未来幻燈
Act.6 Three years after


「ミリアリア先生、さよならーー!!」
「はい、さようなら。気を付けて帰るのよー」

『はーい!』と言う元気な声が後に続き、数人の教え子達は笑いさざめきながら家路についた。

 

あの戦争から三年が過ぎた。

ミリアリアは故郷のオーブに戻り、そこで情報処理と歴史の教師の資格を取った。
否、彼女だけでは無い。
かつてAAで一緒に戦った仲間達の多くは、その居を地球連合国家の再建の旗頭となったオーブに求め、新しい人生を歩み始めていた。

 

奇跡的な生還・蘇生から、元AAのクルー全員に『愛の底力』と言わしめた覚醒を経て、フラガとマリューは数ヵ月後に結婚した。
二人は当初フラガの故郷である欧州方面に新居を構えるつもりでいたが、
再建に助力して欲しいと言うカガリの要請を受け、オーブを新たな生活の場と決めた。

フラガは今はミリアリアが教師として勤務する学校で、同じく教壇に立つ身である。
彼は元々、人に何事かを教えると言う行為にとても長けていた。
生来の頭の回転の速さと身体能力の高さも手伝ってあっさりと教員資格を取った後には、
持ち前の明るい人柄から校内でも一番人気の教師となって現在に至る。

ちなみに彼の専門は体育関係全般と語学。実は彼が母国語以外にも数ヶ国語に堪能であった事は、戦後初めて明らかにされた。
何でも幼少の頃の英才教育がどうとか言う話だが、これに関してフラガ本人は一切口を噤んでいるので噂の域を出ていない。

技術仕官だったマリューも、同じく教員資格を取って数学や技術工学などの講師をしていたが、出産を機に休職した。
本人は育児が落ち着いたら復職するつもりでいるようだが、二年続けて二子を設け、
現在三人目を妊娠中である事が先日判明したばかりである。
『いつになったら僕のシフトが楽になるんですか』と苦笑交じりにぼやいているのは、
情報処理と共にマリューと同じく数学を担当しているサイだった。

 

そう―――ミリアリアやフラガが教師として勤務する学校には、多くのAAの元クルーが集まった。

元々彼らの生活拠点のあったオーブに開校されたと言う事、オーブの盟主であるカガリの名で開校準備が進められたと言う事、
そして平和になった世界で、自分の持つ力を次世代の為に役立てたいと言う意思から、自然と集まったのだ。
他にもカズイやトノムラなども、教員の中に名を連ねている。

一般に公にはされていないものの、そもそもこの学校自体が、実はあのアスラン・ザラが私財を投じて設立したものであった。
彼は父、パトリック・ザラの死により相続した全ての財産を、戦後の混乱に乗じて処分して現金化し、
それを全てオーブの再建に提供する旨を、盟主であるカガリに告げたのである。
彼女はアスランが無償で提供したその私財を、戦火で破壊された教育施設の復興に当てたのだった。

私財の全てを処分したアスランは、カガリとの約束通り数週間後に地球に降りると、プラントの居住権を放棄し、正式にオーブに帰化した。
カガリは勿論彼の帰参を喜んだが、実は喜んでいるだけでは済まない事態も多々あった。

 

一番は、彼自身の出自である。
ザラと言う名は、容易に父である――そして先の戦争の最重要人物の筆頭として――パトリック・ザラを想像させた。
しかも同姓の他人ならばいざ知らず、彼は正真正銘ザラ元議長の実子である。
姓を偽るか、出自を隠匿するべきか、様々な議論がキサカやカガリを含めた席で交わされたが、
結局アスランは全てを明らかにする事を望んだ。

「これからの人生を、ずっと偽りで塗り固めて生きて行く事なんて出来ない。
 それに、自らの出自を明らかに出来ないような男が、カガリの傍に居るべきじゃないよ」

……と言う、彼の意思が最終的に通ったのである。
そしてキサカの提案で、アスランの素性の公開と同時にもう一つの布石が打たれた―――カガリとアスランの婚約である。

 

当時、彼らは共に十六歳。

「アスラン殿にそこまでの覚悟がおありなら、いっその事、お二人の婚約を公表してしまいなさい。
 いずれ一緒になるおつもりなら、今公表するのも、数年後に公表するのも変わりませんよ」

