そうね、どうせなら貧乏な人よりお金持ちがいいわ。
ウチは兄弟が多いから。
あたしと血が繋がってるのはお兄ちゃんだけだけど、
戦で親を亡くした子供たちを父さん達が引き取ったから、ウチには他に小さい子が五人居る。
その子達を立派に育て上げなきゃいけないんだから、甲斐性無しじゃ困るのよ。
顔?そりゃあ、ブサイクよりはオトコマエの方がいいに決まってるでしょ。
背はスラッと高くてね、それでもって素敵な声であたしの名前を呼んでくれたら、もう最高。
でも幾ら顔が良くてスタイルと声が申し分なくても、性格が悪いのは駄目よ。
やっぱり人間、一番大事なのはハートなんだからね!
Could you love such me?
あたしが解放軍に参加したのは、ほとんど成行きだった。
イード神殿に忍び込んで、何やら立派な一振りの剣を見付けたまでは良かったのよね。
ところがその直後、見惚れるようなオットコマエが『その剣を返せ!』って飛び込んで来たかと思ったら、
神殿の警備兵達にまで見付かっちゃって、もう少しでお星様になるところだった。
まさかあの時あの場所に、当の剣(バルムンクというんだそうな)の本当の持ち主―――剣聖オードの直系、シャナン様が居合わせるなんてね。
あたしだってお宝持って死ぬのはゴメンだったから、バルムンクを渡して、さっさとリターンリングで逃げて来ちゃったって訳。
ああ、こんな所で父さんの遺品が役に立つなんて。父さんの愛情のお陰で、パティは今日も元気です。
で、イード神殿からバルムンクを見つけ出し、シャナン様に返したのがあたしだってセリス様達に知れて、
結局そのまま解放軍とやらに同行する事になった。
お宝をくすねようとしていた盗賊としてではなく、お宝を見付けだして、本来の所有者の手元に返した功労者として。
……なんかちょびっと良心の呵責を覚えるけど、ま、いいか。
結果的にあたしが見付けたバルムンクでシャナン様は一難を逃れた訳だし、あれがバルムンクだったんなら、どうせあたしには使えないから。
聖遺物っていうのは、正統な継承者で無いと扱えないようになってるんだよね。
剣だと鞘から抜けなかったり、槍は継承者以外にはバカみたいに重く感じるらしいし。
魔道書に至っては関係無い人が見ても真っ白にしか見えないんだって。
ま、限られた人にしか使えないから聖遺物なんだろうし、その資格を持たなかったあたしにはどうでもいい事だ。
ところでこの解放軍だけど、実はコッソリいい所のお坊ちゃまや王子様が多いんだ。
同じ数ほどいい所のお嬢様や王女様も居るけど、この際問題なのはお坊ちゃま&王子様の方。
堅実で将来性のある恋人をゲットするには、この環境は復(また)と無い!
……あ、誤解しないでよね。あたしが将来性とか堅実とか収入に拘るのは、別にあたし自身が金に汚い訳じゃなく、生活の為なんだから。
そう、あたしには年端も行かない幼い弟妹を育てるという重要な役目がある。
生まれ育った村での収入だけでは覚束ないからと、お兄ちゃんは少し前に村を離れて出稼ぎに出た。
だけど直ぐに収入がある訳じゃない。だからあたしも、自分に出来る方法で稼ぐ事にしたの。
数年前に亡くなった父さんが、『知っていれば身を守る事も出来るから』と教えてくれた―――盗賊のウデで。
解放軍に参加する時、正直に盗賊稼業で稼いでいる事を話したら、セリス様やシャナン様達は正直微妙な表情になった。
ま、人様の懐から財布掠めて生活しているって聞いたら、普通そうなるのかな〜。
あたしはそういう時、卑屈にならない事にしている。
自分の行為が決して褒められた物ではないとは判っているけど、それはあたし達兄弟が生きていくには必要な事だったから。
亡くなった父さん達が引き取った孤児たちを養う為だと務めてケロリとした口調で話したら、セリス様達は更に複雑な表情になったっけ。
結局『程々にしておくように』という微妙なラインで暗黙の了解を取り付けた。
あたしも『仕事』は、他の仲間には気付かれないようやる事にした。あと出来るだけ身なりのいい奴を狙ってね。
自分と同じ苦労を背負った貧乏人の懐から失敬するほど鬼じゃないのよ……って、言ってて悲しくなってきたわ。トホホ。
悪い事をしてるという自覚はある。
『盗賊稼業なんて、どんな理由があったとしても決して人には認めてもらえない。
身を守る手段としてだけ憶えて、決して盗賊で稼ごうなんて思うな』
あたしに盗賊技術のイロハを教えてくれた父さんは、いつもそう言っていた。
父さんは今のあたしくらいの頃、盗賊として生きていた。
だけどそのお陰で、辛い目にも酷い目にもたくさん遭ったらしい。
子供たちには同じ苦労をさせたくないんだって言うのが、父さんの口癖だった。
だからハッキリ言って、盗賊稼業を始めるに至っては結構悩んだのよ。
幾ら生活の為とは言え、やっぱり人様の財布を掠め取る訳だし。
だけど少なくなっていく蓄えと底がすっかり見えるようになった小麦入れの壷を見ていたら、やっぱりあたしも何かしなくちゃって思ったの。
勿論、最初は地道に皿洗いとか賄い仕事で稼いでたんだけど……何処も不景気なのは変わらない。
労働に見合った給金をようやく手にしても、自分を含めて六人の育ち盛りの胃袋を満たすには到底足りなかった。
そうして二つ歳下の血の繋がらない弟に下の子供たちの世話を任せて、あたしも村を出た。
定期的に稼いだ生活費を持って帰る約束でね。
レンスター地方からイード方面へと流れて、最初に忍び込んだのが例のイード神殿。
以来あたしが稼いだお金は、解放軍に名を連ねる信頼の置ける人(オイフェさんの部下だから間違いない)にお願いして、
一ヶ月に一度の割合で生まれ故郷の村へと運んでもらってる。
当初連絡を入れるのが遅れたので村に残した弟たちには不安な思いをさせてしまったみたいだけど、
あたしが元気でやっている事が判り、しかも定期的に稼ぎが届けられるようになったので、今は安定した生活をしているようだ。
たどたどしい字で書かれたあたし宛の手紙によると、出稼ぎに出ていたお兄ちゃんからも何度か纏まったお金が届けられたらしい。
何とかいう公爵様に雇われて、傭兵として城に留まる事を命じられたんだそうな。
あたしと違って身動きとりにくそうだけど、無事ならまぁいいか。
傭兵やってるんなら、そのうち何処かで会えるかもね。
そうそう、最近解放軍の中に気になる人が居るんだ。
坊ちゃま狙いならセリス様だろうって?残念、ハズレ。
まあ、確かに最初はちょっといいかな〜と思って、イード神殿で見付けた勇者の剣をプレゼントしてみたりもしたんだけど、
セリス様は既に幼馴染のラナとイイ感じなんだ。
ラナは黄金色のフワフワした髪の女の子で、いつもニコニコしてるおっとりした雰囲気の優しい子。
あたしとも気が合うイイ子なんだけど、ただ優しいだけかと言えばそうじゃない。
あれで意外と言うべき時ははっきり物を言うし、セリス様もそんなラナの意見には耳を傾ける。
やっぱり小さい頃から一緒に育ってるからかな、あの発言力は。
普段はちゃんと解放軍の盟主としてセリス様を立ててるんだけど、いざと言うときは遠慮せず何でも言えちゃう間柄って事なのかもしれない。
そんなこんなで人の恋路を邪魔して馬に蹴られたくは無いから、セリス様の事はサッサと諦めちゃった。
じゃあ本命だったシャナン様かって?ちちち、それがそう甘くないのさ!
