誓いの空


コツコツという軽い靴音が、松明に淡く照らされた石造りの廊下に響く。
髪を短くカットし、丈の長いドレスの裾を颯爽と翻しながら城内を歩くのはフィーであった。
ひょっこり書斎や談話室などを覗いてみるが、探し人は見付からない。
途中で行き会った城仕えの女の子に聞いてみても、しばらく姿を見ていないと言う。

「……だとすれば、あそこしかないか」

そう呟いて、フィーは一番手近な階段から、足を階上に向ける。
とは言え、プライベートな部屋や客間があるのはこの階までであるから、ここより上には見張り台を兼ねた楼閣しかないのだが。


少々重い扉を押し開けると、ヒヤリと冷たい冷気が頬に触れる。
振り仰いだ空には満天の星―――西の空に傾いた細い月が、楼閣に立つアーサーの色の白い横顔を照らし出していた。

「アーサー、やっぱりここに居たの」
「ああ、フィーか」

扉を押し開ける音に振り返ったアーサーが、微かな笑みを見せる。

「ご覧よ、綺麗な街の灯りだ。一度は荒んでしまったけれど、再びその息吹を取り戻した……命の灯火だよ」



彼に手招きされて隣に立ったフィーは、だが城下を見下ろしはせず、じっとアーサーを見やった。
そんな彼女の視線に気付き、不思議そうな表情を浮かべる。

「僕の顔に何か?」

茶化すような口調だったが、フィーは乗ってこなかった。
静かな声でアーサーに問い掛ける。

「アーサー、貴方、何を隠しているの?」
「何って……」

何もないと答えかけて、喉の奥でその一言が詰まる。
フィーの表情も、問い掛けられた声も静かなものだったが、偽りはいらないと翠の瞳が告げていた。

「……この数日、ずっと元気がなかったでしょう?貴方が無理してる事に、あたしが気付かないとでも思っていたの?」
「―――参ったな。見抜かれてたか」

そう呟くとアーサーはバツが悪そうな顔をして、後ろ頭を掻いた。

 


―――かのバーハラの悲劇から実に二十年近い歳月を経て、聖戦は終結した。
共に聖戦士の血を引く者同士が光と闇に正義を分かち、相討つ事も少なくなかった凄惨な戦いを、
生き延びた者達がユグドラル大陸の命運を決したのだ。

暗黒神ロプトウスの化身であったユリウスは斃れた。
長き圧政と戦により荒廃した大陸諸国には、聖戦を生き残った聖戦士の末裔達がそれぞれ縁深き地へと散り、復興に尽力している。

聖戦の終結より約一年余。
伯父であるアルヴィス卿の犯した罪を贖う為に、父・アゼル公の遺志を継ぎヴェルトマー公爵家を継いだアーサーは、己の全てを賭けて公国の復興に力を注いだ。
この二十年間、恐怖と畏怖の対象でしかあり得なかったヴェルトマーの炎の紋章も、
今では復興を始めた他の公国と同じく、新たな世界の一端を担う希望のかけらとして受け止められている。

だが―――



「それでも、ユリウス皇子や伯父上の犯した罪は消えない……国は復興しても、圧政の中で死んでいった人たちは、ニ度と戻らないんだ」

新しく生まれた命は、これから大切に育む事が出来る。
だが長き戦で親を、子を、肉親を、恋人を殺された者達は、果たして本当にヴェルトマーの再興を受け容れてくれたのだろうか。

「……戦を起こして本当に苦しむのは、領主や貴族じゃないわ。
 訳も判らず戦場に駆り立てられ、妻や子の名を呼びながら死んでいくのは、いつだって罪もない民人よ。
 そんな民人を戦に巻き込まない為に、敢えて自分を殺して主君への忠誠を貫いたエルトシャン王の志が……今は、よく判る」

呟くようにフィーがそう口にした。


ノディオン王エルトシャンの名を知らぬ聖戦士の末裔は居ない。
それ程までに彼は高潔で、そして同時に誇り高い人物であった。
今、王国は彼の遺児であるアレスが継ぎ、エルトシャンの異母妹であるラケシスの息子、デルムッドが彼の補佐をしている。


「僕等の戦いは無駄ではなかった。ロプトウスの復活は阻まれ、大陸に平和を取り戻した。
 それは判っているんだ。だけど……」

アーサーの横顔に陰りが差す。

数日前、アーサーは領地内の村々を視察して回っていた。
一軒一軒の扉を叩き、何か不自由はしていないか、冬は無事に越せそうかと尋ねて歩いていた。
そんな時だった。一人の少年が、彼の前に姿を見せたのは。


歳は十に達していないだろうその少年は、じっと口を引き結んで、アーサーの顔を見上げていた。
アーサーは割りと子供に好かれる方である。

その時も彼は目の前の少年の前に跪き、視線の高さを合わせると、優しく『何か用かい?』と尋ねた。
きっ、とアーサーの顔を見据えた少年は、大きな瞳にいっぱいの涙を溜めて彼に訴えたのだ。

