未来幻燈
Act.3 Kira & Lacus


「すみません。詳しい事をお話するつもりで、僕がエターナルまで来てくれるようにお願いしたのに」

医務室のベッドの上で半身を起こしたキラが、倒れた自分を見舞ったマリューに頭を下げる。
傍らにはラクスの姿が在り、隣に並んだベッドでは、キラと入れ替わりで眠ったアスランとカガリが静かな寝息を立てていた。

「気にしないで。あれ程の戦闘の後ですもの、倒れるのも無理ないわ。
 大体の話はラクスさんから聞かせて貰ったし―――彼を見付けて、連れて戻ってくれただけで……本当に、どうもありがとう。
 他にどうお礼を言えばいいのか、とても思い付かないわ」

 

眠っているアスランとカガリを起こさないようにマリューは小さな声でそう口にしたが、
実際問題として、ちょっとやそっとの物音ではとても目を覚ましそうにない。
ドアの開閉の音や足音にも全く反応を示さず昏々と眠り続ける様に、思わず睡眠薬を投与したのかと尋ねた程だ。

「皆、疲れているだけですわ。
 アスランは私と一緒に、先に倒れたキラとカガリさんについていたんですけれど……
 多分、私が席を外している間に目を覚ましたカガリさんとお話をして、安心して二人とも眠ってしまったんでしょう」

と、ラクスが微笑んでそう答えた。

 

マリューをつれてラクスが医務室に戻って来た時には、カガリのベッドにうつ伏せるようにしてアスランは眠っていた。
彼の手にはカガリの手がしっかりと握られており、カガリも安心しきった顔で眠っていたのである。
本当ならアスランもちゃんと横にして寝かせてやりたかったのだが、下手に動かすと起こしてしまうので、
彼は座った姿勢のまま肩に毛布をかけて、彼女の傍で眠らせておく事にした。

「礼なら、どうか目を覚ました後でカガリとアスランに言ってあげてください。
 僕はムウさんが、スペアヘルメットをコックピットに持ち込む癖がある事を思い出しただけです。
 ムウさんを捜そうと一番先に言ってくれたのはカガリだし、ムウさんを見付けたのはアスランだから」

『僕は何も…』と呟いたキラに、だがマリューは笑顔を見せた。

「それでも、私は貴方にもお礼を言いたいの。
 貴方が漂っていたヘルメットをスペアだと気付いてくれなかったら。そして、あのヘルメットを持ち帰っていたなら……
 私はきっと、諦めてしまっていた。冷たい宇宙に彼を一人残して、必ず戻ると言ってくれたあの人の言葉を嘘にしてしまうところだった。
 だから―――ありがとう。ムウが目を覚ましたら、必ず自分でもお礼を言いに行かせるわ。
 どんな高い物でも吹っ掛けていいわよ。貴方たちに助けて貰った命より、価値のあるものなんて無いんだから」

 

ゆっくり休んで疲れが取れたら、AAのクルーにも元気な姿を見せに来てくれと言い残して、マリューは一度AAに戻った。
艦の指揮を正式に次官のノイマンに委託した後に、フラガに付き添う為に改めてエターナルに移って来るらしい。
フラガをAAに移すと言う案もあったのだが、覚醒するまでは動かさない方がいいとの判断で、マリューの方が移乗する事になったのだと言う。

未だフラガに覚醒の兆しはなかったが、彼女はとても幸せそうだった。
不安はあるに違いない。本当に恋人が無事に目覚めるか、何の保証も無いのだ。
それでもマリューはフラガが蘇生した旨をラクスに聞かされた時、大粒の涙を零して微笑んだと言う。
まだ可能性は絶たれてはいない。命ある限り、望みはあるのだと―――それは倒れる前にカガリが口にした言葉と、とてもよく似ていた。

 

「……本当に、女の人って強いんだね。
 記憶障害が残るかもしれないとか、覚醒の見込みが五分だとか、そんな事全然気にしていないみたいだった」
「その不安を補って余りある程、フラガさんが一命を取り留めたことに意味があったんですわ。
 でも、フラガさんならきっと大丈夫。時間は掛かっても、必ず目を覚ましてくれます」