と言うキサカの言葉に、互いの顔を見合わせて絶句した。

いずれはそうなるにしても、まだ先の話だと思っていた『結婚』の二文字を具体的に示されて思わず狼狽した……と言うのもあった。
しかしオーブの盟主を継いだカガリは、近い将来に伴侶を選び、その存在を公に示す必要がある。
アスランはプラント最高評議会議長の一人息子でありながら、ザフトと地球軍の戦いが未だ続いている中にあって、
自らの意思でそのどちらにも属さないと言う選択をした。
その事実は元AAのクルーを始め、旧ザフト側からも公式の証言が得られている。
全ての者に快く受け容れて貰う事は難しいだろうが、敢えて二人はキサカの勧めに従って、
アスランの素性の公開とカガリとの婚約の同時発表に踏み切った。

彼がオーブの盟主の夫となるに相応しいかどうかは、これからの彼自身の生き方で見極められる事になるだろう。
双方共に既に成人として扱われる年齢には達していたが、
一つの区切りとして、正式な婚礼は二十歳を迎えてから―――と言う事で、準備が進んでいるらしい。

 

 

ミリアリアは帰り支度をして学校を出ると、途中で花屋に寄って小さな花束を三つ買い求め、眼下の湾を一望できる高台へと足を向けた。
オーブで一番見晴らしの良いこの地は、人生を終えた者が最後に眠りに着く場所―――墓地だった。

ここには、実際には遺体が存在しないまま葬られている者も数多く居る。
カガリの父であるウズミ、ウズミと命運を共にしたホムラ、そしてフレイ・アルスターとトール・ケーニヒの墓碑も、ここに在った。
二人の眠る場所は、それ程離れて居ない。
トールの墓碑は、キラの証言により戦死が公式に報告された後に彼の両親が、
フレイの墓碑はオーブに戻って来た後、キラ、サイ、ミリアリアの三人が作った。
フレイにはもはや、花を手向けてくれる親類も存在しない事が判ったからである。

フレイの墓碑に薄桃色の薔薇の花束を、トールの墓碑にアイリスの花束を置き瞑目する。
それぞれに祈りの言葉を呟くと、残った花束を手にミリアリアは最後の墓碑へと歩み寄った。
夕陽に紅く照らされた白い墓碑の前に立つ、一人の男の姿が目に入る。
迷わず彼女は、その男性の背中に声をかけた。

「やっぱり、来てたんですね」
「……ミリアリアちゃん?」

驚きを浮かべて振り返ったのは、ノイマンだった。

 

 

「どうして、僕が今日ここに来ると?」
「今日がクリスマス・イブだから」

ミリアリアが手の中の花束を墓碑に手向ける。
名を刻まれた人の肌の色を思わせる白い墓碑の傍らには、既に一抱えはありそうな深い赤紫色の薔薇の花束が手向けられていた。

「クリスマス・イブは、バジルール中尉の……お誕生日ですよね?だから今日ここに来れば、必ずノイマンさんに逢えると思ってました」
「……驚いたな、知ってたのか」
「去年も、一昨年も、イブの日にお花を手向けて行かれたでしょう?
 一昨年は誰か気付かなかったんですけど、去年、丁度ここから帰られるノイマンさんを見かけたんです」

 

イブの日にフレイとトールの墓に花を手向けるのは、サイやキラには内緒でミリアリアが一人でしている事だった。
だからこそ一昨年もナタルの墓碑の前に手向けられた真新しい花束に気付いたのだが、その贈り主までは判らなかった。
だが昨年、一人でこの墓地から立ち去るノイマンを見かけて―――察したのだ。あの花束は、彼が手向けたものだと。

 

「あたし、これでも結構記憶力良いんです。
 オーブで自主退艦した人達のデータを整理している時に、たまたま転属したバジルール中尉のデータも見る機会があって……
 イブが誕生日だったって事、思い出しました」

手向けられた花束に、彼は目を細めた。

「君も、赤紫の薔薇を選んだのか……彼女がとても好きだった花だ。柄じゃないと、自分では言っていたが」
「何となくそんな気がしたから、この花にしたんです。
 中尉はちょっと男勝りでキツい印象があったけど、いつも綺麗な深い葡萄色の口紅をつけていたでしょう?それで思いついて」
「ああ、そうだった。他人にも自分にも厳しい人で、ついぞめかし込むような機会も無かったが、そんな所はちゃんと女性だったな」