―――お父さんを返して、と。


「……驚いて出て来た母親に、その子は家の中へと追いやられてしまったけれど……
 正直言って、頭を何かで殴られたようなショックだった。ヴェルトマー城攻略戦の時だったそうだよ」


その少年の父親は、一年前の最後の戦いの直前に義勇兵として参加し、そして戦死したのだと言う。
ヴェルトマー城攻略戦は、ある理由から急ぐ必要があり、ごく限られた者だけが戦った。
今までの行軍の中、合流して増えすぎた義勇兵や傭兵たちはフリージ城に待機していたのだが、
戦死した父親はその後に自主的に戦の援護に参加し、暗黒魔法の犠牲になったのである。


『お前が何の心配もなく暮らせる国を作ってくるよ』……若い父親はまだ小さな息子にそう約束して、そしてそれきり戻っては来なかった。
戦は終わり、平和は訪れたが、少年にとってそれは、たった一人の父親を失った代償となってしまったのだ―――


―――お父さんを返して―――


涙を浮かべてアーサーに訴えた、それが少年にとっての変える事の出来ない現実。

「そう……そんな事があったの―――」

そう口にして、フィーは痛ましげにアーサーを見た。


アーサーはこの一年間、精一杯やって来た。
それはずっと傍らで彼を見守っていたフィーが、誰よりもよく判っている。
それは何も彼だけに限った事ではない。
各地を継いだかつての朋友達は、皆、同じ努力をしている。
だが『ヴェルトマー』という家名を継いだ時点で、彼は他の誰よりも、厳しく辛い道を歩む事になった。

各地を忙しく飛び回り、領地に居る間は領内の村を自分の目と足で見て歩き、アーサーは常に誠心誠意公国の復興に向かい合ってきた。
自分が選んだ生き方とは言え、それでも少しずつ疲れ始めていたのだろう。
この一ヶ月程、普段は陽気な彼の口数がめっきり減ったと、フィーは気付いていた。
そんな彼の心に、純粋であるが故に切ない子供の訴えは、重い楔として深く打ち込まれたのだ……


ポタリ、と俯いた顔の下で組んだアーサーの手に何かが落ちる。
それが彼の流した涙であると気付くのに、フィーは一瞬を要した。

「僕はいい。構わない……どんな誹謗も、苦難の一生も受け容れる。その覚悟でヴェルトマーを継いだ。でも―――」

ゆっくりと、アーサーがフィーを振り返る。

「あたし……?」

その瞳の意味する事に気付いて、フィーがコクンと息を呑んだ。

「僕はヴェルトマーの血を父から受け継いだ。だが、君は違う。君まで、進んでこんな生き方をする必要はないんだ―――」


アーサーの流した涙が、自分を同じ運命に巻き込んだ事への後悔だと悟って、フィーは胸の奥がちくんと痛んだ。
自分の事を大事に想ってくれているからこその言葉だと判ってはいたが、水臭いと思わずにはいられない。
自分が一体、何の為にここまでついて来たと思っているのか!

「……しゃっきりしなさい、アーサー・ヴェルトマー・グランベル!貴方は何の為にその名を受け継いだの!?」

喉元までこみ上げてきた涙の気配を気力で押し留めると、肩を落としていたアーサーを一喝する。
アーサーはギョッとしたような顔で、母親譲りの淡い紫水晶の瞳を瞬かせた。

「フ、フィー?」
「辛い生き方だって事は、始めから判っていた事でしょう?
 でも自分も戦った戦の、何らかの償いがしたくて、敢えてその生き方を選んだんでしょう?
 あたしだって判っていたわ。シレジアに戻ってお兄ちゃんの補佐を上手く手伝う自信もあったけど、それでも貴方について来たのよ。
 それが何の為だと思っているの!?」

ほとんど一息に言い切って、アーサーを見やる。そして半ばポカンとして自分の言葉を聞いていた彼の頭を、そっと胸に抱き締めた。

「……愚痴だっていいのよ。弱音でも、泣き言でも、何でもいいの。
 『他人』には言えない事でも、『あたし』には話して。
 そうしてくれたら、貴方の抱える辛さも哀しさも、あたしが必ず一緒に受け止めてあげる。
 だってあたしはその為に……貴方の傍に居る事を選んだんだもの」


フィーの腕の中で、微かにアーサーが身じろぎした。

「……アーサー?」

首を傾けて彼の顔を覗き込む。

アーサーは大きく息を吐き出すと、彼女の腕から一旦身体を離した。
そして改めて、今度はアーサーの方からフィーを抱き締める。優しく、包み込むように―――

「―――ごめん、フィー。僕は忘れてた。ヴェルトマーの家名に捕らわれすぎて……君が、何もかも判った上で一緒に来てくれたんだって事を……」


フィーだけには、哀しい顔をさせたくなかったのだ。
どんなに辛い時でも、彼女の明るい笑顔を見ればアーサーは元気になれた。
決して彼女の笑顔を曇らせるものかと、フィーの前でだけは、どんな時でも泰然としていようと務めていた。だが―――

