微笑みの行方


あの日の事は、まだ夢に見る。

影になって見えなかったエルト兄様の顔。
遠くなって行く背中、届かなかった私の指。

血の朱に沈んだ黄金の髪。

最後まで主君に向けられる事無く、姿を消したミストルティン。

 

―――ラケシス、生きろよ。何があっても、必ず生き延びろ

 

正義って何だったの?
主君に裏切られた兄様の忠誠は何だったの?

夜毎の悪夢の終わりは、深い絶望と悲しみの涙……

 

シルベール城陥落より数日後の事。
エスリンに呼ばれたフィンは、主君の私室の扉をノックした。

「フィン?どうぞ、入って」
「失礼いたします」

遠慮がちに扉を開けたフィンを出迎えたのは、ティーポットを手にしたエスリンであった。キュアンの姿は見えない。

「どうぞ、かけてね。今お茶を淹れるから」

程なく机にカップが二つ置かれ、フィンの向かいの椅子にエスリンも腰を下ろした。

「実はね、フィン。貴方に折り入って頼みがあるのよ」
「私に出来る事でしたら、何なりと」
「ラケシスの事なの」

 

フィンの持つカップが、カチャンと受け皿にぶつかって音を立てる。
ちら、とエスリンは彼の手許を見たが、敢えて何も言わなかった。

「時々でいいから気にかけていて欲しいのよ、彼女の事」
「私が…ラケシス様の…?」
「本当なら、私かエーディンが側に居た方が良いのだろうけど…私達では駄目なのよ。近すぎて―――

ふっと、エスリンの目が伏せられる。

「私達を見れば、昔の記憶からエルトシャン様を思い出す」

 

―――アグストリアのシャガール王は、エルトシャンの忠告にも進言にも全て耳を閉ざし、あまつさえ彼を逆臣として葬り去った。
彼を敬愛していた異母妹、ラケシスの受けたショックは、他人には計り知れない。

―――それに…兄様の方にもね、ついていてあげないと。
 今はキュアンが行っているのだけど、オイフェとシャナン王子も随分と泣いていたから……」

 

エルトシャンの死とほとんど時を同じくして、シグルドの妻であるディアドラも忽然と消息を絶った。

共にアグスティ城で留守を守っていたオイフェとシャナンの話を総合すると、
セリスを二人に預けて前線のシグルドと合流しようと城を出た所で、突如不思議な光に包まれたのだという。
そしてそれきり、彼女の姿を見た者はいない。

オイフェとシャナンは何があってもディアドラを城から出すのではなかったと、その過ちを悔いて泣いた。
そして最愛の妻と、無二の親友を一時に無くしたシグルドの落胆も、見ている方が辛い程であったのだ。
以後彼らの側には、さり気なく誰かが付き添うようにしている。

 

「あのラケシスですら、死地に行くエルトシャン様を止める事は出来なかった。
 誰よりも―――戦の無益さをご存知だった方だったのに……」

フィンも手の中のカップにじっと目を落としたまま、無言でエスリンの言葉を聞いていた。
シルベール城に戻れば命はない――だから行かないでくれと叫んだラケシスの祈りは、しかしエルトシャンを引き止める事は出来なかった。

ラケシスに彼を引き止める事が出来なかったと言うなら、他の何人に出来たというのだろう。
エルトシャンの死は天命だったのだと、フィンは受け止めている。

「兄様達とエルトシャン様の道は分かたれていて、もう誰にも止める事は出来なかった。
 その事は、ラケシスにも判っているのよ。
 ただその哀しみのやり場に戸惑っている―――周囲の全てを、拒絶する程に」

 

起こる筈ではなかった戦。
失われるべきではなかった人達。
シグルドとキュアンの嘆願にも頷かず、全ての矛盾をその身に受け容れて、エルトシャンは逝ってしまった。
その代償は―――あまりにも大きい。

 