実はティルナノグ組(セリス様と子供の頃から一緒に生活して、解放軍を旗揚げした初期メンバー)の中に、シャナン様の従妹のラクチェって子が居てね。
ラクチェはずーっと、あたしなんか及びも付かないくらい昔からシャナン様の事が好きだったんだって。
それでもシャナン様の方が全くその気ナシならあたしも諦めないんだけど、これが満更でもなさそうなんだなー。
二人して剣の稽古なんか始めちゃうと、もう完璧に他人が入っていけない…いや、入ってはいけない二人だけの世界。
と言うわけで、やっぱり馬に蹴られたくないから諦めたってワケ。
ラクチェの双子の兄さん、スカサハも、流石はシャナン様の従弟だけあってよく見れば美形なんだけど……とりあえずあんまり性格が合わなかった。
とにかく真面目で、あんまり喋らないんだよね。あたしは相手が黙ってると気詰まりがする性質だから、まず合う訳がない。
あ、誤解の無いように言っとくけど、別にスカサハが嫌な奴っていう意味じゃないのよ?
ただあたしとは合わないなぁっていうだけで、口数は少ないけど面倒見は凄くいいし。
それにスカサハは、イザークで合流したっていうユリアの事が気にかかるみたい。
よくスカサハが彼女の傍に居るのを見るし、ユリアの方も生真面目(堅物とも言う)で、さりげない気遣いの出来るスカサハの事を頼りにしてるのが判る。
ユリアはどちらかと言えばか弱い(本当にあまり健康じゃないらしい。少し無理をすると、熱を出したり寝込んでしまったりするそうだから)女の子。
スカサハに限らず男の人ってのは、多分ユリアのような儚げな美人なら無条件で『守ってあげたい』って思うんじゃないのかな。
男の人に保護欲を抱かせるなんて、あたしにはまず無理。なにせ色んな意味で逞しく育てられたからねぇ。だからスカサハも対象外。
その人と初めて話したのは、解放軍に参加して数日後のこと。
ラナに伝言を頼まれて、本営になっていた幕屋にオイフェさんを探しに行った時だった。
幕屋に入ろうとしたら、出て来た誰かと出会い頭に思いっきりぶつかったのだ。
「うわっ!?」
「〜〜〜〜ッた〜〜〜〜い!!!」
あうう、目から星が飛んだ。視界がチカチカしてるぅ〜。
確かめずに入ろうとしたあたしも悪いけど、一体身体の何処に頭をぶつけたらこんなに痛いのよッ!
「ごめんよ、大丈夫?いきなり人が飛び込んでくるとは思わなかったから、咄嗟に避けられなかった」
「あたた……いや、あたしも確かめなかったから……」
謝罪の言葉は、随分上から聞こえて来た。
あたしがその場にしゃがみこんじゃったせいでもあるけど、ぶつかった相手はほとんど直角に背を屈めて手を差し出してくれている。
つまりよっぽど背が高いって事だ。
「転んだ弾みに何処か捻ったりはしてない?」
「うん……大丈夫みたい」
差し出された手を借りて立ち上がってから、一応足首とか手首を回してみる。
うん、別におかしな痛みは無いな。ぶつけたおでことお尻はまだちょっと痛いけど。
『そっか、良かった』とホッとしたように笑ったその人は、思ったとおりの長身の持ち主。思わずまじまじ見上げちゃった。
解放軍に参加する時に挨拶をしたオイフェさんやシャナン様、セリス様だってそれなりに高かったけど、この人も全く負けてない。
少なくともウチのお兄ちゃんよりはいい体格だ。多分、何年か前に亡くなった父さんよりも。
立ち上がって並んだ時の感覚と、前傾姿勢で勢いよく突っ込んだであろう自分の体勢を考えるに、あたしはこの人の腹筋にでも激突したのだろう。
……めちゃめちゃ固い腹筋なんだね。服の上からはスラッとして見えるけど、こりゃ相当鍛えてるに違いない。
「手、貸してくれてありがと。それとぶつかってごめんなさい」
「いや、怪我しなくて良かった」
一瞬恐そうに見えた切れ長の鳶色の瞳は、笑うと目尻が少し下がって温かい色になった。
スラッと高い背に、しっかり鍛えた身体。耳に心地良いよく通る声。
遠くからでも目立つ蒼い髪を少し長めに伸ばし、ラフに撫で付けるようにして後ろに流している。
……見かけだけなら、ハッキリ言って結構好みだ。つーかど真ん中だ。
それにこっちを怒鳴りつけるより先に、まず謝ってくれたところを見るに性格も悪く無さそうだし。
幕屋から出て来たって事は一般の志願兵じゃなくて、それなりにセリス様達と親しい人だと思うけど…こんな人居たかなぁ?
いけない、いけない。思わず見惚れて顔が緩む。ちょっとの間ぼーっとしてたあたしに、その人は更に声をかけた。
「セリス様に何か用事?今、レヴィン様と一緒に席を外してて居ないんだけど」
「あ……ううん、セリス様じゃなくて、ラナからオイフェさんに伝言頼まれたの」
『そっか』と呟き、彼は遮音と断熱の為に二重になった幕屋の一枚目の入り口を大きく開けてくれた。
「オイフェ様なら中に居るよ。出る時には、また誰かにぶつからないように気を付けて」
あたしが幕屋の内側に入ると、その人が入れ替わりに外に出る。
そりゃそうだ、向こうは外に出ようとしてあたしにぶつかったんだもんね。
「それじゃ」
「あ、待って!貴方名前は?」
きょとん、と彼が不思議そうな顔をした。
あう、流石にいきなり名前を聞き出そうとしたのはマズかったかなぁ。
でも解放軍も日に日に人が増えてるし、このまま名前も聞かずに別れたら、次に会った時には綺麗サッパリ忘れられてそうだったんだもの。
折角見付けたイイ男、このまま逃すのは惜し過ぎるッ!!!
しかし……あまりに短絡思考だったかしら。
どよーん、と後悔この上なかったあたしの上に、だけど予想外の優しい声が降ってきた。
笑っているようにも聞こえるのは気のせいじゃないだろう。ううう、呆れられなかっただけマシだい。
「俺はレスター。君に伝言を頼んだ、ラナの兄だよ」
「え、ラナのお兄さん!?」
そりゃビックリ。あれ、って事は、レスターもティルナノグ組って事?
だけどその割には、この何日間で一度も顔を見なかったけど……
「俺ともう一人、デルムッドって言うのが、隊を離れてしばらく前方偵察に出てたんだ。
さっき戻ったばかりだから、今まで顔を合わす機会がなかったんだろう。此処に居たのは、その報告」
あ、なーる……あたしだってほんの何日か前に解放軍入りしたばかりなんだから、それ以前に隊を離れてたら会ってる訳ない。
でもラナのお兄さんなら、これからも会う機会はあるよね。
あわよくばラナに協力をお願いする事も……あははは、あたしってば現金……
なーんて事を一瞬の間に考えていたあたしに、レスターはニコッと笑顔を見せた。
「じゃあ、俺も聞いてもいいかな?君の名前」
「え?あ……そっか」
相手の名前だけ聞いて、自分が名乗っていなかった事に今更気付いた。浮かれ過ぎだわ、あたし。
「あたしはパティ。生まれたのはレンスターの方だけど、今はちょっと訳あって出稼ぎ中なの。
解放軍には縁あって、何日か前から参加させて貰ってるんだ」
「訳あって?」
レスターが顎に手を当て、軽く首を傾げる。
うーん、あんましその辺詳しく突っ込まないで欲しいんだけどなー。
「うん、ウチ兄弟多いの。
血が繋がってるのはお兄ちゃんだけなんだけど、父さんが亡くなる前に、親を亡くした子を何人か引き取っててね。
下の子達も成長期だから、お兄ちゃんの稼ぎだけじゃ正直苦しくて」
「ああ……そうだよな。成長期ってのは、起きてるだけで腹が減るもんなぁ」
ありゃ、なんだか知らないけど納得してウンウンと頷いてるぞ。
もしかして成長期の空腹に経験があるんだろうか。
……案外いいとこの坊ちゃまや王子様も、このご時勢だから、あたし達と大して変わんない生活してるのかもしんない。
そう考えると、イマイチ夢もロマンも無いなぁ。
ま、いいか。この手の話を切り上げるのは、話題が逸れた今がチャーンス。
「じゃ、あたしオイフェさんに伝言伝えてくる」
「ああ、引き止めてゴメン。それじゃまたな、パティ」
「うん、またね」
『またな』って―――確かにそう言ってくれた。
社交辞令のただの挨拶かもしれないけど、それでも嬉しい。
あたしって、こんなに惚れっぽかったっけ?まだ会ったばかりの人だよ?
