「シルヴィア、貴女にこの杖を」
「これは神父様の……バルキリーと、リザーブの杖?どうして
私に?」

明かりの無い室内に、囁くような声が響く。
思慮深さを感じさせる青年と、少女と言っても差し支えの無い女性の声だった。



「―――私には、もう時間が無いのです」

青年の言葉に、少女が小さく息を呑む。

「バーハラの悪夢は逃れ得ましたが、それもここまで。間も無く此処にも追っ手が掛かります。
 この杖を持って、リーンと共にトラキアへ逃げなさい。そして彼の地の神殿に、このリザーブの杖を奉納して欲しいのです」

青年は手にしていた杖の一振りを、少女の手へ握らせた。

「私自身の手で納めるつもりでした。しかしもう、他に道が無い。
 追われているのは私です。貴女が私の妻だと、追っ手は知らない。貴女が私達の仲間であった事も、既に子を成している事も。
 今となっては、その事が救い」


絹糸のような少女の髪に青年が指を絡ませる。
『大人なのに子供みたい』と
、彼女が笑顔を見せてくれた日々がただ懐かしい。


「――― 十数年後、トラキアの地を恐ろしい病が襲います。
 数十年に一度の周期で彼の地を見舞う風土病ですが、犠牲者の数は恐らく想像を絶する。
 並の治癒魔法や医術など追い付かないほどの大惨事となるでしょう。この杖は、その時私達の子を救う希望になるのです」
「……十数年後に、リーンがトラキアに居ると?」

確かめるように、少女が生まれて間もない娘の名を口にする。
青年は小さく首を振った。

「リーンだけではありません。シグルド卿の遺児、セリス公子が率いる解放軍。
 世界の闇を払う唯一の希望が、武勇や勇気では太刀打ち出来ぬ脅威に晒される」


その希望を絶やさぬ為に、この杖を託す。


囚われれば命は無い。
グランベル軍の反逆者狩りは徹底していた。
貴族に名を連ねていなかったが故に自分は賞金首となる事を免れたけれど、夫となった青年の運命は囚われた時点で決する。

シルヴィアと呼ばれた少女は、固く手の中の杖を握り締めた。


「……判ったわ。それが、貴方の願いなら」
「頼みましたよ。そして何があっても生き延びてください
―――どうか、私の分まで」


最後は微笑んで、青年はシルヴィアの華奢な身体を強く抱き締めた。



自分の運命を儚む事無く、いつの日も世界の行く末を案じ続けた青年は、バーハラの地下牢に数ヶ月囚われた後に獄死する事になる。
エッダ家の当主であり、また大司祭ブラギの直系であったその青年の名はクロードと言った。





時は下り、クロード神父の死から約一年後。



トラキアの地を訪れた一人の踊り娘が、グルティア城に程近い山中にある神殿に一振りの杖を納めた。

踊り娘が杖と共に奉納したブラギ神を讃える舞は、幸運にも目にする事を許された神官達の心を捉えて放さなかったが、
舞い終えた踊り子はまるで糸の切れた人形のように倒れ込み、その場で事切れたという……






Even if time when this life ends comes

 





その年、トラキアの冬は一層過酷だった。
山岳地が国土の大半を占めるトラキアの冬は、シレジアに匹敵するほどに厳しい。
だが夏になれば肥沃な緑地を取り戻すシレジアとは違い、トラキアの大地は痩せていた。
少ない収穫を民で分け合い、それでも足りない分はペルルークやレンスターから買い付けなければ生き延びられなかったが、
今年の冬は他国からの買い付けすら滞るほど、連日の吹雪と低温が続いた。

生まれも育ちもトラキアであるハンニバルにさえ、『これほどに厳しい冬は経験した事が無い』と言わしめた程である。


セリス皇子率いる解放軍は、ハンニバルやアルテナ、コープル等トラキアの気候に詳しい者達の意見に耳を傾け、無理な行軍を止めた。
秋の終わりに入ったグルティア城で、そのまま一冬を過ごす事になった。
厳しい冬は相対するトラキア軍にも、グランベル軍にも同じ条件で襲い掛かり、間近に陣を構えながらも互いに静観するしかなかったのだ。

それから三ヶ月後―――


春を間近に控えた雪の終わりの季節に、解放軍は動いた。

亡きトラバントの代わりに王位を継ぎ、最後の竜騎士団を率いていたアリオーンは、
フォルセティによって騎竜を傷付けられ、空に投げ出されたが―――その瞬間、彼の姿は光に包まれ虚空に消えた。
それが転移魔法であると気付いたのは、最前線でその光景を目にしたセティ自身だった。


