お日様に包まれて
「ん〜〜〜、今日もいい天気ね〜〜」
朝食を終えた操が、葵屋の裏口から表に出て思い切り身体を伸ばす。
ここ数日雨が続いていたので、太陽を見たのは久し振りだ。
「お嬢、ついでに表を掃いて来て貰えますか?」
「うん、いいよ〜」
黒に声をかけられ快く引き受けた操は、長い箒と塵取りを手に表に出た
「さってと…ん?」
ふと、視線を落とした操が固まる。
葵屋の戸口のすぐ脇に、見覚えの無い籠が置かれていた。
それだけならば誰かの忘れ物かという程度で、然程気にはしないのだが―――
「……何よ、これ……」
籠の中に入っていたのは、芋や大根や白菜などではなく。
すやすやと眠る、一人の赤ん坊だったのである…
「「「「「捨て子ぉっ!!!??」」」」」
素っ頓狂な五人の叫び声に、操の腕の中の赤ん坊が『ふえっ…』とむずかる。
『ちょっと、折角大人しくしてるのに、泣き出しちゃうじゃない!』
と、小声で怒鳴り、操が睨む。慌てて翁達は自分で自分の口を塞いだ。
『表に、赤ん坊が置いてあったんだけど』
おかしな日本語だと思いながらも、操が事実を伝えた時に、声を上げなかったのは蒼紫一人であった。
流石、多少の事では動じないのだろうが、もしかしたら驚きすぎて声が出なかったのかもしれない。
なにせその赤ん坊の衣服の胸には、一通の走り書きらしい手紙が差し込まれていたのだ。
―――私では育てる事が出来ません。父親である貴方に、この子を託します―――
「蒼紫。まさかお前、この子の……」
その手紙を手に、翁が蒼紫を見る。
「馬鹿を言うな」
思わず操がぎょっとしたような顔をしたが、蒼紫が翁を睨み返し、ばっさりと一言で切り捨てた。
「そ、そうよねぇ…蒼紫様に限って、そんな…」
と言いつつも、蒼紫を見るお増やお近の視線は、まだどこか疑わしい。
操の手前あまり大きな声では言えないが、蒼紫とて健康な一人の男なのだ。
葵屋と操から離れていた十年間の間に、花街や妓館に、一度も足を運ばなかったとは言い切れない。
大体子供の父親など、産んだ母親くらいにしか判らないのではないかと、蒼紫を除く男性三人は思う。
例えば商売で客を取る花街の女性を相手にして『貴方の子を身篭った』と言われた場合、男としては身に覚えがある以上、その言葉を信じるしかないだろう。
実際そう言って、裕福な男性に見受けして貰う花街の女性も居るのである。
一方、蒼紫としては降って沸いたような隠し子騒動にひどく困惑していた。
蒼紫には、断じて身に覚えは無い。
その事は誰よりも自分自身がよく判っているから、どんなに疑わしい目で見られようとも、最後には退ける自信がある。
だが仮に寝込みを数人がかりの刺客に襲われたのだとしても、これ程に狼狽したりはしないだろう。
考えや感情が顔に出ない性質なので平静を装えているものの、何とも迷惑な話である。
「一応確認の為に聞いておくけど、勿論白さんや黒さんの子じゃあないわよね?翁も…まさか、ね」
操の言葉にぶんぶんぶんと勢いよく首を振った白と黒に続き、翁も『阿呆抜かせ』と呟き、呆れたような顔をする。
「ワシがそんなヘマをすると…ぐはぁっ!!?」
偉そうに胸を張りかけた翁の腹に、お増とお近の肘が入る。
「そういう問題でもないでしょうが。…まあ、いいわ。皆に心当たりが無いのなら、考えられる事は幾つかに絞られるから」
一つ目には、この赤ん坊は間違えて葵屋の前に置かれたのだろうという事。
もしかしたらこの付近に住むいずれかの男性の子かもしれないが、
とにかく母親の勘違いであって、葵屋とは縁もゆかりも無い子だと言える。
二つ目には、手紙そのものが全くのでっちあげであり、やはり葵屋とは何の縁も無い子であるという事。
この場合は無差別であるだろうから、母親を探すのは難しいかもしれない。
「まあ、そんな所じゃろうなぁ。それで、この子をどうするかじゃが」
葵屋で養う…という手も、無いではない。
元々葵屋に住まう者は、皆血縁があって集った訳ではないのだから。
お陰様で店の方もそれなりに繁盛しているし、この上一人くらい食い扶持が増えた所でどうにかは出来る。
「何にしても、やっぱり警察に知らせておきましょう。しばらくはウチで預かって、もしも親が名乗り出ない場合はまた考えるって事で」
という、結論が出て、一時その場は解散となった。
「手馴れてるな」
「結局あたしが面倒見る事になるのよね〜。まぁ、子供は嫌いじゃないから別にいいけど」
縁側に腰掛けて赤ん坊を抱いてあやしていた操を見て、書き物を終えて部屋から出てきた蒼紫が目を細めた。
操だけは、特に葵屋の中でこれといった仕事を持っていない。
