未来幻燈
Act.4 Arnold
『親愛なるアーノルド
貴方が私に贈ってくれた言葉について、この数日真剣に考えました。
本当に私でいいのか、貴方にはもっと相応しい女性が居るのではないか。
色々と悩んだけれど……自分に素直になる事に決めました。
ありがとう。貴方の求婚をお受けします。
妻として、ちゃんとやって行けるかまだ自信は無いけれど、努力するわ。
私の負けず嫌いと気の強さを知ってる貴方なら、今更だと笑うかもしれないけれど。
例え傍に居なくても、貴方の想いはいつも私を支えてくれる。
言葉にして伝える事は出来なかったけれど、本当に感謝していたのよ。
貴方の前では、私は軍人である自分を忘れて、ただ貴方を想う一人の平凡な女で居られる。
そんな時間を、これからも大切にしていきたい。
私の家の事、お互いの立場の事、色々と貴方には苦労をかけると思うけど……二人なら、きっと乗り越えていけるわ。
次に会える日がいつになるかは判らないけれど、その日まで、どうか元気で―――
貴方の恋人より、愛を込めて』
マリューがAAに戻った時には、クルーは交代で休息を取っていた。
留守を任せたノイマンが、気を利かせて指示してくれたらしい。
既に先に戻ったディアッカからフラガの蘇生が成功した報が伝わっていたせいか、すれ違うクルーが皆、明るい顔で声を掛けてくれる。
その全てに笑顔で返しながら、マリューは艦橋へと繋がるエレベーターに滑り込んだ。
艦橋のドアが開いた時、マリューは恋人の生還を喜ぶ女性ではなく、一艦を指揮する軍人の顔になっていた。
警戒態勢が完全に解かれ、がらんとした艦橋には、マリューの不在の間留守を預かっていたノイマンの後ろ姿だけがあった。
彼もいつもの操舵席を離れ、今は間近に広大な宇宙空間を臨む強化ガラスの前に立っている。
エレベーターのドアの開閉音にも気付いていないのか、茫と視線を宙空(そら)に泳がせていた。
「アーノルド」
声を掛けられて、ハッとしたようにノイマンが振り返った。
「艦長、お帰りでしたか」
「もう艦長じゃないわよ」
小さく肩を竦めて、ノイマンに並ぶ。
本来ならば逃亡艦となった時点で、既に階級には意味が無い。
戦闘指揮や操艦時に混乱を来たさない為に敢えて今まで『艦長』と言う呼び名を受け容れてきたが、
もうその肩書きを下ろしてもいい頃だろう。
「フラガ少佐の蘇生成功、聞きました。良かったですね」
「ありがとう。まだ予断は許さないのだけれどね」
微かな笑みを口元に刻む。
だがじっと虚空を見据えるノイマンの背に、マリューは笑みを消すと、一言『ごめんなさい』と囁いた。
「艦長―――?」
ノイマンの真っ直ぐ伸ばされた肩が僅かに揺れ、瞳に驚きが浮かぶ。
彼の瞳は『どうして……?』と言っていた。
「貴方にだけは、謝らなければならないと思ってた。
……ムウにね、聞いた事があったの。彼―――そう言う事には聡い人だから」
のろのろと引き上げられた手が、ノイマン自身の口元を塞ぐ。
そうしていなければ言葉にならない何かを叫んで、自分を見失いそうだったから。
「ムウがローエングリンの正射を受け止めて―――あの時……ドミニオンを撃てと言ったのは私だから、赦してくれとは言わない。
何を言っても、貴方にとっては償いにも慰めにもならない事も判ってる。
でも私も、あんな形でナタルを喪いたくなんて無かった―――それだけは……信じて」
見開かれたノイマンの瞳から涙の雫が零れ落ち、硝子の珠のように宙に浮かんだ。
これが最後の別れになると判っていたなら、何があっても彼女を行かせたりしなかった。
軍律に背き、裁かれる身になろうとも、彼女を死地に追い遣る事などさせなかった。
この目に、彼女の最期を灼きつける事も無かったであろうに。
「……逃亡艦となったAAと命運を共にすると決めたあの日から、覚悟は出来ていました。
貴女が撃てと命じなければ、今頃我らは一人残らずこの虚空に屍を晒していたでしょう。だから―――貴女を、恨んではいません。
彼女が私に銃口を向けたとしても、きっと、私に彼女は撃てなかった。
仲間全ての命より、彼女の命を望んだ―――私には」
例え、それが自分の死であろうとも。
「でももしも―――もしもあの瞬間、彼女の傍に居られたなら」
この手が届く場所に、彼女が居たならば。
「私は……彼女を守る、盾になりたかった……ッ!!」
たった一つ恋人が遺した手紙を握り締め、冷たい艦橋の床に膝をつく。
声を殺して号泣する彼の悲哀の叫びを背中で聞きながら、マリューは一人艦橋を後にした。