これまでにも気になる人を見付ける事はあっても、案外冷静に相手の周囲を見る余裕―――既に存在する『イイ人』とかね―――があったのに。
もしかしてあたしは、運命の人を見付けたのかもしれない。
予兆も前触れも無く、出逢った瞬間に恋に落ちるような、そんな相手を。
何だか物語の一節みたいな出逢いに浮かれていたあたしは、勝手に込み上げてくる笑顔を堪えきれず、
その後伝言を伝えたオイフェさんに大いに不審そうな目で見られる事になったのだった。
あたしが解放軍に参加してから秋が終わり、冬が過ぎた。
セリス様率いる解放軍は進軍を続け、イードに続いてダーナ、メルゲン、アルスターを落とし、
あのエルトシャン王の息子である黒騎士アレスと踊り子のリーン、アーサーの妹で魔道士のティニーが新たに仲間に加わった。
レンスターで防衛線を繰り広げていたリーフ王子と槍騎士のフィンさん、フィンさんの娘で僧侶騎士のナンナとも合流を果たし、
めでたく父親同士が無二の親友であった三人(セリス皇子、アレス王子、リーフ王子の事ね)が顔を合わせたことになる。
リーフ王子はともかく、アレスは―――本人が『別に様付けなんぞしなくていい』と言ったので遠慮なく呼び捨てだ―――
まだ少しセリス様と打ち解けきれてないみたい。
本当の本気でシグルド様の事を親の仇と思ってる訳ではないんだろうけど、
(アレスのお父さんのエルトシャン王を殺せと命じたのは主君だったシャガール王で、正式な記録が残ってて間違いないらしい)
もしもシグルド公子とエルトシャン王が親友で無かったら、そしてもしもあの時シグルド様の率いる軍隊がアグストリアに滞在していなければ、
お父さんが死ぬ事も無かったって考えたらやりきれないんだろう。
でも父親同士が親友だったという事実は今更変えようがないし、
あの時シグルド様の軍がアグストリアに滞在していたのも、グランベル本国の命令だったという。
全ては軽率で愚かだったシャガール王のせい。
シャガール王が要らぬ野心など抱かなければ、そしてエルトシャン王を信じ、その苦言に耳を傾けていれば、
少なくともあの最悪の悲劇だけは避けられた筈だと、今でもオイフェさんやフィンさんは言う。
特にフィンさんの奥さん―――つまりデルムッドとナンナのお母さん。この二人が兄妹だったと言う事実にも驚いた―――は、
エルトシャン王の異母妹であるラケシス王女だったとかで、憤りも強いらしい。
誰よりも信頼し敬愛していたお兄さんを、裏切り者として殺されたラケシス王女の憔悴ぶりは、それは酷いものだったのだそうだ。
このままではラケシス王女まで心労で死んでしまうんじゃないかと皆が心配していた時、
王女を傍で励まし、支えたのがフィンさんだった…という事だそうで。(この辺の話はオイフェさんや、当時まだ子供だったシャナン様に聞いたんだけど)
不幸な運命が本来なら身分違いで叶う筈もなかった王女様と騎士の恋を実らせたとするなら、
せめてもそれがまだ神様の慈悲って奴だったのかもしれない。
だってそうでなきゃ、もしかしたらデルムッドもナンナも生まれてないかもしれないんだもんね。
セリス様は、とにかくアレスが仲間になってくれた事を喜んだ。
わだかまりや誤解は、ゆっくり時間を掛けて解していこうと考えているようだ。
セリス様とアレスだけなら難しいかもしれないけど、二人が手を取り合う事を望んでいるリーフ王子がきっと橋渡しをしてくれるだろう。
そして何より、当時の事を知る生き証人が解放軍には存在している。
レヴィン様やオイフェさん、フィンさん、シャナン様から話を聞けば、きっといつか心から判り合える日が来るよ。
レンスターに入ってしばらくして、あたしの生まれ故郷である村が随分近くになったある日。
―――事態は風雲急を告げた。
「まずい事になった」
偵察と、その報告から戻ったレスターが、あたしやラナの所にやって来て渋い表情を浮かべる。
レスターは弓を持たせて戦場に出したら人が変わったようにキリッするけど、普段は少し天然が入った、基本的にポジティブシンキングの人だ。
だから滅多に弱音や愚痴は言わない。だけど今日はそうも言っていられないようだ。
「しばらく前からブルームが雇っていた傭兵なんだが、これが恐ろしく腕の立つスナイパーらしい。
その情報自体はこちらも随分前に掴んでいたんだが、アルスターを追われてコノートまで退いたブルームが遂にその傭兵に出撃を命じた。
奴は既にコノートを出てこちらに向かっている。一両日中にも接触する事になるが、まともにやり合ったらどれだけの被害が出るか……」
レスターの表情も険しいまんまだ。
弓兵って言うのは相手に懐に入り込まれると迎撃のしようがないんだけど、
(弓ってあくまでも長距離武器であって、弓で直接ドツかない限り近接武器にはなり得ないから)
その代わり先制する事さえ出来ればかなり優位に戦闘を進める事が出来る。
こちらが弓兵を迎え撃つ場合一気に近接して叩いてしまうか、同等の射程を持つ弓兵か魔道士、または手槍を使える騎士を相手に据える事になる。
槍だけならフィンさんやフィーも使えるけど、フィンさんはレンスターの守備を指揮しなきゃいけないし、天馬に弓は天敵だから前に出す訳にはいかない。
となると残りは魔道士か、同じ弓兵なんだけど……
ん、待てよ……ブルームって、何処かで聞いたような……?
えーと確か随分前にお兄ちゃんの寄越した手紙にその名前があって……
そうそう、ついこの間村に残った弟妹達に生活費を届けた時にもその名前が出たっけ―――って、ちょっと待った!!!
「……ブルームの雇った傭兵って……あたし、知ってるかもしんない」
「何だって?」
「どういう事なの、パティ?」
レスターとラナが目を丸くしてあたしを見る。
ははは、あたしも驚いたよ。まーさーか、こんな形でお兄ちゃんと再会する事になるなんてねぇ。
「えーと、多分ソレ、あたしのお兄ちゃんだと思う。
前に手紙に書いてきてたし。ブルームって名前の公爵に雇われた……って」
本当はね、もっと地味な仕事で稼ぐつもりだったらしいのよ。せいぜい村の用心棒とかさ。
でもお兄ちゃんは、誕生日が来てない事もあってまだ十五歳。
幾ら腕の立つ弓使いだからって、流石に十五歳では用心棒として雇ってもらうのは難しい。
用心棒って、わざと強面を立たせて厄介ごとを遠ざけるのも仕事の内なのに、子供がその用心棒じゃ相手に舐められるもんねぇ。
だから仕方なく村を出て傭兵になる事を選んだんだ。
傭兵なら、歳が若くても腕さえ立てば雇ってもらえる。実績を示せば報酬も多くなる。
日に日に父さんが生前遺してくれた蓄えが減っていくのを目の当たりして、お兄ちゃんは母さんから受け継いだ弓で稼ぐ事を決心したんだと思う。
「なんせお兄ちゃんが母さんから受け継いだ弓っていうのが、当の本人達しか使えないような代物でね。
お兄ちゃんがその弓を引く事が出来るっていう事実だけで十分に価値があるんだって、亡くなった父さんも言ってた。
イチイバルっていう偉そうな、由緒正しい名前があるらしいんだけど―――」
その名を口にした時、サッとレスターとラナの顔色が変わった事をあたしは見逃さなかった。
「え……何、どうしたの?二人してそんなビックリした顔して……」
「パティ、君の兄さんの持つ弓がイチイバルという名なのは確かか?」
ええーん、レスターが戦場に出た時と同じ顔してるよぅー。あたし、なんかマズイ事言ったのかなぁ。
もしかして父さんってば母さんを口説く為に、
レスター達のお父さん(レスターの父さんも弓兵だったらしいから)からイチイバルを盗んだんじゃないでしょうねぇ?