ノイマンの横顔に、微かな笑みが浮かぶ。
その自然な表情に……ミリアリアは尋ねてもいいような気がして、さり気なく切り出した。
この三年間―――ずっと、気に掛かっていた事を。

「ノイマンさんは―――バジルール中尉の恋人……だったんですか?」

彼はさっき声をかけた時とは比較にならないくらい、驚いたような顔をした。

「……どうして、そう思うんだ?」
「あたしも―――戦場で、大事な人を亡くしたから」

 

だから、何となく察したのだと。

ドミニオンが沈んだ直後の、艦橋の強化ガラスに映ったノイマンの顔を、偶然見た。
彼はローエングリンの光の中で沈み行くドミニオンを、真っ直ぐに、見据えていた。
今にも壊れそうな程に操舵ハンドルを強く握り締め、ともすれば迸りそうになる叫びを殺すように歯を噛み締めて。
……その後、AAの指揮をマリューから一時預かっていた彼が、艦橋から人払いをしていたのを知った。

今ならば、ノイマンがどんな想いで艦橋を無人にしたのか判る。
彼には、憚る事無く泣ける場所が必要だったのだ……

 

「あたしには泣く事が出来たけど、あの時のノイマンさんは、泣く事すら出来なかった。
 だから艦橋から人払いしたんだって、後から気付きました。
 今でもノイマンさんがシャトルに乗っているのは……中尉の眠る宇宙を、離れたくないからですか?」

ノイマンはAAを降りた後、民間シャトルのパイロットになった。
必要に応じて人と物資を載せ、プラントと地球を行き来するのである。
一年の半分以上はシャトルの中だと、時々連絡を取っているトノムラから聞いた事があった。

 

「……そうだな。まだ、忘れられないからかもしれない。
 宇宙に出たら―――彼女を、傍に感じるような気がするんだ」

暮れ始めた空を、ノイマンが見上げる。

そもそもオーブにナタル・バジルールの墓碑を作ったのは、ノイマンの独断だった。
彼女の戦死を知った実家筋でも恐らく作られてはいるのだろうが、正式に婚約した訳でもない自分がそこに参る事は出来ない。
だからこの地に、誰を憚る事無く自分が参る為だけに墓碑を作った。
フラガ夫妻が費用を半分持とうと申し出てくれたが、丁重に断わった。
彼等に確執があった訳ではなく、ただ純粋に―――これが彼女の為に出来る最後の事だから、自分一人で何かを残したかったのである。

それからは一年の半分をシャトルの中と宇宙で過ごす日々。
宇宙に出れば、今は亡き恋人の傍に居られるような気がするのは事実だ。
人は妄執と呼ぶかもしれない。だが、ノイマン自身はそうは思っていなかった。

今でも彼女を愛している。そして、これからも―――

身分も、階級も、他人の目も気にする事無く、今はただ自然な気持ちで真っ直ぐに彼女に向き合える。
あんなに傍に居たのに、共にAAに居た頃にはほとんど出来なかった事だ。
口にせずとも察したフラガやマリュー、ミリアリアを除いては、他の誰にも告げる事は無い。
墓に参る姿を誰かに見られたのだとしても、かつての上官の墓に参っただけだと言える程の心の整理はついていた。

自分は一生で一度の恋をした―――それでいいと思っている。
添う事は出来なかったが、想い続ける限り、その恋は死なない。
生きている限り、他の誰かに心が動く事もあるかもしれない。だが自分に、彼女以上に愛せる人が居るとは思えなかった。
だから自分は、誰も選ばない。彼女の面影を胸に抱いて、これからも生きていく―――そう、決めたのだ。

 

「縛られているとは思っていない。君が辛さを乗り越えたように、俺も自分なりに決着をつけた。それが今の暮らしだ。
 俺はもう、他の誰とも添う気はないが……同じ道を選ぶには、君はまだ早過ぎるな」

突然自分の事に話を振られて、ミリアリアが瞳を瞬かせる。
その青緑の瞳が、不意に曇った。

 

