掌の中の日常
「ごちそうさまでした!」
葵屋の奥まった一室で、遅い昼食が終わる。
各々箸を置いた後も、茶を飲んだり気の合う者と話をしたりしているのだが、
それもそこそこで切り上げ、客の食事の片付けをしなくてはならない。
自分の使った膳は自分で厨房に下げてくる。それは蒼紫も扱いは変わらない。
「じゃあ、これ表で洗ってくるね〜」
「そう?じゃあ、操ちゃんよろしくね」
客の膳を下げたりと忙しいお増やお近の代わりに、操が自分達の膳の後片付けを申し出る。
割らないように気を付けて井戸端までそれらを運ぶと、操は丁寧にそれらを洗い始めた。
「すいませんね、お嬢」
「いいよ。お互い様じゃない」
白が薪を割りに表に出てきた時に声をかけると、のんびりとした返事が返って来た。
嫌々やっているのではなく、実際に楽しそうである。
「あたしはあんまりお客様とかのお世話するの、上手じゃないしね。こんな事で役に立てるなら毎日でもいいよ」
と言って、笑顔を見せた。
操が接客下手とは、葵屋の者は誰も思っていない。
確かに料理は白や黒がこしらえる分には遠く及ばず、立ち居振舞いはお増やお近ほど洗練されていないかもしれない。
だが、たまたま廊下などで行き会った客に『いらっしゃいませ!ようこそ葵屋へ!!』という、操の元気な挨拶が飛ぶと、客は例外なく笑顔を浮かべるのだ。
同じ事を蒼紫がやったとして、同じ反応になるとは思えない。
いや、元気に『いらっしゃいませ!』と笑顔を浮かべる蒼紫が、既に想像の域を越えている。
整った顔立ちの蒼紫の事。素で挨拶をしたら若い女性客は喜ぶかもしれないが、男性客にはあまり受けそうも無い。
だが操は自分のそんな長所にはまったく無頓着で、『そそっかしいから』と、滅多に客の前に出る事はなかった。
「ん……?」
薪を割る白の横で茶碗や湯呑みを洗っていた操の手が、ふと止まる。その様子に白も気付いた。
「どうしたんです?お嬢」
「これ、蒼紫様の使ってる茶碗よねぇ」
白が横から操の手許を覗き込むと、それは確かに蒼紫用にと最近お増達が使っている茶碗だった。
白磁に青い塗料で細かな模様が描き込まれた、品の良い物である。
「ええ、そうですね」
「こっちの湯呑みも、この皿も」
操が次々手にとっては並べていく碗や皿は、確かに全て蒼紫の使っている物だ。
「そうですけど…それが何か?」
ふうっ、と操が小さな溜息を零す。
「これって全部、本当はお客様用だったよね?」
そうなのだ。
葵屋に長く生活していた翁や白達、そして勿論操の分の碗や湯呑みは、当然自分専用の物を使っていた。
初めから客用の物とは別に買い揃え、割ったり欠かしたりしてしまった時は、本人が好みの物を買い直してくる事になっている。
だが、蒼紫は十年以上も葵屋を離れていた為、彼の分の碗などは無かった。
だから初めて蒼紫の分の食事の準備をした時、お増とお近が葵屋の客用の一揃えを蒼紫用にしたのである。
「蒼紫様…折角『戻って』きたのに、これじゃ何だか『お客様』みたい」
「それは…でもお嬢、これはもう、一揃い『蒼紫様用』にしたんですから」
「うん…でもね」
じっと、並べて置いた茶碗や湯呑みを見詰めていた操の目が、何かを決意し、力が篭もる。
洗った皿に井戸から汲んだ水をかけて綺麗にすすいでしまうと、勢いよく立ち上がった。
「あたし、蒼紫様の茶碗や湯呑みを買ってくる」
操がそう言い出したのは、昼の片付けや夕食の仕込が済み、少し皆の手が空いた時だった。
ちなみに蒼紫は奥の間に篭もって禅を組んでおり、ここには居ない。
「じゃが操、今使っている物でも別に不都合はないじゃろうに」
「翁、それが……」
昼間操が話した事を、代わって白が皆の前で話して聞かせる。
「ふむ…客のようじゃと…そういうつもりではなかったんじゃがなぁ」
「判ってるよ。昔、蒼紫様や般若君達がここに居た時も、お客様用のを使ってたって、白さんに聞いた。
だから初めから蒼紫様の分ってのは無かったんだよね。
で、蒼紫様が戻って来られた時は、丁度十本刀に壊された葵屋を建て直したばかりでバタバタしてて…」
結局、蒼紫用の碗を揃えそびれてしまったのだ。
「蒼紫様はそんな事気にしてないと思うし、気にする事もないと思う。だけど、あたしは…ちゃんと『初めから』蒼紫様の物を、揃えてあげたいんだ」
例えどんな場所へ出かけようとも、蒼紫だけの一揃えで温かな食事を準備し、『おかえりなさい』と言いたいのだと。
「小遣いを少しずつ貯めてたから、それで足りると思う」
夕飯前に行って来るね、と操が立ち上がった操の背に、翁の声がかかった。
「それじゃワシは、蒼紫の為に秋物の着物でも仕立ててくるかの」