「う、うん……間違いないよ。その弓、あたしや父さんには引けなかったんだ。持ちあげるだけでもメチャメチャ重くて。
でも母さんとお兄ちゃんだけは普通の弓と全く変わらずに引けたんだけど。
……あの、もしかしてイチイバルって、元はレスターとラナのお父さんの弓だったりする……?」
実は、それを確かめるのは諸刃の剣だった。
だってもし『そうだ』って言われたら、一体その弓をどうして母さんが使ってたのかって事になる。
もしかしたら単に正統な持ち主から譲られただけかもしれないけど―――かつて盗賊だった父さんなら、万が一という事もある。
そんな事を、疑いたくなんてなかったけど。
内心心臓が飛び出しそうなほどドキドキしていたあたしは、
だけど『お母様の名前は?』という慌てたようなラナの言葉に、『へ?』と間抜けな声をあげた。
「へ……母さんの名前?」
「教えて、大事な事なの。数年前に亡くなったというお父様の名前も」
母さんだけじゃなく、父さんの名前も…?
あたしは思わずレスターを見たが、彼も黙って頷いた。話してくれって事なんだろう。
ええい、一体何だってんだ!?
「父さんはデュー、母さんはブリギッドよ。
父さんは三十前に流行病で亡くなったけど、母さんはあたしが物心ついた頃に突然居なくなった。
亡くなる直前まで父さんは母さんの事探してたけど、今もまだ見付かってない」
レスターとラナは視線を交わすと、『間違いない』と呟いて頷きあった。
あの、もしもーし?話が全く見えないんですけどー??
「……ねえ、何が間違いないって?」
やっぱり貴方たちは、イチイバルの本来の所有者のお知り合いなんでしょうか…?
ああもう、あんな弓大嫌いだー!!ついでにこれでレスターに嫌われたら、父さんも母さんも恨んでやるーーッ!!
……と息巻いていたあたしの心中とは裏腹に。
「どうやら俺とラナ、そしてパティと君の兄さんは従兄弟同士らしいよ」
「へぇ……………って、えええッ!!?」
思いもかけなかった事実を知らされ吃驚したあたしの前で、レスターとラナも困惑交じりの笑顔を浮かべて見せたのだった。
犬も歩けば棒に当たるというけど、孤児(似たようなもんだ)が歩いていたら親戚にぶち当たるもんなのかしら。
なんとレスターとラナのお母さんであるエーディンという人が、あたし達兄妹の母さんの妹なんだそうだ。
今まで親戚なんて居ると思ってなかったから考えもしなかったんだけど、
つまりレスターとラナは、あたしとお兄ちゃんにとっては母方の従兄姉になるらしい。
エーディン叔母様と母さんの生家はグランベル六公爵家の一つ、弓使いウルの血を今に伝えるユングヴィ家。
ははは、よく考えてみればおかしな話なんだよね、母さんとお兄ちゃんしか引けない弓なんてさ。
ユングヴィ家の当主に代々受け継がれる聖遺物を使う事の出来る母さんとお兄ちゃんは、紛う事無くウルの直系―――
聖弓イチイバルは間違いなく、母さんとお兄ちゃんが受け継ぐべき物であった事がはっきりと証明された。
……父さん母さん、一瞬でも過去の素行を疑ってゴメンなさい。
エーディン叔母様は今もティルナノグでお元気にされているから、レスター達は子供の頃からウチの母さんや聖弓イチイバルの事、
そして恐らくは母さんを射止めた筈の父さんの事も聞いてたんだって。
叔母様はバーハラへは出征せず、二人の子を連れてオイフェさんやシャナン様と一緒にシレジアからイザークに逃れたから、
当時母さんを慕っていた父さんが、本当に母さんと一緒になったのかどうかは判ってなかったらしいんだけど。
レスター達が伯父だと聞かされていた『デュー』という名をあたしが口にしたから、絶対間違いないって事になったんだそうな。
―――と言う訳で、急遽セリス様達と情報と事実の交換が行われ、あたしがお兄ちゃんの説得に行く事になった。
「ごめんねぇ、貧乏クジ引かせて」
「別にいいさ、このくらい。ただ俺が敵でないって事を、早く兄さんに伝えてくれよ?
パティを人質に取って投降を迫ってるなんて誤解されて、イチイバルで射られたら堪らない」
あたしはレスターの腰に掴まりながら、鞍の後ろにちょこんと座っていた。
解放軍の本隊とお兄ちゃんが接触する前に交渉する事になった為で、あたしを接触可能な場所まで運ぶ役目をレスターが引き受けてくれたのだ。
これから大事な役目がある事は判っているんだけど、レスターの馬に一緒に乗せて貰って、
しかも公然とくっ付いていられるこの状況はかなり嬉しいかも。えへへ。
……ハッ、いけないいけない!緊張感無いぞ、あたし!!
「お兄ちゃん、弓兵だけあって眼はいいんだよね……んじゃ、その眼の良さを逆手にとって気付いて貰おうかな。
レスター、ちょっとゴソゴソするけどこの子が暴れないようにしっかり手綱持っててね」
「おい、何する気だ。パティ?」
『こうするんだよーん』と呟きながら、あたしは馬の腹を蹴らないように注意しつつ両足を引き上げると、そっと鞍の上に立った。
身の軽さと手先の器用さはバッチリ父さん譲りなんだよね。
おー、流石に馬の背の上に立つと世界が違って見えるわ〜。背の高い人って、他の人のつむじが見えるもんなのね。
「まるで曲芸だな。無理するなよ」
「えー、無理じゃないよ?ちゃんと危なくないように、レスターが馬を操ってくれるから出来るんだもん」
「努力はするが……ちょっとでも重心ずらしたら保証出来ないぞ」
背に乗せたあたしが予想外の動きをしたので、確かに馬は少し神経質になってるようだった。
子馬の頃から可愛がって育てて来た馬だから主人のレスターの言う事は良く聞く子なんだけど、それでもさっきからちょっと落ち着きが無い。
レスターが首筋を撫でたり、声を掛けたりして何とか暴れないようにしてくれてるけど、そう長くは保たないだろう。
一度何処かに身を隠して、お兄ちゃんの姿を確認してから堂々と姿を見せた方がいいだろうか。
そう思った矢先―――ずっと先の街道脇にある岩場の陰で、チカリと何かが光った。
……あの光を、あたしは知ってる。うんと子供の頃からずっと傍で見続けて来たあの輝きを、あたしが見間違える訳が無い!
すう、と大きく息を吸い込むと、レスターの肩に掴まって身体を支えながら、もう片方の手を大きく頭上で振って見せた。
「お兄ちゃ〜〜〜〜ん!!この人は敵じゃないから、イチイバルを下ろして〜〜〜ッ!!!」
声の限りに叫んだ事で、ビクッと足元の馬の背が震えてヒヤヒヤした。
危うく放り出されかけるところを、辛うじてレスターが手綱を引いて押さえ込む。
イチイバルの光が消えたのを確認したあたしは、馬の背を降りるとその場で両手を振った。レスターも馬を下りてあたしの隣に並ぶ。
それから間もなくして、やっとあたしの目にも見慣れた黄金色の頭が見えた。
おーおー、状況が飲み込めなくて思いっ切り眉間に皺が寄ってるよ。
「本当にパティか!?」
「こんなに可愛い妹を、半年ほど会わなかっただけで忘れちゃったの!?」
距離を置いたままでの相手の確認というのは、傍から見てると酷く滑稽だ。
よく似た替え玉で敵の目をごまかして、近寄って来た所を騙まし討ち……なんて、珍しくも無い話だから慎重にもなるってもの。
とにかくあたし達は距離を取ったまま村に残して来た兄弟達の名前やら、子供の頃の恥ずかしい話などを暴露しあって、互いを本物だと確かめたのだった。
いろいろあって今は解放軍に参加しているというあたしの説得に、お兄ちゃんは面食らいつつも、応じて寝返ってくれた。
まあ交渉に失敗するとは思ってなかったけどね。
しかし本当に問題だったのはお兄ちゃんの寝返りを見届けた後の事で、
実はほとんど間を置かず、『あの』雷神イシュタルがコノートから出撃していたのだ。
レスターの報せでお兄ちゃんが無事解放軍に寝返った事を知ったシャナン様とアレスが援護に駆けつけてくれたお陰で、
あたし達は辛うじてイシュタルを退けるのに成功した。
それにしても弓使いウルの直系であり聖弓を持ったお兄ちゃんと、
魔法騎士トードの直系でありトールハンマーを正式に継承したイシュタルの波状攻撃。
……怖い、怖過ぎるッ……!!!