「……どうなんだろう。あたしも、結局は置いてけぼりにされたクチだから」

くしゃり、と大きな手が、俯いてしまったミリアリアの頭を撫でた。

「でも、待ってるんだろ?彼の事」
「……三年も経つんです。あたしの事なんて、きっともう忘れちゃってますよ」

そう言って、笑った。
笑っていないと、泣いてしまいそうだったから。
オーブに戻って、家族や友達、教え子の子供達の中で暮らすうちに、いつの間にか取り戻していた笑顔。
いつか―――彼が見たいと言っていた。

だからもう、泣かないと決めたのだ。
再び会うその時に、彼が最初に目にするのが涙ではないように。

ちらり、とノイマンが腕時計に視線を落とした。

「そろそろ時間だから、俺はもう行くよ。皆にもよろしく言っておいてくれ」
「はい。プラントに行ったら、今度キラの様子も見て来てくださいね」
「ああ―――例の技術交換制度か。こっちからはキラ君が行ったんだっけな。先月だったか」
「ええ」

ミリアリアが頷いた。

 

それはプラントと地球の間で互いの持つ技術交換を目的として、数年のスパンで技術者を交換育成する制度だった。
コーディネーターの技術力は優れたものが多いし、地球独自の技術も有益な物は幾らもある。
先月その第一陣が派遣され、地球からのメンバーにはキラも名を連ねていた。

キラはオーブの再建と技術振興を主とするセンターに、技術官としてアスランと共に勤務していたが、
昨年から本格的に話の進んでいたプラント-地球間の技術交換プロジェクトに名乗りを挙げていたのである。
プラントに長期滞在しながら、コーディネーターの確立させた技術を学び、そして地球の技術の研鑚を図るのだ。
ラクス・クラインを代表の一人に据えたプラント側議会と、オーブを中心にした地球側議会が共に進めた計画であった。

旧体制に固執するプラントの勢力は、アンドリュー・バルトフェルドを中心とする、クライン派出身の確かな見識と手腕、
そしてラクス・クライン、イザーク・ジュール等の若いカリスマと求心力により世代交代が進みつつある。
その一環として、今後コーディネーター第一世代としての遺伝子操作は一切行わない、と言う方針が明らかにされた。
第二世代以降の著しい出産率の低下、流早産率の増加による母体への負担が、その最もたる理由として挙げられている。
これからコーディネーターとナチュラル間の婚姻と、出産による混血が進めば、再び種として自然に在るべき力を取り戻していくだろう。

今回の技術交換の一件も、『何故コーディネーターの技術をナチュラルに…』と言う声も少なからず上がったのだが、

「いつまでそんな瑣末な事にこだわり続けるのですか?私達は、誰も同じ命から分かれた人間ですのに」

と言う、公開議会でのラクスの鶴の一声で派遣が決まった。
既に派遣人員の選抜が進んでいた地球側のスタッフがいち早くプラントに上がり、
追ってプラント側からのスタッフがオーブに降りる事になっている。
時期的には新年明けくらいになるだろうとの話が伝わっていた。

 

「向こうでは、キラはラクスさんのお宅に滞在するらしいし。戻ってくる頃には、あの二人にも何か進展があるかも知れないですから」
「そうだな。何か変わった事があったら、また連絡するよ。他にも伝言があったら、聞いておこうか?」

誰に、とは言わない。
ミリアリアは小さく肩を竦めて見せた。

「止めときます。あたし、彼の名前しか知らないんですよ?プラントの何処に居るかも判らないし……」

調べようと思えば調べられない事もなかったが、敢えて何もしなかった。
置いていかれたのではないと、信じていたかったから。

「そうか。まあ偶然会う事があったら、連絡寄越せくらいは言っておくよ」
「その時は、よろしくお願いします。ついでに一発くらい殴っておいてもらおうかしら」
「よし、承った」

冗談めかした口調に、二人の顔にも笑顔が浮かんだ。

 

「それじゃ、元気でな」
「ノイマンさんも」

墓地の入り口で、左右に別れる。
夜道が危ないので送ろうかと言われたのだが、ミリアリアは丁重に断わった。
今夜はノイマンも、色々と想う事があるだろう。水を差すような無粋な事はしたくない。

