珍客来たりて


からからころんと下駄の音を響かせて、お近は京の町中を歩いていた。

『最近、白粉のノリが悪いのよねぇ……歳のせいかしら』

ふう、と頬に手を当てため息をつく。

あまり考えたくない事ではあるが、生きている以上、寄る年波からは誰一人逃れられない。
若さではダントツで操に、実年齢でも僅かにお増に負ける自分ではあるが、それ程董が立っているのかと言えば、実はそうでもないのだ。
当年とって、まだ二十五歳である。
人生五十年と言うならもうそろそろ人生の下り坂だが、すぐ身近に殺しても死にそうにない老人がいるので、例え齢六十を過ぎても人生現役だと思っている。


幼い頃に病で親兄弟を亡くし、若き日の翁に才能を見出されて御庭番衆として生きる事になった。
その生き方を後悔してはいないが、ここ最近はどうも無為に時間を浪費している気がしてならない。

『あのお方は、今どうしていらっしゃるかしら』

ふと、京の町を取り囲むように並ぶ山合いの一角を眺めやる。
時折焼き物を焼く煙が細く立ち昇る場所には、お近の想い人が居る筈であった。


新進気鋭の陶芸家、新津覚之進―――またの名を、比古清十郎と言う。
彼は飛天御剣流の現継承者であり、また志々雄の変で世話になった緋村剣心の剣の師匠でもある。
お近が入れ揚げている『あのお方』とは、まさしく比古清十郎その人であった。

 


葵屋の毎日は忙しい。
小料理屋を営む傍らで宿も兼ねており、また京の町に何か変事ある時は一同揃って忍装束を身に纏い、弱気を助け悪を挫く。
ここ何ヶ月かは御頭の蒼紫が戻り、それに伴って彼を探し回って日本中を奔走していた操の腰が落ち着き、実労働者は増えたように思う。
だが葵屋もめでたく繁盛していて、なかなかゆっくり出来る時間はない。

比古清十郎に一目惚れしてからと言うもの、お近は客の入っていない日があると、山に入って比古に酒を届けに行っていた。
彼は無類の酒好きなので、彼女の来意はともかく、持参する酒はとても喜んでくれる。
お近はそこで彼の酒の酌をしながら一日を過ごし、日暮れ前に山を下りるという事を繰り返していた。

女ならば、好きな男の為に一生添い遂げたいと思うもの。
実際操はそれを身をもって実行し、見事惚れた男―――蒼紫の事だが―――を取り戻す事に成功した。
まだ添い遂げた訳ではないが、いずれそうなるだろうなと、本人たち以外は全員そう思っている。


はっきり聞いた訳ではないが、比古に誰か、特別な女性が居たとは思えない。
今も昔も変わらず、ただ刀の一振りだけを友にして四十を越すまで生きてきた。
彼にもっとも近い存在があったとすれば、それは恐らく一時期引取り、剣を教え込んだ剣心以外に他ならなかっただろう。
そんな彼を好いたのは自分の勝手。ならば想いを告げるのは、かえって彼の枷になる。

だからお近は、今のままでも良いと思っていた。
時折山の庵を訪ね、酒を酌み交わしながら取り止めも無い事を語り合う。
自分と言う存在が、疎まれていなければそれで良いと―――


『年を越すまでに、一度お山へ行けるかしら』

馴染みの酒屋から出てきたお近は、ホクホクとした顔で酒瓶を抱えていた。
以前から酒屋の主人に頼んであった、東北の美酒が手に入ったのである。
流石に少々値は張ったが、お近には今は大して使う当ても無く、心置きなく比古への手土産につぎ込む事が出来た。

『あと、何か美味しいつまみにでもなるものがあるといいんだけど』

そう考え市の方へと足を向けたお近は、そこに意外な人物を見付けて、思わず手の酒瓶を落としそうになった。


京の町では珍しい見上げるような長身―――蒼紫ですら、僅かに及ばない―――に、分厚い筋肉で鎧われた体躯。
目立つ白いマント姿で大股に歩く、その男は。

「比古様ッ!?」
「うん?」

不意に呼び掛けられたその声に、比古清十郎が振り返った。

 



