嵐の夜の出来事
「蒼紫様、嵐収まりそうにありませんねぇ」
「そうだな」
蒼紫の部屋から表を伺う。
雨戸はがっちり打ち付けられているので、実際に開けて様子を見る事は出来ない。
だが御庭番衆として鍛えた耳は、まだ嵐が猛威を振るっている事をはっきり感じ取る事が出来た。
話は少し前に遡る。
その日は朝から空模様がおかしかった。
蒼紫を始め、葵屋の者が総出で天気を見たところ、全員一致で嵐の到来を読み取った。
「こりゃいかん。相当大きな嵐が来るぞ。早めに連絡を回さんと」
翁が手際よく、伝書鳩を各所に飛ばす。
そこから近隣の住民へ、家の補強や場合によっては避難を促すのだ。
葵屋は川からも離れているし、造りがしっかりしているので―――何せ十本刀に一度壊されて建て直したばかりだ―――避難する必要はない。
だが風に対する対応はする必要があった。
「でも今日は昼からのお客さんがたまたま入ってなくて助かったわ〜。まあ、仮に予約が入っていたとしても、昼からじゃ辿り着けるか怪しいもんだけど」
雨戸に当てた板切れを押さえながら、お増がそう口にする。
「確かにもうこの風だからな。日が暮れる頃には本格的に来るぞ」
お増の押さえている板切れを雨戸に釘で打ち付けながら、白が返した。
「黒さん、買出しの方は大丈夫?この分じゃ、明日も後片付けで仕事にならないけど」
「大丈夫。さっきお嬢が『何か手伝える事はないか』って聞いてきたんで、取り合えず必用な物は頼んだから」
お増に新しい板切れを渡しながら黒を振り返ったお近に、彼は薪を割りながらにっこり笑って返事をした。
「たまたま話を聞いてた蒼紫様も、ついて行ってたみたいだし」
何気ない筈の黒の一言に、思わず皆の手が止まる。
「…黒、お前何を買ってきてくれって頼んだんだ?」
「ん?味噌と酒。あと野菜を少し」
何故重い物ばかりが、一度に切れるのだろう。
―――などと言う疑問はさておいて、女の細腕に味噌と酒と野菜はないだろう。
重量がある上にかさ張ってしょうがない物ばかりだ。
「…そりゃ、蒼紫様もついて行こうって気になるわな…」
「蒼紫様が聞いてるのを知ってたから頼んだんだ。お嬢一人に行かせる訳ないだろう?」
にやり、と黒が笑う。つまりは、黒の確信犯だ。その一言で白やお増たちも得心した。
「蒼紫様が荷物持ちねぇ。操ちゃんはそれでも嬉しいんだろうけど、あたし達じゃ恐れ多くて頼めないわね」
「でも自分で一緒に行くって言い出したんだ。お嬢も頼んでないよ」
あまり表立って態度や言葉には出さないが、蒼紫は操の事をとても気にかけている。
皆の顔に笑みが浮かんだ。
「重くありませんか、蒼紫様?」
「大丈夫だ」
右腕に味噌と酒を抱え、余った左手で大根や白菜などの野菜を抱えた蒼紫が短い返事を返す。
操は茄子と山芋を抱えて蒼紫の隣を歩いていた。
「やっぱり風、少し強くなってきましたねぇ」
時折強く吹き付ける風はやはり嵐特有のもので、今日は早仕舞いで店を片付け始めている所も多かった。
黒に頼まれた酒屋と味噌屋、八百屋も店じまい仕掛けのところを寸手で品を押さえたのだ。
お陰でいつもより少しお安く仕入れる事が出来た。
「今夜あたりが峠だな。明け方には多分通り過ぎているとは思うが」
「もう窓とかの板の打ち付けは終わったかな?」
まだなら手伝って早く片付けてしまわないとと操が顎に指を当てて考え込む。
「総出で掛かっているから、そろそろ終わる頃だろう」
少し考えて蒼紫が応えたその時―――
「わわっ!?」
「操!?」
突然吹いた突風に、操の身体が押されてよろめく。
両手の塞がっていた蒼紫は咄嗟に操の風下に立ち、身体で彼女の身体を受け止めた。
「す、すみません〜〜」
「お前は軽いから気を付けた方がいい。急いで戻ろう」
操を風上側に歩かせながら、蒼紫達は風が強くなってきた往来で足を速めた。
今日は泊り客も無かったので夕食を早めに摂る事になり、片付けを終えてしまうと、皆も自室に早々に引き上げてしまった。
操も自分の部屋で、何をするでもなく布団に転がっている。
本を読むにも風の音が耳について集中できないのだ。
かといって、眠ってしまうには少々早すぎる。
眠ろうと思えば眠れない事もなさそうだったが、今寝てしまうと、一番嵐がひどい時に目が覚めてしまう気がした。
いつも自分が眠る時間まで何かで時間を潰さなければと思いつつ、結局する事を思いつかなくてごろごろしているのである。
