「さーさーのーはー さーらさらー♪ のーきーばーにー ゆーれーるー♪」

可愛らしい声で『笹の葉さらさら』を唄いながら、菜々子が小さな笹に短冊を吊るしている。
今の日本の暦では七夕は梅雨の真っ只中の為、今夜の予報も天気は微妙だ。
とりあえずはこうして七夕飾りの準備をする事で楽しめるから、それはそれでいいのだろう。

「直斗お姉ちゃん、笹ありがとう。
 去年はちっちゃな笹だったけど、これならもっといっぱい飾りつけたり短冊つけられるね」
「どういたしまして」


いつもは商店街で配るのを貰って来ていたのだが、今年は用意出来た数が少なかったとかで、菜々子が行った時にはもう無くなってしまっていた。

来店客用にジュネスが展示している大きな笹飾りに短冊をつけて代わりにするつもりなのだと堂島が話しているのを偶然直斗が聞いて、
笹なら白鐘本家の庭にあるからと、手頃な一枝を切って届けに来たのである。












君を想いて













「堂島さん……お父さんは、今日は?」
「晩ご飯までには帰るって、朝言ってた」


刑事の堂島の帰宅時間は不規則だ。
事件が起これば昼も夜もないし、何日も泊まりになる事もある。

―――が、そんな事件など滅多に起こらないのが田舎のいい所であり、その滅多にない事態は多分、昨年既に出尽くした。
その原因も犯人も既に捕らえられ、或いは解消されているから、どれだけ早く帰ってこられるかは、ほぼ日々の雑事をどれだけ早く片付けられるかに掛かっている。
大事件は起きていないが、ここ最近続けて起きていた空き巣犯が御用になったと昼間聞いたので、その後処理で今頃はバタバタしているかもしれない。


「よし…っと、完成!」
「完成ー!」


笹自体は一メートルも無いのだが、菜々子が色紙で作った七夕飾りや短冊をつけると流石に少し重い。
昨年は三十センチくらいの小さな飾りだったので居間の壁に掛けていたが、折角なので今年は縁側傍の庇の下に樋に沿わせて立ててみた。
強い雨が降ったら駄目だが、少しくらいの雨なら辛うじて濡れない位置だ。



「陽介お兄ちゃん達も来れれば良かったのにね」
「そうですね。でも皆、それぞれ忙しいから」


七夕セールと中元商戦が重なって、ジュネスも連日忙しい日々が続いていた。
陽介とクマも連日バイトに駆りだされているし、今日は千枝も応援に入っている筈だ。
雪子も今日は旅館の方が忙しく、りせは都心部の方で仕事が入っており、完二は母親が夏風邪をひいてしまったので店番を抜けられないとの事だった。


「集まる時には全員集まるのに、こんな事もあるんですね」
「でも菜々子、寂しくないよ。直斗お姉ちゃんが来てくれたもん」

ぎゅ、と直斗の細い腰に菜々子が抱きつく。
それは寂しさの裏返しではなく確かな親愛の情を示したものだったから、直斗も『ありがとう』と優しく菜々子の背を抱き返した。





それから間も無くして、堂島が帰宅した。

「お父さんお帰りなさい。見て、直斗お姉ちゃんと一緒に飾ったの!」

庭先の軒の下に飾られた笹飾りに堂島が目を細める。

「おお、頑張ったな。白鐘、すまんな。わざわざ届けて貰った上に手伝って貰って」
「いえ、僕も楽しかったですから。それでは僕、これで失礼します」
「え、お姉ちゃんもう帰っちゃうの?」

