恋し人を待ちて


志々雄真実の懐刀である十本刀の襲撃を受けた葵屋は、辛うじて全壊を免れた。
残った部分に僅かに原型の名残を残してはいたものの、被害は甚大であり、このままでは営業の再開は出来ない。
大規模な改修が必要だが、取り敢えずは全員生き残ったというだけで御の字だろう。
季節が初夏だから良かったものの、冬場であれば全員で身を寄せ合い、葵屋の残骸を焚き付けにしなければならない所だ。

翁や白尉達は、御近所の好意で集まった――何せ向こう三軒両隣、皆身内のようなものだ――毛布などに包まって浅い眠りに就いている。
あの死闘からまだたったの半日しか過ぎていないとは思えない程の、静かな夜だった。

 

半壊した葵屋の中から表通りに引っ張り出された長椅子に、ぽつりと腰を下ろす人影がある。
傷付いた身体に簡単な応急手当だけを施した、未だ胴着姿の薫だった。

「薫さん」

ポン、と肩を叩かれ、薫が顔を上げる。
すぐ傍で操が顔を覗き込んでいた。

「眠ってなかったんだ、操ちゃん」
「薫さんこそ」

二人で互いの顔を見合わせ、くすっと笑う。
本当は二人とも、ゆっくり身体を休めるべきなのだ。
特に操は肋骨を折る程の怪我を負っている。ちゃんと休んでおかないと、熱を出す可能性があった。

だが頭では睡眠の必要を判っていても、身体がそれを受け容れてはくれない。
潜在意識がまだ臨戦体制にあって、眠りに意識を手放すにはまだ時間が掛かりそうだった。

「……寝(やす)もうとは思ったのよ。一度は横になったの。
 でも……駄目だった。どうしても―――剣心達の事が気になってしまって」

 

彼女の想いを、『気にし過ぎだ』と言うのは酷だろう。

これまで何度も、剣心は生死を賭けた戦いに身を投じて来た。
神谷道場に居付いてからでさえ、幾度も経験している。
だが幾ら経験しようとも、待ち人の無事をただひたすら待つこの時間は慣れるものではなかった。

 

「大丈夫だよ、緋村なら」

はっきりとしたその言葉に、薫が目を瞬かせる。
操はそんな薫の表情を見て、ニコッと笑みを見せた。

「だって、薫さんがこんなに緋村の無事を祈ってるんだもの。その願いが、緋村に届いてない筈ないよ」

そうでしょ?と笑う操の言葉に、薫の顔にも笑みが浮かぶ。
緊張で凝り固まっていた何かが、ふっと解れたような気分だった。

「……ありがとう。そう言って貰えたら、ほんの少し気が楽になったわ」
「どういたしまして」

操の表情は、不思議なくらい明るかった。
彼女とて、一日千秋の想いで帰りを待ち侘びている人が居る筈なのに。

「操ちゃん……貴女は、心配じゃないの?」

 

聞いてはいけない事なのかもしれなかった。
でも凪のように、欠片程の不安も無い静かな操の横顔を見詰めていると、どうしても彼女自身の言葉で聞いてみたかったのだ。
恋しい人を待つ―――同じ、女性として。

操が薫を振り返り、大きな瞳を微かに伏せた。
遥か過去に想いを馳せるように、やがて訪れる未来を見通すように。

「……心配だよ。ううん、心配だった……って、言うべきなのかな」

操自身でも、言葉を選びかねているようであった。

「鎌足の一撃を受けて、一瞬意識が途切れた時にね……般若君の―――声が聞こえたんだ」

 

『操様―――抜刀斎が約束を守りました。蒼紫様が、帰って来ますよ……』

 

今でも、はっきりと思い出す事が出来る。
例え夢だとしても、彼の言葉は間違いなく自分の力を蘇らせた。

「般若さんは……何て?」

隣に腰を下ろした薫を振り返る。
自分がこの名を口に出す事で、彼女が少しでも心安らかになれば良いと願いながら。

「『抜刀斎が約束を守りました』―――って」
「……それって……!?」

思いの外大きく出た自分の声に驚いて、薫が口に手を当てる。
操が微かに頷いて見せた。

「そう……蒼紫様が帰って来るって―――教えてくれたんだ」

 

誰よりも誰よりも、恋しくて待ち焦がれた人が帰って来る。
絶対に死ねないと思った。
夢と現実の狭間で聞いたその言葉に支えられ、操は再び力を取り戻し、鎌足を倒すきっかけを生み出す事が出来たのだ―――

 

「だから、大丈夫。蒼紫様がついてるんだもん。絶対緋村と一緒に、無事に帰って来るよ」

浮かぶのは一点の曇りも無い笑顔。
一体、この蒼紫に対する操の揺ぎ無い信頼の根拠はなんなのだろう?