天気さえ良ければ月を見たり星を見たりして時間を潰せるのだが、今夜に限っては雨戸すら開けられない。
以前は良い造りだとは言っても、ひどい雨の時は一部古くなった所から雨漏りをしたりする場所もあったのだが、
先だっての十本刀の襲撃で全面改修したお陰で、鍋やたらいを持って走り回る事はしなくて良くなった。
「う〜〜ん、暇だぁ……」
しばらく転がっていた操はえいっと立ち上がると、自分の部屋の行灯を消し部屋を出た。
蒼紫は自室でいつものように本を読んでいた。
少々風の音が煩いが、人の声や気配と違い自然の音であるから、集中してしまえば然程気にならない。
この辺りが操とは違う所である。
何時もよりも早く食事を済ませてしまった関係で、結構な時間本を読んでいたと思うのだが、実際にはそれ程時間は経っていなかった。
さてもう少し読み進めようかと思った丁度その時、廊下をヒタヒタと歩く足音に気付いた。
特別気配を消すつもりが無いのではっきりと誰の足音か判る。操の足音だった。
蒼紫の部屋の前で足音が止まると、ややあってから中を伺う声が掛かる。
「蒼紫様、起きてます?」
思ったとおり、操の声だった。蒼紫は本を閉じると『ああ』と返事をする。
からりと障子を開けた操は、寝間着でひょっこり顔を覗かせた。
「どうした?」
「風の音が耳についちゃって…まだ眠るのにも少し早いので、しばらく話相手にでもなって貰えないかと思って」
気を紛らわせようと普段はあまり読まない本などもめくってみたけれど、どうにも外の物音の方が気になってしまうのだと言う。
お互い寝間着姿という事で蒼紫は一瞬躊躇ったが、あまり深く考えるのは止めにした。
操とて眠るまで間が持たないから蒼紫を訪ねたのであって、他意は無い…筈だ。
蒼紫が『構わない』と言うと、操は嬉しそうに部屋に入り、後ろ手で障子を閉めた。
「風鳴りがゴーゴーやかましいなぁとか思いません?」
「少しはな。だが所詮は自然の音だ。集中してしまえば気にならない。滝の音や潮騒の音と同じだと思えばいい」
「滝の音や潮騒の音ですか?」
「そうだ。滝の瀑布や波が寄せて返すような音を、うるさいとは感じないだろう?」
確かに、それはあるかもしれない。
それが当たり前だと思っている事もあるが、例えば嵐の風の音を特別な事だと思うから煩わしく感じるのだ。
風は風として、丸まま自然な音だと思ってしまえば気にならないと蒼紫は言う。
「あたしはまだ修行が足りないって事ですねぇ」
「流石に今夜の風は、俺でも少し煩いと思うぞ。気の持ちようだな」
そんな事を話し合いながら、夜更けまで二人は起きていた。
普段なら他の者を起こさないように声を落とすのだが、今日は外の風鳴りの方が賑やかだ。
夜半を過ぎてくると、風は一層強さを増し、ガタガタと雨戸を揺らした。
「蒼紫様、嵐収まりそうにありませんねぇ」
「そうだな」
この分だと夜明けくらいまで嵐は続くだろう。
庭木などにあまり被害がなければいいのだが、風で吹き飛ばされた落ち葉などの後片付けが大変そうだ。
「操、そろそろ部屋に戻って寝め」
もう時間も遅い。『うん』と生返事を返したものの、操はあまり眠くなさそうだった。
話込んでいるうちに宵の口を過ぎ、かえって目が冴えてしまったのだろう。
だが自分がここに居ては蒼紫が寝めない。根が生真面目蒼紫は、そういった事を気にする一面がある。
あまりごねると蒼紫の迷惑になるので、おやすみなさいと言い残し、操は彼の部屋を後にした。
浅い眠りに就いて半刻(一時間)ほど過ぎた頃だろうか。
不意に蒼紫は胸騒ぎを覚えて目が覚めた。
直前まで見ていた夢で、何かを告げられた気がする。
『あれは…般若…?』
白い茫漠とした世界に佇む蒼紫の前に、幻のように姿を現した彼は懸命に何かを訴えていた。
彼は何と言っていたか―――
―――早く、操様の所へ―――
「……操?」
はっと我に返ると、蒼紫は掛布を跳ね除けて飛び起きた。
雨戸を締め切って真っ暗な廊下を、ほとんど足音も立てず真っ直ぐ操の部屋まで走る。
辿り着いた操の部屋の中からは、規則的な寝息が聞こえていた。
「操…操…!」
障子越しに何度か繰り返し呼ぶと、やがてごそごそと起き出す気配がした。
「……蒼紫様……?どうしたんですかぁ?」
ほっと息をつき、そして蒼紫ははたと困った。
何となく胸騒ぎがして操の様子を見に来たものの、特に何かという用があった訳ではないのだ。