忙しければ賄いを手伝う事もあるし、買出しにもお使いにも行くが、あくまでも非常要員なのだ。
必然的に、赤ん坊の面倒は操が見る事になった。
だが子供好きだった操はこれまでにも何度か近所の子供の世話などをした事があり、抱き方やおしめの変え方も一通り心得ている。
「でも、いくら一生懸命面倒を見るとは言っても、お乳だけはどうしようもないからな〜。近所でお乳の出る人がいて良かったよ」
「全くだな」
そうなのである。
赤ん坊の世話で一番の問題は、葵屋の経済力や親切心とは全く違う所にあった。
まだ食べ物を食べられない赤ん坊が唯一口に出来るもの―――それは即ち、母乳である。
首は据わっているようだからそれなりに生まれて日数は経っているようだが、まだ歯も生えていない。
と、いう事は、赤ん坊の為にも母乳を確保する必要に迫られたわけで。
近所を当たってみると、少し離れた所の味噌屋の娘が赤ん坊を産んだばかりで、一緒に乳をあげてもいいと言ってくれたのだ。
「こんなに可愛いのにねぇ。なんでお母さんは、あんたを手放しちゃったんだろうね」
手を差し出すと、小さな手が指を握り返す。
その仕草がとても愛らしくて、操は自然と笑顔になっていた。
操もまだ物心つく以前に両親と死に別れている。
だが親を亡くしてからも蒼紫や般若達が傍に居たし、葵屋に預けられてからは祖父と兄姉がいっぺんに出来たような感覚だった。
寂しいと思った事は、一度も無い。
「蒼紫様、この子のお母さん…見付かるかな?」
「さあ…どうだろうな。母親がもう京都を離れていると難しいだろうが―――お前も、見付けてやりたいんだろう?」
操は自分を真っ直ぐに見上げてくる赤ん坊を、ぎゅっと抱き締めた。
「うん…見付けてあげたい。この子のお母さんは、生きていくのに苦しかったからこの子を置いて行ったのかもしれない。
だけどやっぱり、赤ん坊にはお母さんがいなきゃ駄目だよ。でも、もしも―――」
もしも、母親が見付からなかったなら。
「…その時は、葵屋で引き取ればいい。歳は離れているが、兄姉が大勢居て、寂しい思いはしないだろう」
口にしなかった言葉の続きを、蒼紫が告げる。
そっと肩を抱かれ、操は蒼紫の腕に頬を預けた。
「蒼紫、入るぞ」
数日後、夜も更けてから翁が蒼紫の部屋を訪れた。
「…見付かったのか?」
「ああ、一応な」
それは、あの赤ん坊の母親の事に他ならない。文机の上に広げていた書物を閉じると、蒼紫は翁に向かい合った。
「結論から言う。赤ん坊の母親は見付かった。じゃがその女性は、今朝方亡くなった」
「何…?」
蒼紫の肩眉が微かに上がる。
翁は御庭番衆の情報網を駆使し、ここ数日の間に子供の姿を見なくなった若い旅の女性は居ないかと、京都中の旅籠を当たっていた。
そこへ昨日京の西の外れに近い旅籠から、確かに逗留した時は子連れだったのだが、いつの間にか子供の姿を見なくなった客が居ると連絡があった。
翁が確認の為にその旅籠まで出向いたのだが、その女性は肺を病んでおり、既に死は免れない状態だったのだと言う。
「子供を葵屋の門前に置いたかと尋ねたら、頷いとったよ。
子供の父親は生まれる前に事故で亡くなっておって、やはり葵屋とは何の縁もなかったそうじゃ」
病んだ身体で子供を抱えて。
故郷の神戸に帰郷するつもりだったが、それも病の為にままならなくなってしまった。
途方に暮れて、生まれたばかりの子供を一人残していくくらいならいっそ川に身を投げて、
子供もろとも命を絶とうと京の町を彷徨い歩くうちに、葵屋の前に立っていたのだと言う。
『お店の中から…元気な女の子の笑い声が聞こえたんです…そして誘われるように、賑やかな何人もの笑い声が。
ここに貰ってもらえたなら、この子は幸せになれるかもしれない。そう思って……』
親の勝手には変わりは無いが、ただ子供に幸せになって欲しい一心で、葵屋の前に手紙と共に置き去りにしたのだと。
だが子供だけが生きる支えだったその女性は、急速に衰弱していった。
『勝手なお願いだとは判っています。だけど、私も…あの子を道連れにするなんて出来なかった…
ここで私が死んだら、あの子は親の顔も知らない孤児になってしまう。それが不憫で…』
はらはらと涙を零す女性に、翁は郷里の事を尋ねた。
もしも身寄りが居るのなら、責任を持って自分達が送り届けると。
だが、女性は力なく首を振った。
『身寄りが居る訳ではないのです。私も孤児…幼い頃に両親を亡くし、兄弟も居ません。
両親の知人のつてで江戸に奉公に出て、そこで主人とも出会ったのですが…』
子供を身篭った事が判った直後に夫は事故であっけなく他界してしまい、やがて自分も肺を病んだ事に気付いた。