「でもね、哀しみは癒されなくては生きてはいけないわ。後悔の涙からは何も生まれないもの。
 私とキュアンは、兄様の事で手一杯。
 だからフィン、貴方にラケシスの事をお願いしたいの。彼女の笑顔を、取り戻してあげて欲しいのよ」
「私が、ですか?」
「そう、貴方よ」

何か大きな物を飲み込んだような顔をしたフィンに、エスリンが微笑を返す。

「シルベール城で泣き崩れるラケシスを、貴方は一生懸命なだめようとしてくれていたでしょう?」
「あ、あれは、その……」

首筋まで真っ赤にするフィンに、エスリンは悪いと思いつつも笑いを堪えるのが大変だった。

「ごめんなさい、からかうつもりじゃなかったの。でも、貴方になら本当に、ラケシスを任せていられるわ。
 ラケシスを……頼むわね―――

 

 

ラケシスは部屋にいなかった。
城の中庭、談話室などを順に歩いて探し、最後に楼閣の重い扉を押した。
ギィッという不快な音と共に薄暗い通路に光が差し、フィンが一瞬目をすがめる。

緩やかに吹く風の中、黄金の髪をなびかせて彼女はそこに居た。
ほっとしてその背中に声をかけようとした声が、思わず詰まる。

彼女は涙は流していなかった。声を殺して泣いている訳でもない。
だがその存在があまりにも希薄で、今にも風に溶けて消えてしまいそうだった。

 

―――例え主君であっても、エルト兄様を侮辱する事は許さないわ!―――

出逢ったばかりの頃のラケシス様は、少し勝気で、意地っ張りで。

―――時折、たまらなく不安になるの…もっと、自分に力があったなら。
    大事な人、大事なもの、全てを守れる力が、この手にあったなら……この不安は消えるのかしら―――

それでいて寂しがり屋で……そして何よりも、笑顔の似合う方だったのに……

 

「フィン?」

声をかけられずに佇んでいた気配に、ラケシスが気付き振り向いた。
フィンは自分の顔に動揺が出ていないか気にしながら、楼閣の外周近くに立つ彼女の側へと近付いた。

「ラケシス様、あまり眠っておられないのではありませんか?目が赤いようですが……」

ラケシスが目を伏せ、瞼の上から手を当てる。

「…やっぱり判ってしまう?気付かれないように気を付けてはいたんだけど……実はあまり……ね」

ふっと、短い息を漏らす。

「……夢を見るの。毎晩―――

 

繰り返し夢に見る、兄の最期。

「エルト兄様を止められなかった私の手。血の海に沈んだ兄様の身体……
 忘れようとしても、夜毎夢に見る―――私の、後悔の深さだけ―――そして、自分の悲鳴で目が覚めるのよ」

 

もしも自分がもっと強くに請うていたなら、エルトシャンをシルベール城に行かせずに済んだのではないか。
ラケシスの指が、血が滲むのではないかと思える程に外周を取り囲む石塀を強く掴む。

「幼い頃から大好きだったエルト兄様……父様も母様も既に亡い私にとって、
 アレスが生まれるまで、兄様は唯一血の繋がった肉親だった。
 その兄様も、アレスさえ失って……今は死んでしまいたいと思えるほどに哀しいのに、兄様は何があっても生きろと言った―――

 

戦乱の中、義姉と共に甥のアレスも行方知れずとなった。
ラケシスは八方手を尽くして彼らの行方を探しているが、消息はようとして知れない。
無事で居てくれる事を祈るしかなかった。

「皆が私に気を遣ってくれてくれているのは判ってる。ディアドラ様を失って、同じように辛いシグルド様でさえ……
 私は一人じゃない。辛さを知ってくれる人たちは側に居てくれる。
 だけど今は……一人で居たいのよ」

不意に石塀から手を離したラケシスを見て、フィンはとっさに彼女がそのまま空に身を躍らせるのではないかと思った。
だが彼女は静かにその場に佇んだまま、彼の方をまっすぐ見返しただけだった。

「わがまま言ってごめんなさい。私、意地っ張りだから、人に泣き顔は見られたくないの。
 この哀しみがいつになれば癒されるか判らないけれど……今は、一人にしておいて……」

