雨の日の課外授業
「雨……?」
窓を叩く雨音にティニーが顔を上げると、暗い雲から雨粒が落ちだした所だった。
今日は朝からすっきりしない空模様だった。
普段なら中庭に出す洗濯物なども、今日は朝から雨でも関係ない屋根のある場所へと干してある。
外に用事があった者達も、急ぎ以外は外出を取り止める者が多かった。
セリス率いる解放軍は、今、グルティア城に滞在している。
ここから東のトラキア城には、最後の将としてアリオーンが未だ健在だった。
この数日中に動きがある筈、との読みで、全軍待機中である。
とは言え、まるきり一日中気を張り詰めてはいられない。
必用最低限の準備をし、後は各自の判断で待機しているのである。
ティニーはフィーと同室だが、フィーは先程アーサーが呼びに来て部屋を出ているので、今は一人だった。
天気が悪くなる事は知っていた筈だから、恐らく談話室辺りに居るのだろう。
読むともなしに広げていた本を閉じ、再び雨が濡らす窓の外を見る。
ふとその視線の先に見慣れた姿を見つけ、ティニーは立ち上がった。
「セティ様」
「ティニー?どうしたんだい、こんな所に」
そこはグルティア城の稽古場だった。
それなりに広さのある室内の壁に、訓練用の刃を潰した剣や斧、槍等が幾つか整理され立て掛けられている。
「部屋に居たら、セティ様がここに入って行くのが見えたので」
そうか、とセティは笑みを見せた。
「訓練をされるのですか?」
「僕じゃないよ。コープルだ」
そう言いながら、セティは壁に立て掛けられた剣や斧を、丁寧にまとめては稽古場の片隅にまとめていく。
「ああ…先日、高位僧侶の資格を得たって言ってましたね。そうか、もう魔法が使えるんだわ」
「その通り。僕が少し見てあげる事になっていてね。屋外でやるつもりだったんだが…この天気だからな」
魔法の訓練は、本来屋外で行う方が望ましい。
炎、雷、風。どれも自然の大いなる力を具現化して振るう行為であり、ひとつ制御を誤ればとんでもない事態を引き起こす事もある。
術者は訓練をする際には、余計な遮蔽物や邪魔のない広い空間で行う事を無意識で望む。その理由とは―――
「余計な物が側にあると、事故を起こす事がありますものね…私も手伝います」
特に風魔法は、その傾向が顕著にあった。
セティは恐らく、コープルに風魔法を指南するつもりなのだろう。
だから雨で訓練所を使おうとした時、内部に立て掛けられていた武器類を、邪魔にならない所に片付けていたのだ。
「ありがとう。助かるよ」
「その代わり、私の風魔法も一緒に見てくださいね」
くすり、と笑ったティニーに、セティは勿論と破顔して頷いた。
二人で稽古場をすっかり片付け、コープルも呼んで相談した結果、ティニーの持つウインドの魔道書をコープルに譲る事になった。
「ウインドは比較的どの魔道士とも相性がいい。炎や雷より、多分扱い易いだろう」
「はい」
やや緊張した面持ちのコープルの手には、譲り受けたばかりのウインドの魔道書がある。
「ティニーには、これを」
差し出された魔道書を受け取り、思わず瞬きする。
「これは…エルウインド?でもこれは、セティ様が一番使い馴染んだ魔道書じゃないですか」
そんな大事なものを受け取れないとティニーは頭を振ったが、セティは自分の胸に手を当て『大丈夫』と言った。
「僕にはフォルセティがある。ライトニングもね。この二つがあれば、戦場では十分だよ」
「でも…私に扱えるでしょうか?」
魔法の使用者には、魔法発動の際に負担がかかる。
術者と魔法にも相性は存在していて、修練を積んでいない魔道士、もしくは生まれ持った才能などから、相性の悪い魔法は発動させる事が出来ないのだ。
また発動させる事は出来ても、それが極端に術者の消耗を強いる場合がある。
ティニーの懸念はこの点であった。
「まず試してみないとなんとも言えないが、能力的には扱う事は可能な筈だ。
相性ばかりはどうにもならないから…その時は、またどうするか考えよう」
実は彼女の兄、アーサーが上級魔道士の叙勲を受けた時、同じようにエルウインドの魔道書が扱えるか試みた事がある。
結果は惨憺たる有様で、暴走しないように制御するのが精一杯。
おまけにエルウインドの行使で消耗しきったアーサーは、翌日起き上がる事が出来なかったのだ。
これは修練や能力とは関係なく純粋に持って生まれたその魔法との相性であり、
この一件でアーサーは、致命的に風魔法とは相性が合わない事が証明されたのだった。
下級魔法のウインドは何とか扱えるので未だ彼も所持しているが、エルウインドを使いたいとは、以降二度と口にしなかったと言う。
「それじゃ、まずコープル。ここに来て、あの的の正面に立って」
セティに促されて、コープルが的の前に立つ。
距離は約10メートル。的はほぼ人の背丈程の高さの棒に、ぐるぐると麻布が巻かれた物だった。
「深呼吸して…そう、肩の力を抜いて。的をちゃんと見て、利き手をまっすぐに的に向かって伸ばすんだ」
ぎこちなくコープルが左手にウインドの魔道書を握り締め、右手を的に伸ばす。
「魔法の発動に決まった呪文は無い。敢えて言うなら、発動させる為の段取りだと思って構わない。
意識を集中させて…自分が発動出来ると思ったら、あの的に向かって放ってごらん。