夫も身よりは無く、子供を産んだ後に、女性は死に場所を求めて郷里を目指していたのである。
『お願いします。どうか…あの子を―――』
翁の手を一瞬強く握り締め、女性は息を引き取った―――
「大体の身元は判った。じゃが既に両親も他界し、名前も決めておらんかったらしい。
操もあの子の事を可愛がっておるようじゃし…このままウチで引き取るのも何かの縁かと思うてのう。どうじゃ、蒼紫?」
「……そうだな。元々俺達は、血のつながりでここに居る訳ではない」
蒼紫の顔に、翁はついぞ見かけなかった笑みを見た。
「引き取る手続きをしよう。翁の孫と言う事にしておけば、然程不自然でもあるまい」
「おや、ワシの孫でいいのか?どうせならお前たちの…」
すたーーーんと、頬を掠めて苦無が背後の柱に垂直に突き刺さる。
「判った!判ったからその小太刀から手を離さんか!!全く、相変わらず冗談の通じん奴じゃのう…命が幾つあっても足りんわい」
芯まで肝の冷えた顔をして、翁は蒼紫の部屋を後にした。
「…と、いう訳でな。この子の母親は見つけ出したんじゃが…」
「そっか…亡くなられたの…」
腕に赤ん坊を抱いたまま、操は瞑目してその母親の冥福を祈った。
「それで蒼紫とも昨晩相談はしたんじゃが、このままこの子をウチで引き取ろうと思うんじゃが、皆異存はないかの?」
「勿論ですとも」
「良かったわねぇ、操ちゃん!」
赤ん坊を可愛がっていた葵屋の面々から反対が出る筈もなく。
操の表情がぱあっと明るくなった。
もしも母親が見付からなかったら葵屋で引き取りたいとは思っていたが、やはり手放さなければならないだろうと覚悟はしていたのだ。
数日とはいえ自分が抱き、あやし、添い寝した赤ん坊を手放すのは、正直辛い所だった。
それがこのまま手許に置いても良いという。夢のようだった。
「葵屋で面倒を見る。それが母親の遺志だった」
蒼紫がポン、と操の頭に手を置く。
「母親は赤ん坊を名付けなかったそうだ。操、お前が名付け親になってやれ」
「え、あたしが!?」
突然の話に操が目を丸くする。
「そうじゃの。お前が母親代わりだったんじゃ。良い名前を付けてやれ」
「操ちゃん、ちょっとは考えてたんでしょ?」
お増が操の顔を覗き込むと、操はえへへ、と照れ臭そうに笑った。
「うん…実は、こっそり考えてた名前があるんだ」
赤ん坊を抱き直し、自分の顔の正面に赤ん坊の顔が来るようにする。
「久し振りに晴れた朝の、お日様の光に包まれるようにしてこの子を見付けたの。だから…暁(あきら)」
いつでもお日様が貴方を照らしますように。
葵屋に加わった新しい命は、その名を耳にすると天使のような笑顔を浮かべた。
【終】
あとがき
新キャラ…増やさないでおこうと思ったんですが。結局増えております(^_^;)ひやややや。
しかも梓や隆一(UP済みSS参照)と違って葵屋のメンバーですと?本気か、自分…いや、まだ喋る事も出来ない赤ん坊だけども。
赤ん坊というキャラの都合上、そう何度も何度も出ては来ないと思いますが、忘れた頃に出てくる順レギュラー候補って事で…(笑)
言い訳がましい事を書いておきますと、暁はお話を考えた当初、母親が迎えに来て引き取られる筈でした。
だから完全一発キャラだったんです。
でも赤ん坊を預かって情が移るってネタ、実は他のSSで似た様なのやってるんですよね。
それで似ちゃあマズイだろうと急遽設定変更。
捨て子なんてね、どんなに理由があったとしても許されない事ですよ、人として。子供は、親が育てるのが一番だと思います。
翁や蒼紫たちも、もしも母親が見付かったら、何をどうしても母親を説き伏せて子供を返すつもりだった。
勿論、操だってその時は我侭言ったりしません。
でもその母親にはもう余命が無くて。
遺していく子供が不憫で可哀想で、だから賑やかな笑い声が溢れる葵屋の前に置いて行ったんです。
母親の聞いた女の子の笑い声や誘われるような笑い声というのは、操や翁達のもの。
朝からこんなに元気一杯で明るい笑い声が聞こえる所なら、自分の子を幸せにしてくれるかもしれない―――そう、信じて。
暁は、特に作中には書いてませんでしたが、男の子です(名前で判る・笑)『暁の光』で暁。
女の子でも良かったんですが、そこはまぁいろいろと。
操が母親代わりと言ってますが、実際には歳の離れた姉弟状態ですね。
蒼紫と操はまだ祝言も挙げてませんし、操の養子じゃ父親が居ない(笑)蒼紫の養子でも母親が居ないし。
世間的には翁の遠縁の子を引き取ったという形にして、葵屋で育つ予定です。
でも将来蒼紫と操が所帯を持ったら、正式に養子として引き取るってのもいいかな…?
麻生 司