未来幻燈
Act.5 Dearka & Miriallia


フラガの蘇生が成功したと言う第一報が、ディアッカからもたらされて約24時間後。
キラ達がエターナルからシャトルでAAに戻っていると聞いたミリアリアは、ドッキングブロックに足を向けた。

 

エレベーターを出ると、然程遠くない場所に人だかりが出来ていた。
先に来ていたらしいサイやマードック、チャンドラ達の頭の間から、見慣れた顔が覗く。
キラやカガリが皆の手に揉みくちゃにされているのを見てホッと息をついたミリアリアは、
別の見知った顔がその輪の外に在る事に気付いた。

元はザフトに属していた、遠目にも目立つ二人の姿―――アスランとディアッカである。
二人はAAクルーの作った人の輪の外で、何事か言葉を交わしていた。
とは言えこの騒ぎの中だから、短い遣り取りで済ませたらしい。
人の輪に近付いたミリアリアにディアッカが気付いて、軽く手を挙げて見せた。

 

 

「こんな所に居ていいの。あの人と、話があったんでしょ?」
「アスランの事か?あいつとの話なら、もう済んだ。大した用じゃ……なかったしな」

AAに元気な姿を見せに来たキラとカガリに一言だけ挨拶して、ミリアリアはドッキングブロックを離れた。
フラガの救出に至る経緯など聞きたい事は色々あったが、取り敢えずは無事な姿が確認出来たので由とした。
キラはしばらくAAに滞在すると言う事なので、また話す機会もあるだろう。

 

艦内での長い生活を余儀なくされるクルーのストレスを軽減する為に作られている展望室に、ミリアリアは来ていた。
ちなみに特に追い払いもしなかったので、ディアッカもそのまま付いて来ている。
展望室の隅に備え付けてあるサーバーからドリンクチューブを二つ取ると、一つをディアッカの方に流す。
チューブは半無重力の中を漂い、丁度彼の手の中に収まった。

「サンキュ」
「ついでよ」
「嬉しいもんは嬉しいから、いいんだよ」

確か一つ歳上の17歳だと聞いたような気がするのだが、まるで子供のような顔で笑うディアッカを、ミリアリアはぼんやりと眺めた。
彼女の視線が向けられている事に気付き、ディアッカが自分を指差す。

「何?何か俺の顔についてる?」
「別に。元気だなと、思っただけよ」

呆れたようなミリアリアの声に、彼は黄金色の髪をほりほりと掻いた。

「キラやカガリさんは、帰還後に倒れたって言うじゃない。なのに、あんたは元気だなって」

 

昨日、自分が数時間の仮眠を取る直前までディアッカは起きていたし、今朝起きて来たら、もう食堂でコーヒーを飲んでいた。
仮眠くらいは取ったのだろうが、やはり職業軍人としての訓練を受けた彼と志願兵の自分とでは、基礎体力に決定的な差があるのだろう。

「ああ……まあ俺は、こいつのせいで途中で戦線離脱しちまったからな。疲労の度合いもあいつら程じゃねぇさ」

こつん、と指で額に貼られた大きな伴創膏を指差す。
本人は大した事ないと言っていたが、治療をしたAAの医療スタッフに尋ねたら、大事は無いが痕は残るかもしれないと言っていた。
傷の大きさに比べて出血し易いのが額を含めた頭部の怪我だが、ディアッカの場合、見た目よりも傷そのものは深かったらしい。
とは言え、『女の顔に傷がつくのとは訳が違う』と言われそうだったから、ミリアリアは敢えてその事を口にはしなかった。

 

「あの艦長さん、近い内に次官にAAの指揮を引き継いだら、エターナルに移るらしいぜ」
「へぇ……やっぱり、フラガさんについてるのかしら」
「そうらしい。蘇生は成功したけど、無事に覚醒する確率は五分だって話だし。
 今は動かさない方がいいだろうって事で、艦長さんの方が移乗する事にしたんだそうだ」

今はまだ戦闘後の混乱もあって、AAもエターナルもクサナギも、狭い宙域で身を寄せ合うようにして停泊している。
しかしいずれAAとクサナギは地球に降りる事になるのだろうし、エターナルはプラントの然るべき場所に戻る事になる。
ふとした事からAAに乗り合わせる事になり、そのまま志願して軍人にまでなったが、
一番付き合いの長かったマリューともここで別れる事になるのだろう。

 