統率者を喪った竜騎士団は程なく殲滅された。
生き残った者達にセリスは投降を呼びかけたが―――応じる騎士は誰一人として存在しなかった。

「自ら命を捨てなくとも、甘んじて一時の屈辱を受け容れ生き延びさえすれば
、新たに国を建て直す機会もあるだろうに」
「……トラキアの竜騎士は、誰よりも誇り高い。
 例え他国の傭兵として戦う事が生業となっていたのだとしても、彼らは自らの手と力で国を支え、守り、民を生かしているという誇りがあった。
 その誇りを喪って、おめおめと生き恥を晒す事が出来なかったのでしょう」



ハンニバルの苦渋に満ちた声に、セリスもそれ以上言葉を続ける事は無かった。
例え国を束ねたトラバントやアリオーンが居なくとも、騎士として死ねるのならば本望だと―――彼等は、死戦を選んだのだ。


だが、勇猛果敢と謳われたトラキアの竜騎士達が
死戦に臨んだ真の理由を、未だセリス達は知らなかった。






トラキア城下は、不思議なほどに静まり返っていた。


出来るだけ城下に被害を出さぬよう竜騎士を誘い出す形で戦闘は行われていたにも関わらず、
城下はまるで誰一人存在しないかのようにひっそりとしている。
解放軍では民間人に対する暴力や略奪などを厳しく禁じていた為に、解放軍の存在が即、民間人の脅威となる事は無かったのだが―――
怯えているにしても、あまりにも人の気配が無い。
様子を見る為に姿を見せる者すら居ないのはどういう訳なのか。

気になる事と言えば、微かに漂う異臭だが……それも何処が出所なのか良く判らない。


「……ハンニバル将軍、アルテナ王女。これは一体どういう事なのか、心当たりはありますか?」

あるいは城下が戦場になる事を恐れて、アリオーンが住民を逃がしたのだろうか。

だが少なくとも、地上を逃げる民間人の姿は確認出来て居ない。
だとすると、密かに作られていた地下道か何かで城外に脱出したか、もしくはトラキア城に立て籠もっているかのどちらかである。

セリスに意見を求められた二人は、だが困惑したように首を横に振った。


「判りません……城から城下へと抜ける秘密の通路はありましたが、城下から外へ民間人を全員逃がせる程の地下通路などありませんでした」
「では民間人共々篭城して、最後の抵抗をするつもりなのか……?
 だがトラバントもアリオーンも既に居ない。竜騎士団も壊滅した。一体、誰がそれだけの民間人を率いて指揮を取っている?」


眉間を寄せ、セリスが思案を深めたその時だった。
近くの民家を、窓から覗き込んで窺った義勇兵の一人が悲鳴を上げたのは―――




「どうした!伏兵か!?」

歩兵の指揮をしていたスカサハが、腰を抜かしてしまった義勇兵に駆け寄る。
だがへたり込んでしまった本人はガクガクと震えて中を指差すだけで、言葉にならない。
スカサハは他の義勇兵に彼を任せると、自ら剣を抜いて窓辺に近付いた。

「誰か潜んでいるの、スカサハ?」
「―――来るな、ラクチェ!」

援護をしようと歩み寄った双子の妹を、だが、スカサハは鋭い語気で制した。

「来るんじゃない……お前も含めて、絶対に女性は近付くな」
「一体、何があったの?まさか……中で民間人が殺されているの!?」


ラクチェの言葉に、解放軍に動揺が走る。
よもや自分達が城を制圧する前に、城下の住民達は自軍の兵士によって命を奪われていたのだろうか。

スカサハは力なく頭を振った。


「判らない……判らないが、少なくとも女性や子供が見るべき物ではないよ。
 中は―――まるで、地獄だ」


スカサハの手がラクチェの身体を押し返す。

だが光の加減で、彼女は見てしまった。
ごく有り触れた民家の中で無残に腐り果て、骸を宿主に蛆が這い回る、かつて人であった『モノ』を。

落ち窪んだ眼窩は、事切れた直後、未だ瞳が存在していた頃には見開かれていたのだろうか。
強く敷布を掴んだ指は、死の直前までどれ程の痛苦に耐えていたのか。
辛うじて『人だった』と言えるだけの残骸を残し、腐敗して横たわっている。もはや、生前の性別すら定かではない。

兄が制止してくれたにも関わらず、不運にも目にしてしまったそのおぞましい光景に、胸をせり上がる嘔吐を堪える。
周囲を漂う異臭は、置き去りにされた遺体の腐敗臭だったのだ―――



その後手分けして調べた結果、城下に残っていたのは重い病で死に瀕した者ばかりだった。
辛うじて未だ息のある者達は、数名の司祭と共に神殿の聖堂に集まっていたのである。

その一方で、民家の中で葬られる事なく放置された遺体も数多く発見された。
そしてセリス達は神殿に残った司祭から、トラキア城下の民が王城に避難している事を聞かされたのである……








「戦況は決した。トラバント王は既に亡く、アリオーンもまた転移魔法により姿を消した。
 我々は民間人に危害を加えない。我々が出立した後には、どうぞ皆で力を合わせて街の再建を果たされますように」


