はいからさんがこけた


「あら、葵屋の爺やさん。こんにちわ」

京都の町を散策していた翁に声をかけたのは、二十歳を少し過ぎた頃合の女性だった。

姿勢のいい少し背の高いその女性には、見覚えどころか手を合わせなくて拝まなくてはならない程の借りがある。
十本刀の襲撃で半壊した葵屋を再建する間すっかり世話になっていた、東京にも店を持つ牛鍋屋『白べこ』の看板娘、冴であった。


「おや、冴殿。今日はお休みかな?」
「ええ。久し振りのお休みやから、少しぶらぶらしよかなぁと思って。爺やさんも今日はお暇なんですか?」

翁は仕立ての良い着物に羽織を引っ掛け、ステッキを片手にゆったりとした風情だった。
ちなみにステッキはあくまでも飾りであり、寄る年波に負けて翁の歩行が困難になった訳ではない。
流石に蒼紫程の動きは出来ないとは言っても、白尉や黒尉程度の動きはまだまだ出来る。

「うん、まあ。そんなところじゃな」

嘘ではない。いくら元御庭番衆とは言えども、毎日毎日何かを探ったり、見張ったりしている訳はないのだから。
今日は昼からのお客も少なく、寄り合いなども特に無かった為、昼から暇になってしまったのだ。
天気もいい事だし、どこか茶屋で甘い物でも食べようかと思っていたところに、冴に声をかけられたのである。


「そうだ、爺やさん。これからちょっとウチに寄って行きまへんか?面白い物をお見せしますけど」
「ワシは別に構わんが…面白い物?」
「何かは見てのお楽しみです♪」

冴は両腕で抱えるように持っていた風呂敷包みを翁に示して見せ、意味ありげな笑みを浮かべた。

 



「ええっ、葵屋の制服を作る!?」
「何でまた、そんな話に」
「そんな事言って。全員甚平に作務衣にするとか言い出すんじゃないですか?俺達は大して変わりませんけど」
「な、なんかドキドキするなぁ…」
「一体どこで、何にかぶれて来たんです」
「……」


操が大きな目を丸くする。
お増と白は比較的冷静。何か間違ってるのが黒で、鋭いのがお近だった。
蒼紫も僅かに眉が動いたが、言葉にしては何も言わない。
夕食の席で翁の口にした一言で、座はいつも以上に賑やかになった。


「いや、散歩しとったら冴さんに会っての。ちょっと店に寄って行かんかと誘われたので、お言葉に甘えさせてもらったんじゃが」

冴は休みの『白べこ』の店内に翁を入れると、『ちょっとそこで待ってて下さいね』と言われた。
誰も居ない店内で待つ事十数分。

「お待たせしました」

にっこり笑って奥から姿を見せた冴に、思わず翁は『おをっ!?』と唸った。


「それがの、洋装だったんじゃよ!冴殿は少し背が高いじゃろう?これがまたよく似合ってての〜〜」

拳を振り上げ訴える翁は、心底嬉しそうだった。余程冴の洋装姿のインパクトが強烈だったのだろう。

「でもなんでわざわざ冴さんが洋装なの?」

操も何度も白べこには行っているが、給仕の者は冴を始め全員着物姿である。
外出先で見かけた時にも着物姿であったから、そう言えば洋装姿の冴は見た事がなかった。

「うん。白べこは経営も順調に軌道に乗って言う事無しなんじゃが、ちょっと趣向を変えてみようかという話が出たらしくてな」


冴の父が所用で神戸に行った際に、喉の渇きを覚えてある店に入ったのだと言う。
するとその店の給仕をしているのは皆女性であったのだが、全員洋装だったのだそうだ。

「神戸には大きな港がある。外国からの船も勿論たくさん入ってくる。
 その関係からか、お客にもハイカラ好きが多いらしくてな。試しに洋装で給仕をしてみたら、大当たりだという訳じゃよ」
「ようするに翁みたいなお客様が世間にはいっぱい居て、冴さんのお父様も翁も、まんまとハイカラ趣味に染まって帰って来たんですね」