「あんたも……」
「ん?」

小さな声ではあったが、二人しか居ない展望室に響く声は、ちゃんとディアッカにも届いていた。

「あんたも……戻るんでしょ?プラントに」

ミリアリアを正面から見る綺麗な紫水晶の瞳が何度か瞬いた後、『うん』と案外素直な返事が返って来る。

「……幸いウチは、両親(ふたおや)揃ってピンピンしてる筈だからな。
 色々あって、ずっと連絡してなかったから……心配してるだろうし」

何気なくそう口にした事に、ミリアリアの手からドリンクチューブがふわりと離れた。

 

「……何で?」
「何でって……何が?」

ミリアリアの手から離れたチューブを受け止めたディアッカが、怪訝そうな顔で首を傾げる。
どうして彼女の様子が急に変わったのか、理由を図りかねているようであった。

「どうして……帰る家も、待ってる家族も居るのに……
 国も任務も全部放ったらかして―――何であんたは、敵だった筈のAAに残ったの?」

 

ディアッカの、ザフトでの詳しい経歴はミリアリアも知らない。
だがあのアスランも身に付けていた紅い色の軍服とパイロットスーツは、
ザフトでは限られた者にのみ許されたエリートの証だと聞いている。
バスターに搭乗する事を許されたディアッカも、同じように若くして将来を嘱望された軍人だった筈だ。
それなのに何故、彼はその輝かしい経歴を捨ててまでAAに残る事を選んだのか―――

 

ディアッカはしばらく無言で、ミリアリアを見ていた。
狼狽(うろ)たえるでもなく、見据えるでもなく、ただじっと……自分の想いを確かめるように、彼女を見た。

「……そうだな。色々あったような気がするけど、結局は……肩入れしちまったって事なんだと思う」

他に相応しい言葉を思いつけなくて、だからディアッカは自分の心に浮かんだ言葉を素直に口にする。

「初めは敵として遣り合って、被弾して制御が利かなくなったバスターごと投降して。
 ―――捕虜になったAAの中で、色んな事……見たり聞いたりしたから」

紫水晶の瞳に、苦い色が過ぎった。

 

『紅』を着る事を許された自分が投降して捕虜になるなんて、屈辱の極みだと思っていた。
自尊心と誇りの高さから言えば並ぶ者の無いイザークならば、もしかしたら自爆を選んでいたかもしれない。
だがあの時、ディアッカは死と言う選択肢を選び取りはしなかった。
辛酸を舐めても、命さえあればいつか汚名を雪ぐ機会もあるだろうと―――捕虜となっても生きる事を選んだのだ。

しかし囚われたAAの中で見たのは、味方同士であった筈の勢力が互いに相争う様と、恋人を戦場で亡くし、涙するミリアリアの姿―――
彼女が本来は民間人で、AAには成り行きで乗り込み、仲間と共に志願して軍人になった事は後から知った。

逃亡艦となり、帰るべき港を持たぬ流浪の途を辿る事になりながらも、
人として正しいと信じた事に、敢えてかつての友軍に銃を向けたAAクルーの姿を目の当たりにして―――
ディアッカは、自分が今まで何一つ疑う事無く正しいと信じていた世界が足下から音を立てて崩れ落ちる様を聞いた。

 

自分は何と戦うのか。
何を守りたいのか。
何処に居るべきなのか。
そして今―――自分に出来る事は何なのか。

 

『トールが居ないのに……!!どうしてこんな奴が、ここに居るのよ―――!?』

 

行き場を無くしたミリアリアの絶叫は、今も耳に灼きついている。
きっと一生、消える事は無いだろう。

不用意に口にした自分の言葉が、彼女の胸の傷を抉った。
知らなかったからとは言え、触れてはならない禁忌に自ら手を触れたのだ。
今ならばその愚かな行為を、自ら諌める事も出来るのに。

 

「俺―――お前の笑った顔……見た事、無かったから」
「…………え?」

深い静謐を湛えたディアッカの瞳の色に、吸い込まれそうな錯覚を覚える。

「怒った顔も、泣いた顔も、軍人としての顔も見たけど……本当に心から笑った顔だけは、まだ見てなかったから」

思いもかけなかった彼の言葉に、ミリアリアの瞳が大きく瞠られた。

 

彼女の口から叫ばれた、『トール』と言う名。
それが彼女の亡くした恋人の名だと言う事は、すぐに察しがついた。

恋人の死を嘲った自分に、ミリアリアの手が突き立てようとしたナイフ。
狂気の一歩手前まで追い詰められるほどに……彼女は、その恋人の事を深く想っていた。

 