シュンとした菜々子の後を受けるように、堂島も夕飯に誘ってくれた。

「出前だが、一緒にどうだ?お前が居る方が菜々子も喜ぶ」
「ありがとうございます。でも神楽さんとの約束ですから、完全に暗くなる前に帰ります」



昨年の事件以来、柚は日が暮れてからの女子の一人歩きを殊更避けた。

あの事件の真相を全て知る自分達は、もうこの街は安全なのだと判っていたけれど、それでも不測の事態はいつだって起こり得る。
二度と後悔したくないのだという彼の想いは仲間達にも受け継がれていた。
だから直斗や雪子達は、今も日が暮れてから一人歩きをする事は無い。
それは堂島も菜々子も知っていたから、無理に直斗を引き止める事はしなかった。








夜の七時少し前。
山裾に太陽は姿を隠し、辛うじて空には藍色の名残があった。
頭上一面薄い雲に覆われていて、とても天の川を拝めるような空模様ではない。

「……それでも、一面の霧に覆われていた頃よりはマシかな」

雨が降らなければ、彦星と織姫は会えるのだろう。
それを地上の人間たちが見られないというだけの事だ。


――― 条件さえ整えば年に一度は逢える。例え逢えない可能性があったとしても、それでも『逢えるかもしれない』という約束は二人にとって幸福だったんだろうか。


神話の中の物語だ。真剣に考えた所で大した意味はない。
想う人と離れ離れになっているのだとしても、その気さえあれば何処へなりと出向いて逢う事が出来るのが現実だ。


―――ほんの半月前に逢ったばかりなのに恋しいなんて……罰が当たるかな。


柚とは彼の学校の文化祭に陽介達と共に招かれて先月逢ったばかりだ。
そしてあと半月待てば、夏休みになって柚は八十稲羽に帰って来る。
本来夏休み期間にも受験対策の補習授業があるのだが、彼は全国共通模試一桁の成績を理由に自主学習を申し出ている。
学校側は少々渋い反応らしいが、『どうしても駄目ならば、二学期からまた八十稲羽に編入する』と教師陣を脅かしているらしい。
学年一番の秀才に出て行かれては、進学率や進学先のデータに多大なダメージを受ける。学校側は柚の申し出を黙認する他ないだろう。



柚に逢いたい。声が聞きたい。
菜々子に頼まれて一緒に吊るした短冊には『神楽さんが元気でありますように』と書いたが、本当の願いはただ彼の傍に居る事だった。

歩きながら携帯を開く。特に新しい着信も、留守電にも何も無い。
週末の夜には決まって電話をしてくれるが、柚だって忙しいのだ。
寂しさを紛らわせるように直斗は小さく溜息をついた。


「さーさーのーはー さーらさら…」


小さな声で呟くように唄う。
後ろを歩く足音の主の気を逸らせる為に。



この辺りは、日暮れれば人通りがぱたりと途絶える。
つまり通る人間は数が知れていて、足音や人影だけでも凡そ近所に住む誰かくらいは見当がつくのだ。
だが、自分の少し後ろを歩く男―――恐らく若い―――には心当たりが無かった。
この辺りに住まうのは老夫婦や小学生世代の子供を持つ家族世帯ばかりで、二十歳前後の男性は居ない。
空き巣は逮捕された筈だが新手かもしれないし、もっと性質が悪い輩の可能性もある。


そっと腕時計に手を伸ばし、ライトのスイッチに指を掛ける。
歩調を変えぬままそのまま数歩歩き、振り向きざまにライトを当てようとした。
一気に間合いを詰められて、両腕を押さえ込まれていなければ。