まともに解放軍がこの二人と接触していたら、絶対何人か犠牲が出てた筈だ。
ああ、ブルームの雇った傭兵がお兄ちゃんだって早めに気付いて本っっ当に良かった……!!
「へぇ……お前達が俺らの従兄姉とはねぇ」
それがレスターとラナを『あたし達の従兄姉だよ』と紹介した時の、お兄ちゃんの第一声だった。
「ええー、それだけ?もっとこうええぇーッ!!?とか、どひゃー!?とかいう感動は無いの?」
「それの一体、何処が感動なんだ。ただ驚き方が大袈裟なだけだろうが」
呆れたような顔で、お兄ちゃんの指があたしの額をベシッと弾く。
お兄ちゃんの弓を引きなれた指で弾かれたら痛いんだからね。もうちょっと手加減してよ。痣になっちゃうじゃない!
レスターとラナはあたし達の間で困ったような表情を浮かべてたけど、こんなのいつもの事だから気にしない気にしない〜。
挨拶の握手を交わした後、しげしげとお兄ちゃんを眺めていたレスターが、ふと声をかけた。
「ところでファバル、お前母親似だって言われないか?」
「俺か?……そう言えば親父は、どっちかっつーとパティより俺の方がお袋に似てるって言ってたかな」
「ははは、やっぱりな。何となくそんな気がしてた。お前には俺の母の面影があるから」
は、なんじゃそりゃ??
「ああ、まだ言ってなかったっけ?俺とラナの母は、パティとファバルの母さんとは双子の姉妹なんだ。
僧侶になった母と、イチイバルの継承者だった伯母だから雰囲気は随分違ったそうだが、顔立ちだけなら瓜二つだったらしい」
あーなるほど、双子なら在り得るか。
母さんは村一番の器量良しだって評判だったし、その母さんと瓜二つって言うんだからエーディン叔母様も美人なんだろう。
だけど従弟(つまり男)に自分の母親の面影があるってのも妙な感覚よねぇ。
「……あれ、そう言えばラナとレスターは、兄妹でもあんまし似てないよね?」
「私はどちらかと言えば父親似だから」
ラナが自分の髪を一房摘まんで、苦笑いする。
髪の色は母親譲りらしいけど、顔立ちとか瞳の色はお父さん似なんだって。
「ふーん、そうなのか。
あたしも髪の色は母さんに似たけど、顔立ちや目の色、性格は若い頃の父さんそっくりって言われるんだよね。
ん、でも待てよ……って事は、父親似のラナと似てないレスターはお母さん似って事?」
でも同じく母さん似のウチのお兄ちゃんと似てるかと言えば、似てるような似てないような……
いや待て、レスターのあの目立つ蒼髪が金髪だったと考えたら……やっぱし似てるのか??
顔に出てたんだろう。軽く後ろに流した髪を手で撫で付けながら、レスターがその疑問に答えてくれた。
「髪の色が父方の祖父譲りなもんで、パッと見判らないらしいけど。
子供の頃は確かに母親似だって言われてた」
んじゃ、その母親似のレスターも美人って事か。
そう言えばスッと通った鼻筋とか、弓を持ったらキリッとするのに普段は優しそうな目とか、案外長い睫毛とか二重瞼とか確かに綺麗じゃないか。
……ふ、ふん!!悔しくなんかないぞ。悔しくなんか……ッ
「ま、今更お前が父親似だって事はどうにもならないから諦めろ。父さんだって別にブサイクだった訳じゃないんだし?」
ポムポムとお兄ちゃんがあたしの頭を慰めるように叩く。だーかーら、悔しくないってば!
こらレスター、『仲良いなぁ、ははは』なんて呑気に笑ってんじゃないわよ!誰のせいだ、誰の!!
ううう、何度も否定してる内に何だか本当に泣きたくなってきた。
父さん、あたしはいつか母さんみたいなイイ女になれるかなぁ……
「それにしてもお兄ちゃん、レスター達の事、あんまり驚かないんだね。
血が繋がってるのはもうお兄ちゃんだけだと思ってたのに、レスターやラナだけじゃなく、エーディン叔母様もまだお元気でティルナノグに居るって聞いて、
あたしはめちゃめちゃビックリしたんだけど……お兄ちゃんは大袈裟だって言うけど、親戚がこんな身近に居たなんて、驚いて当然でしょ?」
「まぁ、知らずにずっと一緒に居て、ある日突然その事実を知ったら流石に驚くわな。
でも俺は、一応母さんの実家の事は父さんから聞いてたし」
……へっ!?
驚いたのはあたしだけじゃなく、レスターも『そうなのか?』って思わず聞き返した。
「え?ええっ??じゃあお兄ちゃん、母さんの事やレスター達の事、知ってたの!?」
「まあ、ザッとだけど。母さんがグランベル六公爵家の一つ、ユングヴィ家の直系だって事。
俺も一応その血を引いている事。この弓が聖弓イチイバルだという事。
母さんにはエーディンって名前の妹が居て、少なくとも従兄姉が二人居る筈だ……ってくらいかな。
とは言えその叔母や従兄姉の消息は全く判らんし、今更公爵だなんだって言ってもどうにもならないから、お前には話してなかったんだ」
それだけ知ってたら十分だよ……
でも父さんってば、何であたしにはそういう事、話しておいてくれなかったのかな。
だって予め知ってたら、すぐには何も判らなくても、あたしだってその親戚の消息を確かめながら旅をする事が出来たのに。
そしてそう出来ていたら、レスターやラナが従兄姉だって事がもっと早くに判ったかもしれないのに。
「パティ、ブリギッド伯母様もデュー伯父様も、きっと貴女には余計な重荷を負わせたくなかったのよ」
「重荷?」
あたしだけが何も知らなかった事にショックを受けているのを察して、ラナが気遣うように声をかけてくれた。
「……かつてシグルド様に味方しながら生き延びた者に対しては、今でも懸賞金が掛けられているわ。
その咎めは親だけに止まらず、子にまでも及ぶ事がある。
だから伯父様も叔母様も、貴女には本当の事を伝えなかったんじゃないかしら。
親しい人にまで自分の素性を隠したり嘘をつく事を強いるくらいなら、いっそ知らないままで居る方が幸せだから…って。
逆にファバルにはイチイバルと、直系の証である聖痕を隠す必要があったから、本当の事を話さない訳にはいかなかったのよ」
そっか……知っているという、ただそれだけの事が、あたし自身を苦しめたかもしれなかったんだ。
だから父さん達は、敢えてあたしには何も伝えなかった。
あたしは聖戦士の末裔ではあるけど、お兄ちゃんと違って直系ではないから、上手くすれば何も知らないまま平穏な一生を過ごせるからと。
ぽん、とレスターの手が優しくあたしの肩を叩いてくれた。
「いい父さんと母さんだったんだな」
「……当たり前だよ、あたしの父さんと母さんなんだから」
スン、と鼻の奥が痛くなる。
あ、ヤバイ。ちょっと泣きたいかもー…
「風が出て来たな。目に砂埃が入らないように気をつけろよ」
「―――遅いよ、もう入っちゃった」
あたしの目から、一粒、二粒涙が零れ落ちる。
だけどレスターがさり気なく砂埃の話をしてくれたから、他の人は気付かなかった。
レスターの大きな手が、ぽむぽむと小さな子を宥めるようにあたしの背を叩く。
子供扱いされてるようで微妙な気分だったけど、あたしは彼の身体を陰にして、少しの間泣かせてもらったのだった。
「おい、パティ」
ぎっくぅ。
その日の夜、野営地で炊き出しの後片付けをしていると、不意に聞き慣れた声で呼び掛けられた。
振り返らなくたって判る。ひーん、お兄ちゃんの声、めちゃめちゃ怒ってるよー。
「えーと……何の御用でしょう?」
たらりと冷や汗をかきつつ振り返った先には、案の定、不機嫌そうに眉間に皺を刻んだお兄ちゃんの姿。
あたしは一緒に片付けをしていたナンナとリーンに断ると、『場所を移すぞ』と手で合図してその場を離れたお兄ちゃんの後を追った。
お兄ちゃんは、皆が集まってる野営地からは少し離れた林の中であたしを待っていた。
篝火の灯りやざわざわとした賑やかさは届くけど、何を話しているかまでは聞こえない。
それはあたし達の話も、向こうには聞こえないって事だ。
「……で?」
「『で?』じゃないだろう。何で村に居る筈のお前が、解放軍に居るんだ?」
想像とは違い、いきなり雷を落とされる事は無かった。
とりあえずあたしが元気にしてたから、安心の方が勝ってるのかもしれない。
愛想とか愛嬌とかに無駄な労力を割かない性格だから誤解され易いけど、お兄ちゃんはこれで案外心配性だったりするんだよね。
「だって……あたしも、何かしたかったんだもん」
不貞腐れたように唇を尖らせて、あたしは足元の小石を蹴った。
「何かって……剣は十人並み、弓はからっきしのお前に、一体何が出来るって言うんだ?