彼女に背を向け、数歩歩きだしたノイマンが、不意に思い出したように振り返った。

「そうそう、ここに来る前に君の家に荷物を届けたんだよ」
「ウチに……ですか?」

大きな瞳を、一度瞬きする。

「結構大きな荷物だった。早く帰って、物損が無いか確かめてれ。
 明日の朝にはもうここを発つから、損害請求するなら今夜中だぞ」

笑って言い残すと、ノイマンの後姿は夕闇に紛れて見えなくなった。

 

 

ミリアリアの自宅は、再建されたオーブの中心街から少し郊外に抜けた所にある。
実は先程まで居た墓地とは、然程離れていないのだ。だから、ノイマンの好意も断わって一人で帰って来た。
だが小さな灯りの灯された門扉の前に、遠目にも背の高い男の姿を見付けて―――思わず、彼女は身を硬くした。

静かな通りに響いた足音に、男がミリアリアに気付いた。
ゆっくり振り向き、確かめるように数歩近付く。そして―――

「よっ、久し振り」

懐かしい紫水晶の瞳がミリアリアを映して、彼女の記憶よりも少し大人びた笑顔がその面に浮かぶ。
同時に、パァン!と言う景気の良い音が、辺りに響き渡った。

 

「……っ痛ぇ!三年ぶりの再会の挨拶が、平手打ちかよ!?」
「当たり前でしょっ!?本当ならもう二-三発お見舞いしたいのを、一発で抑えたのよ!」

赤い手形のついた頬に手を当て顔をしかめたディアッカに詰め寄って、ミリアリアが負けじと怒鳴り返す。
ついでにコートのポケットから取り出したハンカチを、決闘合図の手袋のように彼の顔に叩きつけた。
見覚えのあるそのハンカチを受け止めたディアッカが微かに目を瞠る。
それは三年前彼女の手に握らせた、自分のハンカチだった。

「あんたって人は、何にも言わずに姿を消したと思ったら、今度はいきなりふらりとやって来て……っ!
 何年も連絡一つ寄越さないで、あたしが……あたしがその間、どんな想いで居たかなんて―――
 あんたはこれっぽっちも判ってないんでしょう!?」

 

言い返せるものなら言い返して御覧なさいと言う彼女の勢いに、ディアッカは『降参』と呟いて、両手を挙げて見せた。

「ゴメン―――何も言わずにプラントに戻ったのは、本当に悪かったと思ってる。でも、少し安心した。
 三年も連絡しなかったから、忘れられてたらどうしようって思ったりもしたけど……俺の知ってるまんまの、ミリアリアだ」

浮かべられた苦笑いに、ミリアリアの瞳に涙が滲む。
手の甲で拭おうとしたが、堰を切ったように流れ出す涙は、後から後から溢れ出して止まらなかった。

「もう泣かないって、決めてたのに……何の前触れもなく、いきなり姿見せるから……!」

ディアッカの腕が伸ばされ、そっとミリアリアの背を抱く。
彼の胸元から微かに香るコロンが懐かしくて、一層涙が止まらない。
大きな手が、ミリアリアの髪をなだめるように撫でた。

「……このハンカチ、ずっと持っててくれたんだな」

綺麗に洗って、アイロンをかけて。
いつもポケットに入れて、持ち歩いてくれていたのだ。

―――いつ返せるか、判らないと言うのに。

「借りたものを、借りたままにしておけないじゃない!
 いつ会えるか、何処で会えるか判らないから……ずっと、持ってたのよ」

それ以上、何も言わずに涙が収まるのを待っていてくれる彼の不器用な優しさに抱かれて、ミリアリアは泣いた。
胸に沈めた三年分の寂しさが全て涙に溶けてしまうまで、泣き続けた。

 

 

「俺さ、三年の間に徹底的に勉強し直して医者になったんだ。それで今度の技術交換プロジェクトに自薦したんだよ」

いつまでも日暮れた冬の屋外で話し込む訳にもいかないので――大概近所迷惑になるくらい、怒鳴って泣いたのも恥ずかしかった――
ミリアリアはディアッカを自宅に招き入れた。
プラントに残ったAA時代の友人だと、両親には簡単に説明して、今は彼女の部屋で温かいココアを飲んでいる。
一体何時から表でミリアリアの帰りを待っていたのか知らないが、彼の身体がすっかり冷え切っていたからだ。

