輝く華を


商談や取引で、忙しく人々が行き交う中を、ゆっくりと流れに逆らわないように歩いていく。
神戸港に続くこの元町通りは、日本の物だけに止まらず、異国の文化や情緒に溢れていた。
勿論、外国の品物も豊富である。
硝子で作られた工芸品や青い目の人形などが、洒落た店の軒先を飾っていた。

 

蒼紫は先日不覚を取って外法者の刀傷から毒を受けてしまい、しばらく自由に動けなかった。
傷そのものは掠った程度であったのだが、刃に塗られた毒は強力で、数日高熱がひかなかったのだ。
しかし高熱程度で済んだのは、一重に蒼紫の毒に対する耐性と体力が、辛うじて毒に勝ったからに過ぎない。
毒に耐性の無い者、あるいは体力に劣る子供や老人なら、間違いなく死に至っていた。

一度高熱を出した身体が完全に元の状態になるまでには、それから更に数日を要した。
微かに身体に残った毒の為に回復が常より遅れ、結局十日以上寝たり起きたりの日々が続いたのである。
臥せっている間の葵屋の外部の仕事は翁が代わって出向いていたのだが、
蒼紫が無事回復したのを確認すると、『年寄りは楽隠居じゃ』と言って、さっさと自分は引っ込んでしまった。

 

元町には葵屋の中に置く装飾品や食器などを品定めに来たのだが、
商談目的の自分とは違い、普通に買い物や、ただ街並みを見る為だけに歩いている人の姿も珍しくない。
急ぎの用件を済ませてしまった後でこうして街を歩いていれば、なるほど目新しくて、思わず足を止めてしまう事もしばしばだ。

『今度、操を連れて来てみようか』

どんなに跳ね返りでも、彼女も女性である。
こういう美しい街並みや品物は、見ているだけでも楽しいのではないだろうか。
京都は千年王都と呼ばれるだけあって古くて縁のある物が多いが、こうした異国の物も悪くはないと思う。

実は、蒼紫は英語にも精通している。
これからの時代、英語を解した方が何かと有利と考えて、御頭を継いだ頃に進んで学んだ。
だから所々看板を飾る英語を使った装飾文字なども、蒼紫には容易に読む事が出来た。
そんな店が居並ぶ中で―――

『これは……』

とある店先の窓辺を飾る物に、惹き付けられたように視線が釘付けになる。
足を止め、街路と店を仕切る硝子に思わず手を付いた蒼紫に店主が気付き、『入っていらっしゃい』と手招きした。
一瞬、自分の取ってしまった行動に戸惑ったような表情を浮かべる。
だがそのまま何事もなかったかのように立ち去るにも忍びず、蒼紫は店の扉を押した。

 

「お嬢、蒼紫様の帰りはまだですかね?」

台所の片隅で自分たちの夕食の膳を並べていた操が、黒に声を掛けられ手を止めた。
彼女は小首を傾げて少し考え込むような顔をしたが、ややあって『夕食には戻ると思うよ』と返事をする。
判りましたと黒が言い、皆の分と同じように蒼紫の分の膳も用意した。
葵屋ではこのような会話は日常的な事になっており、聞く方も聞かれる方も、別段不思議とも思わなくなっていた。

操には、蒼紫の帰りが何となく判る。
初めこそ説明がつかないので根拠に乏しかったが、偶然も続けば立派に用を成す。
蒼紫の帰りが遅いのならば後でゆっくり温め直して食べられる物を別に用意するつもりだったが、
間もなく戻ってくるのであれば、同じ物で構わないだろう。
細かい事は気にしない葵屋の面々の中では、ちょっと特殊な操の勘も、ただの便利な特技に過ぎなかった。

 

それからしばらくして。
まず宿泊客に食事を出し終わり、ようやく自分たちの食事の仕度が整った頃、蒼紫が戻ってきた。

「今帰った」
「あ、蒼紫様、お帰りなさい」

部屋に戻る前に一度座敷に顔を見せた蒼紫に、操が気付いて声をかける。

「丁度御飯の仕度出来ましたよ。一緒に食べますよね?」
「ああ、一度着替えてくる。操……今、俺の部屋に来れるか?」
「はい?ええ、まあ」

手が空いたら部屋に来てくれと言い残して、蒼紫は自分の部屋へと足を向けた。


「蒼紫様?」
「入って来い」

部屋の前で呼ばわると、すぐに返事が返って来る。
障子をからりと開けると、もう蒼紫は普段の着物に着替えていた。
ちょこんと畳に正座した操の前に、一つの箱が置かれる。