大体お前にまで危ない仕事をさせない為に俺が村を出たのに、意味無いだろうか」
「それでもお兄ちゃんに全部任せて、あたしだけ村でじっとしてるなんて出来なかったんだもん!」
即座に言い返したあたしに、お兄ちゃんはちょっと驚いたようだった。
そうだよね。昔からあたし、よくお兄ちゃんに突っかかっては行ったけど、お兄ちゃんが本気で怒った時は口答えしなかった。
だけどね、あたしもいつまでも子供じゃないんだよ。
「少しでも多く稼いで、お兄ちゃんの負担を軽くしたかった。そして村で待つあの子達に、お腹一杯食べさせてあげたかった。
だから―――お兄ちゃんが村を出て、あたしもすぐに村を出たの」
お兄ちゃんが、はぁ、と諦めたような溜息を漏らす。
「……村を出た経緯は判った。それで、解放軍には何処で?」
「えーと……あたし、まずイード神殿に行ったんだよね。其処で」
「イード!?」
その名を聞いて、お兄ちゃんはギョッと表情を強張らせた。
「お前……あそこがどんな場所か、判って行ったのか?
あそこはな、随分前からロプト教団の拠点になってて、山賊も避けて通る闇魔道士の巣窟なんだぞ?」
「ごめん、知らなかったから行けた。
たまたま村に寄った隊商からあそこにはお宝があるって聞いて、それで」
はぁぁぁあぁぁぁーーーと、今度は豪快に呆れたような溜息をつかれてしまった。
「よくもまぁ五体満足のまま戻って来れたもんだ……」
「ははは……それはこの父さんの形見のリターンリングと、偶然同じ日、同じ時間に神殿に忍び込んだシャナン様のお陰」
今も腕にしている、凝った意匠の腕輪を指差して見せる。
これは父さんがずっと大切にしていたもので、流行病で亡くなる少し前にあたしが譲り受けたもの。
シャナン様が闇魔道士達の注意を引いてくれてる間に、あたしはこの腕輪に込められた帰還魔法の力で神殿からの脱出に成功したのだ。
その後、闇魔道士達を斬り伏せて脱出して来たシャナン様に一目惚れ―――
もとい、解放軍への参加を勧められ、そのまま一緒に旅をして来たのだと説明した。
「ある程度纏まったお金が出来たら、オイフェさんの部下の人にお願いしてその都度村に送り届けて貰ってたの。
毎回村に残した皆の手紙を持って帰って来てくれるから信用出来るし、この前近くまで行ったついでにあたしも一度見て来た。
全員ちょっと見ない間に随分背が伸びてたよ」
背も伸びてたし、顔色も良さそうだった。
上に背が伸びるだけの栄養が足りてて、血色もいいなら言う事ない。
あたしとお兄ちゃんが居なくなった後も、村の皆で子供たちを気遣ってくれているのが良く判る。
『心配ないよ』と笑うあたしに、だけどお兄ちゃんは渋い顔のままだった。
「―――お前、『アレ』で稼いでるんだな?」
ふい、と思わず視線を逸らしたけど、そんな事で誤魔化せるくらいなら苦労しない。
寧ろあたしが視線を逸らした事で、自分の考えが正しかった事をお兄ちゃんは確信しただろう。
お兄ちゃんはもう一度小さく溜息をついた。
「やっぱりな―――いくら解放軍に参加したからって、そんなに度々纏まった金が手に入る訳が無い。
自分の剣一つ手入れするのにだって金が掛かる。
お前が村を出て約半年―――その間、何度村に金を送ったかは知らんが、少なくとも配当金以上にお前が稼いでいたのは間違いないと思ったんだ」
「―――仕方ないじゃない。
こんなご時勢で、身軽な事と手先が器用な事くらいしか取り得の無いあたしが稼ごうと思ったら、盗賊になるのが一番手っ取り早かったんだから」
例えばあたしの背がもう少し高くて、もうちょっとだけグラマーだったなら、例えばリーンのような踊り子になったかもしれない。
リーンはすらりと手足がほっそり長いから、踊ると実際の身長以上に(それでもあたしより手の平二枚分くらい高いんだけど)背が高く見栄えがする。
それに案外、細身だけどあれで出るところはちゃんと出てるんだ。
もっともリーンの踊りにうっかり鼻の下なんか伸ばしてやましい想像なんかした日には、アレスが恐くて暗い所を一人で歩けなくなるけどね。
アレスって普段はすっごくクールなのに、彼女が絡むと驚くほど速やかに人が変わる。
さり気ないんだけど、傍で見てるこっちが照れてしまうような互いへのラブラブっぷりに、正直初めて目の当たりにした時は随分驚いた。もう慣れちゃったけど。
リーンは稼ぐ為に踊ってる訳じゃないけど、勿論稼ぐ為に踊ったって罰は当たらない。
寧ろ稼ぐ事を目的にしていないリーンの方が珍しいのであって、世の踊り子達の多くは自分の美貌と肢体と踊りを売り物にしているのだから。
踊り子として稼ぐ事を堅実と言うかどうかはさておき、少なくとも稼ぐ為に戦場に出る必要が無いという点で、遥かに盗賊より安全だった。
容姿に優れていれば、近隣に住む貴族の屋敷に下働きとして入るって手もある。
掃除や洗濯をするのに顔は関係無いと思うけど、大概そういった所に雇われるのは器量の良い子ばかりだから。
纏まった額の、定期的な収入を望むのであればこれが一番確実だ。
惜しむらくは、そう言うお屋敷では何処の誰とも知れない人間はなかなか雇ってもらえないという現実と、身持ちの問題。
……仕えていた主人に乱暴されて、望まない子を身篭ったなんて話、幾らでもある。
皆が皆そうではない事も事実だけど、ある程度の覚悟が必要なのも確かだった。
あたしだって、もっと堅実な稼ぎ方があったらそれを選んでたわよ。
皿洗いでも芋の皮むきでも、直ぐに纏まったお金になるならそれでよかったの。
だけどいつかレスターが言ったように、成長期の子供たちは起きてるだけでもお腹が空くし、僅かに残っていた蓄えは見る間に減っていく。
完全に底が見えるようになった穀物入れを見て、あたしはその日の内に村を出る事を決めた。
「お兄ちゃんが村を出たすぐ後、小麦なんかの作物の値段が上がったんだよ。
父さんが遺してくれたお金は、もう本当に最後の最後の蓄えとして出来るだけ置いておきたかったし、
お兄ちゃんの稼ぎだって、いつ、どの程度入ってくるか判らないじゃない。だからあたしも稼ごうと思ったの」
「例えそうだったんだとしても―――」
お兄ちゃんは、苛立たしげに小さく舌打ちをした。
「全く……あれ程父さんが、決して手を出すなと言っていたのに。お前はみすみす自分の人生を棒に振る気か?」
「え……」
他人の懐から財布を掠め取る盗賊が、大きな声では言えない稼業である事は判ってる。
でも其処に『人生』という言葉を引き合いに出されて、あたしはハッと一欠片の氷を飲み込んだような感覚を覚えた。
「レスターの事―――好きなんだろ?」
「……お兄ちゃんには関係無いでしょ」
うっ……相変わらず鋭いッ……!それともあたしが単純なだけなんだろうか。
お兄ちゃんはあたしの考えを見透かしたかのように、指でパチンとあたしのおでこを弾いた。
「お前は判り易過ぎるんだよ。表情から態度から丸判りだ。
それで、あいつの方も……つまり、そういう事になってんのか?」
ふるふると、あたしは力無く首を横に振る。
残念だけど―――あたし達は、まだそんな関係じゃない。
「ううん……あたしがただ、後ろをくっついて回ってるだけ。お兄ちゃんが考えてるような、そんなもんじゃないよ。
親切にしてくれるし、嫌われてもいないと思うけど……レスターは、皆に優しいから」
『だろうな』と、お兄ちゃんは小さく呟いた。
「あいつがいい男だってのは、会って間もない俺でも判る。
さっきも少し話す機会があったが、前向きで陽気な良い奴だ。
でもな……だからこそパティ、本気であいつの事が好きなんだったら―――嘘をつかずに全部話してしまえ」
「全部……話す……?」
あたしが、盗賊だと言うことを?