トラキア城はハンニバル将軍とアルテナ王女の呼び掛けにより、内から開かれる事になった。
驚く事に城の内には、生き延びたトラキア城下の人々が数百数千と言う単位で避難していた。

民間人の代表である長老と壮年の男性数名、城の守りを任された数名の下級騎士等の前で、セリスはトラキア竜騎士団の壊滅を告げた。
彼等は一様に沈痛な面持ちを浮かべたが、街が戦場になる事が回避されて少し安堵したようだった。


やはりトラキアの中核を成していた竜騎士達は、残らず先の戦に出陣し、討ち取られたらしい。
城の守備に残されていた下級騎士は騎竜を持たず、また素直に投降の意思を示した為に、拘束される事無くそのまま城の守備を一任される事になった。
通常であれば敵軍の兵士は投降した時点でその任を解かれ、代わって自軍の兵士を守備隊に当てるのだが―――今回ばかりは事情が違う。

少しでも多くの、正確な情報をセリス達は欲していたのだ。



「城下の有様はどういう事なのですか。
 城下に残っていた者で未だ息があったのは、神殿に集まっていた重篤者と数名の司祭だけだった。
 一体この地で何があったと言うのです?亡くなった者を弔いもせず放置して朽ちるに任せるなど……
 戦火を恐れて、城に保護を求めただけではないのでしょう?」

解放軍の中核を成す聖戦士の末裔達を交えた席で説明を促すセリスの言葉に、長老たちは重い口を開いた。
現状に疲弊しきり、もはや打つ手がないかのような口調で。

「……災厄が目覚めたのです。数十年に一度、トラキアを度々襲った災厄が」

漠然とした表現に、セリス達は困惑したように互いの視線を交し合った。

「災厄とは……?ユリウス皇子やその部下による、襲撃があった訳ではないのですね?」
「―――そうではありません。数十年に一度目覚めてはトラキアを襲う災厄とは……恐ろしい死病の事です」

ハンニバルの声は、まるで死刑宣告を受けた罪人のようだった。






「病が流行りだしたのは、一ヶ月ほど前だったそうだ。
 城下に最初の発病者が出て、そこから瞬く間に広がったらしい」


長老達の話とハンニバルの知る伝承を、席を改めてレヴィンが皆の前で要約した。
分厚い絨毯の敷かれた広間に、或る者は佇み、或る者は腰を下ろした思い思いの姿で耳を傾けた。


トラキアの民は子供の頃から、数十年に一度の周期で国を襲う恐ろしい死病の伝承を繰り返し親や老人から聞かされる。
前回この病が広まったのはハンニバルが幼少の頃で、この時将軍も同じ病で母親を亡くしたのだそうだ。
アルテナやコープルは実際に経験した事が無かったが、伝承で『災厄』と呼ばれる死病の事は知っていた。
つまりそれほど、トラキアの民の間では浸透している伝承なのである。


最初の発病者が出てから一ヶ月の間に、既に多くの犠牲者が出ていた。
死者が爆発的に増えるにつれ、誰彼とも無く『災厄』の名が囁かれだすまで時間は掛からなかったという。
幸運にも未だ発症していない者は、これ以上の犠牲者を増やさない為にアリオーンの指示で全て城下に隔離された。

だが既に発病していた者、身内に発病者が出ていた者と、患者の治療にあたっていた司祭は自ら城下に残ったのだと言う。
幼い頃から伝え聞いた伝承により、自分達が辿る運命を察しての選択だった。
アリオーンが率い、最後まで降伏を良しとせず討ち取られた竜騎士達は、
武勇ではどうする事も出来ない病に侵されていく祖国の現状に絶望していたのだろうか。

「つまり街に残されていた遺体は、発症していた為に城に逃れる事も出来ず、
 司祭による治癒魔法を施される事も無く、そのまま亡くなった人という事か」
「或いは発病者に付き添っていた家人かもしれない。
 辛うじて亡くなった家人の弔いは済ませたが、自分もその後、発病して亡くなったのかも」


誰にも看取られず、たった一人で苦しんで。

アーサーの呟きに、おとがいに手を当てて考え込んだセティも頷く。それがあの放置された骸の正体だったのだろう。
アーサーが薄ら寒そうに自分の腕をかき抱いた。



「城の書庫にも、古い文献が残されていた」

レヴィンが手にした古びた書を捲った。

「伝承通り、数十年に一度の周期でこのトラキアを襲う風土病らしい。感染経路や発病の条件は不明。
 高熱、嘔吐、脱水症状が続き―――体力を削がれた患者は、回復を待つ事無くそのほとんが死に至る」

微かに息を呑む気配が場に伝わった。
或る者は慄然と、或る者は不安げに視線を泳がせる。

「勿論、発病しながら命を取り留めた者も存在する。だがそれは、発病者全体に対してあまりに数が少ない。
 体力の無い老人と子供が真っ先に犠牲になり、体力があり、尚且つ運の良い若者だけが生き残る……という事らしいな」


