雪降る国のお姫様
シレジアの民が誇る賢王セティの花嫁として、ティニーが輿入れしてから約一ヶ月が過ぎた。
結婚式自体は司祭位を持つコープルの仕切りでフリージ領で済ませていたのだが、何せ一国の継承問題に関わる事でもある。
シレジアに到着した三日後に城の中庭を解放して城下に暮らす民を招き入れ、王妃となるティニーのお披露目が行われた。
元々シレジア王家は、以前から国民の支持が高い。
今回のお披露目にも『歳若い国王の花嫁はどんな方か』と言う興味をそそられて多くの民が詰め掛けたが、
セティと並んで露台から気さくに手を振る、負けず劣らず若い王妃の姿は、民には好意的に受け止められたようだった。
次の日からしばらく『新しい王妃様に』と、城下から美しい花や手作りの飾り細工の贈り物などが続いた事がその証だろう。
それらの贈り物の中には、幼い子供が描いた絵なども含まれていた。
ともすればセティやティニーの手に届く前に突き返されてしまいかねない品だが、セティは城を出て市井で育った経緯がある為か、
そのような素朴な好意をとても喜んだ。
ティニーも率先して領民と触れ合い、直接人々の声に耳を傾けようとする気質だったせいか、
真心の篭もった贈り物にいたく感動したと言う。
急な輿入れだったにも関わらず、実は帰参した直後から『いずれ花嫁に迎える人だから』と、
セティが折に触れてティニーの事を話していたので、城仕えをしている者には拍子抜けするほどすんなりと彼女は受け容れられた。
セティと共に城に到着したその日は『この方が噂の陛下の想い人ですか』と、
好意と興味の眼差しに囲まれて照れ臭い思いをしたが、それも離れている間にも自分がセティに大事に想われていたと言う証である。
面映さは勿論あったが、城仕えの者の中にはセティの両親であるレヴィン王やフュリー王妃の代からの者も数多くおり、
自分達の子供を見るのと同じ感覚で見られているのだと思えば、それも嬉しい事だった。
ティニーの私室にと用意された部屋は品の良い落ち着いた色合いの調度で調えられ、セティの私室とは間に寝室を挟んだ造りになっていた。
政務を執る執務室は別にあるので、見せて貰ったセティの私室には、意外に私物は少なかった。
ティニーの部屋と大差ない調度に、壁際の書棚に少し本がある程度である。
暖炉の上に竪琴や横笛がさりげなく置かれてあったのが、彼らしいとは思ったが。
「僕も、城に戻ったのは二年前だからね。それまでは色んな国を流れていたから、自分で持ち歩ける物以外は何も無かったんだ。
一応この城で生まれて、祖母や母と数年は一緒に暮らした筈なんだけど、正直ほとんど憶えていない。
物心ついた時には国外れの小さな小屋で、母と僕とフィーと親子三人で身を寄せ合うようにして暮らしていたよ」
苦笑いを浮かべたセティにレヴィンの事を控えめに尋ねてみたが、父との記憶はあまり無いとの事だった。
兄であるセティでさえそうなのだから、妹のフィーは尚更だろう。
妻に幼い子供達を託し、ユグドラルを飛び回っていたと言う父王レヴィン。
時にはイザークや、レンスターにも姿を見せる事があったと言う。
当時の情勢を考えれば、驚異的な行動範囲である。
しかしセティとフィーの母は、そんな夫の行為を、咎める事無く受け容れた。
『今なら少し、あの頃の母上の気持ちが判るような気がするよ』と、小さく呟かれたセティの言葉がティニーの耳に残った。
「レヴィン様は、シグルド様と初めて会われた時には吟遊詩人をしていらしたんですよね?」
「うん。シレジアの王子という身分を隠す意味合いもあったけど、素で音楽や歌は好きだったらしい。
母はあまりそう言った事に長けた人じゃなかったんだけど、僕もフィーも、結構音楽や歌は好きだからね……父の血なんだろう」
暖炉の上の竪琴を手に取り、ポロンと爪弾く。
セティの指先から零れ落ちた柔らかな音色は、不思議と懐かしい気がした。
「じゃあ、セティ様も街で弾き語りをしたりなさったんですか?」
素朴な疑問だが、レヴィンが吟遊詩人姿で諸国を渡り歩いていたと聞いて以来、ずっと気になっていた事だった。
フィーが実は、複雑なステップと足運びで習得が困難だとされているシレジニア・ワルツの名手だと知った事も、
さらにその疑問を確かめたくなった要因である。
『あまり巧くないから』と本人が謙遜してなかなか聞かせては貰えないのだが、
セティの歌声は十分に鑑賞に耐え得るものであり、よく通って耳に心地よい。
その歌声に楽器の調べが重なれば、一層美しいのではないだろうか。
セティはポロンポロン……と調律をするように何度か指先で竪琴を爪弾いていたが、ややあって、『少しだけ』と口にした。
「ほとんど何も持たずに旅に出たからね。