 

そう呟いて、ラケシスは元のようにくるりと彼に背を向けた。

手を伸ばせば届く。彼女の細い肩を抱き締めて、力付けたかった。
だが、伸ばしかけた手を、フィンは強く握って引き戻した。

きっとラケシスは、自分に泣き顔を見られる事を望んではいない。
例え本心では違うのだとしても、彼女の誇り高さゆえに、その事実を自分自身が認めないだろう。

『貴方はフィンと言うの?私はラケシスよ、よろしくね』

初めてノディオン城でキュアンに彼女と引き合わされた時の、華のように輝く笑顔が目に浮かぶ。

 

―――どうか一日も早く貴女に、あの笑顔が戻りますように―――

小さく肩を震わせるラケシスをその場に残し、フィンは楼閣を後にした。

 

 

事態は急速に変化しようとしていた。

凶事の第一報は偵察に出ていたフュリーによってもたらされた。
シグルドと、その父バイロン卿が反乱を企てたとして、グランベルの討伐隊がアグスティの南方に集結しつつあるという。

 

「私と父が反乱だと……!?」
「馬鹿な!バーハラは何を血迷ったのだ!?」

フュリーの報告に、シグルドは呆然と言葉を失った。彼に代わって語気を鋭くしたのはキュアンである。
青ざめた顔のまま、フュリーは更なる凶報を告げた。

「アグストリア方面への街道は全て封鎖。
 しかも討伐隊の動きに乗じて、マディノの残党もこのアグスティ城の包囲を始めており、我々が孤立するのは時間の問題です」

シグルドに付き従った者達は城の大広間に残らず集まっていたが、誰一人口を開けなかった。
自分たちは反乱など企てていない。だが、現実は刻々と厳しいものになりつつある。

しん、と大広間が静まった中に、一際通る声が響いた。

 

「……追っ手より先んじて逃れるしかないだろう。まずマディノ方面へ抜け、オーガヒルから―――
「更に東……シレジアですね!?」

レヴィンの言葉にはっと顔を上げたフュリーが、その後を継ぐ。
彼が軽く頷いたのを見て、ブリギッドが前に進み出た。

「オーガヒルへ向かうのなら私が先導に立とう。私なら船も使える」

シグルドはずっと何かを思い目を閉じていたが、やがてその目を開けると、集まった者達の顔を見た。
一人一人、誰も目を反らす事無く見つめ返してくるその眼差しに。

「……もはや『我々』と『グランベル軍』との戦いは避けられない。
 だが、極力戦闘を回避しつつ、オーガヒルからシレジアへと向かう。皆―――必ず生き残ってくれ」

一度言葉を切り、再び皆を見回した面に、もう迷いはなかった。

「必ず生きてグランベルへ―――祖国へと還るんだ!」

 

 

奥深い森の中、ラケシスは一人北へと向かって走っていた。

木陰の間から垣間見える太陽の位置を目印に駆けているが、本当に正しく北に向かっているのか疑わしい気持ちになってくる。
さすがに息が上がってきて、ラケシスは木の幹に手をつくとそこで息を整えた。

 

『大分、遅れたわね……』

アグスティ城を出た時には、側にキュアンやエスリン、シルヴィアやレックスの姿もあったのだ。
だが、程なくグランベルの先陣に補足され、各々が散り散りになって追撃をかわした。

その際ラケシスは追撃隊を撒く為に、街道の西に広がる森の中に逃げ込んだのだ。
森の中では、馬はかえって足手まといになる。
足が遅くなる事を覚悟の上で、森に入ってすぐにラケシスは馬から下り、街道を北の方に向かって離した。

運がよければ、また出会えるかもしれない。
だがやはり、確実に足は遅くなった。
馬を手放した事が、結果的に仇になってしまったのだが、今更言っても詮無い事だ。
再び北へ向かって歩き出すと、遠くにはっきりとした小さな光が見えてきた。

 