人が人を憎む時。
嵐のように乱れる感情の行き場を見失い、その胸に殺意を抱いた時―――人は、その面に修羅を映す。
彼女が流した涙の訳をもう少し自分が思い遣る事が出来ていたならば、彼女にあんな顔をさせる事はなかったであろうに。

自分を独房から解放してくれた時に、一度だけ『ごめんね』と言う言葉と共に見せてくれた彼女の微かな笑みは、
何だか今にも泣き出しそうだった。

 

「俺が知らないトールって奴は、お前の笑った顔も知ってたんだろうなって―――ずっと、思ってた」

ミリアリアには、笑顔だけが無かったから。
恋人を亡くした事で、笑顔を喪ってしまった彼女に気付いたから。

「自分を見喪わせる程に、一度は俺の言葉がお前を傷付けた。
 ―――だからもう一度、お前が笑顔を取り戻すその日まで……俺が守ろうって、決めたんだ」

 

ミリアリアの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
尽きる事無く溢れるその涙を、ディアッカの手がそっと拭った。

「だって……判らないんだもの。どうやって笑っていたのか……思い出せないんだもの……!
 トールが居た頃は、そんな事考えなくても普通に笑えてた。でも彼が居なくなって……胸に、穴が空いたみたいで……!!」

 

どうして、こんな事になってしまったのだろう?

志願兵として正式にクルーになっていなかったなら。
除隊許可を貰った時に、そのままAAを降りていたら。
トールがスカイグラスパーのパイロットになっていなかったなら。
戦闘経験はまだ未熟なのだからと、彼が出撃するのを止めていたら。

トールはMIAになる事無く、今でも自分の傍に居てくれただろう。
自分が笑顔を喪う事も無く、ディアッカを殺そうとする事も無く、彼がAAに残って一緒に戦ってくれる事も―――無かった。

 

「あたしはまだ、笑えない。貴方だからじゃない。他の誰にも……今は、笑えない。
 あたしの中では、トールは今でも生きていて……だから……だから……!」
「なら―――今はまだ、その時じゃないって事さ」

ディアッカの瞳が、微かに揺れた。

 

出来る事なら戻りたい。叶うならばどんな事でもすると、ミリアリアは心から願った。
死の恐怖も永遠の別離も、遠い世界の話であった頃に戻って、もっと普通に出逢えていたならば―――
きっと、彼はこんなに悲しい瞳をしなかった。

「昨日、さ。戦闘態勢の時以外で―――初めて俺の名前、呼んでくれたろ?」

 

昨日―――フラガが蘇生出来るかもしれないと言う一報がキラから入り、マリューがエターナルに向かおうとしていた時。
あまりにもおぼつかない彼女のその足取りに……ディアッカの名が、口をついて出た。
ごく自然に、何の他意も無く、共に戦場を生き抜いた―――一人の仲間として。

 

「……嬉しかったんだ。俺の事、赦してくれたのかなって。まるで、母親に叱られた子供みたいだよな」

涙で顔をくしゃくしゃにしてしまったミリアリアの手に、ディアッカが自分のハンカチを握らせる。
彼の表情は静かなままだったが、何故かミリアリアには彼が泣いているように視えた。

 

ディアッカの大きな手が、俯いたミリアリアの髪をふわりと撫でる。そして―――

「バイ……ミリィ」

小さな囁きと手の温かさだけを残して。
彼は、展望室を後にした。

 

 

「ミリアリア、ここに居たのか」
「サイ?」

展望室の入り口から掛けられた声に、ミリアリアはゆっくりと振り向いた。

「食事の時間になっても、食堂に来ないからさ。探してたんだよ」
「もう、そんな時間だった……?」

だとしたら、数時間もここで一人ぼんやりしていた事になる。
食事どころか、艦橋のシフトすらすっかり忘れていた事を、今更ながらにミリアリアは思い出した。
彼女の表情から察して、サイが『シフトなら大丈夫』と口にした。

「交代の時間に俺も行ったけど、緊急事態にでもならない限り、当分は艦内待機してるだけでいいってノイマンさんに言われた」
「そう……」

ほっ、と息をつく。
シフトを失念するなんて非常事態には在ってはならない事だった。やはり緊張が緩んでいるのだろう。

 