「医者?貴方、まだ二十歳でしょ」

一人前の医者と言うには早過ぎないかと、言外に込める。
だが疑わしく思われるのは覚悟していたのか、ディアッカはシャツの胸ポケットからパスケースを引き出すと、
中を開いてミリアリアの前にかざして見せた。
そこにはプラントが正式に発行し、ディアッカの名が記された医師免許があった。

「……驚いた。二十歳の身空でお医者様なんて、コーディネーターってもう何でもアリね」

呆れたような口調だったが、そこにコーディネーターを疎む響きは無い。
言葉どおり、ただ単純に驚いたのだ。

「戦前は最高評議会の議員だったんだけど、ウチの親父、元々は医者なんだよな。
 そのせいか、身近に在った医学書とかを結構子供の頃から普通に読んでたし。
 改めて軍人以外の何かを選ぼうとした時に医者になろうって思ったのは、その辺の影響だったのかもな」

 

勿論、この若さで医師免許を取得するのは、例えコーディネーターであるディアッカでも簡単ではなかった。
実はザフトのアカデミー時代から少しずつ通信教育などで医師になる為の勉強は続けており、
国家資格を取るまでの総仕上げを三年でやり遂げたのである。
ミリアリアには言わなかったものの、本来五年は掛かるその総仕上げを三年で成したのは、
ディアッカ自身の気力と才能に依る所が大きかった。

「じゃあ、プラントに上がったキラと逆なの?」
「そう言うこと」

にやり、と浮かべられた悪戯っぽい笑みは相変わらずだ。
顔立ちそのものは精悍さを増し、元から長身だった背も更に少し伸びたような気がするが、根本的な所は三年前と何も変わっていなかった。

ザフトにおいて『紅』を着る事が許される程の能力を、確かにディアッカは秘めていた。
しかしそれは、あくまでも軍人としての素質であり、能力である。
だから彼は平時においても自身の能力が発揮出来るように、専門知識を学んで医師となったのだ。

「ダチにもう一人優秀なのが居るから、本当はそいつもメンバーに組んで引っ張って来てやろうと思ってたんだけどな。
 『忙しいっ!』……つーて、けんもほろろに断わられた」

誘った時のイザークの不機嫌そうな顔を思い出し、小さく肩を竦めて見せる。

『そうでなくても忙しいのに、何で俺がわざわざ地球に降りなきゃならん!?
 行くならお前一人で降りて、根でも枝でも好きなだけ張って来い!』

と言う、非常に彼らしい餞別の言葉で、ディアッカはプラントを送り出されて来たのだった。

 

「プラントからのスタッフの派遣は、年明けになるって聞いてたけど?」
「正式には、そうだな。俺は自主的に日程を繰り上げたんだよ」

自分の記憶違いでは無かった事を確認し、ミリアリアが首を傾げる。
どうせ年が明けたら、そう遠くない時機に他のスタッフもオーブに降りるのに、どうして彼は日程を早めたのだろうか。

「ん?だってほら、今日はクリスマス・イブだから」

さも当たり前だと言うような口調で、ディアッカはそう口にした。

「会いに来るだけなら、いつでも会いに来れた。だけどそれじゃ、ただの観光だろ?
 だからちゃんと資格と大義名分を手にして、しばらくこっちに居られるようになるまで連絡しないって決めてたんだ」

 

医師としての国家資格を得、公式にオーブに長期滞在する名目を得てふとカレンダーを目にしたら、
クリスマス・イブが数日後に迫っている事を思い出した。
気付いてしまったら何が何でもイブにオーブに降りたくて、大急ぎで荷造りして足を確保しようとしたら、
たまたまAAで見知った顔がパイロットを務めるシャトルが、イブの日にオーブに発つ事を知ったのである。

 

「ほら、AAのメイン・パイロットだった、ノイマンとか言う……」
「あーーーっ!?」

ノイマンの名を出した途端、ゴン、と音をさせてミリアリアが手にしていたカップをテーブルに置き、大声をあげる。
ディアッカはギョッとした顔をしたが、自分が何かした訳ではなさそうなので、敢えて口は差し挟まなかった。