お近の指摘に翁がうぐっと唸ったが、洋装そのものを嫌がっている様子ではなかった。

「白べこでもあくまでも試験的に、冴殿だけがしばらく洋装で給仕をしてみるそうじゃ。
 それで評判がよければ正式採用するも良し、東京の赤べこの方で試してみるも良し、という事らしい」
「それで?翁は一体、俺達に何を着せたいんです?」

白の言葉に、皆が一斉に頷いた。
洋装程度なら考慮の余地があるが、とんでもない格好を制服にするなどと言い出した暁には、断固阻止しなければならない。

「折角どさくさ紛れとは言え、ウチも再建して『新』葵屋となった訳じゃから、衣装で気分を変えてみてもよかろう。
 別に洋装にせんでもええが、とにかく今の男は作務衣、女は着物を変えてみたらどうかな?」

 


それから小一時間程、湯呑みを片手にあれやこれやとあまり重要でない議論が飛び交った。
洋装するのも良いが、取り合えず試して見ない事には何とも言えない。
そこで懇意にしている問屋の主人に頼んで、幾つか洋装を中心に試しに着させてもらおう、という事になった。

「じゃあ操ちゃん、行ってらっしゃいよ」
「え、あたし?」

お増に振られて、思わず自分を指差して見せる。

「そうですねぇ。我々じゃあ、洋装するにしても似合うかどうか判りませんし。男性の代表は蒼紫様って事で」
「……俺が?」

黒に名指しされ、流石に今度は蒼紫の口が開いた。
別に葵屋が衣装を変えようが制服を作ろうが興味ないが、まさか自分にそのお鉢が回ってくるとは。

「あ、それいい考えね!蒼紫様ならきっと洋装も似合うわよ。良かったわねぇ、操ちゃん」
「じゃ、明日一緒に行きましょうね♪蒼紫様」

俺に選択の余地はないのか。
そう思わないではない蒼紫ではあったが、嬉しそうにはしゃぐ操を目にすると、結局嫌とは言えない自分に気付くのだった。

 



「お邪魔しまーす」

勝手知ったる他人の家ならぬ、他人の店。
気軽に暖簾をくぐり奥に声をかけると、店の主人が顔を覗かせた。

「ああ、操ちゃんいらっしゃい。爺やさんから話は聞いてるよ。上に上がってちょっと待ってておくれ」
「はーい」

主人とは勿論子供の頃からの顔見知りである。
操は店の脇の階段をとてとてと上がって行き、蒼紫も彼女に続いた。
蒼紫はこの店の主人とは店主会などで顔を合わせた事はあるが、上に上がったのは初めてである。

「お前は何度か上がった事があるみたいだな」
「うん。ここの若旦那とは、ちっちゃい時の喧嘩友達でねぇ」

からからと操が笑う。

「よく取っ組み合いの喧嘩もしたなぁ。ずっと子供の時の話だし、重君も結婚して落着いたから、今は勿論喧嘩なんてしないけどね」

重治、というのがさっきの店主の息子であるらしい。
操は子供の頃から『重君』と呼んでいるので、その癖が抜けないのだそうだ。


そんな事を話しているうちに、店主が店で働く女性を一人連れて、大きな風呂敷包みを手に上がってきた。

「操ちゃんと蒼紫さんの寸法がよく判らなかったんで、大体の見当で選んで来たんじゃが」

広げられた風呂敷包みから出て来たのは、女物の幾つかの洋服と、粋な色合いの袴。
そして蒼紫用の何着かのスーツだった。

「操ちゃんは多分これで合うじゃろう。蒼紫さんは体格がよいから、本来なら外国のお客さん用の物を持って来た」
「あたし、洋服なんて着たこと無いよ」

操は夏は甚平、冬は作務衣である。どこから何を身に付けたらいいものか、そこから判らない。

「一人連れて来たから、手伝って貰うといい。蒼紫さんはこちらへどうぞ」

衣装を二人分に分け、店主は広い二階の座敷を襖で仕切った。

 