「出口……良かった、間に合うかもしれない」

決められた時間までにオーガヒルに辿り付けない者は置いていかれる。
一人を待つ為に他の者を危機には晒せない。それは暗黙の了解であった。

「早く皆に追い付かないと……」

足を早めた、まさにその時―――

 

「誰だ!?」

鋭い誰何の声に、はっ、と足が止まる。

前方の茂みから飛び出してきたのは、自分とそう変わらないであろう年頃の魔道士姿の少年。
それは巧みに森に潜んでいた、マディノ軍の残党であった。

「女?…そうか、グランベル軍だな。だが女でも、皆、敵だ!!」

 

少年の手の上に、燃え上がる火球が生まれる。
その紅い炎を瞳に映した瞬間、内なる声がラケシスに囁いた。

 

イッソ、死ンデシマエタラ―――

応える声も、また彼女自身。

『もしも今、ここで命絶えたなら……貴方に逢えますか?エルト兄様―――

 

―――生きろよ、ラケシス―――

 

湧き上がる滅びへの誘惑から一瞬でもラケシスを正気に戻したのは、兄の最期の言葉。
そして―――

 

「ラケシス!!」
―――え……!?」

自分の名を呼ぶ声と共に、目の前に人影が立ち塞がる。その背中に、少年の放った火球が弾けた。

「フィ……!?」

ゴウッという音と共に、マントと背が燃え上がる。

「フィン!!」

フィンの身体ごしに伝わる熱に、ラケシスの顔が蒼白になる。
彼は背を焼かれる苦痛に歯を食いしばり、絶叫を堪えた。

そのまま崩れ落ちるように膝をつくと、ラケシスの腕の中に倒れ込む。

「フィン!?フィン!!しっかりして、フィン!!」

ラケシスは彼の身体を抱え込んで名を呼び続けたが、彼は苦し気な呼吸を繰り返すだけだった。
背に回した手に焼け爛れた肌が触れる。
その熱さと血の紅さに、ラケシスは一瞬、息が出来なくなった。

 

「虫の息が一人加わったところで変わりない。次は―――殺す!」

咄嗟に間にフィンが飛び込んだ事で怯んだ少年が、再び魔道書を構え直した。
新たな火球が少年の手の上に生まれる。

 

きっ、とラケシスが少年を睨み据えた。
彼から目を離さないまま、フィンの身体を背の傷を庇いながら地に横たえる。

 

「貴方……許さない!!」

彼女の両の瞳には、涙が滲んでいた。恐怖ではなく、怒りの涙が。

背に背負った剣に手を伸ばす。
スラリと抜き放たれた剣には、不思議な文様が描かれていた。
その剣こそ、今は亡きエルトシャンが彼女に遺した唯一の形見―――

 

「命宿りし、聖なる剣よ」

まっすぐに少年に向けられた剣が、淡い光を放ち始める。
その言い知れぬ気配に、少年は本能的に顔色を失った。

集中が途絶えた事で、手の上に具現化していた炎は既に失われている。

「彼の者に大地の怒りを与えん事を!!」

少年の顔が恐怖に歪む。だが、ラケシスは剣先を外しはしなかった。
剣に宿ったものと同じ光が、少年の身体をじわじわと侵していく。

『エルト兄様、力を貸して……!』

大地の剣は相手を昏倒させるだけにも使えるのだが、この時のラケシスは力の制御が出来なかった。
目の前でフィンを傷付けられた、その怒り故に。

 

少年の身体は指先から手足、胴、そして頭と、徐々に生気を失っていく。
やがてその瞳が完全に光を失うと、事切れたようにラケシスも剣を手放した。

震える手でフィンの身体を抱き起こす。背に走る激痛に、彼が小さく呻いた。
まだ生きている。フィンのその生命力にラケシスは賭けるしかなかった。

 

 

「しっかりして、今、治癒(ライブ)をかけるから!」

ライブの杖をかざし、フィンの傷を癒す。
だが治癒の光は頼りなく彼の身体を包んだかと思うと、霧が晴れるようにその色を失った。

『そんな…ライブが効かない…!?』

ラケシスが杖を手にしたまま絶句する。

フィンの負った傷は深く、ラケシスの持つライブの杖では治癒が追い付かなかったのだ。
わずかに苦痛は和らいだようだが、焼け爛れた肌が再生する気配はない。

 

