知らなかった筈
遠い 遠い呼び声
なのにとても懐かしい
どうしてなの? こんなにも胸が熱い
貴方の微笑みが 私を捉えて放さない
貴方の流す涙の理由を
多分 私は知っている
それはきっと
この頬を流れる涙と同じ
どうしてなの こんなにも胸が痛い
貴方の瞳 貴方の声
全てが愛おしいのに
何一つ 貴方の事を私は知らない
胸に落ちた 一つの呪文
声の限り叫ぶ事が出来たなら
全ては解き放されるの?
祈るように声に乗せる
誰よりも大切だった人の名前
それが唯一の―――解放の呪文
S i g l u d
「ディアドラ」
名を呼ぶ優しい声に手を引かれるように、ディアドラの意識はゆっくりと覚醒の水面へと浮上した。
「シグルド……様」
「どうした?怖い夢でも見たのか?」
微笑む夫が、いたわる様にディアドラの頬を拭う。
「私……泣いて……?」
触れた指先には、涙の跡があった。
多分、目覚める直前まで夢を見ていたのだろう。
だがどんな夢だったか思い出せない。
まるで幼い頃生まれ育った精霊の森に立ち込める霧の中で、唯一人置き去りにされたような―――言いようの無い不安。
精霊の森では、決して迷う事などなかったけれど。
目覚めた今も胸を締め付ける、この痛みにも似た苦しさは何なのだろう。
溢れる涙は何を悲しんでいたのだろう。
どうして、こんなにも切ないのだろうか。
愛しいシグルドは今も変わらず傍に居て、セリスという子も授かったと言うのに―――
「夢を見ていました……でも、どんな夢かは憶えていないんです。
ただただ悲しい……そして、苦しくて切ない……だから憶えていられなかったのかしら」
「人の心は、余りに悲しい事があると壊れてしまう。
心が壊れてしまわないないように、神は人に『忘却』という慈悲を残された。夢だって、きっと同じだよ」
眠りは、あらゆる柵(しがらみ)から心を解き放つ為の時間。
夢は心を移す鏡―――不安や恐れが、悪夢や悲しい夢を呼び寄せる。
だから人は、目覚めと共に夢を忘れる。
良い夢であっても、悲しい夢であってもだ。
時に目覚めた後でも鮮明に記憶に残る夢もあるが―――
記憶に残らぬ夢の方が圧倒的に多いのは、やはり忘却こそが神の与え給うた慈悲だからなのだろうか。
ディアドラの細い腕が、シグルドの背を抱き締めた。
「怖い……手を離したら、私が何処かに消えてしまいそう」
「ディアドラ―――大丈夫だよ。私とセリスを置いて、君が消える筈ないじゃないか。
いつでも、どんな時でも私は君を守る。安心してお寝(やす)み」
「シグルド様……」
瞼に優しい口付けが落とされ、不安を映して揺れる紫水晶の瞳が閉じられる。
それから僅か数日後。
生まれて間もないセリスを残し、ディアドラはアグスティ城から姿を消した―――
「ディアドラ、この男が君の父上を殺したバイロン卿の息子、シグルドだ。恨み言の一つでも言ってやれ」
「この方が……シグルド…様……」
話に聞いていたシグルドという名のその青年は、王宮の露台に立った自分の姿を見て、明らかに驚愕の表情を浮かべた。
「―――ディアドラ!?」
「え……?」
彼は確かに自分の名を呼んだ。
焦がれるような、縋るような―――必死の面持ちで。
どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。
だがこの苦しさを……自分は、かつて経験した事があるような気がした。
胸を塞ぐような込み上げる愛しさは、一体何を意味しているのだろうか。
この男は、父クルトを殺めた男の息子だと言うのに。
「何故、そのように私を……」
「ディアドラ……そうだね、君なんだね!ああっ……!!」
名を認めた事で、シグルドの面には歓喜の色が浮かんだ。
祈りの形に組んだ手を胸の前に翳したのは、神への感謝を言葉にしているのだろうか。
この男は、自分が何者であるか知っている。
そしてきっと―――自分も、この男の事を『知っていた』のだ。