母と、まだ小さかったフィーに見送られて国を出た時に僕が持っていた物といったら、この笛とフォルセティの魔道書だけだった」
苦笑いしながら暖炉の上に竪琴を戻し、代わりに隣の横笛を手にした。
最近すっかり吹く機会もなかったが、今でも手にしっくりと馴染む。
誰から最初に習ったかももう憶えていないのだが、多分父からではなかったかと、セティ自身は思っている。
だとすれば、父からは魔法の基礎よりも先に、笛を吹く事を教わったのかもしれない。
「初めて訪れる街角で笛を吹いて、それで少しのお金を稼いで。
その日食べるパンを買ったり、寝場所の安宿を確保したりもしたな。この竪琴は、とある街の酔狂な人に貰った物だよ」
笛を吹きながらでは、歌は唄えない。
この竪琴を貸してやるから、何か弾きながら歌ってみろと言われたのだ。
竪琴よりは笛の方が得意だったのだが、とにかくやってみろと言われて開き直って唄ってみたら存外好評で、
竪琴を渡して寄越した張本人にも気に入って貰えた。
「その人は、竪琴を作る職人だったんだ。で、これはそのまま持って行けと言われてね。それからは弾き語りもやるようになった。
もっともマンスターで本格的にレジスタンス活動をするようになってからは、
とても表で素顔を晒して竪琴を弾いていられる状況ではなくなったけれどね」
何せ、あの雷神イシュタルが直接足を運ぶ事もある街だったのだ。
そんな地をレジスタンスの拠点にしたセティも見掛けに寄らず肝が太いが、だからこそその地を解放したいと思ったのも事実である。
レジスタンスの事実上の代表となってからはその拠点で寝泊りし、集まった僅かな物資を仲間と分け合って食い繋いでいたので、
敢えて吟遊詩人の真似事をする必要が無くなったのであった。
「一-二度しか聞いた事はありませんけど、私もセティ様の歌声はとても好きです。また聞かせてくださいね」
「以前は必要に迫られたから人前でも唄っていたけれど、誰かに聞かれてると思うと、実はとても緊張するんだよ。
でも君が望んでくれるなら、またそのうちにね」
長く伸ばされたティニーの銀色の髪を指で梳いて、セティは笑った。
数日後。
夜の間に本格的な雪が降ったらしく、露台に積もった雪が反射させた朝陽でセティは目を覚ました。
シレジアでは珍しい事ではないが、深い積雪は生活するにはやはり不便なものだ。
若い者には大した事がなくても、足腰の弱った年寄りには難儀な季節が数ヶ月続く。
後で城下の様子を見に行こう、と思いながら寝台で寝返りを打ったセティは、隣に眠っている筈のティニーの姿が無い事に気付いた。
「こんな早くに、何処へ行ったんだ……?」
寝台にはまだ微かに温もりが残っていたが、相当前に抜け出したのは間違い無さそうだ。
この時期夜明けはかなり遅くなっているから、もしかしたら夜明け前に起き出したのかもしれない。
上着を手にして寝台から降りると、セティは露台へ通じる窓を開けた。
雪景色独特の強い光に、一瞬視界が漂白される。
目の上に手を翳し、目を眇めて露台に出ると、眼下の中庭からキュッキュッという雪を踏む足音が聞こえた。
朝陽に煌めく銀髪の小柄な後姿は、ティニーに相違ない。
彼女は薄手のコートに手袋、雪道用のブーツ姿で一生懸命何やら作っているようだった。
「ティニー、こんなに朝早くから何をしてるんだい?」
「あ、セティ様、おはようございます!目を覚ましたらこんなに雪が降っていたものだから、何だか嬉しくなってしまって」
ほら、と彼女が脇に身を避けて見せてくれたのは、彼女自身の胸の高さくらいある雪だるまだった。
「積もる雪は初めてじゃないだろう?トラキアでは嫌と言う程見たじゃないか」
豪雪の中で雪崩に遭い、危うく命を落としかけた事すらあるのだ。
あの時、ブラギの直系であるコープルが居なかったらと思うと、今でも心臓が凍るような気がする。
ティニーが着ているのは薄手のコートなのだが、せっせと雪玉を転がしていたので、然程寒さは感じなかったのだろう。
だが彼女の頬や鼻の頭は、空気の冷たさに正直に赤くなっている。
「アルスターに居た頃はこんなに雪は積もらなかったし、トラキアではとても雪で遊ぼうなんて気にはなりませんでしたから。
それに一度、自分と同じくらい大きな雪ダルマを作ってみたかったんです」
露台で愉快そうに笑うセティに、ティニーは可愛らしい笑みを浮かべた。
そんな遣り取りをしているうちに住み込みの城仕えの者達が起きて来たが、
中庭の雪ダルマと、一面の雪景色に子供のようにはしゃぐ王妃を目にして、皆一様に思わず笑みを零した。
まだ朝食の支度には少々早い時間だったので、初老に差し掛かった料理長がティニーよりも大きな雪ダルマを作ったり、
いつの間にかニグループに分かれて雪合戦などもやってしまった。
