼女の幸福だけが、今の俺の望みです。

 

それが、アズカバンを去る自分に託された彼の最後の言葉だったと。
ダンブルドアの静かな声を聞きながら、レディエラの両の瞳からは止め処も無く涙が溢れていた。

 

「……シリウス、貴方は馬鹿よ」

 

顔を覆った手の奥から、涙に掠れた声が零れる。

自分の人生に、シリウスが存在しないなどという事はもう在り得ない。
彼は既にレディエラの半身であり、失っては生きて行けないのだから。

 

「貴方が居なくて、どうして私が一人で幸せになれると言うの?
 残された時間を幸せに……自由に生きて欲しいと言うのなら―――私の選ぶ答えは、一つしかない」

ダンブルドアの白い髭の奥の口元が、微かな笑みを刻んだ。

「やはり、受け容れないか」
「ごめんなさい……ダンブルドア先生。いくら彼の最後の願いだと言っても……これだけは聞けません」

レディエラの指が涙を拭う。
この数ヶ月、触れれば壊れてしまうような儚さを纏っていた彼女の内に、今、静かに何かが生まれようとしていた。

 

「先生……証人を―――お願いしてもいいですか?」
「引き受けよう」

ダンブルドアが微かに顎を引いて頷く。

レディエラは一巻きの羊皮紙とペンを用意すると、それを恩師と自分の前に置いた。
羽根ペンを取る彼女の手に目を落とし、ダンブルドアの手が羊皮紙の一端に触れる。

レディエラの手にしたペンが、ゆっくりと誓いの言葉を綴った。

       

『私、レディエラ・エルシーズは、シリウス・ブラックが所有する全ての財産を、
 彼が権利を正統に回復するその時まで、婚約者として管理するものとする』

 

羊皮紙に書かれた誓いを、レディエラとダンブルドアが静かに読み上げる。
黒いインクで綴られた文字が一瞬金色の炎に縁取られたように煌めくと、
証文は独りでにくるりと巻き上がり、ダンブルドアの手に収まった。

「彼の最後の願いだけは、言葉通り受け容れないと思っておったよ」
「……あの人は昔から感情を伝える事に不器用で……そして、誰よりも優しい人だった」

 

時には言葉が足りずにすれ違う事もあったけれど。
優しすぎて、互いに傷付く事もあったけれど。

だけど彼に愛され―――そして、彼を愛した記憶は消えない。
どんな言葉に打ち消されたとしても、この心が憶えているから。

 

「今の私には、もう何も無いけれど……彼を待つ事は出来る。あの懐かしい家で……再び、彼と暮らす日を夢見て」
「―――長い時間が掛かるじゃろうな」

裁判の開廷は絶望的となり、もはやダンブルドアでさえ面会は叶わなくなった。
これほどまでに互いを強く想い合いながら、面会すら叶わないのは酷だろう。

「大丈夫です。シリウスの残してくれたお店があれば―――何とか、やっていけると思いますし。
 それに彼は……必ず帰ると、約束してくれましたから」

レディエラは真っ直ぐに恩師を見返すと、しっかりとした声でそう口にした。

 

『必ず、帰ってくる……愛しているよ』

 

例え、それが遠い約束なのだとしても。
信じる事で人は生きていける。たった一つの約束が、心の拠り所になる。

「……君を何より愛したシリウスの想いは、昔も今も変わっておらんかった。
 婚約を解消し、自分という存在を消してまで君の幸福だけを願った……彼のその想いは、受け取ってあげなさい」
「私の幸福を望むと言うのなら、それは彼と共に在る事です。彼の存在が―――私の全て」

 

きっぱりとそう口にしたレディエラの菫色の瞳には、微塵の迷いもない。
どこまでも澄んだその瞳を前にして、ダンブルドアは目を細め、『そうじゃな』と静かに呟いた。

「いつか彼が汚名を雪ぎ、自由を取り戻した時……君自身が、彼の帰る場所になるんじゃよ。
 彼を愛し、彼の無実を知る君にしか―――出来ない事なのじゃから」

優しく包み込むようなその言葉に、レディエラは柔らかな微笑を浮かべた。

 

 

 

その後シリウス・ブラックの裁判が開廷される事は遂に無く、ダンブルドアとレディエラの尽力も徒労に終わる事になる。
痩せ細り、かつての面影をすっかり失いながらも、それから長きに渡る時間をシリウスは唯一人アズカバンで生き延びた。

そして12年後の運命の日―――魔法省のコーネリアス・ファッジがアズカバンのシリウスの元を訪れた。
そこでファッジが目にした彼の姿は、とてもアズカバンで十数年を生き抜いたとは思えぬ程に『まとも』であったと言う。
彼はファッジの手にしていた新聞を見て、『クロスワードパズルが懐かしい』とまで口にした。

 

かつてのマグル大虐殺の主犯であると言われたシリウス・ブラックが、アズカバンを脱獄したのは――― 
それから間もなくの事である。

                                                        【FIN】 


あとがき

と言う訳で、『End of the world』の完結編です。この2つのエピソードも含めて、ようやく『End〜』が完結する形になります。
『End〜』の4・5話としても良かったんですが、時間的な流れが悪くなるので、敢えてこういう形にしました。
流れとして『End〜』のどの辺りに絡むお話かは、読んで頂けたらお判りかと思います。

ダンブルドアを介して、シリウスとヒロインの両方の視点から書いてみた今回のお話。
亡くした子供の話は、ダンブルドア先生の口からこうしてシリウスに伝えられていたのでした。
それまで怒りと憤りに依ってアズカバンで正気を保っていたシリウスが、
恩師の姿に涙し、無条件に自分を信じてくれる人を得た代わりに、永遠に喪ってしまった我が子の事を知る。

ヒロインを愛するが故に別離を選ぶシリウスと、その彼の優しさを知るが故に別離を受け容れないヒロイン。
もしも自分が守人であったなら。もしも彼女の傍を離れていなかったなら。
もしも自分が彼を引き止められていたら。もしもすぐに行動を起こせていたなら。
果たせなかった幾つもの仮定の上に、彼等が再会を果たすのは実に12年の月日が流れた後です。

原作が終了していない今、本当の意味でシリウスの行く末がどうなるかは判りませんが、
少なくともウチのサイトの中では、幸せになって貰いたい。
そんな想いを込めて、これからも頑張って行きたいと思っています。

 

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