「馬鹿ね……あたしももう、ヴェルトマーの人間なのよ?」

小さな子供を叱るような口調で、抱かれた腕の中、彼の顔を見上げて小さく呟いた。

「……フィーには、きっと一生かなわないな」

思わず苦笑を浮かべたアーサーに。

「どうせあたしは気が強いわよ」

少し頬を膨らませたフィーの耳元で、彼は『違うよ』と囁いた。

「フィーが一番、僕の事を知ってるからだよ」

小さく耳打されたフィーは、はにかんだような笑みを浮かべた。

 


一度壊滅的な打撃を受けた大陸諸国が完全に復興するには、まだまだ長い時間が必要だろう。
だが、叶わぬ未来ではない筈だ。
代わる代わる襲ってくる、旱魃や流行病などの暗い話に混じって、吉報も次々と舞い込んで来つつある。

バーハラではセリス王が、先日王妃ラナとの間に世継に恵まれた。
一方フィーの兄であるシレジア王セティが、フリージ領主となった恋人のティニーを正式にシレジア王妃に迎えるべく動き出している。
二人は互いの継いだ国と領地の復興の為に離れて暮らしていたが、
何事にも一見我慢強く、穏やかなセティの方が先に、『これ以上は待てない』と言い出したのが言いえて妙だった。

フリージ領をバーハラ王家の直轄領として返上する手続きの調整なども、水面下でセリス王と進めている。
フリージ家の領地は一時バーハラの直接統治となり、兄夫婦の子が、いずれ継ぐ事になる筈だ。
恐らくは年内にも、ティニーはシレジアに嫁ぐ事になるだろう。
だがギリギリまで彼女には、この話は伏せておく事になっている。
『突然迎えに行って、驚かせたいんだよ』と、まるで子供のように無邪気な顔で兄は笑っていた。


ドズル家を継いだスカサハが、意外な才能で灌漑用水路の図面を引き、それを母方の故郷であるイザークのシャナン王に献上した。
シャナン王は諸手を挙げて喜び、早速イード砂漠を中心に灌漑用水路の整備に乗り出した。

ユングヴィ家を継いだファバルは、率先してどこよりも早く、戦乱で親を失った子供達を養育する施設を多数作った。

ヴェルダン王国を継いだ彼の義弟になるレスターと、エッダ家のコープルも彼に倣い、いち早く施設の整備を進めている。

イザーク王妃となったラクチェ、アグストリアのアレス王に嫁いだリーン、
新トラキア王国のリーフ王の王妃となったナンナも懐妊したとの報せが届いている。


「皆で幸せになるのよ。父様や母様の分まで」

そう呟いて、フィーはそっとアーサーの手を取ると、自分の下腹に当てさせた。

「皆で―――ね」
「フィー……もしかして……?」

期待と驚きの入り混じった顔で、愛しい妻の顔を見る。男性にしては色の白い頬が上気して、朱が差していた。

「春前には生まれるって。あたし達も、親になるんだよ」

ふふっと笑う、フィーの瞳は優しい。

「や…った……やったーーー!!」
「ちょ、ちょっとアーサー!?」


アーサーは思わずフィーを抱き上げると、そのままくるりと一回転した。
びっくりして目を丸くさせたフィーを下ろすと、もう一度彼女の身体を抱き締める。
優しく、彼女の身に新しく宿った命を確かめるように。

「ああ、絶対に幸せになるんだ、僕たちは。どんな事があったって君と、僕等の子が傍に居てくれれば乗り越えられる」

子供のように頬擦りして、アーサーは身体いっぱいで喜びを表した。

「いつだって傍に居るわ。どんな時も、ずっと一緒よ」

照れたような、でも幸福感に満ち足りた笑みで応えたフィーの声は、アーサーの胸に穏やかに染み透った―――

                                                                    【FIN】


あとがき

個人誌『まだ見ぬ君に逢う為に』から、加筆修正したSSです。
実はこの本↑が、FE聖戦のでは一冊目の本。そしてこのお話が、FE聖戦初の小説。
確か時間がなくて、ほとんど丸一日で考えて打ち込みした小説だったと思います(笑)
今後UP予定のセリス×ラナSSと微妙にお話が似通ってしまって、ちょこっとずつ手を入れて何とか区別化しようと苦労を。
薮蛇になってなきゃ良いんですが(^_^;)

フィーに子供が出来たと判った時のアーサーの反応ですが、多分、彼はああいう喜び方をしてくれると思うんですよ。
本当に心から手放しで、自分の子供と言うよりは弟妹が出来たようなノリで(笑)
いつまでもフィーとは親友同士のような関係のまま、子供に対しても歳の離れた兄弟のような関係になりそうです。
フィーに言わせれば、大きな子供が既に一人居るような感覚でしょうか(笑)
その生まれからすれば非常に砕けた性格をしているアーサーですが、ヴェルトマー公爵としての仕事もちゃんとしてるのですよ(^_^)

                                                                   麻生 司





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