「―――ッ!!」

『放せ』と叫んだつもりだったが、大きな手で口が塞がれて声が出せない。
掌を噛んでやろうと、押さえ込まれたまま口を大きく開いたその時―――


「直斗、大声出さないで」
「!?」


耳元で囁かれたその声に、逃れようと突っ張っていた腕が行き場を失った。
彼女がもう叫ばないと判って、口を覆っていた手が外される。

ゆっくりと振り返った視線の先に、逢いたいと焦がれ続けたその人が―――柚が居た。






「か……ぐら、さん……?どうして……」

今日は土曜だが、連休ではない。
距離的には可能だが時間的に色々と厳しいので、一日の休みで彼が戻って来る事は無かったのだ。今までは。

「だって今日は七夕だから」
「え?」

柚の予想外の言葉に、直斗が目を瞬かせる。

「一年に一度、恋しい人に大手を振って逢える日なんだって考えたら、急に直斗に逢いたくなって」


授業と、受験対策の補習が終わったその足で、そのまま八十稲羽行きの電車に乗ったのだと言う。


「でも明日はどうしても休めない模試があるから、今夜中に戻らなきゃいけないんだけど」

涼しい顔でさらりと言われ、慌てたのは直斗の方だ。

「ええ!?じゃあ、折り返しの電車があるのは……」
「あと一時間半、かな。親には今夜中に帰るって言ってあるから、最終でいい」

親が激怒してもおかしくない説明だが、その辺は彼の普段の素行の賜物なのだろう。


「一時間半って……たったそれだけの時間の為に―――帰って来てくれたんですか?」

柚に逢えたのは嬉しい。
でも常識で考えれば、彼の行動は量り難かった。
半月待てば夏休みになって一ヶ月以上此方に居られるのに、今この時期に旅費と時間を使って強行する事ではないからだ。

困惑する直斗に、だが柚は真顔で答えた。



「だって、逢いたかったんだ」

ぎゅっ、と柚の腕の中に華奢な身体が抱き締められる。

「電話やメールじゃなく、こうして直斗に触れたかった」


ハッと直斗は目を瞠った。

自分とて彼に逢いたいと願っていたではないか。
声が聞きたい、傍に居たいと願いながら携帯を見て、柚から何も連絡が無い事に肩を落としたではないか。

自分は願うだけだったけれど、柚は行動を起こしてくれた。
たった一時間半でも傍に居たいと―――



「……陽介先輩や、菜々子ちゃんに連絡は?」
「向こうに戻ってから報告するよ。実は一時間半だけ八十稲羽に帰ってました……ってね。
 菜々子はがっかりさせてしまうと思うけど、夏休みに埋め合わせする。陽介達は判ってくれるさ。」


何故今日と言う日に、柚がそんな無茶をしたのかを。
冷やかしながら、連絡しなかった事を笑って許してくれるだろう。


「たった一時間半……でも、二人だけで居られるんですね」


柚の広い背中に腕を回し、自分も同じ喜びを感じている事を示す。
陽介達と一緒でも彼らは邪魔するような事はなかったが、それでもやはり二人きりとは違う。
今はただ、柚が傍に居る事実が嬉しかった。







そして翌朝。

『直斗、神楽の奴が昨日の晩こっち来てたってマジ!?』
「本当ですよ。一時間半で帰って行きましたけど」

今日は模試だと言っていたから、恐らくメールで連絡を受けたのだろう。
陽介から真偽を問う電話があって、直斗は素直に事実を認めた。

『……なんつーか、判ってたつもりだったけど――― 七夕だからって、そこまでやるか……』

携帯の向こう側で陽介は絶句した。


【FIN】


あとがき

えー、とりあえず時間がありません。だってあと二時間もしない間に七夕が終わってしまう!(笑)
これから誤字チェックやら仕上げ作業があるので、実際にUP出来る頃には七夕終了まで一時間を切ってるかもですが。

本文の中でちらりと触れた柚の学校の文化祭ネタも実は書いてます。
時系列的には六月のお話なので、本当はこの七夕ネタよりも先にUPする筈でした。…が、先月から書いてたのに間に合わなかった。_| ̄|○
季節ネタ優先で突貫作業でこちらを仕上げましたが(作業時間は十時間くらいです・苦笑)、そのうち文化祭ネタの方もUPします。八割くらいは書けてるので、多分…(汗)

柚が三年、直斗が二年の年は2012年になる訳ですが、カレンダー確認したら2012年の七夕は土曜だったので、急遽翌日は休めない模試という事にしました。
多分この模試の結果如何で、夏休みの補習授業を蹴れるかどうか最終判断されるんですよ(笑)



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