医師にも断言出来なかった事を、ラクスがはっきりと口にした。
キラが不思議そうに瞬きして、『何故?』と尋ねる。彼女は口元に笑みを刻むと、『マリューさんの為に』と応えた。

「フラガさんが命を賭けたのがマリューさんの為ならば、その彼女を一人残したままフラガさんが目覚めないなんて事、在り得ませんもの」

それは図らずも、アスランとカガリが語りあった事とほとんど同じだった。

 

 

「これから、地球とプラントはどうなるんだろう」

キラの肩が冷えないように、上着を掛けようとしていたラクスの手が一瞬止まる。
ふわりと彼の背中に上着を着せると、彼女は傍の椅子に腰を下ろした。

「戦う事が何も生み出さないと互いが気付くまでに、どちらも大きな犠牲を払いました。
 講和条約はこれから正式に締結されるのでしょうが、恐らく、双方の軍備は廃棄と言う方向で纏まっていくと思います」

 

軍は解体され、軍備は永久廃棄され、軍施設は流用出来る物は民間に委託されて、商用等の新たな施設として生まれ変わるだろう。
かつて軍人であった者は、様々な道を歩みださなくてはならない。
生まれ育った故郷に戻る者、優れた技術を活用して新たに身を立てる者、
あるいは新しく生まれ変わる国の柱となる者も居るかも知れない。

「ラクスは……クライン派の盟主だったし……プラントに戻って、新しい国の代表になるの?」

キラの言葉に、ラクスは青い瞳を一度大きく瞬かせた

「……そこまでは、考えてはいませんでした。
 無益な戦を一刻も早く終わらせる事―――それが全てだと、ずっと考えていましたから」

 

コーディネーターとナチュラルが憎みあう必要の無い、平和な世界が一日でも早く訪れれば良いと願っていた。
幼い子供が、故の無い戦で親を失わずに済む世界が来ればいいと。
同じ理想を掲げていた父が亡くなった今、その遺志を継ぐのは、娘である自分の義務かもしれない。
ラクス自身この戦闘を終えるまでは―――そのつもりだった。

 

「正直な所、今はまだ何も決めていません。
 敢えて私が代表にならずとも、プラントには若くても優れた人材が大勢居ます。バルトフェルド艦長もその一人ですわ。
 ザフトに所属し、上からの命令にただ順じていた者も……もう、目が覚めたでしょうから」

コーディネーターやナチュラルという枠組みにこだわる事が、如何に人の視野を狭めるか。
偏狭な思考が自ら手を取り合う機会を狭めていたのだと、もう気付いただろう。
これからのプラントを導いて行く人材は、改革者である必要は無い。
真にプラントに生きる者の事を思い、地球と共存する道を探し出せる者ならば、それでいいのだ。

「アスランも、自分の信じる道を見付けたようですしね」

呟き、隣で眠るアスランとカガリを見遣る。
優しいその眼差しに、キラは今まで敢えて尋ねなかった事を、ようやく言葉にする事が出来た。

 

「君とアスランは―――婚約者……だった。でも今はもう、違うと……?」

真っ直ぐなその言葉に、ラクスの青い瞳が微かに揺れる。
だがそれは悲しみの為ではなく、自分達を取り巻く様々な事柄が、僅かの間に大きく変わってしまった事に対する憐憫を映したものであった。

 

「……私達の婚約は、親同士が決めた縁談でした。勿論、嫌ではなかったから正式にお受けしたのですけれど……
 その縁談を決めた双方の親が既に亡い今、もうお話は―――白紙に戻してもよいとは思いませんか?」

彼女の眼差しは何処までも優しい。
その瞳には嫉妬や妬みなどの、暗い感情は何一つ感じられなかった。

「私とアスランには、ご縁がなかったのですわ。
 きっかけは在ったけれど、それは結ばれるべき縁ではなかった。
 アスランが結ばれるべき相手は他に在り、そして彼は自分でその相手を見付けた……私は、そう思っています」

 