戦場で敵からお金を掠め取って、それで兄弟たちを養っていた事を?
その全てを……?
父さんそっくりの緑色の瞳を、あたしは呆然と瞬かせた。
「父さんはいつもお前に言ってた筈だ。『生きていく為』なんて理由をつけたって、世間は盗賊なんて認めてくれない。
何をどう言い繕たって、盗賊だったという過去を消す事は出来ないのだと」
そう―――だから父さんは、あたし達の親になるって決めたその時から、きっぱりと盗賊から足を洗った。
あたしやお兄ちゃんに好きな人が出来た時、『父さんは盗賊です』なんて、格好悪くて言えないだろう?……そう、言って。
「……だがお前は、既に盗賊として戦場に出た。そして幾ばくかの稼ぎを得て兄弟を養ってた―――もうその事実は消せない。
だけどお前があいつの事を本当に好きで、これからも傍に居て自分の全てを受け容れて貰いたいのなら、絶対に嘘をつくな。隠し事をするな。
全部話して、その上であいつに判断を委ねろ。それが出来ないんなら―――あいつの事は諦めるんだな。
多分それが、誰にとっても一番幸せだ」
頭の中で、鐘が鳴ってるみたいだった。
―――盗賊になる事を選んだあたしは、レスターを……ううん、他の誰も好きになってはいけなかった……?
判っていた筈の事なのに、改めて冷たい現実を目の当たりにして身が竦む。
目の前で、あたしを取り巻く世界の全てが音を立てて壊れたような気がした。
しばらく考えろと言い残して、お兄ちゃんは一人で皆の所に帰って行った。
どうするのか。
どうしたいのか。
どうしたらいいのか。
諦めなくちゃいけないかもしれないと思った時、初めてハッキリ判った。
あたし、こんなにレスターが好きだったんだ。
明るい笑顔も、優しい声も、大きな手も、弓を手にしたキリッとした顔も……全部全部、大好きだった。
―――だけど、やっぱり好きになっちゃいけなかったのかな?
『お前たちに好きな人が出来た時、自分の父親は盗賊です―――なんて、格好悪くて言えないだろ?
だからお前たちの父さんになるって決めたその時から、盗賊稼業から足を洗ったんだ』
ゴメンね、父さん。
今なら父さんが言いたかった本当の気持ちが痛いほど良く判る。
あたしはレスターに、まだ本当の自分を見せてない。
自分が盗賊だって事、知られたら嫌われるかもしれないって思ったから隠してた。
過去は変えられない。
一度盗賊として生きてしまった過去を消す事など出来はしない。
だから後悔しないようにと―――盗賊の技術は身を守る手段として憶えるだけで決して使うなと、父さんはあれ程釘を刺してくれたのに。
『あたしは盗賊です』
優しいあの人に嘘をついてしまう前に。
これ以上、好きになってしまう前に。
そして諦める時に……泣いてしまわないように。
あたしはレスターに、全部正直に告げる決心をした。
翌日、進軍開始前の僅かな自由時間に、あたしはレスターを呼び出した。
懸念されていたブルームの傭兵の脅威が去り、雷神イシュタルを退けた事もあって、解放軍は奇妙な高揚感に包まれていた。
それぞれが武器の手入れや装備品の点検などをして、進軍の号令を待っている。
レスターはデルムッドと一緒に前方偵察に出る予定になっていたから、正直忙しそうだった。
でもあたしが声を掛けると、すぐに『いいよ』と言って付いて来てくれた……ホント、良い人だね。
お兄ちゃんがレスターと一緒に皆の傍を離れたあたしをチラッと見たけど、言葉にしては何も言わなかった。
「ごめんね、忙しいのに」
「少しくらいなら平気さ。それで、俺に話って?」
レスターに背を向けたまま、あたしはギュッと両の拳を握った。
「……あたしね、レスターに隠してた事があるの」
胸の前で、祈るように指を絡ませる。
父さん、あたしに勇気を貸して……!
「俺に……隠してた?」
くるりと勢いをつけて振り返り、あたしはレスターを見上げた。
思ったよりずっと近くにあった彼の長身を見上げて、鳶色の瞳に自分の姿を映す。
目を逸らすな、あたし。
あたしは今までも嘘はつかなかった。
弟妹を養う為に盗賊になってしまったけれど、その行為を隠しこそすれ哀れな嘘はつかなかった。
今となっては、それだけがせめてもの慰め―――
「前にね、ウチには血の繋がってない小さな弟妹が居るって話した事あったでしょ?」
「ああ……その子供たちを養う為に、生まれ育った村から出稼ぎに出たって……君も、兄さんのファバルも」
ありがとう。
何気なく話した事、ちゃんと覚えててくれたんだね。
レスターのそんなさり気ない優しさが大好きだよ。
「うん、そう。お兄ちゃんはウルの直系って事もあって、あの通り弓の名手だから……村を出て、傭兵として雇って貰う事が出来た。
でもね、あたしには自慢出来るような特技とか、何も無かった。
力が足りなくて、母さんやお兄ちゃんのように弓は引けなかった。
剣は何とか人並み―――あたしには父さんから貰った身軽さと……手先の器用さしか無かったの」
あたしはレスターの前に、自分の利き手を翳して見せた。
「……身軽さと手先の器用さだけが取り得で、弓も剣も十人並みのあたしがどうやって稼いでいたか……判る?」
レスターは困惑したようにあたしを見下ろしてる。
ここまで話したら、もう気付いているよね……?
あたしの正体が何なのか。
「答は簡単―――あたし、盗賊だったの。戦場に出て、敵から金目の物を掠め取って稼いでたのよ。
同じ貧乏人から失敬するのは気の毒だから、身なりの良い奴ばかり狙ってね」
「………!」
気付いていても、改めて目の前で認められると驚くものなのかな。
切れ長の目が、微かに瞠られたのが判った。
「あたしが盗賊だって事、セリス様やシャナン様、オイフェさんは知ってる。解放軍に入った時、全部話したから。
他の皆には……あまり体裁の良い話じゃないから黙ってたの。
絶対怒られるからお兄ちゃんにも内緒にしとくつもりだったけど、やっぱり一発でバレちゃって」
えへへ、とあたしは務めて気楽そうな声で笑って見せる。
空元気も元気とはよく言ったもんだ。
お陰で逃げ出しもせず、ちゃんと言えたよ。
「お兄ちゃんに、昨日言われたんだ。
これからも皆の傍に居て、自分の全てを受け容れて貰いたいのなら……絶対に嘘をつくな、隠し事をするな……って。
あたしも、このままずっと自分が盗賊だって事、内緒にしとくのが少し重くなった。
だから―――全部、聞いて欲しかったの」
貴方に、聞いて欲しかったの。
でも、貴方にとっては『皆』でいい。
レスターに話した後、他の仲間にも全て話してしまうつもりだったから。
例え盗賊だったって事で軽蔑されても、全部話してしまったなら、少なくともこれから先レスターを欺かずに済むから。
あたしは、レスターに嘘はつかなかった。
嘘をついた事で嫌われたのでないなら……多分、立ち直れる。
裁きの瞬間を待つ思いで、あたしはじっとレスターの言葉を待った。
そして、彼が口にしたその言葉は……
「ごめん。俺……知ってた。パティが盗賊だって事」
「……………へ?」
――――――ちょっと、待て。
知ってた?