分程経った頃。

「蒼紫様開けていいですか?」
「ああ」

からりと、間を仕切っていた襖が開けられる。

「う…わぁ!蒼紫様、凄く似合ってますよ!!格好いいです〜〜」
「そうか?」

自分の容姿にはとんと無頓着な蒼紫自身は大した感銘を受けていないようだったが、三つ揃いをそつなく着こなした彼の姿を目にして、操は大喜びで絶賛した。

「蒼紫さんは上背も肩幅もありますからね。やっぱりこちらのサイズで丁度良かった」

選んできた問屋の店主も満足そうだ。
やはり着物も洋服も、似合う者に着て貰うのが売る側としても一番嬉しい。その点で蒼紫は完璧なモデルであった。

「あたしのはどうかな?」

初めて履いたスカートの裾を気にしてちょっと照れながら、操がくるりと回ってみせる。
質の良い生地を使った明るい紺色のロングスカートが、花が開くようにふわりと広がった。

「うんうん、操ちゃんもよく似合っとるよ。ねえ、蒼紫さん」
「…そうだな」
「えへへ、ありがとうございます」

問屋の店主に言わせれば素っ気無い程の蒼紫の言葉だったが、操にはそれで十分だった。
ほとんど表情すら動かさない蒼紫の目元が、微かに朱を帯びていた事に操はちゃんと気付いていた。

 


「蒼紫様は着物も似合うけど、スーツもよく似合いますねぇ」
「本当に、どれもピッタリで」

それから何着かを着替えてみたが、蒼紫にはどのスーツもよく映えた。
通常ならば日本の大柄な男性が外国人用の上着でサイズを合わせた場合、ズボンの裾を直す事になる場合が多いのだが、
蒼紫は背と肩幅に相応に足の長さもあったので、その手間すら不要だった。
幾らなんでも全部を買い取る事は出来ないので選ぶ事になるが、それすら勿体無いと思う程、どれもよく似合った。

「では蒼紫さんはこの中から何点か選ぶ事にして、操ちゃんはどうするね?」
「うーん…そうだなぁ」

操の借りた洋服も、どれも彼女にとっては目から鱗が落ちるようなデザインであり、着せて貰うだけで楽しかった。
生地はどれも上質で、肌触りもとても良い。
一番初めに着た紺色のワンピースも気に入ったが、他の物もどれも甲乙つけ難かった。

純白に華やかな紅、品の良い紫のワンピースもあったのだが、
最後に操が選んだのは、桜色の絣の着物に海老茶色に染められた袴だった。

『やっぱり、あたしはこれかな。動き易いし』

スカートは可愛いとは思うのだが、何せ着慣れていないので足下が落着かない。
その点袴は裾があって足が捌きにくいが、何となく甚平や作務衣に通じる感じがあって気に入った。

「洋服もよく似合っていたよ?勿論、袴も良く似合ってるけどね」

最後に着た袴姿のまま、広げたワンピースを前にうーんと唸っていた操だったが、ふと蒼紫と目が合う。

言葉には出さず、操はそっと自分の着物の胸元に手を触れてみた。
蒼紫が微かに顎を引き頷く。操が暗に何を尋ねたかったのか、彼はちゃんと悟っていた。

「あたし、この着物と袴が気に入りました。洋服も素敵だけど…これがいいな」
「そうか。それじゃあ、おまけにこれを付けてあげよう。これのお代はいいからね」

にっこり笑って店主が差し出したのは、革で作られた靴だった。編み上げの、所謂ショートブーツという物である。

「え、いいんですか!?」

操の声に、もう一足蒼紫の分だという靴を並べながら店主は頷いて見せた。

「葵屋さんにはいつも贔屓にして貰っているからね。似合う人達に着て貰えて、ワシも良い気分だ。服も靴も喜んでいるよ」

 