何と戦うべきなのか戸惑っていたアスランに、光を示したのは自分自身。
だがその彼の手を取り、共に歩もうと衝き動かしたのは―――カガリの存在だったに違いない。

いつか彼は、地球の夕焼けが見たいと言っていた。プログラムでは無い自然の夕陽を見たいと。
近い将来、きっと彼はその夢を果たすだろう。
そして彼の傍らには、黄金の髪の少女が居る筈だ。

 

「恐らくアスランは、プラントには残らないでしょう。
 彼の性格上、一度は戻るかもしれませんが……最終的には、地球に降りる事を選ぶと思います」
「カガリが―――居るから?」
「ええ、そうです」

躊躇うように口にしたキラに、ラクスはあっさりとそう返した。

「私、アスランの事は好きですわ。とても大事なお友達だと、今でも思っています。
 そして彼と同じくらい、カガリさんの事も好きなんです。
 だからこそ、二人には幸せになって欲しい。どちらも大切な―――私のお友達だから」

 

キラの両の拳が掛け布を握り締め、唇を噛んだ。
行き場の無い感情が噴き出すのを、必死で堪えるように。

「どうして……?」
「キラ?」

ラクスが俯いた彼の顔を覗き込む。
だが長い前髪に隠されて、キラの表情を読み取る事は出来なかった。

「どうして君達は……笑って居られるの?
 ムウさんを喪いかけたマリューさんも、お父さんを喪い、婚約者だったアスランとの別れを選んだ君も……どうして…君達は……!」

 

鮮やかに脳裏に浮かぶのは、クルーゼの放ったドラグーンの一閃に消えた紅い髪の少女。
彼女は内に秘めた炎のような気性で、キラの心に確かな刻印を残した。

それは情熱だったのか。
それとも哀憐であったのか。
あるいは断罪と呼ばれるものであったのかもしれない。

それももう、今では誰にも知る事は出来ない。
彼女はキラに微笑みだけを遺し、逝ってしまった。

 

「……大切な人を、亡くしたんですのね。あの、戦いで―――」

ラクスの手が、キラの肩に触れる。
彼の瞳が瞠られ、ついに耐え続けた涙が堰を切って溢れ出た。

「―――僕が、傷付けた。必ず守ると言ったのに……目の前で、お父さんを……死なせてしまったんだ」

 

だから誓った―――今度こそ、彼女を守ると。
何があっても守り抜いて、いつか本当の彼女自身を取り戻してあげたいと。

決して純粋に惹かれあったのではない。
彼女には彼女の想いがあり、自分はその彼女に救いを求めた。
それでも彼女を守ると誓った自分の思いは、間違いなく偽りのないものだったのに。

 

「いつか昔のように、笑い合いたいと願ってた。
 居るべき場所に、居るべき人たちの元へと帰して……何のわだかまりも無い、一人の……友達として。
 あんな場所で……あんな死に方をする人じゃ、なかった筈なのに―――!!」

泣き咽ぶキラの肩を抱き、ラクスが彼の髪に頬を寄せる。
彼女の手が幼な子をあやすように髪を梳くと、キラはラクスの肩に額を押し付けるようにして嗚咽を漏らした。

 

「夢を見ていたのかもしれない。だけど僕は―――シャトルが爆発した直後に、彼女の……声を聞いた」
「……彼女は―――何を?」

しゃくりあげるように、一度キラの肩が上下する。
そして一言、口にした。『泣かないで』と。

「……最期に、そう言って……微笑ってくれたんだ」

 

もう、泣かなくていいからと。
全ての柵(しがらみ)から解き放たれて、今、本当に自由なのだと告げて……キラの心に、笑顔を遺した。

 

「守ってあげられなかった……なのに、どうして笑ってくれるの?ずっと辛くて、怖い思いをして……苦しんだ筈なのに……!」

親に叱られた子供が、その理由が判らず問うように、戸惑いを浮かべたままの視線が泳ぐ。
そのキラの頬に手を差し伸べ、ラクスが囁いた。
小さな声で―――しかし、彼の心の奥底に響くようにはっきりと。

 

「それはきっと、その方が……本当に、キラの事を好きだったからですわ」

涙に濡れた瞳を瞬かせて、キラがラクスを見詰める。
彼女の瞳も、また変わらず微笑んでいた。

「本当にキラの事が好きだったから、笑っていて欲しかった。悲しみに囚われて、自分を見失って欲しくなかった。
 そして何があっても、生きて欲しかったのだと……思いますわ」
「僕に……生きて……?」