「……で、何で貴方がここに居る訳?」
「俺が知るか。近江女に聞きやがれ。俺は引っ張って来られただけだ」

半刻(一時間)後。比古清十郎は葵屋の座敷で操が出した茶を啜っていた。
当のお近はと言えば、厨房で鼻歌交じりに酒の肴を作っている。すっかりご機嫌で、他の者の都合も何処吹く風だった。
今日は数人の客しか入っていないので、それでも何とかなってはいるが。


『比古清十郎を連れて来たぁ!?』

と言うのが、彼を引っ張って使いから戻ってきたお近に対する皆の第一声であった。
お近は比古を来客用の座敷に通すと、早速自ら料理を始めた。
手に入れたばかりの美酒を、自分の作った手料理でもてなす為に。


「……ま、志々雄真実の一件では、葵屋も貴方には大変な世話になったし、そのお礼もいつかはちゃんとしなくちゃって思ってたから。
 急いで山に帰らなくちゃいけないような用事はないんでしょ?今夜は泊まって、ゆっくりしてってよ。
 しかしそれにしても、何の用でこんな町中をウロウロしてたの?」

刀を振るえば、味方した方に必ず勝利をもたらしてしまう『陸の黒船』である飛天御剣流の数少ない使い手。
普段は山に結んだ庵に隠遁し、たまに焼き物を焼いてはそれを売って日々の糧を得る。
勿論、糧を得る為には山を下り、必要な物は買わないといけない訳だが……あまり想像が出来なかったのだ。

「買い出しだよ。食い物と、あとコレだな。俺だって食うもの食わなきゃ飢え死にする」

そう言って、杯を傾ける仕草をする。

「はいはい。お酒も肴も、お近さんが今準備してるからちょっと待ってて」
「何ならお前さんも付き合うかい?しばらくぶりに戻ったって言う、御庭番衆の御頭が相手でもいいが」
「折角だけど遠慮しとく。あたしも蒼紫様も下戸なんだ。でもお酒は大勢で飲んだ方が楽しいって言うんなら、翁たちを呼んでくるよ」

お近は、二人にしておいて欲しいと思うかもしれないが。

「そうなのか?へえ、イケる口だと思ったんだが、意外だったな」
「体格とお酒の強さは関係ないよ」

ムッとしたように言い返した操を、興味深げな目で比古が見上げた。

「ま、それもそうだ。刀が良いから腕が立つ訳でもねぇしな」

意外にあっさりと認めた比古を、おや、というような顔で操が見返す。
もう少し酒の美味さについて講釈を打たれるかと思ったが、
どうやら彼は酒が生来駄目な者も居ると言う事を、きちんと理解しているようだった。

「『こんな美味い物が飲めないなんて、人生を損してる』くらい言うかと思ったけど、案外あっさり引くのね」
「嫌がる人間にまで飲ませてたら酒が勿体無いだろうが」

もっともなその言い分に、かくっと操の頭が下がる。
なるほど、飲兵衛らしい理屈だが、それはそれで立派な大人の酒の嗜み方だろう。

 



しばらくすると馴染みのある足音が近付いてきて、障子の向こう側から操を呼ばわった。蒼紫の声である。

「蒼紫様?うわ、どうしたんですかその両手」
「…たまたま厨房の前を通り掛ったら、座敷に持って行ってくれと言われたのでな」

障子を開けてみると、右手に刺身の乗った大皿が、左手には先ほどお近が仕入れたばかりの酒の瓶を持った蒼紫が立っていた。

「お近さんたら……比古さんが来てるもんだから、すっかり舞い上がっちゃってるわ」

頭の痛そうな顔をして操が額に手を当てる。
普段のお近なら、蒼紫にそんな雑用を頼んだりはしない。
立っているものは御頭でも使えという事かもしれないが、もしかしたら自分が雑用を言い付けたのが蒼紫である事すら気付いていないのかもしれない。
恋は盲目とはよく言ったものだ。この場合、使い方が違うのだろうが。