ニヤリ、と翁の口元に粋な笑みが浮かぶ。
「操ちゃん、私達も一口乗せて頂戴な」
お近達もにっこり笑って、少しずつだが操の手に銭を握らせた。
「そうだ、湯呑みや茶碗を自分で造らせてくれる窯があるんですよ。蒼紫様の湯呑みは、そこでお嬢が作ってきたらどうです?」
「湯呑みかぁ…」
黒の教えてくれた窯はそう遠くない。操はすっかり、その気になっていた。
「…と、いう訳なんですけど…」
「ああ、よろしいですよ。焼き上げるまでに日を頂けましたら、ちゃあんと仕上げてお渡しします」
黒と共に翌日件の窯を訪れた操は、窯を預かる職人の頭に自分で湯呑みを造らせてもらえるだろうか、と相談した。
流石に元の土からこねるのでその日のうちに持って帰る事は無理だが、時間さえ貰えれば問題ないとの事。
操は大喜びして、是非と頭を下げた。
「それじゃお嬢、先に他の物を選んでしまいましょうか」
「うん!」
湯呑みは操が造る事にしたが、茶碗や箸、他の皿などは同じ窯が出している店で揃える事にした。
操はちらっと、他の茶碗なども一緒に造ってしまおうかと思ったのだが、蒼紫の食卓だけが妙に貧相に見えてしまいそうで、流石に止めた。
皆から少しずつ集めた小遣いを足し合わせると、そこそこの物を揃えられる。
一時間程黒と二人で選んで、湯呑み以外の物は選ぶ事が出来た。
「じゃ、これは持って帰ってしばらく隠しておいてね。湯呑みが出来上がったら、一緒に蒼紫様にあげたいから」
「はい。目立たない木箱にでも入れて、お嬢の部屋に置いておきますよ」
「よろしく!」
黒に荷物を預けてしまうと、操は窯の方へと回った。
窯の片隅に職人たちの工房があり、そこで素人も作品を造らせて貰う事になっている。
職人の一人に丁寧に土のこね方やろくろの回し方を教わった。
初めての経験でおっかなびっくりしながらも、自分の足でろくろを蹴り、湯呑み『らしき』物を造って行く。
大多数の素人がそうであるように、操も始めはろくに形にも出来なかった。
少し形を整えようと指を添えると、あっという間に形を崩し、ただの土の塊になってしまう。
だが辛抱強く何度か同じ事を繰り返しているうちに、何となく形が整ってきた。
大きく形を崩す事もなく、ようやくひとつ、『湯呑み』と呼べそうな物が出来上がる。
「おや、短い時間で大分上手になりましたね。完成ですか?」
先程ろくろの使い方まで教えてくれた職人が通りかかり、声をかける。だが操は首を振った。
「まだです。まだ…何か違うんだよね……」
そう言って操は、くしゃりと目の前の作品を土の塊に戻してしまった。
それから一刻ほどの間、操はろくろを回しては出来上がった物を潰すという事を繰り返していた。
「上手くなって来たようだが、出来が気に入らないのか?」
その様子を見ていた年かさの職人の一人が、手が空いた暇に操の側に椅子を引き、座り込む。
「うーーーん…形とかじゃなくて……あの、すみません」
「うん?なんだい?」
「もう少し、大きな物を造りたいんです。追加の代金は払いますから、もう少し土を貰えませんか?」
「もっと大きくするのかい?あんたの造ってるのは湯呑みだろう?十分だと思うがな」
職人の言葉に、操はふるふると首を振った。
「この湯呑みを使う人の手にしっくり馴染むには、これだけの土で造るんじゃ小さいし、軽いんです……多分」
最後の方は声が小さい。ベテランの職人が十分だと言っているのに、思わず反論してしまったからだ。
だが、年かさの職人は、かえってそんな操を気に入ったらしい。
ひとしきり豪快に笑うと『ちょっと待ってな』と席を立ち、追加の土を持って来てくれた。
「気の済むまで、好きに使いな。御代はいいよ」
そう言って、職人は笑って見せた。
「ありがとうございます!きっと、ぴったりの物を造りますから!!」
「楽しみにしてるよ。出来上がったら呼んでくれ。俺が窯に入れてやろう。
しかしあんたみたいな子に、そんなに一生懸命造って貰えるなんて、その湯呑みも、その相手も幸せだな」
その言葉に、操は照れたような笑みを浮かべた。
「…で、出来上がったのがこれか?」
「そうだよ〜。職人頭さんと、ベテランの職人さんが褒めてくれた♪」
出来上がって来た湯呑みを前にしてご満悦な操とは裏腹に、葵屋の面々は複雑な表情だった。
まず正しい円筒形をしていない。微妙に歪んでいる。
底に穴が開いたりはしてないようだが、厚さも部分で微妙に…いや、大分違う。
そして一般に湯呑みと呼ばれる代物よりも、確実に大きい。操の使っている物と比べたら1・5倍はあるだろう。
大きさがある分、それなりに重さもある。
「こりゃまた、個性的なもんじゃのう」