「喧嘩でもしたのか?」
「え?」

隣に並んだサイが、強化ガラスの外を見遣りながらそう声を掛ける。

「あいつとさ。何か、元気ないみたいだから」

ミリアリアは一瞬誰の事を言われたのか判らなくて瞬きしたが、それがディアッカの事だと気付いて、眉の角度が微かに上がった。

「……何であいつと喧嘩したら、あたしの元気がなくなるのよ?」

冷静を装おうとして失敗した彼女のその口調に、サイは苦笑いを浮かべた。

 

「意地張るなよ。最近のミリィは、あいつの事ずっと見てた。
 俺でも気付いたんだから……あいつがどうしてAAに残ったか―――言葉にされなくても、ちゃんと判ってた筈だ」

ミリアリアが手の中のハンカチを握り締める。
一度だけ彼女をちらりと見て、サイはまた外に視線を戻した。

「ちゃんと時間を作って、あいつと話した方がいい。意地を張らずに……自分に素直になってさ」
「素直になって……何を話すの?」

ミリアリアの目尻に、うっすらと涙が滲んだ。

「口を開けば憎まれ口ばかり。トールが居なくなってから……あたしは、笑い方すら忘れてしまった。
 感謝してても……ありがとうの一言すら言えない。
 あたしの態度も言葉も、あいつを傷付けるだけなのに―――どうして話さなくちゃいけないの?」
「後悔しない為に」

静かな展望室に、サイの声が響く。

「俺は、悔やんでるよ―――もっとフレイと……話しておけばよかったって」

雷に打たれたような衝撃を覚えて、ミリアリアは言葉を失った。

 

「俺達、色々あったけど……いつかまた、普通に話せるようになると―――思ってたんだ。
 元の通り、何も無かった頃のように戻るのは無理だったろうけど……普通の、友達として。
 まさか、あれっきりになるなんて―――思ってもみなかったから」

 

今は無理でも、時間が解決してくれると思っていた。
少し距離を置いて、お互いを客観的に見る事が出来るようになったなら。
昔はこんな事もあったと……フレイだけじゃなくキラも交えて、元のように笑って話せる日が来ると―――信じていたのだ。

死が、永遠に彼女を奪い去ってしまうまで。

 

「あいつはコーディネーターだ。初めは確かに俺達の敵だったさ。それでもミリアリアの為にAAに残ってくれた。
 これまでの人生、これからの人生、全部フイにする覚悟で―――ミリアリアを守る為に、昔の仲間とも戦ってくれたじゃないか。
 ちゃんと一人の人間として向き合って、もっとあいつの言葉に耳を傾けてやれよ」
「だけどあたしには、トールが居るもの!」

思わず、ミリアリアは叫んでいた。

 

耳を塞いで、目を逸らして、考えまいとしていた現実に背を向ける。
ミリアリアはまだ、心の何処かでトールの死を認めていなかった。
目の前で被弾し爆発したスカイグラスパーを見た訳でも、遺体が確認された訳でもない。
もしかしたら捕虜となってザフトに囚われているかもしれないと言う、一縷の希望を捨て切れなかったのだ。

 

「あたしは、ディアッカを受け容れられない。
 どれだけの犠牲を払ってあの人がここに残ってくれたか、あたしだって判ってた。ここに残った理由が、あたしかもしれないって事も」

握り締めたハンカチを胸に抱いて、ミリアリアは涙を零した。

「だけど、受け容れる訳には行かなかった。トールを忘れられないまま、あの人を受け容れるなんて出来なかった。
 だってあたしが忘れてしまったら、トールはどうなるの?
 カズイも……フレイも居なくなってしまって、トールが居た事を憶えている人は、もうここにはほとんど居ない。
 それなのに、あたしまで……忘れてしまったら!」
「ミリィ、トールはもう帰って来ない。僕等は確かめられなかったけれど―――キラが、トールの戦死を公式に証言した」

ミリアリアが涙に濡れた瞳を上げ、サイを見返す。サイも、彼女から目を逸らそうとはしなかった。

「今までちゃんとした調書が取れなかったけど、トールの両親には曖昧な情報じゃなく、ちゃんとした報告をしたいって……
 さっきマリューさんが立ち会って、公式の調書を取ったんだ」

噛み締めた唇の奧から、ミリアリアの嗚咽が漏れる。
その彼女の肩に手を乗せ、彼女の顔を正面から見据えるようにして言葉を続けた。

「トールが確かにここに居た事は、俺もキラも憶えてる。
 マリューさんやマードックさん、それにブリッジの皆だってトールを忘れる訳ないさ。
 ミリアリアは亡くなったバジルール中尉の事を、これから先忘れると思う?」
「……忘れないわ。忘れる訳……ない。叱られた事もあったし、最初は怖いと思った事もあったけど……」