小一時間もワイワイと騒いだ後に、皆がそれぞれの仕事場へと散っていき、雪遊びは自然とお開きになった。
いい加減部屋に戻ろうと、すっかり濡れてしまって意味を為さなくなった手袋を外して掌に息を吐き掛けたティニーの肩に、
ふわりと温かなストールが掛けられる。
驚いて振り向くと、微笑を浮かべたセティの姿があった。
「気は済んだかい?お姫様」
「はい!とっても楽しかったです。でもお城の皆も、朝は何かと忙しいのに付き合ってくれて……悪い事をしてしまったわ」
早朝でも遣るべき事が多くある事は、ティニーもよく心得ている。
アルスター時代には伯母に申し付けられて、解放軍に居た頃は必要に迫られ、
フリージの領主となってからは進んで城の賄いなどを手伝っていたから、その辺の事情にはすっかり詳しくなってしまったのだ。
「皆楽しそうだったから、気にしなくていいんじゃないかな。
気になるのなら、後でお茶菓子の差し入れでもしてあげるといいよ。それなら皆が休憩時間に食べられるから」
「じゃあ、厨房を借りてパイを焼いて、それを午後のお休みに間に合うように用意する事にします」
「その前に、君は一度部屋に戻っておいで」
放っておくと、そのままパイを焼く準備をしに厨房に行ってしまいそうだった妻の肩を、セティが優しく抱き寄せる。
その肩も、手で触れた頬も指先も冷えきっていて、ティニー自身が氷の彫像のようだった。
「肩も手も頬も、こんなに冷たくなって。そのままだと風邪をひいてしまうよ。
この雪遊びで君が風邪をひいたりしたら、一緒になって遊んでいた皆が肩身の狭い思いをしてしまうだろう?
部屋を温めてお茶の用意をしてあるから、指先まですっかり元通り温まるまでは部屋から出るのは禁止。いいね?」
「セティ様が、お茶の用意をしてくださったんですか?」
部屋から出る事を禁止された事よりも、そちらの方に驚いてしまい、大きな瞳を思わず瞬かせる。
セティは男性にしては気が細やかなところがあるので、
例えばシャナン王子やアレス王子が茶を用意したと言われる程には違和感は無いのだが、
いつもは祖父の代から城勤めをしていると言う執事やティニーが用意していたので、セティが自分で茶を用意するような事は無かったのだ。
「母がまだ元気だった頃には、よく僕がお茶を用意していたんだよ。
不味いと言われた事はないけど、母もフィーも気を遣って何も言わなかっただけかもしれないから、味の保証はしないけど」
「それでも、嬉しいです。ならもう一つ……ついでにお願いしてもいいですか?」
「なんだい?」
『何を』と聞いたところで、自分にティニーの『お願い』を断わる事は出来ないのだろうけど。
一応、セティはそう尋ね返した。
「午後のお茶の時間に、セティ様の唄う歌を聞かせて頂けますか?その時には、私の焼いたパイをご馳走出来ますから」
「いいよ。もし気に入ったのなら、午後もお茶の用意をしてあげる。
この秋に収穫された林檎が城の糧食庫に収められているから、どうせならアップルパイを注文しておこうかな」
「はい、かしこまりました。腕によりをかけますから、楽しみにしていてくださいね」
ティニーが可愛らしくコートの裾を摘んで膝を折る。
彼女の髪に頬を寄せて、セティは子供のような笑みを浮かべた。
【FIN】
あとがき
雪で遊ぶティニーがふっと頭に浮かんで、書こうと思ったSSです。でも大分当初の予定とはズレた所に落ち着いたような(笑)
もう少し新婚ラブラブな様子を書くつもりだったんですが、結構普通に終わってますしね。
その代わりパイを焼くと言うティニーや、お茶を用意するセティと言う、普段あまり見られない姿を匂わせられたからOKか…?
ちなみに『こんなに冷え切って、風邪をひくじゃないか』と、ティニーを優しく咎めるセティを書くぞ!が裏テーマでした(笑)
その目的は達しましたよね(^_^)
ウチのティニーは普通にお料理出来ます。ティニーに限らず、聖戦子世代の女の子達は皆、家事の達人です。
男子組でも、家事の達者な子は居そう…レスターとかスカサハ、ファバルなんかは料理上手そうだ(^_^;)
それぞれ苦労して成長しているので…本来なら、家事なんて覚える必要がない、王族、貴族のお嬢様(or坊ちゃん)方なんですが。
あ、ユリアとアルテナは後で習い覚えたクチです。解放軍に参加してる間に、割と上達したんではないかな?
非戦闘時には、普通に『厨房の賄いの手伝い』とか『洗濯』がシフトに入ってる生活ですからね(笑)
自分の手料理で家族や身近な人たちをもてなす王妃様、と言うのは、かなり私の願望も入ってます。
そう言う素朴な気遣いを忘れない、優しい女の子であって欲しいという事ですね(^_^)
麻生 司