記憶が喪われる以前―――アルヴィスにナーガの聖印を見出され、バーハラの皇女と認められる前の自分が。
「私を……ご存知なのですか?」
「君は……君は、私の……!」
困惑しつつも喪われた記憶を揺さぶられ、一歩足を踏み出したディアドラの傍らでアルヴィスが表情を強張らせた。
「もういい。ディアドラ、下がっていなさい。この男は反逆者として、処罰しなければならない」
「でもこの方は……お願い、もう少しお話を……」
「駄目だ。おい誰か、姫を安全な場所へ!」
ディアドラに声を荒げた事など無かったアルヴィスが、まるで人が変わったかのように厳しい口調で突き放す。
否、力づくで露台から室内に押しやって、シグルドからディアドラの姿を隠したのだ。
「待って!アルヴィス様……もう少しだけ……!」
「ま……待て、ディアドラ!!アルヴィス、頼む!あの人は私の……!!」
「もういい、何も言うな!」
戸惑いの中の、藁にも縋るような、二つの懇願を振り払うべく、アルヴィスは眼下のシグルドを炎のような瞳で見据えた。
「全軍に告ぐ。反逆者シグルドとその一党を捕らえよ!生かしておく必要はない。その場で処刑するのだ!!」
「アルヴィス…貴様……!!」
シグルドの手がティルフィングに伸びる。
―――だが見上げる露台の上に立つアルヴィスに、剣先が届く事はなかった。
ファラフレイムの炎により、骨も残さず灰になったというシグルドという名の青年の最期を、ディアドラは後になって聞かされた。
それから数ヶ月―――『まるで魂を喪った人形のようであった』と、当時のディアドラを知るパルマーク神父は言う。
更に数ヶ月後。
バーハラの皇女としてアルヴィスの妻となり男女の双子を産み落とした時、既に彼女は『シグルド』の名を記憶していなかった。
ディアドラが心の静穏と笑顔を取り戻す代償として、無意識下に自らかつての夫であるシグルドの記憶を封印した事実は、
ごく限られた者だけが知る秘密となった。
そしてシグルドの死から、約十年の後―――
「ユリア……逃げなさい」
恐怖とショックで凍りついたように動けなくなったユリアに、ディアドラはそう囁いた。
娘は縋るような眼差しで自分を見上げたが、ディアドラには彼女を安堵させてやる事が出来なかった。
きっと自分も、娘以上に顔色を喪って蒼白になっていたに違いない。
「母様も…母様も一緒でしょう?」
不思議と、娘の口から『兄様を元に戻して』という言葉は出てこなかった。
双子として生を受けた兄が、全く異質なモノへと変貌してしまった事を悟っていたのかもしれない。
このままでは二人とも殺される。
死なせる訳にはいかない―――何としても、ユリアだけは逃さなくてはいけない。
震える娘を見下ろして、ディアドラはきっぱりと首を横に振った。
「私は……ここに残ります。ユリウスを、一人残しては行けない」
「でもあれは、もう兄様じゃないわ!!」
『判っているわ』と、ディアドラは呟いた。
「なら……!」
「それでも」
静かに微笑む。
それはユリアが今まで見た事も無いほど、限りなく優しく、そして哀しい母の微笑だった。
「私は、あの子の母親なのよ」
はっきりとそう言葉にすると、ディアドラはユリアを背後に庇いながらユリウスに向かい合った。
内に芽生えたもう一つの魂が元の彼を食い尽くすのに―――もう、ほとんど猶予は残されていない。
「ユリア、セリスに……会いなさい」
胸の前で転移呪文の印を切る、母の声がユリアの耳に囁く。
「セリス……?」
「ほう……その名を思い出したのか」
兄の口から発せられたとは信じられない程の恐ろしい声色に、ユリアはビクンと身体を強張らせた。
「お前に、その名を口にする資格があると思うのか?」
ディアドラは沈黙を保ち、ユリウスもまた答えは求めなかった。
「だが、ユリアを逃がす訳には行かぬ。