あたしが盗賊だって事を?
レスターが?
……なんで!??
「え……まさか、セリス様達から聞いてたの!?」
そう言えば、あたしは特別セリス様達に口止めしなかったような気がする。
ただ女で、しかもこれから解放軍に名を連ようって人間が盗賊なんて……と、あまり歓迎されたようにも見えなかったから―――
セリス様達は誰にも話さないだろうって思ってた。
でも解放軍の中でも、ティルナノグで育った人達はとりわけ結びつきが強い。
もしかしたら、彼らの間では秘密なんて無かったのかもしれない。
つまり、セリス様の知っている事はレスターやスカサハ、デルムッド、それにラナやラクチェも知ってて当然だったんだろうか。
だけど、レスターは『違う』と首を振った。
「セリス様達からは何も聞いてない。ただ……弟妹養う為に出稼ぎに出たって割に、パティは特別何かで稼いでいるようには見えなかったし。
だから、もしかしたら……って。
でも多分、気付いているのは俺だけじゃないと思う。ひょっとするとラナや、他の皆も」
「うっそぉ………」
ガックリ気が抜けた。
いや、ホッとしたって言う方が近いのかな。
でもそうして皆、何となく気付いてたのに知らない振りをしてくれてたんだとしたら、あたしってとんでもない大馬鹿だ。
とっくに見透かされているのに、あたし一人が言葉を濁して隠し通そうとしていたなんて。
「……俺達だって、何不自由なく此処まで育った訳じゃない。
木の根を齧って生き延びた事も、その辺に生えてる草を煮て食った事もある。
綺麗事だけで生きていけないのは、俺もラナも、それにセリス様達だって良く判ってるつもりだ」
「レスター……あたしの事、軽蔑しないの?」
理由はどうあれ、あたしは戦場で盗みをしていた。
裕福な奴しか狙わないって言ったって、そんなの盗られる方からすれば勝手な言い分に過ぎない。
レスター達がその日食べる物にも困る生活を知っていたのは意外だったけど、
木の根を齧って生き延びる事と、人様の懐から金品を盗る事を比べられない。
あたしは、罪を犯していたんだから。
「自分一人生きていくだけでも大変なのに、パティとファバルは血の繋がらない兄妹達を養わなくちゃいけなかった。
ファバルにはイチイバルと相応の弓の才があったけど、パティには特別な何かは無かったから……自分に出来る事で稼ぐ事を選んだ。だろ?」
大きな手が、俯いてしまったあたしの手を取る。
そして壊れ物を扱うように、温かな掌でそっとあたしの手を包み込んだ。
「パティは子供達の母親代わりだった。
弟や妹にひもじい思いをさせない為に―――この小さな手で頑張ってたんだよな」
自分が耳にした言葉が信じられなくて、あたしは呆然とレスターを見上げた。
『頑張ってたんだよな』
―――まさか、盗賊をしながら稼いでいた事を、そんな風に言ってくれる人が居るなんて思いもしなかったから。
ぱたり、と手の上に涙が落ちる。
ギュッと瞼を閉じたけど、涙は後から後から溢れ出して止まらない。
そして涙と一緒に胸から溢れ出す言葉も、あたしには止める事が出来なかった。
「あたし……レスターが好きだった。初めて会った時から、ずっとずっと大好きだったの。
でもあたしは盗賊だから……きっと、知られたら嫌われるって……本当の事を話すって決めた時、それだけが怖かった」
「俺も、パティの事が好きだよ。
いつも明るくて元気一杯のパティを見てると、俺まで一緒に元気になれる。
初めは妹が増えたみたいだって思ってたのに……いつの間にか、一番大切な子になってた」
あたしの顔はもう涙でぐしゃぐしゃで、とても見られたものじゃないだろう。
拭っても目を瞑っても、どうやったって涙が止まらない。
だって今……レスターもあたしの事、好きだって言ってくれた……!?
「…………本当に?」
自分の手布であたしの顔の涙の跡を拭いながら、レスターは照れ笑いを浮かべて『うん』と頷いた。
「これからは俺がパティの分まで、弟妹達を養うのに必要な額を稼ぐよ。
定期的に分与される支度金と、闘技場を勝ち抜いた報酬を合わせたら、それでもうパティが戦場に出る必要はないだろ?」
「え……でもそんな事したら、レスターが自由に出来るお金、ほとんど残らなくなっちゃうよ?」
育ち盛り五人の腹を満たそうと思ったら、それは並大抵の事じゃない。
だからこそお兄ちゃんは村を出てより収入の多い傭兵になったんだし、あたしだって盗賊になる事を選んだ。
だけどレスターは『心配ない』と言って、カラリと笑った。
「これからは同じ条件のファバルも一緒だし、シャナン様やアレスと違って俺の弓は手入れにそんなに金掛からないから、必要最低限残ってればそれでいい。
今までの分だって使い道も無く貯めてるくらいだから、気にしなくていいよ。それに―――」
「……それに?」
思わず聞き返したあたしに、レスターは困ったような表情を浮かべる。
それはあたしに対して、一つの選択を強いる事だったから。
「―――戦場で身なりのいい奴は、それなりに腕の立つ奴も多い。
パティには安全な場所に居て……俺の帰りを待ってて欲しいんだ」
それはあたしに盗賊から足を洗って欲しいという事。
そして―――それだけあたしを大切に想ってくれているという証だった。
「いつかファバルも一緒に、君の弟妹達に会いに行こう。いいかな、パティ?」
「勿論、いいに決まってる。皆人懐っこいから、レスターなんてきっと放して貰えないよ」
あたしはレスターの腰に腕を回し、広い背中を力いっぱい抱き締めた。
貴方から貰ったのは、とても温かな感情。
貴方と一緒なら、あたしはいつだって笑っていられる。
自分を偽らず、周りを欺かず、ありのままの自分自身で居られる。
あたしは一生、レスターについて行く。
いつか母さんみたいな、素敵なお嫁さんになるその日の為に―――
あたしは、その日限りで盗賊から足を洗った。
父さん、あたし大好きな人が出来たの。レスターって言うんだよ。
しかも驚いた事に、レスターのお母さんは母さんの双子の妹だったの。
不思議な縁もあるもんだねって、お兄ちゃんやレスターの妹のラナも一緒になって四人で笑った。
レスターは、何も隠さないあたし自身を丸侭受け容れてくれた。
血の繋がらない弟妹達の事も、会った事も無い父さん達の事も―――あたしが、盗賊だった事も。
あたしが盗賊で稼いでるって、とっくに気付いてたのに黙っていてくれたんだ。
だけどあたしに危ない事はして欲しくないから、あたしの代わりに自分が稼ぐと……レスターは言ってくれた。
自分は武器の手入れが出来るだけ残ればいいからって、軍から支給される支度金のほとんどと、闘技場を勝ち抜いて貰った報酬全部―――
村に残して来た皆の為に使ってくれたの。
『ごめんね』って言ったら、『もう自分にとっても弟妹みたいなものだから』だって。
……ね、優しい人でしょ?父さん。
先の事なんて判らない。
確かな事なんて、何も無いのかもしれない。
だけどいつかあたしは、レスターのお嫁さんになりたいと思う。
母さんのように、大好きな人の傍でいつも笑っていたいと思う。
だからその日が来るまで……
見守っていてね、父さん。
【FIN】
あとがき
えー、予想通り延々と書き続けた結果、つらつらと長いSSになりました(笑)パティの一人称って感情移入し易くて〜(^_^;)
デューの絡むエピソードについては『旅立ちの日』を参照。
そしてこのカップル、実はもう一悶着あります。
サイトを始めたばかりの頃、お友達のキリ番記念に書いた『You’re the only one』がこのお話の後に続きます。
諸事情で『You're〜』もちょこっと書き直しました。このお話でレスターが母親似、ラナが父親似という事にしてしまったので、辻褄を合わせる為に。
今回、レスターは母親のエーディンの事はパティに話しているけど、父親の事は全く話していなかった事がポイント。ニヤリ。
麻生 司
2006/12/14