それでは根本的な解決になっていない。
生きるか死ぬかは患者の体力と運次第というのでは、手の施しようもないのだ。



「治癒魔法で対処出来ないのですか?体力回復だけではなく、状態回復の魔法も併用すれば、或いは。
 その為に司祭様は街に残ったのでしょう?」

高司祭位を持つラナが手を挙げ、意見を口にした。

人間の身体が本来持っている自己治癒力を損なわない為に、本来治癒魔法は必要最低限しか使用されない。
戦場で一刻を争う治療が要求される場合は話が別だが、養生する時間と余裕が在る場合は、
応急処置や、せいぜい危険な状態を脱するまでしか治癒魔法は使われないのだ。
放置すればほぼ間違いなく死に至るような病であるなら、治癒魔法と状態回復魔法を駆使して根絶してしまえばいいのではないか。

だが、レヴィンは『無理だ』と首を振って見せた。


「過去の記録と照らし合わせて考えると、恐らく今後も感染者は増え続ける。その数は百や二百では済まないだろう。
 街に残った司祭達では、目に止まった患者の命を数日引き伸ばすのがせいぜいだ。
 魔法は無限ではない。治癒魔法を使う術者自身に限界がある以上、個々が持つ力だけで全ての患者を治癒させる事は不可能だ」


つまり発病は死とほぼ同義。

いつ沈静化するのか、どのように感染するかも判らない。
もしかしたら今こうしている間にも、病魔は静かに自分達の身体を蝕んでいるのかもしれない。
城内に避難した住民の中に潜在的感染者が居ないという保障は無いし、
既に多くの犠牲者を出した城下を、自分達はその脅威を知らずに歩き回っていたのだから。


「……当面、城から出る事を禁じる。城内に避難した民間人との接触も、出来るだけ避けろ。
 進軍の準備が整い次第、我々はペルルークに向け出立する」
「死の病に瀕したこの街を、放って行かれると言うのですか!?」


弾かれたように叫んだその声の主に、誰もが驚いたように振り返った。
仲間達の後ろでいつものように静かに話に耳を傾けていたコープルが、拳を握り締めてキッとレヴィンを見据えている。

「僕もトラキア育ちだから、数十年に一度この国を襲う風土病の伝承はよく知っています。
 でもそんな死病に脅かされながら、トラキアが滅びなかったのは何故ですか?」


彼の必死の叫びに、治癒魔法の心得のある者達は困惑したように互いの顔を見合わせる。
確かに幾度もの脅威に耐え、民が全滅していないからこそ国が存続しているのだ。
それ故に、過去の災厄を今に伝える伝承も残されている。
育ての親であるハンニバルが諌めるようにコープルの肩を抱いたが、彼は更に言葉を続けた。


「必ず何か対策が在る筈なんです。少なくとも未だに発病していない者を守る方法が。或いは発病した者を救う何らかの方法が。
 トラバント様が亡くなり、アリオーン様も行方知れずとなってしまった今、この国を救う為に率先して動いてくれる人は此処には居ない。
 残された人達は今も死の病の恐怖に晒されながら生きているのに、それを見捨てて行くんですか!?」
「コープル、止めなさい」

ハンニバルが強くコープルの肩を揺する。
自分がいつになく感情的になっていた事に今更のように気付き、コープルは唇を噛んで俯いた。


「……言った筈だ。治癒魔法を使う術者自身に限界がある以上、個々が持つ力だけで全ての患者を癒す事は不可能だと。
 我々は豪雪に進軍を阻まれ、ルテキアで数ヶ月の足止めを余儀なくされた。
 雪深い冬が終わり、自由に動きが取れるようになったのはグランベル軍も同じ―――
 この上は一刻も早くグランベルに到達して、攫われた子供達をユリウス皇子の手から救い出さなければならない。
 あるかどうかも判らぬ治療法を探す無駄な時間など、我々には無い」
「―――!?そんな言い方……っ!」
「止めろって、フィー!!」


暴言とも取れる言葉に、激昂したフィーを押さえ込んだのはアーサーだった。
彼女はアーサーの腕を振り解こうともがいたが、無言のまま立ち上がった兄のセティと目が合い、動きが止まる。
兄はコープルの傍らに立ち、そっと彼の肩に手を置くと、実の父に向かい合った。


「出立の準備を整えるにも数日は必要でしょう。せめてその間だけでも、治療法を探る許可を。
 与えられた時間で何も見出す事が出来なければ、その時は出立の命に従います」
「……お前は、自分が聖戦士の直系であるという事実を忘れていないか?」