蒼紫と操は、選んだ洋服と着物をそのまま着て問屋を出た。
支払は後ほど翁の方からされる事になっているので、そのまま着て帰って葵屋の面々を驚かせてやりなさいと言われたのだ。
蒼紫は一分の隙も無いスーツ姿。操も初めて履くショートブーツにおっかなびっくりな表情で彼の後をついて行く。

「操?」

遅れがちな彼女に気付き蒼紫が振り返ると、操はひょっこりひょっこりという足取りで苦笑いした。

「ごめんなさい。このブーツってね、少し踵が高くなってるんですよ。
 こんな靴で歩くの初めてだから、何だかいつもの歩調で歩けなくって…きゃあっ!?」

言ってる傍から、路の砂利を踵で踏んでしまい、思わずバランスを崩す。
かくん、と足首がおかしな方向に曲がり転びそうになる所を、咄嗟に蒼紫が彼女の脇に手を入れて支え止めた。

「び、びっくりした…石につまづいてコケるなんて、何て久し振り」
「そんな事を言ってる場合じゃないだろう…足は挫いてないか?」

変な事に感心している操を見下ろし、蒼紫が彼女に足の具合を確かめる。

「え…と。うん、大丈夫。足首を捻りかけたけど、体重がかかる前に蒼紫様が支えてくれたから」

トントンと爪先で地面を軽く蹴り、大丈夫だと笑って見せた。

「それに頂いたブーツで転んで怪我したりしたら、問屋のおじさんに申し訳ないですもんね」
「それもそうだな」

すっと、蒼紫が操の前に肘を出す。

「掴まって歩け。転びそうになったら、支えてやるから」
「はい!」

葵屋までのそう遠くない道程を、二人は仲良く肩を並べて歩いて帰った。

 

ちなみに葵屋の制服に関しては、店の雰囲気と洋装は合わないだろうと言う事で、男性は以前の通りの着物か作務衣。
女性もお増とお近は『今更袴というのも』という理由で、結局今まで通りの着物のままとなった。
ただ個人的に蒼紫は店主会の寄り合いや招待を受けた席でスーツを着る機会が増え、
操も葵屋の手伝いに入る時や何処かに招かれた際には、件の着物と袴姿で出掛ける事が多くなったという。
ちょっとだけ寂しそうだった翁は、それから白べこに通う事が多くなったらしい―――と言うのは、後日談である。

                                                                     【終】


あとがき

祖母の家に一緒に泊まりに行っていた母にネタを振って貰ったSSです(笑)
『明治初期で、いかにも日本的なネタって何かない?』という私の言葉に返ってきたのが『はいからさん』という母の一言。
はいからさん…懐かしい(笑)大和和紀さんの『はいからさんが通る』は、番外編まで全巻持ってたよ…実家に置いて来たけど。
そう言えば『はいからさんがこけた』って言う、『はいから〜』のヨイショサイトがあるのですが、
勿論今回のSSとは全く何の関係もございません。しかし最近の若者は『はいから〜』知ってるんでしょうか…(笑)

お話の趣旨は蒼紫達にいつもと違う格好を、という事だったんですが、葵屋の制服選びから何だか微妙にズレて行ってるような…
蒼紫と操が目で語り合っちゃってるシーンが書けたので良しとしましょうか(^_^;)
あと冒頭の冴さんが、怪しい京都弁を喋っております(笑)
強調しすぎるとボロが出るので(私は関西人だが、京都弁はそんなに詳しくない)、さりげなく。
白べこで試験的に採用されていた洋装は、数年後に赤べこで正式採用になり、燕ちゃんが着る羽目になるのでした。

                                                       麻生 司



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