聖なる日に


蒼紫の部屋には、とてもたくさんの本が在る。
十年近く流浪の旅をしていた蒼紫は、最小限の身の回りの物と、刀以外の私物は持ち合わせていなかったので、
書棚や押入れに整然と詰まれている数多くの書物は、ほとんど全て葵屋帰還後に集められた物だった。

操は本を読むよりは、外を散歩したり身体を動かしたりする方が好きなのだが、時には静かに本を読みたくなる時もある。
例えば蒼紫が文机に向かって読書をしている時など―――同じ時間を共有しているようで、とても嬉しかった。
直接構ってもらえなくても、同じ部屋で自分も読書をしていると、それだけで蒼紫の傍に居られる。
だから操は木枯らしの冷たい日などは自分から蒼紫の部屋に来て、火鉢の傍で彼から借りた本をめくっている事が多くなった。

 

操が蒼紫に対して凄いと思う事を数え上げたらそれこそキリが無いのだが、その中でも特筆すべきは彼の読書量だろう。
そもそも御庭番衆の御頭を襲名する際には、先代が残した全ての書物を読み、理解しなくてはならない。
今の操の歳には御頭を名乗っていた蒼紫は、つまりそれ以前に膨大な書物を読破したという事なのだ。

その書物の中には、『見聞を広げる為』と称して異国の文字で記された物も少なくなかったと言う。
異国の事を正確に知るには、その言葉を正しく理解しなくてはいけない。
江戸の末期には既に異国語に堪能な者は存在して、通訳と言う仕事も成り立ってはいたが、
まさか隠密が通訳を介して異国の情報を諜報する訳には行かない。

御庭番衆の中でも特に選ばれた子供達が、幼い頃から必要に迫られて異国語を学んだ。蒼紫は、数少ないその一人だったのである。
葵屋の面々の前でその語学力を見せた事はなかったが、異国後の書物を全く苦も無く最後まで読み、
時折神戸などに出向いて舶来の品を直接買い付けてくる事から、彼が異国語の会話にも読書にも全く困らないのは確かだった。

 

 

二月に入って、一層寒さが身に沁みる日が多くなった。
日中は暖かい日も勿論あるが、生憎とここ数日雪の日が続いている。
どっかりと降り積もる事は無いのだが、降っては止み、止んでは降るを繰り返していたので、余程の用でもない限り外出する者は少ない。
操も蒼紫の部屋で、本を借りて読む日が続いていた。

経済の本や法の本など、題名を見ただけで頭の痛くなりそうな本の中から、まだしも自分にも理解出来そうな物を探す。
蒼紫は一応分野ごとに本を分けて片付けているので、
一度読めそうな本を見付ければ、その付近にある物は大体理解出来る。
いかにも、と言う硬い見出しが多い中で、操は書棚の下の方に小さく纏められてある一角に気付いた。

取り出してみると、それは案外古い洋書である事が判った。
装丁はしっかりしているが、頁の隅が色褪せたり背表紙が他の物よりも傷んでいる。
異国の宗教画なのだろうか、日本画とは全く違う色彩に彩られた絵画には、短い文章が添えられていた。
絵画の説明らしいその文章は勿論異国の言葉で綴られていたのだが、余白の部分には日本語で書き込みがされている。
細い筆で丁寧に綴られたその筆跡は、蒼紫の物に間違いなかった。
彼がこの本を読んだ時に、訳を記したものなのだろうか。

 

『聖母受胎…受胎告知…聖人…賢者……?うーん、よく判らないや』

多分、それぞれの言葉には大事な意味があるのだろうが、この背に羽根の生えた人物は一体何なのだろう?
羽根の生えた人の絵を見ていたら、操は『飛翔の蝙也』を思い出してしまい――彼は葵屋を半壊させた張本人の一人だ――
思わず眉をしかめてしまった。

ふくよかな赤ん坊の絵や、その赤ん坊を抱いた女性の絵や、背中に羽根の生えた人の絵などが続いた後で、
ずるずるとした衣服を纏った男性の絵が何枚かあった。
その男性たちは壮年だったり、老人だったりしたが、その手や胸に十字架を持つ姿が共通していた。

―――ああ、そうか。これって、ご禁制だったキリシタンに関する絵なんだ。

恐らく、本自体は十年以上前の物だ。
古書として出回っていたのを、近年になって偶然蒼紫が手に入れたのではないだろうか。
蒼紫は無論キリシタンでは無かったが、純粋に異文化を観賞する為に購入したのだろう。

 

「操、その本がどうかしたか?」
「―――え?」

熱心に眺めていたせいか、普段とは違う彼女の気配に蒼紫の方が気付いて声をかけて来た。

「……この本か。異国の絵画などなかなか見る機会が無いからな。
 少し前に骨董屋で二束三文で出されていたのを見付けて、買って来た物だ」

操の手許を覗き込み、蒼紫が得心したように頷いた。浮世絵なら見慣れた物だが、確かに異国の絵画は操には珍しかったろう。
米が二合ほど買える金額で出されていたその古書を、偶然立ち寄った骨董屋で蒼紫は手に入れたのだと言う。
骨董屋の主人にとっては、異文化の絵画の価値は米二合以下だったらしい。