父の声を耳にしたフィーは後ろからアーサーに羽交い絞めにされながら、背筋が凍るような思いがした。


もうずっと幼い頃から、父は厳しい人だと知っていたけれど。
セリスや解放軍を守る為には、非情な決断をする事が出来る人だと判っていたけれど。

今の父は、兄に対して本物の怒りを向けていた。
自分が抱いた一瞬の怒りなど吹き飛ぶ程の、真の怒りを。


「忘れてなどいません。一日たりとも、自分に流れる血を忘れた事など無い」

思わず縋るようにアーサーの腕を掴んだ自分とは違い、兄は眼を反らす事さえなかった。

「ならばお前には、その血を後継に残す義務がある事も判っているだろう。
 セリス、シャナン、アレス、アルテナ、ファバル、コープル、そしてセティ―――お前達は、血を残さず死ぬ事は許されない



セリスもシャナンも何も言わない。
ファバルは憮然と視線を逸らし、アルテナは憂いの浮かんだ瞳を伏せた。
アレスとセティは一瞬互いに視線を交わしながらも沈黙を保ったが、コープルだけは驚きに目を瞠った。

聖戦士の直系であるが故に、自分達は子を成さずして死ぬ事すら許されないという現実を、はっきりと言葉にして突きつけられた。
僅か十歳と少しの若さで、自分の命は神の力を受け継ぐ為の器なのだと……残酷なまでに思い知らされた。

トン…と、セティがコープルの肩を今一度優しく叩いた。
その手が『安心しろ』と言っているように思える。

見上げた視線の先で、セティは微かに笑みを見せてくれた。


「判っています。我々聖戦士の直系は、神の力を継ぐ器。故に次代にその血と力を残す義務がある」


彼がレヴィンを見る双眸は、まるで翡翠の色をした炎のようだとコープルは思った。
いつだって穏やかで理知的で、怒りを露にした所など見た事も無かったセティが、燃えるような瞳で実父を見据えている。
それは自分の怒りに同調したのか、或いは彼自身の憤りだったのだろうか。


「それが判っていながら、自ら死病に命を晒す愚を冒す気か?お前は」
「ならば我々が受け継ぐその力は、一体何の為に在るのですか。
 ただ血を残す為?それとも力を継承させる為?それならば我々は何故、何の為に戦っているのです?」

かつて聞いた事の無いセティの厳しい声に、仲間たちは言葉を喪い、成り行きを見守った。

「ロプトウスとして覚醒したユリウス皇子を阻み、世界を崩壊から救う為―――それが我々聖戦士の直系に課せられた最大の使命でしょう。
 でもこの身に宿した力は、より多くの命を救える可能性を秘めている。
 僕が戦うのはこの世界に生きる人々の、ささやかでも当たり前の生活を守る為だ。守る為に戦っているという誇りが、今日まで僕を支えてくれた。
 救えるかもしれない命を、何も手を尽くさずに諦める事など出来ません





誰も口を差し挟む事の出来ない、重い沈黙がその場を満たす。


レヴィンとセティが実の親子だという事は、この場に居る全員が知っている。
またセティが実父に対して何らかのわだかまりを持ちつつも、今まで表立った反発を示した事が無かった事も。
父親に対して露骨なまでの反発を見せるのは妹のフィーであって、寧ろセティは抑え役だったのだ。
その彼が、真っ向からレヴィンに相対している。一歩も引かぬという強い意思を持って。

時間にすればほんの数秒だったのだろう。
だがその数秒は、酷く長く感じられた。



「……三日間だ」

溜息にも似た口調で、レヴィンが呟いた。

「明日から三日間―――その間に我々は進軍準備を終え、四日後の朝にはこのトラキア城を出立する」
「ありがとうございます」

それはトラキアを蝕む死病の治療法を探す為に、三日間の猶予を与えるという意思表示―――
頭を垂れたセティを一瞥すると、それ以上は何も言う事無く、レヴィンは退席した。





レヴィンの姿が見えなくなった後で、他の者も互いに言葉を交わし、席を立つ。
その中で、養父の傍を離れたコープルがセティに駆け寄った。



「セティさん……ごめんなさい。
 僕がレヴィン様に意見したばっかりに、セティさんまで巻き込んでしまって……」
「巻き込まれたとは思ってないよ。僕も死の病に晒されたこの国の人達の為に、何かをしたかったんだ」

そう口にして、微かに目を細める。

「だけど君がもしあの時黙ったままだったなら……僕もただ父の命に従っていたかもしれない。
 理不尽だ、納得がいかないと思っていてもね。
 ―――だから自分の思っている事を素直に父に意見出来た事で、今は少し胸が空いてるんだ。僕がお礼を言いたいくらいだよ。
 三日という時間は決して十分とは言えないけど、その中で出来るだけの事をやろう」


『はい』と、コープルが力強く頷く。
その視線が不意にセティの背後に逸れ、彼は小さく頭を下げた。

セティが振り向くと、
退席を促すオイフェを手で制したセリスが歩み寄ってくる所だった。


「二人とも、あれがレヴィンの本当の姿だと思わないでやってくれ。
 救える命ならば―――本当は、手を尽くしたいと願っている筈なんだ。僕だって……」
「判っています。例えどんなに心を痛めていたのだとしても、父やセリス様が、一時の感情に流されて動く訳にはいかなかった事も」