噛み締めるように言葉を切ったミリアリアの肩を今度はポン、と軽く叩いて、サイの眼差しが穏やかになる。

「そうだよ。俺達は、一緒に戦った『仲間』なんだから。だからトールの事だって皆、憶えてる―――大丈夫だよ」

そしてサイは、敢えて強い口調で彼女に告げた。

「ミリアリアには、僕等のようになって欲しくない。
 トールは……いつまでも自分にミリィが縛られる事なんて―――きっと、望んでないよ。」
「ならあたしは……どうしたらいいの?そんなに簡単に、割り切る事なんて出来ない。
 でも……でも、ディアッカのあんな悲しそうな顔……もう、見たくないよ……!」

 

自分を見詰めた紫水晶の瞳が脳裏から離れない。
彼は泣いていた。
絶望に囚われ、悲しみに未来を閉ざして、笑顔を喪ってしまった……ミリアリアの姿に。

 

廻り逢ったのは偶然。
だけど、彼は自分の意志で自らの道を選び取った。
以前のままの生活に戻るチャンスはあったのに、自分の信じたものを守る事を―――かつての友に弓を引く事を、敢えて選んだのだ。

最初は償いだったのかもしれない。
知らぬ事だったとは言え、自分の言葉がミリアリアを深く傷つけた。だからこそ。
喪った恋人を蘇らせる事が叶わないのならば、せめて守ろうとした。
争いの無くなった世界で、再びミリアリアが笑顔を取り戻せるように―――守ってくれたのだ。

 

「ごめん……ごめんね、トール……あたし、貴方の事……大好きだった。今でも、それは変わってない。
 でもあたしは……ディアッカに、ありがとうって言いたい。心からありがとうって……言いたいの……!」

 

自分は、こんなにも彼に惹かれていた。
トールの事を思い切れなくて、トールを思い切れない事でディアッカを欺きたくなくて、
今までずっと目を逸らし続けていたけれど―――ようやく判った。

恐れていたのは自分自身。
ディアッカは鍵を見付けてくれたのに、自分が心を閉ざし続けた。
もう二度と、大切な人を喪いたくなかったから。

やっと自分の本当の想いに向かい合えたミリアリアの手を取ると、サイは彼女を立ち上がらせた。

 

「後悔するくらいなら、諦めちゃ駄目だ。間に合う間は、諦めちゃ駄目なんだよ。
 ミリィは生きていて、あいつはミリィの事を待ってる。だったら、応えてやらなくちゃ」

トン、と彼女の肩を押し、展望室のエレベーターの方へと押し遣る。
ミリアリアは一度だけ目を伏せた。
そしてサイに大きく頷いて見せると、自分から床を蹴って展望室を出た。

「……もう、ミリアリアは大丈夫。見守ってやってくれよな―――トール……フレイ」

 

今は亡き二人の友へ、祈りの言葉を呟いて。

どうか彼らの眠りが安らかでありますようにと、サイは静かな虚空に想いを馳せた。

 

 

「どうして、どこにも居ないの……?」

展望室を出たミリアリアは、途方に暮れていた。

 

ついさっきまで自分が居た展望室は別にしても、よくクルーの集まる食堂や談話室、MSの格納庫にもディアッカの姿が見えない。
一応艦橋も覗いてはみたが、マリューとノイマンが引継ぎのミーティングをしていただけだった。

仮眠でも取っているのかと思い、彼が使っている部屋に行こうと移動用のベルトを掴んだ丁度その時、
反対側のラインからキラとマードックがやって来るのが見えた。

 

「ミリアリア。良かった、君も無事だったんだね」
「ありがとう……あの、ディアッカを見なかった?さっきから捜してるんだけど、見付からないの」
「ディアッカ?」

怪訝そうな顔をして、キラとマードックが顔を見合わせる。
二人の様子に、ミリアリアは不意に嫌な予感を憶えた。

「教えて。ディアッカは何処?」

思い詰めた彼女の声に、キラは少し迷った後で答えてくれた。

「ディアッカは、もうAAには居ない。先に戻ったアスランと一緒に、エターナルへ移った。君は……知ってると思ってたよ」
「え―――?」

 