「話には聞いている―――その節は、葵屋が世話になった。」

皿と酒を操の手に預けた蒼紫が、比古の前に腰を下ろし微かに頭を下げる。
操が驚いて目を瞠ったが、比古は大して気にも止めていない様子だった。

「なに、不肖の弟子の頼みを聞いただけだ。あんたに頭を下げて貰う理由はない」


だがあの時、もしも比古清十郎が駆け付けていなかったなら。
そしてあと一瞬でも彼の到着が遅れていたのなら。
間違いなく、不ニの刀の真下に居た弥彦の命は無かっただろう。

恐らくは、操たちの命も無かったに違いない。
あの時の彼女達は十本刀との連戦で満身創痍だった。
圧倒的な破壊力を誇る不ニとの戦闘の後、残されるのは廃墟と屍―――
修羅道より目覚め、ようやく『生きる』事を受け容れた自分を待つものが、かつての仲間と掛け替えのない少女の骸であったなら……
蒼紫はその場で自らの喉を切り裂いただろう。
剣心たちとて、正気ではいられなかった筈だ。
この世の地獄を生きながら彷徨った彼にとって、唯一の救いを守ってくれた男に頭を下げる事など、何ほどの事でもなかった。

 


「はい、辛気臭い話はもう止め!もう今日はこれから葵屋の忘年会よ!!」

パン!と手を打ち、にっこり笑う。

「飲むなら楽しく、食事は賑やかに!
 貴方は静かに飲むのが好きかもしれないけど、偶然でもお近さんとばったり出くわして、ここまで連れて来られたのも何かの縁。
 予定にはなかったけど、少し早目のウチの忘年会に招待するから……今日一日くらい、付き合ってやって」

操の目は優しかった。
好きな人の傍に居たい。その人の喜ぶ事をしてあげたい。その気持ちは、痛いほどに判るから。

「奢りでいいんならな」

しゃあしゃあとしたその口調に、操が腰に手を当てる。それはまるで、子供に言い聞かせる母親のような仕草だった。

「さっきも言ったでしょ。お礼だから、好きなだけ飲み食いしてくれていいわ。気の済むまでね」

ニヤリ、と比古が笑う。邪気の無い、不思議と憎めない笑みで。

「なら、馳走に預からせて貰うとしよう」

 


結局、お近の目論見からは外れてしまったかもしれないが、その夜は葵屋全員に、比古を交えての宴会となった。
お近は心行くまで比古の晩酌の相手をし、満足そうだったと言う。

それから毎年年の瀬になると、山に篭もった比古を呼んでの忘年会が葵屋の恒例行事になった。
時には東京の剣心一家や弥彦達も京都にやって来て、その仲間に加わる事もあったと言う―――

                                                                   【終】


あとがき

祝!(?)比古師匠初登場です(笑)このお話は、私の高校時代からのお友達の為に書きました。
先日里帰りした時に蒼紫の錦絵をプレゼントしてくれた彼女が、
『葵屋のメンバー絡みでもいいから、比古師匠の出てくるお話書いて♪』とメールでリクくれましたので(^_^)
丁度リクエスト企画中だったのでそっちにUPしようかなと思ったんですが、これは蒼紫×操としては弱いですし。
それでも根性で蒼紫×操を絡めてるのが私らしいですが(笑)通常更新にする事にしました。

一応比古×お近を前提で書いてますが、ウチのこの二人はくっ付く予定は御座いません。
あくまでも前提であり、実質お近→比古です。お近は相変わらず比古にゾッコンだけど、比古は誰の物にもならないと。
でも、時折庵を訪れるお近の事を疎ましく思っている訳でもなくて、彼女に酌をしてもらって飲む酒は美味いと思ってる…そんな関係です。
比古の口調はあれで正しかったんでしょうか(^_^;)
蒼紫に比古の事をどう呼ばせたらいいのか困ってしまって、結局その辺ははっきり書きませんでした。
「貴方」「比古殿」「比古」どれも違うような気がして。敢えて言うならやっぱり「比古殿」なのかなぁ。

                                                                   麻生 司



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