セティが傍らのコープルに視線を向けると、彼もコクンと頷いた。


セリスやシャナン、一軍を指揮する者の言動と行動には、数百数千の命が掛かっている。
一軍の長が感情のままに行動すれば、喪わずにすむ命まで喪いかねない。
何時如何なる時にも理性的に、公正な判断を―――それが参謀となったレヴィンの教え。

『ありがとう』と、セリスは口の中で小さく呟いた。


「―――本来ならば、僕も自制すべきだったんでしょう。
 でもコープルの行き場の無い憤りを目にしたら……立ち上がらずには居られなかった。
 あの瞬間……あの人に他に意見出来たのは、多分僕だけでしたから」
「そうだね。僕も正直、驚いた。
 間違っていると思った事を間違っていると素直に言えるあの気性はお母上に良く似ていると、オイフェが言っていたよ」


顔も憶えていない母に気性が似ていると言われたコープルの頬が、微かに上気する。
レヴィンが退席してから言葉少なに交わした会話の中で、オイフェがこっそりセリスに耳打ちしたのだろう。


「……セティ、コープル、最善の道が見付かる事を僕も願っている。
 だが勿論君達だって、欠けてはならない大事な仲間だ。くれぐれも無茶をしないでくれ」


二人の
肩にそれぞれしっかりと手を置き、セリスはその場を後にした。






「兄様達からお話を聞いて驚きました。
 フィーならともかく、まさかコープルがレヴィン様に意見するなんて」

寝台に身体を起こしたティニーが、微かに眉を寄せてそう口にした。


ルテキアで起きた雪崩から孤児達を守る為に、セティとティニーは命懸けで魔法を行使した。
セティは辛うじて持ち堪えたのだが、ティニーの消耗は尋常ではなく、一度は心の臓が鼓動を止めてしまったのである。
ブラギの直系であるコープルがバルキリーの杖で蘇生させなければ、危うくそのまま命を落としていた所だった。

一ヶ月が経ち体力も随分回復したが、一度死線を越えたティニーはラナから当分の絶対安静を言いつけられた。
今回のトラキア城攻略戦にも、彼女は前線部隊ではなく後方支援として加わっている。
トラキア入城を果たした後も体調が優れなかった為に、すぐに用意された部屋で休んでいた。
その為先程の席にも姿を見せず、経緯は兄のアーサーとフィーに聞いたのである。


「うん、セリス様も驚いていたよ。
 コープルは誰より優しい……だからこそ、トラキアの民を見捨てるような父の言葉が許せなかったんだと思う」

理屈では判っている。父の言う、聖戦士の直系が成すべき義務と役割も。
だがそんな理屈を超えて、コープルの抑え切れない憤りに共に突き動かされた自分が居た。

恐ろしい死病の治療法を探索する事で自分の命を危険に晒す事にはなるが、後悔はしていない。


「三日間……それだけの短い時間で、治療法が見付かるのでしょうか」

ティニーの面が曇る。
時間があれば必ずどうにかなるものでもないが、それでも三日間という猶予は余りにも短い。
しかし長くこの地に留まれば留まるほど、トラキアを蝕む死病に侵される危険を増大させる事もまた事実―――
レヴィンの提示した三日間とは、セティたちの要望と解放軍の安全を鑑みたギリギリのラインだったのだ。

「判らない―――だがコープルの言った事は、的を射てるとも思う。
 数十年に一度の周期で、発病したほぼ全ての者を死に至らしめる病に事実襲われながら、今までトラキアは滅亡しなかった。
 つまりそれは死病を治癒する何らかの方法か、或いは死病そのものを鎮める方法があるという事に他ならない」

手掛かりが残されているとすれば、やはり患者の治療に当たっている神殿だろうか。
トラキアの司祭の間でのみ伝えられる口伝があるのかもしれない。

「……これから神殿に行って来るよ。少しでも時間が惜しい」

もう陽が暮れるが、悠長に朝を待ってはいられない。
こうしている間にも新たな犠牲者は増え続けている。
城に逃れた民間人の中からも未だに一日に十数名―――
多い時では数十名が新たに発病し、他の者に伝染す訳にはいかないと、自主的に城を出て街に戻っているという。
しかもその数は、日を追う毎に増えているのだそうだ。
例え数日の滞在であっても、解放軍に名を連ねる者の中から発病者が出るのは時間の問題だった。

「私も行きます。文献を調べたり、司祭様からお話を聞くだけなら、今の私にもお手伝い出来ますから」

寝台から出ようとしたティニーを、セティの手が押し止めた。

「そう言うと思ったよ。だから本当は、君に黙って行くつもりだったんだ。
 でも何も言わずに行っても、後で事情を知ったら一人で追い掛けて来そうだったから、ちゃんと断ってから行く事にした」
「なら……!」