ディアッカが、AAに居ない―――?
たった今耳にした事が理解出来なくて、ミリアリアは思わず言葉を失った。

「……エターナルへって……なんで、今更……!?」

移動用のベルトを掴み、勢いよく床を蹴る。
背後でキラの呼び止める声が聞こえたような気がしたが、ミリアリアは振り向かなかった。

 

 

「ディアッカ!?」

飛び込んだ部屋の中は、ミリアリアの僅かな期待を裏切り、真っ暗だった。

クルーの数が減っていた関係と、彼の立場の微妙さから元々ディアッカ一人が使っていた部屋だったのだが、
そこには彼の気配は何も無かった。

昨日まで、ほんの少しはあった筈の生活の後。
例えば脱いだまま適当にベッドの上に放り出されたシャツやベッドサイドの櫛。
微かなコロンと整髪料の香り、談話室から持ち出してきた本。
それらの物が―――全部綺麗に無くなっていた。

「嘘……どうして……?」

ミリアリアの膝から力が抜ける。
そして思い出した。展望室で彼が口にした、最後の言葉を。

 

『バイ……ミリィ』

 

彼が初めて口にした、自分の愛称―――だけど一緒に囁かれたのは、短い別れの言葉だった。

「そんな……さよならって、この事だったの……!?」

 

頭の中で、鐘が鳴っているみたいだった。
ガンガンと鳴り響いて、思考が纏まらない。

ディアッカが、自分に何も告げぬままAAを出て行く筈が無い。
必ず何処かに自分へのメッセージが在る筈だった。

力の入らない足を何とか励まし立ち上がると、ゆっくりと部屋の中を見回す。
ベッドザイドには、何も残されていない。
彼にしては几帳面に畳まれたシーツや掛布などの間にも、何も無かった。

 

彼にとって自分は特別な存在なのだと、信じた事自体が思い上がりだったのだろうか―――

惨めな想いに駆られそうになったその時―――部屋の入り口横に置かれた、小さなデスクに目が止まった。

 

デスクの上には何も無かった。
一度か二度、しかもほんの僅かな時間しかこの部屋に来た事はなかったが、ディアッカがここで何かしている所も見た事は無い。
だがミリアリアは、引き寄せられるようにデスクに近付いた。

かつて自分は同じようなデスクの上に置かれたナイフを手に取り、ディアッカに突き立てようとした事がある。
彼が寸手で避け、サイが止めてくれていなかったら、今頃彼の命は無かっただろう。
彼と自分を結ぶ何かがあるとしたら―――

「……あった……!」

万感の想いを込めて開けた引出しの中には、意外に柔らかな筆跡でミリアリアの名が記された手紙が、一通だけ残されていた。

 

 

『ミリアリア

 お前が見付けてくれる事を願いながら、今、この手紙を書いている。

 俺はこれからすぐ、プラントに向けて発つ。
 エターナルはシャトルの手配の為に経由するだけだから、お前がこの手紙を見付ける頃には、エターナルも発った後だろう。
 アスランが混乱のどさくさに紛れてプラントに戻る算段をつけたと言うので、それに便乗する事にした。
 捕虜扱いになってた俺とは違って、あいつは色々とややこしい背景があるから、急ぐ必要があったらしい。
 さっきあいつと話してたのは、この事だ。

 

 お前には、ちゃんと話そうと思ってた。
 黙って行くのは逃げるみたいだから、ちゃんと顔見て、話すつもりだった。
 だけどお前の顔を見てたら……どうしても、言い出せなかった。

 自惚れるなって、お前は怒るかもしれないな。
 俺が居なくなったら、少しはお前が悲しんでくれるかな……って、そんな調子のいい事を考えた。
 もうこれ以上、お前が泣く姿を……見たくなかったんだよ。

 

 俺は、お前の笑顔を取り戻してやる事は出来なかった。
 でもいつかは、きっとまた笑えるだろ?
 だってお前は今も生きてるし、生きてるなら、必ず良い事だって在る筈なんだ。
 絶対に、いつか元のお前に戻れる日が来る。
 その為に―――俺は、お前を守ったんだから。

 まだ少し先の話だろうが、そのうちプラントと地球の行き来もずっとラクになるだろう。
 そうしたら、堂々と顔と名前を明かして会いに行く。
 その時には……笑った顔も、見せてくれよな?

 次に逢うその日まで―――お前も、元気で。

 

                                           ディアッカ・エルスマン』

 

 

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