ただし反動が来るので、足はしっかり踏ん張っておくんだよ」
魔法の発動に、本来呪文は存在しない。それは回復魔法であっても、攻撃魔法であっても同じである。
魔法は媒体となる魔道書や杖を介する事で、その効力を発揮するのだ。
にも関わらず、多くの魔道士や僧侶が魔法の発動時に呪文を口にするのは、その過程で精神を集中させているからである。
一刻を争う事態の時―――例えば不意の急襲に対する反撃や、緊急を要する怪我の治療など―――
その過程を飛ばしていきなり魔法を発動させたり出来るのは、ここに理由がある。
「風よ、刃となりて切り裂き給え……」
コープルの口が呪文を紡ぐ。ふわり…と足下から風が舞い上がり、彼のローブをはためかせる。
「ウインド!!」
魔法が発動した、その刹那―――
「わぁっ!!」
「コープル!?」
コープルは自分の差し伸ばした手を拠点に生まれた風の力にバランスを崩し、背後に吹き飛ばされた。
ティニーが思わず悲鳴をあげる。だがそのコープルの身体を、真後ろでセティが受け止める。
「大丈夫か?」
「あ…はい。すみません、セティさん」
「コープル、セティ様も…良かった、怪我が無くて」
ほっと、ティニーが安堵の息をついた。
訓練場の広さの関係上、コープルの背後にはあまりスペースがなかった。
先程の勢いで吹き飛ばされていたら、間違いなく壁に叩きつけられ、運が悪ければ肋骨くらい痛めていたかもしれない。
セティはコープルが反動で吹き飛ばされる事を予想し、最初から背後で受け止められる位置で彼を見ていたのだ。
「予想以上だったろう、反動は?」
そう言ったセティの目は優しく、咎めるような気配はなかった。
「驚きました。まさか、あんなに強い力が来るなんて…」
「回復魔法しか扱った事がないのだから無理も無い。
回復魔法は連続して使用する事で同じく消耗はするが、使用する事によっての反動は来ないからな」
自分も昔はフォルセティの制御に失敗して、しょっちゅう樹の幹に身体をぶつけたと、笑って話した。
「セティ様が!?」
コープルとティニーが揃って目を丸くする。
「僕だって、最初からフォルセティを使いこなせた訳じゃないよ。
特に僕がフォルセティの魔道書を継承したのは、まだ子供の時だったからね…いろいろ苦労もした」
そしてフォルセティを継承した時、既に師となる筈の父・レヴィンは、彼の元には居なかった。
それでもその魔道書に託された責任と義務、そして使命を信じ、セティはたった一人でフォルセティを習得した。
お陰でフォルセティを継承したばかりの頃は生傷が絶えなかったのだと言う。
「肋骨を痛めた事もあるし、切り傷擦り傷はいつもの事だったな。
何年か修練する事で怪我をしなくなったから、国を出て旅を始めたんだよ」
「セティさんでも、そんな苦労をしてフォルセティを完全に制御していたんですね…僕も頑張ります」
「制御は日々の鍛錬で身につける事が出来る。焦らずに、でも確実に、だ。少しずつでも、前向きに」
「はい!」
聖戦士の直系であるセティでさえ、その力の制御には苦労したという事実は、大いにコープルを励ました。
続いてティニーもエルウインドを試しに発動させてみたところ、兄とは違い、めでたく彼女は制御に成功した。
楽に制御が出来る訳ではないが、十分使用に耐えるだろうとの、セティとティニー本人の意見が一致する。
「ではエルウインドは君に。でも君が風魔法を使うには、炎や雷を制御する時の何倍も消耗する筈だから、扱う時には気を付けて」
「はい、ありがとうございます」
後日、この選択が大きく二人の未来を動かす事になる。
だがそれはまだ先の話であった。
雨は数日降り続いた。
グルティアで足止めをされていた数日間、毎日訓練所で魔法の練習を続けるコープルと、彼に付き合うセティとティニーの姿が見られたと言う。
初めてウインドの魔法を手に戦場に立ったその日から、実はコープルは一度も敵兵に向けてこの魔法を放つ事はなかった。
だが闘技場を立派に制覇出来る程の安定した制御力を日々の鍛錬で身につけた彼は、以降、杖の修理代に悩む事はなくなったという。
【FIN】
あとがき
お話の元ネタは、個人誌『未来予想図』に収録した『コープルのトラキア日記』を一部アレンジして流用したものです。
元はタイトルの通り、コープルの日記風に書いてましたが、今回SSに書き起す際に三人称に直しました。
セティニーっぽくしようと思っていたんですが、出来上がって見るとそんな感じじゃないですね(笑)
やはり名残でコープルの方が目立ってる。
コープルは皆の弟分って感じなので、年長組(それはほぼ全キャラを差す…(^_^;)には可愛がられているんですよ。
コープルがティニーからウインドを、ティニーがセティからエルウインドを譲ってもらうくだりは、後々他のSSにも絡んできてます。
詳しくは『君と紡ぐ夢』をお読みください。
しかし最後のオチが、杖の修理代に苦労しなくなったって…オイ(笑)
実際のゲームでは魔法の受け渡しは中古屋を介して行われますが、SSでは素直に直接譲り渡した事にしています。
イチイチ中古屋を通してたんでは、なんか話のリズムがおかしくなるので(^_^;)
セティもフォルセティの習得には苦労したんだよ、という事を書いてみたかった一作でした。
麻生 司