「やられたわ……ノイマンさんたら、ディアッカが来てる事知ってて内緒にしてたんだ……!」

 

自分がオーブまで――しかも彼の口振りからするとこの家の前まで――ディアッカを送って来たのだから、
さっき墓地で会った時には、彼がミリアリアを訪ねて来ていたのは知っていた筈だ。
『早く帰って物損がないか確かめろ云々』と言うのは、彼女を待ってる間にディアッカが風邪を引いてないか心配しての事だったのだろう。
今になって、担がれていた事に気が付いた。

「何だよ?俺、何かまたマズい事言った?」
「……何でも無い。こっちの話」

偶然でも会う事があったら一発殴っておいてくれと頼んだが、結局自分で打(ぶ)ってしまった。
きっと今頃、ノイマンはしてやったりと笑っている事だろう。もう済んでしまった事だし、今更問い詰める気力も無い。
来年のイブには絶対ノイマンに何か奢らせようと心に誓いながら、
ディアッカの頬に痣が残っていない事をこっそり横目で確かめ、ミリアリアは小さく息をついた。

 

「それにしても……あたしを訪ねて来たなら訪ねて来たで、何で家に入って待ってなかったのよ?」
「だって、居なかっただろ?」

子供のような理屈だ。すると一度は訪ねて来たが、ミリアリアが不在なので外で待っていたのだろうか。
でもそんな事は、母は一言も言っていなかった。

「そりゃ、あたしも仕事に行ってたから。でもこの寒い中外で待ってなくても、中で待ってれば良かったのに」

するとディアッカは、『昼過ぎにここについてから、家は一度も訪ねてない』―――と言った。

 

「お前の声も、気配もしなかったからな。これでも一応『紅』だったから、耳も勘も良いんだぜ」
「嘘……じゃ、昼過ぎからこんな時間まで、ずっと外で……?」

道理で、身体が冷え切っていた筈だ。
一応ご近所に不審に思われないように、家が見える近所の公園を歩いたりしながら時間を潰したらしいが、
それにしても表で人を待つような季節では無い。

「何で、そんな無茶するの?風邪こじらせても人は死ぬのよ!?具合が悪くなったら、どうする気だったのよ!!」

思わず、声を大きくしたミリアリアの前で―――

「一番最初に、お前に会いたかった」

そう、彼は口にした。

 

生まれ変わった土地で、新しい自分として。
最初に『会う』のは、ミリアリアしか居ないと決めていた。
オーブにはアスランも、かつてのAAのクルーも居るのだから、時間を潰すだけならどうにでもなった。
だけどどうしても―――他の誰でもないミリアリアに、一番最初に会いたかったのだ。

 

……傍目に見ても明らかな程、ミリアリアの顔に朱が走った。
吊り上がっていた眉が下がり、怒っていた肩が下がり、蒸気した頭から湯気が上がる。
いつの間にこんな臆面も無い事を、さらりと口にするようになっていたのか。
少なくとも三年前に別れるまでは、明らかに自分の事を女性として特別扱いするような事は言っていなかった……筈だ。

「な……どうして……?」

すっかり狼狽した態で、それだけ問い返す。
ディアッカが腕を伸ばし、そっと彼女の頬に手を触れた。

「俺が、そうしたかったから。イブの夜は、一番大事な人の傍に居たかったんだ」

 

その小さな呟きに。

雪が降るように、はらはらとミリアリアの瞳から涙が落ちた。

 

「今度会えたら、必ず言おうと思ってた。
 俺は……コーディネーターだし、お前とは故郷も育った環境も違うし、色々難しい事も在ると思う。
 だけど、三年間ずっと離れていて―――よく、判った。やっぱり俺は、お前が好きなんだって」

 

もっと気の利いた言葉を、見付けられればよかった。
きっと自分の中のこの想いは、『好き』とか『嫌い』とか、そんな単純な言葉だけで表せるものではない。
それでも言葉に出来ないもどかしさに比べれば、ずっとマシだった。

「俺を選ぶ事で、苦労させるかもしれない。でも、必ず俺が守るから。
 どんなに辛い事や悲しい事があっても、俺が傍に居て必ず守るから。だからミリィ―――俺の為に……笑ってくれないか?」