「これは……?」
「開けてみろ」


向かいに座った蒼紫に促され、操が箱に手を伸ばした。
彼女が両腕で一抱え出来る程の大きさで、高さはそれ程でもない。
結わえてあった紐を引き、結び目を解く。木箱の蓋をそっと開けると、上から覗き込んだ。


「わ…あ……!」

溜息のような、感嘆の声が操の口から零れる。蒼紫の方を見ると、彼は小さく顎を引いて頷いた。
恐る恐る取り出したそれは、美しい硝子で出来た一輪の花―――行灯のほの灯りで照らし出されて、淡く煌めいていた。

「とっても綺麗……これ、菖蒲(あやめ)?」
「店主の話ではどうもそうらしいな」

顔を綻ばせて硝子の華を見詰める操を前にして、蒼紫が目を細める。

「元町の街を歩いていて、偶然見つけたものだ。硝子の細工物は、まだ珍しいと思ってな」

 

外国の品物ばかりを集めたある店先に、ひっそりと息衝くように置かれていたその華に目が止まった。
日本でよく見られる花で、咲いた姿が美しいものをと考えた末、菖蒲を象る事になったのだと言う。
まだ試作のようなもので、将来的には様々な色を入れて作りたいという話だったが、今はまだ無色透明な細工物だった。
だが色の無い透明な華が、純粋に光を反射して美しいと思った。
陽の光の下で見た硝子の菖蒲も美しかったが、こうして淡い炎に照らされた姿もまた美しい。
何よりも、操の喜ぶ顔が見られて良かった。


「先日は、お前との約束を破ってしまったしな……遅れてしまったが誕生日の祝いと、世話をかけた詫びと思ってくれ」
「え……じゃあ、これ、あたしが頂いてもいいんですか!?」

綺麗な細工だと喜んでいたが、まさか自分への贈り物だとは思っていなかったらしい。
操の大きな瞳が丸くなった。

「お前の為に選んで来た……俺が持っていても意味がない。収めてもらえるといいのだが」


そう言って目を伏せた蒼紫の顔が、ほんの少し照れ臭そうに見えたのは自分の思い過ごしなのだろうか。

「世話なんて、全然気にしてないのに」

自分の誕生日を覚えていてくれただけで嬉しかった。
毒を身に受け、動く事すら辛かった筈なのに、その身を押して自分の誕生日のうちに戻って来てくれた。
それだけで、操は十分贈り物を貰ったつもりだったのに。
操は何だか嬉しくなってしまって、行灯の光で淡く輝く華を、瞳に映して微笑んだ。

「でもありがとうございます。とっても嬉しい」

香りを確かめるような仕草で硝子の菖蒲に顔を寄せた操を見て、蒼紫は小さく頷いただけだった。
多分、照れ隠しだったのだろう。

 

「お嬢、蒼紫様、もう仕度出来てますよ」
「はーい」

心なしか軽い歩調で戻ってきた操と、その後ろから一緒に来た蒼紫の顔を見て、声をかけた白と翁達が思わず顔を見合わせる。
操は今にも踊りだしそうな程楽しげな足取りだったし、蒼紫は蒼紫で、一見判り辛いがそこは身内の事―――
明らかに上機嫌な様子だったからだ。

「操ちゃん、何かいい事あったの?」

隣のお増がこっそり耳打すると、ん?と操がちらりと視線を寄越してくる。

「んっと……また、後で教えるね。今はもう少しだけ、あたしだけの秘密」


蒼紫が自分の為に選んできてくれた誕生日の贈り物も、照れたような彼の顔も。

「もうちょっとだけ、ね」

操は目を細めて、茶目っ気のある笑顔を見せた。

                                                                【終】


あとがき

えっとこのお話、実は年末のドタバタしている時に考えたお話なので、イマイチまとまりが悪いです。短いし(^_^;)
スミマセン。一応、SPECIALにUPしている『夜が明けるまで』の、フォローのお話のつもりだったんですけど。
硝子の工芸品というものがこの時代にあったのは微妙ですが、色の付いていないものなら加工可能だったんではないかと。
水中花よりも神秘的かなーと、硝子の華に。

元町は母の実家のお墓の在る町で、昔から開けた町だったそうです。
私も兵庫在住だった子供の頃は、数ヶ月に一度墓参りに行っていました。
旦那と見合いして、初めて行った場所も元町だったっけ。
三宮から元町のメリケン波止場まで、歩いて往復したよ(笑・土地勘のある人笑ってください)

                                                           麻生 司

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