「……ラケシス様……ご無事でしたか?」

痛みが和らいだ事で少し楽になったのか、フィンが目を開けた。
苦痛に冷たい汗を流しながらも、それでもラケシスを気遣い、微かに笑みさえ浮かべて。
その彼の優しさに、彼女の頬に新たな涙が流れた。

「……私は平気よ、貴方が庇ってくれたから。それよりも貴方の傷が……!」
「私なら……大丈夫です」

気丈にもフィンは彼女の手を離れて、自分で自分の身体を支えた。
背筋を痛めた今の彼には辛いだろうに、その事をラケシスが重荷に思わないように。

「生きてください、ラケシス様…そしていつの日か、哀しみも乗り越えてあの明るい笑顔を―――
 エルトシャン様も……そう望んでおられると……思います」

そっと、フィンがラケシスの頬に手を触れる。
涙に濡れたその頬を優しく拭い、微笑を浮かべた。

 

そう、彼女の盾になれるのなら、自分はどんな傷にも耐えられる。        
どんな不可能も可能に出来る力を与えてくれた、貴女は私の―――運命の女神(ラケシス)―――

 

「泣かないで…先に行ってください。私は必ず、後から追い付きますから……」
「何言ってるの!?貴方も行くのよ!私と一緒に!!」

それがフィンの心からの言葉だとしても、ラケシスは聞く訳には行かなかった。

彼は言葉通り、追い付く努力はするだろう。
だが実際にオーガヒルに辿り付く事は、きっとない。それ程、彼の傷は重かった。
だが自分の負った傷が致命的である事は、ラケシス以上にフィンもよく判っていた。

「今の私は、この傷ではラケシス様の足手まといにしかなりません。
 必ず追い付きます―――どうか先に行ってください」

 

悲しいほどの、その誠実さに。
ラケシスは彼の手を取り、首を振った。フィンの目に、困惑が浮かぶ。

「……行けないわ」
「ラケシス様!?」
「私達は、二人で必ず生きて戻るのよ」

 

エルトシャンがこの世を去って一度は抜け殻になってしまったこの身体に、再び生きる力を与えてくれたのは、フィンの呼び声だった。
哀しみを乗り越えて、いつの日か笑顔を取り戻して欲しいと―――

兄の死を忘れる事など出来ない。
だけどその哀しみを、乗り越えて生きていく。
最期のその瞬間まで、共に生き抜く事―――それが自分の為に命を賭けてくれた、フィンの想いへ応える唯一の方法だと思った。

 

フィンの手を祈るように抱き、溢れる涙もそのままに言葉をつむぐ。

「繰り返す悪夢から私を目覚めさせ、命がけで私に生きろと言ってくれたのは貴方よ。
 …今から私は貴方の為に生きる。だから貴方も…私の為に生きて、フィン……」
「ラケシス―――

フィンの瞳に力が蘇る。微かにラケシスが頷いた。
背中の傷に触れないように気を付けながら、ラケシスがフィンに肩を貸し、彼を立ち上がらせた。

「生きるのよ、私達」
「ああ、必ず生きて還るんだ」

ゆっくりと、二人は前へと歩み始めた。
少しずつ、だが確実に。光差す世界へと―――

 

 

それからはとても慌ただしい日々だった。

オーガヒルでシグルドは、最後になったラケシス達を見放す事無く、待ち続けていた。
森の外れにラケシスとフィンの姿が見えると、すぐにレヴィンをペガサスに乗せたフュリーが援護に駆けつけた。
重傷だったフィンを先にペガサスでエーディン達の所に搬送してもらい、
ラケシスはレヴィンに退路を確保して貰いながら、自力でオーガヒルに辿り付いたのだ。