一緒に連れて行ってくれと言葉にする前に、『駄目だ』と釘を刺されてしまう。

「君にはこの城の書庫で、コープルやラナ達と協力して記録を調べて欲しい。
 父上達が見付けた文献には治療法などは記されていなかったようだが、他に見落としがあるとも限らないからね」


表立ってレヴィンに意見したのはセティとコープルだけだったが、司祭位を持つ者を筆頭に仲間たちが協力したいと申し出てくれた。
何が出来るかは判らないが、誰もが何かをせずには居られなかったのだろう。
城下の神殿にはセティが出向く事で、既に話がついていたのである。

一瞬悲しそうな目をしたティニーに、セティが苦笑いを見せた。

「それに、まだ体調が万全じゃない君を連れて行ったなんてアーサーに知れたら、今度は殴られるくらいじゃ済まないよ」
「あ……」


セティの援護をした妹の心臓が一度は止まったと聞かされたアーサーは、長く伸ばした銀髪が逆立つのではないかと思うほど怒り狂ったのだ。
フィーが必死に宥めたのと、コープルの持つバルキリーの杖で無事ティニーが蘇生した事で何とか治まりはしたのだが、
それでもセティは、けじめをつける為に彼に一発殴られる事になった

ただしそれ以降も兄とセティの関係はこじれる事も無く、以前通りの付き合いが続いている。
それが救いだったのだが、確かに今此処で自分が無理を言ってセティについて行けば、しなくていい心配を兄にかけてしまう事は間違いなかった。


「判ってくれるね?」
「―――はい。でもセティ様、くれぐれも無理をされませんように」

民間人にも聖戦士の末裔にも、病は平等に脅威となる。
確かに自分達の生命力や体力は並の者より遥かに優れているが―――
それとて人を容易に死に至らしめる病に、どれ程の意味があるのか判らなかった。

「何も見付からなくても、明後日の朝には戻る。
 君にも調べ物をして貰わなくてはいけないから、今夜はゆっくりお休み」


セティは安心させるように笑顔を見せると、ティニーの額に
口付けを一つ落とした。






不幸にも発病し、自主的に城を去る事を選んだ数組の家族連れと共に、セティは城下の神殿を再び訪れた。

昼間でも何処か薄暗く病んだ空気に満たされていたが、陽が落ちた後に見る神殿は、更に一層朽ちた雰囲気となっていた。
礼拝者の為の椅子がすっかり片付けられた聖堂の中は至る所に病人が横たわり、
咳の音、高熱に喘ぐ声、苦痛に耐え切れない子供の泣き声などがまるで覚めない悪夢のように響いている。
彼等は皆、いずれ訪れる緩慢な死を待っているのだ。
このまま治療法が見付からなければ、彼等の運命は変わらない。
同行した家族連れを僅かに空いていた壁際に休ませると、セティは司祭を探して神殿の奥へと足を向けた。



城に避難した者の話では、城下に残った司祭は三名居たらしい。
だが昼間訪ねた時には、既に
一人しか存命していなかった。
後の二人は治療の最中、自らも死病に感染し、亡くなったという。
セティが急くように探したのは、その残された最後の司祭だった。
何故なら伝承の詳細を知るであろう唯一の手掛かりである彼もまた、死病を発症していたからである。

この病が発病してからどの程度で人を死に至らしめるかは判らない。
司祭は自らも病身をおして、献身的に病人の治療にあたっていた。
既に発病し、なおかつ残された体力の全てを病人の苦痛を少しでも和らげる為に使っていた司祭の死は間近だと思われた。

治癒魔法は、術者自身を癒す事は無い。
司祭位を持つ者ならば誰もが知る原則だが、なんと皮肉な摂理なのだろうか。


神殿奥にある司祭の私室の扉は、完全には閉まっていなかった。
軽くノックし、外で返事を待つ。
だが耳を澄ませたセティの耳に聞こえたのは、息が詰まったかのような咳の音だった。




「司祭様、しっかりなさってください!」

部屋に入ったセティが見付けたのは、簡素な執務机にうつ伏せるようにして倒れ込んだ司祭の姿だった。
抱き起こした身体は熱く、高熱が出ているのは間違いない。
昼間から相当に具合は悪そうだったのだが、この半日で更に悪化したのだろうか。
もはやこの状態では、治癒魔法も意味を成さない。かえって苦痛を長引かせるだけだ。

司祭の意識は既に覚醒と混沌の狭間にあり、セティの事もよく判らないようだった。


「貴方は……解放軍の?」

トラキアには珍しい特徴的な翠髪が記憶に残っていたのか、ややあって司祭はセティの事を思い出した。

「いけません……此処は……この街はもう駄目です……私の命も、もう間も無く―――」
「お気を確かに。昼間、セリス様と一緒にお話を伺ったセティと申します。
 数十年に一度の周期で死病の脅威に見舞われながら、今日(こんにち)までトラキアが滅びなかった理由を調べに来ました