障子が開けられ、眠そうに目をこすりながら操が顔を覗かせる。
その時だった。
ゴオンッ!という鈍い音と共に、一瞬、屋敷が揺れた。
「っ!?」
「操ッ!!」
咄嗟に操は声も出ず、蒼紫が無意識で操の腕を引き、身体で庇う。
雨戸を閉めた筈の屋内で、頬に雨粒が当たった。
「これは……」
操の部屋の天井に屋根を突き破って大穴が開き、彼女の寝ていた布団に木の枝が突き刺さっていた。
天井に開いた穴から風と雨が吹き込み、蒼紫と操の身体を濡らす。
「うわっ…何これ……」
蒼紫に起こされていなければ、今頃自分はあの枝に串刺しになっていた所だ。
振り返って部屋の中を見た操は、思わず腰が抜けて座り込んでしまった。
「蒼紫様、操ちゃん、一体何事ですか!?」
物音を聞きつけて、皆が蝋燭の明かりを手に起き出して来る。
廊下にへたり込む操と彼女を支える蒼紫を目に止め、次いで操の部屋を覗き込み絶句する。
吹き込む風雨に手の蝋燭の炎が掻き消えてしまうが、夜目の効く御庭番衆達の目には、その惨状がはっきりと見て取れた。
「わぁっ、何だこりゃ!?」
「操ちゃん、よく無事だったわねぇ」
お増とお近が、動けない操を心配して顔を覗き込む。
「大丈夫…怪我はないから。びっくりして腰が抜けただけ。あはははは……」
パタパタと手を振る操には、確かに外傷は無い。
「蒼紫、どういう事じゃ?」
不幸中の幸いに胸を撫で下ろしながらも、真夜中に起きたこの事故をどうやって免れたのか、説明を求めて翁が蒼紫を振り返った。
彼らが天井が破られた音に目を覚まし、部屋を飛び出したのがほぼ同時。
駆け付けた時には、既に蒼紫は操を庇うようにしてその場に居た。
という事は、蒼紫は操の部屋の天井が暴風で巻き上げられた木の枝で破られる前に彼女の部屋に駆け付けていた事になる。
「…説明になるかどうか」
蒼紫にしては珍しく少々頼りなげな前置きをしてから、彼は口を開いた。
夢で般若が、早く操の所へ行けと言った事。
目を覚ましたら妙に胸騒ぎがして、操の様子を見に行った事。
外から声をかけ、彼女が起き出して来た所で事故が起きた事を。
「般若君が…?」
操の瞳が丸くなる。
「それはきっと、般若さんが守ってくれたんですよ、お嬢!」
「操ちゃんに危険が迫ってる事を蒼紫様に教えて、守って貰うようにしてくれたのよ」
確かに不思議な話だが、そうとでも思わなければ説明のしようがない。
完全に皆が寝入っていたのだから、蒼紫が操を起こさなければ、確実に彼女は事故に巻き込まれていた筈なのだ。
「…彼岸も近い。また墓に参って礼を言うとしよう」
「あたしも行きます!」
蒼紫の言葉の続きを待たず、操が手を挙げ名乗り出る。微かに目を細め、蒼紫が小さく頷いた。
「そうだな。後片付けが済んで落着いたら…な」
操の部屋が完全に修復されるまでには一週間程かかる事になり、その間お増とお近の部屋で操は寝泊りする事になった。
聞けば葵屋周辺の店や民家も同じく木の枝が天井を突き破ったり、壁に大穴を開けたのだと言う。
近くの寺に植わっていた古木が折からの強風で吹き飛ばされ、一本の大木からの枝や折れ飛んだ幹の一部が原因だと判明した。
軽い怪我をした者は居たが死者は出ず、それも不幸中の幸いだったと言えるだろう。
数日後般若達の墓前には、訪れた蒼紫と操の手により感謝の意を込めて、美しい菊と竜胆の花束が手向けられた。
【終】
コメント
季節ネタ再び(笑)このSSは、PC持参で実家の母と泊まりに行っていた母方の祖母の家で仕上げました。
祖母の話し相手をしたり、(祖母の)家の掃除や買出しの手伝いなどをしつつ、SSを打つ自分…
働き者なのか、道楽者なのかどっちなんでしょう(^_^;)おまけにやりかけのCGも2つ仕上がったさ…(笑)
しかし台風で天井突き破って木の枝が飛び込んで来るって、一体どんな巨大台風だったんでしょうか(^_^;)
そんな未曾有の事態に般若君が大活躍です。式尉さんでもひょっとこでもべし見でもいいんですが、やはり般若君が適任でしょうって事で。
蒼紫や操の夢枕に立ち(『夢と現と』参照)、死んでからも忠義で働き者な般若君。
彼は蒼紫たちの事が心配で心配で、成仏出来ずに彷徨っている訳ではないのですが、なかなか来世に向かえないのですね。
蒼紫と操が所帯を持てば、少しは落着いてゆっくり出来ると思うのですけど(笑)