操の折角の好意を腐したくはないのだが、どこを褒めればいいのか判らずに翁達もそれ以上言葉を続けられない。
一体窯の職人頭達は、何を基準にこの湯呑みの出来を褒めたのだろうか。
「じゃ、これ一式、厨房に置いとくからね。今日の夕飯から蒼紫様のお膳はこれで用意してね」
「はぁ……」
困ったようなお増とお近を他所に、操は上機嫌で厨房を出て行った。
そしてその日の夕飯時、お増たちは操に言われた通り、彼女と黒が選んできた膳で蒼紫に食事を出した。
蒼紫はすぐに茶碗や小皿、箸などが新調されている事に気付いた。
「これは…?」
「それは、蒼紫様のお膳だよ。蒼紫様だけのお膳。遅くなっちゃったけどね」
にっこり笑って操がそう口にする。
「これからはずっとそのお膳で準備するから。もしもお茶碗を割ったり欠かしちゃった時は、各自で好きな物を買ってくるんだよ、皆」
いいお店があるんですよと、先日窯を借りた焼き物屋の名を出す。
「今回はあたしと、黒さんで選んだの。どうです?」
「―――ああ、使い易い」
「やったぁ!」
たった一言であったが、操にはそれで十分だった。
蒼紫の表情を見ていれば満更ではなかったようで、言葉は少なかったが、間違いなく喜んでいるようであった。
しかし翁達が心配しているのは、食事が終わった後に出される湯呑みの方である。
どう贔屓目に見ても『いびつ』と表現せざるを得ないあの湯呑みを目にして、一体蒼紫が何と言うのか―――
膳が片付けられ、お近が皆の分の茶を湯呑みに入れて配って歩く。
蒼紫の前にも、コトリと件の湯呑みが置かれた。
「……」
蒼紫はその大きさや形に少しは驚いたようだが、口に出しては何も言わなかった。
他の者と同じように湯呑みを手にし、口をつける。
皆は聞くともなしに全身を耳にしていた。ほとんど茶を飲み干してしまってから、ぽつりと呟くように尋ねる。
「…これは、操が造ったのか?」
「あれ、判っちゃった?後で言おうと思ったんだけどな〜」
操が小さく舌を出す。蒼紫は包み込むように両の手でその湯呑みを持ち、目を細めた。
「大きさも重さも、俺の手によく馴染む…礼を言う」
「どういたしまして」
さりげない蒼紫の礼の言葉に、操を除く他の者は、皆目から鱗が落ちたような気分だった。
もしも湯呑みの出来に、万が一蒼紫が不機嫌になったらどうしようなどと考えていたのは、全くのお節介だった訳だ。
蒼紫は一流の拳法家であり、剣客でもある。当然修行を積んだ彼の両の手は、並みの男性と比べてもまだ大きい。
だから操は、彼の手に合うように大きく造ったのだ。
土をこね、ろくろを回した操の手の大きさを基準に考えれば、確かに大きすぎると思うだろう。
だが、実際に使うのは蒼紫なのだ。
そして彼女は更に、やはり人並み以上の握力の持ち主である蒼紫がしっかり握っても大丈夫なよう、頑丈に作った。
部分によって分厚い所があるのはその為である。握った時に力の加わる所は分厚く、そうでない場所は薄目に造ってあったのだ。
見ているだけではただのいびつな湯呑みでしかなかったが、蒼紫の手に収まると、それは至極自然に目に映る。
操は蒼紫の手の大きさを正確に覚えており、その手に合わせて彼の手にぴたりと収まる湯呑みを造り上げたのだった。
「やれやれ。今回はお嬢にやられましたね」
白が小声で隣の翁に耳打する。翁も意外な展開に驚きを隠し切れなかったらしく、一言『そうじゃな』と呟くに止まる。
だがふと思いついた事に、満足そうにリボンで結わえた自分の髭を撫でつけた。
「蒼紫のあんな穏やかな目を見るのも久し振りじゃ…今度操にも、褒美代わりに蒼紫と揃えで秋物の着物を仕立ててやるかの」
「いいですね。うんと粋な着物を、仕立ててあげてくださいよ」
そう囁きあいながら翁たちは、微笑ましい光景に目を細めていた―――
【終】
あとがき
蒼操SSの一作目、『夢と現と』にちょろりと出していた、操作の湯呑みの出来るまでのお話です。
でも私は、あまり焼き物の課程とかに詳しくはありません。
湯呑みを作る過程に何か誤りがありましたら先に謝っておきます。すみません、素人が勢いだけで書きました(笑)
今回、蒼紫の出番はほとんどありません。背景的には、京都編と人誅編の間くらいです。
蒼紫はまだ積極的に葵屋の一員としては動いておらず、寺に通ったり葵屋で禅を組んでいる事の方が多かった頃。
彼の食器類って、急遽揃えられたような気がするんですよ。
まあ実際には建て直しに一ヶ月程はかかってる訳ですし、操たちも自分達の分を始めお客様用のも買い直しただろうから、
その時に気付きそうなもんなんですが…(笑)そこはひとつ、お話の都合って事で…(^_^;)
麻生 司