 

囁かれたのは、誓いの言葉。
ずっと待ち続けていた……優しい、声。

まだ自分に幸福な未来が残されていると言うのなら、きっと彼が導いてくれるのだと―――いつの頃からか信じていた。

 

「……傷、残っちゃったね」

ディアッカの額に残る古傷にそっと手を触れる。
命すら賭けて自分を守ってくれた―――その、証。

「ミリアリア?」
「貴方に―――ありがとう……って、言いたかったの。三年前から、ずっと」

 

子供のような顔で見下ろす紫水晶の瞳に―――輝くようなミリアリアの微笑が映った。

 

 

数ヵ月後。
数年というディアッカの任期終了を待たず、二人はかつての仲間達の祝福を受けて、オーブで結婚式を挙げた。
まだ二人が若い事、ディアッカがコーディネーターである事などからミリアリアの両親は始め結婚に反対したが、
根気強く説得を続けた彼の熱意に折れて最後には承諾し、娘の結婚を祝福した。

二人は仕事の都合で数年毎にプラントとオーブを行き来する生活だったが、ミリアリアから笑顔が喪われる事は二度と無く、
数年後には子供にも恵まれ、慎ましいながらも幸福な日々を送った。

 

ちなみにディアッカの父親は、息子の『あ、親父?俺、今度結婚するから』と言う一報に烈火の如く怒った。
まだ二十歳の身空で、親に一言の相談も無くいきなり何を言い出すのか、と言う所である。
更に相手がナチュラルの女性であると知って、その怒りに戸惑いが混じった。
彼の父はプラントでは穏健派寄りの中立を保っていたが、実際にナチュラルの女性が我が息子の伴侶となると話は簡単ではない。
だが自分の親の反対は何処吹く風で、ディアッカはミリアリアの両親の説得には成功した。
そして結婚式の直前に、

「認めないなら認めないで結構。嫁さんの両親には認めて貰えたし、ミリアリアさえ居れば、俺は何処でだって生きていける。
 その代わり子供が生まれたって、親父には指一本触れさせてやらないどころか顔も見せてやらねーから、そのつもりでな」

……と言う、事実上の逆勘当のような一報を送ったきり、彼は数年間実家と連絡を絶った。
そしてその絶縁状態は、二人の間に初めての子が生まれてもしばらく続く事になる。
結局、妻に諭され――泣き落とされたとも言う――そして孫可愛さに息子の結婚を認めて、ようやくディアッカと父親は和解した。

自分と父親の絶縁中も、ミリアリアと彼の母がこっそり手紙を遣り取りしていた事実が在った事を、
和解して随分経ってからディアッカは知らされた。
ミリアリアが見せてくれた母からの手紙には、

「聞き分けの悪い舅には、私が必ず『頼むから孫を抱かせてくれ』と言わせてみせるから。
 貴女には肩身の狭い思いをさせているとは思うけれど、もうしばらく我慢して頂戴」

と、微妙な立場に置かれた息子の嫁をいたわる気遣いが記されていた。

結婚式を終えてしばらく経った頃、新居の住所を調べた母の方から、
ミリアリア宛てに祝いのメッセージと共に、初めての手紙が届けられたのだと言う。
道理で絶縁中も変わらない明るさを保ってくれてありがたいと思っていたら、彼女はちゃんと夫の母親と言う最強の味方を得ていたのだ。
ミリアリアは生まれた赤ん坊の写真や自分達の幸せそうな姿を撮った写真を、義母に定期的に送っていたらしい。
結局最後は妻と嫁による穏やかで効果的な共同戦線に、父は屈した訳だ。
共謀した女を敵に回すと怖いと、ディアッカは改めて肝に銘じたという。

 

 

更に数年後。
プラントに居を移していたキラが、妻となったラクスと子供を連れて久し振りにオーブを訪れた。

双子の姉と親友の間に生まれた子や、ディアッカ、フラガ両家の子供達と我が子を引き合わせると、
賑やかに一緒に遊ぶ彼らの姿にかつての自分達の姿を重ね合わせ、昔話に華を咲かせたと言う―――

 

                                             【END】

 

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