 治癒方法か病そのものが沈静化する理由が、こちらの神殿に口伝か文書で残ってはいませんか?」

高熱で視力もほとんど失われてしまったのか、司祭の視線はセティを見る事無く中空を彷徨う。
だがセティが病の事を調べに来たと耳にして、僅かに表情が動いた。

―――全ての望みを絶たれた、悲痛な面持ちに。

「……ああ、それももう叶わない……最後の希望も……潰えてしまいました。
 あの方は……御子を成されないままお亡くなりになった。
 トラキアを奇跡の力で救ってくださる聖なる血脈は……既に絶えてしまったのです」
「あの方……?」

それは一体、誰の事なのか。
察するにトラキアに蔓延する病を鎮める事の出来る一族がかつて存在していたという事になるが……
司祭の言葉を信じるならば、その一族には後継者が誕生せず、血が絶えたと言う事になる。

震える手で、司祭が胸の前で聖印を切った。

「……私は神の御許に参ります……どうか、病による蹂躙が……トラキア一国のみで鎮まりますよう……」


切なる祈りを最期に残し―――
人々の為に命を捧げた司祭は、セティに看取られ息を引き取った。






司祭の埋葬を済ませた後、セティは歴代の司祭達が使っていたと思しき書棚を調べた。

かつての司祭の日記でも、覚書でもなんでもいい。
亡くなった司祭が口にした『聖なる血脈』に関する記述を探し続けた。
例え術者の血が途絶えたとしても、方法はあるかもしれない。
死病を癒すのが特殊な治癒魔法であるならば、詳細さえ判れば再現出来る可能性は皆無ではなかった。

だが夜が更け、空が白み、再び空を太陽が巡っても、たった一つの手掛かりさえ見付ける事は出来なかったのである。




「……このままでは、誰一人救う事が出来ない」

執務机に書棚から抜き出した書物を積み上げたまま、セティは組んだ手の甲に額を預けた。


昨夜から一睡もせずに手掛かりを探し続けたが、治療法は見付からない。
病を癒す一族の事に関しても、何一つ記録は残されていなかった。
僅かな睡眠も取っていないせいか、疲労は体内の奥深くに澱の様に凝り、酷く身体が重い。
一晩で数十冊の書物に目を通した事もあり、鈍い頭痛がしていた。

父が与えてくれた猶予はあと二日―――遅くとも明日の朝には、一度城に戻らなくてはならない。
残ったティニー達が城の書庫から何か見付けているかもしれないが……こちらの状況を鑑みて、あまり期待は出来そうになかった。


恐らくトラキアにとって、特有のこの風土病は恥と捉えられて来たのだろう。
数十年に一度の周期で国を襲うと判っていながら、死病を根絶する事は叶わず、周期が巡る度に民は怯えながら暮らしていた。
王家も神殿も他国に対して威信を保つ為に、風土病の詳細を記す事を躊躇った。
それ故に、事実としての記録以上の物は残されなかったに違いない。
度々この地を襲った死病は『災厄』と呼び名を変え、伝承の中にのみ残されて来たのだ。
治療法を探るには、あまりにも手掛かりが少な過ぎる。


書棚の文書はほぼ読み終えてしまった。
にも拘らず、何一つ有益な情報は得られていない。
後に残ったのは、拭い切れない疲労と倦怠感だけだ。

このまま此処に留まっても、得られる事は少ないだろう。
城の書庫から何か判った事があるかもしれない。
一縷の望みを託し、セティは明朝を待たずに城に戻る事を決めた。


執務机に積み上げていた書物を書棚に戻して行く。
だが半ば以上が元通り収まった所で、奇妙な事に気付いた。

書物を抜き出した時には気付かなかったのだが、仕切りで区切られた棚の一つが妙に奥行きが浅いのだ。
隣の一区切りと比べても、やはり奥行きが無い。

「これは……」

元々書棚に収められていた書物は、大きさや高さが綺麗に揃っていた訳ではなかった。
どちらかと言えば乱雑に詰め込まれていたのだが、セティが目を通して執務机に積み上げた際に、無意識で大きさ別に分けて置いていたらしい。
書物を戻す際、適当に詰められていたので気付かなかった書棚の奥行きの違いが、大きさを揃えて詰め直した事で判ったのである。


もう一度その棚の書物を抜き出し、奥に手を入れる。
書棚の奥板と仕切りの僅かな隙間を指先で探ると、何かの拍子で奥板が外れた。

恐らくはいつかの時代の司祭が、自ら作った隠し戸棚だったのだろう。
其処に収められていたのは、歴代司祭の手による風土病の克明な記録と一通の書簡。
破られた封蝋にはグランベル六公爵家の一つ、エッダ家の紋章が印されていた―――




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