彼女たちの乗船と同時に船はオーガヒルを離れた。
操船はブリギッド。先導に立ったのはフュリーの姉のマーニャだった。

フィンはエーディンとクロード神父の高位回復魔法で一命を取り留めた。
もう少し治癒が遅ければ命がなかったと、二人は口を揃えて言ったものだ。
完全に回復するには、まだもう少しの時間がかかるが、後は時間の問題だろう。

そして、冬が訪れた―――

 

 

「すまない、君を連れて行けなくて」
「私も子供じゃないもの、判っています」

シレジアに初めての雪が降った直後、キュアン、エスリン、そしてフィンの帰国が決まった。

本格的に雪の季節を迎える前にレンスターに帰国し、
春を迎えたら自らランスリッターを率いてシグルドを援護したいという彼らの考えを、シグルドが了承したのだ。

 

キュアン夫妻の帰国は、即ちフィンの帰国を意味した。
心が乱れなかったと言えば嘘になる。
だが最後には、ラケシスは彼の帰国を受け容れた。
帰国決定の数日後には準備も整い、レンスターの三人はセイレーン城の中庭で、仲間たちとしばしの別れを惜しんでいた。

 

ラケシスはフィンに声をかけ、少し人の輪から外れた所に移った。

「…ノディオン王家の生き残りである私がレンスターに行けば、キュアン様達にまでご迷惑がかかるもの」

そしてフィンはこの数ヶ月で一層槍の腕を上げ、上級騎士の叙勲を受けた。
戦場に出れば一小隊を指揮出来る権限を持った事になる。
フィンは確実に、これからのレンスターに必用な存在だった。
自分のわがままで、彼と、レンスターの未来を閉ざしてはいけない―――だからこそラケシスは別離を受け容れた。

そして、今ひとつ。

 

「君にあのレンスターの大地を…僕の生まれた土地を見て欲しかった」
「見られるわよ、いつかきっと……死ぬ訳では……ないのだから」

笑みを浮かべて、フィンの胸に頭を預ける。

規則正しい彼の心音が、とても心地よかった。
頭を上げてフィンを見上げたラケシスは、『それにね』と呟いて、彼に少し屈むように手招きした。
何の話かと耳を寄せた彼に、彼女が囁いた言葉は……

『子供にも、父親の故郷を見せてあげたいもの』

……フィンの顔が、みるみるうちに耳まで朱に染まる。だから大丈夫だと、私は一人じゃないからと、ラケシスは笑った。

 

「ラケシス…本当に…!?」
「男の子と女の子、どちらがいい?フィン」

微笑むラケシスに、もうかつての儚さは感じられない。
その笑顔は新しい命を宿した誇りと喜びで、眩しいほどに輝いていた―――

                                                       【FIN】


あとがき

これはFE聖戦で活動していた頃、同人誌にストーリー漫画として描いたお話です。
サイトに漫画をUPするのは非常に難しいので、今回SSに書き直しました。
フィン×ラケシスは、他のカップルの話にも絡めて描いたりしてるんですが、大きく分け三本漫画を描いてます。これがその一作目。
多分、残りの2本もUPするようになると思います。
漫画と小説では表現の仕方が違うので、(特に場面の【間】に書いてるモノローグとか)大分苦労しましたが、
何とか形には出来たかなと思います。

ウチのラケシスの異父兄・エルトシャンに対する感情は、完全に肉親に対する家族愛であって、いわゆる禁断の恋ではありません。
エルトシャンはラケシスの事を本当に大切に思っていましたし、ラケシスもエルトの事を心から思っていましたけど、
それはあくまでも肉親に対する想い。
恋愛感情の絡んだ想いはフィンにのみ、という風に設定しています。

ローマだったかギリシアだったかちょっとはっきり思い出せないんですが、
ラケシスという名は、神話上の運命の女神の名前なんです。三姉妹の女神の次女で、確か現在を司っていたんじゃないかと。
そういった意味も含めて、フィンに彼女の事を『運命の女神』と呼ばせたんでした。
ちゃんと元々の漫画には『ラケシス』ってルビが振ってあったんですけどね(^_^;)

                                                    麻生 司

 

 

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