「本当に……蒼紫さんの事、信頼してるのね。
 どうしてそこまで無条件の信頼を寄せられるのか―――聞いてもいい?」

 

今だけではない。
仲間であった筈の御庭番衆と袂を分かち、完全に敵となっていた時でさえ―――操は、蒼紫の事を信じていた。

いつか必ず。
今は無理でも、きっと何時の日か……そんな日々を積み重ねて、今の彼女が在る。
自分とは異なる想いの積み重ね方をした操の口から、直接聞きたかった。

 

「どうしてって言われてもなぁ……」

困ったような表情が操の面に浮かぶ。
どういう言葉が一番相応しいのか、判りかねているのかもしれない。

「爺や達には、刷り込みだってよく言われるんだけど」
「刷り込み?」

薫が小首を傾げる。

「ほら、雛鳥は生まれて初めて見たものを親だと思うでしょう?それと同じようなものだって、よく言われた」

操が苦笑いした。

「でも、言い返せないのよね。刷り込みだって言われても……何だか判っちゃうんだもの。
 蒼紫様は昔も今も―――本当に深い所は、きっと何も変わっていないんだって」

 

その魂の在り方は今も変わらない。
誇り高く、そしてとても自分に厳しい人だった。

だからこそ目の前で為す術も無く般若達を死なせてしまった自分が赦せなくて、修羅道にまで堕ちてしまったけれど。

 

「初めは大変かもしれない。離れていた時間は、戻りはしないから」

呟くように口にして、そっと瞳を伏せた。
何処か幼さを残していた操の横顔が、一人の女性の顔になる。

「でも諦めない。八年も待ったんだもの。蒼紫様が本当の自分を取り戻せるその日まで……あたしは待つ」
「……強いのね、操ちゃん」

清々しいまでの言葉に、薫の面に影が落ちた。

「あたしにも信じられればいいのに。剣心の強さは判っているけど……怖くて堪らない」

 

こうしている今も、ともすれば身体が震えるのだ。

大切な人を永遠に喪ってしまうかもしれない恐怖。
あの笑顔に二度と逢えないかもしれない。もう二度と、あの優しい瞳を見る事も。

 

「きっと帰ってくるって信じているのに……怖くて堪らないの」

薫の瞳から涙が零れ落ちた。
今まで堪えていた涙が、堰を切ったかのように溢れ出す。

「薫さん、怖いのはあたしも同じ。あたしだって怖いんだよ。でもあたしは―――昔、いっぱい泣いたから」

 

自分一人が葵屋に残されたのだと知った時、涙が涸れるまで泣いた。
泣いて泣いて、泣き疲れて眠ったのだ。

 

「あたしは一度、蒼紫様を喪った。あの頃のあたしはまだ子供で、自分で何かを決める事も、選ぶ事さえ許されていなかった。
 例えそれがあたしの幸福を願ったからだと教えられても……辛かったよ」

操の言葉は淡々としていたが、それだけに彼女の負った心の痛みをよく映していた。
薫が息を呑み、静かなままの横顔を見詰める。

「……あたしは二度と後悔したくない。だから信じるの。信じる事が、前を向いて進む力になるから。
 逢いたいなら追いかけて、振り向いて貰えるまで決して傍を離れない。
 例え一時拒絶されたとしても……蒼紫様を一度喪ったあの時の痛みより辛い事なんて―――きっとあたしには、在りはしないから」

 

だから信じる。だから笑っていられる。
明日は今日よりきっと良い日だと、思える痛みを忘れていないから。

 

「だから薫さん、笑って。緋村が帰って来た時に、笑顔でお帰りなさいって言えるように。
 薫さんも一度は緋村を喪った。その痛みを強さにして……明けない夜なんて無いんだもの」

笑顔で、大好きな人を迎えられるように。

拳で涙を拭い、薫が大きく頷いた。
もう泣かない。何もかも受け止めて、それでも笑顔で剣心を迎える為に。

「あたし達自身が、大好きな人の帰る場所になるんだよ」

微笑む操が、月光の照らす空を見上げた。
薫も真っ直ぐに伸びた道の先を眺め遣る。

 

満ちた月が、白銀色に淡く辺りを照らしていた。
その光に滲むように、遠く遥かな道の彼方に淡い影が浮かぶ。

「操ちゃん……あれ、もしかして……!?」

 

影は二つ。
一つは、剣心に肩を貸して歩く左之だった。寄り添うように歩いているから、影は一つに見えたのだ。
そしてもう一つの、背の高い影は―――

 

操が駆け出す。言葉も無く、一刻も早くその存在に触れたくて。
薫も、一瞬遅れて彼女に続いた。

「あ……」

湧き起こる感情に、身体が付いて行けず息が上がる。
走っても走っても、なかなか縮まらない距離がもどかしい。

「―――蒼紫様ぁ!!」

呼び声に、背の高い影が顔を上げる。
長い長い夜は、ようやく終えようとしていた―――

                                                        【終】


あとがき

実はこのお話、5月のるろ剣オンリーイベントに出る蒼操アンソロ本用のつもりで考えたお話でした。
しかし読んだ方にはお判りの通り、蒼操と言うには、ちとパンチが弱くて(笑)
操の口から語られてはいますが、どう見ても剣薫寄り(^_^;)
これを蒼操アンソロに出すのは如何なものかと思い、結局別のお話をもう一本書いて、そちらをアンソロの方に提供しました。

背景の花は『のうぜんかずら』です。素材屋さんの方で『京の夏の花』とあったのでこれを使わせて頂きました。
志々雄戦って初夏でしたよね?(^_^;)
私は蒼紫達が葵屋に戻って来たのは明け方だったと、特に根拠もなく思い込んでいたんですが(←これが間違い)、
先日アニメの再放送を見ていたら午後の八時くらいだった事が判明(笑)慌てて本文の一部時間表記に関わる部分を訂正しました。
『比叡山のアジトを脱出した時に陽があったんだから、そんなに時間経ってる訳ないやろ』と旦那にまで突っ込まれる始末。トホホ(^_^;)
だって、傷付いたボロボロの身体で比叡山から戻ってくるんだし〜とか思ってたんだけど、
何せ鍛えられたメンバーだし、早く治療しないと剣心が危ないんだから、ちんたら時間掛けて帰ってくる筈ないんですよね。アイタタタ。

                                                                  麻生 司

 

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