「この隅の方に書き込みしてあるのって、蒼紫様の字ですよね。この人は…聖…バレンティヌス?」
「ああ、そうだ」

 

何人かの肖像画らしきものが並んでいる中で、操がたまたま指差したのは聖バレンティヌスと記された人物だった。
蒼紫の話によれば、この本に描かれている壮年、老人の男性は、キリシタンの中でも司祭と言う高位の神職者なのだと言う。

「二千年程昔に栄えたローマと言う国の皇帝――天皇のようなものだな――が、強兵策として兵士の婚姻を禁じていたのだそうだ」
「強兵策と婚姻の禁止と、どう言う関係があるんです?」

不思議そうに操が首を傾げる。
守りたいという存在があれば、その逆よりも人は強くなれそうな気がするのだが。

「兵士に妻や子供と言った家族が出来ると、その兵士はどうしてもその家族を想う。
 それが戦闘意識の低下に繋がると、皇帝は考えたらしい」
「えっと……つまり家庭を持った兵士は、相手――敵を思い遣ったり、情けを掛けたりするようになると?」
「そう言う事だろうな」

少々極端な発想かもしれないが、あながち的外れでもないかもしれない。
敵にも自分と同じように妻や子が居ると思えば剣先も狂う。兵士自身も命を賭けてまで国に尽くそうとは思わなくなるだろう。
だから皇帝と呼ばれたその国の王は、兵士の婚姻を禁止したのだ。

「だがそれはあまりに非人道的だと、皇帝に逆らって密かに兵士の婚姻の手助けをしていた者が居た。それが、聖バレンティヌスだ」

 

聖バレンティヌスは多くの兵士の婚姻を、神の名をもって祝福―――承認したらしい。
数多くの兵士達に感謝されはしたが、命に背かれた皇帝は当然激怒した。
後に聖バレンティヌスは捕らえられ、処刑されたのだと言う。

「酷い話……何も、殺してしまう事は無いのに」
「皇帝の命は絶対だった。それに背いたのだから、処刑は覚悟の上だったんだろう。
 キリシタンは聖バレンティヌスが殉教した日を以来祝日にして、その死を悼んだそうだ」

聖バレンティヌスの辿った末路を聞き、操が沈痛な面持ちになった。
君主の命が絶対と言う理屈は判るが、やはり抵抗がある。
少なくとも日本の将軍や天皇は、部下に『婚姻するな』などと言う無体は言わなかった。それはやはり、文化や宗教観の違いなのだろうか。

「異国には異国の王と神が居て、文化も思想も違う。
 だから判り合えないのだと歩み寄る事がなければ、日本はとても生き残ってはいけないだろう。だからこそ、学ぶのだ。
 俺はもう十分に目を通したから―――もしも気に入ったのなら、その本はお前にやろう。異国の書だが、見るだけでも学ぶ事は多い」
「え、この本を頂いてもいいんですか!?」

『ああ』と頷いた蒼紫に、操は礼を言って頷いた。

 

聖バレンティヌスに対するキリシタンの信仰には、もう少し後日談がある。
蒼紫自身は自分で異国語を読む事でその事を知っていたが、敢えて訳としてはしたためなかったので、操が知る事は―――多分、無い。

聖バレンティヌスは、ローマ帝国の兵士の婚姻を、自らの死を恐れずに祝福した。
それ故に、彼が殉教したその日には、男女が互いに想い寄せる者に贈り物をしてその愛情を確かめ合ったのだと言う。

蒼紫が柱に掛けたられた暦に目をやる。日めくりのそれは、如月の十四日となっていた。

 

『まさか、今日と言う日に操があの本を手に取るとはな―――ただの偶然か、それとも……』

 

遥かな昔に、兵士の情愛を成就させる為に命を賭けた、聖バレンティヌス。
彼が殉教したのは―――二月の十四日だと、伝説は記す。

巡り合わせか、偶然か。
定かではなかったが、異国で聖人や天使と呼ばれる存在がほんの少し自分の背を押したのではないかと、
蒼紫は不思議な感慨を胸に抱いて操の笑顔を瞳に映していた。

                                                              【終】


あとがき

まさかるろ剣でバレンタインネタを書く事になろうとは思ってもみませんでした(笑)
まず日本におけるバレンタインの歴史ですが、所謂女性が男性にチョコレートを贈る習慣が出来たのは、昭和五十年頃だそうです。
バレンタインデーそのものがアメリカから伝わったのは昭和三十年代だそうですが、
今の形式が出来上がったのって、ほんのつい最近なんですね。
でもチョコレートを贈るというのは日本の製菓会社の営業効果の勝利であって、
海外では恋人同士が互いにカードや贈り物をすると言う習慣で、特にチョコレートは関係無いそうです。

蒼紫達の時代にはチョコレートはまだ希少品で、販売していた店もごく限られていたとか。
更に二月十四日に女性が男性にチョコを贈る、と言う習慣もまだ出来ていない時期なので、
本来の意味でのバレンタインの贈り物として、操に蒼紫から本を贈って貰いました。
ちなみに明治五年に改暦され太陽暦が用いられているので、この時点での二月の十四日は、今の二月十四日と同じです。
それにしても宗教画の記された本って、きっと本当は凄く高価なものだったんだろうな…(^_^;)

                                                                麻生 司

 

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