お前とその娘は、私にとって最大の敵である黄金竜(ナーガ)の直系―――この場で二人まとめて、始末してくれるわ」
「させない……ユリアだけは、私が守ります―――!」
転移呪文が完成するのと、ユリウスの手の上で形を為した闇の剣が放たれたのが同時だった。
「いやあぁあああぁぁぁ―――っ!母様――――――っ!!」
声を限りにユリアが叫ぶ。
振り向いたディアドラは、『ごめんね』と小さく口の中で呟いた。
転移魔法の銀色の光に包まれながらユリアが最後に見たのは、
闇の剣に貫かれ、胸を血に染めた母の姿と、薄っすらと笑みを浮かべた兄の顔―――
光の消滅と同時に娘の姿も掻き消えた事を確かめて、ディアドラの身体がゆっくりと崩れ落ちる。
「……今、お傍に参ります……シグルド様」
囁くように口にして目を閉じたその面に苦痛の色は無く、不思議な程に穏やかな微笑みが浮かんでいた。
ごめんね。大人になるまで傍に居てあげられなくて。
ごめんね。最後まで守ってあげられなくて。
ごめんね。まだ幼い貴方にこんなにも重い業を背負わせて。
そして―――ごめんなさい。
誰より愛しい貴方。
誰より私を愛してくれた貴方。
私は心から貴方達を愛していた。
掟に逆らい、共に生きようと言ってくれた貴方を。
記憶を喪い、己が何者かさえ判らなくなった自分を守り、妻にと望んでくれた貴方を。
貴方達を愛した、どちらの私も真実だった。
記憶を喪った私は、別の男の妻となり、貴方を裏切ってしまったけれど。
記憶を喪った私が、別の男の妻であった為に、貴方を苦しめてしまったけれど。
愛していた。
それだけは―――本当。
【FIN】
あとがき
オフラインも含めて聖戦での活動は十年近くになりますが、お笑いネタじゃないシグルド×ディアドラを書いたのは初めてです…(笑)
今更基本に戻ってる感じですが、実はシグルドは結構理想の旦那様像だったりするのですよ。
人格的にバランスが取れているし、義理堅いし、情に厚いし、腕は立つし、勿論頭も悪くない。要領はイマイチ悪そうだけど(^_^;)
人が良すぎてそこにつけこまれ、結局身を滅ぼしてしまうのですが、その『甘さ』も彼の人間性だし。
神器なんぞに頼らずとも足回りの良さを活かし、銀の剣一本でバンバン敵を駆逐していく彼は、本当に使い勝手が良くて最高のユニットでした。
奥様の選択余地が無いのが残念なくらいに(笑)まあ、シグディアが一番好きですけどね。
でも初回ロードの時は、普通にエーディンを嫁にしようとしていた私(笑)
攻略情報が全く無かった頃だったんで、シグディアが強制イベントだって知らなかったんだよ〜〜(^_^;)
え、セティ?セティは旦那じゃなくて、息子に欲しいんです(←本気)。『母上、どうぞお身体を大事になさってください』とか言われたい(笑)
実は冒頭の詩は、随分前に通勤途中に思いついたのをメモっていたものです。お勤めしていた頃というだけで、既に数年前というのが窺えますが…
記憶を喪ったまま、バーハラでシグルドと対面したときのディアドラの心情。
五章のイベントは、昔作った攻略ビデオを見ながら書きました。何でも作っておくもんじゃのう…(苦笑)
ラスト付近(ユリア達が出て来た辺り以降)は、一部『Liebe』(の後編)と連動してます。
ロプトウスの魔道書を手にした事でユリウスがロプトの血に覚醒し、その身から発せられる闇の波動を受けた事で、
ディアドラは自ら(の無意識が)封印していた記憶を取り戻しました。
最期の瞬間彼女が語りかけたのは三人の子で、順にセリス(大きく〜)、ユリア(最後まで〜)、ユリウス(まだ幼い〜)です。
そして『誰より愛しい〜』はシグルド、『誰よりも愛してくれた〜』はアルヴィス。
ディアドラは記憶を喪う以前と以後で、二人の男性をそれぞれ心から愛したので、どちらに対しての想いも嘘や偽りではなかったのです。
その辺の詳しい解釈は『Liebe』を参照してください(^_^)
2006/5/11 麻生 司