 

―――守るから……私の本当の想いが、貴方を守るから―――

 

それは、彼女が遺したもう一つのもの。
キラの命―――その命に託された、紡がれる想い。

生きて。どうか自分の分まで生き抜いて。そして人と人が争い合う必要の無い未来を、その手で作り出して。
謂(いわ)れの無い悲しい涙を、もう二度と誰も流さずに済むように―――

 

「託された想いを、どうか忘れないで。
 貴方に生きて欲しいと願った彼女の想いは、そうする事で貴方の中で生き続けるから」
「―――僕は、赦されたのだろうか」

この胸に消えない刻印を刻んだ少女に。
あるいは、神と呼ばれる存在に。

「私は知っています。貴方がその手で、守ろうとしたものの重さを」

一人で負うにはあまりにも大きなものを、優し過ぎる心に全て受け容れてしまった少年を。
その為に魂に癒えぬ傷を負い、紅い血と尽きない涙を流し続けた少年を。

「例え他の何者に赦されなくても……私だけは、貴方の味方ですわ。今までも―――そして、これからも」

 

ラクスの腕に抱かれて、キラは泣いた。
二度と見(まみ)える事の無い少女を想い、涙するのはこれが最後だと―――鎮魂の祈りを込めて。
閉じた瞼の裏側で、紅い髪の少女の微笑が光に溶けた。

 

 

「この指輪の由来を、聞いてもいい?」

アンダーウエアの胸元から、キラが細い鎖に通した指輪を引き出した。
パイロットスーツなどは脱がされていたが、ペンダントのようにしていたこの指輪はそのままになっていたのだ。
キラの掌の上で指輪が鎖に触れ合い、シャラリと澄んだ音を立てる。ラクスが微かに瞳を細めた。

「亡くなった母が大切にしていたものです。婚約した時に、父から贈られたものだと聞いています」

 

さらりと口にされたその言葉に、キラが驚いたような表情を浮かべる。
ラクスが大事にしている品である事は察しがついていたが、今は亡き両親の思い出の品だとは。

「そんなに大切な物なら、君に返さないと」

首から鎖を外しかけたキラの手を、ラクスがそっと押さえて止めた。

「それは……このまま、キラが持っていてくださいな」
「でも……」
「いいのです。いつかまた会う日の、約束の代わりに」

海を思わせる青い瞳が、キラの瞳を見詰め返す。

「貴方は地球で、私はプラントで―――私達が守った二つの世界が、再び手を取り合える……その日まで」

決して遠い約束にはしないと、言外に込めて。
ふと微笑を浮かべたキラが、ベッドサイドで羽根を休めていたトリィを、そっと指に止まらせた。

「これは……マイクロ・ユニット?」
「うん。昔、アスランが月から引っ越して行く時に……僕に、作ってくれた子なんだ」

 

本当は、自分が作りたいと言ったマイクロ・ユニットだった。
飛んで、鳴いて、首を傾げる小鳥のマイクロ・ユニット―――
キラがマイクロ・ユニット製作を不得手にしている事を知っていたアスランは、『本気か』と呆れていたのだが。
その直後にアスランのプラントへの移住が決まり、キラが話した通りのマイクロ・ユニットを造って、餞別として贈ってくれたのである。

 

差し伸べられたラクスの指へと、トリィが飛び移った。

「トリィは、遠く離れていても僕とアスランが友達だと言う絆だった。だから今度は……君に、託したい」
「この子を私に?」

小さく驚きの声を上げたラクスに、キラは頷いて見せた。

「判り合えずに一度は戦ってしまったけれど、最後は友達に戻れた。
 一度結ばれた絆は消えない―――遠く離れていても、想いは傍にあるから」
「大切にお預かりします。貴方にお返しする、その日まで」

 

キラの唇に、そっと誓いの口付けが落とされる。
しばしの別れを名残惜しむように、キラの頬にトリィが羽根を摺り寄せた。

 

 

BACK INDEX NEXT